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2021年度卒業論文‐中間報告(5)

租界島マカオのエッグタルト-西洋食文化の中国への定着と変容
Egg tart of concession island Macao
- Fixation to China and its transformation of the Western food culture

1.中国語を和訳する新手法
 2020年度、研究室では有志数名が上海を訪問し、同済大学との交流を準備していた。結果として、コロナ禍により海外出張は叶わなかったが、4月から予備作業の一部として、中国語を読む訓練を始めていた。中国語の場合、Weblio翻訳やGoogle翻訳に頼ると、とんでもない日本語に変換されることが少なくなく、教授は中国語学習経験のない日本人がかなり正確に中国語の翻訳ができる独自の方法を考案されている(以下)。
 1) 中国語を漢文風に変える:楽訳中国語翻訳(http://www.jcdic.com/chinese_convert/)等のサイトによって中国語文を日本語の漢字群に置換する。この文字変換により、高校までに学んだ「漢文」に近似した文章になる。
 2)変換した「漢文」を読み下しする。本格的な読み下し文である必要はなく、「読み下し」もどきで十分。
 3)読み下し文を平易な現代日本語に改稿する。
以上の工程により翻訳した訳文はWeblio翻訳やGoogle翻訳よりもはるかに優れていることを確認した。
 筆者は、アヘン戦争後の南京条約(1842)で開港された上海租界地区のうち「外灘」の近代建築の翻訳を3年次に担当したので、以下にその一部を紹介しておく。『百度百科』掲載の「日清ビル」の冒頭部分である。

【原文】 
 日清大楼,又名:海运大楼,全国重点文物保护单位。 日清大楼 (外滩)是上海外滩建筑群中的一座建筑。
1)中国語の簡体字から日本語の漢字に変換
 日清大楼,又名:海運大楼,全国重点文物保護単位。 日清大楼 (外灘)是上海外灘建築群中的一座建築。
2)読み下し文(翻訳力向上後は省略可)
 日清大楼,またの名を海運大楼,全国重点文物保護単位。日清大楼 (外灘)これ上海外灘建築群中の一座の建築。
3)現代日本語訳
 日清ビル、別名海運ビルは全国重点文物保護単位である。日清ビル(外灘)は上海外灘建築群の中の一棟の建築である。

2.租界都市マカオとポルトガルの統治
 一年が過ぎ、今年度(2021)より研究室にマカオ都市大学からの留学生を迎えた。その留学生はマカオ(澳門)の景観保全計画に取り組んでおり、上海と同じ租界都市であったので、私も興味を持ち、共同で澳門に係わる中国文献を翻訳することとなった。
 前期は百度百科の「澳門」https://baike.baidu.com/item/%E6%BE%B3%E9%97%A8/24335 を共同で翻訳した。まず留学生が日本語に翻訳し、筆者がその日本語をならしたものを教授が最終的に校正する作業を繰り返した。この翻訳に基づいて以下の年表を作成した。

《マカオ年表》
 1553年 ポルトガルが明よりマカオの居留権を取得。
 1849年 ポルトガルがマカオの独立を宣言
 1851年 ポルトガルがタイパ島を占領
 1862年 天津条約により、中国はマカオがポルトガル植民地であることを認める。
 1864年 ポルトガルがコロアネ島を占領。
 1941年 太平洋戦争勃発、マカオは中立港として繁栄。
 1966年 一二・三事件(↓)が起こる
   (マカオ政府と中国共産党支持者の対立が原因で起こったマカオ史上最大の暴動)
 1974年 ポルトガル本国でカーネーション革命(Revolução dos Cravos)が発生し、
     海外植民地放棄を宣言。「リスボンの春」ともいう。軍事クーデターにより、
     ヨーロッパ最長の独裁体制「エスタド・ノヴォ」をほとんど無血に終わらせた。
 1979年 中国・ポルトガル外交関係樹立。
 1987年 マカオ問題に関する中国ポルトガル共同声明発表。
 1999年 マカオ返還、特別行政区成立。



エッグタルト


3.コロアネ島のポルトガル風エッグタルト店

 夏休みになって留学生はいったん帰国し、澳門での調査をおこなったが、筆者は租界地区におけるポルトガルの食文化の浸透と変容について興味を抱くようになった。とりわけ、マカオの中心市街地から遠く離れたコロアネ島の南端に小ぶりの店舗を構えるエッグタルト店「澳門安徳魯(アンドリュー)餅店(Lord Stow's Bakery)」に注目した。いま研究室では過疎地の活性動態を研究しているが、マカオ市街地から最も遠い海沿いの鄙びた菓子店が異常な人気を誇っているからである。
 ここで、マカオのエッグタルトに関する百度百科の説明文を翻訳(要約)しておこう。
 中国でエッグタルトが生み出されたのは1920年代であり、初めは広州を中心に食べられていた。当時のエッグタルトはイギリスの「カスタードタルト」をもとに作られたクッキー生地のエッグタルトであり、1980年代まで澳門のエッグタルトもこのタイプであった。しかし、現在澳門の名物となっているエッグタルトの起源は、ポルトガルの伝統的な焼菓子「パステル・デ・ナタ」であるとされている。そのため、澳門のエッグタルトはポルトガル式エッグタルトと呼ばれている。このポルトガル式エッグタルトは、イギリス人のアンドリュー・ストウによって、広められた。ストウは1989年に澳門でベーカリーを創業すると、「パステル・デ・ナタ」に手を加え、独特のポルトガル式エッグタルトを生み出した。

3.今後の課題
 以下を今後の課題と考えている。
 1)残念ながら、コロナ禍により、自らはマカオにも上海にも行けないが、幸い留学生がマカオで「澳門安徳魯餅店」の調査をしてきたので、その成果を最大限活用して考察を進める。とくに、中心市街地から遠く離れた海岸線近くに立地するにも拘わらず繁盛(持続可能)になっている要因を探る。
 2)アンドリュー・ストウと離婚した元妻のマーガレットも、マカオ中心市街地のセナド広場にエッグタルト店を構えている。こうしたライバル店についても資料を収集する。
 3)アンドリュー・ストウのエッグタルト店は大阪の道頓堀でも出店している。その店を訪ねて、エッグタルトを試食する。
 4)アンドリュー・ストウのレシピを中国語文献から探り出し、ポルトガル式エッグタルトとともに試作し、味の違いを確かめたい。


ロードストウズ
澳門安徳魯餅店(2021年夏・大学院生撮影)。壁の塗り替えで新しくみえるが、実際は古い建物である。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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