長電話

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異様に静かな日曜日。上階の住人も隣の住人も、階下の住人まで不在らしい。物音ひとつしない一日。空がこの上なく青く、目に痛いほどの青に心を突かれる。此れほどの快晴と言うのに外を歩く人もいなければ、行き交う車もない。地上に一人取り残されてしまったかと思えば、庭やテラスに椅子を出して太陽を浴びる人達を発見して安堵の吐息をつく。多くのボローニャに暮らす人達は、私達が今置かれている状況に辟易して、其の気持ちを言い表す言葉もない。黙って此の状況が良くなるのを待つしかない。そう思っているに違いない。

昨夕、友人と話をした。最後に話をしてから数えて3ヵ月振りくらい。話したいことは沢山あった筈なのに、それらについては話もせず、しかし2時間弱も話したのだから驚きである。私達はそういう仲で、そんな仲が30年も続いている。どんな話をしたかと思い返してみて一番初めに出てきたのが、差別の話。差別をしてはいけないと私達は子供の頃から親や学校から教えられた筈なのに、人間が同じ人間を差別するのは何故だろうということ。それはこの冬の休暇中に観た映画、あん、から始まった話題で、この映画を観て以来私の心の中に釘刺さって離れなかったことである。人は自分の権利を主張するが、他人の権利は認めないことがある。それどころか差別をして、痛めつける。自分がそうなったらどんな気持ちになるかも考えずに。救いは友人がこの映画を見たことがあって、同じように思っていたこと。話をしながら私に気付かれぬように幾度か目元を拭った彼女を眺めながら、彼女と友達でよかったと思った。それから私達は餃子の話をした。友人は料理人。只今ロックダウン中で仕事は時々しかないらしい。それで他の店に頼まれて、時々大量の餃子を包むのだそうだ。店で持ち帰り用に売る餃子で、手先の器用な彼女が店の人とひたすら3時間も包むのだから、それは驚くほどの数だそうで、台の上に綺麗に包まれ行儀よく並べられた莫大な量の餃子の様子を想像して、ああ、その場にいたら写真の一枚も取りたいものだと思いながら話に耳を傾けた。恐らく多くは冷凍保存するのだろうが、一週間を待たずに売り切れるので、また呼ばれて餃子を包むらしい。近くに住んでいたら私も仲間に入れてほしいと思ったけれど、昔ほど手先が器用でない今の私ではあまり助けにならないだろうなどと大笑いした。その合間に彼女の夫や猫が登場したり、私は紅茶を淹れたり。本当ならばヴィエンナへ行ったついでにバスか列車で足を延ばしてブダペストの彼女の家を訪問したいところである。そしていつものようにソファの上に転がったり、キッチンの小さなテーブルに着いて美味しいものを齧りながら話をしたいけれど、其れもここ1年お預け。まさか何時か会いたくても会えない日が来るなんて思っても居なかった私達は、其れが歯がゆくて堪らない。いつでも会えると思ったら大間違い、と言うことを、私達はこのコロナで学んだ。どうして君達はそんなに話すことが沢山あるのか、と何時も相棒が驚くけれど、ふふふ、実は当の本人たちも同じように思っている。

夕方が美しい。今は18時まで空が明るくて、それが私の小さな救い。それから枯れ木だとばかり思っていた、今の窓の前の栃ノ木の枝に、小さな芽が吹いているのを発見して、逞しいなあと感動する。栃ノ木はあれこれ文句も言わずに、ちゃんと春を見極めて、芽を吹くタイミングを計っているのだ。私だって負けてはいられぬ。コロナだって何だって、私には両手と自由に歩ける足がある。そして想像力豊かな小さな脳みそ。色んな工夫をして愉しく生活するのだ。何かを理由に怠けるのはもう辞めた。窓の前の栃ノ木は、何時も大切なことを私に教えてくれる。




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濃厚オレンジゾーン

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東からの冷たい風が吹く土曜日。昨日までの20度という暖かさが嘘のように気温が上がらない。と言いながらも思うのは、これが本来の2月の気候。15度もあれば上等で、昨日までが暖かすぎたのだ。風が時折雲の群れを運んできては、辺りがどんより暗くなる。そうしてはまた太陽が顔を出し、あっという間に明るくなる。今日の太陽は必要だった。ボローニャは今日から濃厚オレンジゾーンだからだ。濃厚と言うのは、限りなくレッドゾーンに近いと言う意味で、ロックダウン寸前と考えてもいい。オレンジゾーンとの違いは学校という学校が閉まること。今のところは2週間とのことだけど、4月6日の復活祭の連休が終わるまでとも囁かれている。嫌でも昨年の今頃のことを思いだす。そうだ、昨年も丁度こんな具合だった。嫌でも憂鬱を呼び覚ます。だから太陽が必要だった。ガラス窓越しに明るい空や風に揺れる枝葉を眺め、囀る鳥の声に耳を傾ける。どんなことも気持ち次第。今年の私は昨年よりも、ずっとこの状況を上手に過ぎせる筈なのだ。

昨夕旧市街へ行ったのは、濃厚オレンジゾーンに入る前にしておきたいことがあったからだ。恐らく来週も同じことが出来るだろうけれど、何事もできるうちにしておく方が良いことは昨年充分学んでいるから。金曜日の夕方の旧市街は、何事もなかったように賑わっていたが、塔の下の小さな広場などに警察の車が待機していて、私達をそれとなく見張っているようだった。目的を手早く済ませ、少し街を歩いた。
ウィンドウを眺めながら歩くのが好きだ。面白いことに店の中に入るよりもずっと好き。眺めるだけなら自分の懐が痛まないからではない。店の中に入って何か購入する時は、自分らしいものや自分が関心あるものばかりに手が出るが、外から眺める時はそうではない。自分が考えたことも無かったようなものに驚いたり、自分では購入することは無くも誰か他の人が身に着けたら大そう美しいだろうと思うようなものにであったりと、関心の幅が随分広がるのだ。例えば旧市街の路地に面したセレクトショップと世間で呼ばれる店のウィンドウ。この店は数年前まで華やかな通りの、美しいポルティコの下に店を構えていた。全面ショーウィンドウの此の店は中に入る人も多いが、外から眺める人も沢山居た。私はその後者で、バスを待ちながらウィンドウを眺めるのが大好きだった。その店がある日忽然と消えて、どうしたのだろうと思っていたら、そのうち食料品市場界隈に近い小路に店を開けた。其処は長いこともぬけの殻だった場所。以前も上等な衣料品を置く店だったことは覚えているにしても、今は随分記憶が曖昧だ。兎に角そこに店が開いて、以前と少し印象が異なるにしても、顧客が再び通うようになったらしく、随分とうまくやっている。出入りするのはエルメスのスカーフを頭に撒いた自分の手入れを良く行っているご婦人や娘さん。それからバリバリ仕事をする感じの女性達。昔海で知り合った同い年の女性はボローニャで活躍する弁護士だったが、丁度彼女みたいな感じの女性が多く店に通っている。さて、その店のショーウィンドウは、面白いことにことごとく私の趣味と異なるのだが、だからこそ興味を誘い、足を止めて眺めるのが好きだ。ふーん、こんな衣類を身に着ける人はどんな人かしら。ふーん、こうした形の靴を履く女性ってどんな人かしら。好きな部類ではないのに私の興味を刺激するのは、よい素材で丁寧に作られたものだからだ。自分は買い求めることはないけれど、美しいものは美しく、よくできたものであることには違わない。そんな店であるが、二度ほど中に入ったことがある。こういうものを探していると言って店の人に相談したら、まあ、出てくる、出てくる。店の中には並んでいないが、奥にちゃんとあるのだ。手に取って見せて貰ったら私には勿体ない程の上等品。考えた末に購入はせずに店を後にしたけれど、成程、此の店に良い客がついている理由は此れだ、と思ったものである。それ以来、此の店のウィンドウを眺めるのがますます楽しくなった。やはり私は外から眺めるだけの人だけど、それが私らしいと思っている。ところで、あの華やかな通りの、美しいポルティコの下に店は未だに空っぽのままだ。家賃が高いのだろう。何しろ歴史的建物の一部だから。出来れば次も美しいものを置く店に入って貰いたいと思う。そうすればバスを待ちながら楽しい時間を過ごせるから。

今夜は満月。空が晴れているので満月が鮮やかに見える。こんな晩には冷えた白ワインなどで祝いたいものだ。何を祝う。美しい満月を。私達の健康を。希望が消えないことを。待ち遠しい春が近いうちにやって来るに違いないことを。そんなことを考えていたのは相棒も同じで、良いワインがあったからと言って持ち帰った。今夜は相棒が腕を振るっての魚介のパスタ。私はテーブルのセッティングやサラダや何やらの準備をするだけ。ちょっとしたことで気分が上がる単純な自分に苦笑しながら、スキップをしたいほど嬉しい晩だ。




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胸がどきどき

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連日の快晴、そして春のような空気。昼間は仕事で外を楽しく事がないけれど、窓の外の明るさでわかる。春っぽいこと。それから仕事を終えて外に出た時の明るさと言ったら。まだ芽が出ていない裸の木の枝の向こうに、明るい夕方の空が見えるのを楽しみながら歩くのは、嬉しい以外に何と表現しようか。喜び。それとも高揚。その空も家にたどり着く頃には暗くなって空高いところに月を見つけた。2日分程欠けた月。満月は土曜日辺りだろう。

この前の土曜日のことだ。旧市街に髪の手入れに行った。予約時間に10分ほど遅れて店に入ると店主が明るい笑顔で迎えてくれて、店の奥に行くと元気そうな若い女性が先客の髪を洗っていた。見たのことない女性。11月には真っ直ぐな長い髪の、学生みたいな風情の女性が働いていた。見た感じ、家に居る時のような装いで、表情が暗い。化粧もせず、驚くほどあか抜けない感じの人だった。こういう仕事をするようなタイプの人間には見えず、店主が何故彼女を店で働かせているのか大そう不思議に思ったものだった。其れにどの作業も粗雑な感じ。話を聞けば美容学校を出たばっかりの新米さんとのことだったから、経験不足で仕方がないのだろうと思いながらも、彼女がずっと店で働くようならば、私はこの店に来るのはやめよう、たとえ店主の髪を切る技術が素晴らしくても、とすら思ったほど、よい印象がなかった。だから12月末に行った時、彼女の姿が見当たらなかったので、ああ、彼女はもう居ないのだな、と胸を撫で下ろしたものだった。それで今度の女性は華やかで、髪を面白い具合に纏めていた。長い髪は細かい巻き毛で、美しく化粧をしていた。何が良いって、明るいこと。感じが良くて、こういう人が此の店には似合うと思った。その彼女が、私の髪を洗ってくれたのだが、兎に角上手い。成程、彼女は何処かの店で働いていたに違いない。経験ある彼女のような人が此の店に来たのは、店主にとってはこの上ない幸運だった、などと思った。あなた上手ねえ、と言う私に、彼女はぱっと顔を明るくして礼を言いながら、この仕事を始めて4カ月だが、日々勉強を続けているのだ、学ぶことがいっぱい、これからもまだまだあると言って笑った。それまでは何をしていたのかと興味を持って訊いてみたら、美容学校で勉強していたと言う。え。もしや。と思ってよくよく見ると、11月に居た彼女ではないか。随分と変身したものだ、髪形といい、化粧といい、印象といい、180度変身したと驚く私に、彼女は明るく笑いながら、うん、うんと頷いた。彼女が昼食のために店を出たので、私は自分の髪を切っている店主に鏡越しに話しかけた。彼女、別人のようだわ。すると店主も頷いて、そうさ、化粧をするようになったし、外見に気が回るようになった、と言った。だから、其ればかりではない、11月に来た時には雑で下手だった洗髪に大そうがっかりしたものだけど、今日は見違えるようにうまくなって、同一人物だと気がつくのに時間が掛った、あなた、金の卵を見つけたかもしれない、彼女は努力家のようだし習得力が優れているようだ、と褒め称えると、店主は目を細めて喜んだ。金の卵かどうかは分からない。でも見込みがある、努力家だ。店主がそう言いながら私の髪を切り続け、しかし、うん、確かに初めは酷かったなあ、と改めて言うので私達は鏡越しに顔を見合わせて大笑いした。初めは誰だってうまくいかない。問題はそれからだ。成長しようと努力をするか、どうか。そんなことを店主と話しながら、自分に言い聞かせてみた。問題はそれから。成長しようと努力するか、どうか。久し振りにそんなことを考えて、胸がどきどきした。何か大切なことを思いだしたような気がして、週末中どきどきが止まらなかった。

春を前にして私は軽いコートを探している。トレンチなんて感じのものでなく、もう少し軽快な、しかし流行を追わぬ、長く使えるようなものがいい。探している時は見つからないものである。逆に何も探して居ない時に限ってよいものが見つかる。だから私は探していないふりをしている。さて、見つかるだろうか。私の心を射止めるような感じの良いコートは見つかるだろうか。




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愉しくいこう

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ボローニャは暫く良い天気が続くそうだ。今日は昨日の快晴には及ばずとも、晴れ。太陽が出たので13度にまで上がった。なのに外が静かなのは、明日からオレンジゾーンを迎えるにあたり、レストランやカフェ、バールが今日から再び持ち帰りとデリバリーだけのサービスになったからだ。私達はカフェやバールのある生活に慣れているので、言い換えればカフェやバールが生活の一部になっているので、店の中でカッフェやカップチーノを頂けないのを淋しく思う。そうした店に昔ほど足繁く通わなくなった私にしても淋しいと思うのだから、毎日まるで自分の家の一部みたいに寛いでいた店に入れない常連客達は、どれほど残念がっていることだろう。兎に角送う訳で外が妙に静かだ。落胆、それとも悲しみ。隣に暮らすバールの経営者は、どんな気持ちでいるだろうか。

世の中にはひとつのことを深く学んで何処までも追及するタイプの人が居る。勉学ばかりでなく、例えば映画や音楽、芸術やファッション、美学、料理などもそうだ。私はそう言う人達を遠巻きに眺めながら、凄いなあと思い感心するのである。そして自分はどうかと言えば、そうした類の人達の丁度対角線上に位置する。深く学ぶこともなければ、追及する意欲も持ち合わせていない。言うなれば、私の手の中には何もない。そして失うものもあまりない。私が一番関心を持っていることは、如何にして愉しく生きるかと言うことだけ。沢山のしがらみもなく、自分と周囲に居る少ない人間や動物のことだけを考えていればいい私だ。此れも私が得た幸運のひとつと理解して、肩の張らぬ人生を続けたいと思っている。
と、そんなことを言うけれど、昔からこんな性格だったわけではない。私は内気で消極的で人見知りをする子供だった。そしていつも悩んでいて、その理由の多くは他人の目だった。そんな私が大人になって、両手いっぱいにあった諸々を置き去りにしてアメリカに行った。アメリカに行けば何とかなると思ってなど居なかったが、しかし実にどうにもならなかった。一番の問題は言葉。そして感覚の違い。待っていたら何も始まらないと気がついたのは、この頃だっただろうか。そんな当たり前のことに遅まきながら気が付いた途端、それまで理解できなかった言葉が理解できるようになり、突然生まれ変わって前向きになった。その背景には、勿論私を応援してくれていたアマンダと言う名の女性や身近な人達の存在がある訳だけど、兎に角私は生まれ変わったのだ。そんな経緯を知らぬ、半年後に知り合った私の友人は、いつも悩んでばかりいて、いつも他人のことばかり考えていて、あなたには分からない、心が元気で強いあなたには到底理解できない、と私に言うのだった。彼女は美しい若い女性で、多くの人が彼女に恋心を寄せていた。同性の私から見ても彼女は大変感じの良い女性で、其処に美しい姿と笑顔が携わっているのだから、多くの人が彼女に心を惹かれるのも当然だと思ったものだ。なのに彼女はいつも悩んでいた。そしてアメリカを去り、私達は離れ離れになってしまった。彼女から届く手紙は元気そうだったが、特有の心配が見え隠れしていた。そんな手紙だけのやり取りを7年ほど続け、私は彼女が暮らし始めたカナダに会いに行った。新婚夫婦で幸せそう。なのに彼女は時々淋しそうな顔をするのだ。あれは週末のことだった。夏のあまりにも日差しの強い日で、木綿のシャツですら暑くて仕方のない日だった。私達は船に乗って海かと間違うほど大きな湖に浮かぶ島を目指した。生い茂る木や草の中に続く小路を肩を並べながら歩いた。聞こえるのは風と鳥の声ばかりで、誰に気兼ねする必要もなかった。あまりに唐突に、私は昔の自分のことを話し始めた。彼女は口を挟むこともなく黙って耳を傾け、しかし見る見るうちに驚きが顔に浮かんだ。彼女は私が色んなことが気にならぬ、元気な心を持って生まれ育った人だと思っていたようだ。人は変わらない、生まれ持ったものはかえられないものなのだ、と彼女は信じていたから。ううん、そんなことはない。自分の人生だから色やリズム、哲学に至るまで自分でグイッと変えてみればいい、私に出来たのだから誰にだって出来る筈だという私に、彼女はもう、あなたには分からない、心が元気で強いあなたには到底理解できない、とは言わなかった。あの日、私達は島の隅から隅まで5時間もかけて歩いて、汗を掻いて、足が棒のようになって、くたくただった。でも、一日が終わった時に見た彼女の顔が何の陰りもなく笑っていたのが私には嬉しかった。夏の休暇を終えてボローニャに帰る日、仕事を抜け出せない彼女の代わりに彼女の夫が空港まで送ってくれた。その道中彼が教えてくれたのは、彼女が何か吹っ切れたように良い笑みを見せるようになったこと。最後に彼女に会えなかったけれど、私にはその言葉で充分だった。

肩の力を抜いて行こうよ、と自分に時々声を掛ける。同じ人生ならば愉しい方がいい。したいことをして、旅を沢山して、沢山の人と話をして。それがあるから仕事も家事も楽しいと言ったら相棒に散々笑われたけれど。ああ、もうひとつ。ワインも私の生活のエッセンス。美味しいワインをグラスに少し。そんなことで愉しいならば安いものだと思っている。




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照れ隠しで愛想がない

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案じていた土曜日の天気。先週のように雪など降られたら困ると思っていたが、心配を大きく外れての快晴。朝から空が明るくて、起きるのが嬉しかった。それに月曜日からオレンジゾーンになるエミリア・ロマーニャ州は日曜日からレストランやカフェの営業が持ち帰りだけになる。今日のうちに楽しんでおこうと思うのは私ばかりではあるまい。昼に予約を入れた美容院。こんな日に髪の手入れをして貰うのはもったいないような気もするけれど、昨年のことを思いふだしながら、行ける時に行っておくのが得策と我に言い聞かせる。そして、髪の手入れをしてから旧市街を散歩するのも良いだろうと。

先日相棒が瓶詰をふたつ持ち帰った。見て直ぐわかる手作りジャム。アントニオが分けてくれたものとのことだった。アントニオとは相棒の友人と知人の中間あたりに位置する人。二度ほど会ったことがあるが愛想のない人で、私が得た印象はあまり良いものではなかった。あまり表情がなく、俄かに怒っているような口調の彼だから、彼を敬遠する人が多いそうだ。相棒にしても、始めはアントニオを煙たがっていた。自分に都合のよいことばかりを考えるから、利用されないように気を付けないとも言っていた。そんなアントニオとの付き合いも数年経つとようやく彼と言う人間の本当の部分が見え始めたらしく、悪い奴じゃないんだよ、ただ照れ隠しに何時も怒っているんだよ、とのことだった。相棒は複雑なことを言う、と私は思った。嬉しければ嬉しい、愉しければ愉しいでよいではないかと私は思うけど、相棒に言わせれば、其処がアントニオなんだよ、とのことだった。さて、そのアントニオが故郷プーリアで母親が作った手作りジャムを相棒に持たせてくれたらしい。ひとつは無花果。ひとつはキウイ。引きちがったパンに小匙一杯のジャムを乗せて食べてみた・初めは無花果のジャム。うん、此れは美味しい。自家製ならではの味わいで、素朴て甘さも程々でよい。そして次はキウイのジャム。パンにのせてひと口含んだ途端、果実の旨みが口の中に広がって、思った。あ、この味は知っている。
私には4歳年上の姉がいる。姉は良いものを見つけるアンテナを持っていて、何時も家に新鮮な風を持ち込んだ。例えば音楽だったり、例えば小説だったり。そのうちのひとつが黒パンで、そして果実ジャムだった。私が高校生だった頃のことだ。姉が興奮しながら家に帰って来た。良いパンを見つけたというのだ。小振りだが手に持つと重みのあるパン。其れをナイフで5ミリほどの薄さに切り、しっとりしたパンの表面にパテを塗って食べるのが素晴らしいのだと言った。パテなんてものは家には無かったから、コンビーフの缶詰やツナを何かで練ってパテに似たものを作り上げ塗って食べてみたら、確かに美味しかった。バターを塗って焼くだけでも美味しく、そういう訳でこのパンは家に大ブームを呼び起こし、食べ終えそうになると姉がポルトガルという名のパン屋さんで購入してくるのが習慣になった。そしてある日姉はまた興奮して帰って来た。素晴らしいジャムを見つけたというのだ。小さな器に入った数種類のジャム。サワーチェリーだったり杏子だったり、そしてキウイのジャムだった。姉はこういうものを見つけるのが得意で、見つけると素通りできない性格だった。店先で試食させて貰ったらあまりに美味しかったので購入してきたという訳だった。当時のジャムと言ったらあまり種類がなく、だから姉が持ち帰ったジャムは衝撃的だ。訊けば母や姉、私が大好きな新宿高野のジャムだという。へええ。家族みんなで興味を持って例の黒パンに塗って食べてみたら、まあ、何と美味しいこと。糖分は少なく、果実の旨みがグイッと前に出た、今までにない美味しさに目が覚めるような気分だった。そしてこれらのジャムは当然ながら我が家の食卓に頻繁に登場するようになった。
アントニオのジャムはあの日食べたジャムに似ていた。果実の旨みがグイッと前に出た、目が覚めるような美味しさ。あら美味しい!と喜ぶ私のことを相棒はアントニオに報告したらしく、数日後、木箱に沢山ジャムの瓶を詰めて帰って来た。沢山あるんだよ、とのことだった。地下倉庫に沢山あるけどボローニャで一緒に暮らす家族はあまり食べないから、ぜひ食べてほしいとのことだった。愛想のない、何時も怒っているようなアントニオが、そう言って相棒にジャムを渡した姿を想像したら愉しくなった。悪い人ではないのだろう。ただ、表現が下手なだけ。ほんの少しアントニオの印象が変わり、今度会ったら礼を言わねばと思った。ありがとう、アントニオ。それにしても彼と一緒に暮らすボローニャの家族が、こんなに美味しいジャムをあまり食べないなんて。でも、おかげでこんな美味しいものを手に入れた。

髪の手入れをして、土曜日の午後を堪能するために旧市街の中心へ足を延ばした。驚くべく人混み。明日からレストランやカフェは持ち帰りだけだから、今日のうちに楽しんでおこうという具合か。其れにこの気候。昼の気温は15度と温暖で、外に繰り出したくなるというものだ。コロナは行ったり来たりだけど、季節は確実に前進している。悪いことばかりじゃない。




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