11月最後の日

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今日は朝から晩まで寒かった。零度で始まった朝、草むらに霜が降りて白かった。ああ、霜が降りているねと言ったのは相棒で、もう冬なんだねと言ったのは私だった。

白くなった草むらを眺めながら4年前の今日を思いだしていた。猫がうちに来た日だ。ボローニャ郊外の猫の保護グループまで足を運び、猫を譲ってほしいとお願いしに行ったのは11月下旬に入ったばかりの頃だ。気に入った子猫を見つけたが、一週間待たねばならなかったのは猫の方も色々準備必要だからだと言われたからで、そして引き取る人間側の審査もあるからだった。責任を持って猫を養えるのかどうか。車の往来の激しい場所に住んではいないかどうか。予想もしていなかった沢山の質問をされて、ひょっとしたら猫を受け入れる資格なしと判断されるのではないだろうかと心配になったほどだ。一週間待たされ、再び足を運んだ4年前の今日もやはり寒い日で、太陽が一度たりとも顔を出さぬ、実に霧の濃い日だった。行ってみたらお願いしておいたのとは違う子猫が私と相棒を待っていた。多少なりとも戸惑いを感じて、思い切って言葉にしてみた。お願いしていた猫はもう一匹の方なのだけど。でも、言って直ぐに気が変わった。こうして私達のところに来るために準備されていた子猫が私達の猫。運命みたいなものを感じて間違えたことを詫びて詫びて詫びまくるグループのリーダーに、大丈夫、きっとこの猫がうちに来る運命だった、と言って車に乗せて帰って来た。怯える子猫に私達は声を掛けた。大丈夫。私達はきっと仲良しになれる筈。そんなことを猫は覚えてなどいないだろう。

猫がうちで暮らすようになり、ちぐはぐに見えた何かが、少しづつ整頓されたような感じがする。合わなかった歯車が、いつの間にかうまく回るようになった、そんな感じかもしれない。それとも穴ぼこだらけのパズルが、少しづつ埋まっていくような。私達は産まれ手間もなく外に置き去りにされた可哀そうな猫を守ろう、幸せにしようと思って家に連れてきたけれど、勘違いもいいところだ。猫が、猫が幸せを連れてきた。其れに今頃気づいた。




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ポルティコのある街

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あれほど暑かった夏のことを思いだすことが出来ないほど、寒かった朝。デジタル温度計は3度を示していて、窓を開けて息を履いたら、たちまち白くなり、息が凍り付いたかのように見えた。厳しい夏と厳しい寒さが存在する街。若しくは気候面では恵まれていない街。相棒と私がボローニャに暮らし始めると、誰もがそう言って私を脅かした。でも、まんざら脅しではなく、7月8月は体験をしたことのないような暑さだったし、そして後にやって来た冬もまた、限りなく寒かった。何時までも軽装をしていた私は、決して寒くなかったわけではなかった。それまで寒い冬のない街に暮らしていた為に、温かいコートを持っていなかっただけだ。もう随分前のことになる。当時はこんな街にやって来てしまったことに悔いるばかりだった。暑くて寒い街、ボローニャ。

ところでそんな私は、さっさと尻尾を巻いて此処から逃げ出してしまう予定だった。それが得策。そうだ、そうしよう。そう思っていたのに、今も私はここに居る。それを良かったと思っている。途中で投げ出すのも一つの案だけど、投げ出すのは何時だって出来るから、もう少し続けてみよう。そんな風に思いながら生活して23年だ。気の長い話で、我ながら笑ってしまう。

ポルティコの下をそぞろ歩くのが好きだ。寒い冬から寒がりの私を守ってくれる。やはり、ボローニャに来て良かった。




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広場にて

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夜がやって来るのが早い季節。毎年のことながら、この時期の日没時間の早いことに驚く。だから寄り道をするのが妙に億劫。まっすぐ家に帰りたくなるのは私だけではないに違いない。そんな中、仕事帰りに旧市街へ行ったのは、まっすぐ帰るバスが来なかったからだ。寒いから、兎に角バスに乗るのが得策、と予定外のバスに乗りこんで旧市街へ行ったという訳である。まだクリスマスの飾りつけのない広場は素朴に美しく、中世に引き戻されるような感が漂っていた。少しすれば何処もかしこもがクリスマスに向けてライトアップされる、その前に此処にやってこれたことを嬉しく思った。
この近くに友人の、そのまた友人が住んでいた。懐の温かい父親が、娘の願いで旧市街のど真ん中の一番上の階にアパートメントを買ってくれたのだと言っていた。もう23年も前のことで彼女の名前すら覚えていないけれど、あの家の作り、窓からの眺めは今だって覚えている。彼女は今もあの家に居るだろうか。こんな美しい場所に自分の住み家を持つなんて、私には夢のまた夢。あの日彼女のところに集まっていた誰もが同じようなことを言っていたけれど。
夏の間は華やかな喋り声が溢れていた広場も、今はまるで息を潜めているかのように静か。晩秋。それとも初秋。今頃の時期を何と呼べばよいのか、随分年を重ねたというのに未だに分からない。多分来年の私にも分からないに違いない。




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週末の美味しい

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折角の満月の晩に雨が降った昨日の金曜日。気温はそれほど低くないが、傘を差したままバスを待っていたら身体がすっかり冷えてしまった。それに、待てど暮らせどバスが来ない。ようやくやって来たバスは予想していた通り満員で、やっと来たバスを見過ごさねばならなかった。バス停に残された見知らぬ者同士が言葉を交わす。次のバスはいつ来るだろうか。また満員で乗りこむことができないのではないだろうか。それでなくても寒いのに、この雨ときたら止むことを知らない。そんなことを口々に呟いていたら、折角の金曜日なのに、折角の満月の晩なのに、と誰かが呟いたので、皆が一瞬はっとした。どうやら誰もがそれを一番気にしていたらしい。次の言葉がなく黙り込んでしまったところ、まるで救世主のようなタイミングで乗客の数も疎らの、随分と空いたバスが停留所に滑り込んだ。やれやれ、助かったね。良い週末を。知らない者同士が挨拶を交わしながらバスに乗りこんだ。そんなシーンを夢にまで見て、目を覚ました土曜日の朝。窓の外は雨。また雨か、と、もう一度毛布の中に潜りこんだが、ふと思い出してベッドから抜け出た。今日は雨だろうと何だろうと、クリーニング屋さんに行って、その足で旧市街へ行こうと、ずっと前から決めていたのだ。風邪が完治せず、近頃週末になると熱を出して家に閉じ籠もってばかりいたのが、どうしようもなく嫌になっていた。毎日、家と仕事の往復ばかり。もっと外に出たい。もっと歩きたい。何かいつもと違うことをしたい、と。

雨は止んでいた。クリーニング屋さんへ洗濯物を持ち込んだのは、土曜日の営業時間が終わる15分前だった。土曜日は13時を待たずに店を閉めるのだ。洗濯物を受け取り、受取書を書き込みながら女主人は目を見開いて、Black Fridayで何か購入したのかと訊いた。いいや、昨夕はバスが来なくてそれどころではなかったと答えたところで、なんだい、Big Fridayのことかいと言いながら女主人の夫が店の奥から出てきたので、私達は大笑いした。70歳程の彼にとってはBlackもBigも同じように聞こえるのだろう。それにしてもBig Fridayとは何か良い響きで、これも悪くないと私達は口々に言うと彼は上機嫌になった。そうだ、これからはBig Fridayでいこう。
旧市街にバスが入りこむ。大きな郵便局前の小さな広場にはフランスのクリスマスマーケットが建っていた。毎年この時期から約ひと月の間、この場所に居座るのだ。此れはいつの間にかボローニャの人達の冬の楽しみになった。心待ちにしていた人達で程よく賑わっていた。内容は毎年ほぼ同じ。特に変わり映えはない。しかしボローニャ旧市街の広場でフランスのシャンパンを頂きながら生牡蠣を立ち食いするのはなかなか素敵なことだし、それに店の人達のフランス語が耳にとても楽しい。それがこのマーケットの魅力だと私は勝手に思っている。
此処にはまた改めて立ち寄ることにして、少しウィンドウショッピングを楽しんだ。エルメスのスカーフはいつ見ても美しく、その先のカフェ・ザナリーニのショーウィンドウに飾られた菓子は宝石のように見えた。右手に曲がるとポルティコの下に並ぶカフェのテーブル席。幾人かの客が腰を下ろして温かい飲み物を楽しんでいた。こんな寒い場所にと私のような寒がりは思うけれど、ポルティコの下に並ぶテラス席は人々にとっては特別な存在なのだろう。特等席、みたいな存在だろうか。靴屋のウィンドウには美しいラインのショートブーツ。手の届かぬ値段が付けられていて、ふーっと溜息をついた。その息が思いがけず白い煙となって立ち上ったので、初めて其れほど寒いことに気が付いた。サン・ペトロニオ教会前の広場には沢山の人が集まっていた。その奥の、市庁舎前に幾つかの小屋が。観に行ってみるとハーブやら蜂蜜やら食料品を扱う店が小屋ごとに分かれて販売していた。足を止めたのは美味しそうなパンを扱う店。先客が居た。背の高い夫婦で、とてもきちんとした装いをしている。歳の頃は40代の夫婦と言った感じで、とても感じが良かった。小屋の中に居る店の人が、客にパンのことを説明していた。と、夫の方が指をさして、これは?と訊くと、栗と胡桃を挽いた粉で捏ねたパンダと言う。夫が半分だけ買いたいと申し出たので、すぐさま残りの半分は私が買うと申し出ると、夫婦がこちらを向いて興味深そうに眺めた。これはとても美味しそう。赤ワインに合うのではないだろうか。そんなことを言う私に、君はいいことを言うなあ、と夫は言った。どの辺りの栗を使っているのか、スカースコリ辺りの栗だろうかと店の人に訊く私に、夫が再び口を挟む。君はスカースコリを知っているのか、と。昔毎週末のようにスカースコリに住んでいる友人の家に足を運んだと答えると、夫も妻も嬉しそうな顔になって、自分たちは明日の日曜日にスカースコリの友人のところに遊びに行くのだと言った。美味しい匂いのパンを半分づつ藁半紙の紙袋に入れて貰い、互いの楽しい週末を祝って別れた。どうやらこれらの小屋はアペニン山脈の製造者、販売者によるものらしい。決して安くはないが、しかし良質の、ケミカルフリーの体に良いものが販売されていることを嬉しく思った。ふたつ向こうの小屋でトリュフのペコリーノチーズを見つけた。トスカーナ州に属するムジェッロの人達によるものだった。欠片を食べさせて貰ったら美味しかったので、大きな塊の半分の半分を購入した。相棒が喜ぶだろうと思って。それにしても小屋に立ち寄る人も少なければ、購入する人も少ない。この寒空の下で直営販売する人達の為にこれ以上雨が降らなければいいと思った。もっと沢山の人が集まるように。皆が本当に美味しいものに気付くように。
短い散策を終えて家に帰えると相棒がタイミングよく帰って来た。目を瞑らせて、パンとチーズの匂いを嗅がせてみたら、うわーっと声を上げ、嬉しくなって彼は目を開けた。どうしたんだい。旧市街にアペニン山脈の製造者直売の店が出ていたのよ。そんな話をしながら思った。私達には何か凄い、特別な楽しみがあるでもないし、何処かへ一緒に旅するでもない。週末ごとにレストランへ行くこともなけれど、こんな普通の生活にちょっと美味しいものが登場して、そんな細やかなことを喜べるのは案外幸せなのかもしれない。そしてそんなことを幸せと思える私達は、案外大変幸せ者なのかもしれない。

来週は帽子を被って外に出よう。もう冬なのだ。ボローニャの街の店先に温かいワインが出始めたのだから。それにしたって今日が11月24日だなんて。時間が経つのが、少々早すぎやしないか。




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もうすぐ感謝祭

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11月も後半に入り、アメリカでは感謝祭が近づいている。アメリカに暮らす友人達は先駆けて感謝祭の休暇に入り、何やらとても楽しそう。そんな時期になったことに驚き、そして昔私もそうした行事に参加したことを思いだす。

私が暮らしていた界隈は大きな公園の近くで、ちょっとリベラルな人達が暮らす界隈だった。弁護士などと言った堅い職業についている人達も暮らしていたが、大抵は写真家とかクラシックギター演奏者とかハープ演奏者とか、写真家とか画家とか。生活パターンなるものがあまり存在しない人達が多く、それからオーガニックを好む人達がこぞってこの界隈に暮らしていた。そういう人達が住んでいるからなのか、それとも偶然なのか、近所には3軒のオーガニックの店があって、そのどれもが大変繁盛していた。今でこそオーガニックの店はごく当たり前に存在するけれど、26年前はまだ一握りの拘り派が通う店でしかなかったのに、である。さて、相棒と私が暮らしていたフラットは、とても良い家族が暮らしていた。ジャーナリストの夫に社会福祉活動をする妻。そして3人の大きな子供たち。相棒とテス家族の付き合いは長い。何しろ相棒もテスの家族も15年も同じフラットに住んでいるからだった。だから相棒のところに私が暮らすようになるとテスは相棒の為に喜び、何かにつけて私に声を掛けた。カフェをしましょうよ。美味しいものを作ったから、食べに来なさいよ。そうこうしているうちにテスの家族皆が私に声を掛けるようになり、遂には相棒がイタリアに帰っている独りぼっちの感謝祭を迎える私をこの家族は感謝祭の昼食に招いてくれることになった。料理上手のテスが腕によりをかけて用意した数々のご馳走。よい家族には良い漢書の友人知人が集まるらしい。私の周りには存在しないタイプの人達が彼女の家に集まり、私は目を白黒させながら彼らの話に耳を傾けたものだ。それは何時間も続き、美味しくて楽しくて、しかし分からぬ言葉が次々と飛び出してくる話にほとほと疲れた。26年経つ今でも忘れることが出来ないのは、そもそも感謝祭とは神に収穫の感謝を捧げる祭りだけど、日頃の諸々を感謝する日でもあると言って、テスが集まった人々に向けて感謝の言葉を述べたのが印象的だったからだ。人に感謝を述べることは簡単そうで、それほど簡単なことではない。だからこうして一年に一度皆で集まって感謝を述べあうのは素敵なことだとテスが言ったのを私は忘れない。イタリアには感謝祭はないけれど、今も11月の第4木曜日が私の感謝祭だ。

テスは元気だろうか。あれからあの家族はもっと海に近い辺りに、大きな庭のある一軒家を購入して引っ越して行った。引っ越しても同じ街に暮らしていたし、同じトロリーバスを使っていたから時々顔を合わせることがあった。それから街中のカフェや本屋で偶然隣り合わせになることもあったけれど、しかしこんなに離れてしまっては会える筈もなく、いつか私が会いに行くしかないと思っている。もう結構な年齢になっている筈だ。子供たちは親孝行しているだろうか。私のことを、今も、覚えているだろうか。




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