土曜日のルンルン

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9月最後の土曜日。そして今日は9月最後の一日。ボローニャはこのところ天気が良く、朝晩の冷え込みはさておいて、昼間は結構気温が上がる。今日は髪の手入れをしに行く日。だからもう少し眠っていたい気持ちを乗り越えて、土曜日にしては早めに起きた。カッフェを淹れながらテラスに続く大窓を開けると、冷たい空気が流れ込んだ。金木犀の木に小さな青い蕾を幾つも見つけた。案外明日辺りに咲くのかもしれないと思ったら、どうしようもなく心が躍った。あの鼻先をくすぐるようないい匂い。もうすぐかと思ったら心が躍るのも当然だった。

大通りに出たところで旧市街へ向かうバスが見えたので走ったが、間に合わなかった。ああ、行っちゃった、とがっかりしながら歩いていたら、その様子を見ていた見知らぬ老女が言った。あなたは朝からどうしてそんなに急いでいるの? もっとのんびりいかなくてはね。彼女の言葉に私がはっとしたのには理由がある。近頃自分でも同じようなことを思っていたからだ。全く貴女の言う通りだわ。と言って笑みを返すと、彼女は満足したようで、通り過ぎた私の背に大きな明るい声で投げかけた。良い一日になるようにと。
旧市街に入ったところでバスを降りて歩いた。最近運動不足だから、そんな工夫をしているのだ。大きな菓子店を通り過ぎ、横断歩道を渡って新聞スタンドを超えたポルティコの下で見覚えのある姿を発見。夏季休暇中にバスの停留所で二度居合わせた、目の不自由な男性だった。彼はなかなか活動的で、白い杖を頼りに独りで何処にでも行くタイプらしい。そういう彼に元気を分けて貰っているのだが、今日の彼はどうやら困っているようだったので声を掛けた。ああ、シニョーラ。彼は私の声を覚えているようだった。彼に声の記憶力に脱帽だった。こんなところで何しているのかと彼は訊くので、あなたこそこんなところでどうしたのかと訊けば、道に迷ったとのことだった。ああ、その場所は知っている。と、私は彼の腕をとって歩き出した。かなりいい線まで来ているけれど、確かに簡単ではない場所だから。歩きながら少し話をした。あなたは活動的で感心しているという私の言葉に彼は気をよくしたようだった。そうして目的地にたどり着き、立ち去る私の背に彼が大きな言葉を投げかけた。良い一日になるようにと。今朝二度目のこの言葉に、良い一日になることを確信した。しかし、そんなことをしていたものだから、予約の11時に少し遅れてしまった。あーあ。昔は約束時間を守るのが得意な私だったが、ボローニャに暮らすようになってから約束時間にあまり宜しくない。
ところで私が通う髪の手入れの店はなかなか良い雰囲気である。特に髪を洗う洗面台が並ぶ明るい場所が気に入っていて、テラスに絡むジャスミンの蔓の間から青い空が見えるのが特に良い。勝手に癒しの空間と名付けているが、どれほどの人がこの空間に安らぎを与えて貰っていることだろう。こんな空間を自分の家にもと思うけれど。何時かそんな風にしたいと思うけれど。
髪を綺麗にして爽快。ここ数日のもやもやした気持ちが一掃されて感謝。店を出て、いつも長い列のある手打ちパスタを食べさせる店に、列に並ばずに入った。菓子を買いたかったのだ。店の人に勧めて貰ったベリー入りチョコレートムースの菓子。時々この店の菓子が食べたくなる。でもこうした菓子を食べたいと思うようになったのは夏が終わった証拠。秋が始まった証拠。
ルンルンして店を出た。昔、ルンルンを買っておうちに帰ろうとか言う題名の本があったと思うけど、あの本のルンルンは何なのだろう。私はついに読むことがなかった本の題名を思い浮かべながら、私のルンルンは美味しいチョコレート菓子なのだと思う。この菓子と美味しい赤ワインがあれば週末は安泰。私は単純な人間なのだ。

夜になり開けていたテラスに続く窓を閉めて、雨戸を半分下ろした。夕食をとって寛いだ頃、奇妙な物音が。何だろうと家の中を見て回ったが、特に変わった様子はない。そして猫の姿がない。もしやと思って窓を開けたら、猫が勢いよく飛び込んできた。どうやら猫を外に置き去りにしてしまったらしい。それも3時間近く。すっかり冷たくなった猫を抱きしめ、ごめんごめんと詫びてみたが、うーん、飼い主不信を拭い取ることは暫くできないに違いない。




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月の美しい夜に

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今夜は満月。それに相応しい素晴らしい天気。空が晴れて空気が澄んで冷たい分だけ月がシャープに見える。こういう晩、必要だった。美しい月は心の栄養。そしてスピリットの栄養る。それに金曜日でもあるから、たとえツマラナイことがあって気持ちがダウンしていても、笑みのひとつも零れるというものだ。9月も明日で終わり。満月のおかげで全てが何となく綺麗に終わる、そんな風に感じるのは、単なる気のせいだろうか。

旧市街の、昔よく通った界隈に久し振りに足を運んだのは、写真展のためだ。冬頃、ヴェネツィアで開かれていた写真展。行きたいと思いながらチャンスを逃してしまった。ああ、私はいつもこんな風なのだと落胆していたところ、その写真展がボローニャに来ることを知った。開催期間は割と長い。しかし、そのうち、そのうち、と先延ばしにする悪い癖がある私だ。列車に乗ることもなく望んでいた写真を鑑賞することが出来るのだ。この機会を逃す手はない、と此のところ腰が重くて我ながら辟易している自分の背を押して写真展に行った。週に4日しか開いていない写真展。とても興味深く鑑賞した。上手いとかなんとか、技術的にどうとか、私はそういうことにはあまり関心がなく、写真を撮った人の目、どんなことに関心を持ったのか、それを感じられて興味深かった。莫大な数の写真ではなかったからあっという間に見終えたけれど、一回りして、もう一回りして、結局三度見て回った。そういう人は多く居た。それだけ面白い作品だったといえよう。良いものを見るのは自分の目や感性を磨く。写真や絵ばかりでない。美しい食器や絹のスカーフに描かれた絵柄、それから丁寧に縫われた美しいラインのジャケットだって。私達の周りには探そうと思えば無限にそうした美しいものが存在する。ただ、それに気が付くかどうかなのだと思う。私はそうしたことに鈍感になりたくないと思って生きてきたように、これからもずっとそうでありたいと願っている。

今夜はあまりに月が美しく、そして冷えるので、久し振りに赤ワインの栓を抜いた。5年物のちょっといいワインで、相棒がなかなか栓を抜くことに同意してくれなかった奴である。でも、月が綺麗だからと言うと、ああ、本当だ、月が綺麗だ、と言いながら相棒は拍子抜けするほど簡単に栓を抜いた。注がれたワインの深い赤。夏場は赤ワインから離れていた。深い味わいの赤ワインに舌から喉から胃袋に至るまでが、歓喜を上げているようだった。赤ワインを頂いて夏の終わりと秋の始まりを感じると言ったら相棒は笑ったけれど、満更でもなさそうだった。価値観が違うだの性格が異なるだのと言いながら、相棒と私の根底にあるものは共通しているのかもしれない。そんな風に思った満月の晩。




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茗荷家族

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今日は早く家に着き、おかげでまだ薄明るい夕方の空を眺めながらテラスの植物に水を与えることが出来た。まだ明るい空に黄色い月。そんな様子を眺められるのは幸せ。もうショートパンツは寒すぎてと思っていたけれど、いいや、まだまだいけそうだ。来週くらいまで好天気が続くそうだから、夏の終わりと秋の始まりの微妙な雰囲気を堪能したいと思ってる。仕事帰りのバスの停留所で、もう何年も帰りのバスが一緒になる女性と言葉を交わした。互いの名前も知らなければ、何処で働いているのかも知らない。私達はただ、毎夕職場の最寄りの停留所で顔を合わせるだけなのだ。でも、それも何年も続けばちょっとした言葉を交わすようになるもの。彼女は私より若くて、色白の、ぽわんとした柔らかい印象の可愛い女性だ。何時も何となく恥ずかしそう。控えめで口数も少なそうな彼女は、見た感じ私と正反対の性格であるが、私は知っている、彼女は両耳に合計5つのピアスをしていることを。31年前、アメリカでピアスの穴をあけたは良いが合わなくて、散々炎症して痛い目にあった後穴をふさいでしまった私からすると、相当な強者に見える。何時だか彼女のピアスを眺めていたら、うふふと彼女は照れて見せたけど、案外音楽が聴こえると激しいダンスなどするのかもしれない。そんなことを想像しては笑ってしまう私を、妙な外国人と彼女は思っているかもしれない。

茗荷の鉢がテラスに加わったのは一昨年の12月のことだ。とても感じの良い親切な女性が、私に茗荷の根っこを分けてくれたからだ。一年目は収穫が期待できないと言われていたが、8月の終わりに収穫を得ることが出来たのは運が良かった。今年も8月の終わりにと期待していたが収穫ゼロで途方に暮れていたところ、先週末から茗荷の蕾が目白押し。土の中で成長していたらしい。指先で土をほじくってみたら、あまりに沢山蕾があるので驚いた。週末は7つ収穫して甘酢漬けを作った。手間はかかるが、根が単純の私はこういうことに喜びや幸せを感じるのである。それから毎日収穫が続き、周囲の人に振舞うまでになった。恐らく今年は豊作で、保存用の甘酢漬けを幾瓶も作ることが出来るだろう。茗荷の匂いは日本の家族を思い出せる。子供の頃は嫌いだった此の匂いは、成長するにしたがって良い匂いに替わった。父と母は茗荷が大好きだった。日当たりの悪い裏玄関の前で育てていたくらいである。姉も私も両親につられて好きになった。家族4人揃っての夕食はもう遠い昔のことになってしまった。そもそも私自身が家を飛び出してこんな遠くまで来てしまったし、父も18年前に他界したから、4人揃っての夕食はもう叶わないのだ。でも、思い出がある。私はそれを大切にするのだ。

空はあっという間に暗くなる。窓の外から月が私を見つめていた。元気にしている? そう訊かれているような気がして、うんうんと頷いてみせる。なんだかんだ言いながら、私は幸せなのだ。それに気がつけたことを嬉しく思っている。




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シンプルで美しい

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昨夜の雨はなかなか止まなかった。夜中に雨音で一度目が覚めて、ああ、まだ降っていると思った記憶が残っている。あの雨で随分と気温が下がった。今朝9時の気温は14度。9時でこれだから明け方はもっと低かったに違いない。初秋、そう呼んでもおかしくない冷え込みだった。湿気た空気。だけど澄んで清い感じがした。山を思い出させた。私と相棒は週末ともなれば何時も山を目指したから。山にいる友人達に会いに。そしてこんな空気の中を歩いたり、食事をしたものだった。雨が降った3日後くらいにキノコが見つかりやすいと言っていた。友人の栗林を歩いてポルチーノ茸を見つけては、大騒ぎしたものだった。週末に山に行く生活を14年ほど続け、行かない生活が14年経った。こうした交友関係の変化を以前は寂しいと思ったけれど、環境の変化で人間関係が変わるのは案外普通のことなのだと理解できるようになるまで時間が掛った。残念じゃないと言えば嘘になる。ただ、それぞれの異なる人生や生活があるというだけのことだ。またいつか縁があれば昔のように山に通う日が来るかもしれない。自然の流れに乗っていけばよいことにようやく気付いたこの頃。流されるのではなくて、自分が流れに乗って、自分に丁度良いところにいくのだ。

旧市街に美しいショーウィンドウを持つ店がある。ミニマムをモットーにするブランドの店で、自分が決して購入しないだろうと知っているのに、前を通ると足を止めたくなる店。磨かれたガラスの向こうにシンプルに美しく飾るのが得意なこの店の前で足を止める人は多い。女性ばかりでなく男性までも。女性物しか置いていないのに、である。何か良い印象の店だからかもしれない。この店の服は上背のある女性が似合いそうである。現に店の中にいる客や、店に吸い込まれていく人は割と背丈のある女性。小柄な私がどんなに頑張っても手に入れられないもの、それは身長で、次に生まれた時は背の高い女性になりたいなどと冗談めいて話すことがあるけれど、実は少しも冗談などではないのだ。兎に角、この店に入ることは恐らく、無い。私はいつもショーウィンドウの観客なのだ。この店の美しさは床も加担している。美しい大理石で、いつも惚れ惚れしながら眺めている。この店が出来たのは数年前のことで、その前はボローニャのブランドの鞄店で、その前はジーンズブランドの店だった。いや、その間に他の店があったかもしれないけれど、広くて立地条件も良いのになぜか長く続かない。今のこの店も客が沢山入っている様子はないけれど、私達の目を愉しませるために、細く長く存在して欲しいと思うのだ。ああ、この店を贔屓にしている女性を知っている。私より少し年下の、シンプルな装いが好きなショートカットの、ハスキーボイスのイタリア人女性。彼女は何時もシンプルで美しいのだ。この店はいいわよと私に言っていたことがある。何しろシンプルで主張がないのがいいのよ、と言っていた。奇抜なのは自分だけで充分、とも言っていた。成程、彼女の個性と身につけるものが喧嘩しないように、シンプルな装いを好んでいるのだなと思ったら、思わず笑いが零れたものだった。来週末には夏物をすっかり片付けて、これからの季節の準備をしようと思っている。秋、シンプルでスタンダードな装いが似合う季節。私の好きな季節が目の前までやって来た。

今夜の月は美しい。金曜日の満月に向けて膨らんでいく月。最近月を見なかったのは自分に余裕がなかったからかもしれない。これから金曜日まで雨が降らないことを祈ろう。仕事帰りに月を眺めながら歩けるように。




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日差しが強い

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土曜日。昨夕立ち寄った花市にもう一度行きたくて、早起きできるようにと目覚まし時計を掛けていたが寝過ごしてしまった。どのようにして目覚まし音を止めたのかは記憶にない。それ程眠かったのだ、必要な睡眠だったのだ。猫は待ちくたびれたのだろう、床に転がっていたが、私がベッドから抜け出すと飛び起きて、朝食の催促をした。まずは猫の朝食。そして自分の朝食の準備。空が青い。雨が降るなんて囁かれていた土曜日だけど、こんな素晴らしい晴天になった。花市の出店者たちは喜んでいるに違いない。代り映えのない簡単な朝食だけど、それを美味しいと思えるのは健康の証拠。先週は口の中を酷く火傷して、思うように食事が出来なかった。暑いものを避けて、固いものを避けて、刺激物を避けて。食べたいものを気軽に口に放り込めるのは喜び、そして幸せ。そんなことを嚙みしめる毎日である。

日差しが強い。太陽の下を歩くと汗ばむものの、日陰に入ると驚くほど涼しい。だからジャケットが必要なのだ、たとえこんな快晴であっても。バスに乗って旧市街へ行った。目指すは七つの教会群広場。昨夕は空いていた花市も、今朝は予想通りの賑やかかさ。購入した大きな植物を抱きかかえて歩く男性も居れば、ハーブの小さな鉢が幾つも入った袋を両手に提げて歩く女性もいる。犬たちは並べられた鉢に悪さなどしない。犬同士がすれ違い様に吠え合うこともなく、よく躾けられていると感心するばかりだった。椛の木を探したけれど見つからず、しかし愉しかったと思いながら花市を後にした。
バールに入った。本日2度目の朝食である。広場からほど近い此のバールのことだ、きっと混んでいるに違いないと思えば、そうでもない。混んでいるのはポルティコの下のテラス席で、立ち席のカウンターは空いていた。カップチーノにカンノーロ・アッラ・クレーマ。この組み合わせが私の気に入りで、店主も心得ている。何しろいつもこれだから。注文すると、うん、と頷いて準備してくれる。隣に立った男性は確か奥さんも一緒の筈だけどと思えば、犬連れなので外で待つことにしたようだった。犬に寛大な国イタリアだけど、店によっては犬の入店を断っているようだ。店のポリシーならば仕方が無いというものだ。ところで隣の男性だけど、店の人に蜂蜜はあるかいと訊き、それを受け取るとカップチーノに入れた。ボローニャに暮らして初めて見た光景。へええ、カップチーノに蜂蜜かあ、美味しいのかしらと驚いていたら、気づいた彼がこちらを見て、美味しいんだよと教えてくれた。人の好みはそれぞれ。彼は蜂蜜入りカップチーノを好み、私はブラウンシュガー入りカップチーノが好みだ。
街のショーウィンドウが秋色になった。つい最近まで夏物売り尽くしで色鮮やかだったけど、黒や紺、キャメルと言った色で埋め尽くされている。私が秋冬になった途端暗い色の服ばかり身につけるように、世間の人達もまた同じような習慣を持っているらしい。でも、この秋冬は脱ダークカラーを目指したいと思う。できれば白を取り入れて、軽快に行きたいと思っている。自分の誕生日のためにグリーンのシルクのバンダナを手に入れようと考えていたのに、もう売り切れで手に入らないことが分かって落胆している。ならば黄色はどうだろう。夏場は黄色いパンツを良く着る私だ。黄色も相性が良い色だから。売り切れてしまう前に手に入れようとは思っていない。誕生日の贈り物は、やはり自分の誕生日に手に入れるのがいいと思っているから。黄色のシルクのバンダナが売り切れてしまったら、その時はまた考えればいいさと思っている。
ところで欲しいものがある。靴の形を整える物。あれは何と呼ぶものなのか。シューキーパー、そんな風に呼ぶのだろうか。私は其れをひとつ持っている。31年前にアメリカで、行きつけの靴の修理屋さんで購入したものである。使いやすくて大変重宝している。夕方家に帰ってきて、靴を綺麗にした後にこれを入れておくのだ。こんな風に手入れするから私の靴は長持ちするのだろう。平均年齢10年。でも古びた感じがしないのは、やはりシューキーパーのおかげに違いないと思っている。

夕方遅く風の匂いが変わった。急に風が冷たくなり、風が雨が降るよと言っているようだった。そのうち雨が降り始めた。すべて予報通りだ。ただ、こんな遅い時間に降るなんて思っていなかったし、こんなに冷えるとも想像していなかった。外は15度。そろそろ家の中でもショートパンツ姿が似合わない季節になってきた。10月まであと一週間。




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