晴天の効果
- 2014/02/24 01:20
- Category: 好きなこと・好きなもの
忙しい一週間だった。それも週末を迎えてみればどうということのなかった毎日に思えるものだ。夕方がめっきり明るくなった。草原に紛れ込むようにして咲く黄色いたんぽぽ。眺めていたら昔読んだ絵本、しろいうさぎとくろいうさぎ、のうさぎ達が何処からか飛び出してきそうな気がした。昔読んだと言っても読んだのは専ら母で、私は聞き手専門だった。私が小さな子供だった頃、母が繰り返し読んでくれた本。幾度も読んでくれたのは私が読んでほしいとねだったからだ。森に暮らす二匹のうさぎの話。今思い出せば単純な話だが、何かに悩むくろいうさぎの悲しそうな様子が子供の私は心配でならなかった。あの頃から黄色いたんぽぽの花を見ると彼らのことを思い出すのだ。森に咲いていた黄色いたんぽぽの花。ボローニャの街中のこんなところにも咲いている。
昨日の暗い空を思い出すことが出来ないほど良く晴れた今日。空気は思ったほど暖かくないけれど、それにしても外が明るいだけで気持ちが何と変わることか。毎日こんなだったらよいのに。私は心の底から願うのだ。ふと、ローマに暮らし始めた頃のことを思い出した。それはもう18年も前のことで思い出のあちらこちらが色褪せ始めているのに、今になってもふとした拍子に思い出すことだ。私は少し知人の家に居候したのち、老女の家の一間を借りて暮らし始めた。それは知人が新聞で一緒に捜してくれた場所で、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世広場から直ぐ其処に在る、何か由緒ある建物の上階にあった。部屋の窓からはダンテ広場が眺められて、恐らくはその昔限られた人々しか手に入れられなかった住居だったと想像できた。事実老女の夫とその前の世代は時計屋として大変儲けていたらしく、昔の栄光話をするのが大好きだった。そして栄光は昔のことで息子の世代になるとごく普通の時計屋となり、細々と商売をしているようだった。部屋を其処に借りたのは職場に歩いて15分ほどだと言うことだけが理由だった。兎に角老女が幅を利かせていたので家の中では小さなケージの中の鼠のような気持になった。だから仕事が休みの日は外に出た。雨が降っても風が吹いても。外に出ないことには気分が塞いでしまうからだ。ひと月もしないうちにうんざりし始めた私に、知人が声を掛けてくれた。うちに一部屋空いているけれど。そこには既に4人の若いイタリア人が暮らしていて、5つ目の部屋が空いていると言うことだった。場所は地下鉄オッタヴィアーノのすぐ傍で、賑やかな大通りがすぐ近くにあるらしかった。家賃を訊けば今のところよりもずいぶん安く、5人生活に多少なりともの不安を感じながらも私はその部屋を見せて貰う約束をとった。約束の日が来る前に休みの日があった。街の中心を散歩しているうちに、その界隈を見てみようと思いついて歩いて行ってみた。それは2月にしては天気の良い日で散歩するには最適な日だった。結局アパートメントが何処に在るのかは分からなかったが、私はその界隈をすっかり気に入ってしまった。大通りの両脇には街路樹が並んでいて、恐らくはリラの花に違いない良い匂いの花が早くも咲き始めていた。私は樹の下を歩きながら、既に決めていたのだ。この界隈に暮らしてみよう。5人の共同生活で私は沢山のことを学ぶだろう。そんなことを思いながら。あの日の午後が懐かしい。私はローマの生活に早くも暗雲を感じ始めていたが、あの散歩ですべてがぐるりと変わったのだ。大丈夫。きっと良い方向に道が開けていくよ、と。多分それはあの晴天が大きく私の心に作用したに違いなく、しかしその作用はあの頃の私には是非あってほしかったことのひとつだった。うまくいかないことばかりで、私は後ろ向きになりつつあったから。晴天。私の親友。晴天だと全てが何とかうまくいきそうな気がする。
5人の共同生活は簡単ではなかったが、私が沢山のことを学んだのは本当である。どんな風にしてうまくやっていくのか、どんな風にして相手を説得するのか、喧嘩するのも仲直りするのも、あの共同生活で学んだ。勿論私はそれなりに色んな事を知っていたけれど、郷に入れば郷に従え、イタリア式を知っていると知っていないとでは大きな違いだったから。
あれから随分の年月が経ち、しかし私の晴天に寄せる気持ちはあの頃と少しも変わらない。明日も青空になるだろうか。と思いながら、小さな折り畳みの傘を引き出しの中にしまい込む。暫く出さなくていいようにと願いながら。