教育について
教育問題、これは日本の今後の行く末を考えるに当たり避けて通れない問題であります。
日本が日本として復活するためには必要な事であります。
新しい教育方針が次々と出てきていますが、本当に必要なのは教育勅語の精神だと思います。
教育勅語、明治の教育の荒廃を感じた明治天皇が出された勅語であり、その精神は昔から日本で大切にされてきていた徳、道徳心をはぐくむものでありました。
親と子供が一緒になって美徳を確認しあい、家族の大切さを実感として体験できるものでもあります。
そのうち、大変重要なものとして十二徳目というものがあります。
【孝行】
親に感謝する
「お父さん・お母さん、ありがとう」
【友愛】
兄弟仲良くする
「一緒にしっかりやろうよ」
【夫婦の和】
夫婦で協力する
「二人で助け合っていこう」
【朋友の信】
友達を信じあう
「お互い、わかっているよね」
【謙遜】
みずから反省する
「ごめんなさい、よく考えてみます」
【博愛】
博愛の輪を広げよう
「みんなにやさしくする」
【修学習業、智能啓発】
知徳を磨く
「進んで勉強し努力します」
【公益世務】
公のために働く
「喜んでお手伝いします」
【遵法】
ルールに従う
「約束は必ず守ります」
【義勇】
祖国に尽くす
「勇気を出してがんばろう」
【伝統継承】
伝統を守る
「いいものは大事にしていきます」
【率先垂範】
手本を示す
「まず自分でやってみます」
明治神宮崇敬会発行『たいせつなこと』を参照
当たり前の事ですが、これが出来ていない人が多いのです。私もすべて兼ね揃えてはいません。精進中です。
この精神は日本だけではなく世界中で評価されている事項です。文化が変わっても人間として本当に大切なものは全く変わりがないという事なのでしょうね。
昔の偉人に対して尊敬の念を持つというのも世界共通の項目だと思います。
今の学生にはそのような事を教わらない為か、尊敬の念を抱かない人もいるそうです。
しかし、そのことに触れれば意識が変わります。
ある荒れた中学校の話があります。
“荒れた中学”変えた「特攻隊」、非行生徒らは明らかに変わった…3年生210人が演じた「特攻劇」、教師も親も泣いた
体育館を包んだ嗚咽
昨秋、開かれた文化祭。3年生210人全員参加で作り上げた劇「青空からの手紙」が終わるころには、会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れていた。
テーマは第2次大戦末期の特攻隊員の悲劇と生き方。結婚して子供が生まれたばかりの主人公・中村正は、海軍で出会った友人の坂本から「お前には家族がいる。ここは俺に任せろ」と志願を止められたが、「自分だけが生き残るわけにはいかない」と先に志願した友人に続く。結局、先に出撃したのは中村の方で、そのまま終戦を迎えることに。終戦後、生き残った坂本が遺族の元に届けた遺書には、家族の幸せを願う中村の思いがつづられていた…。
ロングラン公開中の映画「永遠の0」を思わせる内容だが、劇を制作・上演したころはまだ映画は公開されていない。指導・監修にあたった福島哲也教諭(32)は「まだ中学生ですから、原作の本も読んでいない者がほとんどだったでしょう。図らずも、話題の映画と同じテーマの劇を学年全体が一丸となって制作できて、教師も生徒もみな感動しています」と話す。
感動したのは3年生と教師だけではない。「いつもはざわざわと私語が絶えない1、2年の生徒も静かに劇に見入っていました」と福島教諭。保護者の多くも目を真っ赤に泣き腫らし、後日、劇を収録したDVDを見た付近の高齢者の中には「号泣される方もおられました」という。
グレる生徒、まじめな生徒…互いに疎外感
3年前、現3年生が入学してきたとき、花園中はかなり荒れていたという。
1年のときから現3年を担当している福島教諭は「この子らも、喫煙、夜遊びは当たり前で、上級生に暴力をふるったり、学校のものを壊したり、教師に暴言を吐いたり…。それほどグレてない子でも髪を染めたり、ピアスをつけて学校に来たりしていました」と振り返る。
「もちろん、まじめな子も多かったのですが、いわゆるサイレントマジョリティーで、グレている生徒とは距離を置き、非行を目にしても教師に伝えることをせず、関わり合いになることを避けていました」
当時、同校に赴任したばかりで、学年主任となった福島教諭は、まず校則違反から正していった。ピアスや髪染めなど目に見える違反は、保護者も交えて話し合って改めさせた。またサイレントマジョリティーのまじめな生徒に、非行やいじめがあれば教えるよう依頼した。
生活指導を受ける生徒は当然、反発したが、「彼らは、どうせオレなんて、私なんて、という疎外感をどこかにもっている。教師の側が腹をくくって接していれば、自分たちは見捨てられていないということを必ずわかってくれると信じていました」。
きっかけは特攻資料館
そして、次に打った手が1年時から計画をスタートすることになっている修学旅行。平和学習ということで長年、定番旅行先だった長崎ではなく、福岡県の特攻資料館「大刀洗平和記念館」に決めた。
事前に特攻に関する資料を調べるなどの学習をさせ、迎えた昨年6月の修学旅行当日。生徒たちの多くは、命を散らせた特攻隊員らが出撃前にしたためた遺書や遺品、特攻関係の資料を前に無言のまま釘付けになった。「生徒は特攻はおろか、戦争のことをほとんど知らなかったでしょうが、彼らなりに何かを感じ取ったようでした」
劇制作通じ固い絆…教頭も「闇まぎれ感涙」
旅行後、その「何か」が具体的に形になっていく。「特攻をテーマにした劇を文化祭でやりたい」。教師たちが助言したわけではなく、自然発生的にそんな声が上がり、キャスト、ナレーター、道具係、衣装係、音響、照明、パネル、合唱など、学年全員が何らかの役割を負った。夏休み中には、オーディションで選ばれたキャストの生徒9人が稽古を重ね、2学期が始まるころにはすべてのせりふを覚えていた。
制作委員の一人である生徒は「現代では考えられないような悲惨なことが、そんなに遠くない昔に実際に起きていたということにショックを受けました。そして、そういう人たちの犠牲の上に、今の自分たちの平和があるんだ、と強く感じました。そんなメッセージを伝えられたら、という思いで劇を作りました」と話す。
「1年のころはツッパリだった生徒も喜んで裏方の仕事をやっていました。どの子も自分が自分が、というのではなく、それぞれの役割を黙々と果たし、学年が一つになっていました。こいつらすごい、と思いましたね」
たとえ時代は違っても本物は通じるものです。日本のために散って行かれた英霊の方々の覚悟、その時代背景などを考えれば如何に現代の人間が甘えているかわかります。そのことを学生たちが感じ取って演じた結果、学校が一つとなった、俺が俺がという個人主義ではなく、みんなで頑張って成果を出すという集団主義となったのだと思います。
言い換えれば、行き過ぎた個人主義が学校などの社会の荒廃を招いていたが、集団主義となって一致団結し秩序を取り戻したともいえます。
人間、幸福を感じるのは他人の役に立った時、誉められた時と言われております。お金だけあっても幸福ではありません。皆が笑顔で生活できること、これが幸福につながるのです。
現在の社会では地域社会の団結が弱くなっているようです。これも行き過ぎた個人主義が招いた結果であり、他人の行動に無関心であることが原因なのでしょう。
地域社会の団結を強め、良い社会をみんなで作っていきましょう。
そのための教育、道徳教育が今年より始まりました。すぐに結果が出るわけではありません。
しかし、一歩を踏み出さない限り前には進んでいきません。
頑張っていきましょう。
(ブラッキー)
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