暖かいセーター
- 2021/11/29 22:44
- Category: 好きなこと・好きなもの
寒い。今朝の気温は零度。起き抜けに寒いと感じたのは単なる気のせいではないと分かって、改めて身震いした。夜が明けるのが遅くなったのが冬に足を片方突っ込んでいる証拠だとなどと言っていたが、いいや、もう片足どころか完全に冬を迎えたのだ、私達は。朝職場に向かう時に車窓から見た草原が、霜が降りて白かった。霜。その言葉がとても詩的で、美しいと思った。私や姉が子供だった頃は、冬になると霜柱が辺り中に存在して、登校中に霜柱を踏みつぶしながら歩くものだから、何時も靴が汚れたものだった。昔から靴が汚れるのが嫌いで、汚れた靴が嫌いだった私だが、高さ3センチほどの霜柱を見つけたら、素通りなど出来なかった。もっともそれも母や父と出掛ける時は別だった。気に入りのピカピカに磨いた革靴が汚れるのがどうしても嫌だったから。最近は霜柱など存在しないのだろうか。少なくともこの辺りで見ることは、無い。
家に帰ったら相棒が先に帰宅していた。いつもと様子が違うので何だろうとまじまじ見てみたら、珍しくセーターを着ていた。彼はセーターを着ない人で、セーター好きの私には理解できないタイプの人間なのだ。その彼が暖かそうなセーターを身につけて、しかも私好み、ノルウェー辺りでよく見るタイプのものだった。あら、似合う。どうしたのかと訊けば、知人がプレゼントしてくれたそうだ。人から贈り物を頂いたはいいがサイズが合わないので、相棒にどうかと思って持ってきたらしい。何時もならセーターなんて嫌だという彼だが、柄や風合いが気に入ったのか、それとも知人の気持ちが嬉しかったのか、その場で着てみたらとても暖かくて着心地が良く、周囲の人に褒めて貰ったのも手伝って、そのまま着て帰って来たのだそうだ。確かに相棒に良く似合っていて、そして私は多少ながら嫉妬した。私だって、ノルウェーのセーターが好きなのよ、と。
オスロに行ったのは2019年、二年前の夏のことだ。まだ私達がコロナなんて言葉すら知らなかった夏のことで、既にすべてを手配していたリスボン滞在に、追加するようにしてオスロに行くことを決めた。暑かったリスボンの後の涼しいオスロ。8月というのにオスロは秋のような涼しさで、短い丈のジーンズを素足で履いていた私の足首はちぎれるほど痛かった。街の人達がトレンチコートを着ていたのが証拠で、こんなに北まで来たことがなかった私の装いは完全に失敗だった。汗をかかない8月。昔住んだサンフランシスコの8月も涼しくて晩にはジャケットや薄手のコートが必要だったが、オスロの涼しさはそれをはるかに上回り、涼しいというよりは寒いと言いたいほどだった。初めての北欧。見るものすべてが目新しくて、友人達が手分けして私を連れて歩いてくれた。そんな中で私を歓喜させたのがボタンや毛糸の店だった。そう言う店にはもちろん編み上げたセーターも置いていて、其れが俗に言うノルウェーセーターだった。昔々、セーターを編んだことがある私だ。ノルウェーセーターをどのように編むのか思い巡らせると眩暈がする思いだった。編み物に大きな情熱を持っていない私だから、こういう手の込んだものは購入するに限る。それで幾つか手に取ってみてみたけど、大変高価で諦めた。勿論、オスロという、世界で1、2を争う物価の高い街だからというのもあるだろう。何時か一枚手に入れたいと思いながら、店を後にしたものだった。また来ればいいさと思いながら。そう、元気でいればまた来れる。飛行機に乗ればあっという間なのだから。まさかその後コロナなんてものに見舞われるなんて考えていなかったから、また来ればいいさの言葉は、宙に浮いて、其のまま蒸気になって空に飛んでいってしまった。
相棒のセーターを眺めながらオスロのことを思いだす。人生で一番寒い8月だったと。良い旅だったと。
寒いのは嫌いじゃない。寒くても空が晴れて太陽が出る冬は嫌いじゃない。こんな天気が今週ずっと続けばいい。空が青い限り、太陽の光がある限り、気持ちを明るく持って生活できるはずだから。