はてなキーワード: 原著とは
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
俺は別にモテるわけでもモテないわけでもない普通の30代だが、進化心理学(evolutionary psychology)のオタクだ。ピンカー、トリヴァース、ダンバー、バス、このあたりの本は原著で読んでる。日本語で読める本もだいたい読んだ。
で、最近またTLに「若者の恋愛離れが深刻」「日本の恋愛は終わった」みたいな記事が流れてきて、そのブコメが地獄みたいになってるのを見て、もう我慢できなくなったので書く。
まずこの前提からして間違ってる。
1960年代まで日本の婚姻の過半数は見合いだ。見合い。当事者の恋愛感情で結婚してたんじゃなくて、制度的マッチングシステムが高効率で回ってただけ。昔の高い婚姻率は「恋愛力」の高さじゃなくて、社会的圧力の強さを反映してたにすぎない。
つまりお前らが「昔はよかった」と思ってるのは、認知心理学でいう衰退主義(declinism)——過去を自動的に美化する脳のバグだ。ついでに言えば「未婚率3割!」みたいなショッキングな数字ばかり記憶に残るのは可用性ヒューリスティックのせいだ。お前らの直感は二重にバグってる。
進化心理学の基本中の基本だが、人間の配偶者選択(mate choice)は自由にやらせるとアソータティブ・マッチング(似た者同士の組み合わせ)を強く志向する。知能と知能、社会経済的地位と社会経済的地位が引き合う。
見合いシステムはこの自然な選好を部分的にオーバーライドしてた。「とにかく結婚しろ」という圧力で、本来ならマッチングしなかった組み合わせまで婚姻に押し込んでた。
それが消えた。
見合いの消滅は「恋愛力の低下」じゃなくて、抑圧されてた個人の選好が解放されたプロセスだ。選択の自由度が上がった結果としての非婚は、多くの場合、合理的な意思決定の帰結。これを「問題」と呼ぶなら、お前は自由そのものを問題だと言ってることになる。
ここからが本題。ブコメで「男がだらしなくなった」「女が高望みしすぎ」って言い合ってるやつら、両方間違ってる。
トリヴァースのパレンタル・インベストメント理論(1972)。哺乳類のメスは妊娠・授乳という巨大な生物学的投資があるから、配偶者選択においてより選り好みする(choosier)。これは人間でも同じ。
で、女性が経済的に自立して結婚の「必要性」が消えた社会で何が起きるか。女性の選択基準は下がるんじゃなくて上がる。もう生存のために妥協する理由がないから当然だろ。
一方の男性側は、かつて「安定した職と収入」だけで市場に参入できたのが、それに加えて「情緒的知性」「家事育児へのコミットメント」「身体的魅力の維持」まで要求されるようになった。
出生動向基本調査(2021)の「交際相手のいない未婚男性が約7割」ってデータ、これは怠惰な若者の増加じゃなくて、配偶者市場の参入障壁が構造的に上がったことを反映してる。ジェンダー平等の進展がもたらした論理的に不可避の帰結であって、誰が悪いとかそういう話じゃない。
ここで「じゃあ男を鍛えろ」とか「女は妥協しろ」とか言い出すやつ、お前は進化の力学に対して精神論で対抗しようとしてる。無理だ。
これ言うやつ多すぎるので潰しておく。
反証その1。マッチングアプリの利用率が日本よりはるかに高い欧米では、未婚率の上昇は日本ほど劇的じゃない。テクノロジーが原因なら、より浸透してる社会でより深刻になるはずだろ。なってない。
反証その2。リクルートの調査では2020年代に結婚したカップルの約4分の1がアプリ経由。テクノロジーは出会いを殺すどころか、出会いのチャネルを史上最大に拡張した。
「でも選択肢が多すぎて決められないんだよ」って反論が来るのはわかる。バリー・シュワルツの選択のパラドックス。確かにそれはある。だがそれは豊かさと自由の副産物であって、テクノロジーの「罪」じゃない。選択肢が少ない時代に本気で戻りたいやつ、いるか? いないだろ。
ここが一番言いたいこと。
「草食系男子」は2006年に深澤真紀が作った言葉だが、国内外のメディアで「男性性の衰退」「覇気のなさ」の象徴として消費されてきた。
ピンカーが『暴力の人類史(The Better Angels of Our Nature)』で論じたテーゼ。人類社会における暴力の長期的減少は、共感力の拡大と自制心の文化的涵養によって達成された。男性の「攻撃性」の低下と性的な積極性の低下は同じコインの裏表だ。
つまり「草食化」は男性の劣化じゃなくて、文明化プロセス(civilizing process)の日本的な発現だ。ノルベルト・エリアスが中世ヨーロッパの宮廷社会で記述したのと同じ力学——衝動の抑制、他者の感情への配慮、暴力的手段の忌避——が、21世紀の日本の若い男性にかつてなく深く内面化された。
ハラスメントの感度が上がり、同意(consent)の概念が浸透し、「しつこく口説く」ことが社会的制裁の対象になる社会で、男性がアプローチに慎重になるのは正常で合理的な適応(adaptation)だ。病理じゃない。
それを「覇気がない」って笑うやつ、お前は暗に「もっとハラスメントしろ」って言ってるのと同じだぞ。気づいてるか?
言葉が強くなるのは許してほしいが、これは本気で言ってる。
出生率の低下は恋愛頻度よりも、養育コストの経済的・心理的上昇とはるかに強い相関がある。合計特殊出生率が高い先進国——フランスや北欧——は「恋愛文化が活発だから」じゃなくて、充実した育児休業、公的保育、住宅政策で養育コストの社会的分散を実現してるから出生率が高い。
日本の少子化対策が自治体の婚活イベントやマッチング事業に予算を突っ込んでるの、あれはパイプの漏れを直さずに蛇口の水量を増やしてるのと同じだ。子育てのコストとリスクが個人(とりわけ女性)に集中する構造を変えないかぎり、出会いの場をいくら作っても出生率は動かない。
ここにブコメで「正論」ってつけるだけじゃなくて投票行動に反映してくれ。頼む。
ここまで読んで「じゃあ全部終わりじゃん」って思ったやつ、待て。俺は進化心理学オタクであって悲観論者じゃない。
データをちゃんと見ると、日本は親密性(intimacy)の新しいモデルを世界に先駆けて実験してる社会だ。
その1:非婚パートナーシップの多様化。 事実婚、週末婚、LAT(Living Apart Together)。法制度が追いついてないだけで、実態としては着実に広がってる。「結婚できない」じゃなくて「結婚という制度がニーズに合ってない」ことへの合理的応答。
その2:親密性のポートフォリオ化。 恋愛的親密性のすべてを一人のパートナーに集中させるモデルから、友人関係、オンラインコミュニティ、趣味のつながり、ペットとの関係など、複数ソースから情緒的充足を分散調達するモデルへの移行。投資理論のポートフォリオ分散と同じ構造。リスクヘッジとして合理的。
その3:テクノロジー媒介型の親密性。 VTuber、推し活、AIコンパニオン。「代替恋愛」「現実逃避」って嘲笑されがちだが、人間の脳は社会的絆を形成するとき、相手が物理的に存在するかどうかを厳密には区別しない。オキシトシン系の神経回路は声や文字のやりとりでも活性化する。テクノロジー媒介型の親密性を「偽物」と断じるのは、社会脳(social brain)の可塑性を舐めてる。
二つだけ確実に言えることがある。
1. 婚姻率と出生率が1960年代に「回復」することはない。 個人の選択の自由が拡大した社会が自発的にその自由を返上した前例は歴史上ほぼ存在しない。社会は新しい均衡点を見つけるのであって、古い均衡に戻るんじゃない。
1. 恋愛が消滅することもない。 ロマンティック・ラブの神経基盤——腹側被蓋野(VTA)のドーパミン報酬系、前帯状皮質の愛着回路——は数十万年の進化で配線されたものだ。数十年の社会変動で消えるわけがない。変わるのは恋愛の「インフラ」であって恋愛への「衝動」じゃない。
日本の恋愛の未来は、崩壊でも回復でもなく、再構成(reconfiguration)だ。進化が俺たちに与えた欲求と、文明が俺たちに与えた選択肢のあいだの、終わりなき交渉の最新章にすぎない。
そしてこの交渉の結果を、あらかじめ「衰退」と名づけてしまうのは、人間という種の創造性に対する、あまりにも安い賭けだと俺は思う。
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追記:ブコメで「お前がモテないだけだろ」って書くやつが絶対いると思うので先に言っておくが、俺の交際ステータスとこの分析の妥当性は独立事象だ。それを混同するのは人身攻撃の誤謬(ad hominem fallacy)な。進化心理学の前にまず論理学やってこい。
洋書といえば紙に書かれているのは単一のフォーマット・フォントの活字だけというイメージがあるが、
そうすると洋書の自己啓発書ってどうなっちゃってるんだろうか?
日本の自己啓発書はだいたい二色擦り異常だし、下線を引いたり、枠とかあってそのなかに文字を書いたりとか本文のページも「洋書」より込み入ったデザインになっていることが多い。
もしかして視野が狭いだけで7つの習慣の原著の本分とかも普通に日本の自己啓発書みたいになってるんだろうか?
dorawiiより
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とある企業でAさんがそれを実装した”ソースコード(X)”は、多くの場合は職務著作として著作権の権利者は”とある企業”になる。
別の会社でAさんがワークフローを実装すると依拠性を満たしうる。類似したコードなら依拠性、類似性両方を満たす。かつ、Aさんはソースコード(X)の権利者ではないのでとある企業に複製権などの許諾を得る必要がある。
余談。
アイデア表現2分論てきには、ワークフロー自体は基本的にアイデア側。ソースコードが表現。(複雑かどうかはアイデアかどうかと別)(著作権的にはワークフロー自体はパックてOK.ただ不正競争防止法等の別の問題はある)
ただ、ワークフローの粒度、例えばデータ構造やDBのスキーマなど詳細になると表現と判断されうる。この境界値は最終的には裁判所ガチャ。
もっとも、ワークフロー自体が表現だと判断されても、とある企業のワークフローと別の会社のワークフローは、Aさんみたいのがかかわっていなければ独立著作として問題ない。
そのうえでとある企業のコードを知っているAさんが別の会社でも実装すると先と同じ結論になる。
余談2。
職務著作ではなくソースコード(X)の権利者がAさんの場合(著作権の譲渡契約などしていない)、別の企業で実装しても自身が権利者の為問題はなくなる。
しかし、職務著作でない場合でもとある企業のワークフローがアイデアで無く表現と判断されるレベルの場合、ソースコード(X)は1次著作ではなくワークフローに対する2次的著作物となる。(とある企業もソースコードXに対して原著作者として権利を有する)
結果、先と同じ問題が起きうる。
問われうる、著作権裁判を起こされる可能性があるであって、著作権侵害であるとは限らない。
スタイルはアイデアに属して、プログラマの手癖(やイラストレーターの画風など)は著作権で保護されない→雰囲気が似ていてても侵害にならない。
誰が実装しても同じようなコードになるようなアイデアである→表現の幅が狭いのは侵害にならない。
その他いろいろ…
ので、実際に裁判してみるとセーフだったりすることもある。
| 作品名 | 公開年 | 脚本 | 興行収入 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 劇場版デジモンアドベンチャー | 1999 | 吉田玲子 | 9億 | 短編(約20分)東映アニメフェア |
| デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム! | 2000 | 吉田玲子 | 21.66億 | 短編(約40分)同時上映作品との合計 |
| ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島 | 2005 | 伊藤正宏 | 12億 | 単独で監督した長編初作品。 |
| 時をかける少女 | 2006 | 奥寺佐渡子 | 3億 | 東映アニメーション退社後 |
| サマーウォーズ | 2009 | 奥寺佐渡子 | 16.5億 | - |
| おおかみこどもの雨と雪 | 2012 | 細田守 / 奥寺佐渡子 | 42億 | 初めて脚本を兼任 |
| バケモノの子 | 2015 | 細田守 (単独) | 58億 | 2015年の年間興行収入2位 |
| 未来のミライ | 2018 | 細田守 (単独) | 28.8億 | - |
| 竜とそばかすの姫 | 2021 | 細田守 (単独) | 66億 | 細田監督作品歴代最高興収 |
脚本書いたほうが稼いでて草w
こりゃ偉い人もなんもいえねーw
(追記)
トラバブクマあつまったら宣伝していいとのことなので宣伝させて頂きます!おまえらイクサガミはもう観たか!?ガチやべーから騙されたとおもって観とけーーー!?
なんか合わんって場合もとりあえず2話の終わりまで見たらすげーから!それでも合わんならもう知らん!
そういえば細田守の話やったな。ワイ独自ランキングは1位👑時かけ・2位🥈サマーウォーズ・34がなくて後藤さんって感じなんだけどどちらも思いのほか興行収入バリ少ないな!3憶……
細田作品はなんかこう普通の映画として「あっちの伏線がこっちにハマって……」みたいな仕掛けがまとまってて面白かったんだがあれは脚本とかの力だったのかもな
オオカミこどもも未来のミライもなんかワイには来んかったわ(ケモ観も相違)
まあかといって時かけのころに戻ってくれ~みたいな感覚も特にないわな
強いて言えば脚本吉田玲子とかで手堅くお仕事モノみたいなの作ってほしいかも
でも今で十分興行収入も強いし独特の感性で国際賞レースも狙えるてるしすごいんやろうな。知らんけど!
日本の法律では映画の著作権は監督にはなく制作会社か製作委員会が得る。(著作者人格権はある)。一方、脚本家は原著作者として著作権を得る。これが売れた監督が自分で脚本をやるようになる理由の1つ。
はーそういうのもあるのな。そういえば細田脚本作品は原作も細田だけど原作ってだけじゃいくら権利あってもカネ的な意味では扱い軽かったりするんだよな?たしか。
出版する自由がないとは言ってないし、個人的には内容には批判的だが出版取り止めを求めたことはない。あの角川の超スピード取り止め中止は、むしろ批判的な当事者達の間でも戸惑いが見られた。
「出版してから批判すればいい」はそうなのだが、出版後にきちんと内容を読んで、これまでの性的マイノリティに対する抑圧や差別の歴史的経緯やトランスジェンダーの医療の現状や内実などについてきちんと学んだ上でしっかりとした中身のある批判をしようとする人はほとんどいなかったと記憶している。(そこまで詳しく学んでいるわけではなかったようだが、比較的頑張っていた人物としては海法紀光がいた。)
詳しくなく、それゆえ批判するだけの知識を持たない人が擁護する言葉は多かった一方で、当事者や詳しい者の中で知識と発信力がある人間がわずかに批判的なコメントをしていたが、数の少なさと取り上げるメディアの少なさで影響力は極めて限定的だったし、そうした意見にはネット上でのバッシングが酷かった。
「出版後に批判すればいい」という立場であの本を擁護していた人々は、責任を持ってトランスジェンダー関係の医療や教育に関わる基礎文献を読み(ほとんど翻訳されていないが、これらの本に「日本語での出版の自由」を行使する者は現れていないので、原著できちんと読むべき)、しっかり批判すべきだとは思う。擁護するだけして、あとはそもそも数が少なく発信力もほとんどない当事者達に任せるというのは、あまりにあんまりだ。自分で言い出したことに責任を持て、と。
ちなみにだが、参政党が直接にあの本を参照したのかはもちろんわからない。ただ、あの本が支えている思想と類似のものであり、あの本を肯定的に読んだ者には支持される発言だろう、というくらいだ。
プログラミング初心者のときに何を作るか考えたときに出たもの。
『やりたいこと』
Kindleで本を読むと行に「〇〇人がハイライトしました」と表示が出てくる。
これを全ての本で見たい。
Kindleだと人気かつ多くの人がハイライトした本でしか表示が出ないが、1人しかハイライトしていない部分もきっと意味があるはず。
電子書籍はページ数が特定できないが、行数は同じなので行数で指定してもらう?
本の要約サービスがいくつかあるが、結局原著を読まないと理解できない。
難しい古典でも「勢いがあるのは120ページか……」とわかればそこまでを目標に読める。
ネタバレ防止になる。
感想を書くのが面倒でも、ページだけ記録すれば感想の代わりになる。
難点
・たぶん儲からない。
・そもそも本を読む人っているのか?
10年前ったら、ソルニットの説教したがる男たちの原著が出て少ししたころか。この辺りから第四波フェミニズムが現れてきたと言われることがあって、その話だろうか。
第一波はざっくりというと市民権における性差別の解消を目指す運動だった。女性の政治参加の問題だ。第二派は参政権とかに限らず、女性の生活はその個人的な次元に及ぶまで家父長制によって形作られていると考え、家父長制からの解放を求めた。これがおそらく今知られている「フェミニズム」のイメージに近いが、時代的には1960年代から1970年代くらいに盛り上がったもの。20世紀後半の第三波になると、女性の間での不均衡が意識されるようになり、第二派の女性のイメージが白人中産階級のそれに偏っていたことへの批判とともに、交差性への言及がなされるようになり、ブラックフェミニストの活動が注目されるようになる。トランスジェンダー問題が起きるのもこの辺りで、第二派のフェミニストには白人主義、ホモフォビア、トランスフォビアなどが見られるという批判が今でも強くある。
で、第四波は第三波の交差性重視の流れは引き継ぎつつ、もっと個々人のことに目を向け、個人個人がSNSなどを通じて情報発信して連帯したり、ともにアクションをしたり、自分の経験を共有したりしながら互いをエンカレッジするというのが重要な運動だと見なされるようになった。
というのが素人の自分の理解。日本では交差性への意識があまり醸成されず、女性の間で生じる権力構造に無自覚なままでなし崩し的に第四波的なメソッドだけは輸入されたという印象があるが。
あれって「コスプレ」っていうジャンルが絶対に一次創作側になれないからくる発想なのかな、と思った。
同人誌(漫画、小説)の場合なら原著者と同人作家は同じ「漫画家、小説家」(=同業種)なので二次創作者は一次創作者に絶対頭あがらない感がある。
売れてないお前(同人作家)が俺(原著者)の人気にあやかって勝手に商売すんなよ、
自分で自分の作品書いて売れろよ、自分自身が一次創作者になれよ、所詮おまえは一次創作では売れる才能のない、他人様の人気にあやかることでしか商売できない弱小作家なんだよ、的な主従関係というか、才能の明確な優劣的なのが背景にあるから。
だから「原著者が同人作家をリスペクト?は?何言ってのおまえ?無能が偉そうにすんなよ」的な感情が(表向きに表明されることはないが)実際ある。
けどコスプレイヤーの場合、原著者とそういう関係にはないんだよな。
本が売れる才能とコスプレで成功する才能って全然別だし。だから「あなたは素晴らしい作品を書きました、そして私は素晴らしいコスプレをしました、お互いにリスペクトしましょう」みたいな発想がナチュラルに出てきてもそんなに不思議ではないのかなと。
コスプレの場合、一次創作で売れるってことが原理的にできないので「人の人気にあやかるなよ、自分の作品作れよ」的な批判もあまり的を得ないってのもある。
似た関係性としては「作家」と「声優」だったり、「農家」と「シェフ」みたいな感じだろうか。源流(作家や農家)の供給(漫画・小説や農作物)がなければ二次創作者(声優やシェフ)は作品(アニメや料理)は絶対に作られないけれども、それぞれの仕事に対してリスペクト持つのは可能だよね、的な意味で。
追記:
それはそれとして、公式に迷惑かけるような活動は慎むべきではあるわな。それはリスペクトを欠いた行いではあるし。
特定作品のキャラクターを自身の代名詞みたいな形で使う活動はよくない、というかリスク高いと思うわ。
自身のイメージダウンがその使っているキャラクターのイメージを損なったり、意図しないイメージが付随してしまう恐れがあるわけだからな。
生成AIが登場して3年ほど、目まぐるしく技術が進歩し様々な活用・導入の事例が見られる一方、批判の声も大きい。
ディープフェイクや偽情報の氾濫を筆頭に問題が多い技術だとは思うので批判されるのもやむなしだと思うが、勘違いで嫌われて騒がれている面もあると感じる。
AIを嫌っている人たちの中でも、以下の4つの勘違いをしている人とは生成AIについての議論はできず、何かやり取りをしたらただの言い合いになってしまうだろうなと思ってしまう。
生成AIが登場して3年ほどになり、解説書もたくさん出ているのに未だにこの手の勘違いをしている人がいる。
生成AIで生成されたものはコピーだの、コラージュだの、キメラトレスだの、生成AIはミキサーだの、「学習と呼ばれる行為は画像データのインポートだ」という言説も見かけた。
StabilityAI CEOのインタビューでの発言を引いて生成AIは検索エンジンだと言っている人もいるみたいだが、生成AIの仕組みを理解していればこの発言が本気かたとえかどうか分かりそうなものである。
生成AIがしているのは複写ではなくても権利上の問題があるのではと指摘されていることももちろん知っているが、「それは間違いですね」の一言で終わってしまうことを言い続けていては生成AIの規制など進まないだろう。
生成AIの権利問題を声高に主張する人のXアカウントを見てみると、必ずと言っていいほど自分が二次創作をしているか、二次創作を愛好していることが分かる。
二次創作は基本的に原著作物の著作権を侵害していると言える。原著作権者が二次創作のガイドラインを出している場合もあり、その場合は原著作権者から著作権侵害を訴えられないことはほぼ確実と言っていいだろうが、ガイドラインを守っていない二次創作が横行していることは周知の事実である(大半の二次創作はガイドラインを守っていると言う人もいるが、二次創作の許可を出していない集英社作品の二次創作が大量にあることだけ見ても、「大半の二次創作はガイドラインを守っている」とは言いづらいと思う)。
「元画像のデータをそのまま使っているわけではない」とか「原作へのリスペクトがある」とか「収益を出していない」とか、最近見かけたものでは「原作の収益を減らしていない」などの理論で二次創作を正当化している人はいるが、正直「二次創作が訴えられていない理由と推定されるもの」か「二次創作を訴えてほしくない理由」としか思えないものばかりで、二次創作が合法であると判断できる理由は1つもない(まあそんなもの出せるわけないのだが)。
別に二次創作をやっていたら生成AIの問題に口を出すなと言うつもりはないし、二次創作は滅びればいいとも思っていないし、仮に生成AIの学習が規制されたからと言って二次創作に即刻影響があるわけでもないと思っているが、知的財産関連の法律の専門家がああでもないこうでもないと頭を悩ませている問題に、「二次創作は合法」みたいな認識で太刀打ちできるはずがない。
一部の人は生成AIの議論の場にクリエイター当事者がほぼ呼ばれていないことが不満のようだが、「私たちが安心して二次創作するために生成AIを規制せよ」みたいなこと言われても、検討する側も困るだろう。
生成AIの権利問題を声高に主張する人のXアカウントを見てみると、実在する漫画の1コマを切り取ったものなど、他人の著作物を投稿している人も結構いる。
一部原著作者が自由に使うことを許可しているものもあるが、そうでなかったらこういう他人の著作物の投稿は完全に著作権侵害である。
これについては「使用した画像の著作権を主張していない」とか「ミームなど、画像を使うのは文化である」とか、およそ言い訳になっていない弁明が見られ、果てはCC0の画像を上に貼り付けて後ろの漫画のコマは写りこみであるとか主張している人もいたが、全部アウトである。
生成AIを漫画村に例えたがる人もいるが、実在する漫画の1コマを切り抜いて投稿する行為は、許可のない複製をして誰でも閲覧・ダウンロードできるところに公開するという、規模は違えどそれこそ漫画村と同じ行為である。
こういうことをしている人にはさすがに生成AIの権利問題について口出しする資格はないと思う。
生成AIについて懸念を述べる人に寄ってたかって悪口を言ったり、クリエイターは用済みみたいなことを言っている行儀の悪い一部生成AIユーザーがいることは知っている。
しかし、2024年9月時点では従業員1000人以上の大手企業の40%弱が生成AI導入をしているといった調査結果があり、こうした企業の従業員の大半は、生成AIを巡るネットでの煽り合い、ののしり合いには関与していないいわゆる「普通の人」だろう。大手企業の従業員でない「普通の人」にも利用は広まっていると思われるし、そもそもどの技術に生成AIが活用されているか全て指摘することは誰にとっても難しいのではないか。
大勢の「普通の人」が使っているから生成AIを認めろと言うつもりはないが、現状の日本では生成AIは活用を推進する方向だ。その状況を覆そうとしている時に、「普通の人」をいきなり「人でなし」と罵倒して改悛を促すことができるだろうか。
現状の法律では、生成AIを単純利用するだけなら違法ではない。しかし、生成AIユーザーを指して犯罪者呼ばわりしている人が散見される。
AI嫌いで騒いでいる人たちの使う言葉が強すぎるために言っていることを聞いてもらえなくなり始めている現状を指摘して、使う言葉に気を付けるように言っている人も見受けられるが、「犯罪者」は十分に強すぎる言葉だ。
また、犯罪者でない人を犯罪者呼ばわりすることは、刑法上でも罪に問われうるという。犯罪者呼ばわりで自分が犯罪者になってしまっては笑い話にもならないだろう。
この勘違いをしている人が一番多いと思う。生成AIを活用した企業・自治体を叩いたり、生成AIを使っていると思しきクリエイターを攻撃したりといった事例は枚挙に暇がない。
しかし、生成AIユーザーを叩いたところで生成AI忌避にはつながらない。
これは「だろう」とか「と思う」といった話ではなく、既に証明されている。
X社は2024年11月、自社で開発している生成AIのGrokを全ユーザーに無料で開放した。このとき、大勢のユーザーがGrokで文章や画像を生成し、こぞってX上で投稿をした。開放当時のブームはとうに去ったが、現在もGrokで生成した文章・画像を投稿するのは普通の行為である。
生成AIユーザー叩きが一番見られるのは何と言ってもX上である。しかしX上で行われた生成AIユーザー叩きは、そのユーザー本人にAI使用をやめさせることはできても、その他のXユーザーたちに注意喚起をする効果はなかったのである(中には普段生成AIを批判しているユーザーがGrokを使用している事例も見られた)。
また、個別の生成AI使用事例を叩くという戦略も、一度にGrokユーザーが増えたため全ユーザーを叩くことができず、効率的でないことが露呈してしまった。
一方、当初は「生成AI活用路線に疑問を呈する人」くらいの意味だった「反AI」という言葉に、X上でのAI嫌いの人たちの振る舞いによって侮蔑的な意味を付与されてしまったということには、AI嫌いな人たちも異論はないだろう。
生成AIユーザー叩きは効果がないどころか、かえってマイナスだったのである。
しかし、AI嫌いな人たちは「叩くことは生成AI忌避に繋がる」という勘違いはしていないかもしれないと感じることもある。
話題だからと生成AIを使ってみたベテランの漫画家は、老害だの才能の枯渇だの後進潰しだのと散々罵倒されたが、国民的と言っていい漫画を現在進行形で描いている漫画家がChatGPT活用についての漫画を投稿した際には、かなり拡散されたにもかかわらず直接批判する声はほぼ見られなかった。
ある国の観光局アカウントがGrok無料開放前にGrokで生成した画像を投稿した際には批判の声が多数寄せられて「蛮族」とまで罵られたが、Grok無料開放後にGrok生成画像を投稿したVTuberは「嫌われたくない」みたいな理由で見逃されている。
要は叩くアカウントを恣意的に選んでいるのである。そこにあるのは生成AIへの問題意識ではなく、生成AIをだしにして誰かを叩きたいという欲求なのかもしれないと感じる。
生成AIが出現して3年くらいになるけれど、未だに受け入れられ切っていないように思う。
色々問題点は挙げられているけれど、一番問題視されているのはやっぱり、学習元になった著作物の著作権。
一方日本では二次創作が大量に出回っているけれど、二次創作はどの法律の専門家に聞いても著作権侵害(の可能性が高い)と言われるだろう。
ファンアートと銘打っていても、二次創作の作品で対価を受け取っていなくても著作権侵害は著作権侵害と解説しているサイトもあるくらいである。
でもコミケなどの即売会では大量の二次創作が出品されているし、二次創作のイラストや漫画をネットに投稿するのはありふれているし、何なら二次創作でグッズ作って売っている人までいるくらいである。
ゴリゴリの著作権侵害である二次創作が全然問題視されていないのはオリジナルの作品の著作権者が基本訴えていないからというのもあるが、何と言っても一般に「そんなもんだから」と受け入れられていることが大きいと思う。
生成AIも「そんなもんだから」と受け入れられてしまえば、今ほど騒がれなくなるだろう(だんだんそうなってきているとは思う)。
「二次創作はオリジナルの作品の宣伝に役立っている」という意見がある。
これは一面の真実であると思っていて、確かに二次創作が出ることで更に知名度が上がったり、原作で描かれなかった部分が補完されてストーリーの解像度が上がったりというポジティブな影響を受ける作品もあるだろう。
一方二次創作はポジティブな創作ばかりではなく、原作とストーリーが変えられてしまったり、全年齢向けの作品が成人向けの展開に改変されてしまったりといったようなケースもあって、必ずしも現著作者にとってありがたいものばかりではないはずだ。
生成AIについても、「創作のコストを下げ、より手軽に創作ができるようになる」という意見がある。
これも使う人が使えば真実だし、そんなものは全く必要ないという人もいるだろう。
見る人が見れば手前勝手な意見だが、全く的外れでもない触れ込みがあるという点において、二次創作と生成AIは似ている。
「自分の作品が生成AIの学習素材にされて自分の絵柄を簡単に模倣されるようになったら皆やる気を失って誰も作品を作らなくなるだろう」という話がある。
これは疑問だと思っていて、二次創作では現著作物のキャラクターを虐待したり、原作では絶対にありえないカップリングにしたり、全く新しいキャラクターを出して番わせたりとかなりひどいことが横行しているが、自分の著作物を好き勝手にされる可能性があるからと言ってオリジナル作品を作るのをあきらめるという話はあまり聞いたことがない(聞いたことがないだけで実はそういう人はたくさんいるのかもしれないけれど)。
むしろ、「生成AIがあるならこれを使えばいいか」という理由で創作をあきらめる人の方が多そうである。
「二次創作の方が楽に人気を集められそうだからオリジナルの作品は作らなくていいか」という人がきっといるのと同じように。
1.自分で描くことをやめて生成AIに頼る人 2.自分で描き続ける人 3.手描きと生成AIどちらもする人の比率は、1.一次創作を諦めて二次創作をする人 2.一次創作をする人 3.どちらもする人の比率と大体同じになっていくのではないかと想像している。
二次創作が広く受け入れられているのは、あまりに普通に行われているので「二次創作が著作権侵害である」ということを知らない人が多いからというのもある気がする。
だから生成AIを批判しない方がいいと言うわけではないが、生成AIが批判されることで著作権に注目が集まり、生成AIが受け入れられていくのではなく、二次創作が拒絶されていく展開もなくはなさそうだなと思う。
コンプリート・シャーロック・ホームズhttps://221b.jp/
シャーロック・ホームズシリーズ(原著がパブリックドメイン)を自分で邦訳して無料公開してくれているサイト
好みに合えば、候補の一つとしてぜひ
二次創作によって付加された創作的な表現(例えば構図とか)は二次創作者
原著作物の創作的な表現(食べ美の見た目、デザイン)は原著作物の権利者が権利を持つ
この為二次的著作物の利用には二次創作者及び原著作物の権利者両方の許諾が必要になる。
二次創作イラストをネットにアップする場合、権利者全員=(二次創作者と原著作物の権利者両方)から複製権、公衆送信権の許諾が必要になる。
許諾を取って二次創作した場合、当然契約内容に二次的著作物の利用範囲...複製権、公衆送信権の許可不許可が含まれるけれど
通信制高校を卒業してB型作業所に通所して6年目になるんだが一向に就職が決まらない。
24歳で資格無し・作業所以外の職歴無しは流石に不味いと本当に焦っているのだがB型ですら上手くいかずトラブルを起こしてしまい通所日数も通所当初より減っている。
癇癪持ちで利用者と喧嘩になって水筒投げつけたり職員に手を振るったりしてしまうし体力が持たなくて週に4日しか作業所に行けてない。
このままだと不味いと思ってこの6年間あらゆる努力をしたのだがほとんど実らないまま辞めてしまった。
普通の仕事で生きるのは難しいと思いネットビジネスで稼ごうと副業に取り組みついこの間まで5年以上やって月1万円を稼げるまで成長したが他の努力を始めるために辞めてしまった(この努力は再開するかもしれない)
障害年金と貯金で生きていくのを目指しミニマリストを目指し断捨離や極端な節約をしていた事もあったが2ヶ月で節約に精神がやられストレスが限界になり辞めてしまった。
SNSやゲームやジャンクフードを絶つ自己啓発も試してみたのだがSNSやジャンクフードはかなり辞められたが人生で一番の趣味のゲームを絶つのはかなりメンタルをやられこれも挫折してしまった(SNSは今も極力絶っている)
自己啓発書もかなり読んでみたのだが自己啓発書の内容に何故かかなりイライラしてしまい実践しようとすると出来ず出来ない自分にイライラしてしまいメンタルを崩し辞めてしまった。(特にまんがでわかる7つの習慣と言う本は読んだだけで蕁麻疹が出て本を床に叩きつけたくなった。ただストーリーにイライラしただけなので原著は悪くないのかもしれない)
アンガーマネジメントを試してみたのだが実践する前に頭が真っ白になってトラブルを起こしてしまい効果が出なかった。
ネットビジネス、ミニマリスト、ゲーム絶ち、自己啓発書、アンガーマネジメントの読書とかなりの努力を試してみたのだがそのどれもが上手くいかなかった。
唯一続けられているのが有酸素運動と朝のラジオ体操と積み立てNISAなのだが運動に関しては体力が付くどころか落ちてしまっており結果が現れていない。
焦りで方向性を見失っており困っている。
そろそろ原著作者に怒られろ
もうやってたら申し訳ないけど、英語圏の文献を読むのはどうだろう?
日本の批評とかは、翻訳があって売れた、話題になった限られた冊数の文献の中で延々とやってる感あるので……最近はマシだけど。負荷はかかるけど、世界は広がると思う。
(もちろん、限られた文献を深く読解することにも価値はあるが、それにしても限られてる、という意味で)
(ハイデガーやベルクソンの研究者だって、最近のちゃんとした人は今までの海外含めた先行研究の蓄積をちゃんと踏まえるから)
いつまでハイデガーやウィトゲンシュタイン、アーレント、よくてローティやバトラーに立ち帰り続けるんだって感じ。
あとは、もちろんやってると思うけど、趣味ならどんどん分野変えていけばいいと思う。映画批評以外にも。
原著出版年が比較的新しく、かつちゃんとした日本の出版社から出てる翻訳書を読むのもおすすめ。和書は出してからしょうもないと判明することあるけど、翻訳書は、原著に価値があるというのがある程度はっきりしてから出すから。翻訳文が読みづらくても、重要度が高くて面白いことが多い。
『マジで名前が思い出せないので心当たりのある人がいたら助けて欲しいんだけど、アメリカの女性の黒人奴隷が実際に書いてた日記がすごく印象に残ってる。』
もう出てるかもしれないけど、ハリエット・アン・ジェイコブス著『ある奴隷少女に起こった出来事』新潮社文庫 、かな。
ただし、邦訳版には下記のような指摘がありまして…
https://togetter.com/li/1660819
「『ある奴隷少女に起こった出来事』の日本語訳で抜けている箇所を原著と対照させながら検証する「目次からしてChapterの数が原著と翻訳で合わない」
この本に限らず、翻訳本は必ずしも原著通りに訳されていないというアレ問題。
例えば段落ごとゴソっと削除されたり、文体のニュアンスが「めっちゃライトでポピュラーじゃね?」とか。
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
| 職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
| 医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
| (男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
| 大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
| 法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
| 大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
| 歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
| その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
| 大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
| 高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
| 研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
| 輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
| 小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
| システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
| 電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?
Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体 Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485
the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,
(彼らの軍隊の指導者は 坂上田村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)
Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を 全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、日本の坂上田村麻呂、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
The Negro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版の Wikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。