はてなキーワード: 同人誌とは
「首の姿勢が悪すぎる。シャワーではなく湯船に浸かり身体を温めてからスマホを弄らずにすぐ寝なさい」という意味で言われた。
言われたことは仕方ないので従うのだが、ふと疑問がわいた。
僕が大好きな「お風呂に入らない不衛生な二次元キャラ」達のことだ。
僕が好きなのは最近流行りの風呂キャン界隈のメンタルが不安定な子ではなく、
趣味に夢中でお風呂に入るのを忘れてしまうタイプの不衛生な子だ。
具体的にはRODの読子リードマン、ダンガンロンパの腐川冬子、シロナガス島への帰還のねね子、同人誌における東方プロジェクトのパチュリー、同人誌におけるブルアカのウイなどだ。
(みんなおけけのお手入れの流行を追わなそうな態度も好ましいね)
彼女たちも僕のように読書が趣味な以上、同じように首の姿勢がよくなく医者にお風呂に入るよう促されてしまうのだろうか……
悲しいです。
って言うか、医者の言うことだから無条件に飲み込もうとしたけど陰謀論じゃないこれ?
いや、いいよ、百歩譲るから男は毎日お風呂に入らないと大病にかかるけど、女性キャラクタはお風呂の頻度は週に一度で問題ないことにしようよ。
はい。
決めました。
全ての漫画アニメゲームなどの女性キャラクタのお風呂の頻度は週に一度です。
キヴォストのお風呂は全て壊れました。
全てこれは決定事項なので、ブコメもトラバも全員、最近見つけたお風呂に入ってない不衛生な美少女キャラクタの名前と登場作品だけを書いてください。
これはSNSで交流もろくにしない、たまにしかイベントに参加しない、10部さえ売れない弱小サークル主が
久々に出るイベントで出す同人誌の価格をどうしようかなと考えている日記です
そういう人にはそういう人の悩みがあると思うからそういう人のお悩み解決窓口に行くべき
そんなど底辺絵が描けないから字を書いている今度作る本はオンデマで20冊です!みたいな人向け
というわけではないけど私自身がそうなのでそういう人向けに見えるかもねって日記
前提
女性向け
小説のみ
作る同人誌
10冊~30冊の間
事前準備
ジャンル内と自カプ内で既に同人誌を出しているサークルの本の価格を調べる
女性向けは特に相場に厳しいため安くても高くても文句苦情が届く
高いのはともかく安くて文句言うのどういうこと~~~恐っ
最近はどこのジャンルでも【文庫でページ数×10円】のサークルがいるためありがたい
高~~~~
ほしかったらそんなこと考えずに買っちゃうけどね宵越しの売上金は持たねえぜ
でも少なくともその単価分まではオプション装丁選べるし割増入稿もできると思える
個人的に決めていること
全部売れたら印刷代分は回収できる単価を最低限に設定して相場と相談する
安くするなと過去に文句言われたことがあるし個人的に貯金もないし赤字は無理
ただし現実的には毎回売れ残り廃棄してその分は赤字だから全然回収できていないことも多い
ほら脱稿ハイで調子乗って10冊にすればいいのに30冊作っちゃうから
愚か~~~~
で結果的に二次創作は赤字~になっているから今のところこの決め方で続けている
ど底辺サークルで実生活もど底辺なのに全部売れたらせめて印刷代くらい回収させてくれ
基本のき
単純に印刷代+送料を冊数で割る
(大手印刷所だと○箇所まで送料無料だから小数部サークルも送料は入れていいと思う)
新刊1冊既刊再版2冊ならその3冊の合計金額で考えてもいいことにしている
もちろんどれか余ってどれか売り切れるということもあるだろうけど
(そしてど底辺は全部売れ残るのだ)
1冊ごとに計算すると自分の首を絞めるのでそのあたりは柔軟に対応する
例
おたクラブって会社でオンデマンドA6の表紙フルカラー本文モノクロ表紙込み50ページの同人誌を作る
標準用紙+標準PP+それ以外オプションなしつけられるわけがない
ど底辺だけど余裕入稿なんかできるわけないのでぎりぎりチキンレース締め切られるか締め切られないか
10営業日も厳しいけど頑張る、日和見で10冊、1570円(今現在)
余裕ないから会場に送付してもらう1300円で合計2780円
単価278円⇒300円
これを最低単価とする
印刷会社、オプション等々で同じA6の50ページでも単価は当然変わる
【文庫ページ数×10円】サークルがいた場合はそれより安かったらそれでいいし
相場と相談して無理のない範囲で決めるけど上の例なら300円~500円かな
どこまで儲けてもいいか
でも1冊だけ作るのは高すぎるし1冊か2冊は買ってくれる読者がいてくれる
全部売れたとしてイベント参加費と送料(宅配搬入とか諸々)くらいはよしとする
ジャンル内が強気価格が多いとこちらもラッキーと思って金額上げられるの助かる
でもどんなに上げても旅費【交通費と宿泊費】は超えないようにする
残念ながら地方の人間なので万が一全部売れて強気値段にしても旅費には届かん
サーチケで一般前に入ってほしいサークルの列に並べる権利があると思えば旅費はかかってもいいし
まとめ
・オフセットなんか考えるなオンデマンドにしろ安くて小数部の印刷所を探せ
・装丁凝るのは50冊以上安定して売れるようになってからにした方がいい
・自力で稼いでいるとか実家が太いとか金銭に余裕があるなら好きなことしよう私は無理
・なぜなら選ぶ印刷所で同じ設定の本でも全然価格が違ってくるから
・気にしいの人は一回それで計算して判断基準の一つにしてもいいかもね私はしないけど
・ジャンル・自カプの相場をざっくりでいいから調べて上限を設定する
・文庫サイズでページ数×10円設定のサークルがいたらラッキー!
・ページ数×10円の単価までは極道入稿や装丁もりもりができるするかは別として
・全部売れたらサークル参加費と送料はペイできたらいいよね
・でも現実は赤字の方が多いし売れ残った本の廃棄に苦労している
・1冊でも売れたら嬉しい限りは続けたいよね
・読んでくれる貴方、買ってくれる貴方、ありがとうございます
自分は字書きだが、以前同じ字書きにゆるパクされて当時は若かったし相手にものすごーく腹が立った
私という小説の作者くらいしか「ゆるパクだ」と感じないレベルだったから凸はしなかった
私がA B C D E F Gのネタを書いたら、相手はBとEとGのネタを拝借して、別の小説を書いてきた
これも作者である私くらいしか「あなた、パクったでしょ」と気づけない程度
赤の他人が私の小説とゆるパクした小説を読んでもゆるパクには気づかない
完全なるパクリにはならない
コピペレベルで文章を真似するとか、赤の他人が読んでも明らかにパクってるなと感じるレベルでなければ、相手を責められない
色々ゆるパクについて調べた結果、ゆるパクされてもとにかく気づかないふりをして、ゆるパク作者は新作を書き続けるのがベスト!!
本当に他人が見ても明らかにわかるレベルじゃないのなら相手を責められないから
同人業界、大手サークルが出した同人誌の内容が複数のサークル主に影響することもあるし
私は弱小字書きだが
まぁ、ゆるパクしてくる人によくも悪くも影響を与えたんだな、私が書いたものはインパクトあったんだな、ということで
相手がゆるパクしたシーンは、相手が私の作品を読んで感動したんだなと解釈する
とにかくゆるパクされても、相手を責められないくらいのささいなパクリ方だったら
私はもう私の小説をゆるパクしてきたサークルのことは一切無視して、
ゆるパクについて調べたら
ラレが筆を折ったり
ラレがシタ側に凸して、シタ側は素直に謝るタイプじゃないから強く当たられて、ラレ側がめっちゃダメージ受けたり、
ろくなことにならない展開が多い
趣味である同人活動で病んで精神疾患になるってむちゃくちゃだと思う
ゆるパクでめっちゃ病むんだよね
ゆるパク凸しても、明らかなパクではないので相手も「パクってない」とキレることが多いみたい
そうなると凸側もむちゃくちゃ傷つくし、めっちゃエネルギー使うし、ラレ側のメンタルがボコボコになる
向こうは平気で人のネタをパクる民度だから、素直に謝られるなんて稀
ほっといたら、自分以外の人の作品のネタもパクってそのうち私以外の作家に凸されて痛い目見るかもしれない
私のネタをパクった人、私のネタは一連の流れがあって、活きるものだから、部分部分をぶつ切りでパクってて、なんか元作品と比べたらビミョーだったし
相手に凸するよりはもう、自分の創作スキルアップに専念して、とにかく上を目指す方がいい
それから、同人以外の趣味を持って、同人への依存を薄くするほうがいい
とにかくプラスのことをやった方がいい
自分のことだけに専念できる
昔はTwitterでたくさんたくさん人と交流して、良いこともあったけど
私には今、子どもがいるから、Xで赤の他人と交流する時間より、自分の子どものほうに自分の手間をかけなければならない
とにかくゆるパクは無視が一番
楽しいことを考えよう
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
それ故、住民たちは極めて雑食(あるいは悪食)的な傾向があった。
「会話がなくとも同じ画面にいなくとも同じ作品に出ているならカプ成立の余地がある」と言っても過言ではなかった。
NL・BL・GLその他性別の有無相関は問われず、どのような組み合わせも受け入れた。
無論他カプに対する「解釈違い」は全くないとは言わないし、内心で皆がどう思っているかは分からないが、自分が食わぬものもきっと誰かは食うのだろうという共通理解はあった。
そもそも供給も人口も少ないのだから、数少ない「同じコンテンツ/キャラを愛でる同志」でいがみ合っている場合ではなかったのである。
このような村で私は青春を過ごし、そこで得た経験や価値観自分のオタコンテンツへの向き合い方の根幹となっている。
好むコンテンツのジャンルはかなり違っており、同時に同じコンテンツを楽しむことはあまりなかったように思う。ただし「○○の××に今めっちゃハマってて〜」みたいな話を共通コンテンツでなくても気兼ねなく言い合えるという関係が心地よかった。
要は温和な彼女の性格が峻峭な私の性情と衝突しなかったのだ。なんにせよ私たちは親友と言って良いほどの間柄であった。
友人は今大手のジャンルで盛んに絵を描き同人誌を出しているそうで、人手が欲しいとのことだった。
自分自身の同人活動はしばらくストップしていたが、他ならぬ友人の頼みであるので快諾した。
サクチケ入場もできるわけだし、せっかくなら○○(友人のジャンル)の雰囲気見てみるかー、空いた時間で自ジャンル覗くかなー、ぐらいの心持ちだった。
友人が今推しているキャラは、忖度なしで言えばそのジャンル内では人気が高いとは言えないキャラであった。当日そのキャラの本を出しているサークルは片手で数えられる数であった。
しかしジャンル全体で片手と少しくらいしかなかった自ジャンルと比べれば、1キャラだけでそんなに描く人がいるのが羨ましいぐらいであった。
コミケ当日の朝、スマホでwebカタログを物色しながら「この人たちに挨拶回りとかするの?」と何の気なしに尋ねた。
「いや、そこら辺は全員敵だから、目を合わせたくもない」と返された。
敵?
TEKI?
enemy?
普段の温和な彼女の性格からは考えられないセリフであったので、思わず聞き返した。
「敵なの?」
「敵。」
「なぜ?」
このキャラはこの描き方であって然るべきだと言う。
別に創作界隈全体から見れば、このようなことは珍しいことではないのだろう。
ただ自分はなんとなく、そういう争いとは無縁だと思っていた。
なにより、彼女がそのような(私からしてみれば)過激な発言をすると思っておらず、私の思考はフリーズした。
「なんかこう……解釈違ってもさ、仲良くしといた方が、一緒にそのキャラの魅力広めていくとか、できるんじゃない?」
つい口に出てしまったが、思い返すとかなり危険な問いかけだったと反省している。ワンチャン10年来の友情に亀裂が入りかねなかった。
「私がそうしても、あっちがそう思ってないなら意味ないからね」
「そっかぁ」
ここで即座に友情に亀裂が入るのは避けられたようなので、これ以上亀裂が入る可能性をなくすため、私はもう深追いするのは諦めることにした。
コミケはつつがなく終了した。
友人の新刊は完売し、既刊の売れ行きも上々であった。概ね成功と言えただろう。
バイト代ということで、打ち上げの焼肉を奢ってもらえることになった。やったね。
帰り際、隣の「敵」のサークルの本がふと目に留まった。
絵柄は割と私好みだった。
読んでみたい、買ってみたいと思ったが、友人に見つからずにその本を買う方法が思いつかなかった。
そもそも、相手方からしたらこちらが「敵」であり、そこで売り子をしている私も「敵」であろう。
表立って買いに行けば、裏で何を言われるか分からない。
波風を立てるのは得策でないと判断し、後ろ髪を引かれつつ私はコミケ会場を去り、友人と共に打ち上げの焼肉へと向かった。
例の本は通販で買おうとも思ったが、もし家に彼女が遊びに来た時に万が一でも見つかったら怖いと思い、これを書いている今も踏ん切りがつかずにいる。
今年のコミケは盛況だったらしい。
参加した人たちの、楽しそうな様子がタイムラインに流れてくる。
今年も、実家の畳に寝っ転がりながら、画面越しにそれを眺めていた。
コミケには行ったことがない。盆と正月には実家にいることになっているからだ。
僕の実家は京都の隣町にある。最寄りの駅から車で10分、バスで15分。そういうところで生まれ育った。子供だけで行ける範囲にはスーパーと、酒屋と、ちょっとした店がいくつか。そういうところだ。
それ以外の場所、たとえば映画館だとか、大きな本屋だとか、そういう場所へ行こうと思ったら、親に車を出してもらわないといけなかった。ましてや、子供だけでゲームセンターへ行くなんて、夢のまた夢だ。
盆暮れには、親戚回りでいとこの元を訪れるのが常であった。いとこは僕よりもう少しだけ街中に住んでいて、子供たちだけで駅前まで遊びに行けるみたいだった。
それが少し羨ましかったということもあり、あと地元の中学が少し荒れてたということもあったので、小学四年生のときに外の中学を受けようということになった。
駅前の進学塾に途中入会して、親に車で送ってもらいながら通った。帰り際にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチは、少しだけ自由の味がした。
そんなこんなで、街中の私立の学校へ通えるようになった。学校の近くには大きめの商業施設などもあり、帰り道に友達とファミレスで駄弁ってから帰ることもあった。
その頃から僕は、いわゆるオタク文化にハマるようになっていた。ちょうどゼロの使い魔などラノベが流行っていた頃で、クラスのオタク仲間で新刊を回し読みしたり、ときには寺町のアニメイトまで足を運んだりしていた。お小遣いはみるみるうちに減っていった。
そのうち、同人や二次創作を読むようになった。主にネット上で、作家の人たちの近況を追い続けていたら、年末にコミケというイベントに参加するようなことを話していた。
コミケ。一年に二回、日本中の同人作家が東京に集まって自分たちの作品を頒布する、日本最大のオタクイベント。
そういうイベントがあるというのは知っていたが、自分が追いかけていた作家たちが、コミケへの参加を楽しそうに話しているのは心底うらやましかった。
なにせ、高校生のお小遣いでは新幹線代はあまりにも高額だし、夜行バスに一人で乗って行くことを親が許してくれるはずもなかった。地方の高校生にとって、東京はあまりにも遠かった。
そして何より、お盆とお正月に実家を離れることが許されるとは思えなかった。毎年、祖父母や親戚に元気な顔を見せるのが通例になっていた。東京へ遊びに行くから、という理由が通るとは思えなかった。
それで、大学も結局地元の国公立を選んだ。東京の大学への進学も考えたものの、やっぱり実家から通える方が楽だし、地元で就職するならむしろ有利だろうということで選んだ。
入学してからは塾講師のバイトも始めて、少しずつお金を貯めた。その頃は東方projectにハマっていて、同人誌への寄稿のようなこともやっていたので、手伝いがてら東京のオンリーイベントへ参加した。
とはいえ新幹線は高すぎるから、夜行バスで東京まで往復した。4列シートに揺られて痛む背中を、さすりながら売り子を手伝った。
空いた時間で、他のサークルを見て回った。何百ものサークル、さらにその何倍もの参加者が、ただ一つの作品のファンとして交流していた。会場全体が、それまで味わったことのない、巨大な祝祭の雰囲気に包まれていた。
だからこそ、そこに参加できていなかったことに、ひどく悲しくなった。高校生らしき参加者が、明らかに普段着で参加していた。おそらくこれまで何度もこういうイベントに参加してきたのだろう。数千円と一晩かけてやってきた自分とは雲泥の差だ。
そのあとも、何度か東京のイベントに参加した。同人イベントは楽しかったが、やはり移動だけでも費用がかかり、やがて就活が忙しくなってきたこともあってイベントには参加しなくなってしまった。
そして、コミケにはついに参加しないままとなった。
結局、就職先も地元の企業を選んだ。そこそこの大企業でもあり、わりと休暇は取りやすい方ではあったものの、入社して数年後にコロナ禍に見舞われたこともあって、長距離の移動自体が自粛となった。
それで、今年もコミケの賑わいを画面越しに眺めながら、実家の畳に寝っ転がっていた。別にオタクを辞めたわけではない。今期のアニメは何本か追っているし、ソシャゲも一応続けてはいる。ただ、リアルイベントへ足が向かなくなってしまっただけだ。
それでも、もしも地方でなく東京に生まれていれば、もっと違った人生があったのかもしれないと思うことがある。東京に生まれて、リアルな経験を気軽に積むことができていれば。
東京を訪れたときに、少し足を伸ばして、秋葉原までいってみたことがある。東京生まれの高校生が、まるで自分たちの庭を歩くように闊歩していた。新宿、渋谷、どこにいっても東京生まれの子供たちが普段着で歩き回っている。
僕たちが、どこにでもありそうな地方のイオンモールの、どこにでもありそうなチェーン店で駄弁ってる間に、彼らは東京でしか味わえない体験を積んでいたのだ。
結局地元での就職を選んだのも、彼ら東京生まれには勝てない、という劣等感がどこかにあったからかもしれない。
いずれ僕に家族ができて、子供が生まれたら。子供たちからそう聞かれる日が来るのだろうか。東京から逃げた僕に、この問いが突き刺さる日が来るのだろうか。
実家の畳の上で、そんなことを考えていた。
大学も四年になるにあたって将来のことについて考えるようになった。このまま四十半ばまで童貞を拗らせて行くんだろうなと思っていたが、人並みに結婚願望はあるから大学のうちになんとか恋愛経験を積もうと思ってマッチングアプリを始めることにした
同人誌が山積みになった部屋に女性をあげることはできない、相手がBLや夢小説に入れ込んでても俺は気にならないが逆はそうはいかないと思う。流行りの趣味や音楽のことはほとんど分からない。それに、本気で恋愛をするとなればそちらに支出をまわさなければならないだろう。
中学の頃、放課後にプリコネやFGOについて真剣に語り合った友人は高校で彼女が出来てからキャラ物のコンテンツに触れることが無くなったらしい。今でも一緒FPSするけど「お前は変わらなくていいわ〜」なんていじられるくらいだ。
思えば、俺の父親は自分から話すことはないがアニメ(マクロス?)やセガ系のゲームが好きだった形跡があった。倉庫にも高そうな自転車やバイクが放置してある。子育てや仕事に追われるうちにほとんどの趣味から卒業してしまったのだろう。
父のことは心から尊敬しているし、おかげで裕福な生活をさせてもらっているが、正直そんな風にはなりたくない。
大学に入って自分の稼ぎでゲーム買ったりアニメ見たりするのが楽しくて仕方ないし、ライブやクラブに行くようになって音楽の趣味もかなり広がった。しかし、まともな人生を送りたければ卒業しなければいけない時期が近づいているのだろうか。
そんなことをコミケの帰り道に思う。50周年おめでとう!