2本の塔の下
- 2017/01/29 19:32
- Category: bologna生活・習慣
1月も残り2日なのかと感慨深い。この調子で行けば、あっという間に春がやって来るのかもしれない。それが嬉しいような気もするし、そうでない気もするのは私だけだろうか。うっかりすると月日だけが進んで行ってしまう焦りのようなもの。他の人にはないのかもしれない。
随分前に見覚えのない名前のところからメールが届いた。個人名ではなく、協会と称するところからだった。さて、いったいなんだろう、と頭をひねる。そもそも私は、なんとか会とか協会とか団体とか名前が付くところとは縁がない筈なのだ。私は昔からグループ化するのが嫌いで、だからそうした階には属さない生活を選んできた。それは自分の自由や自由な意見考えを持ち続けるために選んだことで、だからそうしたところに属する人達が嫌いなわけではない。人はそれぞれ。自分が良しとするものもあればそうでないものもあると言うだけのことだ。それでメールの送り主の名前を声に出して数回繰り返してみたら、ようやくそれがどんな協会なのかを思い出した。
始まりは一昨年のクリスマスの頃だった。毎年その時期になると、ボローニャのあちらこちらでクリスマスの市場がたつ。ボローニャ旧市街の中心ともいえる2本の塔の下の小さな広場もそのひとつだ。他のところのような立派な市場ではなく、路上の芸術家的人々が小さな店を連ねると言ったほうが丁度いいい。其の中で一番大きく構えていたのが、メールを送ってきた主たちだ。思えば毎年見掛けていたようだが、あえてその店の前で足を止めてみたことは一度もなかった。一昨年の12月、店の前で足を止めたのは、小さな皿が目に飛び込んできたからだった。片手に乗るほどの小皿で、如何にも手仕事をしたと言った感じの素人臭いものだった。私が目を止めたのは、其の皿に施された色が美しかったからだった。素朴でほっと溜息をつきたくなるような薄い緑色と山吹色の線が私を素通りさせてくれなかったと言えばよいだろうか。通り過ぎかけて足を止めて、その場所に戻ると、暇だったのか店の人が直ぐに声を掛けてきた。私より一回り以上若そうな青年で、薄緑色の小皿とよく似た感じの青年だった。私がその小皿を手に取ってみたいと申し出ると、自由に見て構わないと言った。私がイタリアに暮らし始めた当時は、どこへ行ったって自由にものを触ってみることなど出来なかったから、そんな風に店の人の了解を得る癖が今も抜けない。今は随分と習慣が変わり、自由に見ることができるようになったと言うのに。さて、例の小皿を掌に載せてみたら、驚くほど軽かった。軽いのねえ、と驚く私に青年は自慢げに頷いた。そうです。これは楽と呼ばれる焼き物ですべて僕たちが作りました。楽焼ならば知っている、私は日本人ですから、と言うと、ほう、それは気が付かなかったと言わんばかりに青年は驚き、私は落胆の溜息をつかねばならなかった。此の街に居て、私が日本人と思われたことは本当に数えるくらいしかない。日本人よりも生まれつき肌の色が濃い私は、大抵他の国の人と勘違いされてしまうのだ。従って、そういうことに慣れているが、やはりこうも驚かれるとがっかりしてしまうものである。手に取った小皿の値段を訊くと7ユーロ。恐らくは素人が作ったに違いない小皿にしては決して安くない。青年は私の一瞬の驚きを見逃さなかったらしく、訊ねてもいないのにこんな話をし始めた。僕らはこんな風に焼き物を作る場所を確保して、手作りの良さを広めるために働いているのだ、と言った。そしてその場所に身体的に不自由な人々をも誘い入れて、物を作る楽しさ、大切さを知ってもらうこと、そしてそれを通じて彼らを仕事に就かせること、それが僕らの目的のひとつなのだと言った。だからこのクリスマスの市場の売り上げが、青年が属している協会の資金源のひとつということらしかった。彼について言えば、彼には彼の安定した仕事があり、この協会で皆と一緒に焼き物を焼くのは、ボランティアみたいなものらしかった。その話が気に入って、私は薄い緑色と山吹色の線の小皿と、もう一回り小さくて形は歪だけれどクリーム色と鼠色が可愛い小皿を購入した。領収書を貰った。きちんと私の苗字を入れて。こういうきまりなんです、と青年は言った。案外いい協会だと思った。昨年12月になると、また2本の塔の下の小さな広場に店が出た。昨年よりも作品が多く、仲間も増えたのか、店に立ち人数も多くなっていた。私は小皿のところで足を止めた。私は小皿が好きなのだ。今年は小皿の数が少ない、と思っていたところに、見覚えのある青年が出てきて言った。あっ。昨年小皿を購入したシニョーラですね。そんなつまらないことを1年経っても覚えている青年に私は親しみを持った。青年の感覚というのか繊細さというのか、小さなつまらないことをよく覚えている点では、私と良い勝負だと思ったのである。私は数少ない小皿の中からふたつ選び出した。小皿は本当に役につ。例えばキッチンやバスルームの石鹸受け。例えばアクセサリーを置いてみたり、ただ箪笥の上に並べるだけでも可愛いから。青年は苗字入り領収書を書きながら、私のメールアドレスを訊いた。楽焼を楽しむ会みたいなものが時々あるからと。私は其れに交わるつもりはなかったけれど、この協会がどんなものだか知りたくて、メールアドレスを残しておいたのだ。あれからひと月が経って、メールが届いた。皆で楽しく楽焼をしようという、といった一般的な案内だった。こうした人達が存在するうちは世の中も捨てたものではない。もっと仲間が増えて、彼らをサポートする人達が増えればよいと思う。自分が一緒に楽焼を楽しむ日が来るかどうかは分からないが、遠くから、間接的に、細く長く応援していきたいと思う。
金曜日の晩から日曜日にかけての時間は、平日の3倍の速さで過ぎていく。明日はもう月曜日か。今夜は温かいスープを食べて、早いところベッドに潜り込むことにしよう。