喜び
- 2019/12/31 15:25
- Category: bologna生活・習慣
今日は朝から近所の花屋さんへ行き、ヤドリギを購入した。バングラ人夫婦が経営している小さな店だ。ヤドリギはイタリア語でVischio。この名前、長年すぐに忘れて困った。覚えていると思って花屋へ行くと度忘れして、えーと、えーと、と言っているうちに花屋さんがこれでしょう? と出してくれると言った具合だった。其れも近年は、Vischioを頂戴、と慣れたものだ。旧市街などの花屋へ行けば訊かずとも見えるところに置いてあるが、うちの近所の花屋くらいでは、客の方から訊かなければ欲しいものが出てこない。店先に見えるところに置かれているのは大抵、色違いのシクラメンの鉢や、アマリリスやヒヤシンスの球根が少し目を出した小さな鉢だ。秋にはその場所に菊の鉢植えが並んでいた。そうだ、この店は鉢ものを置く店。切り花などは置いていないから、ヤドリギも本当は彼らの得意分野ではないのだろう。だけど季節柄、少しヤドリギを置いている。そんなところなのかもしれない。ヤドリギを入り口に飾って新年を迎えるのが習わし。其の下で口づけをすると幸せになれると欧羅巴では言い伝えられている。私たちはこうした古い言い伝えや習わしが好きで、一年の最後の日になるとこうしてヤドリギを求めて花屋に足を運ぶのだ。
日本に居た頃、ヤドリギなどと言う存在は知らなかった。名前すら聞いたことがなかったけれど、イタリアでは容易にヤドリギを見つけることが出来る。ちょっと雑木林に足を踏み込めばいいだけ。何の関連も無い樹の上の方に、まるで乗っ取ったようにしてヤドリギが存在する。けれども、それを手に入れるのは簡単なことではない。何しろ樹の高い高い場所に在るのだから。
ところで今年の花屋さんはやる気一杯で、外に大きな大きなヤドリギを吊るしていた。素晴らしい形のヤドリギに、多くの人が足を止め、店に吸い込まれて行った。店の奥さんに訊いてみたら、あれは単なる客寄せの飾り物などではなくて、れっきとした売り物なのだそうだ。既に売却済みで、午前中のうちにとりに来ると話しがついているらしい。参考までにい訊いてみた。あれは一体幾らで売ったの? 私は100ユーロと踏んでいたが、実際は50ユーロの値を付けていたそうだ。話の具合だと、それよりも安く売却したようだ。店の奥さんに言わせると、幾ら縁起物とはいえ、たった一日の為に客にそんな大金を払わせるつもりはない、とのこと。随分良心的な奥さん。旧市街へ行けば、ヤドリギは心無い値段がつけられて、それでも飛ぶように売れていくと言うのに。縁起物だからこそ、ちょっと高くても誰もが買っていく。私がそう説明すると奥さんはあははと笑って、良いことをするとちゃんといつか自分に返ってくるものだ、お客さんにはよくしておくのがいい、お客さんあっての商売だからね、と言った。何だか久しぶりにいい話を聞いた。私は自分の家のサイズに合わせて小振りのヤドリギを購入して店を出た。この花屋さんに幸あれ。来年も繁盛間違いなし。
ヤドリギは購入した。後は相棒がシャンパンを忘れないでくれればよいだけ。それにしても駆け足の一年だった。ツマラナイこともあった筈だが、面白いことに良いことしか思いだせない。それでいい、それでいいと私は思っている。
大晦日に辿り着けました。穏やかな気持ちで今日を迎えることが出来た喜び。私を取り囲むすべての人に感謝です。今年も一年間お付き合い有難うございました。これから迎える新しい年が、私達皆にとって希望に満ちたものでありますように。