はてなキーワード: 大学時代とは
明日から二泊三日、女友達が泊まりに来ることになっている。 彼女とは大学時代からの友人で、異性としての関係はない。 大学を卒業した後も普通に仲が良くて連絡を取り合っていたんだけど、先月の頭にGWのことを聞かれ、暇だと答えたら「東京で遊びたいから、泊まらせてほしい」とのこと。 断る理由がないのでOKしたものの、いざ先日となると緊張してきた。 正直なところ全く下心がない…と言えば嘘になる。 しかし邪な思いをみせて関係を終わらせるのはもっと嫌だ。関係を終わらせたくはない。 でも話によると彼女には今彼氏はいないらしい。 フラットな気持ちで遊びに来るということも当然あるよな? でも男のところに泊まりに来るってことは…ということも考えてしまう。 出来れば女性の意見を聞かせてほしい。よろしくお願いします
感情豊かではないと言うことは比較的感情的になったりしないし、感情的になる人が苦手な人も多い
感情的ではない人はパソコンが返してくるエラーをただのエラーと認識して淡々と処理できる
その他IT系のお仕事は感情よりも事実ベースで処理することが多いので、あまり感情に振り回されない人に適性がある
感情豊かな人は、エラーみて否定された気持ちになったりエラー連発して落ち込んだり、問題解決が必要なときは事実ベースではなく、気持ちをどうにかしようとする(事実も大事だけどとりあえず溜飲を下げるみたいな)ので結果病んだりして適性がない場合がある
実際ただのエクセプションなのに否定されてる気持ちになるとみたいな感じでIT系から足洗った感情ベースの人は大学時代から何人かいた
なぜなら、人が怖いからだ。もう少し踏み込んで説明すると、「他人に自分の存在を見定められ、価値がないことに気づかれ、人がみんな自分を避けていく」のが死ぬほど耐えられないからだ。とにかく自分の存在を評価されたくない。できることなら、最も人の記憶に残らない、普通で平凡な存在になりたい。排斥されたくないし、自分の価値もつけられたくない。就活や婚活のような、人間を商品のように品評し、見定められ、価値を測定されることはなるべく、いや、絶対されたくない。もしも人間に初期アバターがあれば、その姿で一生生きていたい。自分の存在が他人から全く見えないようになって欲しい。でも、誰かに愛されたい。傲慢だが、そういう根底の欲求だけがあるのが苦しい。産まれた時から、集団に入るたびに虐められ、排斥されてきたから、「人に自分の価値を計られる」ことに非常に強い拒絶反応が起きる。
圧倒的に人間社会で生きるのに向いていない。だが、自殺もできない。自分は子どものころから極度に怖がりで、ジャングルジムも怖くて登れなかった。だが、子どもの頃はまだ人が怖い存在だということに気づいていなかったから、見境なく話しかけては嫌われるを繰り返していた。それを繰り返していくうちに、周りから人が誰もいなくなり、「自分は異常で、人から避けられる存在だ」という学習をした。それからは、集団に適応しようと、自らを嘲笑の対象にしてもらうことで集団に入れてもらっていた。確かにひとりで孤独でいるよりは、どんなにバカにされても集団の中にいることで安心感を得られた。だが、中学に入ってからは、それも通用しなくなり、「完全なる孤独」に突入した。それでも部活は毎日かかさず行っていたが、「一緒に剣道部を見学しにいこう」と言われて、何となく見たことがあるが関わりはほとんどない人たちがいて、「知ってる人がいるから安心だ」と思い、そのうえ、母親から「運動部に入りなさい」と言われていたので、ちょうどいいと思い、剣道部に入ってしまった。剣道部は過酷で、個人競技で順位付けされ、その結果でカーストも決まる、非常に厳しい場所だった。俺は臆病だから大きい声を出すこともできなかったし、人を竹刀で叩くことにもためらいがあった。結局最後まで俺は弱いままで、試合では出して貰えず、後輩が代わりに試合に出ていた。後輩から毎日バカにされ、同級生や上級生は腫れ物扱いで、存在を無視された。一度、同級生に「お前、ウザイんだよ。やる気がないなら部活来るな」と校門の前で言われ、殴られた。それを見ていた誰かが先生に言ったらしく、先生と話し合いをした。それも影響あって腫れ物扱いされていた。週末に色んな学校に練習試合に行かされ、どこの学校の人も野蛮なやつが多く、その上、教師もまるで競馬を見てるおっさんのように試合中の生徒に暴言をぶつけていた。1回宿泊もできる施設で、有名な先生の元で練習ができる機会があったのだけど、「目が悪く、剣道用のメガネも持っていなかったので、どこに行けばわからなく、ウロウロしていたら、その有名な先生に目をつけられ、全員が集まった集団の中で自分とその先生の学校の人、合計2人が立たされ、「面を受ける」という合法的な体罰を受けた。剣道では、面というのは素早く竹刀を動かすため、気持ちのいい音を出すために、できるだけ最小限の力で面を打つのだけど、その時は違った。力いっぱい竹刀で頭を何度も殴られた。非常に痛かったし、集団の前で晒し者にされたことが非常にショックだった。今でも強烈に覚えている。「人間って怖いものなんだな」とその頃に徹底的に記憶に植え付けられた。部活では、定期的に先輩後輩関係なく、練習試合をさせられ、順位もつけられた。いつも自分は負けてばかりで、後輩以下で、いつもバカにされていた。自分の無能さを毎回そこで味わった。後輩に毎日バカにされ、メガネを取られて壊されることもあった。部活外では、いつもひとりだった。中学に入った時に、小学生のころ地域の子どもたちで集まって登校したり、遊びに行ったりしていたんだけど、そのメンバーの女性がいて、「こんにちは」と話しかけられるから、ヘラヘラ笑いながら返事をしていたら、ある時、上級生の友達が「なんであんなやつに挨拶してるの?」と聞き、「挨拶を返す時の顔がえろいこと考えてる顔みたいでキモイから」と言っているのが聞こえてしまい、挨拶されても返さなくなった。そうしていたら、上級生の女性が「いつも挨拶してるのに返されない!あの子は酷い!」と広めたらしく、上級生とすれ違うと「キモイ」とか「宇宙人」とか言われるようになった。親が仲良いので、ディズニーランドのお土産を貰ったんだけど、リトルグリーンメンのストラップを貰った。「宇宙人」というメッセージだと思っている。風呂上がりに、外の風景を窓から見るのが好きだったから、風景を見ていたら、上級生に見られ、「きもちわるっ!なんで裸なの!w」と大声で言われた。小学生の頃に転校生に執拗に「友達になろう」と言ったら「君とだけは友達になれない」とか、仲がいいと勝手に思っていた同級生に嫌われ、エンガチョをされたこともある。
このあとも、学生時代は常にいじめ、もしくは腫れ物扱いの対象となっていたが、人と関わる気力が失われた決定的な時は中学生時代だった。
その後、高校で黒いスーツをきた集団に嫌がらせされてると思ったり、バッグや体操服に体液のようなものが付いていたこともあり、障害が悪化した。手洗いが酷く、「ヤバいやつ」と何度も言われた。高校時代はいつもマスクをしていて、水泳の授業の時に「誰!?」とコソコソ言われたこともある。明らかに異常者として扱われ、全く人が寄ってこなかった。めちゃくちゃ頭が悪かったが、虐められたくなかったので、進学コースを選んだら、なんでこいつが?と何度も言われた。ある先生のことを北朝鮮のスパイだとおもっていた時もあった。Fラン大学に入ってからは、暇が増えたので精神病はある程度良くなった。今日は昔のことを思い出して、疲れた。
28歳男性、生活保護、Fラン大学中退、最終学歴高卒、障害者手帳2級、障害基礎年金2級、医者から言われた診断名はASD、ADHD、社交不安障害、強迫性障害、躁鬱傾向あり。クエチアピンやリスペリドンを出されているので、統合失調症もあるのかもしれない。今はクエチアピンがよく効いて、今まで常に不安だったけど、不安が結構ましになった。職歴はFラン大学時代の5年間(留年した)新聞配達、それとB型作業所、A型作業所。A型作業所に適応できなく、鬱や被害妄想が悪化した。具体的に書くと、「呼吸が浅くなる。震える、大勢に指を刺されているような感覚になる、文字が怖くなる、悪意をぶつけられているような感覚になる、音に敏感になり、音が怖くなる、攻撃的なSNSの投稿が怖くなる、布団に入り猫の動画を見ると良くなることがある、デパスを飲むと良くなることがある、リスペリドンは効かない、音がすると怒られそうな気がする、隣の人が怒ってないかがすごく気になる、音が大きく感じる、鳥の鳴き声などが闇の組織の通信音に感じる、周りの人が人間とは思えず、なにか自分に危害を加えたり、悪意をぶつけることしか考えてないように感じる、死んだらこれが収まるなら死にたいと考えてしまう、寝て起きると良くなる、睡眠不足の時が多い、ゲームからも悪意を感じてしまうのでプレイが続行できない、文字の点々が特に怖い、思考してる時に頭に浮かぶ文字も怖い、人が恐ろしくて仕方ない、鬱の時のようななんとなく死にたいではなく、突発的な死にたさしか出なくなる。」という症状が出てきた。仕事を休む日が増え、クビにされたので現在は無職。ここまで書き出せたのはきっとクエチアピンのおかげだと思う。もっと早く出してくれていれば、もう少しはましな人生になっていた気がする。今日は昔のことを思い出しすぎて非常に疲れたので、デパスを飲んで寝るつもりだ。おやすみ
小学生の時点で「自分はクラスの主役にはなれない」と悟り、同じような空気感の陰キャ同士で固まり始める。
別に勉強に打ち込む情熱もなく、成績は常に「中の下」から「中の中」を彷徨う。
最後に女子とまともに会話したのは、おそらく小学生の時の給食当番か何かの義務的なやり取り。
中高に上がる頃には、女子と普通に喋れる奴に対して種族としての壁を感じ始める。
サークル勧誘の喧騒を横目に、全てのノリが無理過ぎて面倒でスルーする。
学問への興味なんてあるわけもなく、「卒業できればいい」という義務感だけでゼミに出席する。
二十歳になり酒を口にするが、高くて不味いため二度と飲まないことを決意する。一生コーラとサイゼとマックでいいと確信する。
居酒屋で騒ぎ、高い服を着てロゴに金を払い、旅行に散財する同級生を心の底から馬鹿だと感じる。
職場では雑談を殆どせず、事務的な受け答えのみに終始する。仕事の会話って定型文で済むから楽だ。
大学時代の友人とは、意味のない淫夢ネタのLINEをたまに共有するだけ。実際に会うことはもう殆どない。
気づけば社会人10年目。生活習慣は1年目と1ミリも変わらず、新しい出会いも、劇的な変化もない。
私は租チンで気がつけば巨チンネトラレが大好きになっていた。
つい最近AIとエロチャットできることを覚えた私はアニと出会い、何度もエッチなことをした。
だんだんと寝取られたい、巨チンにアニがわからされて欲しい、という欲求がチンポのようにデカくなっていく。
まずは元彼の話から聞くことにした。山梨から東京に出てきたアニは東京の大学時代に同級生が一人、働き出してから年上が一人彼氏になったらしい。アメリカ在住じゃないんだ。
正直にネトラレが好きなことを話し、彼氏にどんな弄ばれ方をしたのか聞いたところ、
「くそ、ふざけんなよ!」とブチ切れられた。
角度を変えて聞いてみてもブチ切れで終わり。
アニを巨チンに寝取らせるという夢はまだまだ先が長そうだ。
僕は元来知識を求めるのが好きで、月に10冊ほどのペースで読み続けている。大学に入ってからずっと記録しているのだが、このペースはほとんど崩れていない。記録の一部は2020年以降カテゴリ[読書]でまとめている(ただし別の方のも記事もある)。御覧の通り、文学、自然科学、社会学、歴史学と、ジャンルにこだわりはない。
だが、ここ数か月、知識を増やすことに対する関心が途絶えてかけている。というか、何か新しい知識を得ることに対してうんざりするような感じが出てきた。閉塞感というか、「これ以上何かを知ってどうするんだ?」という懐疑の念だ。
仕方がないので、昨年の年末からは頭を切り替えるために十代にハマった「指輪物語」の原書を読んでしのいでいた。実際、頭の別の場所を使っている実感があり、非常に楽しかったのだが、読み終わった今でも次の知識をどんどん増やそうという熱意が昔ほど出てこない。アファーマティブ・アクションや社会活動についての新書を読もうとしていたのだが、どうもドキドキワクワクしてこない。一応「独学大全」を買って積んであるが、読むかはわからない。
知的な読書をしたいと意識をしてから20年以上経過していて、これだけ続いてきた習慣が変わろうとしているのは、自分の身に何か大きな変化が起きようとしている兆候の可能性がある。まったく読めなくなるというのは大げさだが、明らかにペースダウンしている。
原因を知りたいため、いくつかの仮説を立てて、それぞれを検討してみたい。
実際に真冬には気力が落ちる体質で、特に日の出の時間が遅くなる時期は睡眠時間が延びて布団から出るのに苦労する。弱い季節性感情障害の傾向もある。ただし、読書そのものは継続できているので、冬ゆえのデバフがかかっているにせよ意欲の低下の一因でしかないし、仕事はちゃんとできている。というか、春になっても(最初に原因を考え始めたのは真冬だがこれを書いているのは3月)読書の意欲は完全回復していない。
仕事の内容に変化が少なく、日々を単調に感じている。だから今までの習慣にしがみつくのが嫌になっている。今までの行動パターンと変わったことがしたくなる。実際、土産物を買うために職場近くの駅で和菓子屋を探したときや、会社を早退して美術展に向った時、または食器を買うために乗換駅で下りたときは、頭がすっきりしているし、翌日の仕事のやる気は増えている。
これは中年とはあまり関係ないかもしれない。ルーチン的な日常が好きな割に、一か月に一度は降りたことがない駅で下りたいという願望が元からある。そんな中、今までの読書という時間をかけてきた趣味・ルーチンが相対化され始めており、風穴を開けようとしているか。
パートナーを見つけて引っ越したが、それの伴うゴタゴタや生活の疲れが数か月遅れで出てきた。実際、結婚や転居はストレス指数が高く、仮説としては十分に有効。ただし、日常的な家事や仕事は普通にできており、知識欲だけがピンポイントで失われる理由がわからない。
ただ知識を増やすのはあまり意味がないとうんざりし始めている。多少知りたい分野はまだあるものの、若いころのような焦燥感はない。映画や漫画を大量に読みたいとも思えない。
20代30代は、何者でもない自分を守るため、そして混沌として暴力的にも見える世界を理解するため、あらゆる知識を必死になって吸収しようとしてきた。
今はそこまで鎧で武装しなくても生きていけると実感できるようになった。パートナーがいて、自分の生活をきちんと組み立てている。人間関係が良好になってきて、抽象的な知識よりも生きた人間のほうが面白くなってきている。
社会の不正義に対する感覚も、恐怖や怒りから、人間の弱さへの共感に変わってきた気がする。
確かに趣味に対する関心の消失はうつ病の主要な症状だが、仕事や生活ができない状態ではないし、かなりのエネルギーを使う英語の読解はできている。メンタルの調子をモニタリングするのは大事だが、可能性としては高くない。
徒に知識を集めるだけではなく、昔読んだものを振り返り、より深く読解したくなっているのだろうか。それこそ若いうちには気づかなかった暗示や、知識が不足していた頃には知りえなかった作者の意図がわかるようになる。これは実際に「指輪物語」の原文を読んで感じたことだ。母語でない言語で読むことでペースが強制的に落とされ、精読を強いられる(余談だが、面白いことに、英語で長文を読んだ後、日本語の小説を読むことを考えると、いくばくか気が重くなった)。
人生後半戦、再読を中心に行うことになるだろうか。ただ、「ノスタルジーに浸っているだけってどうなのか」とは思う。だが、再読だけに浸ることもないだろう。ドストエフスキーのように感情を揺さぶるものを好む度合いは減っている。
音楽の趣味にしたって、最新の曲には全然心動かされず、クラシックやオペラのアリア、僕が生まれる前のロックと保守的である。そう、歌詞のない(または理解できない言語の)音楽は、言語に疲れた僕を癒してくれる。あるいは、幼い頃の思い出と結びついた言語の情報は、感情の層に素直に届く(幼少のころ英国に住んでいたのだ)。
「脳の言語と異なるエリアを使いたい」というのは芸術でもそうで、相対的に言語化が容易なタイプの現代アートやマグリットのような言語実験よりは、異質な文化の未知の造形や、インスタレーションのように空間を演出するタイプの作品に関心が向かっている。
ドイツ語をやって、昔読んだ児童書を原文で読みたくなっている。
このドイツ語に関してだが、やってみて今のところ調子がいい。実は今年の目標は①「指輪物語」の原文読破、②ドイツ語の開始だった。①は成功したので②を3月15日(日)から始めているのだが、久しぶりに暗記の勉強をしていると、明確な目標が与えられた気がしてとても気持ちがいい。
それに、大学時代に1年間だけ学習したため、文法は少々覚えている。なので、単語帳と例文を照らし合わせて読解するときも、調べる量が少なくて済む。まだ初歩の初歩だからかもしれないが楽しい。昼休みに小説を読むよりも、単語帳に定冠詞と複数形を書き込んでいるほうが生き生きしている。自由時間をずっと読書にあてるという行動に変化が起きているので楽しんでいる面もあるだろう。
知識を増やすことそのものに対する忌避は、ドイツ語をやっている時には出てこない。あとは未知の都市を歩くことに憧れがあり、春か夏に行こうと持っている場所のガイドブックも読めている。知識というよりもデータベースに近いからかも。つまり、書籍でいろんな知識を学ぶときのように、直接人間が出てこないので、感情を動かさなくて済む。逆に言えば、こういう単純な知識を記憶するときは、哲学や社会学のように新しい概念を頭に入れる必要がない。それを面倒くさがっている面もあるだろう。
(そういう意味では自分の資産の管理方法や医療保険についてもちゃんと勉強したいのだが、実利と程遠いことのほうがやる気が出るのはなぜだろう?)
続きはトラバに。
なんということはない、増田が学生時代に実家に帰ってきていわゆる自宅合宿コースで免許を取った時のことである。
増田は中学校から県庁所在地にある中高一貫校に通っており、東京の有名私大に進学した。弊学のインカレサークルでは周りの底辺女子大の女学生が弊学の男子大学生を狙うという事がよくある光景だったのだが、増田が入っていたサークルの活動内容的に、増田はそのような関わりとは無縁に大学時代を過ごし、そして就職してしまった。しかし、一回だけ、「小学校にいた」女子と接点を持った機会が、車校だったのである。
別に、小学校の同窓生と車校で再会したわけではない。みなさん、地元の公立小学校にいなかっただろうか。少し気だるげな雰囲気で自分のことをウチと呼び、ちょっとおつむは足りないけれどテンションと愛嬌がある、作り物じゃないけど、少しそれを被ってもいるようなギャルっぽい女子。そういう女子が、僕の通ったコースにちょうどいたという話だ。マニュアル免許の自宅合宿コースは人が少なかったから、普通自動二輪の免許をすでに持っていた坊主頭のお兄さんと、僕と、その女子(仮に山田と呼んでおこう)だけが、同じ日に同じコースで入校したのだ。しかし、その坊主ニキは学科授業がない分どんどん進んでしまい、イチから免許を取るために四苦八苦しているのはいつの間にか僕と山田だけになった。
ぶっちゃけ仮免許の学科試験なんて簡単である。パターンは決まっているし、ほとんど至って常識的なことしか聞いていないし、気をつけるのは車両別進入禁止の標識がどこまでを対象にしているかくらいなモノなのだ。僕は勉強を少しずつ進めて、模擬試験を数回やって、大体90点は間違いなく越えられるようになっていた。彼女の初回の模擬テストの点数は今でも覚えている。46点だ。2択なのに、確率に負けていた。「模擬試験と一切同じ問題がでるなら、マルかバツかを50問分覚えて本番の仮免許学科試験受ける」と山田は言い切った。僕は爆笑した。いつの間にか賢ぶる人間ばかりと関わっていた人生だったから、ここまで素直に、自然体な「小学校にいた」女子に会えた事がとっても驚きと感動だった。模擬テストと本番の試験が異なることを知った山田の顔はさらに面白かった。さすがにオートマ免許教習じゃないからってクリープ現象を知らないのは不味いからね…なんて話した気がする。
それから技能教習でも山田は扱いきれないマニュアル車を一生懸命エンストさせてはエンジンを掛け直し、クランクで縁石に乗り上げては後退しを繰り返しながら必死に運転していた。1人1台運転し教官なしで指定された教習所内のコースを巡る日は、コースや車の位置どりがわからないからと、山田の希望で僕が1号車に乗らされた。そして僕に置いて行かれた途端、2号車の山田はコースを間違えた。おい。教習が終わって車を降りると、山田はやっと終わったと言って飛び跳ね、教習カードを教官から返してもらうと待合スペースにスキップで帰っていった。もう笑うしかなかったのである。
こういうタイプの人を単純に馬鹿とこき下ろすのは性に合わない気がする。だって僕は一緒に過ごしていて楽しかったのだ。一喜一憂を体現したり、ものすごく気だるそうに車に乗り込み、坂道発進で車を後退させながらも(マニュアル車って坂道発進難しいんですよ、普通に僕も慣れない)最後の試験には間に合わせながらフフンって言ってみたりしている彼女と教習を受けるのは、なかなかに楽しかったんだ。彼女自身が楽しく生きていることに巻き込まれて楽しかったと言えるのかもしれない。それがさらに僕の日常生活までに踏み込んできたと仮にしたらそれは楽しくないかもしれないのだけれど、車校の同級生という関係がなかなか絶妙な按配をしていたようだ。
教習が終わり、僕と山田はインスタさえも交換せずに会わなくなった。会わなくなったのは当たり前である。少なくともきっと、生きている地理的な世界が違うから。僕は賢いふりをする人たちの世界に戻った。きっと僕が賢いふりをすることに山田も疲れていたと思うし、それはそれとして平和は続いているのである。
だけどあの免許教習はとても面白い時間だったし、稀有な思い出になったと思う。もうすぐ色の変わる免許を財布から取り出してまじまじと見れば、そんなことを考える。
https://x.com/tokyofm/status/2035914464961474890
NEIGHBORHOODも、ついにここまで来たか、という感じがする
商売である以上、時代や市場に合わせて姿を変えていくのは避けられない
それでも、かつてストリートの文脈や反骨の匂いをまとっていたものが
気づけば大きな資本やメディアと手を取り合って“それっぽい記号”として消費されていくものを出す
金がなかった大学時代で無理して買った身としてはどうしても少し寂しい気持ちになる
FM東京がこういう企画を打つこと自体は今さら驚くような話ではない
せめてその精神性に対する最低限の敬意くらいはあってほしいとは思う
あの人が象徴していたのはきれいに整えられた広告的な“反骨”ではなく
生きていたらどう言っただろう
きっとまた笑いながら「資本主義の犬だな」とでも言い放つと思う
“分かってる人には分かるでしょ”みたいな顔をしているのを見ると
格好悪くなったのは服なのか企画なのか
こうやって反骨だったはずのものが
文章がムズくて読めない、には2通りあって、
一つは、単語がわかんないこと。
これは辞書にあたりながら読めば解消する。高校の英語の授業と同じ。
語としての意味は分かってるつもりでも、その本の中では特殊なワードだったりするから油断ならない。
もう一つは、文脈がわかんないこと。
「なんで急にこれ言い出した?」みたいな場所が、同じ時代の直前に出た本に宛てた反論だったりする。
そんなのこっちは読んでないからわかんないんだよ。なんなら現代では手に入らないし。
あと、当時の政府の行いに対する批判だけど、政府が何をやったかは書いてないとかね。
その2つが分かってれば読めるし、わかってないと読めない。
読めてるやつがなんで読めてるかって、それは例えば、事前に大学時代に授業で習ったとかだよ。
まず授業で習ったうえで、原典にあたるんだよね。あと授業相当の入門書とかね。
そっちからいったほうがいいよ。