夜風、なんて良い響き。

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今日も暑い。道を歩く人は少なく、皆、きっちり日除け戸を下ろしている。暑さから逃げる為に海か山へ出掛けているのかもしれないが、息を潜めて家の中でじっとしているのかもしれない。ボローニャに暮らし始めたころ、7月になるなり何処もが日除け戸を下ろしているのを見て、ほら、みんな何処かへ出掛けている、と言う私に相棒が横に首を振って言ったものだ。違う違う、みんな家の中にいるのさ。夕方になったらあの日除け戸が開くから待っていてごらん。実際18時半を回る頃になると、そろそろと日除け戸が開けられて窓が大きく開かれるのだ。そういうことを不思議に思ったものだったが、そんなこともごく普通のことになってしまった。だから最近知人に私がしたと同じ質問をされて、はっとした。ううん、違うんです、みんな家の中で涼しくなるのを待っているんです、と答えながら、そうだ、私もそんなことを思ったことがあった、と懐かしく思い、小さな思い出し笑いがこみ上げた。

昨夕、長い昼寝から目を覚まして夕食の準備をしていたら、携帯電話にメッセージが入った。送信者は私の若い友達のGiò. 私たちは金曜日の晩に会う約束をしていたがあまりに暑いので約束を延期させたのだ。暫く続くこの暑さだ。いったい何時会えるだろう。何しろ彼女は妊婦で、この暑さが体に大変堪えているようだから。私はそんな風に思っていたのだが、彼女は案外私が考えているよりも強いらしく、ねえ、今晩会わない? とのことだった。この暑さにも負けず彼女が外に出ようと言うのだ。私が暑いからちょっと・・・などと言うのは弱虫過ぎると言うものだ。私は一瞬ためらったものの、うん、勿論よ、とメッセージを送り返した。22時半を過ぎた頃、私と相棒は彼女に会いに出掛けた。大きなお腹を抱えるようにして彼女は夜風の中に立っていた。横には彼女の恋人。そして足元には大好きな犬君。もうすぐ4人家族になると言う彼女の言葉から、犬は家族の一員で、生まれてくる男の子のお兄さんに当たる存在らしかった。私たちはいつものカフェの、一番風通しの良い場所に座った。冷たい飲み物をひとつづつ。でも誰もワインを注文しない。一寸たりとも体温を上げたくない、と言わんばかりに。其のうち彼女の母親の休暇の話になった。日曜日の朝に出発とのことだった。彼女の両親はシチリア島の西の町の出身で、若い頃にボローニャに移り住んで来たと言う。だから母親は夏になると美しい地元の海を求めて故郷に帰るのだそうだ。しかし父親はボローニャに残る。父親のほうは故郷にあまり愛着も執着も無いらしい。妻が留守の間に自由気ままな生活をする、これが彼の休暇と言うことだ。イタリアでは良く聞くタイプの話である。さて、母親はいったい何時帰ってくるのかと訊ねると、分からないと言う。航空券は片道しかとっていないからだった。あらあらと驚く私にGiòと恋人はいつものことだからと全く平然としたものだった。私はまだ会ったことの無い彼女の母親に妙な好感と親しみを覚えて、何時まで笑いがとまらなかった。あなた、どうしたの? ううん、なんでもないのよ。私たちはそんな会話を幾度も繰り返しながら。それにしても素敵な夜風で、昼間のうちにすっかり火照った肌という肌が、冷えて気持ちが良かった。夜風。なんて良い響き。今夜は良く眠れそう、と言いながら挨拶のキスを交わして別れた。

確かに夜風が気持ちが良くてよく眠れたけれど、朝起きたら驚くような暑さが待っていた。今日のボローニャは40度。でも。最寄のバス停の近くの陽当りの良いデジタル温度計は45度。それは本当か嘘かはどうでも良い。暑くてとけてしまいそうだ。


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昨日から酷い暑さだ。金曜日の夕方、バスの中から見た街角のデジタル温度計が39度を掲げているのをみて、乗客の口々から漏れた深い溜息。バスの中は冷房が掛かっているが全く効きが悪く、皆息を止めてじっと我慢しているところに見てしまった39度に、もう我慢ができない、と、ついそんな溜息が漏れてしまったのだ。窓を開けても良いかと乗客の一人が運転手に訊けば、冷房が掛かっているから駄目だという。そんなことをしたら効きが悪くなるじゃないか、と。こんな不快な暑さな日は、すぐに口をつぐむのが良い。此処で乗客が、しかし全然効いていないじゃないかと言い返せば、あっという間に火がついて大喧嘩になりかねないからだ。賢い乗客は口を閉じて座席に戻り、他の乗客たちはもうひとつ深い溜息をついた。家に着くなり窓という窓を大きく開けた。この家は驚くほど風通しが良い。どんなに暑い日でも、家の中を風がひゅーっと吹き抜けて、全く涼しくて快適なのだ。ところがである。風が吹き抜けない。外で風が吹いていないからだった。此れには参った。風通しが良いばかりでなく陽当たりも抜群によいこの家だ。昼間の間に温まった空気がたちこめて、暑い暑い。ああでもない、こうでもない、とやっているうちに、一週間の疲れが吹き出したのか、ベッドに横になってみたらそのまま眠ってしまった。

目を覚ましたら朝だった。寝苦しかったとは言え睡眠時間だけは充分とった土曜日の朝は元気。まだ早い時間だったが、朝食をとり身支度をして家を出た。今日も暑くなる予報だったからだ。暑くなる前に家を出て旧市街を散策しようと思ったのだ。よく人に訊かれる。散策の何がそんなに楽しいのかと。此れを説明するのは実に簡単。単に好きなのだ。それから歩いていると色んなことを考えて、色んな新しい考えが沸き起こる。いつもの道なのに何年も暮らす町なのに、発見することは幾つもある。でも、此れを理解して貰うのは安易ではないようだ。大抵人は首をかしげて、宇宙人を見るような目で私を眺める。さて、まだ9時にもなっていない土曜日の朝の旧市街は歩く人も少なかった。それとも人々は既に休暇に出掛けたのかもしれない。どちらにしても人の少ない、まだ多くの店のシャッターが下ろされている時間にボローニャ旧市街を歩くのはとても素敵だ。少数の人達と街を貸切、みたいな気分。通りすぎる知らない人達と朝の挨拶を交わしながら歩くのはなんて気持ちが良いのだろう。人も車も少ないと、色んな音が聞こえてくる。其のひとつが鳥のさえずりで、其のひとつが自分の靴音だった。ポルティコのしたに響き渡る、カツン、カツンと靴の踵の音。それはちょっとした音楽のようで楽しかった。いつもなら素通りしてしまうような古い建物の入り口や窓。私は小さなそれらの前で足を止めて観察しながら店が開くであろう10時までの時間を過ごした。10時になり店が開き始めると、それを待っていたかのように通行人が増えた。私はそれに追いかけられるように角のカフェに飛び込むと、冷たいレモンジュースを注文して喉を潤した。さて、今日は此れでお仕舞い。気温が上がる前に家に戻るのが得策だ。夏のサルディの買い物を楽しむ人達を横目に、広場から出発するバスに乗り込んだ。うん、これは良い。来週もまたこんな風に朝の散策を楽しむことにしよう。勿論早起きが出来たらのことだけど。


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水撒きの男

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降りそうで降らなかった雨。遠くのほうで雷が幾度も鳴って、あれほど空が黒かったのに、風があれほど吹いていたのに、いつの間にか空が晴れてしまった。其の後はどうしようもない暑さだけが残った。思えば7月も残り一週間だから、この暑さは別に不思議ではなかった。しかし連日37度にも上がると、ああ、そうですかでは済ませなくなってくると言うものだ。近頃、相棒と私の間でこんな会話が交わされている。ねえ、今晩は何にする? つまりこの暑い日の夕食に君はいったいどんなものを食べたい気分なのか、という質問。なるべく火を使わずに、美味しくて栄養になるものを。そうねえ、と毎日同じような会話をする。水牛の乳で作った新鮮なモッツァレッラに小さな真っ赤な太陽の味のするトマト、それから野菜を茹でたものや薄く薄ーくスライスした生ハムも良い。しかも空が明るいうちは夕食をしない。何時のころからか夏の夕食はそんな風になった。

一昨日の晩に美しい満月を見た。月明かりとは美しいものだ、と久しぶりに感動した。私がテラスからそんな月を眺めていたら隣の建物の庭を長い水撒きホースを持って歩く者を見た。それは隣の建物に暮らす男性で、いつも彼が庭に水を撒いている。別に管理人ではない。多分彼は水撒きが好きなのだ。恰幅の良い彼は私と仲の良い猫の飼い主で、猫もまた恰幅が良い。ただ猫のほうは水撒きなどする筈も無く、いつも出入り口に寝転がっているだけだ。と、彼は口笛を吹き始めた。イパネマの娘。私が知っているのはフランク・シナトラの歌だけど、もとをただせば60年代初期のボサノヴァで、とても有名な曲である。それが実に上手くてリズミカルで美しい月夜にぴったりで、私は耳を澄ましながらテラスで踊りだしてしまいたいくらいだった。そんな彼をテラスで待つ人がいた。彼の妻で黒い豊かな長い髪を持つイタリア女性。彼らはいったい幾つぐらいで何年夫婦をしているのか知らないが、とても仲がよい。暑い季節が始まるなり毎晩食事をテラスで楽しむようになった。テラスに小さな白いテーブルをだして、向かいあって食事をする。日没を待っての食事。どうやら彼らもまた空が明るいうちは夕食はしない派らしかった。さて其の妻だけど、軽快なボサノヴァを奏でながら水を撒く夫をテラスで待っていた。白いテーブルにはワイングラスが並んでいて、真ん中には蝋燭が置かれていて灯が揺らめいていた。どうやら夕食の用意がすっかり整っているらしい。夫のほうは軽快に水を撒きながら偶然視界に入ったらしい私にひょいと手を掲げて挨拶をした。こんばんは。こんばんは、今日も暑いね。再びボサノヴァを奏でながら水を撒く彼に私が言う。奥さん、テラスで待っているから、水撒きはその辺にして家に戻ったら? するとテラスでそれを聞いていた妻が、あら、みたいな様子を見せて、夫のほうはといえば、おお、水撒きはまた後にしようか、などと言って口笛を吹きながら家に帰っていった。そしてふたりがテラスに揃うと私に向かってワイングラスを掲げた。乾杯、とでも言うように。それで私もグラスを持つ振りをして彼らに向かってひょいと手を持ち上げた。乾杯。満月の晩に乾杯。満月の晩は全てが美しく、愉しく見える。

其の月も今夜は少し欠けていて、消えてしまいそうな弱い光を放っている。それもまた美しい。


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兎を赤ワインでじっくり煮込んで

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あなたの日焼けした肌に白いレースのブラウスが良く似合う。昨晩、食事を共にした女友達にそう言われた。有難う、でも別に日焼けしたかったわけではなく、歩いているうちにこんな風に日焼けするのよ、と説明する私に彼女はそれでもいいじゃないかと言う。そうね、と思いながらも、そうかしらと首をひねる。この夏帰省した際に、家族から窘められるに違いないのだ。そんなに日焼けして、と。昼食後、相棒と共に近所のバールに立ち寄ったら店続きのタバコ屋のカウンターの向こう側にステーファノが立っていた。先日のテラスでの夕食会の礼を述べる私にステーファノが言う。先日は楽しかったね。お母さんも友達も僕も、君の食べっぷりが気に入ったよ。横にいた相棒が声を殺して笑いながら、私を指差して言う。彼女は美味しいものに目が無いんだ。控えめな日本女性である筈の私としては、それを褒め言葉として受け止めてよいものかどうか大いに迷うところだが、とりあえず有難うと言っておいた。するとステーファノは続けて言う。そんな君のために、次回は黒いポレンタに兎を赤ワインでじっくり煮込んだものを添えて、特別な赤ワインの栓を抜くことにしよう。あるんだよ、特別なワインが地下倉庫に。相棒と私は目を丸くして、其の素敵な提案を受けることにした。ああ、楽しみ。それはいったい何週間後のプランなのかしら、などと思いながら。

兎を赤ワインでじっくり煮込んだものを初めて頂いたのは、ボローニャに暮らし始めて3年目の夏のことだ。私は友人のふたりの子供のベイビーシッターを時々頼まれては、ある日は友人の家に、ある日は彼女の両親の家に出掛けていった。彼女の両親の家と言うのは旧市街の端っこにある花屋さんで、花屋の上に住まいを構えていた。そして表の通りからは想像できぬほどの広い庭が其の奥に広がっていて、私はふたりの子供たちと庭で遊びながら過ごすのが常だった。僅か3時間。でも3時間子供たちと走り回るのは案外大変だった。特に夏は。時々彼女の母親がベイビーシッターを終えた私を家族の昼食に誘ってくれた。私だけが赤の他人。でも家族の一員のように迎えてくれたのがありがたかった。よく煮込んだ柔らかそうな肉が皿にのせられて出てきた。フォークでつつくとほろりと崩れるほどの柔らかさで、口に含むとほんのり甘くてしっかりした味の美味しい肉で感激した。勧められるままにおかわりして、こんなに美味しい肉は初めてだと褒めると、兎は赤ワインでよく煮込むととても美味しいのだ、と彼女の母親が言って喜んだ。兎だったのか。とショックを受ける私を横目で見る友人は、涙を流しながら大笑いした。お母さん、彼女にとって兎はね、バックスバーニーでありピーターラビットであり、決して食べる対象ではないのよ。彼女はそう言って更にに大笑いするのだった。そんな可愛い兎を食べてショックを受けたのは、もう過去のことだ。あの日から私は兎が大好物になり、レストランのメニューに兎と書かれているならば、やっぱり兎でしょう、と注文するようになったのだ。友人がそんな今の私を知ったらば、また大笑いするに違いない。ねえあなた、本当に日本人なの? 

思うに私は様々な人と接触しながらボローニャの生活をしてきたようだ。それは私の幸運のひとつに違いない。新しい家に落ち着いたこの頃、心が穏やかなせいなのか、私はそんな小さなひとつひとつを思い出しては感謝するのだ。


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哲学、みたいなもの

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陽射しは強いし気温も高いが、気持ちの良い風が吹き渡る土曜日。首元を涼しい風が通り抜けるたびに私はほっと小さな溜息をついた。一体何時から暑さに弱くなったのだろう。子供の頃は夏が大好きで、人々が昼寝をしている暑い盛りに家をこっそり抜け出して原っぱを走り回っていたのに。十代後半になっても夏が大好きだった。暑ければ暑いほど好きだった。雨が降って一瞬気温が下がったりすると、夏の一瞬を無駄にしてしまったようにすら思えたのに。あれから随分年月が経ち、そんな夏の暑さが苦手になった。と言っても、冬が苦手なのは子供の頃からかわりが無い。単に体力が低下したと言うことだろう。そんなことを考えながら近所のクリーニング屋さんへ行ったら、驚くほどの猛暑が待っていた。今日は特別暑いわねえ、と言いながら店の奥から女主人が出てきた。違う違う、特別暑いのはこの店の中なのよ、と答える私に、彼女は大笑いした。ああ、そういえば今日はそこの窓を開けるのを忘れていたわ、と言いながら。私は早々に用事を済ませて店から脱出した。3分も居なかったのに大汗をかいてしまった。ああ、びっくりしたと言いながら私は丁度やって来たバスに乗って旧市街へ向かった。

いつもはバスや車が走る大通りも週末は通行止め。人間が大腕をふって歩ける日だ。犬を連れた若者たちや子供をつれた夫婦者、旅行者、買い物を楽しむ人達が満ち一杯に広がって歩いていた。と、すれ違った人が足を止めて私の名を呼んだ。振り返ってみると知人で、小さなふたりの男の子を両手につないで立っていた。まあ、久しぶり。と言いながら一体どのくらい久しぶりなのだろうかと考えた。上の男の子が生まれて以来である。訊けばもう5歳だそうだ。そんな実感は無かったのに、どうやら5年もの年月が経っていたらしく、年月が経つ早さを痛感した。確実に歳を取っているはずなのに、私に其の実感はあまり無いのは子供が居ないからかもしれない。知人は子供の成長を見ながら年月が過ぎていくことを実感するのかもしれない。知人と挨拶を交わして再び歩き始めながら私はそんなことを思った。そういえば、私の中は昔からちっとも変わっていない。拘束されない生活を求めて、自由な発想の受け入れを求めてアメリカへと飛び出したあの頃と少しも変わっていない。それを私は嬉しく思う。私の中の大切な部分。お金で買うことの出来ない私の大切な哲学、みたいなもの。歩きながらもうひとつ思い出した。あと2週間で夏の休暇になると思っていたら、まだ3週間も先だったこと。昨日仕事仲間に諭されて、酷くショックを受けたら笑われた。2週間後に休暇に入るのは僕。君にはまだ3週間あるじゃないか、と。そうだったのか。がっかりだが仕方が無い。もう少し頑張ることにしよう。

それにしても街の景気の良いこと。不景気で定価でものを買わなくなった市民が、夏のサルディを待っていましたと言わんばかりに買い物をしている。そんな人々もあと少しすれば街を脱出して、旧市街は昨夏のようなもぬけの殻になるのだろう。それも良い。それが実にボローニャの夏らしいと言うものだ。そう、あと3週間。そうしたら私もボローニャから脱出だ。


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