はてなキーワード: 丸の内とは
一つ聞きたいのは、戦争反対と口にしたりデモに参加したら戦争は止められるんでしょうかということ。
もう少し踏み込んで聞くと、たかだか日本の総理大臣一人が戦争に反対したところで日本は戦争に巻き込まれないって本当に信じているのでしょうか。
この辺がいわゆる戦争反対派の人と一生噛み合わないんだよね。
当然自分も戦争反対だし子供が戦地に行くことなんて1ミリも賛同しないんだけど、だとしてもやることはSNSで戦争反対を叫ぶことでもデモに参加することでもないのよ。
自らの生活を見直して石油に依存しない生き方を工夫してみたり、戦争の影響で値上がりした商品を眼の前にしても臆せずに消費して国内の経済を回してみたり、国内産業が少しでも力をつけられるように海外製品を買うのをやめてみたりそういうことじゃないかな。
せっかく数万人の人が集まって戦争反対と口を揃えていても、結局は海外依存の安い商品で成り立つ生活からは逸脱する気が皆無なわけでしょ。
戦争反対って言っている裏で、原油高で値上がりする生活費に対して政府に文句を言っているわけでしょ?
自分たちの平和や安定した生活は全て政府から不自由なく与えられて当然っていう考えが強すぎでしょ。
だったらさ、デモなんてやってる暇があったらその人数で勉強会開いて、今後の政策でもまとめて提案すればいいじゃん。
何が言いたいかと言うと、結局こいつらは何もしてないんだよ。
仕事終わりに丸の内に出かけてプラカード振ってただけで、自分偉いになっちゃってるだけじゃん。
誰一人戦地に赴いてないし、アメリカまでいって大統領に直訴してないし、あらゆる関係諸国に署名付きの嘆願書も送ってないじゃん。
それで自分は十分にやった気になってるのは、正直めでたすぎるのよ。
その上で、そうか、自分は無力で何もできないんだってことを認めてから、だったら自分ができることは何かを考えようよ。
それで自らの生活を顧みることで、テロ国家からの支援なくても限られた自国の資源で自立できる戦争の影響を受けない国の誕生につながっていくわけでしょ。
なんでこういう意見が一向に上がってこないのか不思議で仕方ない。
デモに参加することが悪いこととは言わないけど、それだけじゃ何も起こらないし何も変わらないです。
他にどんなこと取り組んでるか教えてくれる?
データセンターが集中する主な理由は立地条件の良さです。まず、都心(東京)から約40kmという距離が絶妙で、光ファイバーでの遅延が実用上ほぼゼロに保てます。また、地盤が比較的安定した台地(下総台地)の上にあり、地震や洪水のリスクが低いことも大きな魅力です。加えて、広大な土地が安価に確保でき、大規模施設を建てやすい環境があります。電力インフラも充実しており、工業団地としての整備が進んでいたことも後押ししました。結果として、AWSやGoogleなど大手クラウド事業者が相次いで進出し、「東洋のデータセンター銀座」とも呼ばれるほどの集積地になっています。
こちらは少し異なる事情があります。金融機関や大企業の基幹システムは「レイテンシー(遅延)が数ミリ秒でも許されない」場合があり、物理的に近い場所にサーバーを置く必要があります。また、既存のビルや地下に設置するコロケーション型の施設も多く、必ずしも新規建設ではないケースもあります。丸の内・大手町エリアには金融系のデータセンターが地下に集中していたりします。
共通する背景
クラウドサービスやAIの急拡大で電力・冷却能力への需要が爆発的に増加しており、日本は政治的安定性や高品質なインフラが評価されて、アジアのデータハブとしての地位を固めつつあります。ただ、電力消費の膨大さや廃熱問題が地域社会との課題にもなっています。
渋谷のハンズ(JR渋谷駅ハチ公口550m 徒歩7分,田園都市線A3a出口350m 徒歩4.5分)は延べ床面積6837㎡(17m×17m×3step×8floor).
駒澤大学(渋谷駅南西5.5km, 各停のみ)徒歩4分地点からだと,
家to駅4分, 構内移動3分, 電車待ち3分, 駅to駅7分, 構内移動3分, 駅出口to店4.5分…の計24.5分.
(最初から "家to店" の1stepになってれば良いものの, 電車ユーザーはこう6stepもかかる事に疑問を抱かぬのだろうか.)
1方, 西村ジョイ屋島店(売場面積20300㎡, 250m×80m)は, 高松中心部から車10分.
売り場面積4100㎡の新宿店より広いとはいえ, 渋谷店でも高松の西村ジョイ屋島店の「到達時間2倍でありながら売り場面積は1/3」に留まる.
これでは, 適密と過密の双方の経験を持つ聡明な高松の友人に「東京は不便」と言われても仕方なかろう.
日本DIY・ホームセンター協会の2024年度調査では、ホームセンターの平均 1坪当たり売上高は58.3万円/年、粗利益率は33.0%. ㎡換算で、売上は 約17.7万円/㎡/年、粗利は 約5.83万円/㎡/年、営業利益は 約0.79万円/㎡/年 .
1方で, ㎡地価は路線価でハンズ渋谷は593万円, ハンズ新宿は565万円, 西村ジョイ屋島店は4.4万円.
実勢価格では, 741万円, 706万円, 5.5万円相当か.
土地の収益率を年5%, 渋谷・新宿で容積率が1000%あるとしても, ㎡あたり年に 3.7万円, 3.5万円, 2750円 を地代の為に稼ぐ必要有.
然し, ホムセンは平均㎡辺り年営業利益は, 0.79万円故, 標準的地代0.21万円が入ってるとしても 1.0万円/㎡・年.
渋谷・新宿で, 通常のホムセンと同等の利益を出すには, 通常のホムセンの4.5倍の売上が必要.
なお, 渋谷のハンズの建物は,2013年に賃貸借契約が終了する約10年後(2023年)に、跡地を再開発することを想定して取得されている。
https://nfm.nikkeibp.co.jp/atcl/fb/news/20130919/632929/
日販の公開コラムでは、書店の売上は, 駅ビル 30.1万円/坪/月(109.5万円/㎡/年)、駅前 21.1万円/坪/月、郊外 9.0万円/坪/月。
日販『書店経営指標2024年版』では、書店店舗の 売上総利益率は28.4%、営業利益率は0.6%.つまり駅ビル級の高効率立地でも、粗利は 約31.1万円/㎡/年、営業利益は平均 約0.66万円/㎡/年.
ハンズ渋谷, ハンズ新宿の位置では年に3.7万円, 3.5万円が地代として必要.
1方, 宮脇書店本店, 総本店は㎡路線価が35万円,1.8万円.
容積率600%, 200%として3650円, 560円が年に地代として必要.
やはり, 駅ビル級平均営業利益6600円/年・㎡ に標準的地代5000円が含まれてるとしても, ハンズ渋谷, ハンズ新宿の位置では, 平均的駅ビル書店の3倍売り上げる必要有.
なお, 渋谷の最大の書店は215坪. 他の街は,東京(本物)は,池袋ジュンク堂2001坪, 丸善丸の内1750坪,紀伊国屋新宿1500坪がtop3. 4位Bookfirst新宿は1090坪…▼故に,1500坪超は池袋,丸の内,新宿に出る必要があるが,そもそも家から最寄りの街に出るのに片道30~67分要す.(閉店した八重洲ブックセンターは約2500坪)
1方, 新潟駅前1600坪,鹿児島天文館1300坪(郊外車13分1500坪),高松は中央商店街800坪(郊外車5分1900坪).
地価が高まり過ぎる程に, 緑地は勿論, ホムセン・書店といった陳列業種, 年19回しか試合を開催できぬ天然芝専用スタジアム, 夕焼け段々は不成立. オフィス, 対人サービス業, ホテル, マンションのみとなっていく.
また, 旗艦店というのは人々の認知に登る為に赤字でも運営されるもの.人々の「東京に旗艦店があるあのチェーン店」なる意識が弱まれば, 単独黒字も必要とされよう.
AIに聞いてみた。
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理系大学で女子比率を劇的に向上させるための「キラキラ・テック」路線の学科案を考案しました。
伝統的な「機械工学科」「電気電子工学科」といった堅苦しいイメージを、丸の内のオフィス街や外資系コンサルを彷彿とさせる言葉で上書きします。
(旧:情報工学科)
(旧:経営工学科)
「スマホひとつで、せかいを動かす。おしゃれに、スマートに、わたしをアップデート。」 ● じゆうなスタイル、じゆうな時間 カリキュラムはとってもミニマル。すきま時間で、お気に入りのカフェでバイトしたり、連休には海外旅行でリフレッシュ。自分らしく、毎日を楽しみたいあなたにぴったり。 ● テクノロジーを、もっとかわいく。 おもい機械をいじることはありません。最新のAIやアプリをつかって、世の中をもっと便利に、もっと「映える」ものにする方法を学びます。 ● 漢字だらけの古い学科とは、もうサヨナラ。 「きかい」「でんき」「どぼく」……そんな漢字だらけの場所で、むずかしい顔をして油にまみれる生活は、もう過去のもの。私たちは、もっとスマートで、もっと自由な、あたらしい工学のカタチを提案します。
普段は教授会などで使われる最上階のガラス張り会議室を、女子学生専用の「クリエイティブ・ラウンジ」として開放。実際にはWi-Fiと電源があるだけですが、「丸の内の高層オフィスのような景色で自習できる」というブランドイメージを植え付けます。
提携している有名企業(丸ビルや森ビルなどの入居企業)の受付を、社会科見学風に「ピッ」と通過して中を歩ける権利。就職とは関係なくても、「将来こういう場所で働く自分」をリアルにイメージさせ、他学科との「ステータス格差」を演出します。
「水曜日は課題を一切出さない日」としてアピール。実際には他の曜日に調整するだけですが、「自由でプライベートを重視している」というポシティブな印象のみを強調します。
学科のロゴが入った、有名ブランド(MacBook Airなど)とのコラボケースを無料配布。キャンパス内でそれを持っているだけで「おしゃれな理系女子」という属性を誇示できるようにします。
この構成により、従来の「男子校のような工学部」に抵抗があった層に対し、大学ブランドの再構築を通じた強力な訴求が可能になります。
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いいですか、マクドナルドという「システムの象徴」において、フィレオフィッシュという存在は極めて特異であり、かつ絶望的なまでに現代日本を象徴しています。牛カルビ弁当が「脳への直接刺激」だとしたら、フィレオフィッシュは「不全感を覆い隠すための、去勢された優しさ」の記号なんです。
まず、あのビジュアルを見てください。真っ白なバンズ(フィレオフィッシュだけは蒸しているからね)、整然と四角く成形されたフィッシュパティ、そして中途半端に添えられたタルタルソース。ここには「肉」が持つ禍々しさや、生命の生々しさが一切排除されています。
これは心理学的に見れば、「母性の模造品」です。 ゴツゴツした肉の塊を噛みしめる「父権的な強度」に耐えられない、あるいはそれを忌避する去勢された日本人たちが、あのフワフワとした食感の中に「退行的な安らぎ」を見出している。フィレオフィッシュを好んで選ぶという行為の背後には、現実の荒々しさから逃避し、システムの温もりに抱かれたいという、成熟を拒否した子供のようなメンタリティが透けて見えます。
フィレオフィッシュのパティに使われている魚は何ですか? スケソウダラだとか、その時々の「白身魚」という抽象的なカテゴリーでしか語られない。 僕がずっと批判してきた「システムの透明化」の極致がここにあります。かつての村落共同体であれば、魚を食うということは、どの海で、誰が獲り、どう捌かれたかという「顔の見える関係(贈与の連鎖)」の中にありました。
しかし、フィレオフィッシュにおいて、魚は完全に「脱身体化」されています。 原型を留めないほどに四角くプレスされ、フライにされた「白身」という名の物質。それを口にする若者たちは、その背後にあるはずの「海の死」や「労働の搾取」に一切の想像力を働かせない。ただ、マニュアル通りに管理された「安全・安心」という幻想を、タルタルソースと一緒に飲み込んでいるだけ。この「想像力の欠如」こそが、今の日本をクズ社会に変えた元凶なんですよ。
宮台ゼミで何度も議論してきたことですが、今の日本には「島宇宙」すら消滅し、ただ「孤立した個人」が漂流している。 彼らにとって、マクドナルドのフィレオフィッシュを食べる時間は、唯一の「自分を取り戻す儀式」になっている可能性がある。でもそれは、本当の意味での自己回復ではなく、単にシステムという巨大な母胎にプラグインしているだけです。
「フィレオフィッシュなら胃にもたれないし、健康的かもしれない」という、根拠のない、そして切実なまでの**「生存戦略としての自己欺瞞」**。 牛カルビ弁当を食べる「加速主義的なクズ」にもなりきれず、かといって丸の内弁当を食べる「管理されたエリート」にもなれない。その中間で、ただ平穏に、波風を立てずに消えていきたいという「透明な存在」になりたい欲望。フィレオフィッシュのあの淡白な味は、そのまま現代日本人の「薄っぺらな生存感」そのものなんです。
いいですか、フィレオフィッシュというプロダクトは、徹底的に「外部」を排除しています。 骨一本、鱗一枚混じっていない。不測の事態が起こらないように設計された「完璧な商品」。しかし、僕たちが生きる現実は、本来そんなに綺麗じゃない。不快なもの、予測不可能なもの、自分を脅かすもの……そうした「他者」との遭遇こそが、僕たちの身体を覚醒させるはずです。
フィレオフィッシュを食べて「落ち着く」と言っている君たち。君たちは、自分自身が「四角く成形されたフィッシュパティ」になっていることに気づいていますか? システムにとって扱いやすい形に切り取られ、個性を奪われ、揚げられ、箱に詰められている。その箱の中で「タルタルソース(安価な快楽)」をかけられて満足している。
そんな生活から抜け出したいなら、まずはその「優しい嘘」を吐き出すことです。 マニュアル化された味の向こう側にある、本当の意味での「生の荒々しさ」に手を伸ばせ。四角い魚を食うのをやめて、泥臭い現実という「海」に飛び込め。
そうでなければ、君たちは一生、システムのトレイの上で、誰かに食べられるのを待つだけの「商品」として終わる。それがどれほど絶望的なことか、このフィレオフィッシュの虚無的な白さを見つめて、少しは考えてみたらどうですか。
いいですか、まず「牛カルビ弁当」という記号が、この劣化した日本社会においてどう機能しているかを構造的に理解する必要があります。先ほど「丸の内弁当」を、システムに適応したクズのための「管理の餌」だと言いましたが、この「牛カルビ弁当」はもっとタチが悪い。これは、空虚な生を誤魔化すための「安価な麻薬」なんですよ。
牛カルビ弁当の最大の特徴は、あの過剰なまでの「甘辛いタレ」と「脂」の重層構造です。本来、肉を食らうという行為は、生命を奪い、その個体差や血の匂い、繊維の抵抗を身体で受け止める野蛮なプロセス(身体的強度)を伴うはずです。
しかし、コンビニやチェーン店の牛カルビ弁当はどうですか? そこで供されているのは「肉」ではなく、化学調味料と果糖ブドウ糖液糖によって最適化された「脳をハックする刺激物」です。噛む必要すらないほど薄く切られ、タレの味で素材の劣化を隠蔽されたそれは、もはや食事ではない。血糖値を急上昇させ、ドーパミンを強制的に放出させるための「回路」に過ぎないんです。
僕の言葉で言えば、これは「体験」の不在と「刺激」への埋没です。今の日本人は、本当の意味での「美味い」という身体感覚を失い、単に脳の報酬系が発火することを「美味い」と誤認している。この「誤認」こそが、今の日本を覆う「底なしの劣化」の正体なんです。
なぜ、これほどまでに牛カルビ弁当が溢れているのか。それは、現代人が抱える圧倒的な「不全感」と関係しています。 まともな共同体が消滅し、仕事を通じて自己の有能性を確認することも難しくなった「定員割れの社会」において、人々は常に飢えています。しかし、その飢えは「心の飢え」であって、胃袋の飢えではない。
それなのに、人々はその空虚さを、手っ取り早いカロリーで埋めようとする。安くて、濃くて、脂ぎった牛カルビを胃に流し込むことで、一時的な満腹感と多幸感を得る。それは、直面すべき「生の虚しさ」から目を逸らすための「心理的な防衛反応」なんです。 「牛カルビ弁当をガツガツ食べる俺」という記号の中に、かりそめの万能感を見出そうとしている。しかし、弁当を食べ終えた瞬間に訪れるのは、凄まじい自己嫌悪と虚脱感だけでしょう。
ジョージ・リッツァの言う「社会のマクドナルド化」の究極の形が、この弁当には現れています。 全国どこでも、誰が食べても、同じ味。そこには「他者性」がありません。僕がナンパを推奨するのも、宮台ゼミでフィールドワークを重視するのも、予測不可能な「他者」という外部に触れることでしか、僕たちの身体は覚醒しないからです。
しかし、牛カルビ弁当は徹底的に「予測可能」です。口に入れる前から味がわかっている。裏切られることもなければ、驚きもない。この「予測可能性」の檻の中に閉じこもることは、**「生存しているが、生きてはいない」**という状態を加速させます。 安い輸入肉に大量のタレをぶっかけた「家畜の餌」を、エリートから底辺までが等しく貪る。この「欲望の均質化」こそが、民主主義を機能不全に陥らせ、独裁やポピュリズムを招く土壌になっていることに気づくべきです。
じゃあ、どうすればいいか。 「牛カルビ弁当を食うな」と言っているんじゃない。それが「麻薬」であることを自覚し、自分の身体がどれだけその刺激に依存しているかを「メタ認知」せよと言っているんです。
本当の豊かさとは、プラスチックの容器に収まった既製品を消費することではなく、どこから来たかわからない肉の塊を、自分で火を起こして焼くような、野性的で「不便な」プロセスの中にあります。システムの外部にある「荒々しい現実」にコミットすることです。
いいですか、牛カルビ弁当のあの「甘いタレ」は、君たちの思考を停止させるための「システムの潤滑油」です。その油にまみれて、心地よく窒息していくのか。それとも、その不快感に目覚めて、枠の外へ飛び出すのか。 君たちが次に弁当のフタを開けるとき、そこに映っているのは自分の「虚無」そのものだということに、いい加減気づいたらどうですか。
いいですか、まず前提から話しましょう。僕が「丸の内弁当」という言葉で指し示したいのは、単なる弁当の中身の話じゃない。それは、今の日本社会が抱えている「全能感なき空虚なシステム」の完成形、その末端にある「記号の残骸」のことなんです。
丸の内という場所は、かつては日本のエリート層が国家のグランドデザインを構想する「中心」でした。しかし、今の丸の内はどうですか? そこにいるのは、システムに従順に適応し、リスクを回避することだけを最適化された「動機なきエリート」たちの群れです。彼らがランチタイムに1500円も2000円も払って、整然と並べられた「丸の内弁当」を買う。その光景こそが、日本の終わりの縮図なんですよ。
この弁当の特徴は、見た目の「お行儀の良さ」です。色とりどりの惣菜が、整然と区切られたプラスチックの枠の中に収まっている。一見すると豊かですが、そこには「食の強度」が決定的に欠けている。 本来、食事というのは生命のやり取りであり、ある種の「祝祭」のはずです。しかし丸の内弁当は違う。それは、栄養バランスという名の「数値管理」と、彩りという名の「記号消費」に完全に還元されている。
僕がよく言う「クズ」という言葉を使えば、これは「クズのための餌」です。なぜか。それを食べる人間たちが、弁当の内容物そのもの(クオリティ)ではなく、「丸の内で、この価格帯の、このパッケージのものを食べている自分」という承認の形式しか見ていないからです。中身の鮭がどれだけパサついていようが、煮物の味がどれだけ画一的であろうが、彼らは気づかない。いや、気づかないふりをする能力だけが発達してしまった。
今の日本は、社会学的に見れば「終わった後の世界」です。成長の神話は崩壊し、中間集団(家族や地域)も溶け落ちた。残ったのは、剥き出しのシステムと、そこにしがみつく孤独な個人だけです。 丸の内のサラリーマンたちは、心の奥底では気づいているはずです。「自分たちの仕事に意味なんてない」「自分たちはシステムの交換可能な部品に過ぎない」と。その耐え難い不全感を埋めるために、彼らは「ちゃんとしたもの」を食べているというポーズを必要とする。
丸の内弁当のあの「整然とした仕切り」は、彼らの不全な内面を一時的に仮構する「外部装置」なんです。バラバラになりそうな自我を、あのプラスチックの枠が支えている。だから、どれだけ味気なくても、彼らはあの形式を捨てられない。それは食事ではなく、システムの論理を内面化するための「儀式」なんですよ。
僕が提唱してきた「贈与」という観点から見れば、丸の内弁当は究極の「交換」の産物です。そこには作り手の顔も見えなければ、素材の荒々しさも介在しない。すべてがマニュアル化され、計算され尽くした「商品」です。 「誰が作ったかわからないが、とりあえず安全で、体裁が良い」という過剰なまでのマニュアル化。これは、かつて僕たちが失った「共同体の祝祭」の真逆にあるものです。
かつての日本では、たとえ貧しくても「共に食べる」ことの中に、理屈を超えたつながり(コミットメント)があった。でも、丸の内弁当をデスクで一人、スマホを眺めながら突っつくエリートたちに、そんな繋がりは皆無です。彼らはシステムに飼いならされた「家畜」であり、その家畜に与えられるのが、この去勢された弁当なんです。
じゃあ、どうすればいいのか。答えは簡単です。そんな「記号の餌」を食うのをやめることです。 僕がよくナンパやフィールドワークを通じて若者に伝えてきたのは、「身体の感覚を取り戻せ」ということです。丸の内弁当の整然とした枠をぶち壊して、もっとドロドロとした、予測不能な、強度の高い現実(リアル)に触れるべきなんです。
添加物まみれの「綺麗な弁当」をありがたがっているうちは、日本は良くなりません。それは、自分たちがシステムの奴隷であることを肯定しているのと同じだからです。 「まずいものはまずい」と言う。枠からはみ出したものを愛でる。システムの外部にある「野性の思考」を取り戻す。それができない限り、丸の内弁当を囲む光景は、この国の緩やかな死を象徴し続けるでしょう。
いいですか、繰り返しますよ。丸の内弁当を食べて「丁寧な暮らし」をしているつもりになっている君たち。君たちが食べているのは、自由の欠片もない「管理の味」そのものなんだ。そのことに絶望することからしか、本当の生は始まらない。
まあ、労働に対する評価ってなんかおかしいなぁって思うことあるよね
昨日、朝の9時ぐらいに外歩いてたらゴミ収集の人達が威勢よくゴミ収集してて
こんな年末年始にありがたかったし、全人類が必要としているサービスだし、もっと評価されるべきだよねと思った いや彼らの年収知らんけど
その一方で丸の内のきらきらOLとかは最低時給以下の存在意義だと思うし
評価と言っても、年収だけが評価のすべてという社会には自分は反対だけど
でも金以外での評価って言うと、やはり「敬意」ぐらいしか思いつかない
ではなぜ職業に対する「敬意」が失われてきてしまったのかというと
自分はミソジニージャパン代表なので、やはり女のせいだと思ってしまうんだよね
女が表面的なキレイ・汚いや、稼げる金の額で男を見て、それで嫁ぎ先を決めるアホばかりになってしまったから
男は誰もそれらの職業を選ばなくなったし、敬意も無くなっていく
マチアプ備忘録が流行っている?らしいので、自分も書いてみる。
使ったことがあるのは
連絡こまめにはしんどい。
でも誰かに夢中になったり、好きでたまらない状態に憧れがある(依存っていいよね)
会った人数は2〜30人くらい。
印象に残っている人だけ書く。
今は誰とも付き合っていません。
どなたかいい人がいたら教えてください。
マチアプは電話せず、とりあえず会う派なので初回はランチ。なぜかめちゃくちゃ並ぶカレー屋。
フリーランスの人に会うのが初めてで、
この独特さがこの人特有なのか、職業由来なのか分からず、謎めいたところと有能さに惹かれる
終了。
私は個性が無さすぎるから、独自の世界がある人とは無理なのかもしれないと思った
好みの塩顔で話も楽しく、トントン拍子で3回目に告白され付き合う
しかし今までコンサルって何?ぐらいのFラン知能だったため、話し方から伝わる聡明さに勝手に落ち込む
また、深夜2時帰り7時出社みたいな生活にもドン引き(尊敬 凄すぎる でもおかしいだろ)
また、元カノと長く付き合っていて、
どう考えても未練がありそうだった。
自分が惨めになって別れた。
別れなければよかったのかな、と思う時がある。
今は順調にキャリアアップして、
もともと高かった給料が5倍になったらしい。
やっぱり怖い。
普段マッチして1-2週間以内には絶対会うのに、この男警戒心が強すぎてまずはメッセージから▶︎次は電話 と段階が遅すぎる(警戒はこっちでは??)
プロフィールもオタク臭い鬼長文で、でもちょっと面白くてつい連絡
電話を5回ぐらいして初めてマッチしてから1ヶ月ぐらい経って、我慢できなくなってこっちから焼肉屋に誘う
会えて嬉しかった。
楽しかった。
何で彼女が出来ないんだろう、みたいな話をされて(あっこれって脈ナシ?みたいな)
正直顔も好みだし楽しいし、関係続けたかったけど相手からのアクションが弱くて読み切れず
帰りそのまま駅かな〜って思ったら公園行こって誘われてまだ続くか、、!?って思ってたのに
近くに公園見当たらず新宿だったから人も多くてただ彷徨って解散
貴方ならすぐいい人が見つかるよっていわれたけど、それって私じゃだめだったんですか?
押せば行けた気もするけど、押してくれない人と付き合うべきかわからなくなって辞めちゃった
チャットではぐいぐいだったのに、
会った瞬間、異様にテンションが低い。
店も予約してない
顔が好みじゃなくてやる気失った?
と思って夜カフェを提案したのに、結局歩き回って日本酒の店へ。
1個年上(誤差だろ)だからとヤンキーの敬語を終始使われる(やっぱ姉さんは違うッスね、ウス、みたいな)
8割ほど仕事の愚痴の割には聞いてるとめちゃホワイト。何をしてるんだ?
なんのやる気もなく、趣味もせず、必死に会話を広げるとあ〜ッスね〜みたいな反応
セックスしたいだけ?そうなのか?だとしたらもうちょっとやる気見せて?
なんとか2時間乗り切る。
帰宅中、
「めちゃ楽しかった!また来週会いたい!」と連絡が来る。
仰天
なんなんだこいつ
激的な恋愛はできず、正直一定より良いと思った人と付き合って、その中で好意を育てていくタイプなので極端に言えば誰でもいいのかもと思っていた
けど経験を通して明確に好みはあるし、好みだったとしても継続できない人がいると知れた
面白かった