大晦日

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今日は単なる日曜日ではない。一年の締めくくりなのである。旧市街のマッジョーレ広場には身長6メートルもある大きなヴェッキオーネが設置されたそうだ。昨日旧市街に行った時に何やら準備をしていたけれど、そうか、こんなのが置かれたのかとテレビのニュースを見ながら笑った。手に傘を持った老人だった。モルヴォという名だそうで、夢を盗む抜け目ない人物とのことだ。漫画作家イゴートが生み出した架空の人物だそうだ。ボローニャの大晦日のヴェッキオーネ。ヴェッキオーネというのは古い布で作られた大きな人形で、一年の最後に燃やして新しい年を迎えるというボローニャの伝統なのである。これを見物しに沢山の人が集まるから今日は沢山の警備が張られているそうだ。夜中には身動きできぬほどの人が詰めかけるであろうマッジョーレ広場。私はテレビで眺めるだけにしておくのが良いと思っている。

ボローニャでは古い布で出来たヴェッキオーネを燃やして新しい年を迎えるけれど、窓から古いものを投げ捨てる街もあるそうだ。それから打ち上げ花火や爆竹。毎年禁止されているのに爆竹が鳴り響くのは何故だろう。そしてそれを注意する警察も居ない。初めは驚いたものだけど、今は慣れたものだ。何時まで経っても慣れないのはうちの猫。爆竹が鳴り始める22時を回ると、家具の下に隠れて姿を消す。それから新年を迎えた途端に上がる大きな打ち上げ花火。遠くの空に上がる花火を窓から眺めて愉しむのが私と相棒の習慣。昔は友人達と大騒ぎして朝の4時ごろに帰ってきたものだけど、何時のことからか家で静かに年越しするのが好きになった。穏やかに始まる新しい年。それが私達流なのだ。
アメリカで初めて迎えた大晦日。あの日、私は一緒に暮らしていた友人とダウンタウンへ行ったのだ。友人は耳にピアスの穴をあけるのだが、一緒に来ないかとのことだった。私は休暇中で暇だったし、それに空が飛び切り青かったから、一緒に坂道をぐんぐん下って店に行った。ショッピングモールの地下にある安いアクセサリーを売る店で、ピストルみたいな形の穴あけ機で、バチンと凄い大きな音を立てながら穴をあけるのだ。穴あけ代は両耳で5ドルという破格で、売っているピアスは3ドルだった。音こそ凄いがあっという間の出来事だった。
数週間、私は気が滅入っていた。好きで好きで住み始めた街に居るのに、言葉の問題から少し人間恐怖症になっていた。何度言っても通じない自分の英語。繰り返しているうちに話すが嫌になっていた。周囲の人達は静かに私を心配して、さりげなく私を外に誘い出してくれるのだけど、心が晴れなかった。そして、ぐずぐずした気持ちから抜け出せない自分が嫌だった。何かきっかけが必要だった、今の自分を辞めるきっかけ。ピアスはそのきっかけになると思った。私もピアスの穴、あける。そう言ってあっという間に耳に小さなピアスを付けたから、友人は心底驚いたようだ。大丈夫?痛くない?急にどうしたの?
耳は痛かった。炎症して赤く腫れあがったけど、気持ちは清々していた。何だ、こんな簡単なことだったのかと思った。ピアスも、自分の心境を変えることも。翌日、密かに私を心配し応援してくれていたアマンダにピアスを見せて驚かせ、そして今日から新しい自分であることを告げた。いくら努力してもうまく話せなかった英語が、すらすらと口をついて出て、アマンダが私をぎゅっと抱きしめた。良かった。もう大丈夫。後にも先にも最高の大晦日と新年。31年前のことだけれど、今も色褪せず、私に勇気を与えてくれる。私は知っている、自分の気持ち次第で自分の人生は変わるってこと。
あの後、ピアスが合わなくて穴は塞いでしまったけれど、私が得たもうひとつは健在で、手探りしながら前に進んでいく人間になった。まずはやってみること。チャレンジしたことが自信につながる。上手くいかなかったら、あははと笑いとばせばいい。何もしないでぐずぐず言っているよりはずっといい。

さて、大晦日の夕食の準備に入ろうか。特別料理はないけれど、相棒と私が嬉しければそれでいい。さあ、急げ。オーブンに火を入れなければ。
今年も色々あったけど、愉快な気持ちで締めくくることが出来る幸せ。此の気持ちを皆さんと分け合いたいと思う。そして有難う、今年も有難う。世界中の人が豊かな気持ちで一年を締めくくり、喜び溢れる新しい年がありますように。心から。




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落ち着きを取り戻す

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夜中のうちに少し雨が降ったらしい。今朝窓の外を覗いてみたら、地面が黒く光っていた。今日は太陽が出ないらしい。曇り空に霧。実に12月らしい一日。明日の大晦日を前に、どうしてもしておきたいことがあった。休暇前に撮って貰ったレントゲン写真の引き取りを、どうしても今年中にしておきたかった。私には小さな拘りがあって、小さな色々を新しい年に持ち越したくないのである。勿論、時には時間的に無理なことも存在するけれど、出来ることはなるべく先延ばしにしたくない。という訳で、今朝は早起きしてレントゲン写真を引き取りに行った。土曜日で年末。道は案外空いていて、とてもスムースに事が運んだ。受付の人も、建物の前に居た物売りの青年も、一様に機嫌がよく、よい一日をと言葉を交わして。運が良かったのは、相棒が其処まで車で連れて行ってくれたことだ。車なら10分ほどの距離だが、バスを乗り継いで行くなら1時間半程掛る私にとっては不便な場所なのだ。もっとも連れて行って貰っただけで、私を路上に残して相棒は自分の用事を済ませるためにあっという間に去ってしまったけれど。

レントゲン写真を引き取って、歩き慣れぬ界隈を直感で歩き、バスで旧市街へ行くために大通りりの停留所へ向かった。昔相棒の両親が長く住んでいたボローニャ郊外の住宅地。今でこそ住宅地なんて呼ぶけれど、1980年に相棒の両親が其処に家を購入した頃は、野原ばかりの田舎だったそうだ。私が初めて彼らの家を訪れた1993年もまだまだ空き地が多くて、居間の窓から遠くの方まで見渡せることが出来る程、何もなかった。だから子供たちは野原を走り回り、全く長閑なものだった。それが僅か数年でこの街に住宅ブームがやって来て、高級住宅地なんて呼ばれるようになったのだからおかしな話だ。あまりに家が建ち過ぎたのと、売り手市場だったことから舅が家を売ったのが、今となってはよかったのか悪かったのかは分からない。舅は購入した時の倍以上の値段で売れたことを喜んではいたけれど、あの家は便利だったから手放さないほうが良かったのではないかと私も相棒も思っていたのに。

バスに乗って旧市街へ行った。数日前とは様子が違った。人が疎らで、食料品市場界隈でさえも混雑していなかった。やっとボローニャが落ち着きを取り戻したと嬉しく思った。兎に角毎日が休日の私だ。感覚が狂って忘れていたが、今日は土曜日で交通規制がある日だった。だから二本の塔の前から延びる大通りは車両止めで、大腕を振って道の真ん中を歩くことが出来るのだ。先週の土曜日はごった返していたけれど、今日は違う。空いた大通りを元気よく歩いた。まずはカフェへ。久し振りにガンベリーニ菓子店に入った。この店は週末ともなると混みあっていて、中に入ることもままならぬ。が、今日は中に入っておいでよと言わんばかりに空いていて、私は小さな菓子をふたつとカップチーノを注文した。この店の菓子は美味しい。小さなシューの中にカスタードクリームがいっぱい入っているものと、小さなシューをふたつに割った間にたっぷと生クリームを絞り込んだものが私の気に入りで、いつの頃からか此ればかり注文するようになった。だから店の女性がくすりと笑う。このシニョーラはいつも同じ菓子を注文すると思っているに違いない。美味しい菓子を頬張っていたら急に店が混み始めた。私は運が良かったらしい。温かいカップチーノを飲み干して、さっさと店を出た。
もうひとつ立ち寄りたい場所があった。それはMUJI。イタリアではそういう名で親しまれている。無印良品の誕生はよく覚えている。1980年頃だったのではなかろうか。当時はまだ規模が小さくて、シンプルはいいけれど地味で、私は少しも関心がなかった。記憶にあるのはわら半紙色のノートや鉛筆。いつかこの店に関心を持ってはいることになるとは夢にも思っていなかった。ボローニャに店が出来ると知った時も、それほど心が躍らなかったのはそんなことが理由だろうか。それに私はその国や街で手に入るもので生活することに慣れていたのである。日本の食料品ですら購入していなかった。でもそれは手に入らない時代が長かったからだ。無いものは無い。あるもので工夫するのに慣れていたからだ。しかし一旦日本製を手に入れて美味しい生活や便利な生活の味を占めると、後には戻れなくなるものだ。そういう訳で今は日本の食料品も購入すれば、MUJIの良品も購入する。それでMUJIだけど案外混んでいた。地元の人に好まれている店。その理由は分かるような気がする。まさに無印の良品が並んでいる店。小さな生活用品にしても、シンプルなシャツにしても。それに店の人の感じが良い。自分の店でもないけれど、MUJIが皆に好まれていることが何となく嬉しい私である。兎に角、簡単に買い物をして、店員さんと簡単に愉しい会話を交わして、MUJIを後にした。小雨が降っていた。いや、霧雨と呼んだほうが良いかもしれなかった。もう帰ろう。雨に濡れて風邪を引くのだけはごめんだった。それに私は疲れていたのだ、あまりに早起きをしたものだから。

ずっと続いていた好天気にピリオドを打ったかのように冴えない空の一日だった。家に居られる幸せ。温かい家の中に居られる幸せを噛みしめたいと思う。雨が降らなければいいと思う。明日の大晦日の為にマッジョーレ広場は準備に追われていたから。多くの人が新年のお祝いをするために駆け付けるに違いないマッジョーレ広場。作業している人達の苦労やイベントを準備している人達の労が雨で台無しにならなければいいと思う。それに遠くで打ち上げられる花火を愉しみにしているから。空よ、雨だけは勘弁して頂戴。




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平日に歩く幸せ

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金曜日。休暇に入って以来曜日感覚を失っている私は、今日の約束をうっかり忘れるところだった。運が良かったのは約束が午後だったこと。これが午前中だったらば、相手に大変失礼なことになったに違いなく、ああ、良かったと胸を撫で下ろしたものだった。毎日小さな用事や約束があって宜しい。なんだかんだ理由をつけて家を出てはバスに乗り、旧市街に通っている。何しろ天気が良いし、何しろ時間が沢山あるから、歩け、歩けと自分に言い聞かせて歩いている。そもそも私は歩くのが好きだから苦にはならない。但し根が出不精だからうっかりすると家に籠りがちになるから、こうして約束や用事が毎日あるのは私にはとても良いことなのである。

平日の昼間を歩ける幸せ。普段は職場に籠っている時間帯に外の生活を愉しめるのは幸せだと思う。あと3日で今年が終わるのだなあと思いながらポルティコの下を歩いた。世間の人達も休暇らしく、家族や仲間と一緒に街を練り歩く様子を沢山見た。クリスマスを過ぎて店は閑散としていたが、それまでがあまりに忙しかったから、案外喜んでいるのではあるまいか。それに1月早々冬のサルディが始まると再び忙しくなるから、そうだ、きっと暇な数日を堪能しているに違いない。
例年ならば私は冬のサルディを愉しみにしていて、この時期下見などをするのだけれど、この冬に限っては少しもその気がなく、清々したものである。欲しいものが無いと言えば嘘になる。もう数か月も前から欲しいと思っているショートブーツ、だけど決してサルディにならない定番品である。問題外という奴だ。鞄を新調したくないと言えば嘘になる。夏以外の季節は私と共に生活している黒い鞄。10年前に手に入れたものだ。軽くて柔らかくて持ちやすくて気に入りの鞄。時々手入れをして丁寧に使っているけれど、使い込んだ感は否めない。こういう感じの鞄を新調したいなあなんて思っていたが、妙なことになった。というのは昨冬いつもの店で鞄を見ていたところ、いつもの店員が寄ってきて言ったのだ。シニョーラ、この鞄はもう随分と前に製造しなくなった型だけど、手入れが良くて全然古い感じがしませんね、と。いやあ、もう10年酷使しているから流石に痛んでいるのだと鞄のあちこちを見せる私に、店員はこうするといい、ああするといいと様々な手入れ方法を教えてくれて、挙句の果てにはこの鞄を見せてないでくださいよ、なんて言うではないか。それがまるで私の心を見透かしたような言葉で、ぎくりとしたものだった。週末の昼間に鞄の手入れをした。店員が教えてくれた通りに。そうしたら、あらあら、とても綺麗になって、確かに全然古い感じはなくなった。うん、見捨てない、まだまだ私と共に生活する、そう誓ったのだった。そういう訳で鞄を新調したい気持ちもありながら、もう少し先にしようと自分に語り掛けるのだ。
其れよりも、来年は小旅行を沢山する年にしようと思っている。飛行機に乗って、列車に乗って、それとも長距離バスに乗って。今まで先延ばしにしていた街にを訪れるために蓄えておかねば。サルディよりも小旅行。今の私にはそれが必要。

今日は昼に卵サンドを作った。懐かしい食べ物である。細かく刻んだ茹で卵をマヨネーズで和えて、それをしっとりと柔らかい黒パンに挟んで頂いた。それがとても美味しくて、あまりに美味しくて、日本が急に懐かしくなって、涙がぽろり。・・・私は自分が感じている以上に日本が恋しいようである。




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年の瀬

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昨夜遅く、私の願いが届いたのか、満月が姿を現した。風に押される雲の群れに時々隠れてはまた姿を現し、驚くような光を放った。冬は空気が冷たい分月が鮮明に見えるのは知っていたけれど、あの光には驚いた。月の周りが虹色に輝いて、ほら、見て!と興奮する私の声に相棒が駆け付け、そして相棒もまた驚き興奮に満ちた声をあげるのだった。魔法のようだった。他に言いようがなかった。

満月が見えた晩の翌朝は快晴。気持ちよく晴れた空。12月の終わりにこんな晴天は空からの贈り物。悩み事があっても、こんな空を見ていたら気が晴れるというものだ。冬の休暇に入って、曜日感覚がなくなってしまった。だから毎朝毎晩カレンダーを確認する。さもなければ小さな用事や予約を忘れてしまうに違いないから。今朝は髪に手入れに。土曜日にしか行けない髪の手入れに木曜日に行けるなんて。全く特別な気分だった。クリスマスの祝日を終えて2日目にもなると、人々の生活も正常化するらしい。バスにはそれなりに乗客が居て、旧市街もまた昨日より人が多かった。いつも混みあっている私の気に入りのバールは空いていて、立ち寄りたい気持ちをぐっとこらえて前を通り過ぎた。時間がなかった。先を急いでいたのだ。あと5分のうちにヘアサロンに入らなければならないのだから。店に入らずに素通りする時店主とバッチリ目が合った。今日は店が空いているから店主も外を眺める余裕があるらしい。気まずい思いで私は小さく手を振って先を急いだ。急げ、急げ。
髪を綺麗にするのはもともと好きだが、一年の終わりに綺麗にするのは特に好きだ。新しい年を迎えるにあたり日本に居た頃は大掃除をしたものだけど、郷に入れば郷に従え、大掃除は春にするようになった。何故春かと言えば、家中の窓を開けて掃除ができるから大掃除をするのは春が相応しいというイタリア哲学である。確かにそうなのだ。例えば窓を磨くにも、例えば壁を塗り替えるにしても、窓を開けていたほうが良いことが沢山あるから。カーテンを洗うにしても春はよく乾くから、大掃除は春がいい。だからうちでは年の暮れに整理整頓と不要物を廃棄するくらいで、特別な掃除はしないのである。そんな私ではあるけれど、年の暮れに髪を綺麗にする習慣は今も続いている。相棒もまた昨日散髪して髭も綺麗に剃ってすっきりした。身なりが整うと気分もすっきりするのは誰も同じ。昨日は相棒、今日は私がすっきりして、新しい年を迎える準備は万端である。
旧市街はいつもと同じ顔をしている。冬の太陽に照らされながら街の人達がのんびり歩く。10年前に比べれば旅行者が多くなったボローニャではあるけれど、やはり普通の生活をしている人が似合う街なのだ、此の街は。それにしてもあと何年此処に暮らすのだろう、と時々思う。それはだれにも分からない。この私でさえも。

ところで相棒がボルドーの白ワインを手に入れた。ボルドーの白?どうして白なの?と言いながら思い出したのは、昔私がポルトガルで、アレンテージョ地方の白ワインを手に入れたことだった。あの時相棒が訊いたものだ、どうしてアレンテージョの白ワインなのさ。というのもアレンテージョの赤ワインが美味しいことで有名だからだった。果たしてあの白ワインは飛び切り美味しくて、相棒も私も脱帽だった。あはは、私はあの日の相棒と同じことを言っていると思いながら、いい予感がした。これはきっといいワイン。今夜栓を抜くという話だけれど、本当でしょうね。




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冬空

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ここ数日の晴天が如何に有り難いものだったかを実感した朝。今日は太陽を望むことが出来ないだろうと思われる、憂鬱な空。恐らくこれが本来の冬の姿で、今までが運が良かったのだと思う。その証拠にこの憂鬱な空に不平不満を漏らす人は居ない。晴天を愛する私ですら、仕方がないなんて思うほど、これが典型的なボローニャの冬空なのだ。こんな日は外に出るのがいい。それに私には行きたい場所があって、今日を愉しみにしていたのである。そういう訳で休暇中だけどそれなりに早く起きて、朝食をとり、家の中を整頓して家を出た。驚くほど車も歩行者もなく、奇妙な気がした。今日は平日の筈だけど、と。向こうから来た旧市街へと向かうバスも埋まっている座席はまばらだった。

何時もなら旧市街に入るなり下車して街の中心までポルティコの下を長々と歩くが、今日は街の中心の少し先までバスに乗った。私の手には小さな紙袋。今日の用事のひとつだった。2020年の2月だったと思う。サルディで手に入れたセーターの袖が妙に長くて気に食わなくて、購入した店の人に相談したら、店が丈詰めなどに出している仕立て屋さんを紹介してくれた。此処に持っていけば確実、店の人のその言葉を信じて持ち込んだところ、本当に素晴らしい仕上がりだった。ボローニャ旧市街の多くのブランド店が此処に仕事を送り込んでいるそうで、その点では仕事のクオリティが保証されていると理解したが、それより私が気に入ったのは、見立てが良いことだった。店の人のセンスがいいのは一目でわかる。彼女はかなり拘り派で、その昔モーダの世界に属していた人に違いなく、彼女に相談したら何でもいい感じに仕上がるのだ。そんなよい店を知っているくせに、2,3年他の店に通っていたのは値段。ここはプロの腕前なだけあって他より少し高めだから。それで今回この店に戻ってきたのは、この店の腕を信用してのことである。気に入りのパンツ2着。冬に活躍するとても感じの良いパンツなのだが、サイズが合わなくなった。あっさり諦めるかどうか迷ったが、いいや、そう簡単には諦められないと、店に持ち込んで相談してみようと思ったのである。いつもこの店は待ち客が幾人も居るが、今日の私は運が良かった。おかげでゆっくり相談して、直して貰えることになった。有り難い。新しく買えばよいと人は言うかもしれないけれど、気に入るものを手に入れるのは案外難しいことだから、直せるものは直しながら着る。それが私流。仕上がりは1月。冬の休暇明けとのことである。上等上等。それにしても彼女は3年振りに来店した私を覚えていた。日本人客は来ないのだろうか。それとも細かい注文を付ける日本人客はあまり居ないのかもしれない。
店を後にして向かったのは市立考古学博物館。先日相棒から貰った小さな贈り物、カード・クルトゥーラを提示すると無料で入館できる場所のひとつである。この夏、ヴィエンナでエジプトの展示品を見て以来、私はエジプトに夢中なのだ。市立考古学博物館にはエジプトの展示品があると聞き、是非今年中に見に行きたいと願っていたのである。博物館は空いていた。これで良い。私は混んだ美術館、博物館が苦手なのだ。地下にエジプトの展示があると聞いて階段を降りると、あった、あった。ヴィエンナとは比較にならないけれど、なかなかの量で2時間かかった。世の中の沢山の人がエジプトの歴史に夢中になるのが分かる。もう一度来ようと思いながらエジプトの部屋を出た。上階の方にエトルリア文明の展示があると聞き、上に行ったら開いた口が塞がらなかった。あ、此れは凄い。これは真剣に見ようと思ったら4、5時間かかる内容で、既に2時間を階下で費やした私は急に疲れを感じて腰を下ろした。館員の女性が怪訝な顔をして見ていたから、これほど多くの展示品があるとは思っていなかったこと、別の日に出直そうかと思っていることを話したら、彼女はあははと笑った。
また来るからと彼女に言って、博物館を後にした。こんなにすごい博物館がボローニャにあったなんて。灯台元暮らしという言葉がぴったりだった。この博物館に数回通うことになるだろう。時間を見つけて2時間づつ。相棒からの小さな贈り物カード・クルトゥーラは、実は大きな贈り物だった。
ところでエジプトの展示品を見ていた時、小さな男の子にお父さんが小声で説明しているのを耳にした。それはなかなか面白い話で、男の子は目をきらきらさせながら展示品に見入っていた。こんな風にして子供は興味を持ち始めるのだろう。例えば私の父が本の面白さを教えてくれたように。小さなきっかけ。これはとても大切。

典型的な冬空はいいけれど、今夜の満月に関しては困ったものだ。もう数日前から楽しみにしていたのに。あの分厚い雲の向こうにいるに違いない満月に声を掛けてみようか。おーい、美しい顔を見せ頂戴。




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