第4回「めざせ、ブータン!」其壱

不動院岩屋堂と岩屋神社
こんにちは、他の3年生と同じように2年後期に引き続きASALABの配属になりましたフジィです。今週は3日(金)が祝日で3年ゼミのフィールド演習は休みとなり、2日(木)のP1&P3の第4回「めざせ、ブータン!」で訪れた不動院岩屋堂と岩屋神社について、おもに建築的な側面からレポートしたいと思います。
不動院岩屋堂は八頭郡若桜町字岩屋堂にある真言宗の仏堂です。修験道寺院の建築として知られており、岩窟内にある「懸造(かけづくり)」の建物で、昭和28年に国の重要文化財に指定されました。懸造とは、急な斜面や段差のある場所に建物を建てる場合、その床面を水平に保つため床束(ゆかづか)の長さを調整して、床の高さを揃える構法のことです。山側では床は地面に接し、谷側では床束はとても長くなって大きな高床建築にみえます。有名な懸造として京都の清水寺本堂があり、その様式は「舞台造」とも呼ばれています。

岩屋堂は昭和30~32年に解体修理がおこなわれ、柱や舟肘木、花頭窓及び須弥壇の形式などから室町時代初期(南北朝時代)の建築と推定されています。本堂の不動明王は弘法大師33歳の時に刻んだもので「日本三大不動明王」の一つだと言われていますが、先生は、この寺が空海と関与しているとは思えないと仰っていました。身舎(もや)は間口・奥行ともに3間(約5m)で、屋根は前方が入母屋造、後方が切妻造のトチ葺となっています。建物はコウヤマキの木1本で建てられているという伝承もあります。
今回私たちは普段入ることができない建物の内部を見学させていただきました。床下をくぐってはしご段を上って縁にでると、まず大きな花頭窓に目にとまりました。花頭窓は禅宗様のシンボルです。先生によれば、花頭窓の横幅が広いほど古い傾向があるそうです。柱には面取が施されています。面取も幅が長い方が古いと聞きました。舟肘木や垂木にも面取りが確認できます。
組物は斗(ます)のない単純な舟肘木だけで、さらりと納めています。斗が無いせいなのか、垂木は通常は柱心を跨ぐところをそうはせずに芯を揃えて「芯垂木」としてありました。全体的に装飾が少なく、質実な印象を受けました。内部に入ると、内陣は外部と異なり円柱の柱となっていました。円柱は仏堂的で、面取角柱は住宅的な意匠です。



不動院岩屋堂の下の岩陰には岩屋神社の拝殿と本殿が建っていました。本殿は一間社流造で、拝殿は入母屋造正面千鳥破風付きの様式です。私たちが気になったのは、本殿の横に本殿とほぼ同規模・同形式の社殿が並列していたことです。その本殿風建物は空き家だそうです。先生は、おそらく権殿(ごんでん)だろうと仰いました。伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮がなにかと報道されていますが、権殿とは仮殿の常置化したもので、本殿の遷宮(造替=再建)の際、本殿のご神体を仮安置する施設だということです。権殿の有名な例としては、京都の上賀茂神社があげられます。

先々週訪れた熊野神社遺跡と同じく、ここでも「神仏習合」が成立しているわけですが、 そもそも私たちは神仏習合ということを知りませんでした。先生は以下のような変遷を考えておられました。
1)古代の人びとは険しい岩山(巨巌)を磐座(いわくら)として信仰し、
岩陰を祭場としていた(先週の坂谷神社と同じ)。
2)そこに仏教が接触し、岩山に岩窟を掘って不動院岩屋堂を建てた。
3)中世以降、古代の祭場にあたる岩陰に神社を造営した。
このあと、不動院岩屋を離れ、氷ノ山にある「舂米(つくよね)の棚田」を見に行きました。その内容は1年制がレポートしてくれることになっています。ブログを読んでもらって分かるように、まだまだ建築や歴史についても詳しくはないけれど、ASALABのみんなと頑張っていこうと思っています。これからもよろしくお願いします!
(フジィ)

↑↓日本の棚田百選「舂米の棚田」眺望地点
