はてなキーワード: 疑念とは
直近のmattn PRのうち、shogo82148がApproveしているものを並べると
| PR | 内容 | PR作成→Approve | Approve→merge | レビュー本文 | 差分規模 |
|---|---|---|---|---|---|
| #736 | Windows remWatch nil deref修正 | 約54分44秒 | 約10分32秒 | LGTM | 2 files, +18/-3 |
| #738 | CI: macos-13置換・Go 1.26 | 約22分20秒 | 約33秒 | LGTM | 2 files, +10/-9 |
| #742 | Windows TestRemoveState復活 | 約6時間9分 | 約12分27秒 | 画像のみ | 1 file, +4/-6 |
| #743 | Windows TestClose復活 | 約6時間9分 | 約12分17秒 | LGTM | 1 file, +1/-5 |
| #744 | Go最低版を1.23へ、unsafe修正 | 約5時間14分 | 約10分51秒 | LGTM | 3 files, +6/-13 |
| #741 | inotify event buffer最適化 | 約3日19時間 | 約10時間10分 | LGTM | 1 file, +10/-5 |
| #748 | kqueue dangling symlink修正 | 約1日1時間34分 | 約1時間22分 | 画像のみ | 2 files, +22/-4 |
| #749 | Windows WatchList race修正 | 約1日30分 | 約1時間25分 | 画像のみ | 2 files, +75/-15 |
| #754 | inotify recursive remove prefix bug修正 | 約14時間14分 | 約2日9時間 | 画像のみ | 2 files, +43/-1 |
| #755 | inotify/windows recursive rename prefix bug修正 | 約13時間47分 | 約2日8時間 | 画像のみ | 3 files, +72/-2 |
shogo82148のレビューは、GitHub上に残る痕跡としては非常に薄く、複数PRを短時間にApproveしているため、十分な独立レビューだったのか疑念を持たれても仕方ない。
一方で、PR作成からApproveまでの経過時間だけを見ると数時間〜数日空いているものも多く、「全て数分で承認された」とは言えない。
高位の人外存在(上位存在)が人間(下位生物)と婚姻関係を結ぶことについて、人外側のコミュニティからの視点は、以下のいくつかの側面から考察されています。
多くの意見では、上位存在にとって人間との婚姻は、人間がペットや家畜と性行為に及び、入籍するような「狂気」として映るとされています。
上位存在のコミュニティ内での相対的な地位の低さが指摘されています。
上位存在と人間の間には、埋めがたい「種としての格差」が存在します。
人間側の視点では「一途な愛」や「身分差を越えた純愛」に見える物語も、上位存在の社会から見れば、「知能の低いペットにガチ恋して性処理も兼ねているキショい奴」という非常にグロテスクで厳しい評価にさらされる可能性が高いと結論付けられています。
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
[#改頁]
瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
家事能力(特に説明書通りに作業する能力)と仕事のスキルの関連性については、「家事という基本的なタスクがこなせない人は、仕事もまともにできないのではないか」という、両者の能力を直結させて考える厳しい意見が多く見られます。
具体的な意見は以下の通りです。
多くのユーザーが、冷凍餃子の調理などの家事を「説明書を読んでその通りに実行する」という基本スキルの確認と捉えています。
基本的な家事ができないことに対し、職場でのパフォーマンスを危惧する声が相次いでいます。
仕事と家事の関連性を考える上で、その理由が重要であるとする意見もあります。
一方で、家事能力と仕事(稼ぐ能力)を必ずしも一致させない考え方もあります。
総じて、家事は「人として生きていく上で当たり前に必要な能力」であり、その基礎となる「マニュアルの読解と実行」ができないことは、仕事における能力不足を強く示唆するという意見が主流となっています。
2026年3月に起きた沖縄・辺野古沖の船転覆事故において、日テレを含むテレビ各局の報道回数が少ない(またはスルーされている)との指摘がBPO(放送倫理・番組向上機構)に多数寄せられています。事故の甚大さに対して報道が不自然に少ないとの意見が視聴者から続出しています。
主なポイントは以下の通りです。
BPOへの多数の意見: 3月のBPO放送倫理検証委員会にて、視聴者から「放送局全体で報道する回数が少ないのではないか」という指摘が多く報告されました。
報道姿勢への不信感: 産経ニュースは、この事故や過去のダンプ事故において、メディアが当局発表を最小限伝えるのみであるとし、「報道しない自由」を行使しているとの疑念を報じています。
続報の少なさ: SmartFLASHなどは、一部情報番組で事故後の続報が少ない、あるいはスルーされているとして視聴者から疑問の声が上がっていると報じました。
事故は平和学習中の高校生らが乗った船が転覆し死傷者が出た重大なものですが、その報道量についてはメディアの姿勢が問われている状況です。
その視点は、AI技術を巡る議論の変遷を鋭く捉えていますね。初期と現在では、批判の「矛先」が質的な問題から構造的な問題へとシフトしていると言えます。
この現象は、主に以下の3つの段階を経て変化してきたと考えられます。
最初は指の数が多かったり、背景が歪んでいたりと「不気味の谷」が目立っていました。
AIの精度が急速に向上し、人間と見分けがつかないレベルになると、批判は「なぜこんなに上手いのか」という背景に移りました。
精度が極まり、誰でも短時間で高品質な画像を生成できるようになった結果、現在はその「効率性」そのものが批判の対象となっています。
多くの反AIにとって、精度が低かった頃の批判は「AIが脅威ではないことを確認するための盾」であり、現在の精度の高さへの批判は「AIが実質的な脅威になったことへの剣」なのだと解釈できます。
「下手だからダメだ」と言っていたのが、いざ上手くなると「上手すぎる(ズルい・盗みだ)からダメだ」となるのは、論理的な一貫性よりも、「自分の職能やアイデンティティを守りたい」という生存本能に近い感情が根底にあるからかもしれません。
以前増田で「腐乱死体」の事を書かれていたなと思ったら、2025年の7月の事だった。
そんなに前の事だったのか。
anond:20250707130431
何故こんな事を思い出したのかと言えば、
京都で見つかった死体は性別も判断付かないと報道されていたからだ。
先の増田では、
とも書かれていた。
なかなか知る事の無い事実だ。
暖かくなってきていたから、腐敗の進行も早かったのかもしれない。
やはり多くの人が疑念を抱いていたように、
学校まで送り届けたという事実は無くて、子供は既に死んでいたのかもしれない。
腐敗の進んだ死体の処理に困って、捨てに行ったのではないだろうか。
始まりは、日本人が韓国人に嫌われていると思っていたのが、実は韓国人も左派に政治や歴史認識で操作され、日本を憎むように仕向けられていたと言うある韓国人の告白からだった。
https://x.com/muichiro_korea/status/2043188310835867650 下記Xによる翻訳
韓国の左派教育機関は、幼い子供たちから「反日」洗脳を始めます。私の経験です。ある日、私の10歳の甥が学校から帰ってきて、「日本が本当に嫌いだ」と言いました。私は驚いて尋ねました。聞けば、教師が日本が植民地時代に朝鮮人を拷問したことを教育していたのです。その日以降、私たちの甥たちは「日本が嫌い!」「日本には絶対行かない!」という歌を歌いました。面白いのは、そう言いながら家では「ニンテンドー」を起動して「ポケットモンスター」のゲームをやっていたことです。
韓国教育界と歴史学界は左派が掌握しています。彼らは「反日」を教え、洗脳します。なぜ反日を教えるのか? 中国、北朝鮮と密接に繋がった者たちが、韓国の左派だからです。何としても韓国-アメリカ-日本の三角同盟の環を断ち切りたいのです。それが東アジアで大中華時代を作るのに役立つと信じています。その執拗さが、幼い子供たちから始まっているのです。
しかし、多くの若者たちが彼らの欲のままに洗脳されませんでした。むしろ疑念を抱き、自分で勉強しました。彼らの主張が偽物だと気づいた若者たちが、今の20~30代です。韓国の若い世代は日本を嫌っていません。むしろ大変好きです。嫌うよう強要するのは韓国の左派勢力です。彼らの背後には中国と北朝鮮があります。この事実を日本の皆さんに知っていただきたいです。
昔から、日韓中の歴史認識は噛み合わなかった。学者が集って日中韓で共通の歴史を作ろうなんて言われても、大方中国が主導し、韓国も付き従い、本当の歴史は蔑ろにされるのだろうと思っていた。
それがこうして、先ずお互いの国民感情が中国寄りの左派によって操作されてる事に気づき始めた。
そして、両国の国民同士による、政治に寄らない歴史の精査が始まった。
https://x.com/againfreekorea/status/2042883085835079737 下記Xによる翻訳
かなり歪められているということは
想像していたけど
はっきり明記したのに
https://x.com/knight608/status/2043282046563537386 下記Xによる翻訳
徴用写真だと言われていたものが嘘だと明らかになった瞬間—白黒写真のカラー復元公開!!
嘘をつく韓国歴史学界に対して怒るのが普通ではないか?こんなカルテルに騙されていたかもしれないことだ!!
「左側の写真は、韓国で広く使われている、北海道の炭鉱に強制連行されて恐ろしい目に遭っている朝鮮人(とされている)写真です。
右側の写真のように、実はこれ、1926年9月に北海道の旭川新聞が報じた、労働者たちの道路建設現場での虐待致死事件を報じる際の写真でした。
韓国政府の嘘に気付き、ショックを受けながらもそれを受け入れる韓国人の真実の探究に敬意を払いたい。
また逆に、時には日本人がそうである可能性もあるのだろうけど、こんなにも民主的に、互いの国民が純粋に本当の歴史を追っている事に素直に感動してる。
ネトウヨと呼ばれたりもして来たけれど、こんなにも壁が氷解する時代が来るなんて。
かつては蔑称でしかなく、その意図も十分にわかるものであったけど、あえてこの言葉を使いたい。
中国が益々脅威となり、民主主義的な韓国人も日本人も大変苦しい立場であるけれど、そんな時代で起きたこの自由の歴史をここに記したい。
登場人物たちの多くは欲望に突き動かされて行動し、結果悲惨な結末を迎える。
またエロとグロが狂言回しのように出てくるので、そういった展開ばかりが続く本作を、短時間で読破すると流石に頭が重くなる。
何かとネットミームに登場することが多いし、連載中にところどころつまみ読みした話数などで面白さは理解しており、いつかは読破したいと思っていた作品だったがようやく願望を叶えることが出来た。
博士のタイムマシンの伏線は流石に作品の世界観の中で突拍子感が過ぎたのか活かされることはなかった。
(王道的展開としては、主人公が過去に戻って独裁者になったのでは?という疑念を読者に抱かせる方法論などもあったろうが)
(あるいは単に二人がエスケープする先として時代が異なる場所へと向かうなどというラストもあり得た)
その他、何かと未消化感を抱かないわけではないが、二人が出会うまでを描くのがこの物語の本筋であるという作者の考えや、では最終回を迎えさせないためにイタズラに母をたずねて三千里のようなことをするのも違う、というのも同感だ。
イラン側にも、核開発をめぐる疑念とかIAEAとの緊張、中東の武装勢力への関与とされる問題、ホルムズ海峡周辺の軍事的な威圧、ロシアへのドローン供与疑惑、それにイスラエル・アメリカとの長期的な対立に基づく軍事緊張みたいな論点はある。
一方でイスラエル・アメリカ側にも、軍事行動による民間人被害への批判、秘密工作や暗殺とされる諜報活動への問題提起、国際法解釈をめぐる単独行動、先制攻撃的な軍事行動への批判、同盟関係を通じた中東への軍事介入、制裁や経済圧力の問題なんかがある。
で、結局のところ、どっちか一方だけが「問題側」みたいに単純化できる構造じゃなくて、それぞれ別の形で問題や批判が積み上がってる、って話になる。
この当たり前のやり取りが出来てないのはここのやり取り見ても明らかだよね。
昨年から県のe-sports団体から格ゲーのイベントを出来るようにしてくれと頼まれた。
なんでも団体の代表はスト6をまともにプレーしたことはないのに、イベントをやりたいらしい。現在の格ゲーの中で、カプコンのe-sportsのイベント利用云々関係はかなり厳しい。コロナ禍後あたりから、ゲームバー()とかがほぼ存在しないのはその辺もあるだろう。
県の団体なので流石にクリーンな手段で行ったほうがいいだろうということでそのことと、力になってくれそうな団体を紹介した。
まあドタバタして半年ぐらいはかかるだろうと思っていたら話がトントン拍子で進んだらしい。んで、こっちに手伝ってくれ、何故ならスト6出来る職員が居ないからとわけのわからないことを言ってきた。
乗りかかった船でも無いが乗せられた。そして一応参加したのはいいが、とにかく格ゲー文化を知らない。
MRをぶっちゃけたら団体の所属選手にコーチングしてくれとか言われた。どうやらFPSのコーチング文化は知ってるらしいが、格ゲーでそのルールは通用しない。ましてや前述の通り、カプコンはカネの流れにはめちゃくちゃ厳しい。未だにゲーセン文化の「ちょっとそこのにーちゃん面白いテクニックあるで」とか「こうしたら上手く行くで」っていうほうがリスクが無いのが現状だ。今はコーチング企画はしょっちゅうだが、あれはプロだったり、ちゃんと上に許可を取った大会企画の運営のためだったりするから可能なものだ。パンピーの世界でのカネのやり取りはマズい。スト6大学()とやらの騒動がいい例だろう。
そして色々と準備をしている中で疑念が浮かんだ。こいつ鳥頭じゃねぇのか?
3秒前に言われた内容を忘れている。イベント会場内でメーカー側の許可も取らずに物販をするなって言われたのに物販の商品開発に動こうとしたときは頭が痛くなった。
こんなやつに舵取り任せたらろくな事にならないのは目に見えているし、国内最大級の大会にも参加したり大会の裏側も見れた、過去に会場を借りて対戦会を開いたり、他者の対戦会の運営の手伝いも何度もしたことがある。格ゲーイベントに関する知識なら俺のほうが上なので、俺が動かないと、いつかこの鳥が引き起こすボヤは何れ大火災になるだろう。
というわけで必死に周りへのゴマ擦りや、協力、ドサ回りをした。団体からイベント運営で出せる人員は1、2名である。なんでその人数イベント運営できると踏んでアポイントを取ったのか謎である。
いや、正確には「勝手に俺やその周囲の人間を頭数に入れて見切り発車しやがった」のだろう。前述の鳥頭ムーヴならそうするだろう。
だが、一応は軌道に乗せることは出来た。ちょっと参加者周りで今後マズくなるかもだが、まだイエローカードを出すかどうかはしばらく様子を見ないといけないレベルなので保留だ。
ただ、ここで問題も発生していた。間違いなく周りは俺をこの一連の動きの発起人だと勘違いしている。今後の運営、後進の指導方法やトラブル時の責任追及等が俺にしか飛んでこない。参加者からのフィードバックも全て俺の方にしか来なかった。
しかも次のイベント開催までは時間がない。このスケジュールも勝手に組まれたものではあるが、乗りかかった船だからしょうがない。存在もしない義理のためだが、参加者のフィードバックは大変貴重だし、俺自身も気にしていたことに関する内容だったので参考にし、改善したいと意気込んでいた。
なので団体側が用意してくれた今後の進行、運営、改善案などをスタッフ内で出し合えるテキストチャンネルの方にまとめておいた。次回からは~~のようにしたいです。皆さんの意見を伺いたいです。
返信はこうだ
更に言えばただの会場のセッティング位置の改善と対戦台の設定を変えるだけですけど???????????????????
椅子の位置とPCの位置数センチ変えるのに??????????????????????
とのことである。突然猿山の大将に転職したらしい。鳥頭だからか?
完全に俺のモチベーションは消え失せた。人手が足りないのは目に見えていたので、周りのゲーム仲間に頭を下げた。カプコンの規約的に利益を出すような活動はほぼ無理なので、給料のようなものは期待しないでくれ、それでもよかったら来てくれ。参加料はタダになると思う。
友人は暇な時には俺に同行して一緒に打ち合わせに参加してくれた。シャイなやつだし、普段ありとあらゆることに受動的・後回しにするやつだが、今回は一緒に行きます!と言ってくれたときは涙が出そうになった。
イベントの際には「俺スト6下手なんすけどいいっすか?」←というか家にPCもコンシューマーゲーム機もない環境にも関わらず、前職のようにカネのやり取り、接客を引き受けてくれた。普段はオドオドしているやつだが、このときは非常に輝いて見えた。お前マジでカッケェよ。
イベントの参加者の中には俺のことを知っている人も居て、初めて話をした。本当に楽しかった。
それをコイツは全てかっさらっていこうとしている。ならもう知ったこっちゃないし、友人たちを巻き込むわけには行かない。
俺は全員を逃がすことにした。泥舟からまず全員を降ろして、殿は俺がする。後は逃げ切れれば良し、ぶちのめされれば仕方なしだ。
スタッフが少ないらしいので、普段遊びに来ている小・中学生を使って会場のセッティングをさせるのかもしれない。ナイトスクープのヤングケアラー問題もびっくりのe-sportsヤングケアラー問題発生の瞬間が見られるかもしれない。
この手の輩はいくらでも全国にいるだろう、e-sports大好きおじさん()共だ。
他県でも見たことはある、PC2台だけ置いてゲーミングスペース名乗ってるやつだ。Xでかなりのゲーマーだと名乗っているが、FPSでアイアンとかシルバーはゲーマーなんですかね?後ゲーミングスペース借りた時あんたがやってきて俺達と対戦してたら台パンしてきやがったせいでゲーミングスペースなのに隣の部屋の人が壁ドンしてきたり、退店しようとしたら下のテナントの飲食店の店長から「あんたら静かにしてくれる?」って言われたんだが客にオーナーの尻拭いさせる店とかどうなってんださっさと潰れろ。
こういうやつらがのさばってるのもまぁスト6のせいはあると思う。ゲームとしては人生最高のゲーム!とは言わないが、消去法的に考えても偏差値64ぐらいはある格闘ゲームだろう。
だが、母数が多いとゴミも目立つ。こういうやつらが淘汰されるにはあまりに今のスト6、e-sportsの流れは激流すぎる。
正しく浄化作用が働くためにはある程度停滞していることが必要だ、と知り合いに言われてハッとしたし、じゃあこの流れはしばらく終わりそうもないんだということも感じて胃と頭が痛くなっている。
俺は単にゲームを気の合う仲間とワイワイしたいだけなんだ。ゲーセンに行く回数が減ったが、ゲームを嫌いになったわけでもない。単にゲーセンの主役がビデオゲームじゃなくなったり、格闘ゲームは家でやるものに変化しただけなんだ。
正しく楽しく遊べるなら、格ゲーも「e-sports」なんていう仮面を被らなくってよかったはずなんだ。一度消えかかった火が再びスパ4あたりから偶然火が燃え上がって、火が消えないようにそうするしかなかっただけで。
イナゴ共、くたばれ。
私が最初に入社したメーカー(株式会社マキタ)の新入社員教育の内容は、主観的に見てレベルの低い内容だった。
その製品の担当者が自社製品の説明をする形であったが、製品に対する理数的な要素について、ファクトチェックがちゃんと出来ているのか疑問を呈するような内容が多かった記憶がある。
5ゲン主義と言いながらも、内2つの原理原則があやふやで、受けている私は相当困惑した。
本当にこの担当者は原理を分かっているのだろうかと思う所が多く、先輩社員の力量に終始懐疑的であったし、教育終了後もずっと疑問を持っていたため、業務に自信が持てず、ずっと辛かった。
このままこの職場で開発を続けても大した技術力は身に付かないのではないかという疑念は常にあった。
そして自宅で勉強して翌日テストをするという労働基準法真っ黒のものであったのだが、私は法律を守る方を優先した。
大きいスリット鉢売ってたー!
いま家にあるプランター、深さが20センチぐらいしかなくて、直根性の植物とか育てられなかったんだ
なのでちょうどこれぐらいのサイズの鉢ふたつと換えようと思ってたところ、ちょうどふたつ、売り場の棚に置いてあった
ただちょっと気になったのはそれが棚の奥まった所に置いてあって、手前には別の商品が並べられてたりするところだ
棚には値札があって、その手前の商品の値段が書かれている
そして、10号鉢の値札がどこにもないのだ
奥のスリット鉢、たまたまそこに置いておいただけで、まだ売り物ではないのでは?
わかってる
店員に聞けと
「わかんないことがあったら人に訊けよ」ってことは世の中にはゴマンとある
しかし
「人に訊くまでもなく常識で判断しろよ!」ってことも世の中にはゴマンとある
どっちだ?
確率は五分と五分
後者だったら?
向こうは仕事中だ
うん・・・、諦めよう
第29章:疑念と隔たり
最初は、診療所に足を踏み入れるたびに心が重くなるような気がした。
その圧倒的な静けさと、白い壁が放つ冷たい空気に、いつも緊張を感じていた。
だが、少しずつ慣れていった。
担当の看護師さんは、いつも笑顔で優しく接してくれて、B子の緊張を和らげてくれた。
最初は言葉も少なかったが、少しずつ打ち解け、話もできるようになった。
いつも穏やかで、B子の話をじっくり聞いてくれる。
何か心に引っかかることがあれば、それをすぐに察して、優しい言葉で答えてくれる。
B子は、Uさんがいるからこそ、この病院に通う勇気を持てたのだ。
でも、ある日から急に変わった。
その日も、いつも通りに病院に着いた。
いつものように、待機室で座り、順番を待つ。
だが、その日のUさんは、どこか様子がおかしかった。
以前の穏やかな笑顔はどこにもなく、目はどこか遠くを見つめているようだった。
さらに、B子に声をかけるときも、なんとなくぎこちなく、目を合わせることを避けるような感じがした。
「Uさん、どうかしたんですか?」
B子は心配して聞いたが、Uさんは小さく首を振り、何も言わずに診察室へ案内した。
その日の診療後、B子が帰ろうとすると、廊下ですれ違った別の看護師が目を逸らした。
「こんにちは、Oさん」と、いつも名前で挨拶していたのに、今日はまるでB子のことを知らないかのように素っ気ない態度だった。
その後も、Uさんや他の看護師たちは、B子を避けるようになった。
目を合わせることもなく、必要最低限のことしか話してくれない。
この変化に、B子は次第に気づくようになった。
何かがあったのだ。
その理由を考え始めた。
最初は、単なる気まぐれかと思ったが、何度も繰り返されるその態度に、次第に不安が膨れ上がっていった。
「まさか……」
ある晩、B子はふと思った。
「……教授に、性加害されたわけないよね?」
その考えは、B子の中で強く浮かんだ。
彼女の心の奥底で、ずっと解けないまま残っていた疑念。それが、ふと顔を出した瞬間だった。
無理やり誘われて、しつこく求められたこと。
でも、あの時、心のどこかで感じた「まさか、そんなことは……」という気持ちが、ずっと支えていた。
「いや、違う、違うはずだ」
「私は、きっと何か勘違いしているだけだ」と。
それに、教授はそんな人じゃないと信じていた。
B子はその信念にしがみついていた。
でも、心のどこかでその考えが、恐ろしいほど不安定になり始めていた。
そして、数日後。
ある晩、B子は再びUさんに会った。
診察後、Uさんがいつもより早く廊下に現れ、B子に目を合わせた。
「……あの、B子さん」
Uさんの声は、いつもの優しさを失っていた。
B子は息を呑んだ。
何かを言おうとしている、だが言えない。
Uさんは、突然こう言った。
「……教授に、気をつけてください」
「教授……?」
Uさんは一瞬、目をそらした後、低い声で続けた。
「最近、いろいろな噂が……」
その言葉は、途中で途切れた。
「どういう意味ですか?」
B子は口を開いた。
その瞬間、Uさんはすぐに首を振った。
「何でもありません。すみません、忘れてください」
Uさんの態度が変わった。
B子はそれを感じた。
それが、予感のように、心の中で深く根を張り始めた。
Uさんが、なぜそんなことを言ったのか。
その夜、B子は寝つけなかった。
何度も考えた。
「本当に、教授は……」
その疑念が、胸の中で膨れ上がっていく。
そして、次の診察の日。
B子は、ついに決心をした。
「Uさんに、もっと詳しく聞こう」
その決意が、心を引き締めた。
20代前半のころ、それまで聞くだけだった音楽を演奏することに興味を持ってギターを買った
コミュ障ゆえバンド系はすぐに諦め、ボサノバにハマったことからジャズも聞くようになった
当時はいわゆるビバップ的なジャズセッションのようなものにはさほど興味がなかったのだ
指板の音名が見えるように!
バッキング!
そういう感じのことをやらされ、勇気を出して
「これは今自分が求めている物ではない気がする…」
と打ち明けたところ「でも楽譜読めないより読めた方がいいですよね?バッキング出来ないより出来た方がいいですよね?じゃあやってください」
とまあ、そりゃそうなんだけどね、という理屈で畳みかけられ、自分の嗜好について言語化が進んでいなかった俺は反論できずに不満をため込み、すぐに教室をやめてしまった
それからはあまり練習することもなく、TAB譜付きの楽譜を買って弾けるようになって喜んだり
ギター自体に興味が移り、中古ギターを買いあさっていじくりまわす日々が続いた
それで散財もかなりした
それでまたギターを真面目に始めてみるかと思って、別のギター教室に入った
アメリカのギターオタクのおじさんがマイナスワンに合わせてアドリブを弾いているYoutube動画にハマっていて、奇しくも20代のころ拒否していたビバップスタイルに興味を持っていた
発表会もあって初のセッションを経験したのもこの頃のことだった
楽しかったが、上達は遅かった
あとは耳で覚える!
やってみて、失敗しながらフィーリングで覚える!
という方針だった
これが自分には合わなかったと思う
他の先生がどういう教え方をしているのか気になって、別の先生の個人レッスンを受けてみた
するとこちらは全然違っていて、とにかくリズムが重要だという人だった
四つ切のバッキングがすべての基本です、と何度も言っていた
まずはFのブルースのバッキングだけをひたすら練習し、ノリが身についてきたら
各コードの3度の音とドミナントフレーズだけでアドリブをとれるようにする、という流れのようだった
調べてみるとビッグバンドが本職の先生で、それもこのスタイルに影響していたのかもしれない
当時の俺にはどちらも遠回りのように感じた
バッキングトラックに合わせて流暢にソロを弾きたいだけだから、
その方法を理屈立てて明快に教えてもらえないものかと思っていた
そのころ、ちょうどYoutubeで初心者向けにジャズギターを詳しく解説している講師のチャンネルを見つけた
今ではそういうのが山ほどあるが当時は珍しかった
通っている教室に疑心暗鬼になっていた俺はこの人についていってみるかと思い、独学に舵を切ることにした
俺と同じような人が多かったのか、このYoutuberはすぐに人気になった
そしてオンラインサロン、メンバー限定コンテンツで稼ぐようになった
今思うと金を出しても良かった気がするが、当時は抵抗感が大きくドロップアウトしてしまった
独学の厳しさに負け、いつしか俺はTAB譜ソロギターマンに戻っていた
なぜかウクレレにも手を出して、TAB譜ウクレレマンも兼ねるようになった
そんな折、たまたま近所の汚いバーで知り合った人がジャズギタリストだと発覚した
お試しは無料だから一回来てみますか?と誘われ、行ってみることにした
3畳の和室がレッスン室で、控えめの音量でやりましょう、と言われて
エレキの生音でこそこそ「枯葉」かなんかを二人で合わせていると…
俺はそう言って入会を辞退した
でもそれは実際、環境のせいだけではなかった
いくつかのグループに分かれたフレーズを暗記して、曲のしかるべきところで正しいグループのフレーズを選んで弾く
まず2年くらいはこれを目指してやっていきます、と
いや、それアドリブって言えるのか?と、その疑念もかなり大きかった
その後結婚し子供も産まれ、金が必要になりギターも売ってしまった
楽器に関しては一本だけ残ったウクレレをぽろぽろやるだけの日々が続いた
教則本も押し入れにしまい、参考にしていたYoutubeチャンネルも全で登録解除した
それらが目に付くところにあると「何故諦めたんだ」と責められているような気がしたんだと思う
俺は40代になり、もうジャズギターのせいで苦しい気持ちになるのは御免だ、と逃げ腰になっていた
でも結局、ジャズギターが弾けるようになりたい、という欲求から逃げ切ることはできなかった
ある日リサイクルショップで程度のいいフルアコを発見して思わず買って帰ってしまった
それでまたギター熱が再燃した
そのうちの一冊をパラパラ見ているうち、ふと気が付くことがあった
俺が今まで逃げてきた、
読譜も、バッキングのリズムも、耳で覚えることも、パズルのようなコード進行の分析も
カリキュラムに沿って進めていくとそのすべてが網羅されるようにできているのだ
もちろんこの本だけが特別すごいという事ではなく、こちらの理解がやっと追い付いてピンときたということだと思う
俺は遅まきながら、あれは全部必要なことだったんだ、順番の違いでしかなかったんだ、とここで初めて気が付いた
この教則本は、「序盤に出てくるコードの押さえ方が好みではない」という勝手な理由でほとんど読んでいなかったが
なんとなく「これはいけるかも」という予感があった
定額でレッスン動画が見放題なのと、週一で参加自由のZOOM会議がある
サイトの説明を見ると、長年の講師経験から例の教則本のメソッドをさらにブラッシュアップした内容だと書いてあった
サンプルを見ると、それが本当なんだとわかった
俺は初心者歴がすごく長いから、初心者にとってわかりやすい内容か否かについては鼻が利くのだ
早速そのサイトに登録して、カリキュラムに沿って練習を再開した
そして3か月ほど経過した
やっていることは、あのボロアパートの一室でやっていたパズルと大差ない
しかし繰り返すうちに音楽理論が頭に入り、指板上の音名がちょっとずつわかるようになる
似たようなフレーズばかり覚えるのだが、それがつまり自分でフレーズをアレンジしたり作っていく伏線になっている
こういう事が全部同時進行で訓練できる
気が付くと、限られたキーの中ではあるが、何曲かのスタンダード曲でそこそこアドリブを弾けるようになっていた
何を練習すれば次のステップに行けるかもなんとなく理解できている
まだ何年かかかるだろうけど、求めていたものがようやく手に入りそうな気がする
いや、20年前に最初に門をたたいたあの先生のもとで我慢してやっていても、
もしくはどこかの時点の教室をやめずに続けていても、たどり着く場所は同じだったかもしれない
複数ありますが特にここ数日で急拡大したのはアメリカのスコット・ベッセント財務長官の生放送中の態度です。3月13日頃ベッセント氏がSky News系のインタビューを受けている最中スタッフから「大統領が今すぐあなたを呼んでいます」と告げられて中座し1時間半から2時間後に戻ってきたところ声が激しく震え言葉に詰まり明らかに動揺した様子が映っていました。この動画がX上で爆発的に拡散され「トランプ大統領からネタニヤフ首相の死亡か重傷の報告を受けたに違いない」と解釈する人が続出しました。ベッセント氏は身長192cmの巨漢で普段はタフガイとして知られる人物なのにあそこまで震えてまともに話せないのは異常だと指摘されそれが死亡説の最大の根拠の一つとして飛び火した形です。
以前からあった要素もこれに重なっています。ネタニヤフ首相が最近の安全保障会議を欠席したことイラン側メディアが「死亡した」と主張していること首相本人の記者会見動画で右手の指が6本に見えるAI生成疑惑が出たこと息子のSNS投稿が数日止まっていることなどが積み重なりベッセントの動揺が最後の決め手になったという流れです。
インフルエンサーのCDB氏(@C4Dbeginner)もこのベッセント動画を直接取り上げてツイートしています。「ベッセントって身長192cmイーロン・マスクにタックルされて倒した噂のある巨漢なのに生放送でしゃべれないくらい震えてる。何があったんだよ」と投稿し死亡説を後押しする内容で多くの人がこれを引用リポストしてさらに広げました。
ネタニヤフ死亡説を信じている人たちの反応を詳しくまとめるとかなり熱のこもったものが目立ちます。まずベッセントの動画を見て「やっぱり死んだ」「これは決定的証拠だ」と即断する声が圧倒的で「インタビュー中に大統領から緊急呼び出しされて戻ったらガクブル状態あれはネタニヤフ死亡のショックに決まってる」「巨漢のベッセントがあんなに動揺するなんてよっぽどの悪報だ」「計算が大きく狂ったときの顔だ」と具体的に態度を挙げて興奮気味に語っています。動画を添付して「これ見てみろ声の震え方が尋常じゃない」「普段の彼じゃないぞ」と呼びかける投稿も多く「天誅を食らった」「イラン報復の成功だ」と喜ぶような書き込みや逆に「米国イスラエル同盟に大打撃」「核兵器使う危機かも」と不安を煽る反応も混在します。
さらに他の要素と組み合わせる人もたくさんいて「会議欠席+息子SNS停止+ベッセント震え=隠蔽確定」「イランや北朝鮮が報じてるのも本当だった」「AI動画の6本指も影武者使ってる証拠」「ウィトコフやクシュナーのイスラエル訪問中止も関連」と連動させて「情報統制が始まってる」「真実は数日以内にわかる」と待機ムードの投稿が相次いでいます。経済面を気にする層は「月曜のマーケット暴落確定」「UAEやテキサス攻撃と連動して世界大戦級」「金融資産全部売れ」とパニック寄りの書き込みをしイスラエル内部の混乱を想像して「被害映像が増えてるのはネタニヤフ死で統制が緩んだから」「内乱や逃散が起きてる可能性」と深読みしています。
全体として信じる側は公式の否定や生存報道を「影武者」「フェイクニュース」「隠蔽」と切り捨て動画やスクショを証拠に挙げながら「本当は死んでるのに認めないだけだ」と強い確信を持ったトーンで拡散を続けています。
一方で「前のFoxインタビューでも震えてたからただの癖」と冷静に反論する人もいますが信じる層はそれを無視して「それでも今回は別次元」「やっぱり死亡だ」とさらに勢いづく様子が見られます。
要するにベッセントの態度が最大の引き金となり信じる人たちは動画の動揺を核心に据えて多角的な憶測を重ねながらかなり感情的に反応している状況です。情報は刻々と変わるので公式ソースも並行して確認するのがおすすめです。
死亡説は完全に誤情報(デマ)で、首相事務所が公式に「フェイクニュース。彼は元気(fine)です」と否定しています。
主流メディアやイスラエル公式ソースで死亡の裏付けは一切なく、むしろ最近も公の活動が続いています。
- 3月13日頃に首相本人がX(@netanyahu)に投稿した記者会見動画で、「右手の指が6本に見える」場面が指摘され「AI生成動画では?」と疑念が広がった(実際は影・角度・手の形状による錯覚で、公式フル映像では普通の5本指)
- イラン関連メディア(IRGC系など)が「死亡または負傷の可能性」を示唆する報道を出し、陰謀論に火がついた。
- 最近の安全保障・閣僚会議に首相が欠席したため、「負傷・死亡?」という憶測(国防相が代行しただけという情報も)。
ネット上の状況:
- Xなどで「フランス軍関係者情報で3月15日発表」「北朝鮮が死亡発表」など根拠薄弱な投稿が飛び交い、日本語圏でも同様に拡散中(例: 「欠席⚠️」「軍関係者確認」などの引用)。
- 偽画像(負傷姿)やYouTubeのセンセーショナル動画も相次いでいますが、すべて未検証・クリックベイトです。
- 3月13日:イラン攻撃の目標について記者会見動画を投稿(「我々は攻撃を続けている」と明確に発言)。
- 3月12日・10日・8日:戦争関連の声明や視察動画を複数投稿。
- NYT、Times of Israel、Hindustan Timesなど:3月12-14日の記者会見でイラン攻撃や新最高指導者への言及を報道。生存前提で記事執筆。
- 日本メディア(読売新聞、ARAB NEWS JPなど):イラン最高指導者ハメネイ師死亡関連で「ネタニヤフ首相に遺体写真が示された」「核科学者死亡を発表」などと彼の発言をそのまま報道(死亡説は一切なし)。
### 4. 背景と注意点
現在はイスラエル・米国 vs イラン紛争(2月28日開始、イラン最高指導者死亡)の真っ只中。戦争時は特にSNSで誤情報・AI加工動画が爆発的に広がりやすい状況です。
公式・主流メディアはすべて「生存・活動中」を前提としています。
不安な場合は首相公式X(@netanyahu)やイスラエル政府プレスオフィス、信頼できるニュースサイトを直接確認してください。SNS動画だけは特に注意です!
髙杉》軍縮のもたらした影響の一つに、軍隊内での指導者の威信が低下したことが挙げられます。具体的に言うと、先ほど申し上げたように軍縮後のフォローが十分ではなかったため、クビを切られる立場の軍人たちに「自分たちは利用された。宇垣らは我々を踏み台にして政界に進出しようとしたのだ」という疑念が生まれた。そしてそれはある程度その通りでした。結果として軍上層部への信頼や統制力が弱まり、青年将校たちが言うことを聞かなくなっていった面もあったのかな、と。
筒井》青年将校運動に関し、三島由紀夫が面白いことを言っています。五・一五事件から二・二六事件あたりまで、青年将校が上官たちから危険視されつつある意味でちやほやされた局面があるんですが、なぜそうなったかというと「軍隊という特殊な一社会集団において、その集団のモラリティー(士道)を体現するものと目されたからである」と(末松太平『完本 私の昭和史』所収「利用とあこがれ」/中央公論新社)。軍隊の中には階級制度も立身出世主義もいろいろあるが、結局本質的特徴としてはモラリティーしかないんだというわけです。軍隊に限らず、組織が大きくなるほど上層部では自己疎外が起きて、立脚すべきモラリティーが喪失してしまう。そうなったとき、それを持っている人に対して「利用とあこがれ」の両局面が生じるのだと三島は指摘します。
つまり、上層部の陸軍大学校出のエリート軍人から見れば、青年将校は愚直で単純で、それゆえうまく利用してやろうと思っているんだけど、自分たちが失ってしまった本来の軍人らしさを彼らのみが持っているから、憧れも感じている。髙杉さんが今言ったことは、この三島の指摘と関係しているように感じます。
髙杉》青年将校の動きを上層部が強く統制・弾圧できなかったのは「彼らがやっているのはけしからんことではあるが、本来あるべき軍人的な純真さを持っているのは彼らのほうだ」という後ろめたさがあったからだ、と。たしかに鋭い指摘です。
筒井》軍人というのはどういう内面を持った人々なのかという洞察が、戦後日本では十分なされていません。戦後、軍隊は存在しないみたいなことになったせいか、アルフレッド・ド・ヴィニーの『軍隊の服従と偉大』(岩波文庫)のような本がない。これは困ったことで、現在のように安全保障が重要になってきた時代であればこそ、軍人をよく理解しなければいけないのですが、石川明人さんの著作のような例外を除き、今参考になる深い本がほとんどない。
私自身は高校生の頃かに、末松の『私の昭和史』を読んで衝撃を受けました。これが非常に人間的な内容でね。末松は軍人をテーマにした徳冨蘆花の小説『寄生木(やどりぎ)』を愛読していたらしく、「バルザックを思わせる」(三島)文学者のような文章を書くんですよ。末松の本で、青年将校とは意外にヒューマンな人たちなのだな、と理解しました。
髙杉》青年将校が書いたものはわりと文学的な文章が多いですよね。あまり軍人らしくないと言いますか。
筒井》西田は陸軍士官学校で、詩人となる三好達治と同級生でしたし、二・二六事件の中心人物となった村中孝次は厨川白村(くりやがわはくそん)やクラシック音楽を好んでいた。大岸はアメリカの思想家エマーソンを愛読していたそうです。大正の教養主義が強い時代に育った軍人たちはみんなそういった感じで、それが昭和になってからの二・二六事件など、さまざまな事件に反映されていると思います。
(『中央公論』3月号では、クーデターとして「甘い」理由や、事件を機に政党政治が衰退したとは単純に言えない理由、事件後も大衆の「社会的平準化」の希求が続いたことなどを詳しく論じている。)
◆筒井清忠〔つついきよただ〕
1948年大分県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。専門は日本近現代史、歴史社会学。京都大学教授、帝京大学文学部長などを歴任。『西條八十』(読売文学賞、山本七平賞特別賞)、『昭和期の陸軍』など著書多数。
1979年愛知県生まれ。海上自衛隊生徒を経て國學院大學大学院法学研究科博士課程後期修了。博士(法学)。宮内庁書陵部編修課(非常勤)、日本銀行金融研究所(個別事務委嘱)などを経て現職。著書に『昭和陸軍と政治』『帝国陸軍』などがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28016164825dfbb8306bf249db4b558e309f362c?page=2
A子は研究室に深く沈み込んでいた。手元にあるはずのデータシートも、彼女の目にはほとんど映っていなかった。教授の顔が、また脳裏をよぎる。薄い笑みを浮かべながら近づいてくるその姿。目を細め、彼女の反応を窺うような、あの冷徹な視線。
その一瞬一瞬が、A子の心に爪痕を残す。あの目が、あの言葉が、どれほど彼女を追い詰めているのか。今でも、耳の中であの「君はもっと私に頼っていいんだよ」という声が繰り返し響く。温かさを装いながらも、心の奥底では支配しようとするその声に、A子は反応しきれないまま、ただ震えている。
「教授、やっぱりおかしいんじゃないか?」そう心の中で呟くことはできても、言葉にする勇気はどこにもなかった。もしこれをB子に話したら、どうなるだろう。信じてくれるだろうか。それとも、逆に彼女が自分の異常を笑ってしまうのではないかと、A子は恐れていた。
実際、B子は頼れる存在だ。いつも冷静で、誰にでも優しく接してくれる。しかし、A子は彼女が自分に対してどのような感情を抱いているのかが分からない。もしB子が、彼女の相談を軽んじたり、教授の行動をただの誤解だと思ってしまったら──その後のことを想像するだけで、胸が締め付けられる。
「私、変なんじゃないか。」その思いがA子をさらに追い詰めた。もし自分の感じていることが本当に過剰な反応だとしたら?もしただの誤解で、何でもないことを大げさに考えているだけだとしたら?教授の態度がどんなに不自然であっても、自分がその不安を過剰に感じているだけで、周囲には何も証拠がない。
「もし相談して、B子が私を軽蔑したらどうしよう。彼女も私を変に思ってしまったらどうしよう。」その不安が、どんどん膨らんでいく。彼女はもう、心の中で自分を守るために壁を作り始めていた。誰にも頼れない、誰にも頼ってはいけない──その思いが、A子をますます孤独にさせていた。
教授のことを告発すべきだという考えが、何度も心の中を駆け巡る。しかしその度に、A子の中で沸き起こるのは、疑念と不安だった。もし証拠がなかったら?もし、教授に逆に攻撃されたら?自分が過去にどんなミスを犯しても、その全てが彼の手のひらで転がされてしまうのではないか──そう考えると、A子は全身が震えるような恐怖を感じた。
⸻
翌日も、A子は教授の目を避けながら研究室に向かった。研究室には、日常的に教授が現れる時間が決まっている。A子はその時間帯になると、どうしても体が硬直してしまう。
教授が研究室にやって来ると、その存在が部屋の空気を支配する。A子はいつもよりも背筋を伸ばし、自然に振舞おうと努めるが、心は全く落ち着かない。教授は、今日もA子の顔をじっと見つめ、言葉を交わしてくる。目を合わさずに済ませようとすると、教授はさらにその目を鋭くした。
「A子さん、君がここにいる時間はもっと長くていいんだよ。君の研究は私にとっても大切なものだ。もっと頼ってほしい。」
その言葉に、A子は強い違和感を覚えた。言葉の表面だけを聞けば、何もおかしいことはない。しかし、彼の目線がいつもよりも執拗に感じられる。まるでA子を試すかのように、あえて近づいてくるように感じた。
教授の目の前で、A子は深く息を吸い込む。普段なら普通に答えることができるはずなのに、今日もその一言を発することにすら恐怖を感じていた。
「はい…ありがとうございます。」A子はわずかに声を震わせながら答える。自分でもその恐怖が、少しずつ形を持ち始めていることに気づいた。しかし、何も言わずにはいられなかった。言葉を発するたびに、教授がそれを期待しているような気がしてならない。
その後、会話は続いていくが、A子の心はずっと不安に占拠されたままだった。
「もっと頼ってほしい」と言われるたびに、心の奥底で「どうして頼らないといけないのか?」という疑問が湧いてくる。その言葉には、もはや学問的な意味は感じられず、ただ単に彼女を支配しようとする欲望が透けて見えるようだった。
⸻
A子が研究室を離れ、家に戻ると、再び教授の顔が頭をよぎる。あの顔、その目、あの冷たい微笑みが脳裏から離れない。
その夜、A子は何度も自分に言い聞かせた。「誰かに相談しないと、こんなことが続いてはいけない。」だが、その度に出てくるのは、再び押し寄せる恐怖と不安だった。相談することで、もし自分がどこかで傷つけてしまったら──そのことが頭から離れない。相談すれば、それで終わるわけではない。むしろ、そこからさらに何かが始まるのではないかという恐れがA子を支配していた。
B子に相談したらどうなるのだろうか。もしB子が「そんなこと、気にしすぎだよ」と言ったら、A子はどう反応するだろうか。教授のことを打ち明けたら、その後に自分の立場がどうなるのか。B子があまりにも普通に「それって、あなたが考えすぎてるだけだよ」と言ってしまったら、A子はその場でどうしていいか分からなくなるだろう。
その瞬間、A子は答えを出せなかった。ただ、次第にその恐怖が膨らんでいく。
「でも、どうしようもない。私が動かない限り、何も変わらない。」
A子は涙をこらえながら、夜を静かに過ごした。何もできない自分を呪いながら、また一つ一つの言葉が心に深く刻まれていくのを感じていた。
中国は制裁逃れを誤魔化すため、今まではマレーシア経由でベネ石油やイラン石油を輸入していました
でも総需要の10%ぐらいで、最近は平和活動のために諦めたようです
なぜならマレーシアは悪名高い三井財閥がいたり華僑財閥も多い財閥国家で、あまり評判が良くないからです
一方、イスラエルは、ウクライナをコントロールして戦争を起こしました。そのことでロシアが制裁され、イスラエルはロシア産原油を買い叩いています
またイスラエルは、イランを攻撃すると見せかけてイランにアラブ諸国を攻撃させるモサド計画を進めています。それで中国も怒っています
そこで日本は、ロシア石油を消費すればイスラエルの燃料も少し減るだろうということになりました
どうして今まで日本は、航路が短いと利益が減る海上保険会社(とイスラエル財閥や三井)がいるのでロシア原油が輸入できませんでした。アメリカと中ロとが表向きやや対立関係にあったこともあります。
アラブ諸国だけでなく、世界の諸国が今はイスラエル(と日本企業)に疑問を持っています。
イスラエルを構成するユダヤ人財閥はかつて建国のため、軍事家ハウスホーファーにヒトラーを育てさせた疑いすらあります
イスラエルの子であるモサドイランが戦争を始めたのが中東への嫌がらせであっても不思議ではありません