朝から忙しい土曜日

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今日は朝から忙しい土曜日。7時に起きて朝食を済ませるなり活動開始。相棒と一緒に寝室のあれこれを新しくすること2時間。疲れたなあと思いながら家を出た。

何故だかすることが詰まった一日になってしまった。それもあれも此れも14時までに終わらせることばかり。折角の土曜日なのだからもう少しのんびりしたかったけれど、此れを全てやっつけてしまえば、残りはしたいことだけすればいい週末。最近バスと相性が良くない。寒風の中、停留所でバスを待つのが辛い。そしてやっと来たバスは大抵混んでいて、混んだ場所が嫌いな私はバスに乗るをの諦めてしまう。だからまた停留所で次のバスを待つ。ところが今朝は違った。確かに随分待ったけど、やって来たバスは空いていた。途中で乗車券の検察をすべく、バス会社の人が3人乗り込んできた。面白いのは乗車券を持っていない男性が自首したことだ。まだ乗車券の提示を求められていないのに、すみません、僕は乗車券を持たずにバスに乗りました、と。
彼は土曜日の午前中によく一緒になる、歳の頃は40を超えたくらいの、首や顔、腕にも小さなタトゥを沢山いれて、髪を微妙に刈り上げた、一見怖そうな感じの男性。顔つきも怖い。何か悪いことをして一度くらい警察の世話になったに違いないとか、麻薬などに一度くらい溺れたに違いないとか、私はそんな風に想像していた。兎に角そんな風帽だから、誰もが彼と目を合わさないようにしていた。だけど私は知ったのだ、彼が優しくて親切なことを。12月だっただろうか、彼が座っていたら小さな老女がバスに乗り込んできた。小さくて細くて転んだらぽっきり折れてしまいそうな、可愛い笑顔の老女。その姿を見るなり彼がさっと立ち上がった。シニョーラ、此処に席が空いていますよ。その言葉を耳にして、周囲に居た誰もが驚いたようだった。若い人たちや元気な男性達は誰も席を譲ろうとしなかったのに、彼が立ち上がって席を空けた。老女は彼に大変感謝して、あなたは優しいのねえ、と言うと彼は酷く照れて、もうすぐ降りるからなんて言った。でも降りなかった。終点までずっと隅っこに立っていたのを私は知っている。あの日から彼への印象が変わったのは私ばかりではないだろう。それで、その彼が乗車券を持たずに乗車したことを自首したのである。これには検察員も驚いた。大抵の人は持っていないことを隠したり胡麻化したり、逆切れするのに。だから検察員は彼に好意的で、あっという間に手続きが終わり、彼に礼などを言ったものだから、見ていた人達の顔に笑みが浮かんだ。

ボローニャが勝った。サッカーのセリエAの話である。昨年好調だったボローニャだが、今年はどうかなあ、今ひとつなんじゃないかなあ、というのが私の印象だった。勿論そんなことは相棒の前で言ってはならぬ。ツマラナイ言い合いや喧嘩になること間違いなしだからだ。そのボローニャが今日は3-1でモンツァに勝って、相棒は大変機嫌が良い。勝利の後の監督のインタビュまでしっかりテレビで見届けて、足取り軽く外に出ていった。行き先は言わなかったけれど知っている。近所のバールに違いない。あそこで知人たちと勝利の喜びを分かち合うのだろう。老いた母親の世話とかなんとか、色んなことでしたいことを存分出来ない相棒だ。こんなことで開放感や喜びを味わえるなら安いものだ。存分愉しんでくるのだよ。そうして今夜は機嫌がいいところで美味しい夕食を作ってくれるといいなあなんて、妻は思っているのだ。




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ワインのない夕食なんて

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木曜日を迎えて、今週も後半に入ったと嬉しく思う。長い休暇でたっぷり休息をとり、存分したいことをして愉しんだのは良いけれど、未だに調子が戻らない。早起きして朝食を済ませ片付けをして身支度をして家を出る。今迄普通にしていたことなのに、うまく行かない。そもそも起床から躓いている。目覚ましアラームが鳴って止めたところまで覚えているが、知らぬうちに再び眠りに落ちてしまう。はっと気づいて目を覚ますと30分ほど過ぎていて。だから家を出るまでが忙しくて仕方がない。今週はもう2度もそんな事があって、もしや私は疲れているの?なんて自問しているが、多分もっと簡単なことだ。眠いだけ。それにしても二度寝はどうしてこんなに気持ちが良いのだろう。と、そんなことを言っている場合ではなく、いつの間にかついたこの悪い癖を治さねばならぬと思っている。

最近私は寄り道ワインをしていない。寧ろその習慣を辞めようとすら考えている。それから週末のバールやカフェ。最近店の人の質が落ちているような気がして、折角美味しいワインやカッフェなのにがっかりすることが多いからだ。私の寄り道ワインや週末のカップチーノは、数多い愉しみのひとつだから淋しくない筈がない。まあ、良い店を発掘すればいいことかもしれないけれど、今のところそういう店が見つからない。代わりにワインは家で堪能している。今夜は先日相棒が自慢気に持ち帰ったフランスはプロヴァンス地方の赤ワインの栓を抜いた。美味しそうだとは思っていたが、期待以上の味わいに脱帽。へええ、こんなに美味しいなんてねえ、と目を丸くすると、相棒は嬉しそうだった。それにトリュフのペコリーノチーズと新鮮なパン。簡単なパスタと野菜の夕食だったけど、思いがけず美味しくて愉しい夕食になった。ワインのない夕食なんて。寄り道ワインをしない分家で愉しみたいと思う。肩の力を抜いて時間を気にすることもなく堪能できるなんて素敵じゃないか。日本に居た頃お酒類はまったく飲めなかった私が、何時かこんなことを言うようになるなんて、毎晩夕食時にワインをグラスに一杯頂くようになるなんて、誰か想像できただろう。兎に角今夜のワインが気に入ったので、また近いうちに手に入れて欲しいと頼んでおいた。ちょっと値が張るワインらしいけれど、こんなことくらいで妻が喜ぶならばいいじゃないかと言ったら、相棒はお腹を抱えて笑っていたけれど。

明日は金曜日。待望の金曜日だ。周囲で風邪が流行っているから気をつけようと思う。週末に寝込むなんてことがないように。折角の週末に、太陽を仰ぎながら街散策が出来なかったら残念過ぎるから。




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外国人

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今日は乾いた冷たい空気が肌に刺さるような、そんな寒さだった。でも、そういうのは嫌いではない。霧に煙ってじめじめしているよりずっと良いと思う。そんな中、遠くに雉の鳴き声を聞いた。この乾いた天気を、雉も喜んでいるのだろう。まあ、こんな乾燥だから喉が乾かないように水分を摂るのが大切だ。喉が乾いたらアウト、あっという間に喉が痛んでしまうから。それから保湿。肌の保湿にも気をつけたい。そうでなくても若い頃の肌とは違うのだから、せめて保湿をして乾燥を避けたいと思っている。

きつくなった衣類は思い切って廃棄した。捨てたというよりはリサイクルにだしたと言えばいいだろうか。兎に角クローゼットの中から撤退させたのは良いが、すっかり品薄になった。特にボトムス。ジーンズやパンツ。これは3キロは減らさないとと思うようなものは潔く手放したら、ほとんど残らなかった。それで少し買い足すことになった。この冬は夏の帰省の航空券という大きな出費があったので、サルディで買い物はしないと思っていたけれど、そんなことを言っている場合ではなくなった。寧ろ今購入しなかったら、何時購入するのだと思い、パンツやジーンズを手に入れた。どれもシンプルでベーシックな物。色も形も普通だけれど、素材と手触りと着心地だけは拘った。これでこの冬は安泰。毎朝パンツを選ぶことで困ることはない。
さて、私は小柄なので、必ず丈詰めが必要だ。購入時に丈詰めを頼むことも出来るけど、何しろ簡単な丈詰めなので敢えて頼まず、家の近所の店に持ち込んだ。うちから歩いて5分と掛からない場所に、サイズ直しの店があるのだ。2年くらいに開業した店。始めは客が入らず、店内に攣る下げられている仕上がった衣類の数があまりに少なかったけど、昨年くらいから客が増え、昨夏一度だけジーンズの丈直しにだしてみた。そうしたら代金があまりに安く、そして丁寧に仕上げられて、全く感心したものだった。簡単な丈詰めは此処でお願いするのがいい、と思うようになった。さて、パンツ類を買い足して、先日それらを店に持ち込んだ。此処はブロンドヘアのガタイの大きい女性が店主である。注文の多いイタリアのご婦人もうまくあしらう、素晴らしい会話力で、それに大変丁寧に説明してくれる。此れはしないほうがいい、寧ろこうしたほうがいいなんて言って、気難しい客の同意を得るのもお手の物だ。ところが先日パンツ類を持ち込んだところ、電話口で外国語を話しているではないか。これには驚いた。私はてっきりカラーブリア辺り出身のイタリア女性だと思っていたからだ。彼女は外国人だったのだ。今日の夕方、頼んでおいたものを引き取るべく店に立ち寄った。綺麗に仕上がっていて満足だった。代金を払いながら私は話し始めた。あなたのことをイタリア人と思っていたけれど、外国人なのね、先日話していた外国語は何処の言葉なのか大変興味があるのだけど。まあ、そんな感じのことを言ってみたところ、私はアルバニア人なんです、と彼女は言った。アルバニアはイタリアから海を渡って直ぐ其処に在る国。近いけれど、私の周囲にはアルバニア人はひとりもいなくて、正直言って初めてのことだった。それにしてもイタリア語がイタリア人同様だけどと称賛すると彼女は大変喜んで、こんなことを教えてくれた。彼女が若かった頃、アルバニアにはイタリアのラジオ放送があったそうだ。けれどもこれは秘密のことで、それが国にばれたら大変なことになったそう。兎に角彼女はイタリア国営ラジオが好きで毎日聞いていたら、そのうちイタリア語が分かるようになったのだという。こんな風にして当時の若者たちは、まだ見ぬ海の向こうのイタリアに思いを馳せていたのだそうだ。彼女がイタリアに暮らすようになって20年経ったらしい。こんなに言葉が達者になったのはふたりの子供という厳しい先生のおかげらしい。お母さん、そういう言い方は正しくないよ。お母さん、その発音はおかしいよ。そんな風にして何時も直されているうちに、イタリア人並みになったらしい。素晴らしいわと褒めたたえると、彼女はとても嬉しそうだった。外国人同士。私もイタリアに暮らして30年近く経つけれど、これからまだ何年居ても外国人であることには変わらない。だから此処で頑張っている外国人と知り合うと、嬉しくなり、助けたくなる。頑張る彼女の小さな店がこれからもっと繁盛すればいいと思いながら店を出た。

こんなに寒いのに、ジェラートが恋しい。そうだ、冬のジェラートは魅力的なのだ。じゃあ、明日の夕方に出も旧市街のあの小さい店に立ち寄ってみようか。食べ終えて店を後にするなり寒い寒いと言いながらポルティコの下を歩くこと間違いなしだけど。




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コートの前をきっちり閉めて

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空が高く明るい分だけ寒い。真冬の晴天と寒さは正比例しているのだと思う。特に帰り道の寒さは格別で、早歩きをしてもまだ寒い。今日は旧市街行きのバスに乗った。理由は単にそのバスが先に来たからだったが、それは良い判断だったと思う。あの停留所で、吹きさらしのあの場所で10分も20分もバスを待っていたら、私は風邪を引いていたに違いないから。

最近、旧市街を取り囲む環状道路手前の停留所でバスを降りるのが好きだ。其処から街の真ん中に建つ二本の塔を目指してポルティコの下を歩くのである、停留所にして僅か3つ分。でもこれを歩くと歩かないでは、身体と気持ちの調子が違う。足の為にも良いけれど、気分が清々するのだ。だから寒いけれど歩く。この冬の私の流行りと言ったらいいかもしれない。
ポルティコの下を歩いていると犬に遭遇することが多い。寒いからどの犬もセーターやジャケットで身を包んでいる。今日は白いチワワがシックなブラウンのダウンジャケットで身を包んでいて素晴らしかった。これには振り向く人が多く、性格的に怖がりのチワワは人に振り替えられて声を掛けられるたびに震えていた。初めは寒いからだと思ったけれど、飼い主の女性が、違うわよ、彼女は怖がりなのよ、何にでも驚き怖がるの、と言っていたので笑みを誘った。
それにしても面白いのは、この寒い冬空の下、それも寒い寒い晩なのに、カフェのテラス席に好んで座る客が居ることだ。春から秋は分かる。テラス席は開放的で、素敵な気分になるものだから。でも、この寒さ、1度とか2度の冬の晩にテラス席って。確かにイタリア人の体温は私たち日本人とは異なるけれど、それを十分理解したうえでも、でもやはり寒いでしょう?と言いたくなる。更にはこのテラス席でシャンパンなどを頂くのだから。それとも素敵な気分になるためには寒さなんて気にしてはいられないということなのか。
そういえば若い頃の私は、冬のコートの前をきっちり閉めるなんてことはなかった。開けているほうが格好良かったからで、格好いいほうが寒さに勝っていたからだ。今はそんなことはしない。コートの前はきっちりボタンを掛けて、襟巻で首元を覆い、革の手袋、そしてショートブーツという重装備である。冬は暖かいのが一番。薄着で寒そうに見えるより、覆って暖かく見える方が格好いいと思うようになったからだ。勿論それは自分視点の考えで、20代の若い人たちからしたら、北極圏に住んでいるんじゃないんだからと思うに違いない。あはは、北極圏だって、と自分で言いながら笑ってしまったけれど、そのくらい私の装いは厚着である。

明日はもう水曜日。いいぞ、その調子だ。愉しいことばかりではないけれど、今年の私は前向きだ。穏やかな心で行こう。肩の力を抜いて、小さな喜びを見つけながら。




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青空があれば大丈夫

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昨晩の月が約束してくれた、明日もきっといい天気になるよと。月が約束した通り、今朝の空は青く高い。空が明るい日はそれだけで気分がいい。朝は零度を下回ったが、冬だもの、そういうものだと思えばいい。昨日立ち寄ったクリーニング屋さんの店の人が言っていたように。寒いのは何とかなる、でも空が暗いとどうしようもない。だから空が明るい日は寒いことに文句を言うものではない。空が明るいことだけで満足しなくてはいけないと彼女は言い、自分自身に言い聞かせているようだった。ふふふ、分かる、その感じ。寒いのは苦手なのは私も一緒。でも空が明るいならば我慢できる、要はセーターの下に暖かい下着を着ること、と言って袖口からユニクロのヒートテックをちらりと見せたら彼女は笑った。そして彼女もセーターの袖口から見せるのだ、暖かい下着、カシミヤ製とのことだった。彼女のイタリア暮らしは大変長いが私同様外国人で、ポーランド出身だそうだ。ポーランドの冬はこんなものではないから、暖かくすることに関して私よりもずっと上手なのだそうだ。お薦めよ、とのことだけど、高価なカシミヤ製の下着には当分手が出そうにない。

こんな晴天の日、アメリカに居た頃は郊外に繰り出したものだった。ワイナリーが沢山存在する丘へ行くこともあれば海へ行くこともあった。何しろ冬でもそれほど気温が下がらなかったあの街のことだ、冬だって屋外の生活を愉しむのに一生懸命だった。若かったからだろうか。いや、あれはあの街の気候のせいだったに違いない。ローマに暮らした冬の晴天は、素晴らしかった。サングラスを掛けないと歩けないくらい日差しが強かった。私は相棒と離れて暮らしていたこともあり、仕事が休みの日は独りでぶらぶら歩いたものだ。歩いていると何となく職場のある界隈に足が向いてしまい、駄目駄目、今日は休みなんだからと意識的に反対方向に歩くよう努めたりして。そうして向かうのは大抵フォロ・ロマーナ界隈で、中に入るでもなく周囲を歩きながらその雰囲気を愉しんだ。市内の交通機関を利用できるパスを持っているくせに、歩いてばかりいた。そういうことでローマに馴染もうとしていたのかもしれない。それとも相棒と離れてひとりで居る寂しさみたいなものを紛らわそうとしていたのかもしれない。当時の私はローマに暮らし始めたばかりで友達と呼べるような人が周囲に居なかったから。それでも寂しさに押し潰されることがなかったのは、周囲に居た人達のおかげだ。仕事帰りに食事に誘ってくれることもあれば、休みの日に何処かへ行こうと電話をくれることもあった。私自身は独り行動が好きなタイプの人間で、周囲が心配する程独りを苦にしていないと思っていたが、あれは有り難かった、彼らの存在がなかったら、私は参っていたに違いなく、数か月で尻尾を巻いてローマを去っていたに違いない。
イタリアに来てもうじき30年。此処の生活の中で私が何かをしたかと言えば何もない。多くの人は、こういうことをしていますと胸を張って生き生きしているけれど、私は本当に、両手の中が空っぽだ。何をしてきたかなあ、何かいいことがあったかなあ。時々そんなことを考えるけど、そう言いながら30年居たということは、多分、気づいていないだけで、私は其れなりに幸せだったのだろう、と、今日の私はそんな風に思える。青空効果だろうか。ならば毎日青空でいて欲しい。私が色んなことに感謝して、色んなことに前向きでいられるように。空よ、今の話聞こえてる?

今日はシーツはもとより羽毛の掛け布団のカバーも替えた。何しろ掛け布団がふたり用と大きいのでカバーを外すのも、新しいカバーをかぶせるのも体力と時間と忍耐力が必要だった。あー、この作業嫌いかもしれない。そんなことを思いながらの作業だったけど、洗ってアイロンが掛かったカバーは清く美しく、苦労が報われた気分である。今夜は気持ち良い眠りに就けるだろう。その前に1月の満月を堪能するのを忘れないようにしなくては。今年に入って一番初めの満月だから。




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