憧れのペン
- 2009/10/28 23:32
- Category: 好きなこと・好きなもの
人々がサン・ペトロニオ教会の左脇の通り、Via Archiginnasioを歩く頻度はとても高い。市民にしても旅行者にしても、私にしても。道の半分はポルティコに覆われているから、夏の強い日差しや強すぎる風、雨や雪を逃れて通行することが出来る。人々がこの通りを歩く理由は多分其処に気の利いた、洒落た店が連立しているからだろう。並ぶ大きなガラス張りの靴屋や服飾店の前で足を止めては歩き、また足を止めてなかなか先に進まない。Via Archiginnasio とVia de’Foscherari の角にモンブランの店が出来た。出来たと言っても最近出来た訳でなく、もう何年も前に出来たのだ。その前はどんな店だったのか。何百回と前を歩いている筈なのに幾ら考えても思い出すことが出来ない。この店にはまだ一度だって足を踏み入れたことがない。縁がないから、ではない。関心がないから、でもない。それどころか私は昔からモンブランのペンに憧れていて、関心だけは人一倍持っている筈である。私が手紙を書き出したのはまだ小学生の時だった。字は正直言って上手くない。毛筆は好きだったが、かといって下手の横好きと言った感じで、大抵の場合は褒めようもないので堂々としているとか、伸び伸びとしているとか、当たり障りのない評価しか貰えなかった。ペンや鉛筆で書くのは苦手だった。兎に角苦手だった。それのに手紙を書くようになってから、下手ではあっても字を書くことを嫌だとは思わなくなった。私が初めて得た文通相手は遠くに住む同じ年の少女だった。どんな風にして知り合ったのか幾ら考えても思い出せないが、見えない少女に自分のことや自分を取り巻く環境のことを報告したり言葉を交わすのは案外楽しかった。そのうちどちらからともなく書かなくなってしまったが、あの年齢の子供たちにしては根気よく続けられたと思う。あれを通じて手紙を書く楽しみを知った。10代の終わり、ある店でモンブランのペンを見つけた。黒光りしたそれを美しいと思った。欲しいとも思った。私の手の中に自然に納まると、すらすらと文字を書けるような錯覚にも陥った。それでいて、駄目駄目、と自分に言った。当然そんなお金は無かった。しかしそれよりも見分不相応な感じがしたのだ。それで小さなガラスケースの中に納められた美しいペンを見つめながら、何時か私がこのペンに似合う大人になったらば、自分への褒美として購入しようと決めたのだった。20代半ばにクロスの銀製のペンを買った。高価なものではなかった。でも書き心地が良かった。書きながらモンブランはどんなに素晴らしい書き心地なのだろうと考えた。あれから何年も経ち私はいい大人になったが、あの憧れのペンはまだ手に入れていない。あのペンは憧れなのだ。多分今の私ならもう手の届かないものではないに違いないけれど、憧れはそう簡単に手に入れてしまってはいけないような気がするのだ。だからなのか、私はこの店の外からこっそり覗き見ることはあっても中に足を踏み入れることはない。時々店に吸い込まれていく人々を見ては、ひょっとして彼らはあの美しいペンを購入するのだろうか、などと思っては羨ましく思い、それでいて、ううん、私のご褒美はもっと先、と自分に言い聞かせる。