自分らしいもの

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復活祭の週末。明日の日曜日はパスクア(復活祭)、翌月曜日はパスクエッタで祝日ときているものだから、金曜日くらいから北へ南へと大移動が始まり、今日はもう静かなものだ。昔はこうした祝日を家族で過ごすのが習わしだった。上階の家族は習わし通り一足先に木曜日には沢山の食料品を車に詰め込んで家族みんなで旅だった。目的地は彼らの山の家に違いない。この家族はこうした休みがあると前後に休みを追加して山の家に行くことが多いから。とても仲が良いのだ、この家族は。と、私は病で寝込みながら、旅立つ彼らの様子を羨ましく思った。体が弱っている分だけ、楽しそうな彼らの様子が羨ましかった。しかしそれもすでに過去のこと。5日ぶりに元気を取り戻して、土、日、月の3連休を楽しめることを嬉しく思う。空の様子は気まぐれで晴れたり曇ったり、そしてうっかり目を外した途端に雨も降るが、これも春の証拠と思えばよい。春とはこういうものなのだ、と。

昨日、朝からサングラスが必要だったのは、前方から白く輝く強い日差しのせいだった。愛用しているのはレイバンのクラブマスター。使い勝手が良くて自分らしいこともあり、ここ数年こればかりだ。他にもあるが何故かこれにばかり手が伸びる。そういえば、私達の間でレイバンが異常に人気だった頃がある。1980年代後半から1990年代前半のことで、ちょうど私がアメリカに夢中で足しげく通い、そして暮らすようになった頃のことだ。80年代後半はサングラスよりも兎に角アメリカに行きたかったし、90年代初めはアメリカに暮らし始めて少しでも無駄遣いをしたくなかったからサングラスどころではなかった。そんな私の前に登場したのが一緒に暮らし始めた友人だった。今思えばあれは復活祭のに日曜日だった。何をする予定もない私達は外の快晴に誘われて外に出ることにした。彼女が誘ったのか、出掛けようとしていた私に彼女がついてきたのかは、今となっては思いだすことが出来ない。兎に角やっと4月というのに半袖シャツで充分なほどの気温だった。私達はアパートメントの前からひたすらサクラメント通りを歩いた。少し行くと、感じの良い界隈があることを知っていたからだった。この街には素敵な界隈はいくらでもあったけれど、観光化されていないその辺りはこの街に暮らし始めた私達にはとても魅力的だった。その分家賃が高いのも知っていた。何しろ私達はこの街のこれと言った界隈の物件を見て歩いたのだから。だから私達にとっては憧れの界隈と呼べばよかったのかもしれない。子供たちが大人に手を引かれて歩く様子。歩道に並べられた美しい花。色を付けられた卵たち。卵を探すのではなくて、店の人達が子供たちに色付けした綺麗な卵を手渡ししている様子が印象的だった。昔、私が小さい頃、復活祭に向けてゆで卵に色を付けたことを思いだしながら。ふと気がつくと、隣を歩いている彼女が格好の良いサングラスを掛けていることに気づいた。それはレイバンの、ジョン・レノンが70年代に掛けていたような丸メガネで、当時200ドルを超えるそれは私には高級品だった。訊けば店で見つけて試してみたら格好が良かったので購入したという。サングラスも格好いいが、そんなセリフをさらりと言う彼女も格好いいと心底思った。好きなものを購入する、それはいいことだと思った。それから少しすると別の友人が格好の良いサングラスを掛けていた。彼女にぴったりのサングラス。これはレイバンのウェイファーラーで、私はサングラスはレイバンしか掛けない、と言い切る彼女の言葉が今も耳から離れない。何故もそうレイバンに拘るのだろうと思っていたが、数年前、店先にそれがあって、店の人に頼んで試させて貰ったら、その理由が分かったような気がした。掛けやすいこと。シンプルなこと。飾り気のないそれが自分らしいと思った。それ以来、手元にある他のサングラスに手が伸びなくなった。もう何年もこればかり。ボローニャには多数のメガネ屋さんが存在して、無数の格好いいサングラスが存在して、時にはショーウィンドウを眺めながら新作のサングラスに心を奪われたりするのだが、多分これから先も私はレイバンのクラブマスター。よほどの出会いがない限り、心変わりはしないだろう。

だから私は変わり映えがしないと人から言われることがある。でも、それもいいではないか。シンプルで身に着けていて気分の良いもの、それが一番自分らしい。




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良い季節の始まり

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夏時間が始まった。夏時間の始まりと終わりには、僅か一時間の違いというのに眠りに落ちにくいなどの小さな問題が発生する。そして世の中ではこれを結構な問題として取り上げていて、廃止しようという動きが多少ながらあるらしい。私にしてみればこの夏時間の始まりとは、良い季節の始まりの合図みたいなもので、嬉しい以外の何ものでもない。夕方が明るいと仕事帰りの寄り道が楽しい。家に帰っても空が明るいと、テラスに出て食前酒などを楽しみたくなる。と、書き出したらきりがない。しかしこの一時間が負担で健康に障害をもたらす人が居るのも事実らしい。ストレスというのだろうか、こういうのを。だからいつの日か夏時間制度が廃止されてしまったとしても、それは仕方のないことかもしれないと思っている。そういえば、猫の起床時間が一時間遅くなった。彼女の中では今でも冬の時計が動いているのだろう。夏時間が始まったことなんて、知ったこっちゃない、といった具合だろうか。

月曜日の夕方、旧市街へ行った。バスのマンスリーパスの購入の為だった。しかし空がまだ明るいので、その足ですこし散歩した。久しぶりに旧市街の小さなパン屋さんに立ち寄ったり、食材店で糖分の少ないオーガニックのジャムを購入したりと、まあ、そんな類のことだったが、なかなか楽しい夕方になった。旧市街には沢山の人が。そういえば絵本の見本市の時期である。恐らく他の町や国外からも沢山の人がボローニャを訪れているのだろう、様々な方言や外国語が耳に飛び込んできた。国際的になったものである、ボローニャも。まさかいつかこんな風になるだなんて、アメリカの生活を引き払ってこの街にやって来たころには想像もできなかった。今では東洋人も沢山街を歩いている。だから街を歩いても上から下までじろじろ見られることもない。随分と居心地の良い町になったものだと思う。街を歩く人々の姿はまだ冬を抜けきれないでいる。私にしてもそうだ。さすがに革の手袋は不要になったけれど、目深にニットの帽子を被る必要もなくなったけれど、しかし、まだ薄手のトレンチコートは早過ぎるし、ニットのセーターだって脱げないでいる。この季節の変わり目は危険なのだ。油断してはいけない、と思う。そのうち冬のコートを脱いで軽いトレンチで歩けるようになったらば、美しい色のスカーフを購入しようと思っている。様々な色が混じり合うような薄手のシルクのスカーフ。それを私はもう数週間探しているが、未だにこれというものに出会わないでいる。4月に入ったら、良い出会いがあるだろうか。ほんの少し予算オーバーしてもいいから、一目惚れするような美しい色のスカーフに出会えたらいいと思う。そんなことを思いながら家に帰った。3月最後の週。日曜日は復活祭。わくわく。わくわく。

なのに扁桃腺を腫らしてしまった。どうやら疲れのせいらしい。注意をしていたのにまたやってしまったよ、と項垂れる私に、君はこの季節になると日頃気を張っている疲れがいっぺんに出るから、と言って窘める。彼の言う通りだ。私は3月から4月にかけてのこの時期に、扁桃腺を腫らせて寝込む。原因は疲れ。それともストレスか。どちらにしろ、こんな素敵な時期に扁桃腺を腫らせるのは、これを最後にしたいと思った。今夜は満月に限りなく近い美しい月が空高く輝いている。春なんだよ、と皆に声を掛けているようだ。今夜は月を眺めながら眠りにつこう。




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il risotto alle 12.00

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旅先で美味しいものを頂くのもひとつの楽しみで、ヴェネツィアへ行こうと決めた日からずっと案を練っていた。気軽に入ることが出来る店。地元の人が入るような店。少しくらい高くても美味しければ良し。しかし、さて、そんな店はあるだろうか。此れほど旅行者が多く詰めかける街に。ひとつ、ふたつと店の前で足を止めてみるが、どれも入ってみたい欲望に至らず、そうしているうちに魚市場に辿り着いた。此処には良く足を運ぶ。まだ正午前とあって、店も客もまばらながら存在した。朝早くに来ていれば、もっと活気のある様子を見ることが出来ただろうと思うと、少々残念ではあった。魚を買い求める人達は、これから家に帰って昼食の準備をするのだろうか。そんなことを思いながら市場を見て歩いた。

市場の前には小さなバール。そこは前に来た時に立ち寄って、カッフェのあまりの美味さにに脱帽した覚えがある。昼食後に立ち寄ろうと思いながら歩みを進めた。その先に小さな橋。そしてもう一つ小さな橋が並ぶように備えられているのに気がついて渡ってみた。この道にはいつか来たことがある。そう思ったとき、傍らに小さな店があるのに気が付いた。ガラス越しに中を覗いてみたら、食事処であることが分かった。11時半。中には既に客が数人いて、彼らはどうやらこの辺りに住んでいる人らしく、ワインの入った小さなコップを片手にカウンターの中に居る店の人と談笑していた。店内のガラスケースには惣菜が並んでいた。この町特有のキエッティというものらしい。ということは、此処はこの町特有の店であることが分かった。と、見つけたのが小さな紙きれ。il risotto alle 12.00。12時になれば出来立てのリゾットにありつけるらしい。リゾットは何人分もまとめて作る方が美味しく出来上がるので、レストランへ行くとリゾットは2名分から受け付けると注意書きがかかれていることが多い。恐らくこの店では大鍋でリゾットをまとめて作るのだろう。そして常連たちは12時をめがけて店にやって来るのかもしれない。これはいい。と思って私は店の扉を押した。リゾットは魚介の入ったものであること、12時まで出来上がらないこと、それならそれまでアペリティーヴォを楽しみながらリゾットが出来上がるのを待つことなどを店の人と手早く決めて、私は小さなテーブル席についた。軽めの冷えた白ワインとカラマーリの揚げ物。昼前からこんなことをしていることを日本に居る母や姉家族が知ったら、さぞかし驚くことだろうと思ったら、腹の底から笑いがこみ上げてきて、笑い声を抑えるのに苦労した。私の家族は面目なのだ。昼からワイン、しかも昼食の前に待ち切れずにつまみを食べながらワインを頂くなんて、考えたこともないだろう。カリカリに揚がったカラマーリが美味しくて、食欲を増長させた。美味しそうに食する私に、向こうに群がっていた地元人たちがワインの入ったコップをちょいと上げた。Saluti.健康に乾杯、ということか。彼らにつられて私もグラスを上げて挨拶した。そのうち12時になったのか、店の人がリゾットを運んできた。出来立ての熱々。米粒がピカピカで嬉しかった。そして私が長年イタリアに暮らして食べたリゾットの中で一番美味しかった。素晴らしいのは煮え方が丁度良いこと。これは当たり前なようでなかなかないことなのだ。煮え時間が足らず消化不要になるほど堅いリゾットもあれば、煮えすぎで歯ごたえがなく、がっかりなリゾットもある。その点、このリゾットは完璧。文句のつけようがなくて感激だった。テーブルの脇を通り掛った店の人が、どうだ、と訊く。完璧だ、文句のつけようがない、と答えると、あはは、と大きく笑った。向こうに居た地元の人達もリゾットにありついているらしく、全くだ、今日のも完璧だ、と大きな声で言った。ああ、美味しかった、また来るからと言って店を出た。これはまんざら嘘ではない。こんなに安くて美味しくて楽しい雰囲気の店に来ない手はないのだから。勿論、ここに辿り着ければの話だけれど。しかし魚市場まで来れれば大丈夫だろう。メニューを見ずに注文したから勘定がいくらになるか見当がつかなかった。訊けば16ユーロだった。何しろヴェネツィアなのだ。いくら要求されても驚きはしないが、まさかたったの16ユーロとはねえ。ワインをグラスに2杯。揚げたカラマーリ、リゾット。席代は要求されず。確かにこれなら地元の人達が通うだろう。私が近所で働いていたら、近所に住んでいたら、常連客になっていること間違いなしだ。その足で魚市場の前のバールでカッフェを頂くと、昼食が完了。ヴェネツィアには旅行者に高額を求めるような悪徳レストランやカフェが沢山あると聞く。事実そういう不運に遭遇して、痛い目にあった人も多くいる。幸運なことに私はまだそうした店に遭遇したことがない。何処も感じが良くて美味しくて、良心的な値段を今も保ち続けるような店もある。店に入る側が、目を見開いて店の良しあしを吟味できるようにならねばならないと思う。それは多分ヴェネツィアばかりでなく、何処の街に居ても同様なのかもしれない。

散策を終えて駅へと続く道を歩いていたら、かっこいい若いお嬢さん発見。背後の建物と抜群の相性で、素早く写真を撮った。後に写真を見て気が付いた。背後の壁の色はボローニャ色。なんだ、ヴェネツィアまで行ってボローニャ色なのか、と笑った。日常からの脱出、異なる色を求めてヴェネツィアへ行ったが、案外、好きなのはこんなボローニャの色なのかもしれない。




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古くて味わいのある

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気温は相変わらず低く誰もが冬の装いだが、日差しが強く、空が明るいから、足取りはひと際軽かった。ヴェネツィアに行こうと決めた時に一番気になったのが天気だった。雨が降るかもしれない。雪が降るかもしれない。そんなことを囁かれていた北イタリアだったから、この素晴らしい快晴は空からの贈り物としか思えなかった。

いつもは駅を出てすぐに左手に歩きだす。Cannaregioと呼ばれる、一頃ユダヤ人が多く住んでいた界隈へと向かう道だ。今回はそれを辞めて大運河に架かる橋を渡った。何を見たいとか、そうしたものは無く、兎に角さ迷い歩いてみようと思ったのだ。Santa Croce、San poloそしてDorsoduro。この辺りは知っているようであまり知らない、歩きなれない界隈だった。地図は持っていたが、歩き始めてすぐに役に立たなくなった。早くも現在地点が分からなくなったからだ。もういい。と地図を鞄の中に押し込んだ。時間はたっぷりある。6時間後に駅に戻ればいいのだから。たっぷり迷いながら歩こうと思った。
路地から路地へ。人の波と異なる方向を選んで歩いたのは、単に混雑が嫌いだからだ。そしてひと気のない路地こそが、私の好きなヴェネツィアだからだった。と、古い建物を見つけた。教会だった。建物はかなり古い。傷んでいると言っても過言ではない。私は招かれるようにして中に吸い込まれた。こじんまりした教会。こんな小さな教会はヴェネツィアにどれほどあるのか。そんなことを思いながらぼんやりと内装を眺めていたら、年の頃は60歳をとうに過ぎた感じの女性が、訪問者に説明していた。これはね、あれはね。ガイドさんなのかもしれない。そんなことを思っていたら、そうでもなさそうだ。それで声を掛けてみたのだ。シニョーラ、あなたはこの協会の関係者ですか。すると一見して東洋人の訪問者がイタリア語で話しかけてきたことに驚き、そして、そうだ、この教会に関わっていて、ボランティアで教会の説明をしているのだと言った。ならばと私は訊ねてみた。入り口わきにある階段のこと。まるで壁の中に埋め込まれるようにして存在する階段のこと。彼女は、あなた、気が付いたのね、と目をきらきらさせると押し寄せる波のように、しかし声を最小に落として話し始めた。この教会は13世紀前後のものと言い伝えられている。大変古くて、小さくて、地元の人達が好んでここで結婚式を挙げたがる。理由は小規模だから。本当に親しい人達だけを招いて式を挙げることが出来るからだ。この教会こそが地元に愛されているのだ、と誇らしげに言った。それで壁に埋め込まれるようにして存在する階段だが、教会を建てたはいいが上階に登るための階段を作らなかった。オルガンを上階に置くはいいが、どうやって演奏者が上階に登ることが出来ようか。当初は上からロープを垂らしたたらしい。演奏者はそのロープをよじ登ったと言われている。そのうち2メートルほどある入り口脇の厚い壁をくり抜いて、螺旋階段を作ることになった。階段は一段が大変高くてつま先で登るほどしか奥行きがないものだそうだ。現在電気配線が故障して、上に登ることが禁じられている。兎に角暗くて危ないのだと彼女は言った。教会は来年から遂に修復作業に入るそうで、あなたは運が良かったわ、来年からは暫く教会に入ることが出来ないのだから、と彼女は言った。ほら、この床も。大理石がひどく傷んでいる。修復が必要なのよ。それにね、この大理石の下はお墓なんだけど、と言うので私はひゃーっと飛び上がった。彼女は苦笑しながらあの壁もお墓。教会とはそう言うものなのよ、あなた知らなかったの?と言わんばかりに私をまじまじと見た。奥の方に素晴らしい絵が掲げられていた。あれは?と訊ねると彼女は再び目を光らせて、あれはティントレットの絵だと言った。彼女は美術を専門にしているのではないだろうかと思うほど詳しくて、ティントレットの絵から彼の息子と娘の話におよび、その話は大変興味深くて私は久しぶりに夢中になった。そしてこの先にあるもう少し大きな教会にも行くべきだと言った。彼女の楽しい話に感謝を述べて外に出た。小一時間、私は彼女と話をしていたらしい。教会の前の道を行くと小さな古い広場に出た。あっ。と声を上げたのは、其処が前回偶然辿り着いて、広場に面してある店の主人が愛着のあるその広場の歴史を話してくれた、その場所だったからだ。この辺りの人達はこの界隈に大変愛着を持っているのだろう。訊ねるとするすると色んな興味深い話をしてくれる。店の主人もそうかったが、先ほどの教会の彼女もそうだった。自分が生まれ育った場所に愛着と誇りを持つ人々。私はそんな人達が大好きだ。思いがけず辿り着いた場所。多分次回も迷いながら、此処にたどり着くのだろう。
広場を通り抜け、水路に架かる橋を渡り、暗い通りを通り抜けると先ほどの彼女が言っていたとおり新聞や雑誌の小さな売店があり、もう一つ橋を超えると広場に面して教会があった。それが彼女の言っていた教会だった。大きな教会で何もかもが綺麗だった。綺麗すぎたかもしれない。私は前者の教会が好きだ。古くて味わいのある。来年には修復作業が始まると言うが、願わくばあの教会の良さを壊さぬように修復してもらいたいものだと思いながら美しすぎる教会を後にした。もし相棒がこの場に居たらば、同じことを言っただろう。相棒と私は価値観も何もかも異なり、誰もがなぜ結婚した、未だに一緒に居るのが不思議だと言って驚くのだが、こうしたことになると意見が一致する。ほらね、満更全然異なる訳でもないのだ。

歩くことはいいことだ。いつもと違うものを見ることが出来て、そして思考も潤滑になる。それから空腹。程よくお腹が空いて、自分が健康であることを確認できる。歩け、歩け。元気なうちはどんどん歩こう。歩けるうちはヴェネツィアに幾度も通おうと思いながら、美味しい店はないかと見まわしながら歩みを進めた。




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好きな場所がある

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不満を溜めぬために、したいことをしようと思って日帰り旅行に出掛けた。行き先はヴェネツィア。列車に乗ればあっという間。今では特急列車に乗れば僅か1時間半だから、随分と身近な存在になった。それでいてボローニャとは違う色がある。幾度足を運んでも、飽きることはない。それがヴェネツィア。ヴェネツィアへ行こうと思いついたのは、先々週の晩にテレビで放映していた古いイタリア映画のせいだ。美しい音楽と美しい映像に刺激されて、それでなくとも一年中訪れる人の多いこの街が、人で溢れすぎる前に行きたい、行こうと思ったのだ。忙しい毎日から、縫うようにして見つけた一日。この日を逃したら、暫くチャンスは手に入らないような気がして、えいっと掴み取った。

初めてこの街を訪れたのも今頃の時期で、25年も前のことだ。映画でしか見たことの無かったこの街を歩いていることが、不思議でならなかった。眩い光で、温かくて、気の早い人達は既に半袖姿だったのを覚えている。水路の薄緑色の水面が揺れるときらきら光った。薄緑色の水面だなんて、と思いながら水路に遭遇するたびに足を止めて見入った。それは25年経つ今も同じ。私は今も薄緑色の水面に魅了されている。ヴェネツィアへ行ってくるから、と言って家を出る私を相棒は快く送り出してくれた。君はヴェネツィアが好きだね、と言って。好きな場所がある。快く送り出してくれる人が居る。忙しい毎日のなかからこんな一日を生み出すことが出来たことにしても、私は大変幸運だと思った。そんなことを思いながら、水路の街の散策を始めた。




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