文句のつけようのない休暇
- 2024/08/25 15:00
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私の長い夏季休暇も残り3日となると、淋しいものだ。まだまだ、まだまだなんて思っていたのに。まあ、こんな風にいつか終わってしまうから、次の休暇が愉しみなのだ。毎日が休暇だったら。いつかそれなりの年齢を迎えて仕事を辞めるまで、それはお預けにしておこうと思っている。若くて元気で毎日が休暇だったら、喜びは半減してしまうかもしれないから。だからこれでいいと思う。休暇を終えて普段の生活リズムに戻ること。決して残念なことではない。
テラスの植物の勢いが良い。特に柚子の樹は直径4センチほどの青い実を沢山つけている。数週間後には実がひとまわり大きくなって黄色く色付き、収穫する日が来るだろう。そうしたら毎朝の手入れや毎晩の水遣り作業が実ると言うものである。唐辛子も元気がいい。これは相棒拘りの唐辛子で、私が口出しする隙間もない。それから茗荷。今年は根っこの割に植木鉢が小さすぎるのではないかと懸念していたが、案の定、である。蕾がなかなか土の中から出てこないので指で土をほじくってみたら、あ、あった。小さな茗荷の蕾をふたつ発見。窮屈だけど今年は我慢して頂戴と茗荷に声を掛ける。冬が来る前に根分けをして楽にしてあげるから、と。茗荷の根っこの繁殖力は凄いとは聞いていたけれど、植えた時には小さかった根っこがこんなに大きく成長した。根分けをしたら興味を持っている身近な人達に分けようと思っている。3年前にフランスの親切な日本人女性が私に根っこを分けてくれたように、良いものは皆と分け合う、それが良いと思っている。
アントワープに居たのが夢のように思える。あの涼しかった毎日。私はジャケットすら着ていたではないか。朝晩の冷え込みはボローニャとは比較できないほどで、そういえば体調がとてもよかった。あれは単に休暇でストレスフリーだったからではないと思う。気候が私にぴったりだったのだ。それにしても、よく歩き、よく喋り、よく食べた。近年長時間歩くのが辛くなり始めたのでどうなるかと思ったけれど、歩きやすい靴と、歩きやすい気候と、見知らぬ街の魅力があればこんなに歩けるのだと知った。だから食欲もあって、相棒が其処に居たら驚くほど、私は食欲旺盛だった。そしてよく喋った、自分でも驚くほど。というのは私はひとり旅が好きで、旅先で沢山喋ることはないのである。時には行った先で友人知人と会って食事やカッフェをするけれど、朝から晩までなんてことは、ない、全然ないことなのだ。そして私は黙って静かにしているのも好きだから、喋らないことは決して苦痛ではないのである。今回の旅行で懸念していたのは、このお喋り、友人夫婦との共通語が英語であることだった。昔、アメリカに居たとはいえ、もう29年も前のことだ。イタリアに暮らし始めた当初は確かに相棒と英語を話していたけれど、それを好ましく思っていない舅の一言で、英語での会話は一切しなくなった。イタリアに暮らし始めて3か月目のことだった。英語を使うのはイタリア国外へ行く時だけ。そんな私が友人夫婦と英語で話が続けられるだろうか。何とかなるさと思う反面、どうしたものかと心配もしていた。私達は意思疎通に問題はなかったから、終わり良ければ総て良し、である。でも、もう少し磨いて、次は友人夫婦ともっと話をしたいと思う。もっと突っ込んだ話。私達はそういう話が出来るような関係になったから。それから12年前リスボンで知り合って細々とながら交流が続いている日本人女性。同じヨーロッパ大陸の何処かで友人が異なる文化の中で頑張っているのは、私の励み。いくらボローニャでの生活が長くなったって、私はやはり日本人で、イタリアは異国に違いないのだ。異国に暮らす同士。時々彼女とこんな風に会えたら良いと思う。
行ってよかったアントワープ。今までずっと先延ばしにしていた理由が今となっては分からないほど。今度は寒い季節に行って美味しいチョコレートを買ってこようと思っている。飛行機に乗ってしまえばすぐなのだから。
誰かに良い休暇だったかと訊かれたら、迷わず答えることが出来る。文句のつけようのない休暇。アントワープ以外はずっとボローニャに居たけれど、それだって私には必要だった時間。文句のつけようのない素晴らしい夏季休暇。私は胸を張って言える。これがこれからの生活の好転の機会となればいいと思う。きっとうまく行く。私は今、とても前向きだ。