暖かいセーター

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寒い。今朝の気温は零度。起き抜けに寒いと感じたのは単なる気のせいではないと分かって、改めて身震いした。夜が明けるのが遅くなったのが冬に足を片方突っ込んでいる証拠だとなどと言っていたが、いいや、もう片足どころか完全に冬を迎えたのだ、私達は。朝職場に向かう時に車窓から見た草原が、霜が降りて白かった。霜。その言葉がとても詩的で、美しいと思った。私や姉が子供だった頃は、冬になると霜柱が辺り中に存在して、登校中に霜柱を踏みつぶしながら歩くものだから、何時も靴が汚れたものだった。昔から靴が汚れるのが嫌いで、汚れた靴が嫌いだった私だが、高さ3センチほどの霜柱を見つけたら、素通りなど出来なかった。もっともそれも母や父と出掛ける時は別だった。気に入りのピカピカに磨いた革靴が汚れるのがどうしても嫌だったから。最近は霜柱など存在しないのだろうか。少なくともこの辺りで見ることは、無い。

家に帰ったら相棒が先に帰宅していた。いつもと様子が違うので何だろうとまじまじ見てみたら、珍しくセーターを着ていた。彼はセーターを着ない人で、セーター好きの私には理解できないタイプの人間なのだ。その彼が暖かそうなセーターを身につけて、しかも私好み、ノルウェー辺りでよく見るタイプのものだった。あら、似合う。どうしたのかと訊けば、知人がプレゼントしてくれたそうだ。人から贈り物を頂いたはいいがサイズが合わないので、相棒にどうかと思って持ってきたらしい。何時もならセーターなんて嫌だという彼だが、柄や風合いが気に入ったのか、それとも知人の気持ちが嬉しかったのか、その場で着てみたらとても暖かくて着心地が良く、周囲の人に褒めて貰ったのも手伝って、そのまま着て帰って来たのだそうだ。確かに相棒に良く似合っていて、そして私は多少ながら嫉妬した。私だって、ノルウェーのセーターが好きなのよ、と。
オスロに行ったのは2019年、二年前の夏のことだ。まだ私達がコロナなんて言葉すら知らなかった夏のことで、既にすべてを手配していたリスボン滞在に、追加するようにしてオスロに行くことを決めた。暑かったリスボンの後の涼しいオスロ。8月というのにオスロは秋のような涼しさで、短い丈のジーンズを素足で履いていた私の足首はちぎれるほど痛かった。街の人達がトレンチコートを着ていたのが証拠で、こんなに北まで来たことがなかった私の装いは完全に失敗だった。汗をかかない8月。昔住んだサンフランシスコの8月も涼しくて晩にはジャケットや薄手のコートが必要だったが、オスロの涼しさはそれをはるかに上回り、涼しいというよりは寒いと言いたいほどだった。初めての北欧。見るものすべてが目新しくて、友人達が手分けして私を連れて歩いてくれた。そんな中で私を歓喜させたのがボタンや毛糸の店だった。そう言う店にはもちろん編み上げたセーターも置いていて、其れが俗に言うノルウェーセーターだった。昔々、セーターを編んだことがある私だ。ノルウェーセーターをどのように編むのか思い巡らせると眩暈がする思いだった。編み物に大きな情熱を持っていない私だから、こういう手の込んだものは購入するに限る。それで幾つか手に取ってみてみたけど、大変高価で諦めた。勿論、オスロという、世界で1、2を争う物価の高い街だからというのもあるだろう。何時か一枚手に入れたいと思いながら、店を後にしたものだった。また来ればいいさと思いながら。そう、元気でいればまた来れる。飛行機に乗ればあっという間なのだから。まさかその後コロナなんてものに見舞われるなんて考えていなかったから、また来ればいいさの言葉は、宙に浮いて、其のまま蒸気になって空に飛んでいってしまった。
相棒のセーターを眺めながらオスロのことを思いだす。人生で一番寒い8月だったと。良い旅だったと。

寒いのは嫌いじゃない。寒くても空が晴れて太陽が出る冬は嫌いじゃない。こんな天気が今週ずっと続けばいい。空が青い限り、太陽の光がある限り、気持ちを明るく持って生活できるはずだから。




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旧市街へ

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今日の空は気まぐれ。晴れ時々曇り、そして雨。こんな天気が日曜日にあたる不運。けれど、こんな天気の日に家に居られるのは幸運。

金曜日の夕方、旧市街に立ち寄ったのは勿論、予約したトリュフのブリーチーズを引き取るためだった。店の前の小路に並べられた小さなテーブル席。店の真ん前ではなくて、店の前とは言え道の向こう側並んでいるのには意表をつかれて笑った。きっと店主の妻のアイデアだ。彼女は本当にユニークな考えの持ち主で、其れは大抵客の心を掴むのに充分なのだ。店に入ろうとしたら彼女が丁度出てきたので挨拶を交わしているうちに、今度は彼女の娘が出てきた。この夏の終わりと秋は大学の学びの一環で研修生としてトスカーナのワイナリーに行っていた。葡萄の収穫やワインを作る作業の手伝いをしていた彼女、数か月会っていなかっただけなのに人間がひとまわり大きくなって見えたのは、両親から離れて生活して得た賜物だろう。ボローニャ旧市街のお屋敷で何不自由なく育ったお嬢さんの彼女が、苦労知らずの彼女が、親元を離れて働き、他人と共同生活をすることで学んだことは計り知れないに違いない。久しぶりの彼女は陽気で、ワイナリーの作業は面白く興味深かったこと。作業のせいで手はぼろぼろだけど、満足感を得たと言ってマメだらけの両手を並べて見せてくれた。こんな過保護に育った彼女がひとりでワイナリーに研修へ行ったと知った時、ふーん、何時まで続くかしらと思ったものだけど、人間は経験によって変わるのだ。事実彼女は随分と大人っぽくなった。店の中にはカメラマンとその助手が居て、何やら店内の写真を取ることに忙しかった。私は写真に写らぬように合間を縫ってフランスの赤ワインをグラスに注いで貰い、店内に並んでいる本や絵画を見て歩いた。その間に見覚えのある夫婦が店に入ってきた。覚えている、忙しく飛び回っているジャーナリストの夫と妊娠数か月の妻。彼らはワインとチーズが大好きなのだ。案の定彼らはトリュフのブリーを予約していて、店主の妻が奥から取り出してきたものに彼らも私も歓喜した。彼らが予約したのは大きなカットで800グラムだった。こういう客が居るから、あっという間に売り切れてしまうのだと思った通り、今日入荷した5キロのチーズは入荷前に予約で一杯になってしまったそうだ。イタリア人はその昔、フランスやフランスのもの、フランス人をあまり好ましく語らなかったふしがある。それは近隣国で長い歴史とか芸術を愛すとか、食事にやワインに注ぐ情熱など、何処となく似通っているからで、競争心があったのだろう。ところがところが本当は、みんなフランスが大好きだった。イタリアにはないフランスの持つ華やかさが羨ましかったのかもしれない。近年は大きな声でフランスを褒め称える人が沢山居る。昔のように競争心を持ったり皮肉ったりする人は、残り少なくなった古い人達だけになった。だからこの店が以前別の界隈に小さなフランスの店を出した時、私の心配をよそに常連客を沢山得て、店は大変繁盛した。その頃店に通っていた人は、今の店にも足繁く通い、昔の店の縁でトリュフのブリーの入荷を教えて貰えるのである。それで私がやっと手に入れたトリュフのブリーチーズは300グラム。それだって手に入ったのだから運が良かった。あの晩電話を掛けなかったら、此れさえも手に入らなかったのだから。
昨夜相棒と夕食を楽しんだ。私達にしては豪華版、世間の人からすれば多分ごくシンプルな夕食。だけどずっと、駄目駄目、まだ駄目と栓を抜かせてもらえなかったフランスの赤ワインが遂に食卓に上り、トリュフのブリーチーズがあり、私達には充分豪華だった。近年量を沢山食べることがなくなった私達は、美味しいものを少しづつ。もう少し食べたいと思うところで止めておくのが健康の秘訣と分かったから。ちなみに良質の赤ワインは健康に良いと私と相棒は思っている。それだって適量で止めておくのが私達流。

また降りだした雨。今日の天気は本当に不安定。12月は快晴続きだといいけれど。帽子やスカーフ、手袋を身につけて、仕事帰りや週末に、美しく飾られたクリスマスの雰囲気一杯の旧市街を沢山散策したいから。一年で一番華やかな月がもうすぐやって来る。




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青空と自由な時間

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目を覚ますと青い空。昨夜は疲労で知らないうちに眠りについた。勿論ちゃんと着替えて、歯も磨いてのことであるが、何時頃ベッドに入ったのかは覚えていない。ああ、そうだ、思いだした。昨晩は夕食の後テレビをつけたら映画Vacanze Romane、つまりローマの休日が丁度始まったところで、最近には珍しい白黒映画であったこと、そして昔まだ私が学生だった頃、授業をさぼって飯田橋の佳作座という映画館へ行ってこの映画を見たことを思いだして、椅子に深く腰掛けて映画を見始めたのだ。初めは全部観るつもりはなかった。なのに途中から映画に引き込まれて、最後の最後まで観て、気付いたら23時を過ぎていた。その後から記憶がない。多分あの後すぐに眠りについたに違いない。

今日は昼過ぎに約束があった。本当はとても疲れていて家に籠っていたかったけど、もう随分前からの約束だったから、自分の背をぐいと押して昼前に家を出た。それに空が青い。こんな素敵な土曜日に家に籠っているなんて勿体ないでしょう? 散策でもして気分転換するのもいい、と自分を励ましながらのことだった。旧市街は快晴とブラックフライデーが重なって大変な賑わいだった。皆、この機会にクリスマスの贈り物を購入するのだろうか、誰もが大きな紙袋を手に持って歩いていた。私は約束まで時間があったので紅茶を求めて店に入った。本当はもう少し向こうの紅茶の店に行きたかったが、約束の時間に間に合わなくなるだろうと思って、街中のビオの店で買い物を済ませた。と、電話が鳴った。電話の主は約束の相手で、身体の調子が悪いという。直前のことで申し訳ないと詫びる相手を責める気などさらさらなく、また元気になったらと言って電話を切った。あーあ。家に居ればよかったなあとか、紅茶の店まで足を延ばせばよかったなあ、などと思ったが、そんなことを考えても仕方がない。寧ろ快晴の土曜日に外に出てこれたことを感謝しよう。気に入りの紅茶はビオの紅茶が終わったら手に入れればいい。約束はなくなり、残ったのは青い空と自由な時間。私は気を取り直して歩き始めた。花屋の前の美しいこと。飼い主に連れられて歩く犬達の愉しそうなこと。時々店の前に立ち止まってショウウィンドウを眺め、通り掛かったカフェ・ザナリーニが丁度昼時だからなのか、店内が酷く空いていたのでカップチーノを求めて店に入った。この店に入ったのはコロナが始まって以来のことだ。だから1年半以上もご無沙汰していることになる。此処数か月は何時も混みあっていたのも足が向かなかった理由のひとつだ。礼儀正しい店の人にカップチーノを注文すべく代金を払って驚いた。いつの間にか1,70ヨーロになっていた。まあ、そんな値段にしなければ店が回らなくなったのだろう。コロナで多くの店が閉じてしまったことを考えれば、其れも仕方がないことに思えた。さて、カウンターに出されたカップチーノは飛び切り美味しかった。店で働く誰もが礼儀正しく、店は清潔で美しく、こうした空間の中で美味しいカップチーノを頂けることを考えれば、多少の値上げは差し引きゼロ、ということにすればいい。
店を出たところで髪の短い女性に目が止まった。細身で首の長い彼女は、小さなスカーフをキュッと首に巻いていた。そう言えば昨晩観た映画の中で、ヘップバーンもそうだった。彼女は通り掛かりの店で長い髪をバッサリ切ると、細い長い首が露わになった。その首にはストライプ柄の小さな絹のスカーフがキュッと巻かれていて、その様子が実にシンプルながらも洒落ていて、映画を観ながら目が首元にばかり行った。何しろ白黒映画なのでスカーフが何色だったのかは分からないが、そんなことも想像しながら、あはは、私は余程スカーフが好きなのだな、などと自分再発見などしたものだ。
学生の頃佳作座で見たローマの休日は二本立てだった。もうひとつの映画はひまわりで、初めて耳にした元気の良いイタリア語に目を白黒させたものだった。若き日のソフィアローレンの美しさを、あの頃の私にはまだわからなくて、あれから長い年月が経ってから分かるようになったことを、実に私らしいと笑う。何事にも時間が掛るのだ。長い年月を掛けて分かることが沢山ある。

今日は良い土曜日。午後、家中窓を開け放って空気を替えたら、外から元気な空気が流れ込んだのだろうか、気分がとてもいい。暫く続いていた疲労感を此の週末に取り除ければいいと思っている。食欲とたっぷりの時間と愉しいお喋り。今夜はご馳走にしよう。




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秋の終わり、冬の始まり

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空の機嫌の悪い木曜日。それにしても冷たい一日で、帰り道はたったの6度だった。まだ11月が終わっていないから、晩秋と呼びたいと思っていたけれど、ううん、もうボローニャは冬。明日はもっと温かいコートを着てこようと思いながら、雨上がりの、濡れたアスファルトを蹴りながら歩いた。11月25日。ひと月後はクリスマスなのだ、と思いながら。

家に帰ってメールを開けたら、ある店からメールが届いていた。私が時々寄り道ワインをする店からだった。2年前までは同じ旧市街でも立ち寄りやすい場所に店があったが、其れを閉じて今はふらりと立ち寄れない場所に移転した。店の印象も変わった。前はフランスの店でフランスワインは勿論のこと、フォアグラやフランスチーズと言ったものを置いていた。今度の店はフランスに限らぬ、美味しいものや本、絵画を置く店になった。日頃から小さい店が好みの私だ。店が拡大して戸惑ったが、店主夫婦がそういうものを望むのだから仕方がなかった。それに私は単なる客なのだ。嫌ならば行かなければいいだけのこと。其れでいて今も時々足を運ぶのだから、それなりに気に入っているのだと自分なりに分析している。それで届いていたメールとは、世間で言うニュースレターなるものだった。少し前は生牡蠣の夕べの知らせだったし、その前はシャンパンの夕べの知らせだった。今回は何なのだと読んでみたら、待望のトリュフのブリーチーズが入荷した知らせだった。私はこの知らせを待っていたのだ。今年もトリュフのブリーは入荷するの?勿論さ。シニョーラ心配しなくていいよ、入荷したらすぐに知らせるから。そんな話をしたのは9月終わり頃だった。私は此れが大好きで、毎年12月になるとひとつ手に入れて、食べ終えるともうひとつ手に入れた。今年も12月に入ってからだろうと思っていたのに、今年は例年より早い入荷らしい。明日の夕方にでも店に行ってひとつ手に入れようと思ったら、ふと嫌な予感がして、店に電話を掛けてみた。電話には知らない声が出た。トリュフのブリーの件だけどと切り出すと、ああ、残念ながら完売ですという。驚きで言葉を失っていたら、折り返し電話を掛けるから電話番号を残せという。何か妙案でもあるらしい。それで言われた通りにしたら、5分後に電話が掛って来た。シニョーラ、と言うその声の主は、店の主人だった。5キロの大きなトリュフのブリーは入荷して1時間半で完売したと言って彼は笑った。それで明日もうひとつ入荷するように手配したそうで、だからシニョーラの分はとっておくよとのことだった。それじゃあ明日の夕方。たとえ雨降りでも必ず店に立ち寄るからと私言う私に、雨降りが嫌いで雨が降る日は絶対店に立ち寄らない私のことを覚えていた彼は、トリュフのブリーの威力は凄いと笑いながら電話を切った。そうだ、此の威力は殆ど魔法だ。一年に一度しか手に入らぬこれは、たとえ雨降りでも、たとえ雪が降っても、私の背をぐいと押して外に出させるのだ。暫く寄り道ワインをやめていたが、明日の夕方は久しぶりに。トリュフのブリーを手に入れるついでに、美味しい赤ワインなども。そんな寄り道は金曜日の夕方に相応しい。秋の終わり、冬の始まりに相応しい。

帰り道に前を歩く女性の後姿に惚れた。背丈のあるのも私好みだが、背を伸ばして颯爽と歩く姿が素敵だった。黒いコートにジーンズというありふれた装いだが、特別なものに見えてしまうような、そんな後姿。若すぎる女性にはない、何か自信に溢れた大人の女性。悪くない、全然悪くない。こんな女性が存在することを、無性に嬉しく思った。




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望み

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今日の快晴は天からの恵み。久し振りに晴れた空に、色づいた葉が映える。秋と言うには気温が低すぎるが、しかし今日は秋と呼びたい、そんな気がした。明後日は11月の第四木曜日で感謝祭。イタリアには感謝祭なるものは存在しないが、私の心には未だに残っている。収穫の恵みに感謝して家族や親しい人達と祝う日。何時もより輪の掛ったご馳走が食卓に並び、長い時間を掛けてそれを楽しむのだ。私がご馳走を用意したことは無く、大抵親しい誰かに呼ばれてご馳走になった。アメリカで4回経験した感謝祭。どれも深い、温かい思い出がある。そしてこの日を境に街が一気にクリスマス色に替わるのだ。街の中心のスクエアには大きなクリスマスツリーが飾られて、取り囲むように立ち並ぶ店もクリスマス仕様で実にエレガントになる。そして特筆するは感謝祭の翌日のブラックフライデー。待ってましたとばかりに人々は買い物に繰り出して、街がごった返すのだ。ここ数年そのブラックフライデーがイタリアに浸透している。感謝祭は存在しないのに買い物欲を煽りたてるブラックフライデーだけが存在し、浸透しているのが私には可笑しくてならない。都合のいい世の中なのだ。

仕事帰りに旧市街へ行った。足元のアスファルトが乾いていると、寄り道したくなるのである。旧市街にバスが入るなり下車して、ポルティコの下を歩いた。そして小さなメガネ屋さん前で足を止めたのは、今はもう無い靴屋のことを思いだしたからだ。
靴屋が其処にあったのはかれこれ10年以上前のことである。小さな店だがうっかりしても通り過ぎてしまうことがないのは、ガラスの向こうに並べられた靴が実に丁寧に作られたものだったからだ。元々は美しい乗馬用ブーツが有名で、其れを求めて店に入る人が多かった。私がこの店のブーツを知ったのは、その昔ローマに一年ほど住んでいた頃、同じアパートメントに住んでいた友人に誘われて行った、馬の見本市でのことだった。ヴィテルボと言う美しい街の郊外で催されたその見本市に私が関心を持っていたといえば嘘になるが、話の流れでそんなことになり、友人と肩を並べて馬を見たり乗馬用品を鑑賞したものだ。其処でこの店の靴に出会うのである。そもそも私は靴が好きで、其れが艶やかだったり柔らかな上等な革ならば、通り過ぎるのは不可能なのだ。しかし目の前にあるのは、私の知っている美しさを超えた、芸術とも呼べそうなもので、私は瞬く間に虜になった。美しいものに目が無い私の友人も然り。しかしとても手が出るような値段ではなく、私達は互いに目を丸くして顔を見合わせたものである。それから10年ほど経って、ポルティコの下にこの靴の店を見つけた時の喜びようと言ったらなかった。初めて店に入ったのはクリスマス前だった。色々見せて貰い、靴を試しながら、ショートブーツに恋をした。その美しい靴がすべて手作業で作られていることを知り、成程と深く頷いたものだった。丁寧に作られた靴。革ひとつにしても大変吟味されていて。値段を聞いて私は購入を断念して、なのに翌日夕方店に立ち寄ってそれを購入した。私が翌日戻ってきたことを店の女性は喜んで、決して無駄遣いにはなりません、一生ものですから、と言った。あの時はそれがビジネストークだと思っていたけれど、今はそうかもしれないと思う。踵や靴底を修理しながら今も気に入って履いている。10年以上経った靴、多分もう10年履くだろう。

この靴屋がボローニャ店を閉めた理由は何だろう。ボローニャの人は靴が好きで、靴にお金を掛けることを惜しまないと昔から言うのに。以前は他の街にも店があったが、今はミラノのショールームと靴工房だけになったそうだ。私には小さな望みがある。手持ちのショートブーツの色違いを手に入れる望み。もう少し私が色んなことを頑張ったら、靴工房に行って、色違いのショートブーツを手に入れたいと思っている。




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