9月が終わる
- 2018/09/30 19:47
- Category: bologna生活・習慣
9月最後の日。日曜日と重なった。朝から空の機嫌が良く、夏とは異なる日射しが屋根を、地面を照らしつける。寒くこそないけれど、もう暑くはない。昼間だってせいぜい24度にしか上がらないし、日陰に入ると恐ろしく冷え込んでいて、日向へと飛び出したくなる。少し前には考えられなかったこと。私達は皆、日陰を探しながら街を歩いていたのだから。今年は金木犀のない秋。私の大切な金木犀は枯れてしまい、今は静養の為にテラスの鉢植え生活から地植えの生活に。地面の土はきっと気持ちがいいことだろう。のびのびと根を伸ばして、こんな生活をしたかったのだ、などと思っているかもしれない。窓を開けても金木犀の匂いがしないのは残念だけれど、何処かで元気にしていると思えば、それも悪くない。
少し前まで私はフットワークの良い人間だと思っていた。思いつくと切符を買って、ちょっと小旅行に飛び出せる人間。そんな風に思っていた。その証拠に、私はボローニャに暮らし始めたはいいが、仕事を切望してローマに飛び出した。相棒をひとりボローニャに残したことへの多少なりの罪悪感は今も残っているけれど、しかし不満を積み上げながら一緒に居るよりも、気が済むまでやってみて離れて良い関係を持てる方を選んだのだ。22年前の話だ。ローマの生活は様々な点でボローニャと異なっていた。その一番目は、頼る人が居ないと言うことで、自分が動かなければ何も先に進まないことだった。ボローニャではいつも傍らに相棒が居て、その気はなくとも頼っていたから、私にとってローマの生活は背筋がピンと伸びるような緊張感のある生活と言ってもよかった。それから、もう私は相棒の奥さんと呼ばれることはなく、相棒の付録のような存在でもなくなった。私は名前で呼ばれて、自分の同僚や友人知人を得て、ようやく自分の存在なるものを確認することが出来た、それが私のローマの生活だった。幾度目かのお給料日に、住んでいた界隈の通りに面した洒落た店でさらりとしたコットンのセーターを購入した。まだ通貨がリラの時代でゼロが幾つもついて高価そうに思え、贅沢し過ぎたと思ったものだが、アパートメントに戻って住人達に見せると、良い買い物だったと褒めてくれた。休みの日に私が映画に行ったり、こんな風に買い物を楽しむことを住人達はいつも喜んでくれた。そうよ、楽しまなくちゃね、と。私が相棒と離れてローマに暮らしているのを多少ながら不憫に思っていたのかもしれない。しかし其れですら、私は嬉しかった。私は自分の足で立って生活している。以前アメリカに移り住んで得た自力の生活の喜びをもう一度掴んだように感じたのだ。そのローマの生活を終わりにしたのが9月最後の日。相棒がボローニャから車でやってきて、私の荷物を車に詰め込んで、寄り道しながらボローニャに帰るというプランだった。お世話になった人達に挨拶をして職場を後にして、アパートメントに戻って荷物を詰め込むと、後は去るだけだった。1年足らずの短かったローマの生活。でも色んなことを得た私にとっては宝物のような月日だった。イタリア生活の始まりはそんな風だったから、私は何時かイタリアを飛び出すだろうと長いこと思っていた。しかし23年。時々脱出はするが。まだここに居る。地面に根っこが生えた樹のように。昔みたいな根無し草の雑草ではない、そんな感じがする。少しくらいの困難では揺らぐことの無い樹になった。長い年月をかけてやっと心が落ち着いたのだなあ、と9月最後の空を眺めながら思う。これでよかったのだろう。
さて、しかし、小旅行ともなれば話は別だ。ヴェネツィアにも行きたいし、トスカーナにも足を延ばしたい。それから久しぶりにオーストリアにも。そういうことが楽しいのは、戻ってくる場所があるからなのだと、最近やっと気が付いた。