美味しいオレンジを探しに行こう

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寒い寒いといったい何度言ったことか。山のほうでは雪が降ったのではないかと思うほど、今日のボローニャは寒かった。皆で寒いねえと言いながら、2月だから仕方がないねと言って笑った。それも明日には通用しなくなる。何故なら明日はもう3月だからだ。今の窓から見える栃ノ木の枝に小さな新芽が付いた。その横にあるアカシアの樹は枯れ木のままだけど。しかし植物の生命力というのは目を見張るものがある。枯れ木だと思っていた樹も、気が付くといつの間にか生き生きとした葉をつけて、そよぐ風に葉を揺らすのだ。早くそんな時期になればいいと思う。その頃には重い冬のコートを脱いで、軽快な丈の短いジャケット姿で街を歩いているだろう。

この冬はシチリア産のオレンジを食べていない。タロッコと呼ばれるシチリア産のオレンジは瑞々しくて果肉が甘く、そのまま頂いても絞って飲んでも美味しい。私の好物のひとつで一日ひとつの割合で冬中愉しむのが私の冬の習慣だったが、今年は一度も、である。理由は美味しそうなオレンジに出会えないからだ。街を歩きながら青果店の前を通ると足を止めて眺めるも、美味しそうなオレンジがない。理由は気候のせいかもしれない。水不足だ。それはずっと前から誰もが懸念していたこと。かといって降る時は集中的に降り、水害になる。イタリアに限らず世界中で。地球はどうしてしまったの?
今度の土曜日にオレンジを探そうと思っている。冬が終わる前に一度くらいは美味しいのを頂きたいのだ。丁寧に皮を剥いて、丁寧にすじを取り除いて、ひと房、そしてもうひと房と口に放り込むのを想像すると居ても経っても居られなくなる。果物にしても野菜にしても、その季節に頂くのが一番で、それは手頃にできる贅沢でもあるのだ。

それにしても夜になると眠気が襲ってくる。それはポルトガルの、ナザレの海の大波のように。ああ、眠い。もう限界だ。




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明日で2月が終わりだなんて

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寒い一日。昨晩から冷え込んだボローニャは、今日は昼間だって7度にも上がらず、着込んで外にでたのは正解だったと思いながら、いや、もう少し暖かくして来ても良かったかもしれないなどと思い直しながら仕事帰りの道を歩いた。冷たい雨がひたすら降った一日。運が良かったのは夕方には雨が上がったこと。首に巻いていた襟巻を巻きなおしながら、何だ、真冬の装いではないかと思った。それでも12月の寒さとは違う。それに鳥が囀っているではないか。いくら寒いと言っても、丘のほうでは雪が降ったと言っても、其れでも確実に春への道を辿っているのだろう。それにしても暗い。太陽が出ない日は、夜が早くやって来る。

人間、多かれ少なかれ弱点なるものを持っている。完璧な人なんていやしない。そんな風に見える人だって小さな弱点のひとつくらいあるものだ。いや、弱点ではないかもしれない。単なる苦手なことかもしれないけれど。私にとっての其れは、環境の変化。習慣などの変化と言ってもいい。それがとても小さなことでも気持ちが萎えてしまう事がある。日本を飛び出してアメリカという新しい環境に自ら飛び込んだ私がそんなことに気持ちが萎える日が来るなんて。あの頃の私がそれを知ったら目を丸くして驚くに違いない。そういう現在の私だって実はとても驚いているのだ。結構繊細なのだなあというよりは、あなた何やっているの?みたいな感じ。一体何時からこんな風になったのか知らないけれど、手が焼けると言ったらない。もう少し強くならなくてはねと自分に言い聞かせながら、でも頑張りすぎなくてもいいよと付け加える。最近気づいた事がある。私はずっと見えない何かと戦っていたのではないかと。そんな私に、もう25年も前に、川のように流されるのもいいのではないかと言った人が居る。あの時の私にはそれが理解できなかった、何しろ流れと戦っていたのだから。あの言葉を最近思い出して、成程、良いことを言ったな彼女は、と思った。一度流れに乗ってみるのもいい。嫌なら途中で流れから降りればいい。そういうことに気が付いたら、習慣の変化や環境の変化が苦にならなくなった。若いころのような強気ではなく、まずは受け入れてみてから自分で決めればいいスタイル。25年前のあの日、私にそんな言葉を掛けてくれた友人に感謝。

明日で2月が終わりだなんて。




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2月の雨

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昨夜から降り始めた雨。おかげで静かな日曜日の始まりになった。外でお喋りをする人も居なければ、好天気を愉しもうと車で出かける人も居ず、皆家の中でひっそりと過ごす日曜日。苦手な雨でも家に居られるならば、恵みの雨。乾ききった地面を潤してくれて、そして空気も清めてくれる。草木は喜んでいることだろう。そういう私も空気が清められることが嬉しくてならない。明日も雨だそうだから、私のアレルギー性鼻炎も少しは楽になるに違いない。

こんな雨の日はローマに暮らし始めた頃のことを思い出す。2月は天気の良くない日が多くて、それが週末に当たると最悪だった。私はヴィットリオ・エマヌエーレ広場のすぐ近くにある昔は裕福な人たちが住んでいたに違いない大きな格式のある建物に部屋を借りていた。私に部屋を貸していたのは昔は大いに繁盛したに違いない時計屋。広いアパートメントの小さな部屋を貸していたのは、80歳を超える老いた母親をひとりにしたくがない為、そして使わない部屋をそのままにするのが勿体無いと思ったのが理由だろう。小さな部屋ふたつを私とポーランド女性に貸していた。私はといえばローマなんて勝手のわからぬ街に暮らすにあたり、手頃な家賃でとりあえず眠る部屋があればよいと思っていた。けれども少し経つとこの家が如何に息苦しいかが分かり始め、仕事が休みの日は雨が降っていようが風が吹いていようが、好んで外に出かけた。あの小さな部屋の窓から見えた公共の庭。その向こうには厳めしい雰囲気の公共の建物があった。家主の時計屋である老女の息子はこの辺りが如何に豊かだったか、如何に上流だったかをことあるごとに語ったけれど、私は感じていた、この家に喜びの空気がないことを。確かに贅を尽くした建物だった。階段は幅が5メートルもある優雅なもので、私が使うこともない居間は50平米もあるような広々としたもので、老女は色とりどりの手刺繡が施された美しいガウンを纏っていたけれど、昔の栄光や金銭にしがみついた空気がアパートメントの扉を開けるごとに、そして老女が小さな引き出しを開けるごとにふわりと舞い上がるのだ。ある日曜日、雨が降っていた。こんな雨なのに外に行くのかと老女に声を掛けられて、私は明るく答えた。そう、仕事が休みの日は外に出かけるの。勿論こんな雨の日は私だって家に居たかった。でも私は苦手な雨の日の散策を選ぶほど、家の中に居たくなかったのだ。ある日、吉報が舞い込んだ。部屋が空いているとのことだった。訊けば部屋が5つあり、4つが塞がっているとのことだった。最後のひとつ、興味があれば。知人はそう言った。場所はテヴェレ川の向こう側のプラティと呼ばれる界隈。ある週末の午後、私はプラティと呼ばれる界隈を目指して川を渡ったところで、あっと思った。何て明るい場所。大通りの左右にある広い歩道、そして街路樹の花が咲き乱れていた。リラの花だった。ローマは広いと思ったのはその時だ。老女のアパートメントがある界隈とプラティ界隈は同じローマとは思えぬほど印象が異なり、私の背をぐいと押した。此処に住もう。それからは早かった。部屋を出ることを時計屋の家主に伝え、5つ目の部屋に住みたいと申し出た。2月最後の日に荷物を纏めてタクシーに乗り込んだら、体の中に詰まっていた色んなことが解けて流れ出た。今でも2月になると思い出すあの部屋の窓から見えた眺め。よほど嫌いだったのだろう。勿論そのあと私には5人の共同生活が待っていて、いつも洗濯機が塞がっているとか、冷蔵庫の中に入れておいたものが無くなっているとか、小さな問題はあったにしても、ローマに暮らす楽しみをプラティ界隈が教えてくれた。近くの食料品市場に夕方立ち寄るのが週に数回の楽しみになり、仕事が休みの日は大通りを歩いた。高級食料品店で美味しいカッフェが頂けることを知ったり、角の食料品店で新鮮なパンが手に入ることを知ったり、アパートメントの前にある牛乳屋さんに美味しい牛乳とチーズがあることを知ったり。イタリア語を話すのが愉しくなったのもこの頃だ。日本人なのによく喋ると褒められて大笑いしたものだ。あの日、プラティを歩いてよかったと思う。あの日の午後、私のローマの生活ががらりと変わった。

外は5度という冷え込みだそうだ。家の中に居る私は運がいい。世の中にはこんな寒い雨の日曜日に仕事に出かけねばならぬ人もいるはず。そうした人達に特別な恵みがあればよいと思う。




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綺麗

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時間の使い方がうまくいかない一週間。特に夜の時間が宜しくなくて、したいことは幾つもあるのに眠気が襲って何もしないまま眠りにつく。そういえば昼間も眠い。それに身体がとんでもなく重い。原因は知っている。アレルギー性鼻炎の薬だ。日本に暮らしていた頃は何ともなかった。アメリカに居た頃だって。それがイタリアに暮らし始めたら始まったこの鼻炎。私はそれをイタリアアレルギーと呼んでは相棒を困らせているが、さて、その真相は。私の鼻炎は1月早々やって来る。まだ花が咲く季節ではないのにと誰もが首をかしげるけれど、ちゃんと理由があるのだ。Polvere sottili。イタリア語のそれを直訳すると細かい粉塵、それが原因。雨が降ると空気が清められて症状が軽減するのがその証拠だ。雨は嫌い、だけどこの時期は雨に助けられている。明日から数日降ると言われている雨は、私を助けてくれるだろうか。

今日も今ひとつの体調。しかし土曜日。こんな日に家に籠ってなどいられるはずがない。それに今日は髪と爪を綺麗にする予約をしてあって、頑張れ、さあ頑張れと自分を囃し立てて外にでた。
街は賑わっていた。このところボローニャでは見本市が目白押しで、今週末は"Liberamente" と言う名の、要は自由時間を充実させるあれこれの見本市があり、来週は"Slow Wine Fair"、ワインの見本市である。ここ数年のボローニャは他国や他街からの訪問者が少なくて静かだったせいもあり、今日の賑わいには目を白黒させた。街に店を持つ人たちは喜んでいるに違いない。多くの店がコロナ、そして物価上昇で客を失い困っていたから。自分が暮らす街を出て何処かを訪ねるわくわく感を、そうした人たちとすれ違うたびに感じた。みんな楽しそう。ああ、私も何処かへ行きたいなあなんて思いながら、ポルティコの下を歩いた。それにしても妙に暖かかった。冬のコートを着込んだ人たちは前のボタンをはずして歩いた。私も襟巻をとり、まるで3月のようだと思いながら歩いた。しかし明日には急激に気温が下がると言うのだから、分からないものである。今年の気候は本当に奇妙。油断大敵、この言葉を忘れてはいけない。
爪が綺麗になって、そして髪がすっきりして気分爽快。すっきりしないのは私の鼻。こればかりは仕方がない。何か美味しいものを、と昼食を取り忘れていたことを思い出してエノテカ・イタリアーナに飛び込んだ。もう15時を回っていると言うのに食事を楽しむ人で満席。そもそもこの店にはテーブル席なんて少ししかないのだ。それで今日もカウンターの前に立ってのワインとパニーノ。それも良し。好み通りにパニーノを作って貰って、好みの赤ワインをグラスに注いでもらった。こんな昼食、姉や母が知ったら驚くだろうなあと思うと、思わず笑みが零れてしまう。簡単な食事を終えてから、店内に並ぶワイン棚を物色した。私には欲しいワインがふたつある。ひとつはボローニャ郊外の、先日頂いた美味しい赤ワイン。もうひとつはシチリア産のメルロー。見つからないので店の人に訊いたら在庫切れだった。近いうちに入荷するかと訊けば、来月には入荷するとのことだ。ならば2、3週間後にまた立ち寄るからと言って店を出た。欲しいものが見つからない。残念だけど楽しみが少し先に延びたと思えばいい。最近そう思うようになった。昔の自分とは少し違う。そんな風に思えるようになったのが嬉しかった。

帰ってきたら猫が床にひっくり返って見せた。彼女は時々そんな風にして可愛いポーズをとる。もっと構ってほしいのかもしれない。私も相棒も留守がちだから。




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美意識

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連日の快晴に気を良くしていたが、ここ数日空が曇って気分が冴えない。話によれば雨や雪になるそうで、温かかった2月も終わりに来て冬らしい気温に戻るそうだ。厚手のコートに飽きてきて早く軽いコートに着替えたいとうずうずしていたけれど、まだ暫く厚手のコートの世話になるだろう。それから襟巻にも。冬はまだまだ続くのだ。

2月も終わりが近づいて、街に連なる店は春物へと移り変わりつつある。冬のサルディもじきにお終い。気になっていたものは売り切れてしまっている。しかし、だからこそ割引が大きくなって多くの店が5割引きをしているこの頃。勿論独自のポリシーであまり値段を下げない店もあり、そうした店からは自信みたいなものを感じるのである。
旧市街の大きな郵便局近くにあった靴屋が姿を消して随分経つ。私がボローニャに暮らし始めるよりもずっと前から存在した店で、よく言えば不変なタイプの靴を置く店、悪く言えば時代に乗り遅れた感じの靴を置く店で、店の前を歩くたびに思ったものである。客はいるのだろうか。商売は成り立っているのだろうか。そう思うほど、ウィンドウを眺める人もいなければ、店に入っていく客もいなくて、全く地味な印象の店だった。少なくとも私にはそう見えた。それでも廃業しない店。きっと平日の昼間などに常連さんが買い物をするのだろう。そう思っていた矢先に、店が姿を消した。ウィンドウに薄茶色の紙が張られて目隠しされたのを見た時はショックだった。この店は細々と、ずっと存在すると思っていたからだ。そして暫くした頃、新しい店になった。男性向けの衣類の店で、良いものを置いている。もともと私は男性の衣類を観察するのが好きで、特に仕立ての良い男性用ジャケットを観察するのが好き。この店の物はじっくり観察を堪能するのにふさわしい、素晴らしい仕上げのものが多い。店の中は案外広く、整然とした店内に美しい線のジャケットが置かれている様子は、ガラスの外側に居る私の心をぐいぐい惹きつけた。一度入ってみたいけれど、何しろ男性服の店だから勇気がない。だから私は何時も外から眺めるだけ。あまり奇抜なものは好きではない。この店はそんな私の心を惹きつけるような典型的な方のものが多く、そして素材も吟味しているようである。ところが時にはハッとするような色柄の生地を使ったシャツが飾ってあったりして、この店の主の美意識みたいなものに驚かされるのだ。
あの靴屋がいつか姿を消すなんて思っても居なかったが、その跡地にこんな良い店が出来るなんて、此れもまた思っても居なかったことだ。どちらも驚きだけど、前者は寂しい驚きで、後者は心が浮き立つ驚き。この店のショーウィンドウに美しい襟巻やスカーフが飾られていたら、と思う。そうしたら、たとえそれが男性用であったとしてもかまわない。私は店に足を踏み込む勇気を手に入れるに違いない。

美味しい赤ワイン見つけた。先日頂いたあの赤ワインが忘れられない。口の中のまろやかさだって覚えている。良い本との出会いもそうだけど、良いワインと出会うことが出来たことにも幸せを感じる。そういう幸せがあってもいいと思う。




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