飛んでイスタンブール(ⅩⅠ)
ウチヒサール
話は一月前のクリスマス・イブにさかのぼる。あの日、短いブログをロビーのソファで書き上げ、「保存」のボタンをクリックしてただちにホテルのレストランに移動し、度肝を抜かれた。窓外に尖り帽子状の隆起地形が群をなす渓谷の景観がひろびろと展開している。聞けば、ホテルが所在するウチヒサールも世界遺産カッパドキアの一部をなすという。ウチヒサール市街地の東・西・北に点在する奇岩地形は、ローマ帝国時代に墓地として使われていた。横穴墓の入口は通常西向きになっている。ギョレメに近接するため、教会は少ない。
カッパドキア地方のエルジェス山、ハサン山、ギュルリュ山はおよそ1千万年前に火山活動を始めて噴火を繰り返して、湖底の火口から溶岩が噴出し、水面から100m以上高い台地に堆積した。おもに凝灰岩層から構成され、火山灰・粘土・砂岩・玄武岩なども含んでいる。この地形をクズル川などの水流が浸食し、「妖精の煙突」と呼ばれる特殊な地形が形成された。この煙突状の地形を利用して、横穴式の教会・修道院・住居群や地下都市が造られるようになるのはローマ帝国属州時代(4世紀ころ?)からであろうと言われる。こうした自然地形と宗教・居住文化が評価され、1985年、アナトリア中部ネヴシェヒル県の「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」が世界遺産リストに加えられた。
パムカッレ&ヒエラポリスが世界複合遺産で、昨夏訪問した「武夷山」もそうだから、なんだまたそうかと言われるかもしれないが、すでに世界で1000ヶ所を超える世界遺産のうち世界複合遺産は28ヶ所しかない。だから、一年のあいだに3つの世界複合遺産を訪問したわけで、我ながら珍しいことだと思っている。世界ジオパークにはなっていないようだが、世界自然遺産あるいは世界複合遺産のほうが事実上格上なので、申請する必要もないのだろう。摩尼山で活動を続け、「山のジオパーク」としての保全活用をめざす我々にとって、この上ない模範である。
ギョレメ野外博物館
2世紀末、カッパドキアにはすでにキリスト教のコミュニティが存在していた。とくに有力だったのがカイセリ司教区とマラティア司教区である。3世紀になると、それが発展・拡大し始め、4世紀には聖バジル、聖グレゴリー、聖ナジアヌ・グレゴルの3大聖徒の故郷として知られるようになる。聖バジルがギョレメ博物館の地で新たな宗教改革をおこなったという。ギョレメの洞窟教会は、単拝廊・アーチ式天井が一般的で、墓地としても使われていた。例外として、2拝廊式のメソポタミア様式や3拝廊のバシリカ様式も含まれている。とくに壁画等の残りがよい遺構として、りんごの教会(エルマル・キリセ)、蛇の教会(ユランル・キルセ)、闇の教会(カランルク・キルセ)などがあり、11世紀ころに造営されたものである。
野外博物館のゲートをくぐって右側に7階建の巨岩があらわれる(↑)。「修道女の僧院」である。1階は食堂・厨房・個室、2階は礼拝堂、3階は交差型ドームを中心にと4つの円柱で構成されるアプス(後陣)が附属する。教会にはイエスのフレスコ画があり、その左手に1055という西暦が刻まれており、建築年代が11世紀前半に遡る可能性を示している。りんごの教会は9つのドーム、4本の円柱、ギリシア式十字形の3つのアプスによって構成され、11~12世紀頃の造営とされる。その裏側には聖バーバラ教会がある(↓)。11世紀の特色とされる十字形の平面をもつ。2本の円柱と西・北・南側のアーチ天井及ぶ中央ドームにメイン・アプスと2つの小アプスで項さえされる。素朴な彩色に味わいがある(↓↓)。他の教会も似たような形式のものである。(続)
↑ りんごの教会
↑ 聖バーバラ教会
↑ こうして崩れてるほうが建築構造がよく分かりますね。