良いこと。
- 2014/09/29 06:59
- Category: bologna生活・習慣
昨日のこと。旧市街を歩いていたら、店先にバラの花びらが、はらり、はらり、と撒かれていた。まるで結婚式の時のように。何かロマンチックな雰囲気で。そこは少し前までは別の店だった。ほんの短い間だけだったからどんな店だったか覚えていない。そしてその前はキャンバス地のバッグを売る店だった。一番印象的だったのはバッグを売る店以前にあった靴屋だ。洒落た店で、高価な靴だったにも拘らず、店は繁盛していたけれど、いつの間にか客足が遠のいたようで、店主が店の前でタバコを吸っているか、近所の店の人達とお喋りをしていることが多くなった。と思ったら、店が閉まった。あの店は長いことあったけど、靴屋が店を閉めてからはどれもこれも長続きしない。そういう場所ってどんな街にもあるものだけど、それにしても本当にどれもこれもうまく行っていなかった。ところで今度の店は、薔薇屋さんだった。薔薇の花しか置いていない。薔薇の花を引き立たせる植物類はあるにしても、花は本当に薔薇だけ。始めはそんな風に見えただけ。でも、中に居る髪の長い女性に訊いてみたら、薔薇の店だと答えたから、間違えなかった。数日前の木曜日にオープンさせたらしい。素適な雰囲気のその店は、それがどの商売も長続きしない“いわくつき”の場所であっても、きっと街の人たちに好まれるだろう。素適な店ね。オープンおめでとう。そう言って店を出た。こんな店が一軒くらいあってもいい。薔薇しか置いていない店。
家に帰ったら、テーブルの上に幾つかの瓶とワインボトルが置いてあった。何だろう。相棒が何処からか手に入れてきたのには間違いないが、さて、何処からだろう。夕食時に相棒が帰って来たので訊いてみたら、こういうことらしかった。知人から不要になった釣竿を貰った。貰ってはみたが、釣りを楽しむ習慣はない。どうしたものか、と考えていたら老人のことを思い出した。老人が近所に住んでいた。相棒ですら名前を知らない人だけど、頻繁にバールや道端で会うらしく、会えば声を交わし、お喋りをする仲だった。私も顔だけは知っていた。毎朝、娘の3人の子供たちを学校に連れていくのを手伝い、なかなか優しい、感じの良い人だった。小さな孫3人連れて歩く老人は、とても嬉しそうだった。それで老人だが、しばらく入院していたが、最近家に戻って来たらしい。相棒は、老人に釣竿を、と考えたのだった。そして釣竿を抱えて老人のところに行ってみたら、案の定老人は喜んで、これで孫たちと一緒に釣りを楽しめるよ、と単に思いついて持ち込んだ釣竿がこんなに喜ばれるとは思ってもいなかった相棒をよそに、礼にと自家製の瓶詰めとワインを持たせてくれたそうだ。老人の自家製瓶詰めはこの辺りでも有名だった。かといって、そうそう手に入るものでもなかった。テーブルの上に在ったワインは、ワイン農家から購入した飛び切り美味しい奴、だそうだ。瓶詰めは、玉葱の酢オイル漬け、様々な野菜の酢オイル漬け、そして無花果のジャムだった。無花果のジャム! と喜ぶ私に、冷凍庫に保存した、グリッフェンの黒パンにつけて食べたら美味しいだろうねと頷く相棒。チーズに添えても美味しいね、と言う私。うちでは役に立たぬ貰い物の古い釣竿で、こんな美味しいものたちを獲得するとは思っていなかった。それにしてもじいさんは、あまり元気がなかったな、と心配する相棒が、また近いうちに様子を見に行ってこようと言った。うん、そうだね。様子を見に行ってくるといい。いい人には長生きして貰いたいものね。
ボローニャに暮らし始めたばかりの頃は、煙たい存在だった老人たち。見るからに頑固そうで、よそ者を寄せ付けない、そんな感じだった。でも、この世代の人たちの情の厚さに気づいてからは、彼らとの接触は案外楽しい。頑固? とても頑固。でもそれはお互い様かもしれなかった。彼らの良さに気がつくことが出来たことを、私はとても嬉しく思う。ボローニャで得た、良いことのひとつなのだ。