はてなキーワード: ネット社会とは
オタクくん、ちゃんと聞いてよね。最近あたしが引っかかってたこと、頭の中でスッキリまとまったからさ。
過当競争ってほんとダルいよねぇ。上はインフレでウハウハしてるけど、下は無秩序でグチャグチャ。
格差しか生まれてないじゃん、オタクくん、分かる?バカみたいだよねぇ、君でも気づくでしょ?
アメリカなんてさ、医療や教育までこのノリ持ち込んでんの、笑えるよね。
世界的トレンドになりかけてるし?巻き込まれるなんてゴメンだよ、オタクくんみたいにボーッとしてるとすぐ飲み込まれちゃうんじゃない?勘弁してほしいわ。
大人が仕事でガチ競争してる業界なんて頭おかしくなりがちだよ。
なのに子どもまで競争に放り込むとかさ、「おかしいのが当たり前」って感覚になっちゃうの、マジヤバいよね。
あたし、「おかしいのが当たり前」で育っちゃったからさ、競争とかやめてマッチングにしろよって思うわけ。
労基法も分かんない、自分の専攻が何の仕事に繋がるかも知らない…学校出てこのザマってさ、オタクくんみたいな子多すぎじゃない?
「生きるのに必要なこと教えてない教育って何?」って思うんだけど、君には理解できないかなぁ、頭痛いわ。
「小中の勉強そこそこできれば就ける仕事」の方が世の中の大半なのにさ
教育水準上げることばっか気にしてる子、多すぎだよね。
小中できてれば大人になってから勉強できるよ、オタクくんでも分かるでしょ?
義務教育は必要。でもマッチング良くならないなら水準上げても無意味だよ、そんくらい気づいて?
「小中の勉強すらできない子が増えてる」とこ。
オタクくんでもそれくらい分かるよね?マッチング以前の問題なわけ。
中学レベルまで勉強できれば「あとは仕事や資格で覚えればいい」って道が残るけど
小中で挫折した子は自分でキャリアアップの道作るとこからだよ。大変そうだねぇ、ふふっ。
分かんないならちょっとヤバいよ、賢くならないと置いてかれちゃうからね、ふふ!
相変わらずだなあ。
「インターネットの発達は情報を民主化し、誰でも平等に意見を発信できるようになる」――なんて言われるけど、実際には“誰でも同じ影響力を持てる”わけじゃないよね。ネットがどんどん洗練されるほど、その頂点に立つのは「一次ソース」を持ってる人たちだって気づいてる?
たとえば、ジャーナリストが現場に足を運んでスクープを撮影し、TwitterやYouTubeで直接流す。その瞬間、その人は既存メディアすら超えるパワーを手にするわけよ。だって一次ソースって、“最初に情報を握る”ってことなんだもん。二次、三次ソースをコピペしてるだけの人たちとは圧倒的に一線を画す。
ネット社会が進むにつれ、「二次情報をどうリテラシー高く扱うか」が大事って言われるけど、そもそも二次情報って基本的に“誰かがまとめたもの”を読むしかないでしょ? いくら「ソースの正確性をチェックしよう」なんて言っても、一次ソースを持ってなければ確かめようがないわけだよね。結局、独自の現場取材や専門家の解釈といった“オリジナルのネタ”を持ってる人が、真実を操作する余地を抱えてる。
じゃあ一般人はどうすればいいの? ――一次ソースの保持者に依存するしかないじゃん。どんなにSNSで「フェイクニュースを疑え!」って声を上げても、一次ソース持ちが「いやこれが本当の事実だよ」って出してきたら、みんな飛びついて拡散しがち。だって自分で現場を確認できるわけでもないし、時間も手間もかかるからね。実はここに、ネット時代の“力関係”の本質が隠れてるんだよ。
考えてみてよ。スキャンダルの真っ最中に、一般人がたまたま撮った写真や動画1本がSNSにアップされただけで、テレビや新聞が右往左往するシーンって何度も見てきたでしょ? ああいうときって、もはやその一次ソース発信者が“世論の方向”を半ば強制的にコントロールしてるようなもの。マスコミがあとから「これは事実です」「いや、これは状況が違います」と言っても、まずは最初の情報が大拡散して既成事実化してるんだよね。
ネットが栄えるほど「スピード感」は増す一方だから、一度バズった情報をひっくり返すのは至難の業。それがたとえ誤解や偏見を含むものでも、「一次ソースを見た!」という事実だけで多くの人がインプットを完了しちゃう。どんなにあとから否定記事が出ようが、一発目の衝撃にはなかなか勝てないし、下手すると“後出しメディア”扱いされて信用を落とす。
言い換えれば、ネット社会は「現場を押さえた者勝ち」の時代とも言えるよね。大手メディアが提供するニュースだけじゃなく、個人のスクープが相次ぐほど、その個人が一気に“インフルエンサー”へ駆け上がる可能性を秘めてる。
彼らがネット上で瞬く間に拡散されて、世論を動かす力を得られる。結果、もともと地位や名声があるわけでもない人が、突如としてマスコミ以上の影響力を振るうことも珍しくなくなるんだよね。
「一次ソース礼賛」がもたらす危うさ
でも、この状況って実はちょっと怖くない? だって一次ソースを握っている本人が、その情報をどう編集するかによって、真実が微妙に歪んだまま拡散されるリスクがあるでしょ。たとえば現場映像も、切り取り方ひとつで大きく印象が変わるし、事実関係の背景説明を省いちゃったら、誤解のタネは山ほど生まれる。
しかも、「一次ソース最強!」って雰囲気になると、ユーザーはそれを疑わなくなる傾向が強まるんだよね。二次情報や専門家の分析を「後出しの言い訳」だと思い込む人も出てくる。そうなると、いよいよ信憑性の検証が難しくなって、“世論”はより一極集中しがち。炎上やデマ拡散が加速しても止まらない可能性すらある。
ネットがどれだけ発達しても、その急激な情報流通スピードを誰も完全にはコントロールできない。けど、一つ言えるのは「真っ先に情報を持っている人」が、“一瞬で世論を動かす力”を手に入れる仕組みが出来上がってしまったってこと。テレビ局だろうが、新聞社だろうが、彼らが一次ソースを独占してた時代は終わりつつある。むしろ一般人や小さな専門集団が、思わぬスクープで社会の空気を変える時代になってるんだよね。
けれど、そんな“情報発信者のパワー”が増すほど、検証も追いつかないまま誤情報が駆け巡るリスクは高まるばかり。今や一次ソースがバイラルを起こした瞬間、オールドメディアもネット民も右往左往し、真実はどこにあるのかわからなくなる――そういう時代に突入してるんじゃないかな。
インターネットが栄えれば栄えるほど、一次ソース発信者が世論を牛耳る。 この仕組みを「当たり前だよね」と受け入れるか、「危なっかしいよね」と警鐘を鳴らすか。あなたはどっちを選ぶ? それを選ぶのもまた、私たち“受け手”が持つ小さなけれど大事な自由なんだろうね。
### **集合白痴**
かつて、そう信じられていた時代があった。
人々が集まり、知識を共有し、互いに議論を重ねることで、**より高度な知性が生まれるはずだ**──と。
今、目の前に広がるのは **「集合知」ではなく、「集合白痴」** である。
---
昔、賢い人々が集まれば **「知性の相乗効果」** が生まれると考えられていた。
しかし、今のネットではむしろ **「愚かさの相乗効果」** しか生まれていない。
例えば、**はてな匿名ダイアリー**。
✅ 知的な問いかけをしても、返ってくるのは **「うんこ」** の話
✅ 少しでも意見が異なれば、まともな議論ではなく **即レスバ** に発展
「集合知」どころか、むしろ **「集団で考えることを放棄した空間」** になっている。
---
### **2. 「考えないことが正解」な時代**
今のネットでは、**「深く考えること」** がむしろバカにされる。
結果、残るのは **「短くて、刺激的で、何も考えなくても受け取れる言葉」** だけ。
✅ **「バカじゃね?」**
✅ **「○○はオワコン」**
✅ **「論破っぱwww」**
人々はもはや **「思考することを放棄し、瞬間的な感情だけで会話する」** 状態に陥っている。
---
ネットの発展とともに、人々の知性は向上するはずだった。
だが、現実は違った。
情報が増えるほど、議論の場が増えるほど、**人々はより愚かになった**。
結果、ネットは **「考えなくても楽しめる情報」** によって支配され、
知的な発信は、**声を上げる前に埋もれていく世界** になった。
---
### **4. では、どうすればいいのか?**
この **「集合白痴」** の時代で、知的な思考を守るにはどうすればいいのか?
✅ **「考えない人たち」と距離を取る**
✅ **「短い言葉で伝える技術」を鍛える**(長文はスルーされる)
✅ **「議論ではなく、実践」にシフトする**(語るより、やる)
もう **「人々が集まれば知性が高まる」** という理想は終わった。
俺もゼロ年代から色んなネトゲやってきたけどMMOに期待するのはもう厳しくね?
一部の高リテラシーパソコンオタクしかネット常時接続してなかった時代だから楽しかったジャンルであって
今のネット社会で日本人にとって楽しいMMORPGを運営・開発できるメーカーは存在しないと思う
それこそブレイン・マシン・インターフェース研究してるmiHoYoがSAOオマージュをいつか作り出す時くらいまでキラータイトルもなくブレイクスルーも起きないんじゃないかな
この世代のおじさんとしてはあの頃の他人と遊ぶ楽しさは良い思い出として心にしまっといて
今は原神あたりの贅沢な作りの探索・育成系のオンラインRPGをやっていたほうが心が豊かになると思う
ほぼシングルプレイだけどその分チーターやらなんやらの悪影響がプレイ体験を毀損することもないし
ネトゲ同様の時限イベント要素はあるけど他人に追いついたりしなくていい分いつはじめてもよく、マイペースに遊べる
そんでMMOよりも時間拘束も少ないしねコンテンツ自体は網羅しようとすると生活系ネトゲ以上にあるけど
まあ課金形態はガチャが主流だけどソシャゲよりは良心的で課金を煽られることもなく無料でも遊べるんだしさ
俺はメイプルあたりからアイテム課金が主流になってくるより前の月額時代からネトゲ漁りしてたけど
今の基本無料アニメ調ゲームの方がやっぱりあらゆる面で進歩してると思うしいい時代になったと思う
ちなみにコンシューマーは高難度志向かもしれんがこのへんのゲームは戦闘コンテンツ等は低難度志向(女性ユーザーでも脱落しない程度)で、キャラやマップや動画等の作り込みでファンを作っていきユーザー離脱を防ぐ方向性だ
古い時代のスキームで作られたオンラインゲームにずっと辛抱強く付き合ってきた人にこそいい機会と思って色々と最近の大型オンラインゲームを触ってみてほしいぜ
一点注意点があるとすれば古臭いソシャゲ的に金を使って気持ちよくなってもらうスキームだった時代のゲームとは作り方が根本的に違うから
いっぱい課金してキャラを凸ったりするよりも、色んなキャラを幅広く取っていって戦略の幅ひろげながら育成を熱心にして回るほうがゲーム的に満喫しやすくなっているという点だ
適したキャラで編成を組んで適した立ち回りをすれば無凸キャラばかりでも余裕な難易度になっているので、考えるのがめんどくさいソシャゲーマーなら凸の力でゴリ押しして全コンテンツ推しキャラでこなすこともできるし(飽きやすい欠点はあるが)
立ち回りとかスキル仕様を覚えて達成感を得るのが好きなネットゲーマーなら月額MMO以下の課金でコツコツ続けるだけでも満喫することもできる
ガチャがあるから相容れないものだと思って敬遠する人も多いんだけど、そうじゃなくて逆に、いろんな種類のプレイヤーを包摂できる形に進化してると思ってくれればいい
30年近くオンラインゲームどっぷり浸かってきた俺が言うんだから信じてくれ
それでもどうしてもMMOに期待するんなら古いタイトル、例えばここ最近でまた盛り上がって収益あがってるマビノギあたりの古き良きMMOに潜っていくしかないと思うね
マビはプレイオネエンジンやめてUnreal Engineに移行する計画もあるらしいしまだまだ潰す気はないはず
そろそろ20周年か
最近、ネット上でよく目にする「キチゲ解放」というフレーズを耳にすると、なんとも言えない違和感を覚える。どこか挑発的で、言葉そのものにネガティブなイメージが詰め込まれているように感じるからだ。テンションを上げたいときや思いきりはしゃぎたいときに使う人がいるのはわかるが、あまりにも荒っぽい表現ではないだろうか。まるで自分の中に隠された“キチガイ”の部分を暴走させることが正義だと言わんばかりで、耳にすると少し身構えてしまう。
もちろん、深い悪意をもって使っている人ばかりではないと思う。単なるおふざけや気分転換のスラングとして「キチゲ解放」なんて言っているケースも多いだろう。だが、そのスラングの裏側にあるデリケートな要素について、考えている人はどれだけいるだろうか。「キチゲ」は「気違いゲージ」の略だという説が一般的らしいが、「気違い」という言葉自体、聞いていてあまり気持ちのいいものではない。ネタとして軽々しく用いるには、あまりにもセンシティブすぎる印象を受ける。
一方で、“キチゲ解放”を愛用する人は、あくまでジョークの範囲内だと主張することもある。自分の中の理性を外して全力で楽しむ、いわば“はしゃぎモード”への突入をわかりやすく表現しているのだろう。実際に何かを破壊したり、他者を傷つけたりするわけではなく、ただ日常のストレスを発散するための合言葉なのかもしれない。とはいえ、その「ただのジョーク」を不快に思う人が確実に存在する以上、他の表現方法を模索したほうがいいのではないかと思う。
そもそも言葉の持つ力は意外に大きい。何気ないひと言で相手を深く傷つけたり、特定の概念を必要以上に貶めたりすることがある。だからこそ、言葉選びには慎重でありたいし、軽々しく差別的なニュアンスをはらんだスラングを多用するのは問題をはらむ。中には「そんなの言葉狩りだ」「表現の自由を制限するな」という反論もあるが、表現の自由と他者への配慮は両立できるはずだ。単に便利なフレーズだからといって乱用するのではなく、どんな言葉を使うかを吟味する姿勢は大切だと思う。
「キチゲ解放」という言葉には、“解放”というポジティブな響きもある。それゆえ、本人としては楽しい雰囲気を演出したいのかもしれない。だが、そのポジティブさが「キチゲ」というフレーズのダークさをより引き立ててしまうようにも感じる。凶暴さや狂気、あるいは暴走を肯定しているように受け取られてしまうリスクは、少なくともゼロではないだろう。そこに加えて、精神疾患や障がいを持つ人々への配慮を欠いた表現だという批判も出やすい。
インターネットでは、言葉尻を真に受けるのではなく、ある種の“お約束”としてスラングを流通させる文化がある。その点は十分理解している。だが、同時にインターネットが社会に与える影響力は大きく、スラングが容易に現実世界にも波及してしまうことを忘れてはならない。表現の受け手は多種多様だし、全員が同じルールのもとで暮らしているわけでもないのだ。そうした環境の中、誰かをいたずらに不快にさせる可能性がある言葉を使うことには、それなりの責任も伴うはずだと思う。
結局のところ、“キチゲ解放”という言葉が醸し出す雰囲気にどう向き合うかは、個々人の価値観によるのだろう。そこに差別的なニュアンスを感じず、単なるネタとして笑い飛ばせる人もいる。一方で、精神的な病や障がいに向き合っている人からすれば、笑いでは済まないほどの不快感を抱く場合だってある。両者の間には深い溝があるかもしれないし、折り合いをつけるのは難しい問題だ。それでも、少なくとも自分はあまり好んで使う気にはなれない。
どのような言葉を使うかは自由だが、それは裏を返せば「誰にどんな印象を与えるかも自由」だということでもある。言葉のチョイス一つで、その人のセンスや思想が透けて見えてしまうのが世の常だ。あえてリスクを負ってまでも「キチゲ解放」という表現を使う魅力がどこにあるのか、素直に疑問に思う。もっとポジティブでユーモアを感じさせる言葉はいくらでもあるはずなのに、よりによってこのフレーズを選ぶ必要があるのか、と考えると引っかかってしまうのだ。
結局、「キチゲ解放」という言葉が好きではない理由は、その背景にある差別的イメージや乱暴さ、そして他者への配慮不足を感じるからだ。楽しさを表す方法や、はっちゃけたい気持ちを表現する手段はほかにもたくさんある。使う場面や相手を選んで、うまく使いこなしている人もいるのかもしれないが、現状では「やめておいたほうが無難ではないか」と思ってしまう。多様な人が交わるネット社会において、一つひとつの言葉にもう少しだけ気を配れるなら、無用なトラブルや傷つきを減らせるはずだ。やはり、「キチゲ解放」というフレーズには、どこか抵抗感を拭えないままでいる。
いつ頃からだろう。ネット上で「野獣先輩」のネタを見かけることがめっきり減った。かつては掲示板やSNS、動画サイトでも無数のMADやコラージュ、替え歌、それから「やりますねぇ」「114514」など、淫夢語録が飛び交い、いたるところで野獣先輩を祭り上げるような風潮があったはずなんだけど、最近はそういうネタを積極的に楽しむ層が目に見えて少なくなってきた気がする。あれだけネット上を席巻した野獣先輩はいったいどこへ行ってしまったのか。もう“ブーム”という意味では完全に過ぎ去ってしまったのかもしれない。
もちろん、いまでもYouTubeで「野獣先輩」と検索すれば、昔アップロードされたMAD作品やキワモノじみた動画の数々が出てくる。そしてコメント欄やSNSの一部では、いまだに「ンアッー!」「イキスギィ!」「先輩!?今なにしてるんですか!?」なんて淫夢語録を使っている人がいるのも事実だ。だけど、いわゆる一般的な流行語として、あるいは“ネタ画像の定番”としての盛り上がりは、ここ数年でかなり勢いを失ったように思う。まるでピークを過ぎたお笑い芸人のように、かつてはテレビをつければ見ない日はなかったのに、ある日を境にパタッと姿を見せなくなった――そんな印象すらある。
言うまでもなく、野獣先輩は元々“某ビデオ作品”から生まれた人物(キャラクター?)であって、その正体については未だに不透明な部分が多い。顔や声はあまりに有名になりすぎたが、名前や経歴などの公式情報がほとんどないまま、それどころか実在さえ疑われる都市伝説の領域になりつつある。そこがまたインターネット時代の想像力を刺激したのか、過剰なまでの二次創作が生まれ、動画やイラスト、コラージュ画像やフィギュア(自作)など、多方面で“発展”を続けていたのが、ちょうど2010年代前半から中盤あたりだった気がする。
当時はニコニコ動画をはじめ、コメント文化が根付いた動画プラットフォームとの相性も抜群だった。コメント欄がスクリプトのように淫夢語録で埋め尽くされ、それをさらに面白がってMAD制作者がネタを増殖させる。あるいは一部のニュースサイトやまとめブログですら、面白半分に野獣先輩ネタを取り上げたりして、「知らない奴はネット初心者」なんて言われるほど浸透していた。Twitter上でも「誕生日おめでとう」「これは草」などの汎用スタンプ的に「114514」を使っている人がいて、一種の“邪道な共通言語”のようになっていたのを覚えている。
しかし、その盛り上がりも徐々に変容していった。一つには、ネットコミュニティの分散化が関係しているだろう。SNSが多様化して、趣味やコミュニティごとに細分化され、それまでニコニコ動画や特定の掲示板で集中して消費されていたコンテンツが、それぞれの独立したプラットフォームでまばらに取り扱われるようになった。そこに加えて、“炎上”や“差別”といったセンシティブな話題への社会的な目が厳しくなったという背景もある。そもそも、野獣先輩が初出のビデオはゲイポルノ。今でこそ多少は寛容になった部分もあるかもしれないが、ネットミームとして消費される過程で、ゲイの人々に対する差別や誤解を助長するような表現があったのは事実だ。それを面白がって繰り返していくことに抵抗を感じる人も増えてきたんじゃないかと思う。
ネットミームは流行り廃りが激しい。しばらく異様な勢いで盛り上がったかと思えば、ある瞬間を境にして興味を失われ、どこにも“ネタ”としての居場所がなくなる。しかも野獣先輩ネタは、興味のない人からすると「意味不明」「ただのホモビデオネタでしょ」という評価になりがちだし、社会全体から見ればかなり“マイナー”な部類に入るわけで。そもそも一般ウケするような題材じゃない。それでも大きく盛り上がったのは、当時のネット文化や動画サイトとの相性、そして一部のコアなファンの狂気じみた創作熱が奇跡的に結びついた結果でもあるんだろう。
さらに、野獣先輩にまつわるデマや過剰な“考察”が広まった結果、本人とされる人物がリアルで迷惑を被っているという噂も立った(真偽は不明)。ネットの海では無自覚に二次創作を楽しんでいただけでも、誰かが被害を受けている可能性がある、という認識が広まれば、それだけで一気に“冷める”人もいる。実際に「ストリートビューで野獣先輩を見つけた」とか「就職先が判明」などといったデマが飛び交う中、面白がっているだけでは済まされない雰囲気になったことも、大きな要因の一つかもしれない。
それと同時に、淫夢界隈というか、いわゆるホモビデオネタ全体が少しずつ下火になったという説もある。昔は「なんでも実況J(なんJ)」板などでしばしば盛り上がったりしていたが、ネット文化全体の主流はもっと別の方向にシフトしていった。VTuberやTikTokの短動画文化など、新しい潮流が台頭し、そこに若い世代の目が向いた結果、野獣先輩界隈のような“十年選手”のコンテンツに新規参入する人が減ったのだろう。お決まりの淫夢語録を使って盛り上がるだけのコミュニティは、古参が固定化して停滞していくばかり――そんな現象が見え隠れしている。
一方で、「ブーム」というほどの熱狂が消え失せたとしても、コアなファン層は一定数残るものだ。何かの拍子に「イキスギィ!」「なにわろてんねん」なんて書き込みを見ると、一部の人々は懐かしさを覚え、それでまた小規模ながら盛り上がりをみせることがある。マイナージャンルの音楽や漫画と同じで、「好きな人だけが好きなタイミングで楽しむ」というスタイルに落ち着いたのかもしれない。かつてのようにニコニコ動画のランキングをジャックするような勢いはもうないけれど、自分たちが愛する淫夢ワールドを守り続けるコアファンがいる限りは、完全な“消滅”とはならないだろう。
ただ、「話題性」という意味でのブームは、もう戻ってこないんじゃないかと思う。ネットミームは消費サイクルがとにかく早いし、過去に何度もリバイバルされた他のネタ(例えばエア本やエガちゃんとか)と比べても、野獣先輩ネタは一度ピークを迎えてから、その余韻を引きずりながらも急激に下火になっていった印象がある。もし今後、野獣先輩を取り上げる大きな出来事――たとえば本人がメディアに登場するとか、公式に何か声明を出すとか――があれば別だけど、その可能性はほとんどないだろうし、あるとしてもまったく予想がつかない。
もう一つ言えるのは、ネット社会自体が“ネタ”に対して敏感になっているということだ。SNSの拡散力やモラルへの意識が高まった結果、差別や迷惑行為に該当するコンテンツは批判されやすい。野獣先輩ネタは本質的に“ホモビデオ出演者をネタ化して面白おかしく広める”という構造があるから、やはり批判されるリスクも高い。インターネットの一部コミュニティだけで楽しむ、いわゆる“内輪ネタ”としてなら成り立つかもしれないが、外部への広がりを目指すとなると、今の風潮ではどうしても厳しいだろう。
となると、自然に考えて、野獣先輩のブームが再燃するシナリオは想像しにくい。むしろ今はもう「懐かしいネタ」や「一部でコソコソ盛り上がるカルト的な存在」として消えていく運命にあるのかもしれない。かつての勢いを知っている人からすると、あの狂乱の時代が嘘のようだと思うかもしれない。ネット上の祭りとは、えてしてそういう儚さを伴うものだ。盛り上がるときは一気に爆発するけれど、それが長く続く保証はどこにもない。むしろ急激に消費されるからこそ、一種の“バカ騒ぎ”として鮮やかに記憶に刻まれるのだろう。
もっとも、完全に誰からも忘れ去られるかと言えば、そうはならないと思う。インターネットの大海原には、かつて作られた無数の動画や画像、スクリプト、テキストが残っている。ふとした拍子に目にした古いMAD動画から、若い世代が「なにこれ…?」と興味を抱くことだってあるかもしれない。まるで化石のように眠っているアーカイブのなかで、野獣先輩という存在はいまだに息づいている。見つけた人が手を加えれば、また新たなネタとして蘇生する可能性だってゼロではない。だが、それはあくまで局所的なものであって、再び大衆を巻き込むようなブームになるとは考えにくい。
思えば、野獣先輩があれほどまでに取り上げられたのは、ネットミームの“暗黒面”を象徴するかのような要素が詰まっていたからでもある。アングラ感、不条理ギャグ、謎の考察文化、コラの素材としての汎用性、そして大衆から見ると“ネタにしづらい”危うさ。それらが絶妙に交じり合い、奇妙な熱狂を生んだ。だが、その熱狂は時代とともに下火になり、今や「ブーム」と呼べるほどの勢いを残してはいない。淫夢語録を使ってキャッキャ盛り上がる文化は、いまや一部の“伝道師”たちのものとなったのだろう。
「もう野獣先輩のブームって消えたよね」と言われれば、正直「うん、消えたと思う」と答えるしかない。もちろん“好きな人は好き”という段階で存続しているのも確かだが、少なくともネット全体を席巻するほどのパワーはもはやない。あの独特のネットスラングや淫夢語録を見かけたとき、「そういえばそんなネタもあったな」と懐かしむ人が増えた時点で、ブームは終焉を迎えたのだ。
ただ、ネット文化において「ブームの終わり」がイコール「完全な死」を意味しないのは、これまでも繰り返し目にしてきた通りだ。野獣先輩ネタも、“隠れ里”のようなコミュニティや、昔を懐かしむ古参ユーザーの間で、細々と脈打ち続けるだろう。いつかまた世代を超えてリメイクされる瞬間が来るかもしれないし、さらにマイナーな世界へ潜っていくかもしれない。結局のところ、“生きている”かどうかよりも、“楽しむ人がいる”かどうかがネットミームにとっては重要なのだ。
では、われわれは今後、野獣先輩のブームをどう捉えればいいのだろうか。答えは、あまり深く考えすぎなくてもいいんじゃないかと思う。所詮、ネットの一大ネタ祭りだったのだから。盛り上がるときはとことん盛り上がり、廃れるときは静かに廃れる。次から次へと新しい話題が生まれ、消えていくのがインターネットの常だ。たまたま“ナゾの多いホモビデオの出演者”というインパクトが重なり合って、一瞬の閃光のように注目を浴びただけのことかもしれない。
それでも、かつてのインターネットの一角を彩った壮大な“お祭り”であることに変わりはない。あの時代をリアルタイムで経験した人は、きっと「やりますねぇ」「ンアッー!」なんて語録を見るたびに、あのカオスな日々を思い出して苦笑するだろう。そんなふうに、野獣先輩のブームは過去のインターネット文化を振り返るうえで、ひとつの象徴として語り継がれる可能性がある。これこそが、ブームが去ってもなお、どこかの片隅で語られ続ける“ネットミーム”の宿命なのかもしれない。
結論としては、もう「野獣先輩」のブームは確かに消えてしまった。かつてのような大規模な盛り上がりを再現することは難しいだろう。しかし、それでも完全に消え去ったわけではなく、いまでもどこかでひっそりと愛好され続けている。「ブームが過ぎ去ったあとにこそ、本当のファンが残る」なんて言い方もあるけれど、まさにそういう状態だと思う。表舞台には出なくなったが、インターネットの奥底ではまだ生きている――それが野獣先輩という“伝説”の現在形なのだ。いずれにせよ、もう一度あの規模の“祭り”が起きることは、たぶんないだろうし、仮に起きたとしても、それはもう“別物”なのかもしれない。人々の記憶の中でしか語り継がれないような、そんな“終わり方”もまた、ネットミームには相応しいのかもしれない。
https://togetter.com/li/2478569
このブコメみてて思うけど、ブクマカは昔から変わらずに社会民主主義が好きそうなのに政党としてはその真逆みたいなのが好きだよね
昔から比べると共産党支持ブクマカは明らかに減っているけど、それ以上に小さい政府志向が増えているのは間違いないよね
ちょっと前までは新自由主義を叩くのが当たり前だったのに、どうして流れが変わったのだろうか
ブクマカは一人ひとり違うとか総体じゃないとか言いたくなるんだろうけど、1週間くらい追いかけると支離滅裂なブコメを残してるIDがいくつも見つけられるよね
そのIDを挙げると運営に怒られるからしないし、支離滅裂ではなくアンビバレントと表現すべきかもしれない
家族についての「キーパーソンを決める」が周りの人間にとってはとても重要。
癌はもはや当たり前な病気のひとつなのに、いざ自分の身内がなると我が家はちょっとしたパニックに陥った。
周りがバタバタすると本人にもストレスがかかる。最終的に舵取りを決めて役割分担をした。
本人次第とは言ってもそこは力になりたい一心で意見がぶつかることもある。
万が一癌が治療しきれずに残念な結果になればきっと後悔すると思うからだ。
そして決めたなら医者を信頼する気持ちを持つことも大事だと思った。
これもまた家族内で揉める原因の一つになりえる。
今シーズン、巨人は4年ぶりの優勝を成し遂げたが、CSで3位横浜に敗北して日本シリーズに出られず。
そして勢いそのままに、横浜が絶対王者ソフトバンクホークスを倒し、日本一に輝いた。
彼らの歓喜の瞬間を見届けていたとき、胸に2つの大きな感情が渦巻いていた。
そしてもう一つは、ハッキリ言葉に表すことは難しいけれど、おそらく"虚しさ"のようなものだと思う。
"日本一"というタイトルに対する、今の巨人ファンの執着は物凄く強いものがあると思う。
最後に日本一になったのは、ちょうど干支が一周する前の2012年。
そこから12年連続での逸日本一自体が球団ワースト記録を更新中…というのもあるんだけど、ことはそう単純ではない。
日本一の翌年、2013年の日本シリーズは楽天と歴史的な戦いを繰り広げた末、3勝4敗で敗北。
シーズン無敗の主人公・田中将大に唯一負けを付けたりとか良い場面もあったし、まあここまではまだ良かった。うん。
問題は次の2014年からの11年間、ここからが苦難の始まりだった。
もちろん、巨人よりも長く日本一から遠ざかっているチームも広島・中日・ロッテ・西武と4つくらいはある。(もう4つしかないとも言えるが)
この11年間でシーズン優勝4回、Aクラス8回、残り3年も僅差の4位…と、12球団全体でみてもソフトバンクに次ぐ戦績を残していること、
そしてこれだけシーズンで安定して好成績を残していながら、この11年間、日本シリーズでたったの1勝も出来ていないことである。
4回優勝したうち、2回は日本シリーズに出ることすらかなわず、CSファイナルで2位以下のチームに敗北。
そして残り2回は、ファンのトラウマでありアンチの笑い種…どこらかもはやアンチ巨人すらドン引きさせた感のある、
2019-2020の伝説的な対ソフトバンク連続被4タテ(計0勝8敗)だ。
特に2020は、間違いなく史上最悪の日本シリーズと言っていい、あまりに一方的なやられ方だった。
2005年阪神の"33-4"がネットミーム化で目立ってるおかげでちょっと隠れられてるけど、
あらゆる面で2020巨人の方が情けなく、惨めで、恥ずかしい、史上最低のチームだったと思う。
(どこがどう酷いのかを語りだすとキリがないので、ここでは割愛するが…)
そもそも、あの2020年はコロナ特例で例外的にCS開催無しで日シリに進出出来ちゃったため、
あの年CSが通常通り開催されてれば、チーム状態のマズさ的にCS時点ですでに敗退してた説が濃厚だったりする。
とすると、1勝+本拠地開催のアドバンテージがある首位の立場でのCSファイナルで、実質3/4年も敗退していたような体たらくということに。
首位チームのCSファイナル突破率が80%(巨人除くと85%)なことを踏まえると、驚異的な弱さといえる。
なお。逆に巨人が2~3位だった4年間では、CS1st(2位vs3位)は3/4回と高確率で勝っているものの、
首位球団とのファイナルでは、1勝3敗、0勝3敗、0勝3敗とあっさり返り討ちに合っており、下克上の予感など微塵も感じさせてくれない。
つまるところ、この11年間我々は、
ポストシーズンの短期決戦になったとたん、嘘みたいに激弱チームになってしまって、
143試合で積み上げて熱量を、その後のたった数試合ですべて無に帰されてしまう。
そういう絶望を、ずっと味わい続けているわけだ。
普段の模試では高得点をとれるのに、センター試験や2次試験の本番で大失敗する浪人生を、毎年見守っているような心境だろうか。
ずーっとパリーグ(というかほとんどソフトバンク)の連覇が続いていただが、
2021にヤクルト、2023に阪神と、ようやくセリーグ他球団にも先を越され始めてしまった。
それももちろん悔しくはあったけど、彼らはその年のリーグ優勝チームだったため、まだ気持ちの整理がついた。
特に去年の阪神なんかは、シーズン中もずっとボコボコにやられており、
近年の巨人のどの優勝年よりも強いと感じるチームだったため、
「ここまでシーズンで強いチームを作れれば、日シリでもやっぱ勝てるんだな」と、ある種救いを感じもした。
しかも、シーズン中も割と早くに首位争いから脱落しており、終盤にカープが歴史的失速で一気に4位まで転落したため、ドサクサ紛れでAクラスに浮上したような感じだった。
巨人視点でも、シーズン中は16勝8敗と最もカモにしていたお得意様であり、正直とても日本一になるような気配を感じるチームではなかった。
そういうチームですら、日本一になれてしまったというのは、かなり精神的にくるものがあった。
一応言っておくと、別に横浜の日本一にケチをつけたいわけではない。
シーズン成績がどうだろうと、ルールの範囲内で勝ち取った栄光だし、
シーズン中は弱点だったはずの守備力と投手力が良化していたポストシーズンの横浜は、シーズン中とは別物の強いチームだった事実。
何より、巨人ファンにとっては絶望の象徴でしかないソフトバンクホークスに勝ったんだから、素直に素晴らしいと思う。
CS制度についても…まあ、個人的には巨人関係なく、首位同士の日シリが見たいので一貫してあまり好きではないのだけれど、
シーズン中の消化試合を減らせるうえに臨時収入も入る、興行的には優れた制度なのは理解しているし、
だいたいは首位が勝ち上がれるようにできているアドバンテージのバランスも、絶妙に上手くできている良い制度だと思っている。
…というか、贔屓球団が負けたタイミングで文句を書くのは単純にカッコ悪すぎるので、このタイミングでは触れたくないね。
廃止論もそうだけど、特に、毎回「貯金の差に応じてもっとアドバンテージ増やせ~」みたい言論が出てくるのは、正直惨めすぎて見るに堪えない。
巨人はCS制度で一方的に損しまくってるけど、制度自体はまあ平等なんだから、結局「負ける方が悪いでしょ」という正論には適わないのよね。
2位3位から勝ち上がれるチャンスもこれまで結構もらってる方なのに、横浜と違って全くそれを活かせてないわけだし。
昔はホークスもポストシーズンに弱くて、秋の風物詩とか言われたらしいけど、2018-19の2位から日本一連発で、その風潮を完全に亡き者にしちゃったわけだし。こちらもそうあってほしいものだ…。
ちょっと脱線しちゃったけれど、要は何がキツかったかというと、
うちの贔屓球団は何回優勝しても、シーズンで勝ちを積み上げ続けても、日本一に手が届く気配すらまるでないのに、
余所はシーズン貯金2でも、その日本一になれちゃうんだ…という落差なんだろうなと思う。
巨人も近年、優勝できない年は決まって貯金・借金が±0~5の範囲内程度なので、貯金2くらいのシーズンの空気感は非常に身に覚えがあって、
じゃあその空気感のまま、うちの贔屓が横浜みたく下克上日本一を勝ち取れるかというと、残念ながらその予感は全く感じられない。
微妙なシーズンを10月の数試合ですべてチャラにした横浜を見ていると、
逆に、どうせ10月で毎回全部台無しにしちゃうようなチームを、143試合応援し続けてることが、猶更虚しく思えてきてしまったわけだ。
今年のポストシーズンが始まる前は、かつてないほど「今年こそ日本一に」という、縋るような思いを抱えていた。
あの惨敗の2020年以来の優勝シーズンだったというのが一つと、
「今年はちょっと違うかも…」と、淡い期待を抱かせてくれるような要素が、以下のようにいろいろあったのが一つ
・長らく、FAで大物が獲れた時にしかV奪還出来なかったチームが、FA補強無しで前年4位→首位に変わったこと
・監督が長年勤めていた原監督から阿部監督に変わり、良くも悪くもチームカラーがガラッと変わっていたこと
・最近お決まりだった序盤ダッシュ→後半失速パターンと違い、8月9月の終盤に調子を上げていたこと
・最終盤ギリギリまで続いた優勝争いを勝ち抜き、ポストシーズン同様の「絶対に負けられない試合」を勝つ経験をすでに積めていたこと
加えてそこにもう一つ乗っかってきたのが、エース菅野が35歳の高齢ながらに、来季MLB挑戦することがCS直前にスクープされたこと。
1つは、最後の日本一達成とちょうど入れ替わりで入ってきた選手であるため、
キャリア12年間ほぼずっと一線級で働き、おそらく今年含めて3度もMVPに輝きながら、一度も日本一を味わえていないこと。
本人もインタビュー等でよく「自分が入団してから一度も日本一になれていない」と、強く意識していることを語っていた。
そしてもう1つが、色々複雑な背景から「巨人以外は入団拒否宣言」という手法を使った最後の選手であり、
かつ、強硬指名してきた日本ハムへの入団を実際に拒否→一年浪人してから巨人入りした経緯があること。
こういう手を使ったことで、球界の嫌われ者になったこと自体は選択の結果なのでまあ良いとして、
問題なのは、「あのとき日本ハムに入団していたら…」というifストーリーが出来上がってしまったことだ。
少なくとも2016年に一度、大谷翔平らとともに日本一を達成できていただろうし、
しかも日ハムの体質的に、その後すぐ、ポスティングでMLB挑戦させてもらえていた可能性が高い。
パフォーマンスの最盛期だった2017-18辺りで渡米できれば、本人としても後悔の無い野球人生を送れたのではないかと。
しかし、現実には選択した球団がポストシーズンクソザコナメクジだったため、
日本一には一度もなれず、2年連続沢村賞の最盛期をチームの低迷期に浪費し、
旬を逃したせいで一度MLB挑戦を諦めるような形になってしまった。
となると当然、「あの時日ハムに入ってりゃ全部うまくいったのになー」と憐れまれ、嘲笑われ、"自業自得"みたくしたり顔で語られる。
批判や誹謗中傷を浴びながら巨人に入った選手が、その巨人自身の至らなさのせいで、そういう立場に追い込まれているというのが、非常に悔しくて心苦しかった。
そして去年までは巨人も、菅野自身も年々下降線をたどっており、
チームはしばらく低迷するし、菅野もこのまま巨人一筋で引退に向かうだろうという空気感が漂っていた。
…がしかし今年、意外にもチームは盛り返し、まさかの菅野自身もMVP受賞濃厚といわれるほどの大復活を遂げた。
「自身の活躍でチームを日本一に導き、日本でやり残したことがなくなってから、満を持してのMLB挑戦…」という、現役のプロ選手なら誰でも憧れているであろう成功ルート。ファンからしても、最も理想的な送り出し方。日ハムじゃなくて巨人を選んでせいで、一度は途絶えたかに思えたその道が、再び繋がる最後のチャンスがやってきた。
だからこそ、何としても今年、このタイミングで…と願わずにはいられなかった。
…しかし、待っていたのは日本シリーズに挑むことすらかなわず、挙句最後には菅野自身が負け投手になって終わるという、あんまりな結末だったとさ。
しっかり調べたわけじゃないけど、なにせ12年連続逸日本一で球団ワースト記録というくらいだから、
これまで、長らく主力を張っていた巨人の看板選手というのは、たぶんキャリアで一度くらいは日本一を経験できてるはず。
そのルートから外れた第一号が、他でもない菅野になっていしまったというのはホント報われないなぁと。
たぶんもうこれで、菅野がNPBでの日本一を味わえることは無いだろう。(MLB挑戦が頓挫して残る可能性も0ではないけど、それはそれで残念)
そして数年内のMLB挑戦が噂されている4番の岡本や、新エースの戸郷も、同じく日本一になれないままチームを離れちゃうんだろうなあ…。
まあ、今年シーズン優勝してるチームのファンがこんなにネガると嫌味みたいになっちゃうかもしれないけど、
ことポストシーズンに限ってはそんな思考を巡らせざるを得ないくらい、見えている景色がグロテスクすぎるのだ。
(もちろん、シーズン中から万年下位、ずっと優勝できていない…ってチームのファンとかにも、こちらが想像する以上のしんどさはあるだろうけど。
正直、今のこのチーム応援するのはうちより辛いだろうなあと思う球団も2つほどあるし。)
いやしかしほんと、なんで毎年毎年、10月になった途端、こうも呪われたように急激に弱くなっちゃうんだろうねー……。
このチームの首脳陣はまともに機能してるのかって文句言いたくなることもあるけど、
これだけずっと同じ失敗を重ねてるんだから、流石に現場のプロが無策だとは思えない(思いたくない)。
余所と比べて選手のメンタルが弱すぎるんじゃないのって文句言いたくなることもあるけど、
意外にも今の主力には、もっとプレッシャーがかかるWBCの舞台で躍動した選手もけっこう多かったりして、
ところがそんな選手たちでも、巨人のユニフォームを着た状態で短期決戦に入ると、パッとしなくなっちゃうのだ。
きっと、フロントもスタッフも選手もやれることはみんな尽くしてて、それでもどうにもならない状態なんだろうなあと思ってて。
だから見てるこっちも、このチームどうしたらいいんだろうなあ…っていうビジョンを見いだせない。八方塞がりの絶望感。
今年のソフトバンクみたく、貯金42でぶっちぎれるほど圧倒的な力を付ければ、ポストシーズンのデバフ込みでも勝てるかも…って思ったけど、
SBと違って、大物のFA選手や主力助っ人を金で引っ張ってくるほどの力が無い今の巨人じゃ、そこまでのチームはさすがに作れない。
(今年大型補強無しで前年4位→1位に押し上げただけでもかなりよくやった方だと思う)
というかそもそも、そんなシーズン無敵のSBですら今年日シリで負けちゃったので、いわんや負け癖がしみ込んだ巨人をや…という感じだ。
過去最高潮に日本一を願っていたところから、いつも以上の落差の結末を見せられた今年の秋は、ほんとにしんどすぎた。
こんなものを見せられてしまうと、来シーズンからは今まで以上に、
「どうせ今頑張っても、10月になったら余所のチームに全部持っていかれちゃうんでしょ」って思いが頭を離れず、シーズンを虚無に感じてしまいそうな、そういう怖さがある。
巨人のファンなんて基本ネット社会では嫌われ者のいじめられっ子だし、
リアルでどこの球団が好きかって聞かれた時も、答える時になんか後ろめたさあるし、
もうSBみたいに"強い"ヒールじゃないただの小悪党なのに、現地の敵応援団にも煽られまくるし、
プロ野球11球団が興行的に成長している中、巨人だけは強さ的にも人気的にも全盛期に勝てるわけがないから、相対的に一人だけ伸びしろのない落ち目感あるし、
開き直って「別に弱くてもいいじゃん」ってスタンスで気楽に見るには、本気で優勝を目指す球団体質とか、弱くなると全方面から叩かれる環境とか、あらゆる面で相性が悪いし、
何より、球団側は「強い伝統球団であれ」みたいな感じだけど、その中身がここ一番の短期決戦でクソザコ化する集団ってあまりに噛ませムーブがすぎて見てらんないし。
……ってな感じで嫌な思いをすることが多くて、総量的には損の要素が上回ってるくらいの印象があって。
我ながら応援する球団を、趣味の選び方を間違えてしまったなあという感なのだけれど。
それでもCS敗退数日後のドラフトで、楽しみな選手が獲れてちょっと気を持ち直したりしちゃってるし、ファンであることから簡単には抜け出せない。
かの村上春樹(ヤクルトファン)がかつて、「お気の毒です。読売ジャイアンツのファンなられてしまったというのは、きっと前世のカルマが祟っているのでしょう」と冗談めかして記していたが、年々この言葉をまさにその通りじゃないかと感じてしまっている。うっかり良くない新興宗教にはまってしまって、気づけば抜け出せないみたいな…。
チ。というタイトルとアニメを見て、あなたはこのタイトルになにを思うだろうか。
正直別にアニメ1話2話で出てるので、地とか血とか知とか父とか乳とか秩父とかいろいろ思い浮かべると思うが、このタイトルになった一つの意味として「検索しにくい」という点がある。
ネットの普及で推理小説は散々な目にあったと、いろんな推理小説家が言う。まあそのとおりなんだろう。
メディア化にしたって雑誌やサイト等にあらすじどころか犯人バレが出てくるからそれを作者編集が止めて、みたいな労力がかかるらしい。
今作はネタバレは見ず最初に思った感想を大事にしてほしいからネタバレ避けをこらしたタイトルであり、実際検索はかなりめんどくさい。普通に検索したら、ち○ぽって言ってる人がチ。の話をしてる人と同じくらい引っかかる。ちょっと盛った。ち○ぽのほうが正直多い。
アニメでは話題にならないと困るので「#チ球の運動について」というタグなどが使われるらしい。
まあでもどうやったってネタバレは流れる。例えば5ちゃんの作品スレは原作未読基地どものレスバ会場になったため、おさめようとしてなのか核心的なネタバレが放り込まれている。
だから、気にしないよって言う人もいるかもしれないが、それは「特異な人」だという自覚を持ってもらって、まじでアニメ楽しみならネット断ちするべきだと思う。
で、まあそんなこと無理なので原作読めばいいと思う。全8巻。
幸運なことにこの作品は2回目もとてもおもしろい。その後アニメで見てもいいだろう。
この作品が本当に最後まで走りきれるのかは心配なところではあるのだが、とりあえず最高の鑑賞体験をしてほしいおせっかいな文章でした。