海のように美しい青い瞳。初めて彼に会った時、私の口からそんな言葉が突いてでた。彼は相棒の親友で、場所は初めて招かれて遊びに行った相棒のフラットだった。そんな風に今まで言われたことがなかった彼は、私の称賛を大そう喜び、初めて会ったその日から私達は良い友人関係を持つようになった。当時、相棒の料理上手は仲間内で有名で、だから昼食時や夕食時になると予告もなしに親しい友人達が立ち寄った。彼が立ち寄ったのも昼食時で、恐らく美味いものにありつけるに違いないと思ったからだったが、彼は相棒のフラットの数軒先に住んでいたから、食事時でなくとも、不意にドアのベルを鳴らすことが多かったようだ。
類は友を呼ぶというけれど、相棒の仲間は皆独身で、芸術肌で、自由を愛する人ばかりだった。結婚という枠にはまるのを嫌い、恋愛はしても結婚には踏み切らない、そういう人ばかりだった。だから相棒と私が結婚すると決めた時、仲間の多くは大いに嘆いたものだけど、彼は進んで結婚の証人を引き受けてくれた。こんな光栄なことは無いと言って。
彼はテキサス生まれのテキサス育ち。その彼がバークレーにやって来たのは学業の為だった。学業を終えて間もなくすると彼は写真にのめり込み、生活を立てるためにタクシードライバーをするようになった。此れならいつも機材を持って動ける。客が居なければ車をとめて、写真を撮ることもできる。そんなことがタクシーを運転するようになった理由だった。訊けばタクシー仲間にはそうした人が沢山居て、相棒の仲間もまた、そうした類の人達だった。しかし彼は本の虫でもあった。だから彼の家に遊びに行くと、本があちらこちらに置かれていて、時にはその本を私に貸してくれたりもした。此れは読みやすいし面白いから、と言って。彼と居る時間はそれほど多くないにしても、喋り始めればきりなく話し続ける彼から、色んなことを教えて貰い学ぶことになった。そのうちのひとつがアクセントだった。自分では気が付かぬうちに、彼のテキサスアクセントが身についたようで、あなたはテキサスから来たのかと見知らぬ人に訊かれて、大笑いしたことがある。そんなことがあったと彼に報告すると嬉しそうに笑い、小さな共通点を見つけた子供のような顔を見せたものである。
彼の気に入りの場所は、家のフラットから2ブロック先のタサハラ・ベーカリーだった。焼き立てのパンや菓子がガラスケースに並ぶ、オーガニックを謳った、その界隈では有名な店だった。朝8時頃に店に行くと、甘いパンと大きなマグカップにたっぷり注いだコーヒーをテーブルに置いた彼がどっしり腰を下ろして、買ったばかりの新聞を読んでいた。彼はこの時間が大好きで、誰にも邪魔されたくないのを私は知っていたが、そういう繊細な感覚のない相棒は、彼のテーブル席に腰を下ろして、昨日はこんなことがあった、今日は何処へ行く、と喋りまくるのだ。礼儀正しい彼は小さな溜息をつきはするけど、既に其処に居て話し続ける相棒の話に耳を傾けるのだった。暫くして、そろそろ帰ろうと私が相棒を促すと、彼はニヤリとして、君はよく分かっているなあ、というようなことを言ったものだった。
私より20歳年上の彼は、物知りで思いやりのある、親戚のおじさんのような存在だった。私達がアメリカを離れてイタリアに行くと決まった時に、一番残念がったのも彼で、イタリアに行っても何処に暮らせるかもわからない私達の為に、私達の猫を引き取ってくれたのも彼だった。僕はひとりだから、同居人がひとりくらい居た方が賑やかでいい、と言って。頼んだわけでもないのに、そういうことを言葉で言わなくても通じてしまうのが彼だった。
大きな体には不似合いなほどの内気で恥ずかしがり屋の彼は、恋愛が不得意で随分と損をしたと思う。でも、嫌な気分になって話が出来なくなるよりも、良い友達関係を続けられるならば、その方が僕にはずっと嬉しいと彼は言った。誰もが彼のことを信頼して、彼を悪くいう人などひとりも居なかったのは、彼がそんな人だったからだろう。
アメリカを離れて25年。その間に毎年彼から連絡を貰った。猫が近所に住む郵便屋さんの家に上がりこんでご飯を食べていると文句を言われたこと。あの界隈から離れたこと。猫が肥満体で困ったこと。私達の友人が写真家として第一歩を踏み出したこと。バークレーに一軒家を買ったこと。猫が老死したこと。隣の家の人が日本人女性と結婚したので、一度私に紹介したいと思っていること。それから、それから。
私が相棒と恋人同士になって暫くして、私が相棒のフラットに移り住むにあたり、彼が車を出してくれた。少ない荷物の中に鏡が入った箱があって、それを彼がうっかり地面に落としてしまったらしい。それを相棒が大いに咎めた。鏡が割れるのは不吉な標し。鏡が割れたなら、僕と彼女の関係は長くは続かないだろうと言って。彼と相棒はちょっとした言い争いをして、箱を開けてみたら鏡は割れていなかったから、相棒は大そう喜んだ。僕たちはきっとうまく行くよ。という話を彼が私宛のメールに書いたのは、1年半前の夏の終わりのことである。ふーん、そんなことがあったのかと思いながら、何故、彼はそんなことを今頃教えてくれたのだろうと思ったものだった。何故、今頃になって。
彼のことを此処に書き留めておこうと思う。昨晩、天に召された彼のことを時々思い出せるように。私には勿体ない程の友人。彼のような友人を持って私は幸運だったことに、今頃になって気がつくなんて。涙は零したくない。それよりも、ありがとう。ありがとう。私はずっと忘れない。