年の瀬

今年も残り1日。今日の晩を境に新しい年が始まると思うと不思議な気分だ。これは今年に限ったことではなく、私がまだ小さかった頃からこの日になると必ず思ったことで、言うなれば恒例の行事みたいなものである。昨日は相棒と旧市街へ出掛けた。新しい年を向かえる前にしておきたいことが幾つかあって、そのひとつが新しい銀行口座を開くことであった。今までも口座は持っていたけれど、別の銀行に口座を移したいと前々から思っていたのに延ばし延ばしになっていたから、これを年内にどうしてもしておきたかったのである。それで冬休みというのに早起きして銀行へ行った。私が予想していた通り今度の銀行はなかなか良い。話が明快で仕事が早い。その上お客さんをお客さんとして扱うところが益々良い。これは実に当たり前のようであって当たり前ではない。イタリアではなかなか手に入らない感覚なのだから、大切にしたいものである。長々と銀行の人と話をした後、相棒と別れて更に街の中心へと歩いた。街中では早くも冬のセールが密かに始まっていた。ショウウィンドウにこそ大きな表示は無いけれど、店の人に訊くと何処でも割引をしてくれる。何軒かの店を冷やかしながら歩いているうちに13時になった。さあ、髪を切りに行こう。すっきりと奇麗な頭髪で一年を終えて新年を迎えるのは気分が良いに違いない。これも新しい年を向かえる前にしておきたかったことのひとつであった。店が開く時間だからまだ人が居なくていいだろう。そう思っていたのに列が出来ていて驚いた。10番目だった。多分皆同じなのだろう。つまり、奇麗な頭髪で一年を終えて新年を迎えるプランのことである。長々と待たされたが期待以上の仕上がりで、髪の切り手も切って貰った私も上機嫌だった。一足早い新年のお祝いのキスをして店を出た。Via Ugo Bassi にでると先程より人の波が大きくなっていた。その様子は日本の年末を思わせるような、何か懐かしいような忙しないような風景であった。それにしても疲れた。二本の塔から真っ直ぐ伸びる大通りから一本入ると其処にはいつもののんびりとしたボローニャがあった。私は数年前足繁く通った小さなバールに入ってカップチーノを注文した。飛び切り熱くしてね、と言葉を添えて。最近足が遠のいてしまったが、やっぱり此処のカップチーノは美味しい。そんなことを店の人に話しかけると、店の人はまた時々くるといいさ、と言った。そんなことを今日は一日家の中でぐずぐずしながらぼんやりと思い出した。ぐずぐずしているのは風邪を引いたからだ。理由は簡単。昨日美容院でかっこいい髪型にしてもらったので帽子も被らずに街をうろついていたからだ。まあ、宜しい。どちらにしても今日は家に居る予定だったのだから。さあ、残り後9時間。来年に持ち越しはこの風邪だけにして、後のことはすっきりと片付けてしまわなくては。最後の日にばたばたしているのが自分らしく、来年もこんな調子なのだろうと苦笑する。それにしても大晦日に相応しい好天気。今年もお付き合い有難うございました。誰もが気持ちよく今日を終えることが出来ますように。そして風邪にはくれぐれもお気をつけて。

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この椅子

ポルティコの下に並べられたテーブル席。まだ時間が早いようで誰も座っていなかった。この店に初めて来たのは今から6年ほど前の夏だ。ひどく暑い日だった。女友達と夕食を済ませた後にちょっと軽いものでもと入ったのがこの店で、私はワインを、アルコールに弱い彼女はアルコール抜きのフルーツカクテルを注文した。私達は知り合ってまだ日が浅かったから、互いにどんな人なのかと心の底で思いながら互いの共通点と相違点を見つけていたように思う。あれから私達は頻繁にと言うわけではないけれど、気が向くとボローニャ旧市街の何処かで待ち合わせをしてお喋りしながらウィンドウショッピングや食前酒を楽しむ仲になった。時には食事に招いたり招かれたり。あの日の私達は、彼女と私がそんな友達になれると想像していただろうか。記憶力は悪くない方だけど、これに関しては全く思い出すことが出来ない。ところがこの店に入ったあの晩、一瞬にして感じたことは良く覚えている。この椅子。そんなことだった。店に並んでいた木製の、良く磨きこまれたような色の椅子が昔のことを呼び起こしたからだった。アメリカに暮していた頃、私には幾つかの気に入りのカフェがあった。ひとつは近所のタサハーラ・ベーカリー。店内で焼いたばかりのパンとコーヒーを頂きながら新聞を読むのが好きだった。それからカフェ・グレコ。午後早い時間には人が少なくて、爽やかな風が吹きぬけるような雰囲気が好きだった。手紙を書いたり友人と待ち合わせしたり。その並びにはカフェ・プッチーニ。そして道を渡って歩いて15秒も要さない所にカフェ・トリエステがあった。小さな三角地帯の角の店。店は小さいながら大変繁盛していた。あの店に初めて足を踏み入れたのは、その頃頻繁に交流していたベルギー出身の友人とだったと思う。平日の午後早い時間なのに結構人が入っていて、しかも客層が面白かった。若い人はあまり居なかった。妙に芸術、若しくは文学めいた人達ばかりで、まだ若くてそのどちらにも属さない私の存在が何だか場違いのような気がしてならなかった。この店のカップチーノはとても濃いと思った。だから私はいつもカッフェ・ラッテを注文した。椅子もテーブルも古く、良く磨きこまれていた。その古臭さがこの店の雰囲気を益々良くしているようにも見えた。例の友人がこの町を去ってしまってからも私はこの店に良く行った。そのうち私は相棒に出逢って結婚するのだけど、相棒を含めて彼の友人たちはこぞってこの店の常連だった。友人たちは文学めいてはいなかったが写真関係の人達ばかりだったから、芸術めいていると言ったら良かっただろう。皆好みがはっきりしていて個性も強かった。私達は全く違う畑に生きていたので初めのうちこそ後ずさりしながら話をしたものだが、知ってしまえば何やら波長が合う。しかも自分の知らない世界のことを知るのは大変面白く、次第に互いに好んで話すようになった。午後の早い時間にこの店へ行くと大抵誰かが居た。そうして話していると他の誰かが加わって、とそんな風だった。私と相棒がイタリアに引っ越すことに決めた時、大切な仲間が町を去ってしまうと彼らは心底残念がった。彼らは今でもあの店で午後の早い時間を楽しんでいるのだろうか。店に並んでいた木製の、良く磨きこまれたような色のこの椅子を見た瞬間に、私はそんなあれこれを思い出した。ほんの一瞬にそんな沢山のことを思い出すほど椅子はあの店の椅子に良く似ていた。もう随分前のことで忘れかけていたのに、思い出した途端に胸をぎゅっと摑まれたように痛かった。大好きだった店。大好きだった仲間達。まだ時間が早いようで誰も座っていないテーブル席を横目に、近いうちにあの仲間達に会いにいこうと思いながら通り過ぎていった。

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バール仲間

クリスマスとサント・ステファノの祝日が終わり、生活が平常に戻った。と言っても全く正常な筈は無く、いつもの月曜日とはちょっと違う。多くの人が冬の休暇中の、のんびりとした月曜日。外を走る車は少ない。近所の家の雨戸が閉まったままのところを見ると、何処かへ旅行中か、それとも親戚家族の居る故郷に戻っているのだろう。いつもなら纏まった休みには何処かへ行きたくて堪らない私であるが、この冬に関しては少し前からボローニャに居ることに腹を決めていたので、今更じたばたすることは無い。勿論2年前のブダペストの冬を思い出したりするとちょっと心が揺らぐけど、そんな時は、まあいいさ、来冬があるさと、言葉にして自分に言い聞かせる。昨日の、空一面を覆っていた濃い鼠色の分厚い雲からしきりに落ちてきた雪交じりの雨が夢だったみたいに晴れ上がった今日は、窓から差し込む日差しが目に痛いくらいだ。うん、昨晩は本当に嫌な天気だった。それで気分転換にと、急に思い立ってボローニャへ行った。ピアノーロからボローニャ市内への僅か20分ほどの夜のドライブ、そして相棒がいつも行くバールが最終目的地だった。このバールは、実を言えば私の趣味に反する。何しろいつも混み合っていいるのだ。ただ、ボローニャ旧市街とピアノーロを直線で結んだ途中にある為に、相棒と待ち合わせするに都合が良い。それで時々行くうちにバールで働く若者達や、店内にある煙草屋の主、そして此処に通う人達と顔見知りになって、知らないうちに自分の趣味とは関係なく足を運ぶようになった。バールには4人の女性と1人の男性がシフトを組んで働いていて、だから何時行っても違う組み合わせで面白い。彼らは人気者で、その大きな理由は明るくて元気な性格らしい。オーナーは時々顔を出すが存在感は薄く、この5人が切り盛りしているといっても良かった。昨晩はフルーツカクテルを注文した。そうしているうちに、人混みの中にSilvano を見つけた。彼はもう直ぐ60歳のおじさんで、髪の毛も顎に貯えた髭も真っ白で、年齢にしては嫌に肌の色艶が良くて、何時見てもきちんとした身なりをしている紳士という言葉が良く似合う人だ。Silvano はこの界隈に生まれて育ち今に至っているので、店に来る誰とも知り合いらしい。彼と立ち話をしていると、老いも若きも誰もがCiao Silvano! と声を掛けていく。なにやら硬い仕事をしているらしく、糊の利いたワイシャツにきりりとネクタイを締め、磨きぬかれた革の靴を履いている。額には深いしわが幾本も刻み込まれているので、初めて彼を見たときは厳めしい難しいおじさんだと思ったが、相棒は彼と仲が良いらしく会う度に長話をするので耳をそばだてて聞いていたら、見掛けに寄らず楽しい話をする。何処にでも居る普通のおじさんで、私はほっと胸をなでおろした。そのうち私も一緒に話をするようになると、だんだん彼という人が分かってきた。家族思いの働き者で、人の話の良い聞き手で、決して人の悪口を言わない。成る程、それだから皆が彼に声を掛けていくのだろう。ただ単に彼を知っているからではなくて、皆彼を好きなのだろう。人混みの中の彼に声をかけたら、彼は笑みを湛えながら手を振り、シニョーラ、祝日の晩に会えるとは光栄ですが、こんな晩はこんなバールではなくて気の利いたレストランに連れて行って貰わなくてはいけませんよ、と言ったので、そこに居る誰もがわっと笑った。バールで働く若者達も、カウンターで食前酒を飲む知ってる人も知らない人も、この辺りに住む常連の若い子達も。こんな肩の張らないバールだから、この店は繁盛するのかもしれない。皆で笑うって気分がいい。ちょっと良いサント・ステファノの晩になった。

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ボローニャより

ボローニャからBuon Natale。めまぐるしい毎日に終止符を打ち、昨日の午後からクリスマス休暇に入った。待望の休暇なのに、不思議なことにその現実を素直に受け入れられず、もしかしたらいい所でぱっと目が覚めて夢だったことに気がつくのではないだろうかなどと思ったりもした。職場を後にしてバスが旧市街に入った頃、私はようやくこれが本当のことなのだと思えるようになり、一足遅れで休暇に入った喜びを噛みしめた。バスから降りたその足で、気に入りのカフェ、ガンベリーニへ行った。クリスマス休暇に乾杯と行きたいところだが、昼からひとりでシャンパンというのも何なので、カップチーノと小さな菓子をふたつ注文した。カウンターには人も疎らで、しかし奥の方では幾人もの常連達が背の高い小さなテーブル席を陣取ってクリスマス前の午後を楽しんでいた。カウンターの中の青年が誰に言うでもなくぼそりと呟いた。やっと光が見えるようになった。どうやら少し前までは大変な混雑だったらしい。と理解した私はそんなに混んでいたのかと聞き返すと、ええ、今日の混雑は並大抵ではありませんでしたと言葉を返した。知っている。私はその並大抵ではない混雑を知っている。この店の内部は狭いのであっという間に人で混み合ってしまうのだが、客達は容赦なく次から次へと入ってくるのだ。あれは何時だっただろう。数ヶ月前にカッフェでもしようと思って扉に手を掛けて驚いたものだ。それはまるで満員バスのようだったのだから。小さな休憩を終えて店を後にした。街は意外と閑散としていて、そんな様子が昔住んだアメリカの街で初めて迎えたクリスマスを思い出させた。私はまだひとりだったし少ない友人たちはそれぞれの納まるべき所に行ってしまったから、なんだか寂しい思いをした。いや、寂しいというよりは砂漠にひとり取り残されたようなそんな感じであった。午後になってひとりの友人と連絡がやっと取れて、私達はバスを使わずに海辺まで一緒に歩いた。坂を上りつめると其処から急な坂が長く続いて最後の部分に海が見えた。誰ひとり車一台通らないゴーストタウンのようで、それは私の心の奥深い所にしっかり刻み込まれた。あれから20年近くが経ち、色んなクリスマスの日を通過した。あのクリスマスを毎年思い出すところから察するに、私はあの閑散とした寂しい一日を案外気に入ったのではないだろうか。
今年のクリスマスは家族たった3人でのお祝い。でも皆が豊かな笑みを湛え、穏やかな一日になった。温かい美味しい食事を囲みながら、今日という日を祝えることを感謝しながら。クリスマスの晩に想う。今日という日を皆と分かち合えることを感謝します。私の家族、友人、それから私を取り囲む全ての人々にも恵み溢れるクリスマスがありますように。

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この冬何度目かの雪

雪が降った。この冬何度目かの雪だった。と言ってもこれまでのような大きな雪片がぼさぼさと降り落ちてきた訳ではなく、まるで小麦粉のような乾いた細かいものがふわりふわりと落ちてきたのだ。こんな雪なら大丈夫。金曜日の晩にそう思いながら眠りについた。何しろ明日は土曜日で、既に習慣の一部となったボローニャ散策を週の半ばから楽しみにしていたからだった。塵も積もれば・・・という言葉を私はすっかり忘れていた。朝起きると窓の外は一面雪だった。夜中に根気良く降り続けた雪が作り上げた雪景色。私が起きたときには雪は止んでいて、元気よく顔を出した冬の太陽が雪を更に美しく見せていた。さて、出掛けようか、止めようか。何しろ私は無類の寒がりなのだ。窓からそっと手をさしだしてみると外気は恐ろしく冷たかった。氷点下に違いなかった。しかし私はえいっと立ち上がって出掛ける準備を始めた。相棒が丁度ボローニャ旧市街へ行くというし、雪景色の旧市街を見てみたいと思ったし、そして私は今まで自分が作り上げてきたつまらない殻を抜け出したいと思ったからだ。寒いからとか雨だからとか、何だとか、今まで続けてきた行動しない理由を、これから減らしていこうと思ったからだ。私がそう思うようになったのはこの夏の一人旅からだ。一人旅というほどのものではなかったにしろ、私はひとり電車に乗りながら、長距離バスに乗りながら、街を歩きながらそんなことを自然と考えるようになったのだ。さて、ボローニャの街は私が暮らす丘の町ピアノーロほど雪は降らなかったらしく、雪は日陰に、又は道の端っこに残っているだけだった。Piazza Maggiore 辺りに行くと小さな子供達が雪合戦をしていたり、飼い犬たちが雪の広場を駆け回っているのだろうと俄かに楽しみにしていたのだが、実際は広場の路面が濡れて光っているだけであった。それだからなのか、それとももし雪が沢山積もっていても関係なくなのか、街にはクリスマス前の買い物を楽しむ人々で溢れかえっていた。一番繁盛していた店はボローニャの中でもかなり古いパン屋のATTI だった。パネトーネなどのイタリアのクリスマスには不可欠な菓子を買い求める人達だけではなく、24日に引き取りできるようにトルテッリーニを予約する人々も居るようだった。昔はどの家でもトルテッリーニを作ったものだがだんだんそれが出来る人が少なくなってきたらしく、店に注文する人の比率の方が多くなってきたように感じる。私の家だってそうだ。昔、姑が元気だった頃は彼女を中心にして家族みんなでトルテッリーニを作ったものだ。その作業は根気が要って案外大変なのだけど、それでいて楽しかったのを覚えている。今ではすっかり店に注文する派になってしまったのを少し残念に思っている。それにしても後4日と半分働くと冬休み。そうしてクリスマスがやって来る。そう思ったら急にわくわくして、私はまた力強く歩きだした。

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