遠い稲妻

21時半を回った頃、急激に空が暗くなりだした。一瞬目を離すと次の瞬間には格段に暗くなっていた。こんなことは最近では珍しく、もしかしたら近くの町で雨が降り出したのかもしれない、そんなことを思った。そのうち北のほうから涼しい風が吹き出した。暑すぎた1日の終わりの涼しい風は有難く、今夜は良い眠りにつけるのかもしれないと思った。そうしているうちに遠い稲妻を見つけた。私が暮らす丘の町ピアノーロからすると北西の方角で、それは丁度ボローニャ市街辺りであった。雨が降っているのだろうか。私の小さな友人が今晩自転車で出掛けると言っていたけれど、雨に降られてしまっただろうか。気が変わってバスで出掛けたならば良いけれど。遠い稲妻が好きだ。向うの空の分厚い雲の群れの間で大きく光る稲妻を眺めていると心が少しづつ静かになっていく。私は手紙を書くのが好きな子供だった。10代半ばになると海の向うの同世代の見知らぬ人々へ手紙を書くようになった。学校で学んだ僅かな知識を駆使しながらアルファベットを丁寧に綴った。正直言って英語の成績は散々だった。だからその手紙を貰った人達に私の気持ちが伝わったかどうかは分からない。それでも返事が返ってきて、私がまたその返事を書いた。手紙を書くのには時間が掛かった。何しろ英語の成績は散々だったのだから。でも手紙を書いている時間が好きだった。色んなことを考えながら、色んなことを想像しながら、何時か海の向うに暮らす同世代の女の子達に会えることを夢見ながら。私の机はどのまん前に置かれていて、手紙を書きながら時々手を休めて外を眺めるのが好きだった。夏の遅い夕方にはしばしば遠い稲妻を眺めた。私は子供と大人の丁度真ん中くらいの年頃で、大人になりたいような大人になるのが不安のような、そんな気持ちがいつも渦巻いていたが遠い稲妻を眺めていると諸々のことが波のように引いていくような気がした。私はあの頃からあまり変化していないのかもしれない。子供と大人の真ん中くらいの年頃はとっくの昔に過ぎたけど、大人になりたいような大人になるのが不安のような気持ちも既に整理がついたけれど。私の体の隅っこに昔の小さな何かがまだ残っていることを確認して嬉しくなった。そうしているうちに遠い稲妻は頭上にまでやって来て、あっという間に嵐になった。大粒の雨。横殴りの風。目の前が真っ白になるような大きな稲妻。夏の象徴だ。

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私には特別に好きな色があって、そういう色を施したものを見つけると無性に手に入れたくなるのである。例えばグリーン。ひと言にグリーンと言うが色んなグリーンがある訳で、それを言葉にして説明するのは大変難しい。グレーもそうだ。グレーなら何でも良いというわけではなく、これだと思うグレーに出会うのは稀で、だから出会ってしまった日にはなんとしてでも手元に置きたくなるのである。そういった単色もさることながら、配色の魅力も大きい。例えば先週末手に入れたスカーフも配色に魅了されて衝動買いした。そんな中、配色がひどく気にいっているけれどまだ手に入れていないものがある。ボローニャの街の中心の、2本の塔から直ぐ其処にあるATTI のショウウィンドウに飾られた菓子箱。平べったい円形の白い箱に素っ気ない水色をベース、そして色とりどりの果物や花や葉っぱが描き込まれている。それだけを見たらちょっと可愛いだけなのだけど、紫がかったこげ茶色のショーウィンドウの中に収まっているとその魅力が際立って見える。老舗のアイドル、と呼ぶのが丁度いい。それだから手に入れられない。この箱はこの店のショーウィンドウに納まっているから魅力的なのだ。これから先も手に入れることがないであろうこの箱を店の前を通る度に観察する。それがここ数年の私の小さな楽しみなのだ。

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女主人の店

天気の良い日曜日。周囲の家は何処も留守で日除け戸をきっちり閉めている。海か山に足を延ばしているのだろう。全く静かなものだった。私も何処かへ行きたいような、しかし家に居るだけで満足なような。何しろ昨日の土曜日に充分楽しんでおいたから。昨日は大寝坊した。と言っても誰と約束があるでもないので目覚まし時計を見て驚愕したものの、誰に迷惑が掛かるでもなかった。ゆっくり朝食を楽しんでからバスに乗って旧市街へ行った。旧市街に到着したのは辺りの店の昼休みの時間だった。このところ徹底してウィンドウショッピング派なので別に店が閉まっていても関係ないが、それでももう少し早くに来れれば良かったと思った。単に街を散策するのも好きだけど、散策途中に店に入ってウィンドウに飾られているものを手にとって見せて貰ったり、それから店の人と言葉を交わすのも楽しくて好きだからだ。Via Santo Stefano の途中で96番のバスを降りてから右手に曲がって真っ直ぐ歩いていった。気に入りの本屋もシャツの店も仕立て屋さんも閉まっていた。そうしているうちに道はStrada Maggiore に辿り着き、私はその道をとって街の中心へと進んでいった。その途中、3軒の店の中が空っぽになっているのを発見した。ひとつは洒落た衣服、小物の店。この店は旧市街にもう1軒あるので合併と言うことらしい。言い換えればビジネスの縮小である。そして後の2軒はご婦人向けの靴屋さんで、どちらも長いことこの通りで商売をしていた店だった。まさかこのふたつが何時か閉店となるとは誰も想像していなかったに違いない。確かに此処数年のボローニャは不況の風が吹き荒れていて、人々は買い物をかなり控えているふしがあったがこんな形で現れるとは。別に常連でもなんでもなかったし、それどころか一度だって買い物をしたことが無いけれど、やはり残念でならなかった。ショウウィンドウを眺めながら歩いているうちに気がついた。夏のサルディはまだ正式に始まっていないけれど、沢山の店が割引を始めていた。サルディの5割引に対して今はまだ2割3割引と言ったところ。でもこれは消費者にとっては嬉しい話であった。2本の塔のところで左に曲がる。この辺りは実にボローニャらしい雰囲気が漂う場所で、基本的に路地が好きな私であるが好んで歩く場所である。路上に広げられたテーブル席には沢山の人が座っていた。暑くないのだろうか。そんな言葉が頭を横切ったが、直ぐに否定した。多分彼らは夏を楽しんでいるのだろう。実際頭上から太陽の光が降り注いでいるのをものともせずにビールを飲んでいる。そうだ、暑いからビールが上手いのだ。きっとそうに違いない。そんな彼らの横目で見ながら通り過ぎる。気がつくといつもの店の前に来ていた。小さな店。初めてこの店に入ったのは女友達と約束をした5年前の冬の夕方だ。こっと可愛いね、入ってみようか。そんなことを言いながら。女主人がいた。小柄で細身で静かなひと。髪をひとつに纏めていてイタリア人だけどイタリア人に見えなかった。他の店のものとはちょっと違った。女主人がひとつひとつ吟味して集めているのがよく分かった。それでいて決して高くない。私達は店の中をぐるりと見て周って何も買わずに外に出た。またゆっくり見に来ようと話しながら。それから半年位して前を通りかかったら夏のサルディの最中だったので興味半分で中に入った。私は幾つかを試着して気に入ったのをひとつ買った。その半年後、店に行くと女主人は私を覚えていた。それからだ、この店に時々行くようになったのは。もっとも見せて貰うだけ。そのついでにお喋りをして手ぶらで店を出る。買い物は常に半年ごとのサルディの時だけ。でも女主人は嫌な顔ひとつせず、ふらりと立ち寄る私を歓迎してくれる。店の外から中を覗くと女主人が見えた。それでちょっと挨拶がてら中に入ると、いつもの笑顔を見せてくれた。彼女の笑顔は良い。まるで花が開くような華やかさがある。この店もまたちいさな割引が始まっていた。店の中をぐるりと歩いているうちに幸か不幸か素敵な綿と麻のスカーフに遭遇してしまい、あっけなく降参。生成りに苺の赤とバジリコの緑がちりばめてあるスカーフだ。まあ、スカーフは良い。扁桃腺持ちの私は一年中首に巻くものが必要なのだから。そんなことを思いながら、しかし相棒が知ったら呆れるに違いないと思った。またスカーフか。スカーフはもう充分持っているだろう。そんなことを言うに違いないのだ。スカーフの支払い手続きをしながら女主人が言った。サルディまでもう少しだから他のものは待っていなさいよ、と。売り手らしからぬ、こんなことを言う彼女が好きだ。うん、そうすることにする、と言って私が笑うと彼女も奇麗な白い歯をみせて笑った。それじゃ、近いうちにまた。そう言って店を出た。こんな店が住んでいる町にひとつくらいあるといい。ずっと此処にいて欲しいと心から願う。

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夏の夕方

日差しの何て強いこと。その分だけ日陰の涼しさが素敵に思える。暑くなっては風が吹いて気温が下がりを繰り返しながら、ボローニャの夏はついに定着したらしい。朝晩涼しくなるにしても長袖のカーディガンを羽織ることはない。昼間の熱気に火照った素肌が風に撫でられて冷えていくのが心地よい。長い一週間であった。仕事も私生活も並ならぬ忙しさであった。途中で何度も大きな溜息をつかねばならなかったが、無事に終えることが出来てほっとした。昨夕、相棒といつものバールに立ち寄った。夕方と言っても既に20時を回っているので夜と呼ぶのかもしれないが、何しろ空が明るいので私にとってはまだまだ夕方であった。店に入るとふた月も顔を合わせることの無かったシルヴァーノが居た。彼はもうこの店に来るのを辞めてしまったのかもしれない、と相棒と話をしていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。訊いてみれば仕事が忙しくてバールで時間を使っている場合ではなかったらしい。それにしてもいい色に焼けていた。仕事などと言って実は海で肌を焼いていたのではと疑ってみたら強く否定していたけれど、ひどく慌てていたので案外そうなのかもしれない。そういう君も随分陽に焼けているではないかと反撃してきたが、私の日焼けは土曜日の旧市街の散策である。太陽の吸収力が人並み以上なのだ。夏になるといつも海に行ってきたのかと訊かれる。最近は面倒臭いので否定をせずに、うん、そうなのよ、と言っているが、海へはもう何年も足を運んでいない。シルヴァーノを交えてアペリティヴォを楽しんでいたら携帯電話が鳴った。でてみると電話の向うから懐かしい声が聞えた。相手は名乗らないが直ぐに分かった。15年程前、私はボローニャの生活の波に乗り切れなくてローマで仕事をするようになったが、その頃の上司だった。今日の夕食は何ですか、だなんて。実に彼らしい話の始め方でとても懐かしかった。運良く仕事を得てローマに行った訳だけど、私にあるのは仕事だけだった。相棒も友人も知人も居ない町。そういう生活は初めてのことではなかったけれど、町が広くて言葉が不十分なだけ不安だった。それでいて私は幸運だった。それはよい仕事仲間に恵まれたことだった。仕事を終えれば誰も待っている人の居ないアパルタメントに帰っていくだけの私を、様々な理由をつけて誘ってくれた。いい店を見つけたから。遠くから旧友が来ているから。お祝い事があるから。海に小さな家を持っているから。近郊の町の実家に週末帰るから。私がローマに居たのは僅か1年程であったけど、こんな人達の優しさでその間に寂しくて泣いたことはない。久し振りに昔の上司の声を聞きながら、そんなことを思い出した。今、ローマでは夏の楽しい催し物が目白押しらしい。だから相棒とふたりで久し振りにローマに遊びに来れば良いのに。彼はそのひと言を言う為に電話を掛けてくれたらしい。実に彼らしいことだ。そして有難いことであった、もう何年も経っているのに覚えていてくれるのは。時間を作って遊びに行くことを約束して電話を切った。悪くない。うん、悪くないね、誰かがいつも覚えてくれるって。私達はそんな昔の上司の温かさに乾杯した。夕方の空にツバメがすいすい飛んでいた。その空がずっと向こうのローマに繋がっていることを思いながら、冷えた白ワインを楽しんだ。良い夏になりそうな予感。

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家を脱出

昨晩、相棒と家を脱出した。イタリア式に言うとフーガという奴で、私がまだ小さな子供だった頃母がつけていたラジオで恋のフーガという曲を聴いたことがあるけれど、今頃になって成る程と頷けるのであった。もっとも昨晩の私と相棒のフーガは別に恋は関係なくて、単なるいつものパターンからの脱出であった。ずっと感じていたのだ。パターン化しているこの生活を何処かで切り替えた方がよいのではないかと。かといってパターン化した生活は結構根が深くて、なかなかそれが出来なかったのだ。ほんの少し変化があるだけでいいのだよ。と、私達は夜も9時を随分回った頃、車に飛び乗った。空っぽのお腹を抱えて。行き先は私達が暮らすピアノーロから南へ行った辺りにある山の町ロイアーノ。標高にしてたかだか600メートル程であるけれど、ピアノーロよりずっと涼しい。秋が早くやって来て春が遅くやって来る町。昨年まで私達は月に何度も足を運んだものだけど、今年に入ってからすっかり足が遠のいてしまった。車で行けば僅か30分の場所なのに。今頃のロイアーノは蛍が発生して夜遅く訪れるとピカピカと森林の中を飛び交う蛍を鑑賞することが出来る。それからこの町には安くて美味しい店がある。この近くに住んでいる山の友人に誘われてこの店に入ったその日から、すっかり気に入ってしまったのだ。レストランなんて堅苦しい店ではなく山の食堂というのがぴったりの店。その分店の人も大変気さくで親切で、客の要望に出来るだけ応えてくれるから、気分も居心地も良いのである。もうひとつこの町を目指した理由は、6月から9月にかけてこの山の小さな町は避暑地として大変賑わうからだ。週末ともなると何かしらのお祭りがあって、ただ道を歩いているだけでも楽しい気分になってくるのだ。それにしても風が吹く。この風は一体いつまで続くのだろう。そんなことを思いながら町に着くと、祭りどころか歩いている人すら居ない。大好きな蛍も居なかった。十字路にある人気の大きなピッツェリアは改装中で休業中なのは良いとしても、夏場はいつも遅くまで開いていて店の外まで人が溢れているバールも閉まっていた。この様子は冬に良く似ていた。寂しい冬。冬の晩にこの町を訪れるといつも寂しくなったものだが、6月にしてこの様子は一体どうしたことだろう。急に不安が募った。まさか例の店も休みなのではないか、と。置き去りにされた犬のような気分でとぼとぼと歩いていくと、店の明かりを見つけて安堵が全身に広がった。あ、開いているよ! と大きな声でいう私に、店の人が笑いながら迎えてくれた。もしかしたらそんな客が他にも居たのかもしれない。車を運転しない私は赤ワインを、運転する相棒はスパークリングウォーターを。私は大好きなポルチーニのタリアテッレを、相棒はナポリ人が太鼓判を押したこの店で定評のあるカルツォーネを。相棒と他愛ないお喋りをしながらの遅い夕食。土曜日の夜ならではのこの楽しみを長いことしていなかったねと頷きあう。いつもとほんの少し違うことをするだけで気分が変るのだからと、時々フーガをしようと約束した。私達は随分長居をしていたらしく、店内に居た客の大半は出てしまい、店の女の子のボーイフレンドが迎えに来てカッフェを飲みながら待っているところであった。美味しかった。また来るから。私達は皆に挨拶して店を出た。6月らしからぬロイアーノの様子。不況がからんでいるのか。それともここ数日の大風が理由なのか。6月にしては寂しすぎる山の町。次に来る時にはいつもの明るい夏を満喫する人達で一杯であることを祈りながら山を降りていった。


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