駆け足の夏

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8月最後の週末。急に街が賑やかになった。長く休んでいた人達、一体いつ帰ってくるのかと思っていた人達も、遂に街に帰って来た。隣の家族は商売の都合で8月15日の祝日の週末を終えるなり山の家から帰ってきたが、例えば上階の家族、最後に見掛けたのは7月中旬だったから6週間ぶりの帰宅だ。それから階下の住人も数日前に帰って来た。此れで全ての住人が揃った。9月を目の前にしてやっと揃った。8月終わりの週末は雨。今日は朝方強い雨で目が覚めた。それで急に気温が下がり、一日涼しく過ごした。それが実に8月の終わりに相応しく、私は8月にさよならを告げるのだが、ああ、そうだった、もう一日あったっけ。

昨晩相棒が嬉しそうに帰って来た。何がそんなに嬉しいのかと思えば、此れだよ、と言って差し出した小さな瓶。見れば相棒の大きな手に納まるほどの蓋つき瓶で、茄子のオイル漬けだった。
相棒の仕事場の近所に学生が住んでいる。其の学生さんがカラーブリアに休暇で帰っていたのだが、その間、時々植木に水をやってくれないだろうかと頼まれたのだそうだ。植木鉢が5つほど。それほど大変な作業じゃない。近年ボローニャに根が生えたように何処へも旅に出ない相棒は、毎夏こんな風に近所の誰かに頼まれるのだ。まあ、他所の家に行って水をくべるなら面倒くさいけれど、自分の仕事場に植木鉢を持ってくるならば、という条件で引き受けたそうだ。どうせ自分の植物もあるし。それに時には雨が降るしな、などと言っていたが此の夏はあまり雨が降らなかったから、枯れたら可哀そうということで、毎夕水やりをしたようだ。其の学生さんが帰って来て、水やりの礼に母親特製の茄子のオイル漬けを手渡されたのだそうだ。茄子も庭の畑でとれたもので、母親の家族に代々伝わる特別なレシピによるものだと言う。自分が言うのもなんだけど、凄く美味しい、と学生さんは言っていたそうだ。大抵自分の母親が作ったものは美味しいものだけどな、などと相棒は言っていたが、話を聞いた私の方は期待がむくむく膨らむ一方だった。茄子のオイル漬けと簡単に言うが、大変手間がかかっている。茄子を薄切りしたものに塩をまぶして重しをして水抜きをしたらワインビネガーで煮て・・・と、茄子のオイル漬けが好きな私だが、それをしたいと思ったことは一度も無い。さて、夕食の時、瓶の蓋を開けた。蓋を開けた瞬間に放たれたいい匂い。あ、これは美味しいぞ、と直感した通り夢のように美味しかった。茄子はとろけるように柔らかで、ワインビネガーは強すぎることがなく、塩分も嫌味がない程度で、学生さんが言っていた通り、凄く美味しかった。時々茄子のオイル漬けを店で購入するが、相棒はあまり好きでないのか、進んで食べることは無いが、此れは特別、勧めもしないのにどんどん食べた。私達は他所のうちの母親の味を堪能して、ワインが大変進んだ。どんな母親なのだろう。きっと他にもいろんなオイル漬けを作って地下倉庫で保管しているに違いない、などと様々なことを想像するのは楽しいことだった。幸運な学生さん。今度会ったら礼を言って貰おう。素晴らしいものをありがとう、と。

話によれば明日は随分涼しいらしい。夏が駆け足で去ろうとしているように思えるのは、私だけだろうか。




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帰り道のこと

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窓を開ければ大風で、家中のレースのカーテンが膨らむわ、風鈴が盛大に鳴り響くわ、折角整頓したベッドのカバーが乱れるわで、家の中にテラスの植木の葉が飛んでくるわ。仕方なく窓を閉めてみたのだが、何と蒸し暑いことよ。此れは何かに似ている、いつか私が経験した・・・と思い巡らせたら思いついた。それは台風が接近している時のあの感じ。4年前に日本に帰省した時に体験したあの感じ。台風が接近しているとはつゆにも思っていなかった、ボローニャに帰る日がこんな感じだった。何処へ行っても息苦しいほどの蒸し暑さで、大風が吹いていた。いったい日本はどうしてしまったのだろう、地球の温暖化のせいなのか、それとも私が忘れてしまった何かなのか。何かがおかしい、何かが狂っている。そんなことを思いながら空港へ行って知った台風のこと。私が乗る飛行機は通常通りだったけど、そのすぐ後からすべてが取り消されたと知ったのは、無事にボローニャに帰って来て母や姉に電話を掛けた時だった。運が良かった、無事に飛行機が飛んで。そう言って母と姉が喜んでくれたのを覚えている。今日のこの蒸し暑い空気と大風は、あの日とそっくりだ。話によれば北イタリア上空に低気圧が渦巻いているのだそうだ。それがこれから南へ移動するならばボローニャにも雨が降ると言うことになる。それが東へと移動するなら、ボローニャは大風だけで雨を逃すことになる。どちらがいいか、私には分からない。北イタリアの大雨の被害を思えば東に反れてほしい気もするし、ボローニャの異常な乾燥を思えば降ってほしいと思うし。実に悩ましいところだと言う私に、相棒は笑う。君が決めることじゃないだろう? うん、全くその通りだ。

長い夏の休暇を終えて2日前に社会復帰した。思いのほか、仕事に行くのが嬉しかった。何しろ3週間も家に居たのだ。睡眠も充分とって身体も休めた。体力が有り余っていると言っても過言ではない。何よりも、いつものリズムに戻れるのはとても嬉しいことだった。ところが。平日が忙しいから週末が楽しい。そんな格好いいことを言っていたくせに、復帰一日目の晩はあっと言う間に眠りに落ちて、翌朝は酷い頭痛。何という失態。此れというのも休暇中、頭を使うこともなければ楽ばかりしていたからだろう。でも、これが現実だと相棒に諭されて、そうだと思った。20年前とは違うのだ。元気と言っても20年前の元気とは質が違うのだ。自分の健康と相談しながら行こうと気長に行こうと思っている。
さて、昨夕はそういう訳ですっかり疲れていたのだが、じきに終わる夏のサルディでどうしても欲しかったものを手に入れに、仕事帰りに旧市街へ行った。欲しかったものとは、テーブルクロスである。食事時にテーブルに掛けるあれだ。同じ綿でもそれなりの品質で大きいものとなると安くはない。毎日使うものに高いお金はかけれいられぬ、しかし安物は困る、ということで割引の時に購入するのが賢いのだ。うちにはテーブルクロスが4枚あるが、そのうちの3枚は年季が入っている上に、テーブルクロスの上でパンやサラミ、唐辛子を切ったがために布まですっぱり切れてしまった。あーあ、だから言ったでしょう? 何か下に敷かないと。包丁は研いだばかりなのだから。そう言って相棒を窘めた私だが、私も過ちを犯したのだ。勿論、あーあ、だから言ったじゃないか、と相棒に言われたのは言うまでもない。そして私は大いに反省している。それでサルディが終わる前に、せめて一枚でもいいからということで旧市街の大型店にやって来た訳だ。あらまし売れてしまったので、選択の余地はあまりない。テーブルのサイズに合うものとなれば益々範囲が狭まるというものだが、私の好みに合うものを見つけた。それも5割引きだ。運が良い。此れはまったく運が良い。其のくらいのことでうきうきした気分になれるのだから私はまったく単純だ。手に入れた品の入った袋を手に提げて、帰宅すべくバスに乗った。あと数停留所で自分が降りるところ、という時、座っていた年配のシニョーラが立ち上がって降り口のところに立った。イタリアでは日本のようにバスが止まるまで立ち上がらないようになどと言う運転手はひとりも居ない。寧ろ、降りる停留所に停まった時に扉の前に居なければ、開けた扉を閉めて発車してしまう。だから年配だろうと何だろうと、バスが止まる前に降車口の前に居る必要があるのだ。バスがもうすぐ停留所に・・・とその時。バスの後方から何か黒っぽいものが凄い勢いで転がってきたと思ったら、降車口前に立っていたシニョーラの足に直撃した。あっ!と誰もが声を上げ、いったい何が起こったのかと思えば、転がって来たのは直径30センチほどの大きな西瓜、そして足を直撃されたシニョーラはボーリングのピンの如く倒された。あれは痛かったに違いない、床にうずくまって足を抱えていたから。後ろの方から外国人の男性がスミマセン、スミマセンと言いながら走ってきて、自分の西瓜を拾い上げると後方の自分の席に戻っていった。さあ、どうする。運転手よ、どうする。きっと誰もが思ったに違いない。が、シニョーラは痛そうにも気丈に立ち上がり、バスが止まると降りていった。そのうち自分が降りる停留所が近づいた。バスの中で気をつけねばならないのはスリや急ブレーキ、コロナウィルスばかりではない。西瓜だ。西瓜が危ない。今の世の中何でもありだとは知っていたが、しかし西瓜まで心配しなくてはならない世の中だなんて。ちょっと心が疲れた金曜日の夕方だった。

昨夕購入したテーブルクロス。早速洗ってアイロンを掛けたら、いい感じ。私は好きだと何年も使う癖があると言うか、物持ちが良すぎると言うか。決して悪いことではないと思うけど、テーブルクロスくらい時々新調しようと思った。それで楽しい気分で食事が出来るなら、気分がアップするなら。今夜は相棒が夕食当番。何を準備してくれるのかは知らないけれど、新しいテーブルクロスを使おうと思う。勿論小さな木製ボードを用意して。失敗は許されぬ。新調したテーブルクロスでの失敗は絶対に許されないのだ。




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存在

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乾いた風に吹かれながら、ああ、確かに夏が去りつつあるのだなと実感する。今日は水曜日。私の夏季休暇も今日で終わりだ。電車に乗ってフィレンツェに行こうとか、相棒と車で山へ行こうとか、休暇が始まる前は小さな色々を計画したけれど、結局何処へも行かずじまい。コロナの感染者が再び急増していることや、姑の調子が悪いことや、他にも何か理由はあっただろうか、兎に角そんなこんなで長い休暇に何処へも行かずじまい。其れを残念に思いながらも、それでよかったような気もして。この夏は、こんな風にして過ぎてゆく。嬉しかったのは健康だったこと。何ひとつ足らないものがない生活だったこと。何処へも行かなかったが、しかしロックダウンの頃のように外出許可書が必要なわけでもなく、その気さえあれば外出できる自由が誰にも平等にあったこと。海に行って日に焼けた人達の美しい肌を眺めながら、私のかわりに誰かが海を楽しめてよかったと思う。それに、マスクをしないで居られる喜び。これは私にとって他の何とも代え難い喜びだった。長い間炎症していた頬だけど、長い休暇のおかげで元気になった。鏡を眺めながら再び始まる長時間マスク着用の生活を心配しなくもないけれど、大丈夫、私の皮膚は元気になったからと大きく深呼吸する。長期戦と構えずに、長い付き合いと思えばいい。嫌いなマスクさえも味方にして、いつもの生活に戻るのだ。

私が日本から飛び出したのは1991年の今頃だった。あの当時の私を文字で表現するなら、無鉄砲、この文字がまず思い浮かぶ。無鉄砲で元気だけが頼りだった。几帳面で慎重な私が、よくも先の保証なしのアメリカへと発ったものだと今は思う。それ程私には魅力的だった。太平洋の向こう側にある街。何もかもうまくいくと信じてた。多分それが私の幸運だった。勿論、すぐに現実に直面するのだ。言葉が全然役に立たないこと。此処で生きていくのはそれほど簡単ではないこと。そして、生まれ故郷の日本に居た時は、どれほど守られていたかを痛感して、初めて家族の有難さ、友人の存在に感謝した。そう考えれば、辛い思いをしたことは私にとって良いことだったのかもしれない。そうやって私は学びながら山を乗り越えてきたのだ。色んなことがあったけど、案外うまくやって来た。でも、自分の力なんかじゃない。私はやはり周囲に助けられてきたのだとおもう。運が良かったと言ってもいい。そういう人達に出会えたこと。
私がアメリカへ行く時に大きくかかわった夫婦。サンフランシスコに住んでいた隠居の身の日本人夫妻。一筋縄ではいかない人達で、嫌な思いをして拘わりを絶ったけど、思えば彼らが存在していなければ、私は飛び出すことすら出来なかった筈だ。当時の私は若かったから、彼らから離れることで精いっぱいだったけど、長い間彼らのことを考えるのも嫌だったけれど、あれから長い年月を経て私の心は随分変化した。交流は長く続かなかったけど、私は良い人達に出会えたと思っている。嫌な部分を差し引いても、良い部分が幾つも残る。彼らとの思い出は悪いことばかりじゃない。私にとってはきっかけを与えてくれた有難い存在だったのだ。何時か当時のことを覚えている人達に再会して、いやあ、君も酷い目に合ったね、なんて言われることがあるならば、私はきっと答えるだろう。そうでもない。やはり良い人達だった、と。元気にしているならかなりの高齢であろう彼らが、地球の裏側で同じ空を見れいればいいと思う。

外の賑やかさが、多くの人が通常の生活に戻った証拠。私の休暇もこれで終わり。でも、少しも残念じゃない。心行くまで休憩して、充分リセットできたから。ただ、ひとつだけ心配事がある。明日ちゃんと起きられるのかしら、と。




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魅力

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8月も終わりに近づき、街は平常を取り戻そうとしている。私も、私も直に幕を閉じる夏の休暇に控えて、規則正しい生活を始めた。もっともそれも名ばかりで、緩い緩い、緩すぎる規則正しい生活だが、何事も気持ちが大切なのだ。昨日の午後は洗濯機の修理屋さんを待ちながら、相棒とテラスの手入れをした。乱雑になり始めたテラスの整備。掃き清めて、テーブルや椅子、床のタイルの拭き掃除をして、位置を変えたり、植木に栄養剤を与えたり、土を追加したり。することは沢山ある。それも昨日のような涼しい気候でなければ出来なかったこと。そして修理屋さんが2時間も遅れてこなければ出来なかったこと。おかげでとても居心地の良いテラスになり、今朝、相棒はテラスで朝食をとるほどだ。足元には猫。猫もテラスが綺麗になって喜んでいるのだろう。ほんの少しの工夫で、こんな素敵な空間が持てる。此れは数多くあることのひとつの例で、工夫次第で素敵になることが私達の生活には一体どれほどあるのだろう。もうじき再び忙しい毎日が始まるけれど、工夫をしながら素敵に楽しく生活したい。

明後日の社会復帰を控えて、今日は旧市街のいつものところに髪の手入れに行った。その足で、少しポルティコの下を歩いていたら見かけた、美しい人。何処かの海へ行ったのだろう、陽に焼けた肌が美しかった。それを計算したかのようにさらりと緩い白い麻のシャツと、細い足首がすっかり見える真っ白のパンツを履いていた。足元だけ茶色のサンダルを履いて、それが彼女の肌の色に良く似合っていた。肩の凝らない夏の装い。ラフで風通しが良くて、楽しかった夏の休暇の余韻すら感じられる。私に言わせれば超一級の夏の装い。素敵な大人の女性。休暇から戻ったばかりのリラックスした、素敵な人達を見つけながら歩くのは楽しい。少し先の七つの教会群の広場で、今度は素敵な男性を見つけた。良く陽に焼けた彼はもうじき60に手が届きそうな年齢で、髪はだいぶグレーになっている。ぼさぼさ頭だが、何故かそれが妙に似合っている。私の目を惹いたのは彼が身に着けたピンク色のパンツだった。丈が長いのか、それとも今日は短めに履きたい気分なのか、裾をくるりと丁度いい具合に巻き上げて陽に焼けた足首を見せていた。それに白いシャツと白いスニーカー。イタリアの男性は、と言い切ることは出来ないけれど、多くの割合でお洒落心を持つ。それについては昔イタリアに暮らし始めた頃に直ぐに気が付いた。高価なものを身に着けている訳ではない。自身が美しい訳でもない。でも、遊び心、お洒落心を持っていて、そう言うことで自分を魅力的に見せる術を知っている、と言ったらよいだろうか。力を入れ過ぎずにさらりと見せるお洒落。私が相棒とアメリカを離れることに決めた時、多くの友人知人が言ったものだ。あら、素敵。イタリアには洒落た男性が沢山居る、と。もっとも私は既に相棒と結婚をしていたから、その楽しみは秘密にしておかねばならなかったけれど。今はもう秘密ではない。私の趣味は街を歩きながら素敵な男女を見つけることで、今日はこんな人を見掛けたと、相棒に報告すらしているから。それからイタリアがいいのは、若い人よりも、ある程度の年齢に達した大人が素敵なことだ。歳を重ねることで衰えると言うよりは、歳を重ねて経験を積んだ余裕が生みだす魅力。その点では、私はイタリアに暮らすことになって、良かったと思っている。余裕。大人の余裕。そうだ、これからは此れで行こう。

相棒が知人から唐辛子の束を貰ってきた。プーリア出身の知人が夏の帰省した時に、相棒の為に持ち帰ったものだそうだ。辛いらしい、とのことだったが、本当に辛い。辛いものが大好きな相棒ですら目を剥いて、危険と呟いたほどの辛さ。イタリアでは唐辛子を魔除けや厄除けにも使うので、これは効果がありそうと、テラスに通じる窓辺に吊るした。悪いものが家の中に入るのを、この唐辛子の束が防いでくれるに違いない。




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月曜日

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遂に降った雨。昨晩のことだ。始めは大風。そして北の方からぐんぐん黒い雲がやって来ると、叩きつけるような雨が降り、あっという間に空気が冷えた。それは剥き出しの膝小僧や足首が痛むほどの冷たさで、まるで9月の終わりのようだと思った。それにしても今朝の清々しさと言ったら。

涼しいので朝のうちに外に出た。まずは旧市街で美味しいパンを。最近旧市街の老舗ATTIは店に入るための列が長い。基本、列に並ぶのが嫌いな私だ。だから久しぶりに別のパン屋を目指した。此処のパンは、標高で言えばせいぜい800メートル程の山の町で焼いている。其れを毎朝車で旧市街の小さな店まで運ぶのだそうだ。話によれば旧市街にもう一軒店があるらしいが、私は七つの教会群から歩いてすぐの店が好きだ。此処には一頃足繁く通ったものだが、いつの頃からか足が遠のいてしまった。理由は何だっただろうか。此れほど美味しいのに。小さな店の中にはいつも客が順番を待っていて、次は誰? と店の人が訊くと、私よ、なんて手を上げたものだ。昨日まで夏季休暇中だったパン屋さん。コロナウィルス以来ひとりづつしか入れない此の店は、さて、客の列はあるのだろうか。と思えば、少したりとも待たずに求めていたパンを購入できた。こう言うのを幸運と呼ぶ。店の中はいい匂い。やはりパンはパン屋で購入するのがいい。その足で食料品市場界隈のいつもの店へ行った。欲しかったのは薄く薄く切った生ハム200グラム。と、トリュフ入りミストペコリーノのチーズをガラスケースに見つけた。何時も購入する奴で、こんな時期に見掛けるのは珍しい。訊けば先シーズンの残りで、更に訊けば安くなっていると言う。食前酒の共に良いだろうと思って、其れを丸々ひとつ頂くことにした。相棒はきっと喜ぶだろう。そして此れを食べきる頃には今年のものが店に並ぶに違いない。人気の店だが客はあまり居ず、ああ、そういえば今日は月曜日なのだと思いだした。普段この時間に出歩けるのは土曜日だから、どの店も混んでいるのだ。夏季休暇があと3日残っている喜びをかみしめながら、店を出た。その後二か所で用事を手早く済ませて昼前に帰って来た。午後は洗濯機を直しに修理業者に来て貰うからだ。此れで毎日の手洗い洗濯とさよなら。うまく行けばいいけれど。

約束の時間から2時間近く遅れてきたくせに、何か嫌なことでもあったのか、修理業者は機嫌が悪かった。横柄で口は悪いが優秀らしく、文句を言いながらも20分で部品を交換して点検して完了。散々感謝を述べたからか、上機嫌で帰っていった。ああ、疲れた、こういう人は苦手だと思いながらも、保証期間中で無料で修理して貰えたのだから、文句を言うのはよしておこうか。ところで、トリュフ入りミストペコリーノのチーズだが、案の定相棒は歓喜して、早速白ワインの栓を抜いた。涼しい夕方に乾杯。旅行をしない長い夏の休暇に乾杯。喧嘩もせずに仲良く居られた夏の休暇に乾杯。洗濯機が直ったことに乾杯。何時までも続く乾杯の理由。そんな夕方があってもいい。




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