良いこと。

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昨日のこと。旧市街を歩いていたら、店先にバラの花びらが、はらり、はらり、と撒かれていた。まるで結婚式の時のように。何かロマンチックな雰囲気で。そこは少し前までは別の店だった。ほんの短い間だけだったからどんな店だったか覚えていない。そしてその前はキャンバス地のバッグを売る店だった。一番印象的だったのはバッグを売る店以前にあった靴屋だ。洒落た店で、高価な靴だったにも拘らず、店は繁盛していたけれど、いつの間にか客足が遠のいたようで、店主が店の前でタバコを吸っているか、近所の店の人達とお喋りをしていることが多くなった。と思ったら、店が閉まった。あの店は長いことあったけど、靴屋が店を閉めてからはどれもこれも長続きしない。そういう場所ってどんな街にもあるものだけど、それにしても本当にどれもこれもうまく行っていなかった。ところで今度の店は、薔薇屋さんだった。薔薇の花しか置いていない。薔薇の花を引き立たせる植物類はあるにしても、花は本当に薔薇だけ。始めはそんな風に見えただけ。でも、中に居る髪の長い女性に訊いてみたら、薔薇の店だと答えたから、間違えなかった。数日前の木曜日にオープンさせたらしい。素適な雰囲気のその店は、それがどの商売も長続きしない“いわくつき”の場所であっても、きっと街の人たちに好まれるだろう。素適な店ね。オープンおめでとう。そう言って店を出た。こんな店が一軒くらいあってもいい。薔薇しか置いていない店。

家に帰ったら、テーブルの上に幾つかの瓶とワインボトルが置いてあった。何だろう。相棒が何処からか手に入れてきたのには間違いないが、さて、何処からだろう。夕食時に相棒が帰って来たので訊いてみたら、こういうことらしかった。知人から不要になった釣竿を貰った。貰ってはみたが、釣りを楽しむ習慣はない。どうしたものか、と考えていたら老人のことを思い出した。老人が近所に住んでいた。相棒ですら名前を知らない人だけど、頻繁にバールや道端で会うらしく、会えば声を交わし、お喋りをする仲だった。私も顔だけは知っていた。毎朝、娘の3人の子供たちを学校に連れていくのを手伝い、なかなか優しい、感じの良い人だった。小さな孫3人連れて歩く老人は、とても嬉しそうだった。それで老人だが、しばらく入院していたが、最近家に戻って来たらしい。相棒は、老人に釣竿を、と考えたのだった。そして釣竿を抱えて老人のところに行ってみたら、案の定老人は喜んで、これで孫たちと一緒に釣りを楽しめるよ、と単に思いついて持ち込んだ釣竿がこんなに喜ばれるとは思ってもいなかった相棒をよそに、礼にと自家製の瓶詰めとワインを持たせてくれたそうだ。老人の自家製瓶詰めはこの辺りでも有名だった。かといって、そうそう手に入るものでもなかった。テーブルの上に在ったワインは、ワイン農家から購入した飛び切り美味しい奴、だそうだ。瓶詰めは、玉葱の酢オイル漬け、様々な野菜の酢オイル漬け、そして無花果のジャムだった。無花果のジャム! と喜ぶ私に、冷凍庫に保存した、グリッフェンの黒パンにつけて食べたら美味しいだろうねと頷く相棒。チーズに添えても美味しいね、と言う私。うちでは役に立たぬ貰い物の古い釣竿で、こんな美味しいものたちを獲得するとは思っていなかった。それにしてもじいさんは、あまり元気がなかったな、と心配する相棒が、また近いうちに様子を見に行ってこようと言った。うん、そうだね。様子を見に行ってくるといい。いい人には長生きして貰いたいものね。

ボローニャに暮らし始めたばかりの頃は、煙たい存在だった老人たち。見るからに頑固そうで、よそ者を寄せ付けない、そんな感じだった。でも、この世代の人たちの情の厚さに気づいてからは、彼らとの接触は案外楽しい。頑固? とても頑固。でもそれはお互い様かもしれなかった。彼らの良さに気がつくことが出来たことを、私はとても嬉しく思う。ボローニャで得た、良いことのひとつなのだ。


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週末のこと

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長い一週間。ひょっとしたら、もうずっと週末がやってこないのではないかと心配したほどだ。勿論そのうち必ず週末になると知っていたにしても。色んなことがうまく行かない一週間は、そんな後ろ向きの気分になるものなのだ。其れに反して街を行き交う人々の楽しそうな様子。天気の良い週末とあって、テラス席でカフェや軽食を楽しむ人々の様子を眺めていたら楽しくなってきた。

バスの停留所に向かおうとしたところで、ふと足を止めた。シンプルなよい素材の衣服を置く店で、この秋のラインを確認しようと思ったからだ。ラインと言ってもこの店は、流行を追うような店ではなく、どちらかというと長く楽しめるようなシンプルなものが多い。店には客がひとりも居なかったので、一瞬躊躇いに似たものを感じながら、私は店に足を踏み入れた。Buongiorno. ちょっと見させてくださいね。そう言って店の人に声を掛けた。すると店員が明るい声でこう言った。Buongiorno. どうぞゆっくり見てください。それにしても私はあなたはシニョーラ、あなたのことをよく覚えているんですよ。私はそう言われて改めて彼女の顔を見た。確かに何処かで見た顔だった。其れも何か良い印象の顔。何処かで親切にして貰ったか、何か。思案している私を追い越して、彼女がその答えを教えてくれた。ほら、あの化粧品店で。シニョーラは香水を探していたでしょう? それで店になかったから、月日が掛かっても良いからと言って注文したでしょう? そこまで言われて思い出した。
私は、冬の終わりに香水を探していた。それは私が日本に居た頃、知人がつけていた香水だった。知人は香水の名を教えたがらなかったけど、私がもうすぐアメリカに行くと知ったとき、その名を明かしてくれた。この匂いを嗅いだ時、知人の存在を海のむこうでも思い出すようにと。それ以来、時々別の香水に浮気してはこの匂いに戻ってくる。もう23年もそんな風にして付き合っている、大好きな匂い。ところがボローニャ市内のどこを探しても見つからなくなった。昔からあるこの香水は、ついに時代遅れになったのだろうかと心配しながら、様々な化粧品店を渡り歩いた。そうしてほとほと困った挙句、市内に幾つも店があるボローニャではやり手の化粧品店に行って、注文できないだろうかと相談したのだ。店にないが、他の店舗や倉庫にあるのではないかと思ったからだ。店員は今も生産されていることを確認してから、コンピュータでエミリア・ロマーニャ州の全ての在庫を確認して、やっと見つけたその店に電話をしてくれた。ところがそれは他の客の予約分だったので、残念な結果に終わった。色々有難う。諦めます。そう言って店を出ようとする私に、店員が言った。シニョーラ、2週間後、もう一度店に立ち寄ってください。もしかしたら手に入るかもしれませんから。諦めるのはその時にしましょうよ。とても笑顔が素敵な店員に言われて、私は礼を言って店を出た。2週間後、仕事帰りに店に寄ってみた。恐らくこんな風に言われるに違いない。シニョーラ、残念ながらやはり手に入りませんでした、と。店に入るとあの素敵な笑顔の店員が奥の方から私を見つけて手を振った。シニョーラ、入庫できました。ほら。と言って見慣れた香水の箱を取り出した。私は喜びと驚きで開いた口が塞がらず、やっと出てきたのが、ありがとうの一言だった。私はそれを抱くようにして家に帰ったのだ。確か3月初めのことだった。
彼女はあの数か月後に店を辞めたらしい。それは昔から衣服関係の仕事に就きたいと願っていたからで、今はこの店に居るのだと言う。若いうちに色んなことを経験しておきたい。そしていつかはモーダ関係の仕事に就く、それが彼女の願いらしい。それにしても彼女は、とても感じが良い。それにこの店で働くようになって間もないのに、色んな知識があるようだ。素適なジャケットを見つけてしまった。あまりに彼女の感じが良いので、ついつい勧められるまま買い物をしてしまいそうになった。いけない、いけない。この秋は財布の紐をきりりと閉めておく約束だった。誰と約束したわけでもない。自分自身との約束なのだ。それにしてもあのジャケットは、私の好みにぴったりだったけれど。
それにしたって彼女はどうして私のことなど覚えていたのだろう。私はそれが不思議だった。

夜が早くなった。20時にならぬ前に、空がすっかり暗くなる。毎年のことながらこの季節は寂しくなる。夏という、仲良しさんが遠くに行ってしまうのがとてつもなく寂しく思える。


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美しいもの

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休暇明けの一週間は辛いものだ。承知していたくせに、その辛さに小さな悲鳴を上げる。仕事があるのは有難いことだけれど。そんな疲れを癒すために、毎晩美味しい赤ワインを頂く。それに旅の帰り道にグリッフェンに立ち寄って気に入りのパン屋さんで買ってきた黒パンにバターを塗って。そのバターだけれども、いろいろ試したがイタリア製ので美味しいものに巡り合ったことが無い。種類は色々あるけれど、どうしても私を満足させてくれないのだ。そうして見つけたのがデンマーク製バター。ほんの少し塩分もある濃厚なバターだ。舌の上でとろけるようなバター。冷蔵庫から取り出したばかりは堅いくせに、2分もテーブルの上に置いておくとナイフで薄く切り落とすことが出来るようになる。其れを薄くスライスした黒パンに塗ると、それだけで上等なワインのお供になる。うーん、美味しい。これはオーストリアで美味しい黒パンを買ってきた時だけに出来る、気に入りの習慣なのである。

ボローニャの街はすっかり平常のリズムを取り戻している。仕事が始まり学校が始まり、誰もかれもが忙しそう。そしてボローニャでは恒例のセラミック、主にタイルの見本市が始まって、それに参加、若しくは訪問している人たちで旧市街は満杯と言った感じである。ホテルの料金はいつもの数倍に跳ね上がり、こんなに高くて泊まる人が居るのだろうかと疑うけれど、実際そんな人たちが沢山いて満室なんてところもあるらしい。このセラミックの見本市は大変有名らしく、アメリカや日本などからも、人がこぞってやって来る。

随分昔にアメリカから戻ってくる飛行機の中で、この見本市に参加する人と知り合ったことがある。飛行機はニューヨーク発ミラノ行きだった。満席で身動きもできなかった。私は不愛想な男性の隣の席だった。ところが不愛想に見えたその人は、見かけによらず社交的で、不意に私に話し始めた。私がボローニャに住んでいると知ると、いやあ、僕もボローニャに行くんだけどね、と返してきて、彼がイタリアからの移民でニューヨークに長く暮らしていること、ニューヨークで内装用タイルを輸入販売する会社を営んでいること、これからボローニャのセラミックの見本市に参加することを長々と話し始めた。私はボローニャに住んでいると言ってもまだ一年やそこらで、彼が参加すると言う見本市を知らないと口をはさむと、彼は酷く驚いた。こんな大きな見本市のことを知らないなんて、と。そして彼は小さな紙切れに名前とブースの番号を書き込むと、時間があったら見に来るといいよと言って私に渡した。彼の名前はJerryとのことで、アメリカに長く暮らしているにしてもイタリア人らしからぬ名前だと思った、そんな記憶がある。年の頃は50を回ったくらいの、見るからにイタリア人らしい男性だった。私は見本市には行かなかったが、知人にその話をすると確かに見本市は大変有名で、世界のあちらこちらから関係者や関心を持つ人達が集まるのに、あなたは知らないのか、と此処でもまた同じようなことを言われた。18年前のことだ。あれから私はこの見本市が始まる度にあの飛行機の中でのことを思い出す。そうして一度覘いてみたいと思いながらも、未だにチャンスが無い。人混みが嫌いな私は、見本市のような場所が苦手なのだ。何時か何か本格的な機会が無い限り、私はこんな風にして毎年飛行機の中でのことを思い出しながら、見本市に行くこともなく、年月が過ぎていくのだろう。実に私らしい。これに限らず、別のことでもこんな調子で年月が過ぎていくのだ。

それにしてもイタリアのタイルは美しい。美しいタイルを自分の家の内装に施したいと思うのは、何も私に限ったことではない。イタリア人はそういうことに時間とお金を注ぐのが好きらしく、だからその手の雑誌が溢れている。こういうものを見て、美の感性が磨かれていくのか。それとも天性なのか。兎に角美しいタイルは、驚くほど高価でなかなか手が出ないのである。


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水の合う土地

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友人との再会は何時だって嬉しい。彼女と知り合ったのは23年も前のことで、私達はアメリカの海のある町にいた。彼女と私は性格も好みも違っていたから、もし私達が同時期にあの町に暮らしていなかったら一生知り合うこともなかっただろう。私達は互いが日本人であるという、唯一の共通点から知り合った。そういうことは外国にいると時々ある。そしてそんな共通点があっても肌に合わない相手とは少し経つとどちらからともなく遠ざかるものなのだ。だから、23年も付き合い続けているということは、性格も好みも違うと言いながら、肌に合う相手なのだろう、私達は。
友人が長く暮らしていたブダペストから他の国に暮らすようになって2年半ほどが経つ。暮らすと言っても一時的なことで、再び戻ってくるのが前提だった。その間、私がブダペストに近づかなかったのは、恐らくブダペストと友人の存在が強く結びついていたからだ。彼女が不在のこの街に立ち寄るのは何故か気が引けた、と言うとぴったりくる。兎に角、彼女が連れ合いと共に久しぶりに数日間だけブダペストに戻ってくると言うので、時期を合わせて私と相棒がブダペストを目指したのである。私も相棒も、彼女も彼女の連れ合いも、年齢がばらばらで好みも考えていることもばらばらなのに、何故だろう、私達は同じ湖に泳ぐ魚のように思える。言葉を交換しながら私達は沢山のことを共感したり学んだりしている。そんな感じが私は好きだ。彼女との話は笑いが絶えない。何故もこう可笑しいのか、私達は口を開けばお腹をよじらせながら笑ってばかりいる。多分私達は何事もストレートで、言葉を飾ることが無いからだろう。それとも私達の思考回路がストレートなのかもしれない。物事を難しくさせるのが嫌いな私だ。だから彼女と話をしていると肩の荷が下りたような気持になる。そんな友人を持つ私は幸せ者だ。

皆で温泉へ行った。英雄広場の背後に位置する大きな温泉。相棒がどうしても温泉へ行きたいと願っていたので、その誘いは全く有難い話だった。ハンガリーの湯は日本の湯に比べたら断然ぬるい。なのにそれが丁度よいと思えるのだから、人間とはその土地の状況に応じて変化していくものなのだろう。それほど歩いてもいないのに足が痛くてどうしようもないと言う相棒。温泉の湯につかりながら疲れが溶けていくと述べながら、全く満足な様子であった。私は久しぶりの相棒との旅が嬉しくて、相棒は久しぶりにボローニャを離れて解放感を味わってご機嫌で、その上気の合う友人たちと一緒に湯につかっているのだからこれ以上望むことは無かった。次はいつ来れるだろう。多分一年は戻ってこれないに違いないと思う私に反して、相棒は実に前向きだ。冬が来る前に戻って来ようと言う。それは確実に無理だとしても、そんな前向きな気持ちは悪くない。

数日間のブダペスト滞在だったから、あれもこれもと考えていたのに一握り程度のことしか実現できなかったけれど、満足感が残った。友人たちとは近いうちに、ボローニャで会えることだろう。何しろ私達がブダペストに夢中なように、彼らもまたボローニャにぞっこんなのだ。水が合う、という言葉があるけれど、ボローニャにしろブダペストにしろ、全く水が合う土地なのだ。

14時間もかけてボローニャに帰って来た。そんなにかかってしまった理由は、ハンガリーの田舎道を走ったからだ。既に枯れてしまったひまわりが何処までも続く畑の横を、収穫期を迎えたトウモロコシの畑の横を走りながら、これを収穫するのにはいったい何日かかるのだろうなどと言いながら。長旅で疲れたけれど、旅の土産と思えばよい。

明日からいつもの生活。頑張ってみようかな。


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骨董品屋

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この旅の楽しみのひとつの骨董品屋めぐり。何処をどう行けばあの店に辿り着けるかは、頭の地図によく記されているから大丈夫。私達はまるで地元のようにトラムを乗り継いで行くと、あった、あった、覚えている場所に店があった。店は繁盛しているらしいが、肩透かしを食らったような気分になった。前はもっとものが雑多に置かれていて、隠れている宝を探す楽しみがあったのに。これでは食料品店の缶詰の棚、みたいだ、と言って私達は店から出た。旅行者が沢山来るのだろう、値段も随分つり上がっていた。

次の店は骨董品屋というよりは何でも屋と言った感じの店。私達にとっては価値のないものが半分、しかし残り半分は時間をかけて観察したい、興味深いものだった。1900年初期の鏡。何処から転がり込んだのか、この鏡は、店の奥で君臨していた。恐らくは旧ソビエト連邦から流れてきたものに違いない。幾つも絵画を堪能して、私達は店を出た。まだまだ行く店があったからだ。

3軒目はドナウ川沿いのトラムに乗って、地元の人たちが普通に生活している界隈だった。この店が一番押しで、私達はわくわくしていた。なのに店は閉まっていた。廃業だった。店が入っていた建物丸ごと売り出しに出ていて、店をたたむことになったのだろう。ああ、これは残念。張り紙を見る限り、店は夏前に閉まったようだった。

4軒目は多分あの道に在る筈だけれど、あまり自信が無かった。それを承知で再びトラムに乗った。一駅先で下車して、歩くのを渋る相棒を促しながら目指す。この辺りの筈だけど。大きな病院の前を歩きながら、次の角で右に曲がる。此処になかったら休憩にしよう、と思いながら。と、見慣れた入り口を見つけた。あった。相棒と一緒に店に入る。そうだ、確かにこの店だった。店主は勿論私達のことなど覚えていないだろうけど、私達は店主の顔をよく覚えていた。柔和で感じの良い、60歳近くのおじさんだった。此処は以前と少しも変わっていない。身動きが不自由に感じるほど、小さな店内に千程の宝が詰まっていた。ちょっと見せてくださいね、と断って私は店の中を物色し始めた。相棒はといえば、店主と世間話を始めていた。そのうち店主は私達を思い出したらしく、ははあ、そう言えば5年くらい前にあなた達は店に来ましたね、と言った。すると店主は急にリラックスして、色んな話をし始めた。私は絵画の物色に忙しく、話しをしていたのは専ら相棒だったけど。そのうち店主の幼馴染がやって来た。幼馴染は以前スイスのイタリア語圏に暮らしていたことがあったそうで、イタリア語を話すことが出来た。いやあ、こいつは一時此処から離れたけれど、やっぱりブダペストがいいんだよな、と店主は幼馴染が再びこの界隈に帰ってきたことを酷く喜んでいるようだった。この店で私は4枚の絵を見つけた。壁に飾られていた絵は一枚だけで、あとの3枚は店の隅っこや他の物の下に雑に置かれていた。店主はそんなものを見つけてきた私に目を丸めて驚き、そう言えばそんなものがあったね、と言って笑った。有名な画家のものなどひとつもない。でも、絵画とは有名な画家が描いたから素晴らしいと言うものではない。観た人が良いと思ったら、それが素晴らしいものなのだ、と私は思う。4枚の中から1枚を選んで購入しようと思っていたが、結局4枚買った。店主が驚くほどの値引きをしてくれたからだ。しかも頼んでもいないのに。そしてトラムに乗って持ち帰るのは大変だからと、ホテルまで車で送ってくれると言う。店はそれなりに営んでいたのだろう。しかしこのところの高度成長に伴う不景気に、困っていたのではないだろうか。其の上、店主が忘れているような絵画を欲しいと言う東洋の女。5年前に来た記憶を辿って店に来たと聞けば、店主としても悪い気はしなかったに違いない。オファーに頷く私達に、店主は店の奥から義兄が作った自家製の強い酒を持って来て私達にご馳走してくれた。パーリンカという、50度もある強い酒。5年ぶりの再会に。良い買い物に。楽しい時間が持てたことに。私達は幾度も乾杯をした。店主が以前心臓を悪くして倒れたこと、大きな手術をしたこと、タバコを止めなければならなかったこと、しかし医者の勧めで酒は毎日飲んでいいことを話してくれた。酒を断たなくてよかったのは不幸中の幸いだったと。店主は酷く機嫌がよくて、またブダペストに来たら立ち寄ってくれよ、とホテルへと向かう車の中で言った。近いうちにまた来るよ、と言う相棒。相棒の言葉を聞きながら、本当にまた近いうちにブダペストに来れそうな気がした。

長旅で疲れている筈の相棒が、笑っていた。とても楽しそう。絵を購入できたばかりではないだろう。多分、地元の人との接触を楽しんでいるのだ。無理に誘ってブダペストに来てよかったと思った瞬間だった。


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