2025-06-13

学術会議問題とは何だったのか

学術会議問題、その真の核心はいまだ深く理解されていない。

メディアも、政治家も、多くの学者たちさえも、問題本質を見誤っている。

だが、はっきりさせておこう。

学術会議問題の核心は、「小沢隆問題である

そこを直視しなければ、議論はいつまで経っても空回りするばかりだ。

すべての発端は、任命拒否だった。

この一事から出発せずして、真相にたどり着くことはできない。

なぜ任命拒否問題となるのか。

その理由は明白だ。

一つには、その法的違法性がある。

学術会議法に照らしても、また法治主義理念に照らしても、菅政権による任命拒否は明らかに違法だった。

法を正しく解釈し、学問独立という原則理解する者であれば、この点については疑いようがない。

だが、問題はそこで終わらない。

なぜなら、拒否された6名の中に小沢隆一がいたからだ。

この一点が、問題根本から複雑化させた。

法学者のうち、彼を被任命者として「適当」だと本気で考える者が、はたしてどれほどいるだろうか。

まり、こう認識せざるを得なくなる。

任命拒否は「違法ではあるが、結果としては妥当だった」と。

ここで比較をしてみよう。

岡田正則と松宮孝明

この2人の論は、確かに独特であり、政治的色彩も濃い。

だが、同時に、彼らは圧倒的な学術的業績を有する、現代日本代表する研究者たちであることもまた否定できない。

行政法を専門とする者で岡田を知らないなら、それは基本的学問修養が欠けている証だ。

刑法を専門としながら松宮を知らぬ者は、当然、リサーチ不足を自覚すべきだろう。

では、小沢隆一はどうか。

憲法学を専攻する若手の院生たちの中には、そもそも彼の名前すら知らなかった者も少なくない。

それは無理もない。

若い頃に若干の著作があったことを除けば、彼はその後、学問的な貢献をほとんど果たしていない。

それにもかかわらず、彼が日本学術会議の会員に任命されようとしていたという事実

これこそが、政権批判する「学術会議の閉鎖性」「仲間内人事」「学問政治化」の実例ではないか

学術会議は猛省すべきだ。

真に猛省せねばならないのは、政権ではなく、学問を預かる側であるはずの、学術会議自身なのではないか

まさに、「学問の死」を招いたのは、外部の敵ではなく、内部の堕落ではなかったか

学者国会」を自任するのであれば、小沢隆一が会員に選ばれるような事態はあり得ない。

この任命劇のあまりの愚劣さが、学術会議全体の信頼を地に落とした。

任命拒否という法の逸脱を政権が行ったことは事実である

そして、それが許されてはならないのも確かである

しかし、「違法だが理解できる」という感覚社会に共有されたのだとすれば、それはもはや、政権批判だけでは済まされない問題だ。

学問の自由」は「学問堕落」を許すものではない。

この狂騒曲の結末がこうなったのは、当然ではないか

愚劣な任命から始まった以上、その崩壊もまた必然だったのだ。

  • 社会学者としての功績は無視してるのかな? 彼の護憲活動や著作は社会学者としては国内有数のレベルだよ 全国各地での講演などで日本全土で活動しているし日本を代表する社会学者と...

  • 研究には金が必要 でも国から出ている研究費はどんどん縮小されている 民間も、研究に対する投資はあまりやらない。 教育だって、ほとんどの人は国がやってくれると認識してるじゃ...

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