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2021年度卒業論文(2)-中間報告

古民家再生による限界集落の活性化-カール・ベンクス氏の周辺
Activation of depopulated villages by the reproduction of old folk houses
- around the works of Mr.Karl Benks

 2019年以来、研究室全体で『鳥取県の民家』(1974)掲載古民家の再訪に取り組み、指定解除や撤去などの衝撃的な事実に驚かされた。過疎地の民家集落が持続可能な状態にあるとは到底考えられず、自治体そのものが「終活」の時代を迎えつつあるとの思いを強くした。ところがあるとき、鄙びた山間部に店を構える蕎麦屋が繁盛し、客を集めている事実に気付き、昨年度はこの問題について考察した。古民家を改装した蕎麦屋は通う場所としては人気が高いものの、その場所に「住みたい」わけではない。結局、集落としての持続は不可能かと思っていたところ、新潟の限界集落「竹所」に25年以上住みながら古民家を再生し、人口を倍増させている建築家の存在を知った。その人物は東ドイツ出身のカール・ベンクスさん(78歳)である。
本稿では、ベンクス氏がどのようにして竹所を復活させたのか追跡していく。また、研究室が10年以上前から主フィールドにしている摩尼山・摩尼寺の門前精進料理茶屋の衰退が著しく、その再興にベンクス氏の手法を援用できないか検討を進めたい。これにあたっては、福祉系地域起こしを人選している青年海外協力協会(JOCA)や佛子園の活動も参考にする予定である。

1.カール・ベンクス氏の経歴
 ベンクス氏は1942年に東ベルリンで生まれた。ベンクス氏生誕の2ヶ月前にソ連で父親が戦死している。父親は日本文化の愛好家であり、その遺品に触れることでベンクス氏も日本に関心を抱くようになる。とりわけ、来日経験のある建築家ブルーノ・タウトの『日本の家屋と生活』(1966)には影響を受けたようである。20歳の時、ベルリンの壁が築かれた。東ドイツの徴兵制から逃れるため単独でシュプレー川を渡り、西ベルリンに脱出した。
 その後、空手と柔道を学ぶためパリに移住し、1966年には日本を訪れ、本場での修行を続ける。その際、日本の職人や工務店と交流し、日本の伝統技術の高さに魅入られる。7年後、和風建築を広めるためヨーロッパに戻り、本格的に建築デザインの仕事を始める。一方、ベンクス氏は夫婦で隠棲できる住処を求めていたのだが、1993年新潟県十日町市竹所の見学を薦められた。そこで古ぼけた中門造の古民家をみて衝動的に購入し(150万円)、自ら再生に取り組み、「双鶴庵」と命名した。妻のクリスティーナさんとそこで暮らしている。
 1999年には建築設計事務所「カールベンクス&アソシエイツ㈲」を設立した。2010年には十日町市松代の老舗旅館を買い取り、2階を建築デザイン事務所、1階をカフェ「澁い-SHIBUI」として再生した。これまで竹所を中心に十日町周辺の古民家再生を60軒手がけおり、2017年には夫婦で内閣総理大臣賞を受賞した。

2.ベンクス氏の古民家再生-日欧融合
 ベンクス氏の古民家再生手法は文化財修復型とはまったく異なる。和風の小屋組・軸組は古材を再利用して復元するが、外観はドイツのカラフルなハーフティンバー式に改変し、内装にはヨーロッパの古式な家具などを取り入れている。大変おしゃれな数寄屋風の骨董品的風貌があり、アメニティ(住み心地の良さ)も向上させている。また、豪雪地帯の寒さ対策として、壁に厚さ10㎝の断熱材を入れ、床暖房を設置し、窓にはドイツ製のペアガラスを用いている。ベンクス氏は竹所ですでに8軒の古民家をカラフルに再生し、移住によって人口を倍増させている。


双鶴庵(東)  



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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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