一年の終わりに
- 2024/12/31 18:07
- Category: bologna生活・習慣
ゆっくり行こうと思っても毎日が目くるめく過ぎてゆく。カレンダーも最後の1日間が残っただけで、晩零時にはびりびりと破って捨てられてしまう。日本ではどうだったか覚えていないけど、イタリアでは古いカレンダーはそんな風にして新年を迎える儀式のように破られてしまうのだ。アメリカもそうだった。初めて迎えた新年の午後、ダウンタウンを歩いてみたら、カウントダウンの残骸があった。自分も友人と広場に駆け付けてカウントダウンをして大騒ぎしたから、その残骸はまったくもってのことだと思った。知らない人がシャンパンの栓を抜き、周囲の人達に振舞い、知らない人同士抱き合って新年を祝った。あれは私にとって最初で最後の大騒ぎだった。あんな大騒ぎや混乱、人混みは一生に一度で充分。だけど良い思い出であることは確か。あの晩街にでて良かったと今でも思っている。その足で高層ビルが立ち並ぶビジネス街へ行ってみたら、小さくちぎられた紙が辺りに散らばっていた。仕事納めをを祝うように、紙をちぎって窓からばら撒いたに違いない。そういうのをハリウッド映画で観たことがあったけど、ああ、あれは映画だけの話でなく本当にそんなことをするのだなと思ったものだ。今年の私と相棒は静かに過ごす。今年を綺麗に閉じるために心穏やかでいたいから。
今日は私の箪笥の中を整理した。それは衣類の箪笥ではなくて、書類や小物、自分が大切にしているものをしまう、横幅僅か60センチほどの、高さだって160センチあるかどうかの箪笥。足は玉葱のように丸く、エミリア特有の骨董家具だ。1800年代のものだ。修復したそれを相棒がうちに持ち帰ったのはかれこれ17年ほど前のことで、一目惚れした私が勝手に自分の箪笥などと名前を付けて使っている。私が心底気に入るものは少ないが、これはその数少ないもののひとつなのである。毎年大晦日の午前中に中を整理する。古い書類は小さく破いて、そして不用品、どうしてこんなものをとっておいたのかと首を傾げるようなものたちを、どんどん黒い袋の中に突っ込んでいく。そんなことをしていたら不審な封筒を発見。中を見て驚いた、50ユーロ札が3枚も入っているではないか。うーんと唸りながら思いを巡らす。恐らく日本に帰省した時に用意した小遣いの残りだろう。兎に角大変気分がいい。そもそも自分のお金であるが、何か得した気分である。そしてもうひとつ見つけた封筒。此れは母からの便りで、宛先は私がアメリカからボローニャに移ったばかりの頃の住所が書いてあった。だから30年ほど前に受け取った手紙だ。中には便箋が3枚。初めの二枚は母からの便りで、3枚目は父からだった。老いて目が悪くなったのだろう、字が大きくて、下手だった。それを見ながら笑うのは、私の字が下手なのは確かに父譲りだと思ったからだった。読んでいるうちに涙でいっぱいになった。心を打つような文が書かれている訳ではなく、内容はごく普通のことだったけど、父から受け取った初めで最後の手紙だったから。色んな所に引っ越しをして、色んなものが行方不明になったのに、これだけは無くさなかった。ちゃんと私の傍にいた父からの手紙。そう思ったら泣けてきた。そういうことだ。
幾度も作業が中断されながらも、随分のものを処分して箪笥の中がすっきりした。これでよし。これで準備が出来た。
そうしたら思い出した、ヤドリギを手に入れるのを忘れていたこと。それでコートを羽織って近所の花屋でひとつ購入。小振りのものだけど、大丈夫。大切なのは今晩ヤドリギが家の中に吊るしてあることなのだから。
今夜の夕食は相棒が料理番。いつもより遅い21時過ぎに始まる今年最後の晩餐。メニューは何かと聞いてみたら、それは企業秘密なのだそうだ。あはは、何その企業秘密って、と笑いながら、嫌がらずに料理してくれることを有り難いと思った。
今年は色んな事がありました。ひと頃挫けそうだったけど、乗り越えることが出来たのは周囲の人達の応援と、ブログを読んでくれる人達の存在です。この機会にありがとうの言葉を贈ります。そして綺麗に一年を閉じることに感謝です。皆さんに沢山の恵みがありますように。