サテンドール(ⅩⅥ)余話
ロゴス食堂
サテンドールは、私が知らないだけで、鳥取ではとても有名なレストランなんですね。一昨日の記事にコメントをいただいたり、メールで「行かれたのですね」という報せが届いたりしております。
いま子猫の仲介役をお願いしているサテンドールの常連さんからは、こんなお知らせをいただきましたよ。
以前は鳥取市内に出店されていました。
(今は、駅前にあった「ビリーブ」さんが入っている建物でした)。
こちらのシェフのお祖父さんは、帝国ホテルのコックを務めた後、鳥取市の「ロゴス食堂」
でフレンチを提供されていた方です。ロゴス食堂は、「鳥取の丸善」のような役割を果たし
ていた山本尚文館の経営者、山本鉄太郎が若桜街道に出していたレストランで、昭和初期
には、与謝野晶子の歓迎会とか尾崎翠の出版記念会とかが開かれるなどの名店でした。
鉄太郎は、建築家の山本浩三氏のお父さんだったかお祖父さんだったと思います。
柳宗悦には疎まれていた節もありますが、銀座の「たくみ工芸店」の経営にも参画しています。
という鳥取の近代史の一コマとかかわるお店として、また、ちゃんとした料理を出される
お店として愛用していたのですが、数年前に今のお店に移転されました。
それからも、年に1回くらいはお邪魔しています。
ソロ・バージョンではないジョーパスの「サテンドール」。老けたパスは二条室町のホームデンティストそっくりです。
サテンドールは、私が知らないだけで、鳥取ではとても有名なレストランなんですね。一昨日の記事にコメントをいただいたり、メールで「行かれたのですね」という報せが届いたりしております。
いま子猫の仲介役をお願いしているサテンドールの常連さんからは、こんなお知らせをいただきましたよ。
以前は鳥取市内に出店されていました。
(今は、駅前にあった「ビリーブ」さんが入っている建物でした)。
こちらのシェフのお祖父さんは、帝国ホテルのコックを務めた後、鳥取市の「ロゴス食堂」
でフレンチを提供されていた方です。ロゴス食堂は、「鳥取の丸善」のような役割を果たし
ていた山本尚文館の経営者、山本鉄太郎が若桜街道に出していたレストランで、昭和初期
には、与謝野晶子の歓迎会とか尾崎翠の出版記念会とかが開かれるなどの名店でした。
鉄太郎は、建築家の山本浩三氏のお父さんだったかお祖父さんだったと思います。
柳宗悦には疎まれていた節もありますが、銀座の「たくみ工芸店」の経営にも参画しています。
という鳥取の近代史の一コマとかかわるお店として、また、ちゃんとした料理を出される
お店として愛用していたのですが、数年前に今のお店に移転されました。
それからも、年に1回くらいはお邪魔しています。
ソロ・バージョンではないジョーパスの「サテンドール」。老けたパスは二条室町のホームデンティストそっくりです。