パリを想う

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10月最後の日。空が綺麗に晴れた。数日、雨雲に覆われていたから、この晴天はとても嬉しい。秋が随分深まって、街路樹の葉が落ち始めた。椛や楓のような紅色に染まった葉は少なく、この辺りの街路樹は目の覚めるような濃い黄色。ボローニャに暮らし始めた頃は紅葉を懐かしく思ってばかりで、黄色い葉の美しさに気づくこともできなかったけれど、今はこんな黄色の秋が大好きだ。冬の一瞬手前の秋。湿気が多くて鬱陶しいけれど、其の湿気すらも秋の風物詩と思えば何とか共存していける。長い年月をかけて、少しづつ少しづつ、ボローニャの四季を受け入れられるようになった。旧市街の背の高い銀杏の木の下は、銀杏の実が踏みつけられて大変臭い。銀杏の実の美味しさを知らないこの辺りの人達は、それを喜んで拾い集める習慣も勿論ない。臭いなあ、と呟きながら銀杏木の下を歩く。フライパンで軽く炒ったあの熱々の美味しい銀杏を思い浮かべて、思わず笑みが零れた。

水曜日の夕方、仕事帰りに旧市街に立ち寄った。何か素適なもの、素敵なことを探しに。エルメスのショーウィンドウを眺める。美しいスカーフ。絹の質もそうだけど、図柄と発色が素晴らしく、エルメスのスカーフを求める女性が多いのが頷ける。それにしても男物の絹の襟巻が美しい。この美しいピンク色の襟巻を身に着けるのはどんな人なのだろう。そんなことを考えていたら、中からすらりと背の高い男性が出てきた。店の女性が扉のところで奥さんとお姫様に宜しく、と言った。お姫様とは、恐らく彼の小さな娘だろう。この店の常連客に違いなく、男性はじゃあ、また、近いうちに、と手を上げて店から離れた。こんな男性がピンク色の襟巻をするのかもしれない。そんなことを思って、私も店の前から離れた。その後、食料品市場でトルテッリーニを買って、さあて、そろそろ帰るかなと思ったところで、フランス屋の店主に呼び止められた。彼は店の前に立って、常連客の女性とシャンパンを飲んでいたのだ。店主と常連客の、こんばんは、パリの話を聞かせてほしいな、という誘いで店に入った。赤ワインを頂きながら、パリはとても寒かったこと、白い息を吐きながら存分に散歩をしたこと、街が広すぎて方向感覚を失ったこと、毎日誰かに助けて貰ったこと、美味しいワインとチーズを食べたこと。其処で店主が目を輝かせた。チーズ? そう、チーズ。
借りたアパートメントから歩いて2分もかからぬところに2軒チーズ屋さんがあった。ひとつはチーズだけを専門に置いている親子で営む店。多分、代々続いている店だと。もうひとつはワインとチーズの店。ワインを置いているけれど、其処で頂くことは出来ない。あくまでも販売する店なのだ。どちらにしようかと迷った挙句、店主の感じが良い方に決めた。それがワインとチーズの店だった。其の店で、滞在中に頂くワインとチーズを買った。そして帰る前日に家に、持ち帰るチーズをふたつ買ったのだ。それも恐ろしく美味しい、コンテとトリュフのチーズ。コンテと言っても、40ヶ月寝かせた驚くべきものなである。あっという間に食べ終えてしまって、これを買いにまたパリに行きたいくらいなのだ。
ワインを頂きながらだと、話しが進む。それにしても店主の顔と言ったらば、40ヶ月のコンテと聞いて開いた口が塞がらないようだった。此処にもそういうのを置いてくれたら、高くても毎週買いに来ると言う私に、店主は首を振った。置きたくたって置けないのさ。そんなチーズはなかなか手に入らないんだよ。君、いったいどこで手に入れたんだい? それで私達はインターネットで店を探した。店の写真を見ると、店主が声を上げた。この店の前は何十回も歩いているけれど、まさかそんなものを置いている店だとは夢にも思っていなかったそうだ。チーズの話で思いがけず店主に火をつけてしまった。直ぐにでもパリに行きたくなってしまったらしい。このチーズを求めて。美味しいもの好きとはそういうものなのだろう。うちの近所にも居る。美味しい生牡蠣を食べたくなると、ボローニャから車を飛ばしてニースのレストランへ行く人。良いものを求めて、どんな遠くにだって飛んでいく。

パリの話を聞かせて欲しいと言われて、久しぶりにパリのことを思い出した。忙しい生活の波にのまれて、パリのことはもう1年も前の事のように感じていたから。


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柿の木のある家

冬時間になって時計の針を一時間戻した日曜日の朝、陽が昇るのが早くなって嬉しかった。それに、一時間儲けたとでも言うのか、一時間多く眠ることが出来てご機嫌だった。勿論その分暗くなるのが早くなるわけで、夕方には残念だと言うに違いないけれど。
日曜日は姑のところに行くのが恒例だけど、今日はそれを止めていつもと違う日曜日にしてみた。午後の早い時間に食料品市場界隈に立ち寄ったら、青果店は皆が皆、お見事と言いたいほど店を閉めていた。日曜日だもの、当然。と向こうの方に一軒だけ開いている店を見つけて立ち寄ってみた。この夏、唯一店を閉めずに営業していた店だ。一番初めに目に飛び込んできたのは柿。果肉が熟してとろとろになった柿と硬い柿。熟した方はスプーンですくって食べる、果物と言うよりもデザートのような存在だ。私は未だに好きになれないけれど、私が知るイタリア人の多くがこれをとても好んでいる。ビタミンが豊富で繊維が豊富で、美容と健康に良い、というのが理由らしかった。其れよりも私は堅い柿が好き。しかしカリカリではなくて少しは柔らかくなった、食べ頃の奴がいい。店員にこんな柿を選んでほしいと頼むと、熱心に選んでくれた。大きな柿を3つ。これで4ユーロとは安いのか高いのか実を言うと分からないけど、日曜日にも店を開けてくれた代金が含まれていると思えば、文句のひとつもないというものだ。柿を購入して帰りのバスに乗るべく停留所に向かう途中、ふと思い出した。柿、そうだ、柿だった。

パリから帰ってきた翌日の夕方、19時45分だからね、と相棒に言われた。何のことかと思えば、どうやら相棒は知人から夕食の招待を受けているらしく、それには私も含まれているとのことだった。そんなことは聞いていないと言うと、でも君がパリから帰ってくるのを待っての夕食会なのだからと言う。どうやら断ることは出来ないらしく、仕方ないなあと思いながらも相棒の顔を立てるために夕食会に行くことになった。知人の家は、私達の家から歩いて5分ほどのところにあるが、僅か5分でこんな田舎のような雰囲気の場所があることに私は酷く驚いていた。大きな庭がぐるりと取り囲んだ3階建ての大きな一軒家。作られた庭と言った感じはなく、実に自然だった。かと言ってこれが何となく出来上がったのでもなく、どうやら腕の良い庭師がこんな自然な感じに仕上げたらしかった。庭の中心ともいえる場所に2本の柿の木があった。ああ、柿の木がある、と思いながらその横を通り過ぎて家に入った。初めて会う相棒の知人夫婦。大変豊かな人達らしい。70歳前後で、穏やかで、知的な人達だった。奥さんの手料理は大変美味しくて、私が心底感心すると、50年前に結婚した時は料理のひとつもできなくて姑に眉をしかめられたのだと言って彼女は笑った。美しい銀のフォークとナイフ。クリスタルのグラスたち。フルコースの夕食。久しぶりにこんなエレガントな食事に招かれて、私は少し驚いていた。でも一番驚いたのは、この夫婦がとてもシンプルであることだった。富や豊かさをひけらかすことは無く、実に普通で好感を感じた。食後の菓子を頂きながら、私は柿の木の話をした。昔、私が子供だった頃、柿を食べて種を植えたら芽が出て大きな木に成長したこと。しかし何年経っても実がならず、いろいろ手を掛けてみても実がならず、遂に切り倒してしまったこと。桃と栗は3年、柿は8年で実がなるようになると言うけれど、と言ったところで、それは実に面白い、と彼らは言った。そうよ、日本にはそういう諺があるのよ、と言って、文字通りの意味と何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえであることを教えると、とても感心したらしかった。何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だということ。どうやらその言葉が私の印象をとても良くしたらしく、また近いうちに夕食会を開きましょう、と両手で私の手を包んでくれた。家を出る時に、妻の方が、柿が食べ頃になったら連絡するから取りに来なさい、と言った。凍るように冷たいが穏やかな晩、その柿の下を歩いてみたら、子供の頃に戻ったような気分になった。良い晩だった。
それであの柿は何時食べ頃になるのだろう。あの日はまだ青かったけれど。

案の定夕方暗くなるのが早くなって残念に思った。暗くなるのが早くて猫は驚いたらしい。私の体も驚いている。たった1時間の違いが、私の体のリズムを大いに狂わせてくれる。


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さよなら夏時間

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週末は晴天が似合う。ゆっくり目を覚ます土曜日の朝、窓から陽が射しこんでいるのを確認すると思わず笑みが零れる。まだ眠っていたい気分であるが、晴天には勝てない。と言っても平日に比べたら充分遅い時間だけれど。猫も諦めたのか、早く起きろと催促しない。

カフェラッテとビスコッティで簡単な朝食を済まし、足取り軽く外に出る。これが私の土曜日のスタンダードだ。何しろ日頃椅子に座りっぱなしなのだ。歩く時間、動き回る時間は貴重なのである。建物の外の更に庭の外に出てガチャンと扉を閉めたところで、忘れ物をしたことに気が付いて鞄の中を探ってみたところ、鍵を持って出なかったことに気が付いた。これは困った。困ったと思ったのはこういう理由だ。今朝相棒は早めに家を出たのだ。近所のバールの常連で、この近所に住んで居るシルヴァーノ老人と、今頃イモラの丘陵地帯へ車を走らせている筈だった。老人が長年通っているワイン農家にワインを買いに行くためだった。今年に入ってから数度にわたって老人からワインを頂戴しているが、其れが何とも素晴らしくて、保存料だのなんだのが使用されていないこのワインに相棒も私もぞっこんになってしまった。すると老人が、ちょうどワインを買いに行こうと思っていたとこだから一緒に来るかい?と誘ってくれたらしい。それで相棒は車を走らせる役を買って出て、今朝はいそいそと出掛けたと言う訳だった。相棒が家を出てからかれこれ2時間経っていたが、さてどうだろう、もしやこの近くに居るってことはあるまいか。一応訊いてみようと思って電話してみたら、老人は他の人と一緒にイモラへと車を走らせることにしたそうで、すぐ近くに居ることが分かった。老人は連日忙しい相棒を見ていたので、そういう根回しをしていたらしい。君の分も買ってくるから、安心していいよ、と言って、自ら車を運転して出発したそうだ。85歳なのに。大丈夫かなあ。そんなことを心配しているうちに、鍵を開けに相棒が家に戻ってきた。開口一番に相棒が言う。君らしくないな、鍵を持たずに出るなんて。全くその通りだと思った。生まれて初めて鍵を忘れたことに私自身驚いていた。昨日は職場に着いてから腕時計をしていないことに気が付いた。外に出掛ける時は決して忘れない腕時計を忘れるなんて。全く私らしくない。私は一体どうしてしまったのだろう。
旧市街の様子は秋が深まっていたが、思いがけず気温が上がってどの人も表情が明るかった。今日は冷たい風も吹かず、黄色く色づいた葉が光って美しかった。路地から路地を渡り歩いて、疲れたところで店に入った。ジェラート屋さんだ。VENCHIと言う名のその店には、一頃毎日のように通った。ジェラートの質の高さは勿論だけど、便利な場所にある上に、店にひとり感じの良い女の子がいるからだ。何時の頃からか、彼女は私が店の外を歩いていると中から手を振ってくれたり、ジェラートを注文すると山のように盛ってくれるようになった。今日も中に入ると彼女が大きな声で挨拶してくれた。秋冬しかない、栗のジェラートを注文しようとしたら、今年はまだ始まっていないと言う。シニョーラ、今年は11月からなんです。そう言いながら、私の注文のジェラートを盛ってくれた。ジェラートは山盛り。随分サービスしてくれたのね、と彼女に目で語り掛けた。言葉にしなかったのは店の中に他の客が居たからだ。剃ると彼女も目で返事を返してきた。勿論、シニョーラ! 混み始めた店内から抜け出すべく、彼女にご機嫌で手を振って外に出た。ジェラートを食べながら旧市街を歩く。母が見たら、なんて行儀の悪いこと! と窘めるに違いない。

夜中の間に夏時間が終わる。目が覚めたら冬時間の生活が待っている。一時間だけの違い。恒例のことながら、とても苦手だ。


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月の美しい晩

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仕事帰りに旧市街に立ち寄った。昼間の間、快晴だった空は既に群青色となり、冷たく光る月がとても美しかった。あと数日で満月になるに違いない月を見上げながら、こうして歩くのは久しぶりだと思った。パリから戻ってみるといつもの生活が待っていて、それなりに沢山のことを片付けて休暇に入ったのに、それでも充分ではなかったかのように沢山のことが私を待っていた。でも、悪い気はしなかった。寧ろ、ああ、此処が私の生活の場所なのだ、と思い出させてくれて有難うとすら思った。休暇に出掛ける前には思いつかなかったことだ。普通の生活が当たり前の顔して存在する有難さ。それを思い出すことが出来たのが休暇による効果だったならば、時には休暇をとるのは良いことと言うことになる。単に楽しむだけでなく。それにしても忙しい毎日で、メリーゴーランドが回り続けていたような感じだ。だから金曜日の晩を迎えて、心の底からほっとしている。それにしても連日の晴天は有難い。日に日に気温は下がっていくけれど、空が明るければ何とかやっていける。空が明るい日の晩は美しい星と月を望めて、ああ、今日もいい一日だったと思うことが出来るから。

ボローニャ旧市街を歩きながら、何か安心感を感じるのは、それは此処が私が暮らす町だからだ。旅先の街を歩きながらわくわくする、探求心を掻きたてられるような感情は湧き起こらないけれど、何時もの青果店があって、いつものバールがある、店にはなじみの店員が居て、出先で知人にばったり会って立ち話などをすることもある、それらの全てが、此処が私の町だからだ。と、其処まで思ったところで、はてな、一体何時からボローニャが自分の町だと思うようになったのだろうと思った。此処は相棒の生まれ育った町で、それで私が単にくっついてきた形だった筈なのに。あれ程、この町に閉塞感を感じ、考え方の違和感を感じては、ああ、私はやはり外国人なのだと思い知らされていた筈なのに。橙色の街灯があちらこちらに燈って中世の街並みを更に美しく浮かび上がらせている中を歩きながら、パリは大好きになったけれども、パリのような大きな町よりも、私にはボローニャくらいの規模がちょうど良いと思った。帰ってくる場所があるから旅が楽しい。そうだ、多分そうなのだ。いつの間にか、自分が帰る場所がボローニャになったことに首を傾げながら、それも悪くないと思う。

月の美しい晩は、心がとても柔らかくなる。


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運河界隈

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パリの朝は寒い。ボローニャよりもずっと北にあるパリは、当然のことながら気温が低く、夜が明けるのも遅かった。遅いと言っても実際は、僅か30分遅いだけ。けれども夜明けと共に空が明るくなることのないこの季節は、1時間も2時間も遅いように感じてしまう。

朝9時、外を出たら灰色の情景があった。大きな川があるから湿度で霧が発生するのか。いや、霧と言う程のものではないが、しかし何か景色がぼやけていて、ガラスの破片が刺さるように痛い空気が立ち込めていた。朝の9時でこれならば、早朝はどんなだろう。通勤や通学の時間に一瞬遅いこの時間の街は人が少なくて、実に私好みだった。着いたばかりの頃、パリのメトロには大変手を焼いたものだけれど、それも時間が経つとこれほど便利なものは無く、次から次へと乗り継いで目的地に行けるようになった。その朝の目的地はサンマルタン運河界隈。昔、写真を見てとても心惹かれていた。ヴェネツィアのような情緒ではなく、とてもさらりとした印象で、生活に馴染んでいて、現実的なところが良かったのかも知れない。メトロの駅から地上へと出る一瞬手前に、証明書写真をとる機械が置かれていた。あの、何処の国にもあるような、箱型のあれだ。そう言えば十何年も前に見た映画、アメリに出てきたなと思い出し、そしてこれから行こうとしているサンマルタン運河界隈もアメリに出てきたことを思い出した。それで、私が心を惹かれた写真は案外アメリの映画の中の一場面だったのではないだろうかと思ったのだが、いいや、違う、もっと昔に、写真集か何かで見た写真だ。 運河の名前に関心は無く、単にパリの運河とだけ記憶していた。心惹かれながらも記憶の小箱の放り込んだままだったのは、それほど私がパリに縁がなかったからで、それほど私の身近に存在するものではなかったからだ。でも、パリに着いて、さて、と考えた時、頭に思い浮かんだのはこの運河界隈だった。メトロの駅から地上にでて、絶対向こうの方だと確信があり、暫く歩いたが急に自信がなくなった。またいつものように全く違う方向に歩いているのではないだろうかと。何しろ寒い。4度といいう寒さだったから、歩く方向を間違えることは許されなかった。と、小さな目印を見つけた。運河は向こうの方という矢印が付いていた。やはり方向を間違えていて、全くがっかりだった。この季節、水がある場所は寒い。と言うのは何処の国でも何処の町でも同じだろうか。サン・ルイ島も寒かったが、運河界隈の寒さは飛び切りだった。何が寒いって風だ。ようやく運河に辿り着き、さて、運河に沿って北へと歩いてみようと思ったが、この風が邪魔をした。とても歩けるような風ではなかった。耳を引き千切るような、頭髪の毛穴から入り込むような、鋭くて冷たくて痛い風だった。それで、運河と並行に走るように存在する、一本入った道を歩くことにした。途中でまた運河を見に出ればいいと思って。一本道を入っただけで風は止み、良い選択だったと胸をなでおろした。運河は見えないが小さな店がとぎれとぎれにある通り。カフェ、中国人が営む整体の店、その後ずっと行くと、ガラス張りの、美しい花柄の壁を持つカフェ。右手にある大きな病院を時折眺めながら、その次は、その次はと歩いていくと小さなロータリーがあって店が肩を寄せ合うようにして存在している。この辺で運河を見たくなって左折したところ人がひしめいている店を見つけた。それに何やらいい匂いだった。行ってみるとそれはパン屋さんで、近所の人たちや、近くの学校の学生たちやら何やらが辛抱強く列にきちんと並んで順番を待っていた。へええ。私は興味を持って列に並んでみた。少し小腹が空いていたのだ。寒い季節は本当にお腹が空くと、昔誰かが言っていたように。暫くすると私は店の中に入ることが出来て、ようやくどんなものを置いているのかが分かった。典型的なバケットが飛ぶように売れていく。それからバケットにチーズやハムを挟んだものも、どんどん売れていく。何にしよう、と眺めていたら奥の方にクロワッサンがあった。実は私はクロワッサンというものが好きではない。今まで美味しいものを食べたことが無いのだ。でも、職場の同僚がパリへ行ったらこれだけは食べなくてはいけないわよと言っていたのを思い出して、それでそれを一つ小さな紙に包んで貰った。店を出てかぶりつくと、笑ってしまう程美味しかった。今まで私が食べてきたクロワッサンは、クロワッサンと言う名の別ものだったのかもしれない。兎に角美味しくて、あっという間に食べ終えてしまった。ははあ、此れがクロワッサンなのか。嬉しくてまた笑いが零れた。パリに暮らす人々が羨ましいと思ったことは今まで一度だってない。でも、このクロワッサンを何時でも食することが出来ると言う点では、私は悔しいほど羨ましいと思った。そうして暫く行くとまた運河があった。何てことのない散策。でも、こういうのがしたかった。

ボローニャのいつもの生活が始まった。運河界隈を散策したあの午前が夢だったように思える。でも私は覚えている。クロワッサンの匂い、食感。溶けてなくなった後にも口に残る美味さ。これをすっかり忘れてしまわぬうちに、またパリに行きたい。贅沢者と相棒は言うに違いないけれど。


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