第4回「めざせ、ブータン!」其弐
懸造とブータン
不動院岩屋堂は昭和28年(1953)、鳥取県内では数少ない中世の寺院建築であることから重要文化財に指定された。不動院岩屋堂へ行く手前には欄干付きの真っ赤な橋があり、「千と千尋の神隠し」にでてくる橋、息をしてはいけない橋のようだった(↑)。
その橋を渡ると岩山のむこうの岩窟に不動院岩屋堂がすっぽりと納まってみえた。不動院岩屋堂のいちばんの特徴は、岩窟から迫り出すように建つ「懸造(かけづくり)」の構法である。懸造といえば、京都の清水寺本堂が有名だが、清水寺のまわりには岩山も岩窟もない。岩窟と複合するところが山陰の懸造仏堂の特色だと先生は説明された。
私たちのプロジェクト研究のテーマは「めざせ、ブータン!」である。なぜ不動院岩屋堂を訪れたかというと、ブータンの高山の崖にはおびただしい数の洞穴僧院があって、それがすべて懸造になっているからだという。ただし、日本の場合、不動院岩屋堂のように仏像を祀る本堂であるのに対して、ブータンの洞穴僧院は文字通り「僧の住まい」であり、瞑想修行の場所である点に違いがあると教えられた。
若桜町境域委員会と管理人の山根さんのご配慮により、不動院岩屋堂の内部も見学させていただいた。堂の内部に「びんずるさん」という神が奉られていた。「びんずるさん」はとてもにこにことしかわいらしい顔をしていた。
不動院岩屋堂と岩屋神社の間の岩肌には裂け目がはいっていた。巨岩の裂け目は、熊野神社遺跡でもみたが、なにか宗教的な意味があるかもしれないと私は感じた。(経営学科1年I.F)
↑びんずるさんとその配置場所(↓)
岩屋堂から棚田へ
5月2日(木)、私たちは洞穴に建てられた不動院岩屋堂と棚田を見学した。八頭郡若桜町の不動院岩屋堂は国の重要文化財に指定されており、普段は中に立ち入ることはできない。今回。教授のつてで昇殿し、堂内の不動明坐王像を見ることができた。洞穴に建てられた不動院岩屋堂には、懸造(かけづくり)の構法が使われている。懸造とは崖や山の斜面に建てられる半高床式の建築で、山岳寺院によくみられる。ブータンの洞穴僧院は外側を壁で覆われているが、内部の木造部分はやはり懸造になっているようだ。しかし、ブータンの洞穴僧院は僧の修行場であり、不動院岩屋堂など日本の懸造建築は仏像を祀る仏堂であり、僧が修行する訳ではない。
岩屋堂の建つ洞穴の手前には岩屋神社の社殿が軒を連ねる。佐治の熊野神社遺跡と同じ「神仏習合」の信仰スタイルがここでもみられるのだ。その成立過程については、昨日、フジィ先輩が解説しているので、省略する。気になったのは、管理者の山根さんが「天然の洞穴」と言われたのに対して、教授はたぶん「人口の岩窟」だろうと推察されたことだ。洞穴内側の岩肌が凸凹しすぎていることで、教授は「人工」だと認識されている。個人的には、知識をほとんど持っていないので何とも言えないけれども、確かに洞穴はこれまでみた巨巌と比べて凹凸が多く感じられた。さらに、この洞穴は八頭町(旧八東町)柿原の千手院窟堂(いわやどう)につながっているという伝承もあるようだ。実際にはそのような抜け穴はないが、二つの村は「兄弟村」のような関係にあったことを2010年後期のプロジェクト研究2であきらかにしているという。
国の重要文化財建造物を見学できたのはとてもいい体験だった。このプロジェクト研究に参加してから、今までより神社と寺院の違いを意識するようになったと感じている。
その後、氷ノ山の中腹にある「舂米(つくよね)の棚田」の眺望ポイントに向かった。この棚田は「日本の棚田百選」に選ばれている。ブータンにも棚田が存在し、在来の赤米と日本人が栽培指導した白米の水田が入り交じっているという。次回もまた棚田をみる。棚田から日本とブータンの関係を学んでみたい。(環境学科1年I.T)
↑1年 ↓2年