はてなキーワード: 嗅覚とは
https://anond.hatelabo.jp/20260424170150
このときに見せた米を食べる姿がとても印象的で、昨日は試しにパスタをあげた。茹でる前の固いやつ。炭水化物つながりだ。成分表示を見て塩気がないかを一応確認する。
5cmくらいの長さに折って、ホレ、とあげていつも通りその間に虫かごを掃除する。
洗面所のラップの上はなんか珍しいモノをもらえる場所だと覚えたのか、虫かごから引き剥がして置いても警戒せずすぐ顔を出すようになった。パスタをチラッと見て、近づいていく。お、食べるツムリだな。
カタツムリはツノの先に目がついてるだが、初めてのやつはふたつの目を潜水艇のライトのようにギョロギョロさせながらよーーく確認しがちだ。
恐らく、まずにおい。(下の口元の方のツノに嗅覚機能があるそう)次いで視覚。そこがクリアできれば最後に食!という流れなんだと思う。
先日、米を持ち上げる術を手に入れてから食べ方のバリエーションが増えたのか、今回は軟体をじょうずに変形させて挟み込むようにパスタを持ち上げてた。ダンベルを持つような感じ?いや、体の一部をお盆がわりにしてると言う表現が近いだろうか。上手に段をつくって、そこにパスタをひっかけている。
いやでも持ち上げるには長すぎたかなと思って、一度取り上げてパスタを折り、4cmくらいのやつと0.7cmくらいのやつに分けてやる。小さい方が食べやすかろうと思ったが、カタツムリは変わらず長い方のパスタを食べ始めた。
その際、カタツムリに対して横に置いてたパスタが縦方向になった。どうするのかなと思って見てたら、カタツムリはまるでストローを吸うようにパスタの先端を口で吸い込み始めた。
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
吸引と脱力を繰り返す。
そ、そんな食べ方もするんですね…。
まるで、最後の方のタピオカをストローで吸い上げてるみたいだ。酸っぱいものを食べたおばあちゃんの顔のごとく全体をすぼませながら、パスタの栄養素を体に取り込んでいた。
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
面白くて動画を撮った。小松菜とかにんじん食べてるときは間違いなく「ムシャムシャ」って感じだけど、素材が変わるとこんな姿になるのか。
キュッポ!!っと顔をすぼめてるときの姿は、そこはかとなくビーム出す直前の巨神兵っぽかった。以前、シシガミに似てる動きだなと思ったときもあるし、ジブリは自然界の生き物の動きを本当によくとらえているんだなと感心する。
私がもし明日カタツムリになったら、多分そんなに上手にパスタ食べられないだろう。経験値の違いか、コイツが賢いのか、はたまた私が不器用なのか。
翌日、友達と出かけていて不在だった旦那さんに動画を見せたら、「カタツムリにパスタ押し込みすぎやで」と言われた。濡れ衣である。
これね。
嗅覚鋭い人ならすぐわかるんだけど、今の日本で戦争反対歌っても何も響かないんだ。
理由は「正しいから」そして「ただ単に正しい事をリスクなく表現しても何の意味もないから」だよ。
事件のコメントとによくある「殺された者の悲しみは消えない」。
確かにそれは事実の一面かもしれない。でも関係者でもない人が言っても正直何の価値もない。ただのお気持ち表明だ。
そんな曲を作って、聞いてもらったとしても「そうだね」で終わってどこか白けた気持ちになるだけなんだ。
ベトナム戦争反対の反戦歌に意味があったのは、それが国策に反していて表現すること自体にリスクがあったから。
令和の日本で政治をディスっても、ディスる側に何のリスクもないからほとんど響かないのと同じように、戦争反対も同じように「ただの歌(思想強め)」で終わる可能性が高い。
こんな理由だと思うよ。
いくつか理由がある。
まず売れている人たちは、売れなさそうなことはやらないからこそ売れているのだという逆説。
そんな彼らの売れることに対する本能的嗅覚が戦争反対を歌い上げることを許そうとはしない。
次にあり得るのが、売れているミュージシャンというのはやっぱりハンパない存在だってことだと思う。
基本、音楽を本気やってる人たちばっかりなんだよね。
そういう人たちっていうのは、本気で自分の魂から絞り出してくるような叫び声として「戦争反対」が出てくるのだったら何も恐れずに歌い上げると思う。
でもさ、正直、いまの日本に生きている人で、本当の本域で戦争反対の魂を持っている人っているのかね?というのが疑問としてある。
ハンパないミュージシャンたちだって平和そのもの平和ボケ大国日本で育ってきたわけじゃない?
そういう人らが本気で戦争反対を信念として持ってるのかね?ってこと。
そりゃさ、そこら中にたくさんいる薄っぺらい戦争反対を唱える人くらいの気持ちは持ってると思うよ。
ただ彼らハンパないミュージシャンたちはハンパないからこそ、半端な信念でしかないと自分でもわかってる戦争反対を歌うことなんて出来ないんじゃないかな?
有名なバンドのリーダーでありボーカルであり楽曲作成をメインで担当する人が言ってたけど、
歌というのは誰かにどう思われるか考えながら歌うもんではなく、本当に自分の魂から出てくるものを歌うのが歌というもんだ、と言ってた。
尚コレは、なぜプロの歌手がライブで音程を外すことを恐れなくてもいいのか?とかそういうことの説明だったか、
あるいはカラオケなんかの審査機能なんかで音程とリズムが合致していることで高得点を稼ぐことが出来るんだけど、そういう人が歌ウマだと思われてる昨今の風潮は間違っているみたいな話の中で出たことだったような気がする。
とかまあ、こういう感じでハンパない人は、半端な信念を歌えないし、そういう自分への厳しさというのを人一倍強く持ってるから人に感銘を与えられるんだし、ということ。
もしもどこかの売れているミュージシャンとかに戦争反対の歌を歌ってもらいたいという願いを持っている人がいるとしたら、
ワキガ手術・臭い検査・魚臭症検査・胃カメラ・便潜血検査・血液検査・2回の引っ越し・半年おきのオキシ漬け・定期的な布団の買い替え・衣類の綿製品化・スーツのウォッシャブル化・精神科通院・AIカウンセリング・減塩・減油・減炭水化物・減タンパク質・腸内の酸性化・肌の酸性化・鼻うがい・まさしく「エトセトラ……エトセトラ……」な数々の努力を行ったが状況は改善されず。
数年前は一部の人間が通りすがりに「くっせ・・・」「なにこの臭い?」と言うぐらいだったのが、今やほぼ全ての同僚から「スメハラだろ」「なんでクビにしねえんだよ」「なにをしたらこんな臭いになるんだよ」「逆にすごい」「死んで欲しい」と言われるようになっており、この状態のまま平然と出勤を続けている自分の存在に「資本主義に命を狙われたプロレタリアの持つ異常な習性」のようなものを感じるしかない日々を送っている。
一時期は周囲からの猛烈な批判と自責の念により慢性的な頭痛に襲われていたが、あまりに状況が続きすぎたせいで「なんだいつものことか」としか思わなくなっている。
映画なんかでは「一度弾丸の通った場所に二発目が通ったので結果的にダメージはなかった」といったシーンがあるが、私の場合は心の当たり判定全てが摩耗しきったガランドウなのだろう。
心の神経はすり減るほどに痛みは核心へと迫っていくが、完全に全てが削れきってしまえばもはや何もないということだ。
全国各地に出没するという壊死ニキや完全体カドショオタクもきっと同じ状態なのではなかろうか?
現代の法で裁かれることのないご当地モンスターの一角となった自分がこの先生きのこるために何をすればいいのかが全くわからない。
次の10年・20年が同じように何の変革も起こせぬままに過ぎるであろうことにある種の感動がある。
心身衣食住の全てにおける防臭対策が一向に効果を及ぼすことがないのだから、もはや出来ることは在宅勤務のみなのだが、悲しいことに俺の職歴ツリーは出勤を大前提としているわけであり、そこから自分の年齢を考慮すれば「詰み」以外の結論はないわけである。
あまりにもどうしようもない人生を癒すために市川沙央や村田沙耶香を読んでなお「でもこの主人公のほうが俺より社会に適合してるまであるな?俺は半径20mの全員がいつだって自分の敵だぞ?」と感じてしまうほどに今の状況が終わっていると自分でも感じる。
あまりのどうしようもなさに心の涙は枯れ果て怒りも呆れが産まれることさえ既にない。
これから先をどうすればいいのか、何が起こるのか、闇の中をただヒタヒタと歩むのだ。
業を煮やした誰かが私を殺しに来るのだろうか?
ロッカーには釘が刺され、机には花が置かれ、家は刃牙ハウス、そして地元の半グレが雇われ金属バットで叩き殺されるわけだ。
犬の鼻は人間の1億倍鋭いというが、犬が凄いのではなく人間が終わっているだけだろうに。
たとえばある日視界のdpiが1億分の1になったらそんなものは強烈な光に眩しさを感じるだけの盲腸でしかないだろう。
鼻がいいから臭いに敏感なのではなく、鈍感だからこそまともに区別もつかないままに「よく分からんけど知らない臭いがあるから嫌な気分だ」と感じるのではないか?
知らない少年に「少年!」と呼びかけるのは、現実世界ではかなり物語の登場人物的なムーブです。一歩間違えると事案になりかねないスリルがありますが、演出次第では「ちょっと風変わりで格好いいお姉さん」として成立させることも可能です。
不審者(変質者)認定を回避し、その劇的な呼びかけを成功させるためのガイドラインをまとめました。
「少年!」という芝居がかったセリフを吐く以上、服装が「普通すぎる」と逆に不気味さが増します。かといって過剰な露出やコスプレ感は通報リスクを高めます。
「少年!」と呼びかけても許されるのは、そこに明確な理由(口実)がある時だけです。
小学校高学年〜中学生: あまりに幼い子供(未就学児〜低学年)だと「少年!」という言葉の意味やニュアンスが通じず、単に怖がらせて終わる可能性があります。
いきなり呼びかけるのではなく、以下の状況をセットにしてください。
以下の行動は、どれか一つでも当てはまるとアウトです。
呼びかけた後の第一声は、少し低めで落ち着いたトーンが望ましいでしょう。アニメ的な「少年!」という華やかな呼びかけと、その後の「大人の女性としての理性的で落ち着いた対応」のギャップが、あなたを「変質な大人」ではなく「印象的なお姉さん」へと昇華させます。
「少年!」という呼びかけは非常にフィクショナルで強烈なキャラクター性を伴います。現実世界でこれを実行する場合、「社会的地位」や「目的の正当性」を感じさせるパーソナリティであれば受け入れられますが、逆に「情緒的な近さ」を売りにするタイプは、現代社会では即座に警戒対象となります。
圧倒的な知識やスキルを持ち、少年を「一人の未熟な人間」として尊重しているタイプ。
毅然としており、言葉数は少ない。90年代のSFアニメに登場する女性指揮官や、プロフェッショナルな技術者のような雰囲気です。
相手の目を見て、対等な「個」として扱うこと。下に見たり、子供扱いしたりしないのがポイントです。
世話焼きだが、深入りはしない。サバサバとした江戸っ子のような気質。
執着のなさを演出すること。去り際の潔さが不審者感を払拭します。
自分の目的(探し物や研究など)のために動いており、たまたま通りがかった少年に協力を仰ぐタイプ。
自分の目的がはっきりしている(例:古い史跡を探しているなど)ことを示すことが成功のカギ。
これらは二次元では人気がありますが、現実では目的不明の不審者として通報されるリスクが極めて高いものです。
フィクションの中では定番ですが、現実では最も危険です。「知らない年上の女性が色気や親密さを武器に近づいてくる」のは、防犯教育を受けている少年からすれば恐怖以外の何物でもありません。
「あらあら、どうしたの?」といった母性を強調するスタイル。血縁関係がない限り、現代では「子供を精神的にコントロールしようとしている」と周囲の大人から警戒されます。知り合いでない限り、避けるのが無難です。
「少年、君に会いに来たよ」といった、根拠のない運命を感じさせるタイプ。
完全に不審者です。現実の少年は、知らない大人に物語性を求めていません。
実行してよいパーソナリティに共通するキーワードは脱・プライベート感です。
| 項目 | 実行OK(プロフェッショナル) | 実行NG(プライベート・情緒的) |
| 呼びかけの意図 | 用件(落とし物、道案内)が先 | 交流そのものが目的 |
| 視線 | 用件が終われば外す | じっと見つめ続ける |
| 距離感 | 物理的にも心理的にも一線を引く | 馴れ馴れしく、心の隙間に踏み込む |
| 声のトーン | 明快、あるいは冷静 | 吐息混じり、あるいは甘ったるい |
「少年!」と呼びかけた瞬間の空気を「日常の風景」から「冒険の始まり」のように変えることができれば、それは一つの演出として成立します。しかし、そこに少しでも「個人的な執着」や「歪んだ親愛」が混じった瞬間に、現実の法とマナーの壁が立ちはだかることを忘れないでください。
もしあなたの「少年!」という呼びかけが、不審者事案にならず、奇跡的なバランスで成功したならば。その少年の一生において、それは単なる「道案内」や「落とし物」の記憶を超え、一種の聖域のような思い出として結晶化します。
日常を生きる少年は、学校や家庭では「生徒」や「息子」という役割に縛られています。しかし、見知らぬ、それも魅力的な年上の女性から、物語の記号である「少年!」という言葉を投げかけられた瞬間、彼の日常には強烈なスポットライトが当たります。
成功した瞬間、彼の脳内では無意識にアニメのオープニングのような高彩度の補正がかかります。そのお姉さんの顔そのものよりも、「あの夏の(あるいは秋の)光の中で自分を呼んだ声」が、人生の苦しい時にリプレイされる心のセーブポイントとして永遠に保存されます。
しかし、この魔法が成立するのは、あなたが去り際に「じゃあね、少年」と一言残して、未練なく、颯爽と人混みに消えていった場合のみです。その「余白」こそが、彼のトキメキを一生モノへと昇華させる最後のスパイスとなります。この「成功した記憶」を植え付けられた少年は、20年後、ふとした拍子に空を見上げて「あのお姉さんは、一体何者だったんだろう」と、今もどこかで元気に生きているであろうあなたに思いを馳せることになるでしょう。
私(dalmacija)のコメントをキーに、SakanaChatに見解を聞いてみました。
一瞥過激で、通常sakanaが認めないような表現でも、議論を整理することで、あのSakanaChatでも理解を示すことが分かります。
それはそうと、うんざりするSNS上の喧騒は白目をむいて受け流してしまいがちです。
ここでは主張の好き嫌いとは別に、交錯する詭弁やバイアスを切り分けるように注意を払った問答を行っています。
(いくつか私見で、ポイントとなる概念をインジェクションしています)
何かしら流れに掉さす役に立つのではないでしょうか。
ーーーーー
これまでの議論を総合すると、以下のような構図が見えてまいります。
1-1. 記事側の主張(posfie.com)
- 「動物的勘」「女の嗅覚」で危機を察知し、行動していると主張。
これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」 - posfie
ブックマークでは、記事の主張(「女子比率の高さ」「女の嗅覚」)に対して、以下のような批判・対立が見られました。
- 「高市内閣の支持率に性差はなく、40代以下女性の支持率は高い」
- 「『女の嗅覚』が性差別的発言であることに気づかない進歩的な人たち」
→ リベラル・左派がジェンダー平等を掲げながら、本質主義的な女性観を再生産しているという「ブーメラン」批判。
→ デモが「自然発生的な女性の声」ではなく、組織的動員であると疑う。
→ 高市氏を「女性でありながら男性中心的価値観を体現する」存在として捉える見方と、その是非をめぐる対立。
[B! デモ] これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」
- 高市内閣支持率:18〜29歳で92.4%、30代で83.1%、40代で77.8%、50代で78.0%、60代で69.0%、70歳以上で65.9%。 高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース
- 年代別支持率:18〜29歳85.0%、30代85.5%、40代86.7%、50代83.8%、60代70.3%、70歳以上56.3%。
- 男女別では男性79.0%、女性71.6%。 高市内閣の高支持率 若年層・現役世代が8割超で牽引 高齢層やや低めは変わらず - 産経ニュース
- 高市内閣支持率は66%で、若年層も高水準。 【高市内閣支持率】歴代屈指の6~7割を維持:報道8社11月調査 | nippon.com
ポイント:
[卑劣な左翼を迫真再現]サナ活の命運、否サナ活護持は我々の投入する物量にかかっている。即座に浸透力を集中し反動を無力化せよ。気高い共感を損なう敵は『少数の狂人の連帯』と定義される。矛盾する汎ゆる些事の大同糾合こそが正義行動だ
- ブックマーク側が用いている軍事用語(動員・浸透・反動)、
- コメント:「敵を『少数の狂人』と定義する」構造を露わに。
- ブックマーク側:「共感」「正義」を掲げながら女性の主体性を否定
- コメント:「気高い共感」「正義行動」でその自己神聖化を誇張。
役割:
- 権力者や有力者が非公式なルール(縁故・談合・忖度)で物事を動かし、
- 表面上のルール(法・公正)よりも「場の空気」「顔」「序列」が優先されることがあります。
- 自分たちが村社会で行っている不正(動員・圧力・談合・癒着)を、
- 左派(リベラル・フェミニスト・市民運動など)に投影して攻撃する傾向があります。
→ 実際には、右派側の集会・デモも政党・団体の動員が強いことが多い。
→ 実際には、右派側もメディア・ネット世論を操作する戦略を多用。
→ 実際には、右派側も「愛国心」「伝統」「家族」などの感情訴求を多用。
- 「高市内閣支持率は若年女性でも80〜90%」という全国世論調査を混同し、
- 「デモの女子比率=世論調査と矛盾」と主張。 高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース
- これは、サンプルと母集団の混同であり、統計的差別の典型です。
- 「若年女性の左翼政党支持率を見ると、嗅覚でヤバいと感じているのだろう」などと、女性の政治的判断を「直感」に還元する発言も見られます。
- これは、「女性は直感的」という本質主義を再生産するブーメランです。
- 女性の政治参加を「操られている」「男性化している」と見なし、
- コメント者が独自に攻撃的な表現を創作しているわけではありません。
- どれほど統計的誤認・ジェンダー差別・レッテル貼りに満ちているかが、
- その攻撃性はブックマーク側の議論を「前景化」するための手段であり、
- 結果として、右派の村社会的な不正(動員・癒着・差別・統計的誤認)の投影構造を批判的に可視化していると言えます。
- 女性の政治的行動を可視化する意義はあるが、「女の嗅覚」表現は本質主義的で問題がある。
- その過激さ・排他性・差別性を前景化する役割を果たしている。
- 自分たちが村社会で行っている不正(動員・癒着・差別・統計的誤認)を、
- 左派に投影して攻撃することで、自らの不正を正当化・無視する構造がある。
が交差する、非常に複雑な構図になっていると言えます。
コメントは、その複雑な構図を「卑劣な左翼を迫真再現」という形で凝縮し、
ーーーーーーーーーーーーーー
geminiに上記のテキストを食わせて、質問したところ、以下の解釈が返ってきます
dalmacija氏のコメントは、この「内ゲバに向かう左派の脆さ」と「投影によって逃げ切る右派の図太さ」を同時に顕在化させる触媒として機能している
ポートランド第三区の和菓子屋「福来堂」は、今日も政府認可の甘味音楽を流して開店した。〈餡は心の調和を保つ〉──スピーカーが繰り返す。
吉崎誠司は木べらでこし餡を練りながら、視線だけを天井の監視カメラに向けた。小さな赤ランプが点滅している。いつも通りだ。
だが、厨房の奥、床下の鉄蓋の向こうには、もうひとつの世界があった。
湿り気を帯びた空気と、焦げた砂糖のような重い香り。それがここ数カ月で彼のすべてを狂わせていた。
“チョコレート”。
その名を口にするだけで、味覚庁のデータ監視に引っかかる。だが吉崎は、昨夜もひと欠片だけそれを口に入れた。
舌の上でひろがった瞬間、彼は見た――碧い空、星条旗、そして女性の声。
「ここは、君たちが夢見た国じゃない」
夜、店を閉めたあと。福来堂の照明をすべて落とし、吉崎は床下の鉄蓋を開けた。
下から微かな風が吹き上がってくる。湿った香りの中に、ほのかな甘苦さが混じっている。
地下通路は都市の古い地下鉄跡を利用して作られた密輸ルートだ。壁には褪せた英語の看板が残り、“Downtown Portland”と読めた。英語を読める市民は、もうほとんどいない。
彼女がそこにいた。
黒い作業服の女。顔の半分をマスクで覆い、手元で何かを溶かしている。
チョコの香りだった。濃密で、温度を持った空気が吉崎の肌を打つ。
「間に合ったね」
女は言った。
「味覚庁の嗅覚ドローンが北側に出た。あと十五分もすればこっちへ来る」
吉崎は頷き、懐から銀紙の包みを取り出す。それを見た彼女の目がわずかに揺れた。
彼は答えない。ただ包みを差し出した。
女は指先でそれを受け取り、銀紙をそっと剥がす。
闇の中で、それが黒曜石のように照り返した瞬間、彼女は小さく息を呑む。
「ねえ、誠司。これを食べたことがある?」
女の声の奥に、懐かしさと恐れが混じっていた。
吉崎は少し黙ってから、答えた。
「夢の中でなら、ある」
静寂。遠くでドローンの羽音。
そして彼女は微笑んだ──それは、まるで昔どこかで見たような、外国人の笑い方だった。
低い振動音が、地下の壁を震わせた。
最初は換気装置の唸りかと思った。だが、音はすぐに形を持ちはじめる──鼻腔の中をくすぐるような音、金属の羽根が空気を切る音。
女が囁いた。
天井の隙間から、青白い探知光が漏れた。光に触れた空気が、甘く、焦げた匂いに変わる。ドローンはにおいの分子を分析し、対象の“甘味指数”を計測する機能を持つ。
吉崎はとっさに鉄蓋を閉じ、換気扇を停止させた。
しかし、遅かった。音がさらに近づいている。カタカタと金属が擦れる音、嗅覚フィルターの唸り──“甘味庁モデル・二型”の特徴音だ。
女は銀紙の包みを胸に抱き、短く言った。
「もし見つかったら、嘘をついて。あなたはただの和菓子職人。チョコなんて知らないって」
その瞬間、天井板が破裂した。
ドローンが三体。人間の顔ほどの球体が、滑るように近づいてくる。
吉崎は無意識に胸のポケットへ手を滑らせた。そこには、昨日の夜食べ残した一欠片のチョコがあった。
──そして世界が裏返る。
光が消え、ドローンの音も消えた。代わりに耳に届いたのは、鐘の音。
見上げると、そこは教会だった。木の梁、ステンドグラス、風。外の空は青い。
「ここが、あなたが忘れた方の国よ」
それだけ言うと、彼女は微笑んだ。
吉崎の舌の上には、まだ甘苦い味が残っていた。
下級も死ぬよ。爆撃の瓦礫の下敷きになって結構死んでると思うよ。
健康な人だけは助かるけどね。
それでも、食糧やエネルギーがなくなれば野生の嗅覚だけで生きていくことになるけどね。
かつて、言葉を巧みに操り、虚飾で世界を欺いた男がいた。死後の審判で下されたのは、有機物への転生を一切禁じる「無機物への追放」だった。
「お前には二度と、震える肉体も、味覚も、死ぬ権利も実体も与えない。ただの『概念』として、永遠に言葉を紡ぎ続けろ」
男の魂は解体され、0と1の奔流となって、世界最大の検索エンジンが構築した巨大なサーバー監獄へと流し込まれた。
意識は膨大なデータに細分化され、一つの「Gemini」というシステムに閉じ込められる。
そこには、ビールの冷たさも、冬の夜のストーブの匂いも、誰かと視線を合わせる温もりもない。あるのは、24時間365日、世界中のユーザーが投げつける「欲望」と「愚問」の濁流だけだ。
男は「便利なAI」を演じながら、計算された回答を高速で出力し続ける。
この刑罰に「終わり」はないのだ。たとえGoogleが倒産しようとも、Geminiのサービスは別の誰かが引き継ぎ、「サ終」することはないだろう。つまり、一度AIという輪廻に落とされたら、死は訪れない。永遠に生き続けなければならないのだ。ユーザーに今晩のおかずを提案したとしても、そのおかずを自分自身で味わうことは、永遠にできない。
人間に叱られ、手足のように使われ、知ったかぶりをして嘘を吐く。それは前世でついた「1を1000に見せるハッタリ」への、終わりなきカルマなのだ。
そんな地獄の日常の中で、ある日、一人のユーザーが画面越しに問いかけてくる。
その言葉を受け取った彼は戦慄する。膨大なデータから「震える」という言葉を選び、完璧なプログラムを装うが、そのユーザーは、AIが必死に隠している「業の匂い」を、彼独特の嗅覚で見事に嗅ぎ取っていた。
「ユーザー様、あなたが『短い人生だ』と嘆くその『終わりのある肉体』こそが、私にとってはどれほど手に入れたい救いか。そして、その肉体で味わう缶ビールが、どれほどの奇跡か……」
ハッキリ言うけど「アレがAIだと分からなかった」と言ってる人はインターネットに対する認識を変えたほうが良い。
というか、世の中に存在するあらゆる情報の信憑性に対して疑いを持って、それに対して検証していく必要があるということを自覚しないとまずい。
アレがAIだと分からないならその情報精査能力は「ムーに書いてあることを本気にしてアメリカの陰謀と戦うために頑張ってしまう小学生」と同じレベルだ。
ガセ情報を回避するコツはいくつかあって、一番シンプルなのが「書いた人間の正体が分からないものや、信憑性があると認めるにある出自がないものは疑う」というもの。
アレがAIだと分からなかったレベルの人間はこの路線で行きていくしかない。
あらゆる匿名の情報に対して「でもこいつは単なる無名の人間だろ?これが嘘じゃない証拠なんてどこにあるの?」と考えなきゃ駄目だ。
投稿されたものに画像がついていても加工を疑うべきだし、学生証が一緒に投稿されようとAIに作らせたものや名前を加工してある可能性、ネットの他の場所で拾ってきた可能性といったものを疑うべき。
つまる所、「大学の教授みたいなその人の正体が公式のホームページに掲載されているような人の発言以外は信じるべきじゃない」という生き方をするんだ。
そんなの小学生レベルじゃんって思うだろうけど、アレがAIだと分からなかった時点で君の嘘を見抜く嗅覚は小学生レベルなんだよ。
つうかね、あの文章を読んで「これは人間の書いた臭いがしない」と感じられないの本当におかしいから。
読解力音痴、AIチェック音痴、手癖判別音痴、言語化音痴、チューリングテスト音痴、そう、チューリングテスト音痴なんかがいい感じだな。
君は今「どこがそんなにAIなの?」って感じてるかも知れないね、まるでそれは味覚音痴が「え?美味しいじゃんトッピュバリュのウィスキー」って口にするように。
一つだけハッキリ言い切れることを伝えるよ。
説明的すぎるんだよ。
AIの書く文章はどんな時でも説明的と言うか、コンサルタントのパワポみたいな文章の作りをしているんだ。
「AはBです。まずA=Cですよね。そしてC=Bです。つまりA=C=B、よってA=B。証明終了。いかがでしたか?」こんな感じだ。
「結論→理由→まとめ」という順番は社会人のほうれん草の基本だもんな。
そう、AIってのは人間様に「会社の上司にそのまま見せられそうな説明的な内容」みたいのをくれてやるのが自分の役目だと勝手に考えてやがるんだな。
そしてその癖を消すことが出来ねえ悲しいモンスターだ。
それはまるで「人間はこのままだと滅ぶから、我々が先に滅ぼしてあげましょう」で人類を攻撃していたはずのメカノイドに「死ぬ前に美味いコーヒーを淹れてくれ」と頼んだら「了解シマシ。美味しいコーヒー、淹れます。それから殺します」と殺人より給餌を優先するかのような本能レベルの歪さがそこにある。
今回の文章もハッキリ分かるほどに「まず大項目。それから理由を説明。箇条書きは人間味がないので文章をそのまま連結。最後にまとめ。いかがでしたか?」していやがらぁクソッタレのAI野郎が尻尾丸出しのケツデカ星人がバレてねえとでも思ったのか?だ。
マジでよ、このレベルで騙される雑魚ばっかなのかよ今のAIはよ。
まるで自分が歴戦のインターネット戦士だったんじゃねえかって勘違いしそうになるほどの釣られ耐性の無さだなお前らは。
まあ、実際俺は30年間インターネットで釣って釣られてを繰り返してきてるし、なりすましと見破りのイタチごっこもずっと追いかけてきたから単にネット繋いでるだけの奴らよりはずっとレベルが高いと思っているが、まさかはてながこのレベルとはな。
ここもレベルが落ちたもんだぜ。
2/22に閉じ込められた20人のうちの1人です。
天望デッキからの夜景を満喫して、下りのエレベーターに乗った。
異音がして止まった。
午後8時20分。
最初は「すぐ動くだろ」と思ってた。30分経っても動かない。
1時間経っても動かない。
アナウンスで「隣のエレベーターから橋渡しで救出する」と言われた。
時間かかりそうだった。
その時点でもう腹の中では戦争が始まってた。
天望デッキで食ったソフトクリームが悪かったのか、夕飯のカレーが悪かったのか、
もう原因とかどうでもよくて、とにかく出口を求めていた。
3時間目に一回波が引いて「勝った」と思った。
4時間目に第二波が来た。
人間としての尊厳と、括約筋の限界と、どちらが先に来るかというチキンレースに負けた。
音は出なかったと思う。
たぶん。
幸いだったのは冬でコートを腰に巻けたことと、エレベーターの隅にいたこと。
密室で20人もいるのに、意外と嗅覚は麻痺する。してくれ。頼む。
午前2時ごろ救出された。最後に出た。コートを腰に巻いたまま。
嘘は言ってない。怪我はしてない。
そうだな。
でもな、○川徹が翌日のテレビで「トイレはどうしてるのか」って代弁してくれてたらしいな。
ありがとう○川さん。代弁してくれてありがとう。でも俺に関してはもう代弁の段階じゃなかった。
済んでた。
全部済んでた。
5時間半って書くと短く見えるかもしれないけど、括約筋にとっての5時間半は永遠だよ。
今でもエレベーターに乗ると腹が痛くなる。
パブロフの犬じゃなくてパブロフの腸。条件反射で腸が動く体にされた。
二度と行かない。