ご馳走
- 2021/04/28 21:38
- Category: bologna生活・習慣
今朝窓を開けて歓喜を上げたのは、驚くほどの緑のせい。このところ天気が芳しくなく、雨が降ったり止んだりしている。私達人間は、そんな雨に辟易して、ああ、今日も雨が降っていると言っては溜息をつくのだが、樹々や草花は潤いを得て両手を広げて喜んでいるように見える。彼らが嬉しいならば、と眩しいばかりの緑を眺めながら思うのだが、この天気が来週になっても収拾がつかないという話を聞くとそうもいかぬ。空よ、私達は青い空と太陽の光が欲しい、と声を掛けてみたけれど、空は聞いてくれたかなあ。
天気はこんなだけれど、ボローニャ旧市街の食料品市場界隈は季節の野菜で美しい。アスパラガス、トロペア産の玉葱、そら豆やら何やら。見ているだけでも楽しいが、良いのが並んでいる時はやはり素通りできない。今日はアスパラガスをトロペア産の玉葱を一束づつ購入した。どちらも色が濃く、鼻を近づけるといい匂いがした。此れは上等。この程度のことでうきうきして足取りが軽くなるので、君は本当に単純だねえ、と相棒に笑われるが、単純で結構、其れにこうしたことで喜べるのは幸せなこと。鍋たっぷりの湯にひとつまみの岩塩を入れてぷっくりしたアスパラガスを茹でたら、飛び切り美味しかった。此れはご馳走。小さくて厚みのある牛のフィレ肉が大好きだけど、其れに相当するご馳走。昔、私がボローニャに暮らし始めた頃、何でもかんでも手作りする夫婦と交流があった。そもそも卵も庭の鶏の産みたてだったから、彼らが作るマヨネーズの美味しさは夢のようと表現するしかなかった。切った生野菜にマヨネーズを付けて食するのではなく、マヨネーズを食するために野菜が存在するのだ、とあの頃の私は思ったものだ。新鮮な卵が手に入ったら是非とも自家製マヨネーズを、と思うのだが、さて、一体何処でそんな新鮮な卵が手に入るだろう。
昨日の満月は見えなかった。分厚い雨雲の向こう側に存在しているのだと思いながら、幾度も窓の外を眺めた。もしかしたら、もしかしたら。一瞬でも見えたらと思って。明日はどうだろう。満月でなくてもいい。私は夜空に輝く月に会いたい。