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[B! 教育] 「学力低下」の原因はスマホでもコロナ禍でもない?法学者も指摘「小学校での探究やグループワークの増加」が問題か〈再配信〉
探究学習やグループ学習偏重の教育が深刻な学力低下を招いているという内容です。
そういやこいつは未だにイラン政府(こいつの言う事務局)とIRGCが一体だと思ってるんだろうか?
https://www.msn.com/ja-jp/news/world//ar-AA21qvDx
米国のトランプ大統領は21日、イランとの停戦を延長すると自身のSNSで表明した。戦闘終結に向けたイランの統一された提案が出され、「議論の結論が出るまで」としている。
トランプ氏は、イランの政府が「深刻に分裂」していることや、仲介国パキスタンの首相や陸軍参謀長からイラン攻撃を踏みとどまるよう要請されていたことを理由に挙げた。
重要なのはイラン革命のイデオロギーとして「ベラーヤテ・ファギーフ」ってのがあるんや。これはイスラーム国家は高位の法学者が統治するべきって考えでイラン革命で最も重要な部分や。
せやからイラン国内においては神権政治体制の長である法学者ハメネイに忠誠を誓うのは革命防衛隊の存在理由そのものであるといえるんや。この形だけはどうやっても変えられん。
今のハメネイが革命防衛隊に擁立された弱い立場の人間であってもこれは同じや。革命防衛隊は独立などできないし統治者である法学者やその背後の事務局と一体で国を統治していく必要があるんやで。
自分の勘違いや都合の悪い反論は無視するし詭弁を使いながら詭弁を見たくないとかおもろいこというし。
まず国語の問題として、相手の主張内容に反論する場合に”訂正”とか普通言うか?
自分の主張変える場合や明らかなミスを修正する場合には使うが・・・。
ああいやこいつは自説が絶対に合ってると思ってるわけだからこいつの中では運用合ってるんか。
気づかんかったのは、最初の1行目で訂正で勘違いして、以降は本題部分に頭使ってて勘違いを検証するタイミングがなかったせいやな。
イラン政府は革命防衛隊を統制できていない=>まあ間違いやなと思うわ。
イラン国内においては神権政治体制の長である法学者ハメネイに忠誠を誓うのは革命防衛隊の存在理由そのものであるといえるんや。この形だけはどうやっても変えられん。
今のハメネイが革命防衛隊に擁立された弱い立場の人間であってもこれは同じや。革命防衛隊は独立などできないし統治者である法学者やその背後の事務局と一体で国を統治していく必要があるんやで。
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[ドバイ 10日 ロイター] - イランの「革命防衛隊(IRGC)」は、新たな最高指導者にモジタバ師を据える人事を押し切った。父より扱いやすく、革命防衛隊の強硬路線に同調しやすい人物と見込んだためだ。現実主義派の懸念は退けられた――同国の高官筋がそう明かした。
もともと強大な権力を握るIRGCは、戦争開始後に影響力をさらに強めた。モジタバ師選出に反対し、発表を数時間遅らせた政治・宗教指導層の幹部らの懸念も、すぐに押し切ったという。
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しかし改革派の元高官によれば、IRGCはモジタバ師の就任に反対する人々を次々と脅迫したという。専門家会議のメンバーに対するIRGCの接触は批判も呼んだが、結局はモジタバ師を支持せざるを得なかったと関係者は語った。
https://jp.reuters.com/world/security/5BW6GS76CFJYPLQGVW5J5TJGMQ-2026-03-11/
やはり報道解説見ても革命防衛隊が指導者選出したりホルムズ海峡に関する声明出してる事実見ても、事務局と革命防衛隊で権力の綱引きしていて事務局は劣勢であるようにしか思えん。
革命防衛隊が完全に掌握してるならともかく、綱引き状態で事務局も権力保持しようとするんだから交渉先として革命防衛隊に案内するわけないと思うがな。
物理法則じゃないんだから人間によるシステムなんかいくらでも揺らぐし。あれはさすがに杓子定規に考えすぎだろう。
まあわざわざ脅迫して動かしてるので独立して暴走してるわけではない、という点は事実と一致してるかな。
アラグチ外相のこの発言だが、調整が必要とはつまり制御出来てないということ、と解説してる人もいたが、言われてみれば違和感のある表現だがさすがにこれで決めつけは出来んな。
とはいえ、制御下にあるなら単に命じるだけなんでそれをわざわざ補足するように言うのは違和感あるし命じることを調整と表現するのも奇妙さがある。まあ日本語訳なんで原文とはニュアンスが変わってるだけの可能性はあるが。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000496107.html
通行許可の話は中国の話かと思ってたが東南アジアの話かな。このリスト渡して一隻だけ許可もらえて実際通してもらえました、残ってる船舶はまだあります。という話を交渉成功と評価出来るかというと怪しいように思える。ホルムズ海峡は封鎖してないという建前を補強するためにちょっとだけ通しただけではないのか?交渉の有効性の次の話になるが結局行き来出来る必要があるから交渉内容が半端なんよな。
というかこのやり取りも合わせてみると、イランの外相が革命防衛隊へのインターフェースになってる印象はあるな。
もし実際そこまで革命防衛隊が実権握ってるのな合意の履行の不確実性で交渉を無意味とするのは誤りになるかな。無意味なのは綱引き状態前提だし。
1. だけ間違ってることが分かったから訂正するわ。
まず革命防衛隊とイラン政府は、かつての日本政府と関東軍みたいな関係で、政府の意思と現場の行動が完全に乖離している状態。
まあ間違いやなと思うわ。そもそもイラン政府が何を指しとるのかわからん。これだけで雑なのがわかるんやが、ここでは実質的な統治機構「事務局」を指すものとして話を進めるで。
乖離ではなく役割分担やし政府も革命防衛隊も一体や。イランってのは近代国家の皮を被った神権統治体であると考えるとそれがわかるで。
まず、イランってのは行政府、事務局(影の政府)、革命防衛隊、民兵組織(パスィージ)らによる縦型の統治機構になっとる。というかハメネイがそう作ったんや。
図にするとこんな感じやな。
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増田は肌感覚で革命防衛隊は独立性の高い組織やと思ったんやろ?それは一部当たっとるが単純化しすぎや。
革命防衛隊は武装組織であり巨大なコングロマリッドでもあるんやが、イラン革命を経て生まれた組織という成り立ち上、革命のイデオロギーを守る「盾」としての役割も強いんよ。
イスラーム国家を作るというイラン革命のイデオロギーに従って、下部組織のパスィージとともに敬虔なムスリムが善く過ごせる国を作るために地域の監視、デモの鎮圧、道徳の取り締まりなんかをやっとる。
で、重要なのはイラン革命のイデオロギーとして「ベラーヤテ・ファギーフ」ってのがあるんや。これはイスラーム国家は高位の法学者が統治するべきって考えでイラン革命で最も重要な部分や。
せやからイラン国内においては神権政治体制の長である法学者ハメネイに忠誠を誓うのは革命防衛隊の存在理由そのものであるといえるんや。この形だけはどうやっても変えられん。
今のハメネイが革命防衛隊に擁立された弱い立場の人間であってもこれは同じや。革命防衛隊は独立などできないし統治者である法学者やその背後の事務局と一体で国を統治していく必要があるんやで。
と、ここまで増田が言ってたイラン政府ってのを「事務局」を指してるものとして話を進めたが「行政府」であってもこれは同じや。
行政府は実施的にはイラン国内の政府実務を担う官僚機構なんや。道路作ったり、箱物作ったり、こまごまとした官僚仕事をやる国家運営の実務部隊と言ってええな。
もちろん事務局からの指示で動いとる。やから別に行政府の人間と会話しても無駄ってことはないで。窓口が違うなら革命防衛隊の担当者に案内されるやろ。まあどちらにしろ間違っとる。
次男は親父の側近として活躍してたんやけど、兄貴はそうじゃなかったって話なだけやで。
次男は影の政府と言われる事務局(バイト)で要職におって、政権中枢の人間ではあったんや。
また、兄貴は中位程度の法学者である弟よりもさらに位が低い法学者だったといわれとる。
イランの憲法ではイスラム法学者としての地位がそれなりに求められるから、これは致命傷でもあったんやな。
ただ、そもそもの話なんやが、イラン革命は王朝の世襲による権力固定を否定しとったから、親族を後継者に立てるのは本来ちょっとまずいんや。革命支持派からの反発があるからな。
それでも革命防衛隊が次男を擁立したのは、父ハメネイが作り上げた革命防衛隊とバイト、民兵組織(バスィージ)を中心とした強固な権力基盤を最小コストで権力移譲できたのが
それ以外の条件としても:
・革命防衛隊と仲良くできる(バイトで面通ししてるし一緒に仕事もしてる)
・裏切らない(次男は宗教権力からも革命派からも支持が弱く、革命防衛隊も次男を立てることで統治の正当性を担保できるので、相互依存の関係が成立)
っていろいろ都合がよかったのが次男やった。
まあ、それ以外の課題は革命防衛隊が何とかする(実際法学者グループを脅すなどしてなんとかした)ので、大丈夫やろという算段やったんやろね。
世襲とか法学者の位が正当性にどう影響するかについては、ちょっと前に書いて1ブクマしかつかなかったクソ記事があるから、よかったら読んでな。
底辺高卒浅学者のワイからみてもブクマカがイランに関してかなりトンチキなことばっかり言っとるから、ワイの知る範囲でイラン革命から今の今までを指導者の変遷を中心に書く。
最初に言っておくが、ワイは別にイスラエル推しでもでもトランピストでもない。〇〇派は~みたいな見当はずれの突込みやウヨサヨ認定は勘弁やで。
あと、これは昼休憩の50分ぐらいでがががーっと雑に書いたから、突っ込みどんどん頼むで。
今回の問題を理解するには今のイランの状況と死んだハメネイの評価を知る必要があるんやが、それを理解するには、まず、イラン革命を知る必要があるんや。
革命前のイランは王朝がイスラームの国民に西洋化を押し付けながらSAVAKっつー秘密警察をつかったクソ抑圧的な統治が行われていて、国民は疲弊しとった。
で、そんな中、イスラーム法学者としては最高位クラスのガチ宗教エリートかつ天才アジテーターのホメイニっつー奴が反政府運動を始めるんや。運動は一旦、王政によって鎮圧されるんやけど、ホメイニは亡命して、自分のメッセージを入れたカセットテープをイラン国内に撒いて国民を鼓舞し続けて、最終的に王政を打倒したんや。大した男や。これはカセットテープ革命とも言われとるな。
亡命先からホメイニが帰ってきたときの映像はたまにTVの報道記録でも流れるんやけど、ホメイニの乗った車を取り囲んでバンバン叩いてる民衆の熱狂がマジで凄いで。当時のホメイニはマジでカリスマで預言者みたいな扱いやったんや。
ホメはそのあと圧倒的な支持をバックにイスラーム法に基づく統治をおこなったんやけど、統治機構を全部入れ替えるような状況だったので、革命前に約束してた色々はなかなか実現できんかった。無料の水とか交通機関とかな。でもまあ、圧倒的な支持を基になんとかイランっつー国をまとめ上げたんや。
ちなみにイラン革命は宗教勢力だけやなくて左派とか民族運動も参加しとったんやけど、最終的にホメイニ派が主導権を握ったんや。政治的にもホメイニが他勢力より一枚上手やったことがわかるな。KOEI の歴史シミュレーションなら政治・知略オール90オーバーで他も80超えの神人材と言ってもええな。
で、こういう民衆の支持で成り上がった統治者が一番困るのは後継者や。
ホメイニもその辺はちゃんと考えていて、後継者として指名した側近がいたんやけど、政権末期にそいつを意見の対立から更迭してしまうという大チョンボをやらかすんや。
ホメイニはイスラム法学者としては最高位クラスのガチ宗教エリートで、思想もカリスマもあってイスラーム国家の指導者としては文句無しというパーフェクトイスラームボディやったんやけど、逆に言えばそんな人材なかなかおらんくてな。なんとか擁立しようとしてた後継者を更迭したせいで、後継者候補は皆無の状況になった。アホやけど、英雄の晩年はこういう話多いな。
で、後継者の育成が間に合わずにホメイニが死ぬんやけど、そこで後継者になったのが、最近死んだハメネイ。
こいつはいわゆる政治家タイプの男で革命家とか思想家って感じじゃない。政治的手腕で政権に食い込んでいて、ハメネイが死んだ後に後釜にちゃっかり座ったんや。
ただ、問題はこいつがイスラム法学者として最高宗教権威じゃなかったところや。最高宗教権威の一個下ぐらいやな。
当時のイランは憲法で「最高指導者はイスラム法学者として最高宗教権威級の自信ニキじゃないとあかんで」って決まっとった。ハメネイはそれだと指導者としての正当性に問題が出るんで、一旦、ごり押しで指導者にしてもらって、あとから憲法改正で「まあ最高位じゃなくてもイスラム法学自信ニキかつ、それなりに位が高かったらええで」ってしてしまったんや。
法学者としての位ってのは別にテストとかに合格する必要はなく、「アイツはイスラーム法学詳しいな」って他の法学者から認められる必要があるってだけやから、国内の法学者を丸め込んでとりあえず手打ちにしてもらった格好やな。ただ、明確な基準がないということは、逆を言えば国内外問わず自分たちのイスラーム学派内のコンセンサスを取るという合意形成が必要だったということでもあるんや。ハメネイはいったんそれをごり押しで無視したんや。
ハメネイは国内的には何とかうまくやったんやけど、自分たちのイスラーム学派内での合意形成を無視したことになって、ハメネイはその地位に対する宗教的正当性をやや失ってしまったんや。
当然批判も出るんやけど、そこは革命防衛隊みたいな強力な治安・軍事組織を使って押し付けていくんや。王政期のSAVAKと全く同じ組織ではないんやけど、結局は反対派を抑え込む抑圧国家になっていったのが皮肉やな。
死ぬ寸前のハメネイの評価としては、保守宗教層、地方民、革命支持層には人気があったけど、国家と宗教の結合を守るよう(*)に権力を使って強く抑圧していて、更に経済が停滞したせいで都市部の国民からは嫌われてる感じやった。(* この辺一旦は宗教権威を無視した部分と矛盾するんやが、ここにハメネイの統治のうまさとイランの抱える問題の根源があるんや。おもろいから各自で調べてみてな)
子ハメネイはイスラム法学者としては中位で、ぶっちゃけ全然宗教的正当性がなかった。
日本語版Wikipediaでは最高位の一個下ぐらいの位(アーヤットラー)って書かれてるけど、ロイターの6月時点の報道だと普通に中の上ぐらいの位(ホッジャトルエスラーム)なので宗教的正当性は父以下なんや。当然高位の法学者グループからは反発があったんやけど、後ろ盾になってる革命防衛隊がごり押ししたんや。
議論なんてもんじゃなく、文句言ったら死ぬぐらいの空気だったらしいから、今のイランは軍事政権に近いと言ってもええな。
もちろん子ハメネイも父の下で政権のメンバーとして働いとったし、それなりに実務能力はある。
ただ、宗教的な後ろ盾がなく、革命防衛隊が権力の正当性を担保してる状況だと、傀儡とまではいわんが、自分で動ける範囲はかなり限られるやろな。
ハメネイが国内でどう思われていてイスラーム社会での評価がどうあるのかというのをまず理解しないと、イランの問題を正しく理解することが難しいから書きなぐってみたで。
おまけ:
ワイが書いたことに加えて、今回の攻撃について理解するにはイラン核合意(JCPOA)やイスラエルの動向、アメリカがJCPOAを抜けたことやそのあとのイランの動向も知らんといかんのだが、時間がなさすぎるから各自で調べてな。
諸外国にメッってされたから、イスラエルが核の曖昧保有を維持してる中イランだけが厳しく監視されるなんて条約を受け入れて大人しくしてたのに、トランプに一方的に条約破棄されたんで、アメリカ戻るまで1年マージン取った上で、条約に違反しないよう筋を通して核開発再開したら、いきなりイスラエルに攻撃され、更にアメリカに空爆されて国のトップぶち殺されとる。イスラエルの立ち回りがうますぎて国消えてまうレベルの損害受けるってさすがに可哀想すぎんかって思うわ。
どうも、特に台湾のみが攻撃されたときの処理についての変質が理解されていないらしい。
・台湾のみ攻撃:参戦するかもしれないし、しないかもしれない。
高市以前は、法学者や左翼は台湾のみ攻撃での参戦は不可能と言っているが、そこを個別の事案ごとに判断するのでお答えできないと答え、非左翼政権として参戦の可能性をチラつかせて、中国を抑止するのが日本の曖昧戦略だった。
高市発言は、該当箇所から遠く離れた例示を再参照しているとしない限りは、米軍への攻撃を前提とせずに参戦する意思を示した。
その後の火消しモードでは、参戦はあくまでも米国への攻撃が前提だと軌道修正された。従来の政府見解と同じだと強弁しているが、従来の政府見解では触れないことで曖昧にしていた部分の曖昧さがなくなっている。
現在のイラン情勢は、1979年のイスラム革命以来、最も政権存続が危ぶまれる「体制崩壊の瀬戸際」にあると言えます。
2025年末から始まった経済崩壊と電力不足が引き金となり、抗議活動は単なるデモの域を超え、「革命」の様相を呈しています。
規模: 全31州で340件以上の抗議が確認されており、テヘランなどの主要都市では治安部隊との激しい衝突が発生しています。
直接のトリガー: 慢性的インフレと汚職に加え、深刻な電力不足が国民の忍耐を限界に達させました。
政権の亀裂: 治安維持の柱である軍の一部(3万5千人規模)が離反したとの報告があり、これは政権の「暴力による統制」が機能不全に陥り始めていることを示唆しています。
現在のイランは、亡くなったホメイニ師が築いた「ヴァラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)」という神権政治体制ですが、民衆はこれを明確に拒絶し始めています。
反宗教指導者: 現最高指導者ハメネイ師による独裁的な抑圧体制に対し、民衆は「イスラム共和国の終焉」を求めています。
王政復古の台頭: 驚くべきことに、1979年に追放されたパーレビ王朝の復活を望む声が主流となっています。
スローガン: 「国王万歳(ジャヴィド・シャー)」という叫びは、宗教的な縛りのない「世俗的で安定していた時代」への回帰願望の象徴です。
レザ・パーレビ王子の役割: 米国在住の王子が、民主化への移行を主導する「象徴的リーダー」として期待を集めています。
これまでのイラン政権を支えてきた外部要因も、急速に剥落しています。
後ろ盾の喪失: ロシアや中国の支援が以前ほど機能しておらず、外交的孤立が深まっています。
イスラエルの圧力: 外部からの軍事的・政治的圧力が、内政の混乱に拍車をかけています。
革命防衛隊(IRGC)の窮地: 政権の守護神であるIRGCの本部が攻撃対象となるなど、物理的な支配力が低下しています。
現在起きていることは、単なる「暴動」ではなく、1979年に始まったイスラム共和国という「実験」の終焉プロセスである可能性が高いです。
民衆が自発的に王政を「招く」という形での体制転換は、中東全体のパワーバランスを根底から覆すイベントです。
リスク管理者の視点で見れば、これは原油市場の供給体制や、中東における「反欧米」の軸が消滅することを意味し、極めて大きなマーケット・インパクト(テールリスク、あるいは巨大なチャンス)を孕んでいます。
現在のイラン情勢が日本市場、特にエネルギー関連株と為替(円)に与える影響
2026年1月現在の混乱は、短期的には「供給途絶リスク」によるボラティリティの上昇を招きますが、中長期的には「制裁解除と供給拡大」という劇的なパラダイムシフトを予感させます。
市場は現在「体制崩壊前の断末魔(地政学的リスク)」と「新体制による供給正常化(デフレ圧力)」の板挟み状態にあります。
革命防衛隊が生存をかけてホルムズ海峡の妨害に動く場合、原油価格には一時的に20〜30ドルの「地政学的リスクプレミアム」が上乗せされ、WTI原油は100ドルを突破する可能性があります。これは日本にとって最悪のコストプッシュ要因となります。
親米的な王政が復古し、西側諸国との関係が正常化すれば、イランの生産能力(日量約400万バレル規模)が世界市場に再統合されます。これは原油価格の長期的な下押し圧力となり、エネルギー価格の安定化に寄与します。
円の為替レートは、日本の「エネルギー輸入依存度」に強く規定されます。
原油価格が急騰すれば、日本の貿易赤字が拡大し、実需の円売り・ドル買いが加速します。地政学リスクによる「有事のドル買い」も相まって、一時的に160円台を伺う急激な円安のリスクを警戒すべきです。
イラン情勢が落ち着き、原油価格が60〜70ドル台に安定すれば、日本の交易条件が改善します。エネルギーコストの低下はインフレ圧力を和らげ、実質金利の観点から円が買い戻される「正常化の円高」のシナリオが浮上
1979年の革命が「オイルショック」を引き起こしたのに対し、2026年の革命は「オイル・アバンダンス(石油の充足)」をもたらす可能性があります。これは日本経済にとって、失われた30年を脱却する強力なマクロ的追い風になり得ます
警察庁は、女性にAEDを使用したことで男性が訴えられた事例を把握していない
弁護士による判例検索でも、AED使用で訴えられた事例は見つかっていない
救命目的でのAED使用は、不同意わいせつ罪に該当する可能性は極めて低い
民事訴訟でも、救命目的のAED使用で勝訴する可能性は非常に低いとされている
法学者は、AED使用時にわいせつな気持ちを持つ余裕はないため、刑事罰を問われる可能性はほぼないと説明している
厚生労働省の報告書によると、救命活動に関わる行為は損害賠償責任が問われないとされている
多くの弁護士やAED・救命の専門家が、痴漢やセクハラで訴えられる可能性は限りなく低いと述べている
「女性に心肺蘇生術をしたらセクハラで訴えられる」というSNSの投稿はデマであることが確認されている
AED使用をためらうことで、女性の命を脅かす事態を招く可能性があるため、必要な場合はためらわずに使用すべきとされている。
ミサンドリーこじらせてその対抗武器として法学を振り回してる学者はそもそも論外として、このまとめの最後で「うちの子、女の子だし、日本では差別があるからやっぱり外国に出そうかと思って」というツイートが入ってて、この手の人たちは具体的にどこの「外国」を想定しているんですかね
https://posfie.com/@hanakazuv1/p/G4l4npL
人権以前に「日本人」「女性」が生きやすい地域を考えてみると、イスラム、ヒンドゥー地域は真っ先にアウト、欧米豪もアジア人差別・透明化に素人が耐えるのは相当厳しい。中南米は知らんが、治安面とかどうなんですかね。アフリカ?
じゃあやはり「日本人」として安全なのはアジア圏かってことになるんですけど、韓国の儒教思想は強化版日本思想って感じでそれはそれで「女性」にはハードだし中国で「人権」を語る必要はない。そもそも日本人ってだけで攻撃対象になるケースもあるし。そうなると台湾・ベトナム・タイ・シンガポールあたりしか残らなくて、さらにこの手の意識高い系の人たちのキラキラ生活を達成できるのはシンガポールくらいじゃないですかね。女性なら徴兵もないし。
そもそも外国人が行った先の国の恩恵を受けるには当国民にならないといけなくて、それにはもともといた国で地位や資産を築いておかないと認定されづらいですよね。ちなみにシンガポールだと一番イージーな就労ビザでも40万弱月給がないと対象にならないっぽいです。
冒頭の発言をした人は多分軽い気持ちで言ったんだろうけど、ツイ主の小島慶子みたいに真に受けて、さらに都合のいい話を引ツイして自説をフカすだけの法学者もいるのでこの手の言説には気をつけたいものです。
A:今回の「アジャイル・ガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。
B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討が必要です。
A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?
B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービスの販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。
B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府とIT企業が共同で打ち出した未来社会のブランディング概念です。
A:つまり、商品を売るための言葉が法学の議論に入り込んでいるということですか?
B:まさにその通りです。私はこれを「法学のマーケティング化」と呼んでいます。学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。
A:具体的には、どんなマーケティング的手法が使われているんですか?
B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造の演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。
A:なるほど。それに「危機感の煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。
B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。
A:破壊的変化というと?
B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。
A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。
B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来はもっと地味で着実なものなんです。
A:どういうことですか?
B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論と検証を行う。
B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。
B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析、他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計、継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。
A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかいう言葉とは真逆ですね。
B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。
A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?
B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価で新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念を提示する方が注目されやすい。
B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。
A:確かに、「アジャイル・ガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。
B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。
A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。
B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義や人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。
A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。
B:そうです。特に今回の「アジャイル・ガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。
A:学術的権威が政策の宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。
B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問の独立性を保つ必要があります。
A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?
B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念を安易に単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります。
A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。
B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング的意図も含めて、批判的に検討することが大切です。
A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。
B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要なものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります。
A:今回の対話で、「アジャイル・ガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学そのもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。
B:はい。単に個別の政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。
A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。
B:そうです。民主主義は私たち一人一人のものですから。権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います。
A:先ほどから「アジャイル・ガバナンス」の問題について話していましたが、なぜこんな議論が法学界で受け入れられているのか不思議です。
B:それは実は、最近の日本の法学界の変化と関係があるかもしれません。
A:変化というと?
B:かつての日本の法学は、伝統的な議論との連続性をとても重視していました。新しい理論を導入するときも、従来の学説とどう整合するかを慎重に検討していた。
A:それって、保守的すぎるということですか?
B:確かにそういう面もありました。新しいアイデアが出にくかったり、権威ある先生の意見に若手が従わざるを得なかったり。
A:なるほど。それが最近は変わってきたと。
B:そうです。より自由に議論できるようになったし、新しい視点や理論も積極的に導入されるようになった。これ自体は良いことなんです。
A:でも、何か問題もあるんですか?
B:新規性や独創性がとても重視されるようになって、時には伝統的な議論の蓄積が軽視される傾向も見られるんです。
A:具体的には?
B:例えば、「これまでの法学では対応できない」「全く新しいアプローチが必要」といった主張が、十分な検証なしに受け入れられやすくなっている面があります。
A:それって、自然科学の影響ですか?新しい理論が古い理論を置き換えるような。
B:その通りです。他の社会科学の影響もあるでしょうね。でも法学は少し特殊なんです。
A:どう特殊なんですか?
B:法学では、新しい理論で古い理論を完全に置き換えるというより、蓄積された知恵を継承しながら発展させることが重要なんです。
A:なぜですか?
B:法的概念が頻繁に変わると、法の安定性や予測可能性が損なわれてしまいます。それに、長い間使われてきた概念には、歴史的経験が込められていることが多いんです。
A:なるほど。「法の支配」みたいに。
B:まさにそうです。800年以上の歴史がある概念を軽々に「アップデート」していいものか、もっと慎重に考える必要があります。
B:もちろんです。ただ、何を変えて何を変えないかの判断が重要なんです。根本的な価値や原則は継承しながら、具体的な制度や運用を改善していく。
A:そのバランスが難しいということですね。
B:そうです。そして、最近は「新しいから良い」という発想が強くなりすぎている面があるように思います。
A:それが「アジャイル・ガバナンス」のような議論につながっていると?
B:一因になっている可能性はあります。新奇な概念や横文字の理論に対して、批判的に検討する前に「新しくて進歩的」という印象で受け入れてしまう。
B:本来はそうあるべきなんですが...。最近は研究評価でも新規性や独創性が重視されるようになっていて、そのプレッシャーもあるかもしれません。
B:そういう面もあるでしょうね。従来の議論を丁寧に検討する地道な研究より、新しい概念を提示する方が注目されやすい。
B:はい。特に法学では、基礎的な概念や原則についての深い理解が不可欠です。それがないまま新しい理論を導入すると、土台のない建物のようになってしまう。
A:でも、若手の研究者にとっては、新しいことをやりたいという気持ちもあるでしょうし...
B:それは当然のことです。問題は、新しさと伝統的価値の継承をどうバランスさせるかなんです。
A:そういえば、シンポジウムとかで「アジャイル・ガバナンス」が議論されているという話もありましたね。
B:ああ、それも問題の一つかもしれません。大学でのシンポジウムや研究会で取り上げられることで、学術的に認められた議論という印象が作られてしまう。
B:もちろんです。ただ、批判的検討が十分なされているかが重要なんです。新しい概念を紹介するだけで終わってしまうと、結果的にその概念にお墨付きを与えることになりかねない。
A:なるほど。学術的権威が政策の宣伝に使われてしまう可能性があると。
B:そうです。特に政府機関が提唱している政策については、学術機関は慎重な距離を保つべきだと思います。
A:でも、社会に貢献したいという気持ちもあるでしょうし...
B:それも大切なことです。ただ、学術的議論と政策提言は区別して考えるべきでしょうね。
A:どういうことですか?
B:学術的には「こういう理論的可能性がある」ということと、政策的に「実際に導入すべき」ということは全く別の問題です。
A:確かに。理論的に面白くても、実際に導入するには問題があるということもありそうですね。
B:その通りです。特に憲法や民主主義の根幹に関わることについては、より慎重さが求められます。
B:まず、その議論が本当に学術的検証を経ているかを見ることです。批判的な検討も含めて、多角的に議論されているか。
A:一方的な宣伝ではなく、ちゃんとした学術的議論かということですね。
B:そうです。そして、新しい理論が提示されたときは、それが従来の価値や原則とどう関係するのかを確認することも大切です。
B:まさに。完全に断絶した新理論は、法学においては特に注意が必要です。
A:分かりました。でも、研究者の方々にも気をつけてもらいたいことがありますね。
B:おっしゃる通りです。新規性の追求も大切ですが、法学の基本的な使命を忘れてはいけません。
A:基本的な使命というと?
B:法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義や人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承することも重要な役割です。
A:新しいことをやりつつ、大切なものは守るということですね。
B:そうです。そして、政策提言については特に慎重になる。学術的権威を政策の宣伝に使われないよう注意することも必要でしょう。
B:はい。特に法学者は、民主主義社会の基盤に関わる重要な役割を担っているのですから。
A:今回の「アジャイル・ガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。
B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討が必要です。
A(一般市民):経済産業省が出した「アジャイル・ガバナンス」の報告書、読んでみたんですが、なんだか難しくて...。でも何となく「新しくて良さそう」な印象を受けました。
B(法学専門家):それがまさに問題なんです。この報告書は、読者に「新しくて良さそう」という印象を与えることを狙って書かれていますからね。
A:え、どういうことですか?
B:例えば「アップデート」という言葉が22回も使われています。スマホのアプリを更新するみたいに、法制度も「アップデート」すべきだという印象を与えようとしているんです。
A:それの何が問題なんですか?古いものを新しくするのは良いことじゃないですか?
B:そこが大きな勘違いなんです。法制度は、スマホのアプリとは全く違います。人類が何百年もかけて、時には血を流しながら築き上げてきた貴重な財産なんです。
A:具体的には?
B:例えば「法の支配」という考え方。これは800年以上前のマグナ・カルタから始まって、王様の勝手な政治から市民を守るために発達してきました。民主主義や人権の基盤になっている、とても大切な原則です。
A:でも、AI とかIoTとか、新しい技術に古い法律では対応できないんじゃないですか?
B:それは確かにそうです。でも、だからといって「法の支配」という根本原則まで変える必要はありません。新しい技術には新しい法律を作ればいいんです。憲法や基本的な法原則はそのままで。
A:なるほど...。でも報告書では「<法>の支配」って書いてありました。これは違うんですか?
B:これがまた問題なんです。報告書では、山括弧付きの「<法>」に「アルゴリズムや各種コード」まで含めると書いています。
A:それって、おかしいんですか?
B:とんでもないです。国会で決めた法律と、企業が作ったプログラムを同じ「法」として扱うなんて、民主主義の否定ですよ。
A:あ、確かに。私たちが選んだ議員が作った法律と、会社が勝手に作ったプログラムは全然違いますね。
B:そうです。でも報告書は、そこをわざと曖昧にしているんです。カタカナ語をたくさん使って、読者を煙に巻こうとしている。
A:カタカナ語って、「アジャイル」とか「ガバナンス」とかですか?
B:そうです。「マルチステークホルダー」「マルチレイヤー」...こういう横文字を並べて、何か新しくて高度なことを言っているような印象を与えているんです。
A:でも、新しい概念だから新しい言葉が必要なんじゃないですか?
B:本当に重要な概念なら、必ず適切な日本語で説明できるはずです。日本語で説明できないということは、実は中身が曖昧だということなんです。
A:うーん...。でも「マルチステークホルダー」って、いろんな関係者が参加して決めるということですよね?それって民主的じゃないですか?
B:それが大問題なんです。その「関係者」って、誰がどうやって選ぶんでしょうか?
A:え?
B:私たちは選挙で議員を選びます。その議員が法律を作ります。でも、この「ステークホルダー」は誰が選ぶんですか?選挙で選ばれるわけでもないのに、なぜ法律に関わる決定に参加できるんでしょうか?
A:あ...確かに。それって、結局は声の大きい人や、お金のある人の意見が通っちゃうかもしれませんね。
B:まさにそうです。「対話」とか「熟議」とか綺麗な言葉を使っていますが、実際には不平等な話し合いになる可能性が高いんです。
A:そういえば、この報告書って経済産業省が作ったんですよね?法務省とかは関わってないんですか?
B:それも大きな問題です。法制度の根本を変えるような提案なのに、法律の専門機関である法務省や内閣法制局との調整の痕跡が見当たりません。
A:それっておかしくないですか?
B:とてもおかしいです。本当に重要な政策提案なら、関係する省庁がみんなで議論するはずです。でも、どうやら他の省庁は相手にしていないようですね。
A:ということは、実現する可能性は低いんですか?
B:憲法や法律の根本を変えるような部分は、ほぼ不可能でしょうね。でも問題は、こういう軽薄な「改革論」が政府から堂々と出てくることなんです。
A:軽薄って...?
B:「応答責任」という概念を見てください。従来の法的責任を「アップデート」すると言っていますが、要するに「事後的に説明すれば責任が軽くなる」という話なんです。
A:それって、問題を起こした人に都合がいい制度ってことですか?
B:そういうことです。しかも、何が「適切な説明」なのかの基準も曖昧です。結局は、うまく説明できる人が得をする制度になりかねません。
A:うわあ...。それって不公平ですね。
B:でも報告書では「賢い失敗を許容せよ」なんて書いてあります。誰の失敗が「賢い」失敗で、誰の失敗が「愚かな」失敗なのか、その基準も示されていません。
A:それを決めるのも、結局は権力を持った人たちってことになりそうですね...。
B:その通りです。この報告書の本当の怖さは、民主的なルール作りを否定しているところなんです。
A:でも、技術が進歩しているのは確かですし、何らかの対応は必要ですよね?
B:もちろんです。でも、それは既存の民主的な手続きの中でやればいいんです。国会で新しい法律を作ったり、既存の法律を改正したり。
A:じゃあ、なぜわざわざこんな複雑で問題のある提案をするんでしょうか?
B:一つは、経済産業省の縄張り拡大でしょうね。法制度に口出しできるようになれば、影響力が増しますから。
A:なるほど...。
B:でももっと根本的な問題は、「新しければ良い」「変化は進歩」という単純な思い込みが蔓延していることです。
A:どういうことですか?
B:人類の叡智を軽く見ているんです。何百年もかけて築き上げてきた制度を、「古いから悪い」「新しいから良い」という理由だけで変えようとしている。
A:でも、実際に古くて使えない制度もあるんじゃないですか?
B:それはあります。でも、本当に改革が必要なら、まずその制度がなぜ作られたのか、どんな価値を守ろうとしているのかを深く理解する必要があります。
B:そうです。そして、その価値を損なわずに新しい課題に対応する方法を慎重に考える。それが本当の改革です。
A:この報告書は、そういう慎重さがないってことですか?
B:全くありません。「アップデート」という軽い言葉で、重要な制度を変えようとしています。これは改革ではなく、破壊です。
A:分かりました。でも、一般の人にはなかなか分からない問題ですね。
B:だからこそ問題なんです。専門家も沈黙している。法学者からの本格的な批判も見当たりません。
A:なぜでしょうか?
B:おそらく、批判するほどの価値もないと思われているんでしょう。でも、政府の公式文書として出ている以上、きちんと批判すべきだと思います。
B:まず、「新しい」「革新的」という言葉に騙されないことです。中身をちゃんと見て、本当に必要な改革なのか、誰のための改革なのかを考えることです。
A:そして?
B:民主主義は私たち市民のものです。選挙で選んだ代表者が作る法律に従って社会が運営される。この当たり前のことの大切さを忘れてはいけません。
A:「マルチステークホルダー」とか言われると、なんとなく良さそうに聞こえちゃいますけど...
B:そこが罠なんです。民主主義を否定する提案を、さも民主的であるかのように見せかけているんです。
A:怖いですね...。
B:でも、こうして話し合うことで見えてくることもあります。大切なのは、権威に盲従せず、自分の頭で考えることです。
第9段落 知識と判断とのあいだには、もう一つ、大きな違いが指摘されるべきである。既に述べたように、前者は三種類に分類できるが(前述第6段落)、判断から生じる説得力の程度を分類については、人力が追い付いていないということである。なぜなら、先行知識、観察、あるいは経験と、訴えの事実や申立が、どの程度合致するかは、どうしても ad infinitum に変化するからである。
それでも判断の説得力の大小については、強い確信、確信、強い信頼性、信頼性、推測、予測、疑わしい、揺れ、不信、不信頼などの用語で表現しようとする試みがある(後述第4冊第16章第6-9段落)。
明治時代の東大の法学者が、理論書を翻訳発行したが、勝手に削除されていた段落の一つが、これである。不可能な推測をしている裁判官は死ね。
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開すると予想される。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を促していく他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開するだろう。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を目指す他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
メディアも、政治家も、多くの学者たちさえも、問題の本質を見誤っている。
だが、はっきりさせておこう。
そこを直視しなければ、議論はいつまで経っても空回りするばかりだ。
すべての発端は、任命拒否だった。
その理由は明白だ。
一つには、その法的違法性がある。
学術会議法に照らしても、また法治主義の理念に照らしても、菅政権による任命拒否は明らかに違法だった。
法を正しく解釈し、学問の独立という原則を理解する者であれば、この点については疑いようがない。
だが、問題はそこで終わらない。
法学者のうち、彼を被任命者として「適当」だと本気で考える者が、はたしてどれほどいるだろうか。
ここで比較をしてみよう。
だが、同時に、彼らは圧倒的な学術的業績を有する、現代日本を代表する研究者たちであることもまた否定できない。
行政法を専門とする者で岡田を知らないなら、それは基本的な学問修養が欠けている証だ。
刑法を専門としながら松宮を知らぬ者は、当然、リサーチ不足を自覚すべきだろう。
では、小沢隆一はどうか。
憲法学を専攻する若手の院生たちの中には、そもそも彼の名前すら知らなかった者も少なくない。
それは無理もない。
若い頃に若干の著作があったことを除けば、彼はその後、学問的な貢献をほとんど果たしていない。
それにもかかわらず、彼が日本学術会議の会員に任命されようとしていたという事実。
これこそが、政権が批判する「学術会議の閉鎖性」「仲間内人事」「学問の政治化」の実例ではないか。
真に猛省せねばならないのは、政権ではなく、学問を預かる側であるはずの、学術会議自身なのではないか。
まさに、「学問の死」を招いたのは、外部の敵ではなく、内部の堕落ではなかったか。
「学者の国会」を自任するのであれば、小沢隆一が会員に選ばれるような事態はあり得ない。
この任命劇のあまりの愚劣さが、学術会議全体の信頼を地に落とした。
そして、それが許されてはならないのも確かである。
しかし、「違法だが理解できる」という感覚が社会に共有されたのだとすれば、それはもはや、政権批判だけでは済まされない問題だ。
この狂騒曲の結末がこうなったのは、当然ではないか。
下記の記事を読んで、明治時代辺りの「脱亜入欧」「西洋化」が夫婦同姓へ強く影響したという論考があり、これについては同意せざる得ない。
1896年に制定された明治民法では、一転して夫婦同氏制が採用された。決め手となったのは「西洋化」だったことを特筆しておきたい。1895~96年に開催された法典調査会で法学者の梅謙次郎は、「支那の慣習」である夫婦別姓を退け、「欧羅巴ては昔から極まつて居る規則」の(と当時は見えた)夫婦同姓を採用すべしという、脱亜入欧的な説を展開した(施「明治民法はなぜ夫婦同氏制をとったか」)。
ただ、この論考を採用すると日本は過去の時代に側室や妾が認知されており、どんなに遅くとも公的には1870年(明治3年)に妾は妻と同等の二親等であると定められた。税制や相続においては妻と同等の二親等の権利を得られないが三親等と同等の権利が保証されていた。
しかし、1898年(明治31年)の戸籍法改正に拠って、妾とその子供は従来の夫の戸籍から外れ、現在の人権意識から考えると驚くべきことに相続に関する権利まで戸籍から外れるとともに失われてしまった。
この廃妾が行われた理由は「夫の姦通(浮気)では離婚事由にならないのに妻の姦通は離婚事由になるので不平等である」という観点のもと行われたが、その背景には脱亜入欧の文明開化に影響を受けた、男女同権論、婦人解放運動があったのは当時の帝国議会記録を見ても明らかであり、妾の存在を無視して日本の氏姓・婚姻制度の歴史を語るのは非常に無理がある。
脱亜入欧と敗戦の結果に夫婦同姓が加速し夫婦同姓は作られた伝統なのであれば、脱亜入欧と敗戦の結果に一夫一妻制が加速し一夫一妻制は作られた伝統であるのは日本の歴史として紛れもない事実であり、現在の人権意識で夫婦別姓を提唱するのであれば現在の人権意識で婚姻形態の自由化も求めなければ姿勢として誠実でないと言える。
氏姓と婚姻形態は別軸であると語る者が居るかも知れないが、これらは同時期に議論され改正され日本に定着した制度・文化・意識だ。戸籍の改正という1つ議題として扱われていたのに片方(氏姓)を尊重し片方(婚姻形態)を蔑ろにするのは現在の人権意識から言って明らかに間違っている。
日本の一夫一妻制は妾とその子供の人権的犠牲の上に成り立っており、現在の人権意識でこれを評価するのであれば是正すべきで、妾とその子供の保障を日本国議会は行わなければならず、しかし当時に生きた人はもう既に亡くなっていると考えられ時効も成立しているはずなので、形の上だけでも日本国議会は妾とその子供の名誉回復を議決すべきだ。
そして更に、現在の人権意識でこれを評価するのであれば一夫多妻制という不平等な制度ではなく一妻多夫制も認め、妾および男妾の民法上の権利は相続も含めて夫または妻と同じ二親等と同等であると定められるべきだ。
何故か、社会学者(とその周囲の界隈)が口にする「日本の夫婦同姓は作られた伝統」では一夫一妻制よりも長期間存在したはずの妾(側室)が無視されがちで、しかも夫婦同姓と共に妾の是非は議論されていたのにも関わらず、まるで存在しなかったように扱われている。
これはどう考えてもおかしいのだ。過去に振り返って氏姓の在り方を論考するのであれば婚姻形態の在り方も必ず論考されなければならないはずなのに、まるでそこには触れて欲しく無いかのように妾の存在が言及されない。
この発言者は現状の分析で十分掘り下げたつもりであり、更なる深掘りをしようという意欲がないようですね。
そのような状況を踏まえ、いくつかアドバイスを提示させていただきます。
現状の分析は、特定の視点に偏っている可能性があります。物事を多角的に捉えることで、より深く、本質的な理解に繋がることを認識してもらう必要があります。
異なる立場からの視点: 問題に関わる様々な立場(被害者、加害者、関係者、一般市民、海外投資家など)からの視点を想像し、それぞれの立場からどのように問題が見えるのかを考えてみることを勧めます。
歴史的・社会的な背景: 問題が発生した背景にある歴史的な経緯や社会的な構造を理解することで、問題の本質に迫ることができます。過去の類似事例を研究することも有効です。
専門家の意見: 関連分野の専門家(社会学者、法学者、経済学者、ジャーナリストなど)の意見や分析に触れることで、自身の分析の偏りや不足に気づくきっかけになります。
現状の分析は、情報不足に基づいている可能性があります。より多くの情報、特に一次情報に触れることで、分析の精度を高めることができます。
一次情報へのアクセス: 関係者へのインタビュー、公的機関の発表資料、報道記事の原文など、一次情報にアクセスすることを勧めます。
情報源の多様性: 特定の情報源に偏ることなく、複数の情報源から情報を収集し、情報の信憑性を検証することが重要です。
データに基づく分析: 統計データや客観的な事実に基づいた分析を行うことで、憶測や印象論に偏った分析から脱却できます。
自身の分析を客観的に見つめ直し、批判的に考察することで、分析の弱点や矛盾点に気づくことができます。
反証可能性の検討: 自身の分析を否定するような事例や反論を意図的に探し、自身の分析の妥当性を検証することを勧めます。
論理的整合性の確認: 分析の論理展開に矛盾がないか、飛躍がないかを丁寧に確認することが重要です。
他者からのフィードバック: 他者(特に異なる意見を持つ人)に自身の分析を提示し、フィードバックを求めることで、客観的な視点を得ることができます。
知的好奇心は、探求の原動力となります。問題に対する興味や関心を深めることで、更なる深掘りへの意欲を高めることができます。
関連書籍やドキュメンタリーの紹介: 問題に関連する書籍やドキュメンタリーを紹介し、知的好奇心を刺激することを試みます。
議論への参加: 問題に関する議論の場に参加し、様々な意見に触れることで、新たな視点や疑問を発見するきっかけになります。
自身の分析が絶対的に正しいと思い込むのではなく、常に学び続ける姿勢、謙虚な姿勢を持つことが重要です。
「わからない」ことを認める: 自身の知識や理解には限界があることを認識し、「わからない」ことを素直に認めることが、更なる学びへの第一歩となります。
他者への敬意: 異なる意見を持つ人に対しても敬意を払い、対話を通じて相互理解を深めることが重要です。
これらのアドバイスは、相手の知的好奇心や向上心を刺激し、より深く掘り下げて考えることの重要性を認識してもらうことを目的としています。相手の性格や状況に合わせて、適切な言葉遣いや伝え方を工夫することが大切です。