橙色の壁

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予報が当たり、今日は雨の日曜日。腰の痛みは昨夜から増す一方で、気分はブルー。再び動きがぎくしゃくして、痛みと共に不安が増すばかりである。この痛みが晴天とともに消えるならいいと思う。しかし困ったことになった。雨が降ると腰が痛むというのは。

ボローニャの旧市街に、Via San Vitale と言う通りがある。二本の塔から放射線状に走る通りのひとつで、塔から西の方にの延びている。其の通りは旧市街を取り囲む環状道路で終わり、そのさきからはVia Massarenti。但しこの名前は案外新しくて、1951年につけられた名前だそうだ。だから古い人達は今も昔の名前で呼んでいて、そういう名前を親から聞きながら育った子供まで、未だに古い名前で呼んでいる。頑なに昔の名で呼んでいるというよりは、そう呼ぶのに慣れているだけなのだろう。習慣と言うのはなかなか変えられないものだから。私Via San Vitale をほぼ毎日通る。バスでただ通過するだけの時もあれば、途中下車して歩くこともある。なかなか味わいのある通りで、あまり整備が行き届いていないポルティコの下を歩くのが好きなのだ。通りの丁度中程にChiesa dei Santi Vitale e Agricola in Arena と長い名前のついた教会があって、その前を歩くのが特に好きだ。教会の中には一度だけ足を踏み入れたこともある。中は大変古く、成程1640年代に建てられた教会ならではだと感心したものだ。華やかさや重々しさはなく、素朴でほっとするような雰囲気がある。あれは何時だったか、家族が病気でてんやわんやだった時、気持ちのやり場がなくなって、丁度通り掛かったこの教会の中に駆け込んだことがある。誰も居ない教会。一番後ろの椅子に座って目を閉じて心が落ち着くまでじっとしていたら、背後から誰かに声を掛けられた。気が済むかでそうしていなさい。そう言われて瞑っていた目から涙がぼろぼろ零れたものだ。暫くして立ち上がった時には誰も居ず、コインを置いて、蝋燭に灯をともして教会を後にした。あれは誰だったのか。もう10年以上前のことだ。あれ以来、中に入ることは無く、もっぱら前を歩くだけ。教会の橙色の壁も好きだが、特に壁に掲げられているポスターがいい。そう頻繁には変わらないが、新しいのに代わると足を止めて眺めずにはいられない。現在壁に貼られているのは、昨日、今日、明日、明日、明日…と終いの方の明日が崩壊している。此れはどういうことなのだろう。此れを作成した人にそんなメッセージなのかを訊ねてみたくなる。このポスターに足を止めて眺める人は多いけど、彼らはどんなふうに感じているのだろうか。中に入ったら案外教会の人が居て、教えてくれるのかもしれないと思いながら、もう少し自分で想像してみようと思っている。

それにしても長々と降る雨。夕方には止むと思っていたのに。雨で腰が痛むのもさることながら、最近は日没が17時以降と遅くなって、まだ薄明るい夕空を眺めるのが楽しみな私は、今日の雨が残念でならない。明日はどうだろう。空よ、明日は晴れにして頂戴。




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土曜日は愉しい

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一昨日の晩、テレビを見ていたら巨大な樹が画面に映し出されて興奮した。私は樹が大好き。だから散歩をしていても、単に仕事から帰る道がらでも、美しい樹を見つけると足を止めては感激するのだが、画面に映し出されたその樹は巨大で、樹齢およそ千年と言うから驚きだった。カラーブリア州クリンガにある大きな樹の名はIl Gigante di Curinga(クリンガの巨人)。高さ30メートルもあるそうで、聞けば聞くほど心が躍った。カラーブリア州には一度だけ行ったことがある。それも、シチリア島へ行く時に通過した程度。幾度も途中停車して景色を眺めたりバールやレストランに立ち寄りはしたけれど、何しろシチリア島に心が向かっていたものだから、素通りと言っても過言ではない。20年前の私がこの樹の存在を知っていたらば、たとえシチリアに心が向かっていたとしても、立ち寄ったに違いないのに。大きな樹。私達皆をすっかり包みこんでしまうような大きくて寛大な樹。画面を見ながらそう思っていたら、いつか行こうと相棒が言った。相棒は知っているから。私が樹が大好きなこと、そして樹の写真ばかり撮っていることも。

今日は土曜日。忙しい一週間だったから、家でのんびりしたいと思いながらも家を出た理由は歯医者だ。昨秋から始まった歯医者通いは昨年のうちに完了すると思っていたが終わらず、今日まで引っ張ってしまった。しかし其れも今日が終わりの日。口の中のレントゲンを撮っての最終チェックである。此れでまたひとつでも虫歯が見つかれば、2月も歯医者通いになるが、有難いことに虫歯は無く、シニョーラ、今日で終わりですよ、来秋の歯のクリーニングまで来なくていいですよ、と医者に言われて嬉しさに飛び上がった。今までならば握手をしながら礼と別れの挨拶を交わすところだが、其れが出来ない。だから日本風にぺこりとお辞儀をして感謝と別れの挨拶をしたら此れが医者と助手の女性に大受けで、日本風、そう、これからは日本風でなくちゃと、ふたりとも大変嬉しそうだった。私としてはイタリア風に、親しい間柄なら頬と頬を付け合わせて、さもなければ肩を抱き合ったり握手をしての挨拶が好きなのだが、其れらの習慣は今後戻ってくるのか、こないのか。すべてはコロナに終決して貰ってからの話だ。
長く通った歯医者を後にすると足取りは軽く、腰の痛みも引いたことだし、とバスに乗らずに旧市街の中心まで歩いた。雨の降らない土曜日。それに気温も少し高く、散歩をするのに最適だった。思いのほか人が多いのは、そんなことが理由だろう。それともエミリア・ロマーニャ州の正式なサルディが今日から始まったことも関係するだろうか。正式は今日でも、割引は4週間も前から始まっていたから、今日はまったく言葉だけのサルディ開始日だ。吉報はエミリア・ロマーニャ州が月曜日からイエローゾーンになることだ。まだレストランもバールも夕方6時に閉店と言うルールには変わりないが、営業時間内は店の中でカフェや食事を楽しむことが出来るし、隣町への移動も出来る。それだけの違いだが、開放感は大きい。そして、その開放感を私達が間違えないことが大切。いつか私達がイエローだの、オレンジだのと色別することなく暮らせるようになるまで、油断や羽目を外したり、自分ひとりくらいと言った身勝手は禁物なのだ。
と、しばらく足が遠のいているカフェ・ザナリーニのショーウィンドウにカルニヴァーレ風トルタを見つけた。こんな色のトルタなど食指が動かないが、しかしイタリア人というのは愉しいものを生み出すのが実にうまい。愉しいのはいい。子供たちばかりでなく、大人だって愉しいことは大好きなのだから。明日まで店の中での飲食は出来ないから持ち帰りだけ。それでもこの店に足を運ぶ客は絶えない。カフェ・ザナリーニ。1930年代にこの場所に生まれた老舗で、多くの人に長く愛された。もう何年も前に人手に渡り、名前こそ昔のままだが、店構えも中で働く人達も随分と入れ替わった。昔のあの懐かしい感じが好きだった私のような人には、少々残念ではあるけれど、それでも未だに時々カップチーノを頂きに行くのは、残った昔ながらのバリスタが丁寧にカップチーノを淹れてくれるからだろう。月曜日になったらカフェやバールの中に人が戻る。私は来週の土曜日までお預け。楽しみは少し先にあるのがいい。此れで来週はこの楽しみを胸のポケットに突っ込んで、忙しくも楽しい一週間になるだろう。

雨が降るのか降らないのか。夕方になって腰が痛みはじめた。最近は年明けに痛めた腰の辺りが雨降りに前に疼くようになった。腰天気予報と相棒と私は呼んでいるのだが、此れ、結構当たる確率が高いと評判だ。




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満月の日は嬉しい

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今夜は満月。夕方、日が暮れる一寸前に東の空に満月を見つけた。神秘的な薄桃色の満月は、私にロゼのシャンパンを思いださせ、益々心が躍った。30分もすると月は薄い橙色に変化して、直に真珠色になった。月がこのように変化するのを初めて知った私は嬉しくて嬉しくて、会う人会う人に知らせた。世の中には私のように月が大好きで、満月の日をカレンダーで自ら確認する人もいれば、そう言ったことに興味がなくて、人から言われて初めて今夜が満月であることを知る人も居る。私の周囲に居るのはおおむね後者の種類の人で、だから今夜の満月は素晴らしい、ほらっ、と空を指さすと、初めて月の存在に気がついて驚くのだ。こんなに月が光を放ち、夜道を照らしているのに、気が付かなかったのか。今度はこちらが驚く番だった。

兎に角満月の晩は気分がいい。ふんふんと鼻歌を歌って夕食の準備をしていたら、相棒が帰ってきて言った。随分機嫌がいいんだな。だから、そうよ、今夜は満月だから、と答えたら、ならば毎日満月ならいいのにと相棒が言うので大笑いした。そうそう、毎日が満月だったら私はもっと幸せかもしれない。そんな話をしていたら思いだしたことがある。
もう随分前のことである。アメリカに居た頃、スイス人の可愛い女性と知り合った。シンシアという名の、青い瞳とウェーブの掛ったブロンドヘア。美しい外見の彼女は性格がよく、私は彼女が大好きだった。何時も人の話を目をくりくりさせながら聞いた。好奇心が旺盛で、何事にも積極的だった。誰もが彼女のことが大好きで、誰もが彼女と居たがった。気さくな性格もよかった。唯一困ったのは、毎日私をジョギングに誘うことだった。ジョギングは嫌いじゃない。寧ろ昔は走るのが大好きで、早起きして一走りしてから一日を始めたものだ。しかし私は独りで走るのが好きだった。自分のペースで、自分の好きな道を気まぐれで選んで走るのが好きだったから、ううん、走るのが嫌いなのよ、と言って断り続けた。残念ねえ、と彼女は言って、しかしまた明日も明後日も私を誘った。そんな彼女が、頭が酷く痛むと言って椅子に座りこんだ。何時も元気な彼女らしくない様子で、心配だった。しかし彼女は手をひらひらさせて、大丈夫、満月のせいなのよ、というのだ。満月の日は頭痛に苦しむのが彼女の癖とのことだった。其れも夕方までで、夜空に満月が輝く頃にはすっかり治ってしまうのだそうだ。そんな話を聞いていた、丁度居合わせた知人が、私はね、満月の晩は怒りっぽくなって、意味もなく恋人と喧嘩をするのよ、と言った。シンシアと私は驚いて顔を見合わせた。満月の日は幸せ。嬉しくて嬉しくて仕方がない、と言う私に彼女たちは大そう羨ましがって、次に生まれて来る時は私のようでありたいと言った。次に生まれて来る時。その時も私達はまた出会うのだろうか、などと言ってあれこれ話をしたのは、もう27年も前のことだ。あれからシンシアは故郷から追ってきた驚くほど美しい恋人と車を南に走らせて、存分旅を楽しんでからスイスに戻った。暫く手紙のやり取りをしていたけれど、どちらからともなく書くのを辞めたのは、互いの生活が忙しくなったからだろう。今のようにメールを書く時代だったらば、もっと長く友人関係を保てたかもしれない。可愛いシンシア。彼女はきっと幸せにしているだろう。彼女は幸運を引き寄せる強力な磁石みたいなものを持っていたから。

ロゼのシャンパンは無かったけれど、白ワインで乾杯した。体調を崩してから一週間もワインから遠ざかっていたから、久しぶりのワインが心に沁みた。満月に乾杯。そして久しぶりのワインにも乾杯。私はやはりワインが好き。食事時にほんの少し。これが私とワインの付き合い方。




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月を追って

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火曜日。今日は朝から素晴らしい晴天で、進行方向から射す朝日が目を突きさすようだった。イタリアという国はいつもそうだ。曇り空や雨の日は限りなく憂鬱で、しかし一旦晴れると日射しが目に痛い。だから私は冬でもサングラスが手放せない。さもなければ目をしっかり開いて前を歩くことも出来ないから。そういうのは案外好きだ。冬のサングラス。目を保護しながら、しかしそれは冬でも光が降り注いている証拠。何時も鞄に入れてあるサングラスは、太陽のない日は単なる邪魔ものだけど、いつ顔を出すか分からぬ、そして何時だって出てきてほしい太陽のために、鞄の内ポケットに潜ませるのだ。

太陽の出た日の夕方は明るい群青色の空が美しい。その空に真珠色の月。木曜日が満月らしい。その月を追うようにして、夕方旧市街へ行った。ほんの少しふらふらと、広場を歩きたくなって。旧市街は案外人が居たが、多くの人達はそれなりの距離を保ちながらポルティコの下を歩いたり、広場に集っていた。但し若者が良くない。具体的に言うと10代の人達。数人で腕を組んで歩いたり、抱き合ったり。マスクをしているとは言え、この様子を好ましく思っていない人は多いようで、皆が苦い表情を向ける。この年代の人達は長く続いている窮屈な生活に我慢が出来ないのだ。仲の良い友達と一緒に居たくて仕方がないのだ。それは私にも分かる。私だって10代の頃はそんな風だったから。でも、ちょっと待って。今を乗り越えなければいけないよ。乗り越えたら、また以前のような楽しい生活が出来るから。
本当言うと此れから私達の生活がどうなるかなど分からない。前の生活に戻れるとも思っていない。でも、楽しみは何時も見つけることが出来るだろうし、喜びを見出すことも出来るだろう。私達はそんなに弱くはない筈。思っている以上に私達は逞しい筈だから。

現実逃避のひとつとして、旅の計画を立てている。何の予約もしない、紙面上だけの計画だけど、計画するのは何と楽しいことか。相棒が訊く。いつ行くんだい? 夏よ。いけるかな。きっと行けるわよ。
ふふふ。その調子、その調子。果たして夏にこの状況が変わるかなんてわからないけれど。空想の旅で終わるかもしれないけれど。




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風にそよぐ大きな樹

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日曜日も雨。昨晩、思いがけず見ることが出来た美しい月が、夢だったのではないかと思うような、陰気な雨が降っている。とはいえ、冬とはそんなものなのかもしれない。今日は外を歩くでもない。足元が濡れるでもない。家の中から窓の外を眺めるだけなのだから、雨に文句を言うのは止めておこう。

先週、棚の中を探していたら、包みが出てきた。セロファンに包まれた、ずしりと重みのある、しかし堅いものでもなく。何だろうと開いてみたら、中から象牙色のレース地が出てきた。それは今の家に住み始めた頃、カーテンを縫おうと思って購入したもののひとつで、他のを苦労して縫い上げたら、もう縫うのが嫌になってそのままにしてしまったものだった。テラスへと続く大窓に掛ける為のレース地で、広げてみたら美しかった。
昔から、私はレースのカーテンが大好きだった。例えば子供の頃のこと。私は昼寝が大嫌いで、夏休みの午後は苦痛でならなかった。昼食の後の昼寝。母に言われて横になるが、到底眠りになど落ちない。横に居た姉はすやすやと寝息を立てるが、私は眠ったふりをして空想ばかりしていた。時には開け放った窓から緩い風が流れ込んだ。するとレースのカーテンがふわりと風に膨らんでは萎んだ。それがまるで打ち寄せる波のようだったり、海を行くヨットの帆のようだったり。耳を澄ますと風に揺れる樹々の音。そしてそれを打ち消すような蝉の声。あの頃の私は空想ばかりしていた。そうしてはそれを絵に描いてみたり、文字にしてみたり。他所の大人からすれば奇妙な子供だったに違いないけれど、其れを父も母もとやかく言ったことは無く、私の個性、私の色合いみたいに受け入れてくれていた。夢見る夢子さん。そんな子供がそのまま大人になった。だから今も空想が好きで、時には風にそよぐ大きな樹になったような気分になる。奇妙と言えば奇妙。しかしそんな人がひとりくらい居たっていいと思う。
それで忘れられていたレース地だけど、さてどうしたものか。店に持ち込んで縫って貰おうか。それとも、重い腰を上げて自分で縫ってみようか。暫く考えてみようと思う。

気付けば1月も残り一週間。何もしなくても時間は過ぎていくものなのだなあ、と驚いている場合ではない。月曜日は嫌い、などと言っている場合でもない。さあ、新しい一週間、張りきっていこう。




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