私は望んでいたのだ。今日も予報が外れて晴天になることを。どうやら空も迷っているらしく、雨こそ降らぬが太陽の光は何処にもない。空一面が薄い鼠色に覆われているのは、もうじき雨が降り始める証拠なのか。其れにしたって私は、何故もこう天気に左右されてしまうのか。
世の中には手帳にぎっしりと予定が書き込まれていると俄然やる気が出るタイプの人間が沢山居るらしい。私はそういう人達を一種尊敬すらしているのだ。そういう私は反対のタイプの人間で、手帳にあれもこれも記入されていると、こんなにすることがあるのか、と憂鬱になってしまう。例えば職場であれもこれもせねばならぬ私は、大きな手帳にびっしりと今日すべきこと、今週すべきことを書きこんでは、一体何時になったら書き込みが減るのだろうと溜息をつく。だから、プライヴェートな時間くらいのんびり行こうよね、と思うのだ。来週から再来週、そのもう一週間先位までがちょうどそんな書き込みの多い時期である。此れが峠だと思えばよいが、近ごろストレスにめっきり弱くなったらしく、憂鬱度は増す一方だ。頑張れ、頑張れと自分を励ましながら乗り越えるしかないらしいと、頭では理解しながらも。
最近友人と上手く連絡が取れない。友人は、昔アメリカで知り合った仲。当時はそれほど密着した仲ではなかったが、長い年月が経つ間に私達は良い関係を持つようになった。長い年月の間に共通項を見つけたからなのか。どちらにしてもあれから22年が経つと言うのに、電話で話している限り私達は何の成長も遂げていない、あの頃の私達のままだ。電話だけではない。何年かに一度互いの町を訪れて肩を並べて歩いていても、私達は箸が転がっても可笑しくて仕方ないと言ったような、若いお嬢さんだったあの頃とあまり変わりない。
彼女が住んでいたのはテレグラフヒルの、坂道に面した洒落たアパートメントだった。少し歩けばコイトタワーという場所で、誰もが羨むような界隈だった。そもそも家賃が高くて私達外国人たちだけに限らず、この町出身の人達にだってなかなか住めない界隈だったから、初めて彼女のアパートメントを訪れた時のわくわくした気持ちは今でもよく覚えている。道に面した、陽当りの良い部屋だった。素敵なキッチンで、料理好きの彼女にぴったりだと思った。今思えば、実にアメリカらしい感覚のキッチンで、色んなものが並べられているのがポップな感じで愉しいと思った。確か幾つものハーブの鉢が並んでいた筈だ。私より前にアメリカに暮らし始めたとはいえ、同じ日本人でもこんなにも感覚が違うのかと驚き、刺激を受けたものである。私のアパートメントはダウンタウンの、随分上の階にも拘らずあまり陽の当たらぬ部屋だった。だからハーブを置くこともなければ、楽しい部屋にしたい気分を削がれるような空気が漂っていて、だから私のところに遊びに来た人達は何と殺風景な部屋なのだろうと驚いたに違いない。私は彼女の部屋がとても好きで、彼女が暮らす界隈が何よりも好きだった。ところがあまりに不経済だと言うことで、もっと安い家賃で倍も広い部屋を借りることが出来ると言う理由で、彼女は其処を引き払って私が暮らしていた所よりもさらに中心地に引っ越してきた。あそこを手放すとは。と私はショックを受け、しかし確かに不経済であることには違いないと同意したものだ。ところで彼女の新しいアパートメントのキッチンだけど、同じようにあまり陽が当たらない場所にあっても、こうも違うものかと驚いた。そしてある日、私は気がついたのだ。それは彼女はあるものすべてを並べて飾りにしてしまう術があること、そして私はものを外に置かずにすべてを棚の中に収納してしまうこと。私は彼女のような美的感覚が乏しかったことには違いないが、それにしてもシンプルな環境を好んでいたようなのだ。
イタリアに暮らすようになって随分経ち、私がピアノーロに暮らすようになってから彼女が遊びに来た。その彼女がまず言ったのが、モデルルームのキッチンのように何も外に出ていないが、このキッチンは毎日使われているのかということだった。そんなことを何故訊いたかといえば、外に何も置かれていないからだった。いやいや、毎日使っていて、しかし使い終わると棚の中、引出しの中にしまうからと説明すると、同じ日本人なのにこんなにも感覚が違うのかと、昔私が彼女に対して思ったことを口にしたので、酷くおかしな気分になって不思議がる彼女をよそに大笑いしたものだ。私の片付け魔はイタリアの女性には評判がよく、此処で暮らしている限りこの調子でいけばよいらしい。
彼女はこの夏、ボローニャに来るだろうか。それとも私が重い腰を上げて会いに行く番か。
午後から雨が降りだした。時折強く降り、しかし辛抱強い雨である。6時間経っても止むことが無く、おそらく明日の夕方までこんな調子で降り続けるつもりらしい。外の冷たい雨を眺めながら真っ赤な苺を口の中に放り込む。甘い。イタリア産の苺。イタリアの苺がボローニャで出回る季節になったことを嬉しく思う。多分、この低気圧が過ぎ去ったら、ボローニャに早い初夏がやって来るだろう。