コットンのシャツ

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午後から晴れた。ボローニャに太陽が戻ってきた。もっともほんの一瞬かもしれないけれど、しかし願うのだ。予報が外れて晴れますようにと。今週末は友人の小さな息子の洗礼式で、そのため友人は随分と前からその準備に忙しい。1月1日に誕生した赤ん坊の洗礼式には方々から親類と友人たちが集まるらしく、少し前に会った際に準備に忙しいと言いながらもなかなか楽しそうな彼女だったから、雨ではちょっと可哀想と思うのだ。イタリアでは例えば結婚式に雨が降れば雨に濡れた花嫁と言って幸運のひとつのように例えるけれど、本人にとってみれば気持ちよく晴れた空の下で皆に祝って貰いたいと言うものだ。そうだ、随分前に同僚が結婚した日が大雨だった。あら、雨降りだなんて縁起がいいわ、と周囲の人達が盛り上げてみたが花嫁は雨がこんなに降るなんてと涙をこぼした。教会に来てくれる人たちがこんな雨では大変だろうと。 こんな雨では来てくれない人もいるのではないかと。でも、あの雨は確かに幸運を招き、彼女は幸せな花嫁となり、元気な子供を次々と生んだ。だから案外雨降りの花嫁とは本当に幸運なのかもしれない、と後々私達は話したものだった。でも、今週末は結婚式ではない。私の可愛い大切な友人の為に、青空を与えてほしいともう一度神様に頼んでおこう。

それにしても寒く、私を含めて人々の装いは3月のそれに逆戻り。薄着は格好良いけれど、風邪を引いてまで格好良くなくてもよいだろう。首元にスカーフを巻き、トレンチコートの前のボタンを掛ける。先週末に見掛けたポルティコの下でカッフェとお喋りを楽しむ人達が恋しい。コットンのシャツを着た人々。眩い太陽の光と落ちる影の濃さ。


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憂鬱な空

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私は望んでいたのだ。今日も予報が外れて晴天になることを。どうやら空も迷っているらしく、雨こそ降らぬが太陽の光は何処にもない。空一面が薄い鼠色に覆われているのは、もうじき雨が降り始める証拠なのか。其れにしたって私は、何故もこう天気に左右されてしまうのか。
世の中には手帳にぎっしりと予定が書き込まれていると俄然やる気が出るタイプの人間が沢山居るらしい。私はそういう人達を一種尊敬すらしているのだ。そういう私は反対のタイプの人間で、手帳にあれもこれも記入されていると、こんなにすることがあるのか、と憂鬱になってしまう。例えば職場であれもこれもせねばならぬ私は、大きな手帳にびっしりと今日すべきこと、今週すべきことを書きこんでは、一体何時になったら書き込みが減るのだろうと溜息をつく。だから、プライヴェートな時間くらいのんびり行こうよね、と思うのだ。来週から再来週、そのもう一週間先位までがちょうどそんな書き込みの多い時期である。此れが峠だと思えばよいが、近ごろストレスにめっきり弱くなったらしく、憂鬱度は増す一方だ。頑張れ、頑張れと自分を励ましながら乗り越えるしかないらしいと、頭では理解しながらも。

最近友人と上手く連絡が取れない。友人は、昔アメリカで知り合った仲。当時はそれほど密着した仲ではなかったが、長い年月が経つ間に私達は良い関係を持つようになった。長い年月の間に共通項を見つけたからなのか。どちらにしてもあれから22年が経つと言うのに、電話で話している限り私達は何の成長も遂げていない、あの頃の私達のままだ。電話だけではない。何年かに一度互いの町を訪れて肩を並べて歩いていても、私達は箸が転がっても可笑しくて仕方ないと言ったような、若いお嬢さんだったあの頃とあまり変わりない。
彼女が住んでいたのはテレグラフヒルの、坂道に面した洒落たアパートメントだった。少し歩けばコイトタワーという場所で、誰もが羨むような界隈だった。そもそも家賃が高くて私達外国人たちだけに限らず、この町出身の人達にだってなかなか住めない界隈だったから、初めて彼女のアパートメントを訪れた時のわくわくした気持ちは今でもよく覚えている。道に面した、陽当りの良い部屋だった。素敵なキッチンで、料理好きの彼女にぴったりだと思った。今思えば、実にアメリカらしい感覚のキッチンで、色んなものが並べられているのがポップな感じで愉しいと思った。確か幾つものハーブの鉢が並んでいた筈だ。私より前にアメリカに暮らし始めたとはいえ、同じ日本人でもこんなにも感覚が違うのかと驚き、刺激を受けたものである。私のアパートメントはダウンタウンの、随分上の階にも拘らずあまり陽の当たらぬ部屋だった。だからハーブを置くこともなければ、楽しい部屋にしたい気分を削がれるような空気が漂っていて、だから私のところに遊びに来た人達は何と殺風景な部屋なのだろうと驚いたに違いない。私は彼女の部屋がとても好きで、彼女が暮らす界隈が何よりも好きだった。ところがあまりに不経済だと言うことで、もっと安い家賃で倍も広い部屋を借りることが出来ると言う理由で、彼女は其処を引き払って私が暮らしていた所よりもさらに中心地に引っ越してきた。あそこを手放すとは。と私はショックを受け、しかし確かに不経済であることには違いないと同意したものだ。ところで彼女の新しいアパートメントのキッチンだけど、同じようにあまり陽が当たらない場所にあっても、こうも違うものかと驚いた。そしてある日、私は気がついたのだ。それは彼女はあるものすべてを並べて飾りにしてしまう術があること、そして私はものを外に置かずにすべてを棚の中に収納してしまうこと。私は彼女のような美的感覚が乏しかったことには違いないが、それにしてもシンプルな環境を好んでいたようなのだ。
イタリアに暮らすようになって随分経ち、私がピアノーロに暮らすようになってから彼女が遊びに来た。その彼女がまず言ったのが、モデルルームのキッチンのように何も外に出ていないが、このキッチンは毎日使われているのかということだった。そんなことを何故訊いたかといえば、外に何も置かれていないからだった。いやいや、毎日使っていて、しかし使い終わると棚の中、引出しの中にしまうからと説明すると、同じ日本人なのにこんなにも感覚が違うのかと、昔私が彼女に対して思ったことを口にしたので、酷くおかしな気分になって不思議がる彼女をよそに大笑いしたものだ。私の片付け魔はイタリアの女性には評判がよく、此処で暮らしている限りこの調子でいけばよいらしい。
彼女はこの夏、ボローニャに来るだろうか。それとも私が重い腰を上げて会いに行く番か。

午後から雨が降りだした。時折強く降り、しかし辛抱強い雨である。6時間経っても止むことが無く、おそらく明日の夕方までこんな調子で降り続けるつもりらしい。外の冷たい雨を眺めながら真っ赤な苺を口の中に放り込む。甘い。イタリア産の苺。イタリアの苺がボローニャで出回る季節になったことを嬉しく思う。多分、この低気圧が過ぎ去ったら、ボローニャに早い初夏がやって来るだろう。


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香りの良い軽めの白

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朝方大きな雷の音で目が覚めた。それは本当に大きな音で、あのボローニャ辺りで起きた大きな地震があった時でさえ目を覚まさなかった私を、揺り起こすような大きな音であった。はっと目が覚めた次の瞬間に耳にしたのは激しい雨の音だった。明け方前だったらしく外は薄暗かった。窓の外を覗いてみたら見たこともないような激しい雨が降っていた。そうだった、今日は雨の予報だった。そんなことを思いながらもう一度ベッドの中に潜り込み、折角の土曜日だけど今日は一日家でごろごろしようなどと思いながら、もう一度深い眠りに落ちて行った。次に目が覚めたのはいつもの時間より少し遅い頃だった。驚いたことに窓から太陽の陽が射しこんでいたことだ。あの時目を覚まさなかった相棒に、すごい雨が降っていたと言ったところで信じて貰えそうにないような快晴。どちらにしても相棒は既に仕事で外に出ていたので、雨ぼことを話す機会はなかったけれど。

昨日に引き続く素晴らしい晴天に気をよくして、朝食を済ませると家を出た。今日は店という店が開いていて、人混みも昨日のの3倍だ。閑散とした街も好きだけど、街は賑わっていたほうが良い。と思うようになったのはつい最近だ。好きだった店がひとつふたつと閉まっていくなかで、私はそんな風に考えを変えていったのだ。
何時も入らない店に立ち寄ってみた。此処には昨夏のサルディ以来だった。良い品揃えで人気があるが、私にはちょっと手が出ない。そんな店なのだ。そこで細身のパンツを購入した。足首が見えるような丈の。来週末の友人のところでのお祝いごとの為に購入したが、家を購入してからというもの、こんなことでもなければ買い物などできない。ひと目見て気に入った其れを迷うことなく手に入れることの、なんと気持ちの良いこと。勿論これが暫くの間の初めで最後の買い物なのだと自分に言い聞かせながら。
そのあと私は坂を下って食料品市場界隈へと吸い込まれていった。魚屋は今日も繁盛。すごい魚の匂いだけれど、魚屋なのだから文句を言うべきではないだろう。その角を度を曲がって青果店が立ち並ぶ路地に入ると、気がついた。あれ、これは何だろう。ガラスにはMERCATO DI MEZZOと書かれていて、中を覗いてみると大変な賑わいようであった。それはその食料品市場だった建物で、随分前に閉じられて、市民を随分と残念がらせたものである。此処にはよく買いに来たのだ。熟れたトマトを袋に一杯、シチリアのオレンジやプーリア州辺りで育つチーマ・ディ・ラパとか。便利な立地だった分だけ、此処が閉まったのは残念だった。もっとも路地に面した小さな店はそのまま残り、便利であることにはかわりなかったけれど。何時だったか友人が、この建物をコープが買い取ったと教えてくれた。それを別の友人に知らせると、何処も彼処もがコープの配下になってしまうと言って酷く憤慨していたのが印象的だった。さて、それで中に入ってみると・・・それは大変な繁盛ぶりであった。市場というよりはフードコートに似たような感じで、その場で食することもできれば、食材を買って帰ることもできると言った具合だった。昼時ということもあって、2階も含めてテーブルというテーブルは既に埋まっていた。その途中でグラスワインを出すカウンターを見つけた。カウンター席が幾つかあって、そこで頂くことが出来る。すきっ腹にどうかとは思ったが、興味が湧いて注文することにした。軽めの白。スパークリングが良いのだけど。銘柄やワインの名前を言って注文する人が普通だろうが、私はいつもこんな風に注文する。そうすると店の人がいろいろ提案してくれて、私はそれに耳を傾けるのが好きだからだ。薦めてくれたワインは香りの良い軽めの白だった。これは良いとカウンター席についてワインを楽しんでいると、背後で声がした。一席なら空いているけど、と振り向いてみると私と同じくらいの年齢の女性が立っていた。どうやら連れが居るらしかった。聞いてみれば彼女とご主人のふたり連れだと言う。私の横が空席だった。それなら私の席をどうぞ、私は立ち飲みでも構わないのよ、と席を譲ると彼らは酷く喜んで、しかし私に立ち飲みさせるなんてとんでもないと言って、ご主人が店内を走り回って椅子をひとつ抱えて戻ってきた。そしてカウンターの隅に椅子を置くと、シニョーラ、さあどうぞ、と席を勧め、彼らは仲良く並んで席に着いた。彼らはグラスワインをふたつ注文すると、私の方をくるりと振り向いて、Alla sua salute! (あなたの健康に乾杯)と言ってグラスをひょいと持ち上げた。私も一緒にグラスを持ち上げて乾杯した。飛び切りの笑顔を湛えて。これはイタリアならではのこと。ボローニャなんて規模の小さい町ならではのことである。時々ボローニャの閉塞感がどうしようもなく息苦しくなるが、こんなこともあると思えば悪くない。暫くワインを飲んでいなかったので心配していたが、特に気分が悪くなることもなく、おお、再びワインを楽しめるようになってきたのか、と嬉しくなった。

2週間前にオープンしたこの店の存在をよく言う人も居るならば、悪く評価する人もいるに違いない。でも。こんな店があってもよい。そうしてボローニャが少しずつ良い変化を遂げていけばよい。夕方の寄り道にぴったりの店、見つけた。


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沢山の窓

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イタリア解放記念日が金曜日に命中して3連休になったイタリアは、誰もが浮かれていて空の機嫌も大変良い。朝から太陽の光が溢れかえり気温も十分上がった今日は、街で半袖姿を沢山見かけた。25度だもの。と、ひとり呟く。昔の私ならば25度もあれば半袖シャツを着て町に飛び出していただろう。そうだ、私は半袖シャツが大好きで、皆に心配されるまで半袖シャツを着ていたものだ。大丈夫? 風邪を引かないようにね。今では私が周囲の人達にそんな言葉を掛けるようになった。いつの間にか寒がりになった私は、特に今年は自分でも呆れるほど用心深い。それも今日のような天気ならと、春用の薄いコットンセーターを直に着て、ジーンズにモカシンという軽装で外に出た。念のために首にスカーフを巻いて出たが、それもすぐに鬱陶しくなって鞄の中に突っ込んだ。気持ちが良い。誰の歩調も軽快で、誰も表情も明るかった。

旧市街では思いのほか店が開いていて、年々この祝日の重みが薄れつつあることを感じた。確か5,6年前は何処も閉まっていて閑散としていたと言うのに。今ではエクストラの休日くらいの存在だろう。戦争を通過した昔の人達は、戦争の後に生まれた私達のこんな様子をどんな風に感じているのだろう。歴史の一部となった戦争をすっかり忘れている私達を残念に思っているのだろうか。それとも幸せな世代、それはそれでよしと思っているのだろうか。幸せな世代。確かに私達は幸せな時代に生まれ育った。戦争を知らない私達は、時にはそれを感謝するべきなのかもしれない。そんなことを思いながら歩いた。
時に当てもない散策。明日は雨が降ると言うので存分に歩いておこうと思って出てきたのに、1時間も歩かぬうちに疲れてしまった。歩きやすいモカシンを履いてきたと言うのに。暫く寝込んでいたので、足が弱ってしまったらしい。少し前の私なら4時間は元気に散策できた筈なのにと嘆きながら、私はガンベリーニのジェラート店に入った。少し休憩したらどうだろう、と。苺とピスタッキオのジェラートを注文する。カップチーノに小さな菓子も良いけれど、この季節はやっぱりジェラートが良い。ひと息ついたら元気が出てきた。こんな風に少しづつ歩けばよいのである。なあに。すぐに前の自分に戻るさ、と我を励ます。ところで見慣れたはずのボローニャが新鮮だったこと! いつも歩いている道も、天気と自分の元気度でこんなに新鮮に見えるのかと感嘆した。ボルサリーノ帽子店はもうずいぶん前に店を閉めて暫く中はがらんどうになっていたが、今日前を通るとボルサリーノ帽子店の店員が言っていた通り、別の帽子屋が商いを始めていた。あの店員は帽子売りを続けることを希望していたけれど、新しい店主は彼を雇うことにしただろうか。そうだとよいけれど。照明の消えた、見慣れた帽子棚のある店内。今度は平日の夕方に立ち寄ることにしよう。この界隈は町の中心であるながらも、華やぎ過ぎることが無く、とても好きだ。そしてとても好きなのは、市庁舎の外壁に幾つも嵌め込まれた窓。幾種類もの窓が嵌め込まれている人間が様々な性格や考えを持つように、此処の窓もまたそんな風に見える。この窓を見ると、自分が周囲と同じでなくてもよいのだ、と教えられる。窓を眺めているうちに、再び疲れが蘇ってきた。さあ、そろそろ帰ろうか。

明るい夕方の空に燕の群れ。私の大好きな燕たちが空を泳ぐように飛び回る。こんにちは、燕さん。短い春から初夏へと移ろうとしているらしい。私の足は酷く疲れているけれど、心はどんどん元気になっていく。


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新鮮な大蒜

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昼間の気温が上がりきらない。もう少し暖かくてもよいのではないかと思うけど。ところが午後になって風の匂いが変わったと思った途端、急に春の空気に満ち、見る見る間に綿毛が飛び出した。それは宙に浮遊する、という言い方がぴったりくるような。綿毛の出どころは街路樹。この街路樹に使われている樹は、手間いらずに育つ上に安くて丈夫、しかも上へ上へと伸びるために夏場は良い日除けともなる。と言うことで何十年も前の人達が好んで植えたそうである。でも、綿毛については誰も考えなかったのか。この綿毛のせいで、目がかゆくなったり鼻がむずむずしてくしゃみが出て大変なのだが。この季節になるとこの綿毛が憎くてならないが、綿毛が飛び回る、つまり暖かいと言うことだ。寒がりの私だからうれしい以外の何物でもない。だから綿毛くらい良い、ということにしておこう。

夕方、旧市街の小さな店で新鮮な大蒜を見つけた。4つが一束になって1ユーロもしない。私は大の大蒜好きで、家の大蒜が切れると大変困ったことになる。いや、たとえその晩大蒜を使わないにしても、大蒜が無いと言う事実が私を心配させるのだ。どうしよう、大蒜が無い。大蒜が無くては料理が出来ないではないか、と。そんな私を周囲の人達は笑うけれど。大蒜が好き、しかも新鮮な大蒜は特に好き。そんなことを考えながら大蒜を眺めていたら、店の奥さんが出てきて訊ねた。大蒜ですか? それで思いついて聞いてみた。私は新鮮な大蒜が好きなのだけど、奥さんは新鮮な大蒜と普通の大蒜とどちらが好き? すると奥さんは当然と言うような口調で、新鮮な大蒜よ、だって風味も味も比較にならないほど良いものね、と言った。其の言い方が気に入って、大蒜を一束を紙に包んで貰った。そうしてパン屋さんや惣菜店の店先を眺めた後、13番のバスに乗った。途中で匂いが鼻を突いた。私の持っている大蒜の匂い。ああ、困った、ともじもじしていると隣に座っていた男性が私の方を見た。奥さん、大蒜持っているでしょう、と言うような顔で。ああ、ごめんなさい、いい新鮮な大蒜を売っていたから、と言い訳すると男性は思いがけず大きな声で笑って言った。ははは、そうか新鮮な大蒜か、それはいい、と。私はますます肩身が狭くなり、できれば小さな鼠になって何処ぞの穴に逃げ込みたい気分だったが、どうやら男性はこの匂いが好きらしい。あと3つで自分が降りる停留所だからとこの場を乗り切ろうと試みたが、隣の男性の大きな声が私を畳みかける。大蒜大蒜と先ほどから連呼するのに耐えられず、あ、降ります、とついにふたつ前の停留所で降りてしまった。ああ、恥ずかしかった。新鮮な大蒜を買ってバスの乗るのはもう絶対に駄目。私はとぼとぼ歩きながら思った。大蒜が好き。でも、大蒜を買ってこんなに後悔したことはない。

大蒜を沢山食べてばりばり元気になるんだから。何か月も病んで月日を無駄に過ごしてしまった分、此れから存分楽しまなくては。其の為には元気でなくてはね。


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