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2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること2

第二部 学び直せなかった一年

ここで、君に正面から語りかけたい。

君が今、大学一年生だとして。

あるいは、これから大学一年生になるとして。

たぶん君の中には、私に近い感覚が少しはあるはずだ。

なくてもいい。

あったとしたら聞いてほしい。

入学して最初の数週間、君は周りを見てこう感じるかもしれない。

「あれ、この人たち、思っていたほどすごくないな」

サークル新歓に行く。

先輩たちがわいわい騒いでいる。

話の中身はたいしたことがない。

昨日のサッカー試合

誰々が誰々を好きらしい、という話。

バイト先のクレーマーの話。

君はそれを聞きながら、心のどこかでこう思うかもしれない。

「俺はこんな話をするために東京に出てきたんじゃない」

その感覚を、私は否定しない。

その感覚は半分は正しい。

ただ、残りの半分について、私が二十年かけて学んだことを君に伝えたい。

人間雑談関係を作る。

雑談関係を作って、その関係の上に本当に大事な話を乗せる。

雑談飛ばして、いきなり大事な話だけをしようとする人間は、長い目で見ると誰とも何の話もできなくなる。

これは二十年後に私が痛感したことだ。

けれど十八歳の私は、これをまったく理解していなかった。

理解する気もなかった。

入学して一週間ほど経った頃、駒場キャンパスで一人の同級生と話す機会があった。

彼は私の語学クラスにいた。

名前は仮にKとしておく。

Kは首都圏の有名な私立中高一貫校から来ていた。

背が高く、髪を少し茶色く染めていて、笑うとき口を大きく開けた。

授業の最初自己紹介で、彼は言った。

サッカーをやってました。あと、文化祭実行委員やってました」

それを聞いた瞬間、私はKにあまり期待しなかった。

文化祭実行委員

あの私を退屈させた連中の、東京版だろう。

そう思った。

ところがKはよく話しかけてきた。

授業のあと、「飯行かない?」と私を誘った。

最初は断った。

二度目も断った。

三度目に、Kは少しだけ困った顔をして聞いた。

「お前、誰とも飯食わないの?」

「いや、自分のペースでやりたいから」

私はそう答えた。

Kは少し笑った。

「ふうん。じゃあ、気が向いたら声かけて」

そう言って行ってしまった。

そのとき私は、自分がKに少しだけ優越感を持ったのを覚えている。

Kは、誰かと一緒にいないと不安タイプだ。

私は違う。

私は一人でも平気だ。

から私のほうが強い。

そう思った。

これが間違いの始まりだった。

Kは、誰かと一緒にいないと不安だったのではない。

Kは、一緒にいる時間のもの価値あるものとして認識する能力を持っていた。

そのことを、私は二十年後に理解した。

語学クラスでは、よく数人で集まって、課題フランス語和訳を持ち寄って見せ合っていた。

私は最初、その輪に入った。

けれど私の和訳はたいてい一番正確だった。

少なくとも私はそう思っていた。

ある日、Kが自分和訳を読み上げた。

明らかに文法係り受けを間違えていた。

私は指摘した。

「そこ、違う。主語はこっちじゃない」

Kは「あ、ほんとだ。サンキュー」と言ってすぐに直した。

それはいい。

問題はその次だった。

別の同級生、仮にMとしておく。

Mが読み上げた和訳も間違っていた。

Mは地方進学校から来た、私と似たタイプの男だった。

私は同じように指摘した。

「Mも、そこ違う」

Mは少し顔を赤くして、「うん……」と言った。

Kが軽く笑いながら言った。

「お前、間違いの指摘の仕方、ちょっと冷たくない?」

私はKを見た。

「冷たい? 間違ってるから間違ってるって言っただけだろ」

「いやそうなんだけどさ。なんかこう、もうちょっと、『あ、ここ、俺もよくわかんないんだけど、こうじゃないかな?』みたいな感じ、ない?」

私は内心で軽蔑した。

出た。

「言い方」だ。

Kは内容で勝てないから、言い方の話に逃げている。

私はそう判断した。

私は何も言わず自分和訳しまってその場から去った。

その日から、その輪には行かなくなった。

数週間後、その輪がMを含めて続いていることを知った。

Mは最初、私と同じように地方から来た孤独秀才に見えた。

けれどMは、Kの輪の中で笑うようになっていた。

間違いを指摘されても、頭をかいて「あ、ほんとだ」と言うようになっていた。

Mは変わった。

私が変わらなかったのに対して。

私はMのことを軽く馬鹿にした。

妥協したのだと思った。

今になって思う。

妥協したのはMではなかった。

Mは学んだのだ。

私は学ばなかったのだ。

二十年後、Mはある官庁課長補佐になっていた。

風の噂で聞いた。

家族もいて、子供が二人いるらしい。

私はそのとき無職だった。

三度目の転職活動最中だった。

大学一年の夏、私は一つだけサークルに入っていた。

法律研究系のサークルだった。

入った理由は、内容が真面目そうだったからだ。

実際、内容は真面目だった。

週に一回、判例を読んで議論する会があった。

そこには二年生にSという先輩がいた。

Sは私とは違うタイプの賢い人だった。

判例を読むスピードは私と同じくらいだったが、議論ときの立ち回りがまったく違った。

Sは自分意見最初に出さなかった。

まず、後輩や他の人の意見を聞く。

そして誰かの意見の中でいいところを見つけて、「それ、いいですね」と言う。

それから自分意見を、その人の意見に乗せる形で出した。

「○○さんが言ったところに加えて、こういう論点もあるんじゃないかと思って」

そう言った。

私はSのやり方を、最初ずるいと思った。

あれは自分の頭で考えていない。

人の意見に乗っかっているだけだ。

そう思ってSを軽く見た。

ある日の議論で、私はSの意見根拠が弱いと感じた。

真正から指摘した。

Sさんの今の論理は、判例の射程を超えていると思います。○○判決あくまで△△の場合に限った話で、これを一般化するのは無理があるんじゃないですか」

Sは私を見た。

少しの間、何も言わなかった。

それからゆっくりと言った。

「うん、たしかにそうだね。射程の問題は僕も気になっていた。じゃあ、君だったらどこまで一般化できると思う?」

私は答えた。

私の答えは、Sが言うべきだった内容をより精密にしたものだった。

Sは「それ、いいね」と言って、私の意見議論全体に位置づけた。

私は勝った気がした。

サークルが終わったあと、別の三年生の先輩が私を呼び止めた。

「君さ、頭はいいよ。間違いなく。ただ、Sのこと、ちょっとなめてないか?」

「いえ、なめてはいないです」

「Sはね、あの場で君のために負けてくれたんだよ」

私はその言葉意味がわからなかった。

「Sは、あの場の議論をいいものにするために、自分意見を引っ込めたんだ。君に花を持たせたんだよ。それはSがバカからじゃない。Sのほうが、議論っていう場全体を見てるからだ」

私は不機嫌になった。

「いや、でも、内容としてSさん最初論理は間違っていました」

先輩はため息をついた。

「うん。まあ、そうかもしれない。でも君がこれから先、誰かと一緒に何かをやるなら、内容で勝つだけじゃ足りないよ」

私はその日、サークルをやめた。

正確に言えば、その日のうちにメールで退会の連絡をした。

理由は書かなかった。

二度とそのサークルには行かなかった。

夏休みに入る前、私はKにもう一度だけ会った。

Kは相変わらずにこにこしていた。

夏休みサークル合宿河口湖へ行くと言っていた。

彼女もできたらしい。

同じ語学クラス女子だった。

私はその女子を、可愛いとも可愛くないとも特に思っていなかった。

Kが別れ際に言った。

「お前さ、たまには誰かに頼ってもいいんじゃない?」

私は笑って答えた。

「誰かに頼って、その誰かが間違ってたらどうするんだ?」

Kは少し考えた。

「うーん。そうしたら、一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」

私はその言葉を軽くいなした。

心の中で、「だから、お前は二流なんだ」と思った。

一緒に間違えて、一緒に直す。

そんなことに付き合っている時間はない。

私は一人で、間違えずに進む。

二十年後の今、私はKのあの言葉を一字一句覚えている。

正確には、二十年かけてようやく思い出せるようになった、と言うべきかもしれない。

ここで、君にもう一つだけ伝えたい。

私が地方進学校で身につけた「一人で考えたほうが正しい」という認知は、地方進学校の中ではたしか事実だった。

私の周りには、私より速く正解にたどり着ける人間がいなかった。

集団議論すれば、議論は私のレベルに引き下げられるか、私の意見が通らないかのどちらかだった。

から一人で考えるほうが効率が良かった。

その環境においては合理的戦略だった。

しか東京大学に来て、私の周りには私と同じか、私より速く正解にたどり着ける人間がたくさんいた。

その時点で、私は戦略を変えるべきだった。

もう一人で考えなくていい。

人と議論したほうが、自分一人で出せる答えよりいい答えが出る確率が高い。

人に頼っていい。

人に教わっていい。

人に「わからない」と言っていい。

それを大学一年生のうちに学び直すべきだった。

けれど私は学び直さなかった。

なぜなら、地方で身につけた認知は、私を東大まで連れてきた成功体験だったからだ。

それを捨てることは、自分人生否定することのように感じられた。

私は、変化が必要ときに変化を恐れた。

変化を恐れた本当の理由は、たぶんこうだ。

私には勉強で勝つこと以外に、自分肯定する根拠がなかった。

から勉強の戦い方を変えることは、自分のものを失うことのように感じられた。

後になって考えれば、ただの臆病だった。

けれど当時の私は、自分が臆病であることにまったく気づいていなかった。

しろ自分のことを強い人間だと思っていた。

孤独に耐えられる人間こそが強い人間だと思っていた。

孤独に耐えられない人間は、弱いから群れるのだと思っていた。

これは私の人生で、最も大きな勘違いの一つだった。

孤独に耐えられる、というのは強さではない。

ただの不器用さだ。

そしてその不器用さは、時間が経つほど修正が難しくなる。

大学一年の終わり。

私の春学期と秋学期の成績は、ほとんどがAとA+だった。

優三つの「優三つ」というやつだ。

私は自分選択は正しかったと再確認した。

一人でやれば結果が出る。

けれどその学年末駒場生協の前で、語学クラスのKたちが五、六人で集まって笑いながら写真を撮っているのを見た。

Kの隣にはMもいた。

Mは四月のときと比べて別人のように、いい顔で笑っていた。

私はその輪を遠くから見ていた。

その輪の中に入りたいとは思わなかった。

ただ、奇妙な感覚があった。

あいつらは、たぶんこれから先、どこかで会うのだろう。

結婚式に呼んだり。

子供の話をしたり。

転職相談をしたり。

俺には、たぶんそういう相手はいない。

それは感傷ではなく、観測だった。

私はその観測を、すぐに頭の中から押し出した。

別に必要ない」

そう自分に言い聞かせた。

その夜、私は寮の自分の部屋で二年生の科目の予習を始めた。

ここで私は、君に最も伝えたいことの一つを書く。

地方進学校から東大に行ったことの本当の不幸は、東大に行けたことではない。

本当の不幸は、自分天井を知るのが遅すぎたことだ。

もし私が首都圏中高一貫校に通っていたら。

私の家にそれだけのお金があったかどうかは別として。

もし通っていたら。

私は十二歳か十三歳のうちに、自分より賢い人間出会っていただろう。

自分より速く問題を解く人間

自分より深く考える人間。

自分より多くを知っている人間

そして、自分より性格のよい人間に。

そのとき私は悔しかたかもしれない。

泣いたかもしれない。

けれど十二歳の私はまだ柔らかかった。

十二歳のうちに負けることは致命傷にならない。

十二歳の負けは回復する。

十二歳の負けからは、人に頭を下げることを学べる。

十二歳の負けからは、「わからいから教えて」と言うことを覚えられる。

ところが私は、地方進学校で十八歳まで誰にも負けなかった。

私の認知の中で、「負ける」という選択肢が十八歳の段階ですでに消えていた。

そして十八歳で東大に入った瞬間、私は相対的普通人間になった。

このとき初めて、自分より上の人間出会った。

けれど、そのときにはもう遅かった。

十八歳の私は、十二歳の私のようには柔らかくなかった。

私は上の人間に頭を下げるかわりに、上の人間を見ないことにした。

上の人間と並走するかわりに、自分のレーンに引きこもった。

上の人間から学ぶかわりに、「あいつは要領がいいだけだ」と評価することにした。

これらは全部、私の防衛反応だった。

私の防衛反応は、地方進学校の中では合理的だった。

けれど東大の中では、もう合理的ではなかった。

私は戦場が変わったのに、武器を変えなかった。

それが私の人生で最大の戦略ミスだった。

から君がもし、地方から東京大学に出てきたばかりでこれを読んでいるなら、聞いてほしい。

早く、負けてくれ。

自分より明らかにすごい人間に会ったら、嫉妬する前に頭を下げてほしい。

「教えてください」と言ってほしい。

自分天井を知ることは不幸ではない。

それは君の性格を守るための救済だ。

天井を知らないまま二十代に入った人間は、たいてい私のようになる。

私のようになるな。

これは命令ではない。

お願いだ。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20260510234046

2026-05-09

高校時代自分部活合宿はだいぶ山奥までわざわざ電車を乗り継いでいく形で

バスとか用意する余裕がないんだろうなあと思ってたけど

今思えば他の部活も余裕がないのに無理にやってた形で、無理せず電車で言ってた自分たちの顧問先生とかが正しかったんだろうな

2026-04-23

映画イヴの贈り物 を見た

おっさん向けのポルノ。26点。

 

一流商社バリバリ働く舘ひろし過去にまだ幼かった娘を病気で亡くしそのことで妻とはギクシャク。会社の方も自分を引き立ててくれていた派閥の長が死亡し、社長現役引退示唆敵対派閥の長が次期社長と目されていて冷や飯を食わされる。そんなある日、行きつけの喫茶店で働く貫地谷しほり出会う。娘の面影彼女に感じた舘は父親の残した借金を返すためにアクセク働く貫地谷を娘のようにかわいがっていくが、貫地谷に悲劇が訪れてしまう。

みたいな話。

 

アマプラプラプラしてたらなんか出てきて、評価が★5のフルマークで評価数が5でやや怪しいかと思いながら見たけど、申し訳ないけど昭和生まれおっさん向けのポルノムービーで、ずーっとフーンってなりながら見てた。ってか、映画だと思って見たけど、たぶんこれ映画じゃなくてWowWow2時間ドラマやね。でも別に、そのことが品質に影響する作品じゃなかったのでいったんはVシネ枠の映画として扱うこととする。

仕事一筋で頑張ってきたけど環境の変化で冷遇されている俺。妻とうまく行ってない俺。それでも、まだ10代の貫地谷しほりみたいなかわいい女の子に無条件に慕われる俺。ヤクザに絡まれ貫地谷しほりを颯爽と救い出す俺。貫地谷しほりみたいなかわいい女の子にハタチの誕生日になったら酒の味を教えてあげるよと言える俺。貫地谷しほりみたいなかわいい女の子から手編みマフラーをもらえる俺。貫地谷しほりみたいなかわいい女の子クリスマスデートをしてコートプレゼントしてあげたらめちゃくちゃ喜んでくれて街中で着てくれた俺。貫地谷しほりみたいなかわいい女の子伊豆旅行に行って同衾して迫られるも冷静に断れる俺。しかしそんな大切にしていた貫地谷しほりヤクザレイプされソープに沈められてしまう俺。貫地谷しほり自殺されてしまう哀れな俺。さらに癌が発覚し余命わずかなかわいそうな俺。貫地谷しほりみたいなかわいい女の子浮気していると思われ妻に実家に帰られるも、貫地谷しほりの仇を討つために会社を辞め愛していた妻に退職金全部差し出し離婚を切り出すという自己犠牲できる俺。しかし裏で行きつけのバーマスターが妻に事情を全部説明してくれて死ぬ前に妻に赦される俺。貫地谷しほりの死の原因のヤクザ銃殺する俺。うっかり刺されて雪の中、誰にも気づかれず静謐に死んでいく俺。

このシチュエーションでシコれる奴が見る映画だと思う。

俺はシンプルキモいと思ったので、終始、体温が下がる思いで鑑賞していました。きっと弱男向けハーレムアニメを見ている健常者女性も同じような気持ちになるのだろう。うわきもそんなわけないやんっていう。50過ぎたおっさんが性欲じゃない自愛の心で貫地谷しほりを娘のようにかわいがって父親のように慕われる。ウッ・・・ふぅ・・・明日仕事頑張ろう!おこだよ。

あと、これ、このシチュエーションでシコれない人も一回見てほしいんだけどこの映画、一生ラウンジ系ジャズが流れてるのね。哀し気なトランペットピアノの曲が一生流れててめちゃくちゃ草生えちゃうマジで一生流れてるから。無音か、ジャズ。こういうのが俺たちの時代のオシャレで、俺たちのもの悲しさを表現しているのサ・・・っていうのでシコれる人が見る映画だと思う。

あと、なんか妻は社交ダンスを習ってて社交ダンス練習シーンがなんかちょいちょい挟まったり社交ダンス合宿に行ったりするんだけどここの掘り下げも弱くて。たぶん、おそらく、メイビー、舘とは社交ダンスを通じて出会ったとかだと思うんだけどそこが浅いから、最後ヤクザを雪の中襲撃しにいく舘と、バー事情を知った妻が一人で踊ってるシーンがカットバックで描かれるんだけど、こいつ何バーで踊っとるんや、迷惑やろって思っちゃった。

うっかり刺されて死ぬって書いたけど本当にそんな感じで、ナイフをちらつかせるヤクザを銃で撃つんだけど、3発くらい撃ってふらふら倒れ掛かってくるヤクザに刺されて死ぬ。撃つけど当たらなくて刺されてその手を掴んで離れられないようにして超至近距離で撃つとかならわかるけど、瀕死ヤクザが体を預けてきてそのついでに刺されるってのはもっとなんかあっただろ。

 

まぁ、そんな感じかな。

でも俺が単にそこにアンテナがないだけでそういうシチュを渇望している人間地球上にはたぶん存在していてそういう人たちがこの作品を見て明日も頑張ろうって思えてるんだったら、まぁ、さっきは小ばかにしちゃったけど、それ自体別に悪い事ではないと思う。無条件で慕ってくれる若くてかわいい女の子ってものをしょぼくれた人生のために消費するなとは思うけど、別にそれはチートハーレムアニメだって俺様男子に迫られたりイケメン御曹司に愛されすぎて怖い漫画だって同じ、みんな自分人生の足りないピース創作で埋めてるんだし。おっさんからキモいと突き放すのはたぶん正しくない。

イチャラブ系が好きな人素人マッサージ系見てこれ何がおもろいんやってなるのと同じで単に想定されていた視聴者層では全くなかったって言うそれだけの話だと思うので、上にあげたシコれる要素でシコれる人にはたぶん普通にオススメ

2026-04-21

ここでいうド素人ってAIはって接頭語付きなのかな

ぶっちゃけ合宿ハッカソンなんて普通に敷居高いから行くような人って限られてる気がする

2026-04-14

はてな民合宿して枕投げしたい!恋バナしたい!

好きなお酒持ちあって飲みたい!

地引網で魚取って晩御飯にしたい!

肝試ししてあのはてな民と手を繋ぎたい!

班行動して絆を深めたい!

おすすめ漫画とか音楽シェアしたい!

水着回も欲しい!

温泉でワイワイキャッキャしたい!

朝は座禅写経したい!

モーニングビュッフェフレンチトースト食べたい!

帰りにサービスエリアソフトクリーム食べたい!

帰ってきたらまたはてなレスバしたい!

私の夢😋

2026-04-04

anond:20260404185827

それはないだろうなぁ。スマホ禁止レベルになれば別かもだが。20歳前後の男女同数くらいのチームで温泉合宿みたいな形態で定時で上がれるゆるい仕事したら勝手赤ん坊がどんどん生まれるよ。いま男女が自由接触する時間物理でなさすぎるんだよね。新入社員が21時まで残業して1時間通勤して22時、明朝6時に起きて7時に家を出るような暮らし子供なんかできるわけない。

2026-04-03

anond:20260403213428

結論からいうと、

学校行事中の高校生水難事故で死亡」というケースは、統計としてまとまっているわけではなく、かなり稀(年に0~数件レベル)と考えられます

少し分解して説明します。

■ 全体の水難事故の規模感

警察庁統計ベースだと、日本全体では

年間:約1,500件の水難事故

死者・行方不明:約800人前後

ただしこれは

釣り

レジャー

転落

高齢者事故

など全部込みです。

高校生限定すると

2024年データでは

高校生年代の水難者:約44人

これは「事故に遭った人数」であって、

その中の死亡者さらに一部です。

ざっくり言うと

👉 高校生の死亡は年間数人~十数人程度のレンジ

さらに「学校行事」に限定すると

ここが重要ですが、

水難事故の多くは

👉 私的な遊泳・川遊び・海水浴

学校管理下(授業・遠足部活合宿など)は

👉 安全管理が強く、発生率はかなり低い

そのため、

👉 ニュースになるレベル事故

「珍しいか報道される」=頻発していない

現実的推定

厳密な公式統計はないですが、状況から逆算すると

高校生の水難死亡:数人~十数人/年

その中で学校行事中:

👉 0件の年も普通にある

👉 多くても 年に数件程度

という感覚実態に近いです。

■ なぜ「たまに起きると強く印象に残るのか」

若年層の死亡 → 社会的インパクトが大きい

学校が関与」 → 責任問題になりやす

メディアが大きく扱う

体感的には「結構起きてる」ように錯覚やす

■ まとめ

日本全体の水難事故は年間1500件規模

高校生の死亡はその中のごく一部

学校行事中となるとさらレアで、年0〜数件レベル

もし気になるなら

修学旅行」「部活合宿」「水泳授業」など

どの場面が一番多いかも分解して説明できます

2026-03-24

地元に帰ってきて、「小学校にいた」女子に心を救われたのだったという話

なんということはない、増田学生時代実家に帰ってきていわゆる自宅合宿コース免許を取った時のことである

 

増田中学校から県庁所在地にある中高一貫校に通っており、東京の有名私大に進学した。弊学のインカレサークルでは周りの底辺女子大女学生が弊学の男子大学生を狙うという事がよくある光景だったのだが、増田が入っていたサークル活動内容的に、増田はそのような関わりとは無縁に大学時代を過ごし、そして就職してしまった。しかし、一回だけ、「小学校にいた」女子と接点を持った機会が、車校だったのである

 

別に小学校同窓生と車校で再会したわけではない。みなさん、地元公立小学校にいなかっただろうか。少し気だるげな雰囲気自分のことをウチと呼び、ちょっとおつむは足りないけれどテンション愛嬌がある、作り物じゃないけど、少しそれを被ってもいるようなギャルっぽい女子。そういう女子が、僕の通ったコースにちょうどいたという話だ。マニュアル免許の自宅合宿コースは人が少なかったから、普通自動二輪免許をすでに持っていた坊主頭のお兄さんと、僕と、その女子(仮に山田と呼んでおこう)だけが、同じ日に同じコースで入校したのだ。しかし、その坊主ニキは学科授業がない分どんどん進んでしまい、イチから免許を取るために四苦八苦しているのはいつの間にか僕と山田だけになった。

 

ぶっちゃけ仮免許学科試験なんて簡単であるパターンは決まっているし、ほとんど至って常識的なことしか聞いていないし、気をつけるのは車両別進入禁止標識がどこまでを対象にしているかくらいなモノなのだ。僕は勉強を少しずつ進めて、模擬試験を数回やって、大体90点は間違いなく越えられるようになっていた。彼女の初回の模擬テストの点数は今でも覚えている。46点だ。2択なのに、確率に負けていた。「模擬試験と一切同じ問題がでるなら、マルかバツかを50問分覚えて本番の仮免許学科試験受ける」と山田は言い切った。僕は爆笑した。いつの間にか賢ぶる人間ばかりと関わっていた人生だったから、ここまで素直に、自然体な「小学校にいた」女子に会えた事がとっても驚きと感動だった。模擬テストと本番の試験が異なることを知った山田の顔はさら面白かった。さすがにオートマ免許教習じゃないからってクリープ現象を知らないのは不味いからね…なんて話した気がする。

それから技能教習でも山田は扱いきれないマニュアル車を一生懸命エンストさせてはエンジンを掛け直し、クランクで縁石に乗り上げては後退しを繰り返しながら必死運転していた。1人1台運転教官なしで指定された教習所内のコースを巡る日は、コースや車の位置どりがわからいからと、山田希望で僕が1号車に乗らされた。そして僕に置いて行かれた途端、2号車の山田コースを間違えた。おい。教習が終わって車を降りると、山田はやっと終わったと言って飛び跳ね、教習カード教官から返してもらうと待合スペースにスキップで帰っていった。もう笑うしかなかったのである

 

こういうタイプの人を単純に馬鹿こき下ろすのは性に合わない気がする。だって僕は一緒に過ごしていて楽しかったのだ。一喜一憂体現したり、ものすごく気だるそうに車に乗り込み、坂道発進で車を後退させながらも(マニュアル車って坂道発進難しいんですよ、普通に僕も慣れない)最後試験には間に合わせながらフフンって言ってみたりしている彼女と教習を受けるのは、なかなかにしかったんだ。彼女自身が楽しく生きていることに巻き込まれて楽しかったと言えるのかもしれない。それがさらに僕の日常生活までに踏み込んできたと仮にしたらそれは楽しくないかもしれないのだけれど、車校同級生という関係がなかなか絶妙な按配をしていたようだ。

 

教習が終わり、僕と山田はインスタさえも交換せずに会わなくなった。会わなくなったのは当たり前である。少なくともきっと、生きている地理的世界が違うから。僕は賢いふりをする人たちの世界に戻った。きっと僕が賢いふりをすることに山田も疲れていたと思うし、それはそれとして平和は続いているのである

 

だけどあの免許教習はとても面白時間だったし、稀有な思い出になったと思う。もうすぐ色の変わる免許を財布から取り出してまじまじと見れば、そんなことを考える。

2026-03-02

マンガワン成田卓哉に学生時代無理やりキスをされた

成田卓哉は早稲田大学漫画研究会にいた

10年以上前のことだけど1年のとき自分は無理やり成田卓哉にキスをされた

入部してきた男子全員に飲み会成田キスする、それは洗礼としてサークル内で定例になっているようだった

もうOBのはずなのに居座って飲み会にも合宿にもいた

マジで嫌だった

証拠も何も出せないし1×年も前のこと今さらって感じだけど、ニュース見て思い出して吐き気たから吐き出したい

当事あの漫研にいた人はみんな知ってる

2026-02-14

なんでもや

木曜の夜、僕は渋谷マークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託デザイナーとの打ち合わせで、サイトワイヤーフレーム修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。

自分の話をする。

僕は今、大学四年生で、二年の終わりくらいかウェブマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態フリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアント十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。

大学生にしてはすごいね

この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。

---

インターン先の話をする。大学三年のとき半年だけ、あるスタートアップインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。

先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケ責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告レポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。

三十秒。

僕は自分の二時間川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。

川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアント電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。

僕にはあれがない。

あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。

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ここで白状しなければならないことがある。

僕がビジネスを始めたのは、見返したかたからだ。

中学とき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなもの想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。

いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。

僕はそれを自分に向けた。

高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分会社を作った。それは全部、中学教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。

復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。

でも最近、その復讐の燃料が、切れかけている。

なぜなら、上を見てしまたから。

川島さんや柴田さんのような人間を見てしまたから。僕が中学教室透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまたから。

世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生自分会社を持っていて、クライアント十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。

でもそれは同世代の話だ。同世代トップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。

オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。

そう思うと、怖い。

今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと

もっと

---

でも。

---

でも、と僕は思う

木曜の夜の渋谷エスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う

僕は、楽しんだことがあるだろうか。

人生を。

中学とき、透明だった。高校とき復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。

友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。

二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。

旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。

大学生って、たぶん、もっと楽しいものなんじゃないだろうか。

Twitterを開けば、同い年のやつらがサークル合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレーム修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。

僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。

でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。

僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。

もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。

でも中身を入れに行く方法がわからない。

友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。

から僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアント課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。

でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。

からない。

もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷エスカレーターの上で立ち止まっている。

ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。

こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人いるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。

おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。

---

金曜の朝。

特に何があったわけでもない朝だった。

はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分ちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。

メール確認する。Slack確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件レポートへの反応だった。

さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分アクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告設計と、LP改善と、SNS運用方針を整理することだった。

その人からメールには、こう書いてあった。

「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます

僕はそのメールを読んだ。

二回読んだ。

三回読んだ。

そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。

「はじめて知らない方からの注文がありました」。

それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。

でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。

僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップ広告なんか、川島さんの世界には存在しない。

でも、僕の世界には存在する。

僕はなんでもやだ。

マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザイン方向性も考えるし、クライアント愚痴も聞くし、請求書自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在

でも。

あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。

なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。

月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端から中途半端場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。

それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。

僕にはこの仕事がある。

---

これが何かの答えだとは思わない。

川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷エスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。

ワークの問題解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学教室の透明な僕に戻ってしまう。

ライフ問題もっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっとしまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。

全部、中途半端だ。

全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。

この恥ずかしさの連鎖を、どこで断ち切ればいいのか、僕にはまだわからない。

2026-02-05

20年くらい前

滋賀の湖畔ウォーキング小学校で参加したのだが、大学生合宿聖地?みたいなのがあったらしく、昼夜問わず咆哮が聞こえてすごかったな。

あいう「勢い」はもう今の時代では無理だろう。

獣だったな。

anond:20260204125625

萩原健一合宿所に来てる

田原年彦と仲が良かったそうだ

2026-02-04

anond:20260204125208

合宿所に入り浸ってたぞ!って自慢してた和田アキ子なんかジュニアを見殺しにしてきた大人のものだもんな

2026-02-03

anond:20260203100659

そんな風にゼロイチで考えているかいかんのだよ。

選択肢

子どもを好きで作って100%コミット仕事時短勤務なので時短しない人とのキャリア競争では諦めます

「作りません」

のどちらかしかないのが問題

例えば、子どもは好きだけど仕事大事だという人に、どうしても仕事子どもを見れない日に預けられるとか、夏休みとか長期休暇の時に実家の代わりに子どもを見てくれる合宿とか、そう言うのを利用できるようにすれば

色々ハードルが下がると言うこと。そして、現実的キャリア継続できる人の方が子どもの数が多いと言う事が分かっている。


労働時間を減らすのもその選択肢の一つではあるが、子育て支援の枠組みで労働時間を短縮すると、子育て支援を受けない人には結局競争で負ける

社会全体の施策として労働時間を減らしましょう、上限規制を強化しましょうというのならばその点は解決できるが、実現するには相当にハードルが高い。今ただでさえ人手不足から難しい。

どちらかというと、子育て支援を手厚くすることで、子育てをしながらでもできるだけ仕事をしてもらえる環境を整える、という事の方が重要


で、この発想は介護保険の発想なのよ。今の経営層にいるのは団塊ジュニア世代なんだが、この世代は前の世代よりも親の年齢が高いので、ちょうど企業重要意思決定を担う世代介護に直面している。

彼らに介護離職とかされると会社が回らなくなるので、社会全体で支えて、できるだけ働き続けてもらいましょうってこと。上手くいけば「介護のためにもっと働かないと」て形にできれば経時的には万々歳。

好き嫌いとかそう言う感情論じゃなくて、こういう金勘定制度は作った方がいい。

2026-01-05

anond:20260105122433

男が一緒に徹夜勉強したり免許合宿いったり近すぎる距離でずっとべったりしてるのが異常なだけで別の人間なんだから別の考えを持つの普通のことだよ

しろ一人の人間として自立できたんだからこれは始まりであって良かったと思う

これから先も考えが変わることもあるだろうしね

懺悔したいことがあるんだ 第7話

いつ頃からか、私は・・・いかけ回す事で逃げながら私を拒絶する女子仕草
そういう形であろうと、女子と接点を持てる・・・いかけ回す事で女子と接する事ができると思うようになっていた
そして、当時はそれをおかしいとは思いもしなかった

中学高校時代の話「懺悔したいことがあるんだ」<中編>

親睦合宿が終わって、日常生活に戻ってから・・・私は、肝試しの時同じグループだった女子(以下、この子をHとする)を追いかけ回す様になった。

休み時間になるとHを追いかけ回す私。
Hはそれなりに運動神経もあり、走るのはそこそこ早かった。
そこで、追いかけ回すだけでは無理だと判断した私は別の戦法も行う様になった。
移動教室の時等は、教室移動のルートを先回りし影で待ち伏せ教室移動中のHを抱きしめるという具合に。

そうした先回りする私の動きをHは察して防衛策を練るようになった。
こうして、私とHの追いかけっこは・・・次第にエスカレートしていった。

Hを捕まえ、胸を揉もうとする私・・・嫌がって逃げるHそんな毎日が2年生の間ずっと続いた。

だが、二つ、不思議な事があった。
一つは、FやGの時には、周りの女子の中に同情的になり当事者であるFやGをガードする女子が現れたものだったが、
2年生の間・・・Hとのやりとりに、Hをガードしようとする女子は一人を除いて現れなかった。
もう一つは・・・Hを追いかけ回している時に、偶に奇妙な既視感を感じる事があった。

から逃げながら、私を罵倒するH
私「逃げるなよ・・・、それとも・・・逃げてるのは照れ隠しかい?」
H「あんたしつこいんだって、何回言ったら解るの?
嫌ってる振りなのか本当に嫌ってるのかちゃんと見分けたら?
目腐ってるんじゃないの?」
そんな会話を、追いかけっこをしながら繰り広げる私とH。

FやGを追いかけ回していた時は
Hとの追いかけっこの時の様なやりとりは無かった。
Fの時は・・・
私「そんなに逃げるなよ、あいしてるぜ」
F「や、やめて・・・それ以上来ないで(涙目)」
とか、Fを捕まえて胸を揉んでる時も
F「ううっ・・・・ひっく(涙を堪えて、でも泣き声)」
だったし。
Gの時は、近付いたら容赦なく蹴りを浴びせられて・・・私は蹴り飛ばされていた。

それ以前にしてもそうだ・・・私に追いかけ回されて、「やめて」と言う子や
抵抗する様に攻撃しようとする子は居ても・・・

追いつけなかった時等に
Hの様に「あら、残念ね」等と言ったりする女子は居なかった。

3年生になった頃には、奇妙な既視感の正体に薄々感づいていた。
小学校3・4年生の時のあの子・・・Eとのやりとりが、こんな感じだった
ただ、Eとは普通に友達同士と言う感じでのやりとりで、追いかけ回したりとかは無かった。
同じ様なやりとりをしているのにEとHは何処か大きな違いがある・・・その違いが、
当時の私には解らなかった。

今なら、その違いが何なのかは解っている。

中学3年のクラス替えで、再び・・・Hと同じクラスになった。
当然、3年生の間も、Hを追いかけ回していた。
だが、3年になってからクラスでは・・・Hに同情的になる女子が数名居て
そういう女子達がHをガードしていた。
そうなると、私がとる手段は一つだった。
5年・6年の時と同じ・・・乳揉み。
だが、中には乳揉みで怯まない、根性の座った子も居た。
そういう子に対しては・・・スカート捲りまではしていた。

そんなこんなで3年生の時間は過ぎ、高校受験を終え、高校へ進学する事になった。
一学年300名、40人前後クラスが8クラス高校
いたことに、Hが同じ高校受験し受かっていたのだ。
しかも、入学式の日に見たクラス名簿には、同じクラスにHの名前があった。

【各話へのリンクこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」

2026-01-04

懺悔したいことがあるんだ 第6話

小学校卒業と同時に、私は親の転勤で引っ越す事になった。
まり小学校時代同級生達とは別の中学に通う事になった。

中学高校時代の話「懺悔したいことがあるんだ」<前編>

今までとは別の環境、新しい同級生達。
30人のクラスが1学年辺り6クラス中学
新しい環境ではあったが・・・私は同じクラス女子と話す事は無かった。
小学生の頃・・・幼稚園生の頃から・・・女の子は一部例外を除いて追いかけ回す対象という認識
できてしまい、女性に対する普通の接し方を全くと言って良い程知らなかった。
いや、今でも女性に対する普通の接し方は解らないのだが。

中学生になっても、同じクラス可愛い子を見つけ追い回す日々が続いた。
勿論追い回される子に同情的な女子も出てきて、5年・6年の時の様な形になった。

中学一年生の時、同じクラスで私の標的になった子は意外と強い子だった。(以下、その子をGとする)
後に同窓会で会った時、Gは「私の半径3メートル以内に近付いたら、警察通報させてもらいます
中一の時の事、謝罪されない限りは許すつもりはありません、謝罪しても・・・半径3メートル以内へ
接近したら、通報します」と釘を刺されたぐらいに、色々な意味で強い子だった。

他人とどう関われば良いか解らず、友人と言える友人の居ない日常
休み時間になれば、女子を追いかけ回す・・・入学から数ヶ月で、私の周りには
誰も近寄らない、虫でも見るかの様な目で見られる様になっていた。

そして、2年生になった。

私の通っていた中学には、親睦合宿というのがあった
4月入学や進級から半月後に、クラスの親睦を深めるための研修として
行われる合宿

その合宿で、私が2年の時には・・・何故か晩に肝試し等と言う催しがあった。
4月肝試しという時点で季節外れも甚だしいのだが
その肝試しは、男子二人、女子二人の四人で一グループになる
クラスが30人なので、最後に2人余るのだが、余った2人は担任副担任とで一グループになる。
グループは、くじ引きで決まる。

そうした肝試しグループ出会った女子の可愛さに、今年の標的はこの子にしよう
という心が芽生えてくる私。

いつ頃からか、私は・・・いかけ回す事で逃げながら私を拒絶する女子仕草
そういう形であろうと、女子と接点を持てる・・・いかけ回す事で女子と接する事ができると思うようになっていた
そして、当時はそれをおかしいとは思いもしなかった

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【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」

2025-12-29

anond:20251229195644

高校教師が超イケメンモテモテだったんだけど、合宿で一緒に風呂入る時に

「俺チンチンちっさいからさ〜」とやたらと予防線張ってた

実際一緒に風呂入った時はタオルガチガチにガードしててどの程度小さいのかは見えなかった

だが、女子生徒からモテまくった結果、小さいサイズで痛みなく優しく貫通するジェントル処女キラーと化していた

その後当該女子から「〇〇先生との初めての夜が忘れられない・・・」という告白を受けた

今だったら完全アウトなのにその後出世してて許せない

職場合宿中に小便を漏らす夢を見た

皆で布団の中で寝てる時、俺はなぜか小便をしていた。

ジョボジョボとビニールシートに水がぶちまけられるような音が聞こえる。

何が起きているのか理解できないと感じるが、なんだか尻が温かい

そうして頭の中で色んなことがかけめぐる。

「あぁ、俺は合宿中に小便を漏らした人間として生きていくのか。この会社にこのまま居られるのか?」

ふと思う。

この会社をやめてまともな転職先はあるのだろうかと。

俺にはこれといったスキルはない。

自社の事務手続きの仕方を把握していること以外何も強みのない出世の遅れた係長しかない。

係長しか経験がないことと自分の年齢、ポータブルスキルの少なさやコミュニケーション能力の乏しさ、様々な絶望が浮かぶ

そして俺は目を覚ました。

あの暖かさは布団の中に入れていた電気毛布の熱によるものだった。

水音の正体も、寝小便をした事実も、何も存在しない。

だが「もしも今の会社に居られなくなったあとに何も残らない自分」は確かに存在した。

会社から逃げることが出来ない。

同業他社に渡ってやっていける自信さえない。

この人生がこれからどうなるのか不安だ。

会社が潰れた後、俺は事務職として再就職できるのだろうか。

どこかで発給のWEBデザイナービルメンナンサービスとして働くしかないのだろうか。

凄く不安だ。

これから何をどうしたら良いのか分からない。

この不安が人を「TOEICでとにかく点数を上げよう」みたいな虚構へと誘うんだろうな。

本当に大事なことはそんな所には多分ないんだ。

心身ともに健康清潔感のある人間であり続けることが一番の近道なんだ。

悪夢に飛び起きてしまったがもうさっさと寝直そう。

健康だ。

健康を維持することはTOEICで990点取ることよりずっと価値がある。

それが中高年の人生なんだ。

若者はみんな健康から健康な中でどんなスキルを持ってるかを競うが、中高年は健康でないものが沢山いるからまずは健康かどうかで勝負するんだ。

心と体が健康なだけで、社会の中で生き残れてしまうのが中高年なんだ、と思う。

2025-12-26

大学2年の春、「免許を取ろう」と思った。

親にそのことを伝えたら、「自動車学校代は出してあげるよ」と言ってくれた。

嬉しいな、ありがたいなと思いながらも、親の資力に不安があった私は「半額だけでいいよ、だから15万円くらいかな」と答えた。

そこから半年かけて親と私で15万円ずつ貯金し、大学3年の春か夏の長期休み免許を取りに行こうという計画になった。


大学2年の冬、約束の期日になった。一人暮らしの家に母が来てくれるという。

そこで15万円を受け取ればいいな、と思っていたが、私には一つ懸念があった。

それは、半年間で12万円しか貯金することができなかったことだ。

足りない3万円はどうしようか、親が持ってくれるだろうか、それとも安い教習所を探せばなんとかなるか。

そんなことを考えながら、恥ずかしくも12万円しか貯められなかったことを母に伝えようとしたとき、母はこんなことを言った。

「ごめん、今生活が苦しくて…貯金を貸してくれない?」


曰く、父の仕事で少しトラブルがあり、収入がない月が何か月かあったのだという。

なので生活費に困っていて、学費などを優先してくれたものの、このままでは生活が苦しい。

から15万円貯金するどころではなく、逆にお金を借りに来たのだという。

そんな状況で、飛行機距離にある私の進学先まで来たのか…と少し疑問に思いながらも、

親が闇金などから借金する最悪のシナリオを避けようと、私は貯金した12万円を貸した。


大学3年のうちに免許を取るという計画白紙に戻った。

仕方がないので、大学4年の春か夏頃、遅くても冬休みには取ろうという風に考えた。

今回の件で免許の取得が遅れたのだから教習所代は全額出してくれと伝えると、快諾された。

ただし、一括で払うことはできないので、カードの分割払いをできるところにしてほしい。

そして一度私に立て替えてもらい、立て替えた金額を親から私へ返済する。

そのような方式お金を払うということで合意した。


色々あって、父の仕事も持ち直し、大学4年の夏休み免許を取りに行くことになった。

8月に教習が始まり9月の引き落としから21万円の教習費を10か月分割で支払う。

さて、ここで私には少し懸念があった。それは母親の「約束を破りたがる」という悪癖である

約束の履行をなるべく避けようとする母のことだから、何かと理由をつけて借金の返済をうやむやにしてくることが考えられる。

今回で言うと、大学卒業後の4月に私が就職するのに対し、分割払いは6月まで続く。

すると、「就職したんだからもうお金はあるでしょう、お金を返さなくてもいいよね?」なんて言い出して4月から6月の支払いを帳消しにしかねない。

普通の人なら考えられないけど、母なら。

そう思った私は、LINE家族グループにて、父も見ている中で、以下の約束を取り付けた。

借金は必ず完済すること」「私が就職たからといって支払わないなどと言わないこと」

母は了承した。


教習所合宿だったこともあり、合間の試験も実技も一発合格し、延長金なしで卒業することができた。

大学も無事卒業し、就職5月ゴールデンウィークに一度帰省して、両親と近況を話し合った。

そこで母からこんなセリフが飛んできた。

「それで…就職したことだし、お給料も出て余裕があるでしょ?もう教習所お金自分で払えるよね?」

出た。懸念していた言い訳が、懸念していた通りに炸裂した。

私は呆れかえってものも言えなかった。すると同席していた父が「それは違うだろう」と言ってくれた。

私も「それを言わないように約束したよね?証拠もあるよ。LINEでそういう約束したもんね」とLINEを見せると、

母はようやく観念して「払います」と言った。

危なかった。LINEの記録に残し、父という第三者を同席させなければ、

口約束のままで放置していれば、間違いなく「証拠がない」と言って踏み倒されるところだった。


こんなわけで、社会に出る前からお金の話の難しさや、証書を残すことの大切さを知ったのだった。


余談だがこの母親、数日前に投稿した「パーフェクト人類」な母と同一人物である

anond:20251222162939

父が単身赴任しがちだったことや、子供のころはインターネットという便利なツールアクセスできなかったこから

子供のころはこんな母と一対一で対峙しなければならなかったものの、

最近は父の力やネットの力を借りて、なんとかこの扱いにくい人間をいなすことに成功している。

死ぬまで性根は変わらないだろうから、今後もこの困った人をうまく問題を起こさないよう誘導していたいと思う。

2025-12-12

静岡県韮山高校体罰が行われている部活について まとめ

anond:20170120194256

演劇部
女子バスケ部
野球部

2025-12-02

中学受験した人としなかった人の差はどうなのかな

最近子供は外で遊ばせるとすごく脳に良いとかい記事話題になってる。

でも中学受験して毎日塾通いしてる子供達って、外遊びしないで夜遅くまで勉強だろ。

明らかに脳に良くなさそうだけど実際どうなのかな。

私の同級生中学受験ガチ勢で、林間学校も塾の合宿があるからって休んでた人は、結局早稲田行って、有名デベロッパー就職してたな。

でも公立中学行った人もなんか良い大学行って有名コンサル行ってたし。

かと言っても中学受験したけどニートになったやつも知ってるし、公立行ってニートになったやつも知ってる。

結局は本人の能力なのかね?

小さい頃にたくさん外遊びしたとか中学受験のために勉強したとか、子供本人の特性次第な気もするんだが。

そう考えるとますますどうやって子供育てたら良いかからないな。

まあショート動画見続けてるくらいなら外で遊ぶのも塾に行くのも良さそうに思えるが…

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