2本の塔の下

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1月も残り2日なのかと感慨深い。この調子で行けば、あっという間に春がやって来るのかもしれない。それが嬉しいような気もするし、そうでない気もするのは私だけだろうか。うっかりすると月日だけが進んで行ってしまう焦りのようなもの。他の人にはないのかもしれない。

随分前に見覚えのない名前のところからメールが届いた。個人名ではなく、協会と称するところからだった。さて、いったいなんだろう、と頭をひねる。そもそも私は、なんとか会とか協会とか団体とか名前が付くところとは縁がない筈なのだ。私は昔からグループ化するのが嫌いで、だからそうした階には属さない生活を選んできた。それは自分の自由や自由な意見考えを持ち続けるために選んだことで、だからそうしたところに属する人達が嫌いなわけではない。人はそれぞれ。自分が良しとするものもあればそうでないものもあると言うだけのことだ。それでメールの送り主の名前を声に出して数回繰り返してみたら、ようやくそれがどんな協会なのかを思い出した。
始まりは一昨年のクリスマスの頃だった。毎年その時期になると、ボローニャのあちらこちらでクリスマスの市場がたつ。ボローニャ旧市街の中心ともいえる2本の塔の下の小さな広場もそのひとつだ。他のところのような立派な市場ではなく、路上の芸術家的人々が小さな店を連ねると言ったほうが丁度いいい。其の中で一番大きく構えていたのが、メールを送ってきた主たちだ。思えば毎年見掛けていたようだが、あえてその店の前で足を止めてみたことは一度もなかった。一昨年の12月、店の前で足を止めたのは、小さな皿が目に飛び込んできたからだった。片手に乗るほどの小皿で、如何にも手仕事をしたと言った感じの素人臭いものだった。私が目を止めたのは、其の皿に施された色が美しかったからだった。素朴でほっと溜息をつきたくなるような薄い緑色と山吹色の線が私を素通りさせてくれなかったと言えばよいだろうか。通り過ぎかけて足を止めて、その場所に戻ると、暇だったのか店の人が直ぐに声を掛けてきた。私より一回り以上若そうな青年で、薄緑色の小皿とよく似た感じの青年だった。私がその小皿を手に取ってみたいと申し出ると、自由に見て構わないと言った。私がイタリアに暮らし始めた当時は、どこへ行ったって自由にものを触ってみることなど出来なかったから、そんな風に店の人の了解を得る癖が今も抜けない。今は随分と習慣が変わり、自由に見ることができるようになったと言うのに。さて、例の小皿を掌に載せてみたら、驚くほど軽かった。軽いのねえ、と驚く私に青年は自慢げに頷いた。そうです。これは楽と呼ばれる焼き物ですべて僕たちが作りました。楽焼ならば知っている、私は日本人ですから、と言うと、ほう、それは気が付かなかったと言わんばかりに青年は驚き、私は落胆の溜息をつかねばならなかった。此の街に居て、私が日本人と思われたことは本当に数えるくらいしかない。日本人よりも生まれつき肌の色が濃い私は、大抵他の国の人と勘違いされてしまうのだ。従って、そういうことに慣れているが、やはりこうも驚かれるとがっかりしてしまうものである。手に取った小皿の値段を訊くと7ユーロ。恐らくは素人が作ったに違いない小皿にしては決して安くない。青年は私の一瞬の驚きを見逃さなかったらしく、訊ねてもいないのにこんな話をし始めた。僕らはこんな風に焼き物を作る場所を確保して、手作りの良さを広めるために働いているのだ、と言った。そしてその場所に身体的に不自由な人々をも誘い入れて、物を作る楽しさ、大切さを知ってもらうこと、そしてそれを通じて彼らを仕事に就かせること、それが僕らの目的のひとつなのだと言った。だからこのクリスマスの市場の売り上げが、青年が属している協会の資金源のひとつということらしかった。彼について言えば、彼には彼の安定した仕事があり、この協会で皆と一緒に焼き物を焼くのは、ボランティアみたいなものらしかった。その話が気に入って、私は薄い緑色と山吹色の線の小皿と、もう一回り小さくて形は歪だけれどクリーム色と鼠色が可愛い小皿を購入した。領収書を貰った。きちんと私の苗字を入れて。こういうきまりなんです、と青年は言った。案外いい協会だと思った。昨年12月になると、また2本の塔の下の小さな広場に店が出た。昨年よりも作品が多く、仲間も増えたのか、店に立ち人数も多くなっていた。私は小皿のところで足を止めた。私は小皿が好きなのだ。今年は小皿の数が少ない、と思っていたところに、見覚えのある青年が出てきて言った。あっ。昨年小皿を購入したシニョーラですね。そんなつまらないことを1年経っても覚えている青年に私は親しみを持った。青年の感覚というのか繊細さというのか、小さなつまらないことをよく覚えている点では、私と良い勝負だと思ったのである。私は数少ない小皿の中からふたつ選び出した。小皿は本当に役につ。例えばキッチンやバスルームの石鹸受け。例えばアクセサリーを置いてみたり、ただ箪笥の上に並べるだけでも可愛いから。青年は苗字入り領収書を書きながら、私のメールアドレスを訊いた。楽焼を楽しむ会みたいなものが時々あるからと。私は其れに交わるつもりはなかったけれど、この協会がどんなものだか知りたくて、メールアドレスを残しておいたのだ。あれからひと月が経って、メールが届いた。皆で楽しく楽焼をしようという、といった一般的な案内だった。こうした人達が存在するうちは世の中も捨てたものではない。もっと仲間が増えて、彼らをサポートする人達が増えればよいと思う。自分が一緒に楽焼を楽しむ日が来るかどうかは分からないが、遠くから、間接的に、細く長く応援していきたいと思う。

金曜日の晩から日曜日にかけての時間は、平日の3倍の速さで過ぎていく。明日はもう月曜日か。今夜は温かいスープを食べて、早いところベッドに潜り込むことにしよう。




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普通の生活

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鳥の囀りが夕方5時を知らせた。驚いたのは外がまだ十分明るいことだった。少し前までは残念すぎるほど暗かったと言うのに。それから1週間前は、ああ、少し陽が伸びた、などと喜びながらも、その直後にはどっぷりと日が暮れて、まだまだ冬のさなかであることを改めて実感したと言うのに。しかし今日のこれはどうだろう。何か春の予感すらするような明るさ。暗く寒い冬に飽きてしまった私のような人々に、小さな希望を与えるような明るさだった。長期予報によれば、2月に入ると気温がぐんと上がるらしい。勿論、クリーニング屋の夫婦に言わせれば、この長期予報ほど当たらないものはないらしいけれど。しかしそんな当たるか当たらぬかわからぬ予報ですら、私のような人間に小さな希望を与えるのである。

数日前、旧市街のATTI に立ち寄った。ATTI とはパン屋の名前である。歴史が長く名が知れているだけでなく、良質のパンや菓子、パスタ類が手に入ることでも名が知れている。だから友人や家族との会話でATTI の名が上がるなら、誰もが、うーん、とポジティブに唸る。この店は何時行っても混んでいる。運が悪い日は、夕方立ち寄るとパンというパンが売り切れで、手ぶらで店を出ることもある。相棒に言わせれば、全然安くない、とのことだけれど、私に言わせればパンとかワインとかチーズとか、調理でカバーでないものは、少しくらい高くても納得いくもの、美味しいものの方が良い。それに高いと言ってもほんの少しのこと。それならやはり美味しいパンの方が良い。さて、数日前の夕方店に入ると先客が3人居て、全くはらはらさせられた。パンの棚には残り少しのパンたち。其の中に一つ私が求めているパンがあり、先客のひとりがそのパンについて訊ねていた。4種のシリアルを使った丸くてずっしりと重いパン。表面に4種のシリアルがまぶされていて、中はくすんだ色でしっとりと柔らかい。噛めば噛むほど味わいが口の中に広がる。これにフランスのバターをつけて食べるのが、私の大の気に入りだ。先客は店員とああだ、こうだと話をして、5分も経ってようやく話にけりがついた。店員が、それならこちらのパンがいいと思いますよ、と別のパンを勧めたからだ。丸くて大きくて、外側がぱりぱりしたものだった。そうしてやっと自分の番になると、どのパンを欲しいとまだ言ってもいないのに先ほどの店員がくすりと笑って、棚に置かれた4つのシリアルのパンを掴んで私の目の前に差し出した。Ecco (ほら)! と言って。目当てのパンが手に入って勿論嬉しかったけれど、同時に私は先客と店員の会話を微妙に怖い表情で凝視していたのではないだろうかと思い、酷く恐縮してしまった。多分彼女は私がそのパンを欲しがっていることを私の表情から知ったに違いないのだ。駄目だなあ、まだまだ未熟だなあ、と自己嫌悪に陥った夕方であった。
その晩、ATTI の4種のシリアルのパンがテーブルに上がると、相棒が酷く喜んだ。なんだかんだ言っても、やはり彼もATTI のパンが好きなのだ。奮発して買った柔らかい牛肉の小さな塊をさっと焼いて。それからオーブンで焼いた大量の野菜。美味しいパンと随分前に近所のミケーラから貰ったプーリア州の赤ワイン。ただそれだけの夕食。だけど、とても良かった。今日も食事ができて良かった。当たり前と思いがちな毎日の生活や食事を、時には感謝しなければ。今日もパンがある。今日も食事ができる。それだけじゃない。今日も食事を美味しいと思える自分の健康にしても。私達の普通の生活の中には、ほんとうは感謝すべきことがたくさん詰まっているのだと、思い出した晩でもあった。

ところでもう直ぐカルニヴァーレ。ATTI にもカルニヴァーレの菓子が並んでいた。チョコレートのトルタが欲しかったのに、と残念がる私を、店員が窘める。今はカルニヴァーレの菓子がメインなんですよ。季節ものですからね、と。そうか、季節ものか。菓子で季節を感じるのも悪くない。そうしてカルニヴァーレの菓子が姿を消した頃、ボローニャにほんのり春の匂いのする陽が射すに違いない。




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陽の色

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まだまだ寒い、1月の下旬。でも、確実に陽の色が変化しいる。そのうち空気の匂いも変化するのかもしれない。そんな小さな変化を見つけながら街を歩くのが好きだ。
忙しい毎日に少し疲れてしまった。週末の散策が待ち遠しい。まだ木曜日だと言うのに。




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ひとりごと

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相棒が、白ワインを沢山持ち帰った。どうしたのかと訊ねると、今は亡き舅の兄、つまり相棒の伯父からのものらしい。話によれば相棒の伯父はもうワインをたしなむことが出来なくなったらしい。随分の高齢の彼は一人娘とその夫の3人暮らし。どうやら医者からワインを止めるように言われたらしい。娘はワインに限らず酒を一切飲まないし、娘の夫は多少は嗜むが、ワインを飲めなくなった妻の父親の手前上、飲みたいとも言えず、結局家族ぐるみで酒禁止となったらしい。それで昨年気に入りのワイン農家から大量に購入した白ワインをどうしよう、ということで、相棒のところに持ってきたとのことだった。嫌じゃなかったら貰ってくれないか。そういう話だったらしい。どうしてこんなにへそ曲がりな言い方をしたかと言えば、伯父と相棒は長いこと仲違いをしていたからだった。相棒の父親、つまり伯父の弟が9年ほど前に空の星になってから、ずっとこんな具合なのだ。ああしろ、こうしろと煩い。ムッソリーニみたいな人だと相棒は言ったが、私に言わせれば伯父の一人娘の方がよほどムッソリーニみたいだと思った。兎に角、そう言う訳でうちには伯父自慢の白ワインが沢山ある。ボローニャ近郊の丘で摘まれた葡萄で作った白ワインである。

そんな話をしたら、思い出したことがある。私はアメリカに暮らすまでアルコール類が駄目だった。ワインのみならず、ビールや梅酒と言った類も。毛嫌いしていた訳じゃない。欲しいと思ったことが無かっただけだ。だから付き合いで無理して飲むと具合が悪くなった。やはりこうしたものは、自ら欲してからこそ美味しく、体にも嬉しいのではないだろうか。アメリカに暮らし始めて色んな人と交わるうえで、ワインはいつも私達の真ん中に居た。初めは敬遠していたけれど、そのうち関心を持ち始めて、少し、また少し頂くうちに、こんな美味しいものをどうして今まで知らなかったのだろうと思うようになった。土地柄もあったかもしれない。カリフォルニアの北の方は、数々の素晴らしいワインが生まれる場所だったから。そうしているうちにワインと腐れ縁になった。夕食時にワインが無いなんて日はない。勿論相棒とふたりで一本開けることは無く、せいぜいグラスに一杯だけど。たまには仕事帰りに立ち飲みワインを楽しむこともある。あの立ち飲みワインは、なかなか楽しい。全然知らない人と偶然隣り合わせになった縁で、ワインを飲みながら一瞬の交流を楽しむことが出来るから。ワインが嫌いだったら、私の生活の楽しみがひとつ少なかったに違いない。
アメリカに暮らしてからの変化は、ワインのことばかりではない。私は結婚をしないと思っていた。別に男嫌いではなかった。ただ、恋愛を楽しむのはよくても、結婚はしない、とずっと思っていた。それが私の自由主義のひとつだったのかもしれないし、単に面倒くさいと思っていたのかもしれないが、今となってはそのどちらだったのか、それとも他に理由があったのか、思い出すことが出来ない。だから結婚すると母に告げた時、大変驚いたようだった。あれ程結婚に関心が無かった娘が、反対する母を説得して結婚したことを、実は私自身が一番驚いている。
アメリカが私を変えたとは思っていない。恐らく、アメリカに行って自分らしさというものを見つけて肩の力が抜けたら、色んな見えなかったこと、分からなかったことが見え始めたり分かり始めたりしただけなのだと思う。人にとやかく言われない世界。人と違っても良い世界。私にはそうした空気が必要だったのかもしれない。
アメリカが好きで飛び出した娘が、結婚相手の故郷のボローニャに棲みついた。私の家族はそんな私に驚いたかもしれない。実は私も驚いているが、でも、よく考えれば、色んな偶然が重なって私はボローニャに来たけれど、何時か此処に辿り着くようにできていたのかな、私の人生は、と最近思うようになった。勿論これが最終地点ではなくて、此れから私の人生の旅は続くのだけど。自分にもわからない最終地点。だから面白いのかもしれない、生きると言うことは。
と、白ワインをくれた相棒の伯父のことを考えていたら、こんなことを考えた。そんな日曜日。

ああ、甘いものが欲しい。とても美味しい甘いものが。そうだ、明日の帰り道にガンベリーニに立ち寄ろう。相棒と私の為に、小振りのトルタをひとつ。洋ナシとチョコレートのトルタがいい。こんな予定がひとつあれば、嫌いな月曜日も何とかうまく過ごせるに違いない。




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オレンジの匂いがする

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猫というのはそういうものか、と思うことがある。例えば掃除機を掛けていると怪獣が来たみたいに飛びのいて、何かのカバーの中に逃げ込んだり。例えば何かのお祝いで、それとも気分を盛り上げるためにシャンパンの栓を派手な音を立てて抜いたりすると、ヒャーと言わんばかりに飛び上がったや否や家具の下に逃げ込んでしまったり。そうかと思えば建物の階段を上がってくる足音を聞き分ける能力があるのか、家の扉を開けると真正面に三つ指をついて待っていたり。この2年間、猫を通じて色んなことを考えた。うちに、この猫がやってこなかったら考えることもなかったようなことばかり。うちに猫が来て、良かったと思っている。

何時もの生活に戻って2週間が経つ。たったの2週間。でもずいぶん経ったような気がするのは、夕方の空が明るくなったから。じきに仕事帰りの散策が楽しみになるだろう。明るい夕方、そしてほんの少し寒さも緩んで。今日は朝から空の機嫌が悪いらしく、鼠色の雲が立ち込めていた。空気を入れ替えようと思って窓を開けたら、寒い。思わず窓をぴしゃりと閉めた。一頃のような恐ろしい寒さではないにしても、油断はならぬ、注意しなければならない。だから、こんな空の日は家に居るのが一番、と思っていたが、折角の土曜日なのだから散歩でもしたらどうだい、まるで冬眠している小動物のようじゃないか、と相棒に促されて外に出た。
サルディが始まって2週間経った旧市街。割引率が大きくなったようだ。2月にもなると春物がショーウィンドウを飾り始め、サルディとは言え、人々の冬物への関心が急激に下がるから、早いところ売りつくしてしまおうと言うことなのだろう。事実、私は既に冬物への関心を失ってしまった。冬物はもういい。それよりも春先の軽快なものを見たい。だから、冬物とは言え檸檬色のコートや軽快な色が飾られているのを見つけると、吸い込まれるようにショーウィンドウの前で足を止める。さて、土曜日。食料品市場界隈は大変賑わっていた。2軒続きの魚屋は今日も大変な繁盛ぶりで、前を通過するのが大変だった。青果店は何処もオレンジが山積みだった。今が旬。シチリアのオレンジは今が旬だ。店の人がオレンジをひとつ剝いて客に試食させていた。剝いた瞬間、ふわっといい匂いが辺りに漂い、私はあっという間に15年前に連れ戻された。
15年前に相棒とシチリアへ行った。シチリアまでの旅は車で、全く長い道のりだった。車の運転は苦にならぬ相棒ですら、長くて長くてどうしようもなかったようだ。私達はホテルも予約してなければ、今日は何処へ行くと言った予定もなかった。思いついたところにホテルの部屋をとり、朝、気が向いた方向に車を走らせればよかった。3月初旬。ボローニャではまだカシミヤのセーターや重いコートを着こんでいたと言うのに、此処では誰もがコットンのシャツに軽いジャケットという装いで、まるで異国に来たような錯覚を覚えた。スカーフをしない首元が寒くない気候。私はボローニャに暮らし始めて以来、何故イタリアが南欧と呼ばれているのだろうと首を傾げてばかりいた。何故ならボローニャときたら11月から4月初めまで寒く、とても南欧などとは呼べない気候である。しかしシチリアならば話が違う。確かにここは南欧と呼ぶのにふさわしい気候と空気があった。私達が最初に泊まった海辺の街。メッシーナやタオルミーナを通過して、小さな漁村に部屋をとった。観光シーズンが始まっていないらしく、小さなホテルの部屋はふたつしか塞がっていないとのことだった。いい部屋をあてがいましょうとホテルの主人が言った通り、私達の部屋の大きな窓を開けると小さなテラスがあり、その先には海があった。夏には沢山の人達が来るらしいこの村も、今はまだ人が居なくて静かだった。翌朝には別の街へと発つつもりだったのに、もう1泊したくなったのは波の音に耳を傾けながら眠りに就くのが素敵だったからだ。そんなことをホテルの主人に話すと、同じような人達が居ると言った。隣の部屋に泊まっているアメリカ人夫婦。まだ、仕事を引退するには早すぎる年齢の人達。彼らはこの辺りにあるゴルフコースでゴルフを楽しむ人達で、毎年この時期にやって来る。他にも気の利いたホテルは沢山あるのに、この漁村の小さなホテルを常宿にしているのは、波の音が聞こえるかららしい。波の音を聞きながら眠りに落ちる。そんな経験はあれはが初めてだった。漁村はぐるりと歩けばあっという間にひと回りできてしまう程、小さかった。内側にある商店街や広場に並ぶ街路樹はオレンジの樹。誰も実を捥いで食べようとしない。捥いではいけないのかもしれないと思いながらも、人目を盗んでオレンジに手をのばそうとしたところ声を掛けられた。ひゃ。叱られるのかと思ったが、そうではなかった。これよりもあっちの方が美味しい筈だと、と、おじさんは上の方からオレンジを捥いでくれた。ありがとう。礼を言ってホテルに持ち帰ったオレンジ。皮を剝くなり、ふわっといい匂いが広がった。食用として育てられている訳ではないオレンジの樹だから味は大して期待していなかったが、太陽の光をたっぷりと吸収した、温かくて甘酸っぱくて、私達を充分喜ばせてくれた。オレンジの匂いがすると、何時も15年前に引き戻されるのは、そんなことがあったからだ。私は内陸にばかり居過ぎるようだ。光る波。穏やかな気候。シチリア。また行きたいと思う。

温かいカップチーノを頂こうと思って近所のバールに立ち寄ったら相棒と一緒になった。何かいい物あったかい?と訊ねる相棒。嬉しそうな顔をしている私が、サルディで何かいい物を見つけたと思ったのかもしれない。うん、シチリアのオレンジの匂いがした。そう答えたら、彼も15年前のあの日のことを思い出すだろうか。




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