一年の終わりに

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ゆっくり行こうと思っても毎日が目くるめく過ぎてゆく。カレンダーも最後の1日間が残っただけで、晩零時にはびりびりと破って捨てられてしまう。日本ではどうだったか覚えていないけど、イタリアでは古いカレンダーはそんな風にして新年を迎える儀式のように破られてしまうのだ。アメリカもそうだった。初めて迎えた新年の午後、ダウンタウンを歩いてみたら、カウントダウンの残骸があった。自分も友人と広場に駆け付けてカウントダウンをして大騒ぎしたから、その残骸はまったくもってのことだと思った。知らない人がシャンパンの栓を抜き、周囲の人達に振舞い、知らない人同士抱き合って新年を祝った。あれは私にとって最初で最後の大騒ぎだった。あんな大騒ぎや混乱、人混みは一生に一度で充分。だけど良い思い出であることは確か。あの晩街にでて良かったと今でも思っている。その足で高層ビルが立ち並ぶビジネス街へ行ってみたら、小さくちぎられた紙が辺りに散らばっていた。仕事納めをを祝うように、紙をちぎって窓からばら撒いたに違いない。そういうのをハリウッド映画で観たことがあったけど、ああ、あれは映画だけの話でなく本当にそんなことをするのだなと思ったものだ。今年の私と相棒は静かに過ごす。今年を綺麗に閉じるために心穏やかでいたいから。

今日は私の箪笥の中を整理した。それは衣類の箪笥ではなくて、書類や小物、自分が大切にしているものをしまう、横幅僅か60センチほどの、高さだって160センチあるかどうかの箪笥。足は玉葱のように丸く、エミリア特有の骨董家具だ。1800年代のものだ。修復したそれを相棒がうちに持ち帰ったのはかれこれ17年ほど前のことで、一目惚れした私が勝手に自分の箪笥などと名前を付けて使っている。私が心底気に入るものは少ないが、これはその数少ないもののひとつなのである。毎年大晦日の午前中に中を整理する。古い書類は小さく破いて、そして不用品、どうしてこんなものをとっておいたのかと首を傾げるようなものたちを、どんどん黒い袋の中に突っ込んでいく。そんなことをしていたら不審な封筒を発見。中を見て驚いた、50ユーロ札が3枚も入っているではないか。うーんと唸りながら思いを巡らす。恐らく日本に帰省した時に用意した小遣いの残りだろう。兎に角大変気分がいい。そもそも自分のお金であるが、何か得した気分である。そしてもうひとつ見つけた封筒。此れは母からの便りで、宛先は私がアメリカからボローニャに移ったばかりの頃の住所が書いてあった。だから30年ほど前に受け取った手紙だ。中には便箋が3枚。初めの二枚は母からの便りで、3枚目は父からだった。老いて目が悪くなったのだろう、字が大きくて、下手だった。それを見ながら笑うのは、私の字が下手なのは確かに父譲りだと思ったからだった。読んでいるうちに涙でいっぱいになった。心を打つような文が書かれている訳ではなく、内容はごく普通のことだったけど、父から受け取った初めで最後の手紙だったから。色んな所に引っ越しをして、色んなものが行方不明になったのに、これだけは無くさなかった。ちゃんと私の傍にいた父からの手紙。そう思ったら泣けてきた。そういうことだ。
幾度も作業が中断されながらも、随分のものを処分して箪笥の中がすっきりした。これでよし。これで準備が出来た。
そうしたら思い出した、ヤドリギを手に入れるのを忘れていたこと。それでコートを羽織って近所の花屋でひとつ購入。小振りのものだけど、大丈夫。大切なのは今晩ヤドリギが家の中に吊るしてあることなのだから。

今夜の夕食は相棒が料理番。いつもより遅い21時過ぎに始まる今年最後の晩餐。メニューは何かと聞いてみたら、それは企業秘密なのだそうだ。あはは、何その企業秘密って、と笑いながら、嫌がらずに料理してくれることを有り難いと思った。

今年は色んな事がありました。ひと頃挫けそうだったけど、乗り越えることが出来たのは周囲の人達の応援と、ブログを読んでくれる人達の存在です。この機会にありがとうの言葉を贈ります。そして綺麗に一年を閉じることに感謝です。皆さんに沢山の恵みがありますように。




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計画

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冬至から10日が経ち、陽が暮れるのが少し遅くなった。冬至の頃は16時38分、そして今日は16時43分。調べてみてがっかりした。たったの5分遅くなっただけだった。まあ、こんな風にして陽は長くなっていくものだ。Piano piano (ゆっくりゆっくり)とイタリア人はよく言うけれど、まさにそれ。急がずにゆっくり行けばいい。

今朝目を覚ましたら酷い頭痛がした。昨晩から少々不調ではあったけど、こんなに酷い頭痛になるなんて。しかしそれも相棒がバールから持ち帰った大好きなパステリーと淹れたてのカッフェラッテをたっぷり頂いたら、治ってしまったのだから大したことではなかったらしい。
今日も快晴。晴天の神様が絶好調らしい。この調子で行こう。起き抜けの頭痛のせいで遅くなったが、バスに乗って旧市街へ行った。今日は計画を実行するのだ。旧市街の真ん中でバスを降りると、路地を渡りながら北の方へと歩いた。最近足が遠のいていた界隈。以前はアペリティーヴォに来たり、その近くのトラットリアに手打ちのタリアテッレを堪能しに来たりしたものだけど、もう2年くらいご無沙汰。ご無沙汰した理由はない、単に足が向かなかっただけ。そんな界隈に敢えて来た。ひと月くらい前に思いついて情報収集をしたところ、此処がいいらしい。同僚も、そして美容院で働く男性も利用しているそうだから。私はピアスをしたいと思って此処に来た。しようと思った立派な理由がある。私の装いはシンプル。髪はショートでほぼ変化がない。それが好きなのだから問題はないのだけれど、何か輝くものが欲しくなった。輝くものというよりは、華のあるものと言ったほうが良いかもしれない。ショートヘアからちらりとイヤリングが見えたらいいなあ、と思って街の小さな宝石店に立ち寄ったのは11月の終わりのことだった。イヤリングが欲しい、クリップタイプの。そう言う私に店の人は頭を横に振った。注文を受けて作ることは勿論出来るけど、高価なイヤリングは落とした時に残念過ぎるから薦められないと店の人は言った。そういう客が多く居るらしい。だから店にはクリップタイプのイヤリングはなく、あの美しいのも、この素晴らしいのも、皆ピアスだった。そして店の人は言うのだ。ピアスの穴あけは怖いかもしれないけれど、一度開けたら色んなイヤリングが愉しめるから考えてみる価値ありと。そんな話をして店を後にしてから、私はずっと考えていたのだ。ピアスの穴、あけようかなあ。
33年前。アメリカに暮らして初めて迎えた大晦日の日、私は同居人と一緒にショッピングモールへ行った。彼女がピアスの穴をあけるから一緒に来ないかと誘ってくれたからだ。本当は彼女は怖かったのだ。だからひとりで行く勇気がなく、私についてきて貰いたかったのだ。私は興味本位でついていったというよりは、なあに、することがなかったのだ。店に行くと彼女は震えあがってしまったが、私はふと思いついてピアスの穴をあけてみようと思った。え、本当? 大丈夫? なんて彼女が心配する横で私は穴をあけた。痛かったけど怖かったけど、それを乗り越えたら何でも大丈夫になるような気がして。ピストルなようなものを使って、ものの30秒と掛からず、ピアス代も含めてたったの5ドルだった。それが私の初めてのピアス。但しその後が宜しくなかった。2年くらい頑張ったけど、炎症を繰り返して穴を塞いでしまった。それから33年経ってもう一度ピアスをするかどうか、ずっと考えていたけれど、駄目ならまた塞いでしまえばいいだけ、今年のうちにしてしまおう、と思って今朝店に行ったという訳である。刺青とピアスの店だ。店の存在はずっと前から知っていたが、まさか自分がこの店の扉を押すとは夢にも思っていなかった。年末だもの、空いているだろうなんて思っていたら先客が6人もいて暫く待った。まずは話を聞いてみようと思った。前に穴をあけたが炎症して塞いだことなどを含めて、色々聞いてみたところ、なかなか良さそうだった。全てのものが消毒されていることなども含めて気に入り、じゃあ、お願いしますとなった。何しろ店に来る人達は一様に若いから、じゃあ、お願いしますと話が運ぶと、ちょっと驚いたようだった。分かる分かる。私だってこの年齢になってピアスに再チャレンジするなんて思っていなかったもの。それで話の通り、すべてが消毒されていて、なかなか良い店だった。勿論痛かったけれど、店の人に痛い? なんて訊かれたら、うん、痛いなんて子供みたいで言えなかった。ふたつ開けてピアス代と消毒液までいただいて75ユーロ也。33年前の5ドルを考えるとびっくりするほど高いけど、何しろ33年前のこと。それにこれだけ消毒に気を使っている店のことだ、この値段が妥当というものだ。兎に角計画を実行した。それが大切。しかも年内に。今年は色んな事があってかなり参っていた私だが、これで全てゼロになった。もう後ろは振り向かない。今日の私、そして明日の私。

こんな晴天の日は星空が素晴らしい。今夜の星空は更に美しく、星が零れ落ちてきそう。次のクリスマスにこんな星のような小さなダイアモンドのピアスを贈って欲しいと相棒に言ったら、えっ、と返事に困っていたけれど。




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語り継がれる人

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今日も晴天。日曜日の晴天は有り難く、そして休暇中の晴天も恵み。此れほど晴天の冬の休暇はこれまでにあっただろうかと思うほど、連日晴天。嬉しいなあ、嬉しいなあと変な歌を歌いたくなるほど嬉しい。それにしても近所が妙に静かである。コルティーナ辺りにスキーを愉しみに行っているのかもしれない。昔からイタリアの豊かな人達は冬はコルティーナ、夏はサルデーニャ島というのがスタンダードで、それが今でも密かに続いているというのだから驚きだ。随分昔に私をコルティーナに連れて行ってくれた友人がロンドン暮らしをするようになってかれこれ20年以上経つけれど、冬になるとコルティーナに足を運ぶべく、イタリアに帰ってきたものだ。彼女の夫の両親がコルティーナに別荘を持っているからだったが、その家も両親が他界してからは手放してしまったらしい。管理費が高いのよ、とのことだ。確かにあの別荘を所有し続けるには、年間に莫大な費用が掛かるだろうと頷きながらも、他人の家とは言え、残念に思った。あんな言え、もう手に入らないだろう。今に備え付けられた広いテラスの前は、大自然だった。なだらかな山肌を駆けていく小鹿達。夏の眺めも素晴らしくて、宝石のような別荘と誰もが言ったものだった。其のコルティーナは今も冬の社交場として華やいでいる。スキーを愉しまない私には遠い存在と言ったらいい。

数日前、旧市街で催されている展示会を訪れた。”TUTTI DE SICA” と名付けられた展示会で、訳したら ”デ・シーカのすべて” と言ったったところだろうか。有名なイタリアの映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカの写真展である。彼のことを知らないイタリア人などいないだろうと思うけど、案外若い人達は、誰なの、その人? なのかもしれない。兎に角改装した地下の展示場。地下が嫌いな私ではあるが、嫌がっている場合ではなかった。入場料は13ユーロ。13ユーロ払おうとしたら、チケット売り場の女性が小さく書かれた文字を指さした。此のどれかに当て嵌まれば3ユーロ割引になると言う。沢山書かれたあれこれの中に見つけた、自分が利用している銀行名。あ、これ。と言って銀行カードを見せたら、簡単に割引が適応された。自分が利用している銀行は何かと不便があって文句のひとつも言いたいと常々思っていたけれど、悪いことあり、良いことありである。
さて、デ・シーカ。映画監督の前は役者だったことを今回初めて知った。イタリア人なら兎も角、外国人の私は彼が出演している映画や芝居は見た事がなかったからである。なかなかの男前で、だから女性がいつも取り巻いていたらしい。そんなだから彼は女好きでと、彼について誰かと語りだしたら、話が尽きない。彼の作品とは知らずに見た映画が幾つもある。今頃になって、成程、素晴らしい映画監督だった、と思うのだ。展示物の中にあった娘への手紙。初めの結婚で得た娘への手紙だった。長い手紙で滑らかな美しい字体だったが、読むことが出来なかった。イタリア人に限らず欧米人の文字は解読不可能なものが多々あるけれど、彼の字もやはりそうだった。それで別紙に内容がタイプされてあって読んだのだけど、なかなか興味深いものだった。人の手紙を読むなんて、と思いながらも、この手紙はなかなか良いから他人に読ませるに値すると思った。
彼の佳作にひまわりがある。あの映画を観たのは19歳のとこだっただろうか。学校をさぼりたまたま通りかかった映画館に入った。ローマの休日とひまわりの二本立て。午前中で観客は数えるほどしかいなかった。ましてや私のような若い人は居なくて、券を買う窓口でじろりと見られたものだった。そんな風にしてみた映画。初めのローマの休日も良かったけれど、次のひまわりには頭をガツンと叩かれたような感じがあった。見たこともない世界を映画を通じて知った。戦争とかロシアの平原とかイタリアとか。今も忘れないのが、ソフィア・ローレンが演ずるジョヴァンナが笑ったかと思ったら怒り、そして大泣きするのを眺めながら、これがイタリア人なのだろうかと思った記憶。
映画監督デ・シーカは、良い感性を持っている、というのが私の印象。少なくともいい映画を作った。後々語り継がれるに値する映画監督。見に行けてよかったと思っている。

休暇中は紅茶ばかり飲んでいる。丁寧に淹れた紅茶に蜂蜜と熱い牛乳を垂らして頂くのは幸せ。自分にゆとりが無いとできないことで、紅茶を飲みながら思うのだ。あ、私、リラックスしている。




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毎日が週末

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目を覚ましたら土曜日。何しろ最近毎日が週末だから、週末の感覚はあまりない。8時に目覚ましアラームを掛けておいたのに、無意識のうちに素早く止めたらしい。其の後も昏々と眠り、気づいたら相棒は出掛けているし、陽が高く昇り、大慌てで起きる始末だった。誰に迷惑が掛かるでもないが、失敗だった。休み中も決めた時間に目を覚まして規則正しい生活をしようと思っていたのに。更には今日は予定があったから、今日こそ8時に起床したかったのである。まあ宜しい。被害を受けたのは例のごとく猫。空の器の横に座って沈黙の抗議をしているかのようだった。はい、はい、今すぐに朝食を用意します。そんなことを言いながら、空の器を片付け、そして新鮮な水と彼女の朝食を用意した。しかし全く良く出来た猫だ。催促せずに私が起きるのを待っている猫。
私の朝食はいつもと同じ、なんて思っていたら、相棒が朝食用のパステリーを持って帰ってきた。近くのバールで朝のカッフェをしたらしく、其処に美味しそうなのがあったから、とのことだった。いつも同じ朝食でも何の不満もない私であるが、たまにはこんな事があると嬉しいものだ。相棒が持ち帰ったパステリーは見た目通り美味しくて、また近いうちに持ち帰ってくれれば良いと思った。色んなことをしているうちに、時間になってしまった。さあ、出掛けよう。今日は髪の手入れをして貰う日。

旧市街にあるガッレリア・カヴール。俗に言う高級店が立ち並ぶガッレリアだが、私にとっては通り抜けの近道みたいな存在だ。勿論通り抜ける際、たまにはウィンドウの前で立ち止まることもあるけれど、中に吸い込まれることはなく、純粋にガッレリアの中の通路はこちらからあちらへ通り抜けるためである。其の通路が大変なことになっていた。こんなに混雑しているのを見たことはないというほどの混みよう。若い人たちは此処で自分の写真を撮ったりビデオを撮ったりしていた。成程、混雑の原因は君たちなのかと思いながら、こんなところで写真やビデオをとって何が面白いのだろうと首を傾げながら横を通り過ぎた。
髪をとても良い感じにして貰った。そうでなくてもショートヘアだが、今回は耳がちらりと見えるような更に軽快な感じにしてくれた。腕の良い美容師さんだ。こんな人に髪の手入れをして貰えることは、宝くじに当たったような幸運だ。アメリカに居た頃、フランス人の男性に髪を切って貰っていた。アラン、そうだ、彼はアランという名前だった。彼にたどり着くまでに色んな店を試して、散々失敗した。そうして彼に辿り着き、やっと見つけた、腕の良い美容師さん、なんて思っていたらボローニャに引っ越すことになった。ボローニャに来たら、美容院難民になった。それでも、それなりにうまい具合にしてくれる店に通いながら、数年前に今の店に辿り着いた。長い長い道のり。だから其の感謝は深く大きい。此処に通う限り問題はない。だから美容師さんにはずっと此処に居て欲しい、と思っているが、さて、どうだろう。

ここ最近、防寒に帽子を被っている私だが、こんなに綺麗にして貰ったのを隠してしまうなんて出来ないわ、と帽子を被らずに店を出た。寒い、しかし帽子は被りたくなかった。そうして歩きながらある店のウィンドウの前で足を止めた。私には決して手が届かない値段のついたモーダの店だ。上質な素材を使った軽快なジャケットはカジュアルなのにエレガントだった。店の中に客が居た。成程、此処で買い物をする人はちゃんといるのね、などと思いながら眺めていたら、後ろから声を掛けられた。大人になった赤毛のアン、そんな印象の知的で魅力的な女性だった。色白でそばかすがあって、赤毛が生えるように計算したのか、落ち着いたグリーンのコートを着て美しかった。彼女は私が何処で髪を切ったのかを知りたかったのだ。直ぐ其処なのよ、と言ってそちらの方向を指さしたら、すぐに分かったようだった。この髪型が似合うと褒めてくれた。褒めて貰ったショートヘア。褒めて貰うって、なんて嬉しいのだろう。

私は変化の少ない人間。変化を好んでいないというよりは、変化がなくても問題がないのだ。でも、と思う。たまには少し変化を。一年の終わりに来て、そんな気持ちになって行動を起こそうとしている。上手くいくといいけれど。良い変化となればいいけれど。




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冬の空

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冬の晴天ほど有難いものは無い。日本に暮らしていた頃は、冬の晴天を其れほど有難いものとは思っていなかったけれど、日本を飛び出してその有難さを感じるようになった。例えば私が暮らしていたアメリカの街。冬は雨期だから当然雨が沢山降った。来る日も来る日も雨模様で、降らない日だって太陽が顔を出さなかった。そしてボローニャに来てみたら、冬は雨期でこそないけれど、兎に角憂鬱な空の日が多かった。そして冬が長い、これにも参った。だけどこんな風に晴天ならば、長い冬も何とかやっていける。私はここ数日そんなことを考えては、空に感謝しているのだ。

今日は2日振りに旧市街へ行った。この時期の外出の難点はバスの本数が少ないこと。ホリデーシーズン仕様なのである。だからバスを目の前で逃した時の残念感と言ったら。散々待ったバスに乗る訳だから、混雑しても途中下車などできない。多分誰もが同じように思っているに違いない。ホリデーシーズンが終わって何時もの時刻表に戻ればいいと。
旧市街は華やかだった。クリスマスは過ぎたが1月6日まではクリスマスの飾り付けをそのままにしておくのがイタリアの風習だからで、だからどの店もきらきらしていた。けれども、どの店も大そう暇そうだった。クリスマスの贈り物を購入する時期を終えた今、1月に始まる冬のサルディまで、定価では購入しないと心に決めている人が多いからだ。当然私もそのひとり。ボローニャのサルディは1月4日から60日間。あと1週間も待てば有り難い価格で欲しかったものを手に入れることが出来るのだから、今買い物をするつもりはさらさらない。例えば先日購入した革の手袋だけど、あの店は決してサルディをしない。だから店に置いてある良い手袋を手に入れたかったら、定価で購入するしかないのである。それに比べて私が贔屓にしている靴屋やセレクトショップは待つ甲斐がある。3割から5割引いてくれるのだから、今が辛抱時。消費者の私達は賢くなければいけない。でも、店の人も言うのだ、もうじきだから待った方がいいんじゃない? なんて。この辺がイタリアらしいと思う。愛すべきイタリア人達。
今日はずっと行きたかった展示会に立ち寄って、帰りが遅くなってしまった。と言っても17時にもならないが、陽は既に落ちて、太陽の余韻で薄紫色に染まった空が美しかった。広場に置かれた大きなクリスマスツリーがきらきらしていて、通り過ぎる人達の目を愉しませていた。それにしても沢山の人達。彼らはこれから何処へ行くのだろう。

今夜は空気が飛び切り冷たい。だから星空が美しい。久し振りに眺めた星空。夜は雨戸を閉め切っているから、星空を眺めるチャンスがなくて勿体無かった。こんなに美しい星空を眺めないなんて。多くの人に眺めて貰いたい、美しい冬の星空を。




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