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はてなキーワード: 背表紙とは

2026-05-01

anond:20260501064746

自立した二人なのになんで一緒じゃないといけないのと言っているのを見て、この一説を思い出すね。

一人でも私は生きられるけど、でも誰かとならば人生はるかに違う。

強気強気で生きている人ほど些細なさみしさで躓くもの

中島みゆきの歌を聞け。

あと、本を読め。小説、随想、ビジネス書、なんでも背表紙言葉で選んで読み耽ったらいいよ。

本を読めは北方健三の受け売りだけど。

2026-04-21

dorawii@新刊発売(予定)

毎日図書館行ってるのに棚の一列(段)ごっそり本がなくなってて、普段タイトル記憶はあっても断片的で本の並びによる背表紙パターンマッチング自分がよく立ち読みする本の場所とか記憶してるから困るんだよね。

本の配置変えるたびにその前の状態を全部記録しておいてストリートビューのようにオンラインで見れるようにすればいいのに。

↑これ新規性ある?

dorawiiより


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2026-04-15

コロコロドラえもんがずっと載ってたわけじゃないだろ

コロコロドラえもんの連載が終了するみたいだけど、ついにドラえもんが終わるのか……みたいなコメントを見ると、なんか違和感しかない。

あのニュース自体、嘘じゃないけど、半分釣りみたいな内容だからな。

いつから載らなくなって、いつから再録が載るようになったのか把握してないけど、少なくとも俺が読んでた90年代後半から2000年代前半は大長編ドラえもんしか載ってなかったぞ。大長編から、1年の半分くらいの掲載だな。

その大長編ドラえもんも翼の勇者たち辺りから半年掛けて掲載するスタイルから2月3月号の2号で一挙掲載みたいなスタイルになったからな。なんか隅に追いやられてる感じすらあった。

それでも表紙や背表紙にはドラえもんがいたしドラえもん玩具アニメの話は載るからコロコロドラえもんイメージだけど、コロコロを買えばドラえもん漫画が読めるってイメージは俺の世代にはないわ。

2026-04-02

最近、本が読めない。

正確には読めなくはないんだけど、手が伸びない。積んでる本の背表紙を見て、「これ今じゃないな」ってなる。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、3年前に買って100ページで止まってる。面白くないわけじゃない、むしろ面白いのはわかる、でも今じゃない。なんか今じゃない感がずっとある

いつからこうなったんだろうって考えると、たぶん28か29のあたりからで、その頃から「重い話を受け取るための皿」みたいなのが小さくなってきた気がする。昔は重厚で暗い話が好きで、ドストエフスキーとか「すごいな」ってちゃんと読んでたし、村上春樹の暗い短編とかも全然いけた。今は無理。カフカとか表紙見ただけで疲れる。

代わりに何読んでるかというと、料理本とか、あと動物の生態に関するやつとか。「タコの知性」みたいな本、めちゃくちゃ読める。タコが瓶の蓋を開ける話、すごいな、タコすごいな、で終わる。それがいい。終わり方が明るい、というか終わりがちゃんとある。複雑な余韻を持ち帰らなくていい。

映画もそうで、NetflixでA24の作品とか見ようとして再生ボタン押せない夜がある。いや好きなんですよ、ちゃんと好き。でも22時に疲れて帰ってきて「さあ人間の業と向き合うか」にならない。結局イカゲームシーズン3が出たら見ると思うけどあれも十分しんどいな。

なんか「物語に体力がいる」って感覚若い頃なかったんですよ。体力が有り余ってたから暗い話を読んで消費できた、みたいな?わからないけど。

でもこれ、劣化なのかなってちょっと思う。豊かさを受け取る器が小さくなってきた、みたいな言い方もできて、それはちょっとさびしい。タコ本ばっかり読んでていいのか私は。

いかタコすごいし。​​​​​​​​​​​​​​​​

2026-03-26

俺は「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の元ネタは「魔法の国ザンス ルーグナ城の秘密」だと思っている。

そう考えるのは、たぶん、夕方電車の窓から見えるマンション群の影が、ときどき昔住んでいた団地に似て見えるのと、同じくらい根拠のないことだ。

誰もそんなことは言ってないし、ネットニュースにもならない。でも、俺にとってはけっこう重大な発見なのだ世界の見え方が、少しだけ違ってくるから

どちらの本も、表紙だけ眺めると、まったく別の方向を向いているように見える。

「ヘイル・メアリー」は真空パックされた最新式の宇宙食みたいな顔をしている。

カロリー表示も栄養バランス完璧で、NASA公認お墨付きがありそうだ。

一方「ルーグナ城の秘密」は、地方駄菓子屋ガラスケースの奥に、なぜかまだ残っている色あせたラムネみたいなものだ。

きちんとした人はあまり手を伸ばさない。

ページを開いてみると、そこではどちらも、とても奇妙な友情が育っている。

ヘイル・メアリーでは、ひとりぼっち科学教師が、宇宙の暗闇の真ん中で、岩みたいな異星人と友だちになる。

彼らは素数を数え、音程を並べ、やがて冗談を言い合う。数学物理が、そこでは居酒屋カウンターみたいな役目を果たしている。

全然違う世界から迷い込んできた二人が、とりあえず同じ皿の枝豆に手を伸ばすための、小さなきっかけだ。

一方、ルーグナ城では、魔法使いの城とゾンビ幽霊の入り混じった騒ぎの中で、少年が巨大なクモと肩を並べる。

肩、といってもクモに肩があるのかどうか、僕にはよくわからない。

でも彼らは一緒に走り、一緒に危ない橋を渡る。魔法ギャグと、やや悪趣味な設定が、彼らにとっての居酒屋カウンターになっている。

俺がこの二冊を並べて机の上に置くとき、同じことを思う。

人間は、人間同士よりも、むしろ人間じゃないものと一緒にいるときのほうが、よっぽど人間らしく見えることがある。

異星人や巨大グモは、こちらの期待や世間体を、一切知らない。

から彼らの前では、「いい人であろうとする演技」はほとんど意味を持たない。

意味を持つのは、もっと単純なことだ。相手を見捨てるか、見捨てないか。逃げるか、踏みとどまるか。

ヘイル・メアリー最後のほうで、主人公が選ぶあの面倒な決断は、そういう単純なところまで削ぎ落とされた結果だし、ルーグナ城で少年クモのために動くときも、やはりそこまで話が削ぎ落とされている気がする。

元ネタ」という言葉は、少し雑で、どこか居心地が悪い。

それは、料理を出されたときに「これって何キロカロリーあるの?」といきなり聞いてしまうようなものだ。

だいたいのことはそうやって数値化できるだろうが、テーブルの上の楽しい空気はどこかへ逃げていく。

でもときどき俺は、あえてそういう雑な言葉を手に取ってみたくなる。

「ヘイル・メアリー」のページをめくりながら、ロッキーが工具をいじったり、奇妙な金属音で笑ったりする場面に出会うと、その背後から、ひょいとジャンパーの足が見える気がするからだ。

それはたぶん、俺の脳内だけに投影された、個人的な二重露光だ。

けれど一度そうとらえてしまうと、本の風景は別の顔を見せ始める。

創作というものは、遠く離れた本棚同士が、たまにこっそり電話をかけ合うみたいなところがある。

ある作家若いころに読んだ文庫本が、時間をかけて頭の中で発酵して、ずっとあとになって別のかたちで現れる。

本人はもう、ラベルなんて読めない。けれど発酵食品の匂いだけは、どこかに残っている。

宇宙船の中の孤独や、魔法の国の城壁の風の音の中にも、その匂いがかすかに混じっている。

から僕は、「きっとどこかで、この二冊は同じ樽に入っていたんだ」と勝手想像する。

証拠なんていらない。冷蔵庫の奥から同じ匂いがしたら、だいたい同じ棚に置いてあったんだろうと信じてしまうのと同じように。

読者としてできるのは、その匂い名前をつけてみることだけだ。

「これは元ネタだ」と言うとき、俺は本当は、「これはとてもよく似た夢の、別バージョンだ」と言い換えているのかもしれない。

宇宙船の小さなベッドの上で見た夢と、魔法の国の石畳の上で見た夢。

その二つが、ページの裏側でそっと手をつなぎ合っている。

その光景を一度見てしまうと、もう簡単には忘れられない。

から今日も俺は、本棚から二冊を抜き出してきて、机の上に並べてみる。

背表紙同士が、静かに何か話しているように見えるのを、横からコーヒーを飲みながら眺めている。

2026-02-06

文庫本気づき

これまで100冊以上は軽く読んでると思うんだけど、今更になって気づいたことがある

文字とか絵が書いてある紙は少し黄みを帯びたさらっとした質感で時期とか出版社ほとんど差はないんだけど、

カバーを外した表紙と背表紙の背面って結構個性があるのな

エンボス加工なのか製紙の段階なのかわからないけど、どこぼこした質感だったり、さらっとした触感だけど和紙のように白い繊維がランダム配置

されていたりする

何かこだわりがあるんだろうかね

2026-02-02

34年間つづいてるエロ雑誌ってすごいな

沿革

1992年10月3日、前年にアダルトゲームの取り扱いを止めた『テクノポリス』(徳間書店)の元スタッフが中心となってサン出版より創刊。当初は『ログイン』や『コンプティーク』と同様、一般ゲームを中心に取り扱う一般向けパソコンゲーム雑誌であったが、売上が低調であったこから3号目の1993年1月号より刊行ペースを隔月刊に落とし、前年にメディアックスが創刊した『パソコンパラダイス』と同様のアダルトゲーム専門へと路線を変更。それ以後は、順調に売上を伸ばした。

リニューアル後4号目となる1993年7月号で再び月刊誌に戻るが、1994年4月号より再び隔月刊にペースダウンした後に1997年6月号で創刊以来3度目の月刊化を達成。それと並行し、編集部のフルDTP化・編集作業のフルデジタル化を行った。

2010年1月号より、背表紙に表紙イラストの縮小版を掲載している。

2013年2月号より、隔月でDVD-ROM付録している。

2014年8月号でサン出版グループマガジン・マガジン社を離れ、同年9月号以降は富士美出版移籍した。

2016年2月号より、DVD-ROMが毎号付録となる。

2016年10月号より、電子書籍版(Amazon KindleDMM.com)も本誌発売から1週間ほど遅れて発売するようになっている。電子書籍版に付録DVDデータ付属しない。

2019年4月富士美出版スコラマガジン合併。同年5月から発行元がスコラマガジンに移行した。

2021年6月辰巳出版スコラマガジン吸収合併[2]。同年9月から発行元が辰巳出版に移行した[3]。

これを見るとその時の技術アジャストしているのが成功秘訣に見える。ケツだけに(なんのこっちゃ

2026-01-23

anond:20260123195846

読めればいいから気にしたこと無い。岩波背表紙が真面目そうくらいな印象しかなかった

2026-01-19

夢 (No.1308 2026/1/18)

←前 | 後→

書店をうろうろしていた。今どき珍しい大規模な店で、店内はほどよく混み合っている。まだ真新しいリノリウムの床は光沢を帯び、靴が擦れる音が心地よく耳に響く。書棚はどれも手が届かないほど高く、上から下までぎっしり本が詰まっている、最上段は背表紙を斜め下に向けてタイトルを見えやすくするような珍しい配慮も施されている。特に目当てもなかったので、そんなふうにとりとめもないことを考えながら、なんとなくぼんやり散策していた。

しばらくして結局何も買わずに店を出た。するとそこには予想外の大行列ができていた。狭い螺旋階段通路ほとんど身動きがとれないほどびっしりと人で埋め尽くされている。うっかり自転車階段の途中に停めていたので、運び出すだけでも一苦労だった。肩の上に自転車を担ぎ、僅かな隙間をかいくぐってようやく屋外に出る。行列は店の外にも延々と続いている。どうやら書店だけでなく、隣の楽器店や別の階の飲食店など、すべての店に行列ができているらしい。どれが何の列なのか傍から見るとさっぱり分からないほどだ。早い時間に店に入っていたおかげでこの混乱に巻き込まれずに済んだようだ。

とにかくそうしてようやく帰途につく。長い長いトンネルの道を自転車で走りながら、頭の中で明晰な音楽が鳴る。ときどき訪れる直感だ。頭蓋にプラグを挿してスピーカーで鳴らしたらどんなに素晴らしいだろうか。できればこれは記録しておきたい。そうだ、先ほどの楽器店に戻ってエフェクターを買おう。そう思いついて早速引き返す。すると目が慣れてきたのか、トンネル内の地面に多数の書き込みがあることに気づく。よく見るとそれは行列のための指示で、店ごとに並ぶ場所が細かく決められているらしい。混雑時はほとんど足元も見えないだろうに、こんな指示が役に立つのだろうか。それにしても数ブロックも離れた場所まで列ができることがあるのかと驚く。さすがに夕方近くになって列は解消されたのか、広いトンネルは閑散としている。あれほどの群衆はどこへ消えてしまったのだろう。まさに兵どもが夢のあとといった雰囲気だ。ところどころ店員らしき数人がゴミの片づけをしたり、群衆に踏まれて薄くなったラインチョークで引き直したりしている。

そのままとぼとぼと歩いていると、背後を歩いていた友達からジャケットに何か付いていると指摘される。肩の後ろに手を回してみると、確かに紐のような物がぶら下がっているようだ。引っ張っても取れない。ハサミで切ってもらおうとしたが、思いのほか丈夫でなかなか切れないという。針金のような頑丈さではなく、なめし革に似たしなやかで強靭な手触りだ。根元を辿っていくと、ジャケットを貫き、肩から後頭部に沿って額の方へ延び、最終的には右目の瞼に繋がっているようだ。皮膚から直接生えているところを見ると、突然変異した皮膚の延長か腫瘍一種なのかもしれない。いつの間にこんなものができたのだろうか。まったく気がついていなかった。鏡の前で瞼を裏返してみる。ちょうど異物の裏側に当たる場所に逆さ睫毛が生えているようだ。ということはこれは毛根の延長なのだろうか。本来なら医師の診断を仰ぎたいところだが、差し当たって邪魔になるので応急処置として切れるところで切ってしまいたい。幸いなことに、痛みどころか触った感覚すらない。適当場所にハサミを入れてみる。だが弾力が強く、なかなか思うように切断できない。困ったことになった。これではおいそれとジャケットも脱げないではないか

←前 | 後→

2025-10-10

陰キャは夜空を見上げない

三年前、渋谷桜丘町にある古いマンションの一室で月に一度だけ開かれていた読書会があった。

「Books & Beyond」とか「本と珈琲」みたいなカフェが並ぶあの界隈で、オーナー趣味でやってるようなサブカル風の空間。壁にはカフカポスターが貼られ、スピーカーからボサノヴァが流れていた。

六畳ほどの小さなスペースに八人くらいが座りそれぞれが持ち寄った本を紹介し合う。それが俺と彼女出会いだった。

俺がその日持っていったのは『呪術廻戦』の第八巻。ほかの人たちが『中動態の世界』とか『そして誰もいなくなった』とか『サピエンス全史』とかを並べる中で、俺だけがジャンプコミックスを机に置いた。

もちろん場の空気ちょっと変わった。

でも当時の俺はそれを承知の上で、ある種の逆張り勇気みたいなもので挑んでいた。会社では誰にも話しかけられず、Slackアイコンもずっと初期設定のまま。それでも自分を注目して欲しいという欲求はあった。

 「呪術廻戦のテーマは、“死の受け入れ”よりも“存在肯定”にあると思うんです」

俺はそう言った。

それに対して、口を開いたのが彼女だった。白いマスクを外して冷静な目で俺をまっすぐに見た。

「でもそれって、“他者媒介にしない存在”ってことですか?」

唐突にそんな言葉が出てきた。返す言葉に詰まった。彼女の声は低くて落ち着いていた。大学院哲学を専攻していると言った。

その瞬間、空気が変わった。

みんなが「へえ〜」と頷いて、俺は笑ってごまかした。その笑いが妙に引きつっていたのを今でも覚えている。

そのあと彼女が言った。

「でも、面白いですよね。呪いって、社会の圧みたいなものですし」

その一言に、俺は救われた気がした。

彼女は俺を笑わなかった。

それどころか俺の話を拾って補足し、言語化してくれた。その会の後、俺たちは駅まで一緒に歩いた。

外は冷えていてコンビニの前のホットコーヒーの湯気が白く漂っていた。

「また来月も行きます?」と彼女が言った。

「行く」と俺は答えた。

彼女名前はSといった。

新宿御苑の近くに住んでいて、大学お茶の水彼女の持ってくる本はいつも背表紙が硬かった。

『悪について』

他者起源

グレアム・グリーン短編集』。

対して俺の持っていくのは『チェンソーマン』や『ブルーピリオド』。

彼女はよく笑った。

笑うときに、指先を口元に添える癖があった。

その仕草上品で、俺はそれを見るたびに自分がどれほど下卑た生き物なのかを思い知らされた。

付き合うようになったのはその年の秋だった。

彼女修論で忙しくなってから俺の存在息抜きになったらしい。

あなたと話してると、時間を忘れちゃう」と言われた夜、俺は人生で初めてコンビニの帰り道が輝いて見えた。ファミリーマートの青い光がネオンのように見えた。俺の中でなにかが初めて肯定された気がした。

冬のデートの夜、代々木公園を歩いた。

イルミネーションが飾られてSNSでは「#冬の光2021」というタグ流行っていた。俺は寒くてポケットに手を突っ込んでいた。彼女は小さな紙袋を下げていて中には文房具店で買ったモレスキンノートが入っていた。

「これ、修論終わったら旅行記書こうと思って」

彼女はそう言って笑った。そして突然立ち止まって空を指さした。

「ねえ、見える?オリオン座

俺は空を見上げた。

そこには三つの星が斜めに並んでいた。

「……あれか?」

「そう。ベテルギウスリゲル。あと真ん中がミンタカ

彼女はそう言って、星の位置を指でなぞった。

俺は正直何もわからなかった。

星はただの光の点にしか見えなかった。

俺の住んでいた葛飾区の夜空では、星なんてほとんど見えなかった。中学の帰り道、空を見上げてもあるのは街灯と電線だけだった。だから星座名前なんて知る機会がなかった。

「小さいころ星座図鑑とか見なかった?」

彼女がそう言った。

「うん、まあ、プラネタリウムとかは……行ったかな」

本当は行ったこともなかった。そんな余裕のある家庭じゃなかった。週末は母親スーパーで特売の鶏むね肉を買って帰るのが恒例で、俺はその肉を味噌マヨで焼いて弁当に詰めてた。

星よりも肉の値段を見てた。だから空を見上げるという行為が俺には贅沢に思えた。

彼女は俺の顔を見て、少し笑った。

かわいいね。知らないことがあるって」

それがなぜかすごく悔しかった。笑われたわけじゃないのに馬鹿にされた気がした。

俺は「そうだね」とだけ言って視線を落とした。

地面に落ちた枯葉を踏みつけた。カサッという音が、やけに大きく聞こえた。俺はあの夜自分が一生星座名前を覚えないだろうと悟った。

通勤電車の窓に映る自分の顔は相変わらず冴えなかった。イヤホンからはYOASOBIの「群青」が流れていた。「夢を描くことが全ての始まりだ」なんて歌詞を聞きながら俺は窓の外を見た。

見たのは空じゃなく、線路だった。

陰キャは夜空を見上げない。

だってそこに映るのは、自分の見なかった人生からだ。

星の位置を覚えられる人間は、いつだって上を見て生きてきた人間だ。

図書館に通い、正しい敬語を使い、誰かに恥をかかされないように育てられた人間だ。

俺はそうじゃない。

俺の星座コンビニ防犯カメラの赤い点滅と、タワマン最上階で光る部屋の灯りでできている。

 

これは遺書だ。

俺はもう彼女と会っていない。

LINEトーク履歴はまだ残っている。

最後メッセージは「また話そうね」

日付は2025年2月14日

バレンタインだった。俺はその日会社義理チョコすらもらえなかった。彼女からチョコを待っていたわけじゃないけど期待してた。

「ねえ、今年はどんな本読んでるの?」

その一言が来るだけで救われたと思う。メッセージはもう既読にならない。

通話をかけたこともある。

仕事帰りの山手線品川から田端までの間イヤホン越しに呼び出し音が虚しく鳴った。ワンコール目、ふたつ、みっつ、……留守電に切り替わる。

録音された「この電話現在使われておりません」という機械音声。それがまるで彼女の声に聞こえた。その瞬間息が止まった。ほんの数秒で胸が焼けた。

どうして?

俺のスマホには彼女写真がまだある。表参道青山ブックセンターの前で撮ったものだ。彼女は黒いコートを着て、手に『ロラン・バルト恋愛ディスクール』を持っていた。俺は同じ日カバンの中に『チェンソーマン』の最新巻を入れていた。

その夜二人で神宮外苑いちょう並木を歩いた。イルミネーションの下で彼女が「あなたはどんな未来を望むの?」と訊いた。俺は「普通に働いて普通に暮らせたら」と答えた。

俺は夢を語る勇気がなかった。陰キャは、夢を語ると笑われると思ってる。

それでもあの頃の俺は必死だった。休日には「丸善丸の内本店」で彼女が好きそうな本を探した。

夜と霧

レヴィ=ストロース

哲学の慰め』

表紙をめくっても内容の半分も理解できなかった。けど読んでるフリをすることに救われた。カフェ・ベローチェでブレンドを飲みながらマーカーで引いた単語スマホで調べた。

「内在性」

「超越」

主体性」。

どれも俺には関係ない言葉だった。それでも彼女世界に近づける気がした。

夏になっても連絡はなかった。彼女Twitterアカウントは鍵がかかりInstagramは削除されていた。

唯一Facebookけが残っていた。プロフィール写真は変わっていなかったけど交際ステータスの欄が消えていた。俺は夜中の三時渋谷ファミマストロングゼロを買って歩きながらそのページを何度も更新した。酔いで画面が滲み青白い光が夜風に揺れて、まるでオリオン座みたいだった。

俺は空を見上げた。

でもそこにあったのは、看板LEDだけだった。

もしこれを読んで俺のことだと気づいたのなら、どうか連絡をして欲しい。俺はおまえが好きだ。おまえがいないと俺はもう駄目みたいなんだ。

たくさん本も読んだし勉強した。今なら話にだってついていけるし、楽しませることだって出来る。

から連絡のひとつでいいからしてほしい。、お願いだ。頼む。

これを俺の遺書にはさせないでくれ。

2025-10-03

anond:20251003120840

もちろん個人自由なら何でもいいということではない。その理屈は飛躍しすぎだ。

でもこの程度なら許される範囲だと思う。お前がそう思わないなら別にそれでもいい。おれは自分ではやらないけど、別にいいとは思う。お前は他人がやっていたとしても許せない。それだけ。

お前が本をちぎって読む人間を認めないのも嫌うのもそいつ一言も会話しないのもお前の勝手だ。おれだってこの件に関しては許容できたけど、許容できないケースだってある。おかんが味付けをしてくれた料理に目の前で中濃ソースぶっかけるようなことはしない。でもスーパーの総菜にはするかもしれない。

そして、「本をちぎる=本好きではない」は必ずしも成り立たない。それはお前の中の定義に過ぎない。

本好きにも、装丁や手触りを含めて好きな人、本の内容が好きな人、物として大事にしたいか背表紙を割る置き方が許せない人など様々いる。本の内容が好きな人にも、読んでて気分がよくなれば作者の気持ちなんてどうでもいい人もいれば、作者の意図を出来る限り汲み取ろうと詳細まで読み込む人もいる。

内容さえわかればいいか電子書籍でいいけど本好きだよという人もいれば、電子書籍は目が疲れるけど持ち運びには便利であってほしいからちぎるよという人もいる。

お前の中の〇〇好きをお前の好みに沿ったかたちで定義するのはお前の勝手だが、それが一般全体に共感してもらえないことに不満を持たれても仕方がない。それは客観的定義ではなく、お前の感情に基づいた定義からだ。

本はインテリアではない

世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。

背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。

模倣習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズム自己放尿だ。

本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレ自己放尿を誇示するのと同じだ。

排泄は生理現象であり、それ自体価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神腐臭である

まれ書籍知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。

知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。

本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。

まり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である

人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力更新だ。読めば思考アルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。

読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。

本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識奴隷」であって主体ではない。

読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。

本は家具ではない。本は思想武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解きぬなら、書店に近づくべきではない。

君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。

2025-08-19

久しぶりに昔買ったエロゲを手に取った

やっぱこのR18ホロシール背表紙

デカい紙パッケージ

開けると説明書CD

モノによっては特典がギッシリ詰まってるこの感じ。

今のゲームには無い満足感がある・・・

説明書デザイン凝ってたりして良いんだよなぁ・・・

2025-08-15

私は長いこと自分が抱えているもの勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。

大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というもの唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会正規ルートに合流するのではないかと。しか現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前メモして帰るのに、私は料理唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。

大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。

やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛結婚話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫マヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。

社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当レンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホーム電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしま旅人のようだ。

そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。

店内は狭く、暗く、タバコ芳香剤のにおいが混ざった不思議空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムザクではなく、フルアーマーガンダムテーマ曲勝手に流れ出していた。

「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツパイロットの気分である相手プロからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。

普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。

では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。

この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望愛情重要表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。

それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明ラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。

今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。

2025-06-06

漫画電子

内容が紙の単行本と同じ、あるいは、背表紙とか表紙裏とかがない事が多い分、損してるイメージがある

制約がないなら、雑誌掲載時の煽り文とかも差分で欲しいと思ってしま

電子版の為だけにそこまでやっても意味ないとか、何かしらの制約があってソレはできないということなのだろうか

あるいは、電子版の方が充実していたら紙の単行本が売れなくなるんだろうか

2025-05-25

AV著作権(?)に詳しい人に聞きたいんだけど、

https://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/detail/=/cid=sone771/図書室での痴漢のシーンで、本の背表紙や表紙をなるべく見せないような妙な本の置き方になってるのは、やっぱりなんらかの配慮でこんなことになってるの?

2025-05-08

逆説の殉教者

影山という男がいた。彼はかつて、巷に溢れる「ポジティブシンキング」という名の薄っぺら信仰を、公衆面前完膚なきまでに論破することを生き甲斐にしていた。朝礼で朗らかに今日も一日、前向きに!」と宣う上司がいれば、「前向きとは具体的にどのような精神状態を指し、それが業務効率にどう統計的有意差をもって貢献するのかご教示願いたい」と真顔で詰め寄る。SNSでは自己啓発的な名言を垂れ流すアカウントを見つけては、その論理的矛盾現実逃避的側面を、鋭利言葉執拗に、粘着質に指摘し続けた。周囲からは「また始まった」と生暖かい目で見られ、やがて煙たがられる存在になったが、影山はどこ吹く風。彼は自らを、甘ったるい幻想にまどろむ大衆警鐘を鳴らす、孤高の現実主義者だと信じて疑わなかった。

しかし、いつのからだろうか。影山の熱心な「ポジティブ叩き」は、徐々にその様相を変えていった。彼が執拗監視し、批判の的としていたポジティブな言説や人物、それらに対する彼の情熱は、憎悪というよりは、もはや執着と呼ぶ方がふさわしいものへと変貌していたのだ。気がつけば、彼は「ネガティブこそが真実であり、世界を覆う欺瞞の光を打ち破る唯一の聖剣なのだ!」と、今度はネガティブという教義黒帯レベル信者と化していた。

彼の日常は、ポジティブものを探し出し、それを打ち砕くための聖戦に捧げられていた。朝一番にチェックするのは、昨日彼が論破したはずのポジティブインフルエンサーが、今日も元気に「小さな幸せを見つけよう!」などと投稿していないか電車中吊り広告に踊る「夢を諦めないあなたへ」というキャッチコピーを見れば、舌打ちと共にその欺瞞性を脳内で反芻し、帰宅後には長文の批判ブログを書き上げる。スーパーで「元気が出るビタミンカラー!」と銘打たれた野菜を見れば、「色彩心理学安易商業利用するな」と心の中で毒づく。

彼は、ポジティブものを叩き潰すことに夢中になりすぎるあまり、逆にいつもポジティブのことばかり考えていた。それはまるで、憎いはずの相手SNSを隅々までチェックし、その一挙手一投足に心をかき乱され、相手思考や行動パターンを誰よりも熟知してしまうという、屈折した片思いの構図そのものだった。ポジティブ言葉ポジティブ笑顔ポジティブ物語。それらは彼にとって、否定し、論破し、解体すべき敵であったはずなのに、いつしか彼の思考の中心を占め、彼の行動を規定する原動力となっていた。

ある雨の日の午後、影山は古本屋の隅で、なぜか自己啓発書のコーナーにいた。彼は無意識のうちに、鮮やかなオレンジ色背表紙金文字で『人生が輝く!魔法ポジティブ習慣』と書かれた本を手に取っていた。ページをめくり、そこに並ぶ安直な励ましの言葉や、根拠の薄弱な成功譚に目を通しながら、彼はいものように「くだらん」「欺瞞だ」と心の中で呟いた。しかし、その時、ふと奇妙な感覚に襲われた。それは、獲物を見つけた狩人のような、微かな高揚感。この陳腐言葉の群れの中から、新たな否定材料を見つけ出し、それを完膚なきまでに論破する未来想像し、ほんの少しだけ、口角が上がったような気がしたのだ。

彼はハッとして本を棚に戻した。そして、雨に濡れた街を眺めながら、自問した。自分は一体、何と戦っているのだろうか? ポジティブという概念否定するために、誰よりもポジティブものアンテナを張り、その情報収集し、分析し、それについて思考を巡らせる。これほどまでにポジティブもの時間情熱を捧げている人間が、他にいるだろうか。

「もはや、俺はポジティブに取り憑かれているのかもしれないな」

自嘲めいた呟きが、雨音に混じって消えた。

彼が憎み、否定し続けたポジティブという名の亡霊は、いつしか彼の影そのものとなり、彼の内なる芯を形作っていた。それは、否定という行為を通じてしか他者世界と繋がれない、影山の哀しいまでの純粋さが生み出した、皮肉殉教者の姿だったのかもしれない。そして彼は、明日もまた、新たなポジティブを探しに出かけるのだろう。それを否定するために。そして、それによってしか自身存在を確かめられないかのように。

2025-05-07

妻が選ぶ本が酷い

妻が買ってくる本は、本当に酷い。

パッと背表紙を読み上げると

・数秘の魔法

・稼ぐ言葉法則

・相性を知る本

大丈夫!すべて思い通り。

ハッピーマニア

・ザ・マジック

コジコジ

・ザ・ステータス 富裕層のためのクレジットカード活用

・夢を叶えるゾウ

金持ち父さん貧乏父さん

もう、勘弁してくれって思う。

あの本はいい、この本は悪いなんて言いたくないけど、流石に選書ひどくない?

読書とか勉強とかしてほしいけどさ、買ってくる本がこれだもん。

2025-01-21

anond:20250120232024

まあ十角館の殺人はほっといて

自分は正直いって北村薫の「なんで女子高生がくると喫茶店テーブルから砂糖がなくなるのか?」とか、

亜愛一郎の「もしかしてそれって、地震完璧によけようとした金持ち……?」みたいな日常ミステリー

暮らし解像度が上がるという理由でわりと好きなんだが

どちらにしろ作者が男女不明ペンネームにしただけでミソジニー犠牲になってたという経緯があるので人には勧めない。

なんなら電車で読んでただけで背表紙の著者名みえてみしらぬド失礼なおっさんから声かけられた。

からアホな男に勧めたりしてやるもんかとおもったわけ。

2025-01-20

anond:20250120153535

紙の本に限ってかもしれないが、20年前の俺は書店に行ってタイトル背表紙、表紙だけで本買ってたなあ

昔よりさらにいろいろな物が生まれては消える現代においては、タイパという単語代表されるように、いか入口から

人を呼び込むかが大事に思える

改善案としては、タイトルは短くてもいいが、ハッシュタグなりでぱっと見の属性判断できるようにするぐらいしか思いつかないね

2025-01-16

anond:20250116132540

書店一番くじ売り出している当り厳しさはあるよね

20年前ぐらいの年間100冊ぐらい本を読んでいた時は、表紙や背表紙に惹かれた本を買っていたら9割は当りだったんだが、

今は本屋に立ち寄ることはなくなってしまったね

媒体は好きなんだが、斜陽産業なのは間違いないかECに振り切るのがいいのかもしれんね

2024-12-20

anond:20241115191003

こういう、つまんなかった、じゃなくて思ったのと違ったみたいな低評価つける人って、帯も読まずにジャケ買いしてる感じなんだろうか。

読メによくいるけど。自分は帯なり背表紙のあらましなりは読んでからうから概要の時点でわかりそうなことに文句つけてるレビューって不思議

2024-11-01

ブルーバックスって別に背表紙青くないよね?

何でblue backsなの?

どこのbackがblueなの?

backって、人間の「後ろ」のことで読者のケツが青いってこと?

2024-10-14

vscodeはできるだけ素で使いたいタイプ

そんな自分が入れてるプラグインウィンドウの枠の色を変えるやつ

これがあると複数プロジェクト複数ウィンドウで開いたとき区別がつくからめっちゃいい

んでプラスでやってる設定は出力ウィンドウの全選択とかコピペをVSとと同じ感覚でできるようにするショートカットキー設定と、

スクロールバーの色を目立つようにするやつ

vscodeデフォスクロールバーみづらすぎだろ あれがでふぉ ってまじでおかしいわ

スクロールさせたくてもスクロールバー場所がわかんなくてイライラする

スイッチゲームソフト背表紙みてーだわ

ゲームやでスイッチゲームソフト図書館みてーにならんでると赤背景に白文字めっちゃ見にくいのよね

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