パリを想う
- 2015/10/31 20:49
- Category: ひとりごと
10月最後の日。空が綺麗に晴れた。数日、雨雲に覆われていたから、この晴天はとても嬉しい。秋が随分深まって、街路樹の葉が落ち始めた。椛や楓のような紅色に染まった葉は少なく、この辺りの街路樹は目の覚めるような濃い黄色。ボローニャに暮らし始めた頃は紅葉を懐かしく思ってばかりで、黄色い葉の美しさに気づくこともできなかったけれど、今はこんな黄色の秋が大好きだ。冬の一瞬手前の秋。湿気が多くて鬱陶しいけれど、其の湿気すらも秋の風物詩と思えば何とか共存していける。長い年月をかけて、少しづつ少しづつ、ボローニャの四季を受け入れられるようになった。旧市街の背の高い銀杏の木の下は、銀杏の実が踏みつけられて大変臭い。銀杏の実の美味しさを知らないこの辺りの人達は、それを喜んで拾い集める習慣も勿論ない。臭いなあ、と呟きながら銀杏木の下を歩く。フライパンで軽く炒ったあの熱々の美味しい銀杏を思い浮かべて、思わず笑みが零れた。
水曜日の夕方、仕事帰りに旧市街に立ち寄った。何か素適なもの、素敵なことを探しに。エルメスのショーウィンドウを眺める。美しいスカーフ。絹の質もそうだけど、図柄と発色が素晴らしく、エルメスのスカーフを求める女性が多いのが頷ける。それにしても男物の絹の襟巻が美しい。この美しいピンク色の襟巻を身に着けるのはどんな人なのだろう。そんなことを考えていたら、中からすらりと背の高い男性が出てきた。店の女性が扉のところで奥さんとお姫様に宜しく、と言った。お姫様とは、恐らく彼の小さな娘だろう。この店の常連客に違いなく、男性はじゃあ、また、近いうちに、と手を上げて店から離れた。こんな男性がピンク色の襟巻をするのかもしれない。そんなことを思って、私も店の前から離れた。その後、食料品市場でトルテッリーニを買って、さあて、そろそろ帰るかなと思ったところで、フランス屋の店主に呼び止められた。彼は店の前に立って、常連客の女性とシャンパンを飲んでいたのだ。店主と常連客の、こんばんは、パリの話を聞かせてほしいな、という誘いで店に入った。赤ワインを頂きながら、パリはとても寒かったこと、白い息を吐きながら存分に散歩をしたこと、街が広すぎて方向感覚を失ったこと、毎日誰かに助けて貰ったこと、美味しいワインとチーズを食べたこと。其処で店主が目を輝かせた。チーズ? そう、チーズ。
借りたアパートメントから歩いて2分もかからぬところに2軒チーズ屋さんがあった。ひとつはチーズだけを専門に置いている親子で営む店。多分、代々続いている店だと。もうひとつはワインとチーズの店。ワインを置いているけれど、其処で頂くことは出来ない。あくまでも販売する店なのだ。どちらにしようかと迷った挙句、店主の感じが良い方に決めた。それがワインとチーズの店だった。其の店で、滞在中に頂くワインとチーズを買った。そして帰る前日に家に、持ち帰るチーズをふたつ買ったのだ。それも恐ろしく美味しい、コンテとトリュフのチーズ。コンテと言っても、40ヶ月寝かせた驚くべきものなである。あっという間に食べ終えてしまって、これを買いにまたパリに行きたいくらいなのだ。
ワインを頂きながらだと、話しが進む。それにしても店主の顔と言ったらば、40ヶ月のコンテと聞いて開いた口が塞がらないようだった。此処にもそういうのを置いてくれたら、高くても毎週買いに来ると言う私に、店主は首を振った。置きたくたって置けないのさ。そんなチーズはなかなか手に入らないんだよ。君、いったいどこで手に入れたんだい? それで私達はインターネットで店を探した。店の写真を見ると、店主が声を上げた。この店の前は何十回も歩いているけれど、まさかそんなものを置いている店だとは夢にも思っていなかったそうだ。チーズの話で思いがけず店主に火をつけてしまった。直ぐにでもパリに行きたくなってしまったらしい。このチーズを求めて。美味しいもの好きとはそういうものなのだろう。うちの近所にも居る。美味しい生牡蠣を食べたくなると、ボローニャから車を飛ばしてニースのレストランへ行く人。良いものを求めて、どんな遠くにだって飛んでいく。
パリの話を聞かせて欲しいと言われて、久しぶりにパリのことを思い出した。忙しい生活の波にのまれて、パリのことはもう1年も前の事のように感じていたから。