怖気づかぬ心
- 2015/09/29 22:48
- Category: ひとりごと
心待ちにしていた満月。なのに曇り空で何処を探しても月の姿は見られなかった。冷たい風が吹く夜だった。ところがボローニャの他の界隈では、月が見えたそうだ。それは強い光を放つ月だったそうで、その僅かすらも見ることが出来なかったことを私はとても残念に思った。それで、今夜はどうだろうかとテラスに佇んで夜空のあちらこちらを探してみるが、今夜も同様に月の姿はない。でも、それもボローニャの他の界隈では、真ん丸に一瞬欠けた美しい月を望めるのかもしれない。
ある夏、ひとりで海のあるアメリカの町の地を踏んで以来、私は夢中になってその町に通った。と言っても私は日本に暮らしていたから毎月通えるはずもなく、夏と冬に休みを取って訪れるのが精いっぱいだったけれど。あの頃は日本で会社員をしていたから纏まった休みを取るのが酷く難しく、せいぜい一週間程度の滞在だった。長い休みを取れるような会社はあまりない時代だったから、それでも休むことが出来ることを私はとても感謝していた。それから休んでも再び戻る場所があることについても。私はあの町を通うように訪れて、何か特別なことをしたと言えばそうではない。私はフィルムカメラを持って、真直ぐのびる道を歩いては角を曲がり、坂道を上っては下り、そのうち地図が描けるようになるのではないかと人に言われるほど、兎に角毎日よく歩いた。初めて訪れた時に手に入れたトラムなどの交通網が記入された便利な地図をずっと持ち歩いていた。そのうち折りたたんだ部分が痛んで解体してしまうようになった頃、私は其処に移り住んだ。移り住む、とはなんと良い響きだろう。何か希望や期待が含まれているように感じた。自分が望んで手さぐりで手続きしてその町に暮らすことは、実にポジティブな音が含まれているように感じて嬉しかった。私があの時、そんな風に暮らす土地を替えることが出来たのは、私には失うものなどなかったからだ。自分の努力で再び得られるようなものだからだ。恋人がいて離れがたかったわけでもなく、自分の地位を確立して、それを失うのが惜しいなんてこともなかった。慣れた仕事も安定した収入や生活も、何処に居ても自分さえ元気でやる気があれば、再び手に入れることが出来るものだと信じていた。あれから24年が経って、あの頃の自分のエネルギーの大きさに驚いている。何とポジティブで、何という怖いもの知らず。いや、私にだって怖いものはあった。でも、それが世間の中にある怖さではなく、自分がやる気をなくしてしまう、何かをする前に怖気づいてしまうことが怖かった。多分、其れだけだった。
人間は根本的なところは変わらない、と誰かが言っていた。もしそれが本当ならば、私は今もあの頃のように、怖気づかずに前進するエネルギーを秘めているのかもしれない。ああ、それが本当ならば、と、何処を探しても月など見つからぬ、厚い雲に覆われた闇夜を眺め、心の底から願うのだ。