美しさ
- 2019/10/30 23:11
- Category: bologna生活・習慣
朝から雨が降っていた。傘を差すほどではなく、しかし長く歩けばじっとり濡れてしまうような霧雨。ようやく本格的な秋になったと、今朝窓を開けた時に思った。11月を目の前にしてようやく本格的な秋と言うのも妙だけど、温暖な今年は本当に数日前まで薄着で過ごすことが出来たから。そろそろ郊外の街でトリュフ祭りが開かれる頃だ。茸を堪能する時期でもある秋とはそうした美味しいものが其処此処に存在する季節である。
ボローニャに暮らし始めたばかりの頃、私と相棒の身近にはボローニャ生まれボローニャ育ちの若い女性が幾人もいた。彼女たちの共通点は自立していること。仕事を持ち、同じ街に居ながらも親元から離れて生活していた。そしてもうひとつの共通点はボローニャの美を誇りに思っていることだった。彼女たちに言わせるボローニャの美とは、決して旧市街に点在する中世に建てられた塔や、古い教会、街の中心のマッジョーレ広場ではなく、ましてやボローニャに無くてはならぬポルティコでもなかった。では何が美なのかと言えば、2本の塔から放射線状に伸びる主要道からひょいと目をそらした瞬間に目に入る路地の存在だった。そう言われて路地を歩いてみるとその朽ちた様子に驚いたものだが、彼女たちに言わせれば、それこそが美なのだと言うことだった。そうかしら。口にこそ出さなかったが私はいつもそう思っていた。確かに赤に近い橙色の壁の色は美しかったし、微妙にくねった道なりも情緒があった。それに石畳が実に欧羅巴らしく思えたし。ただ、朽ちているのがボローニャの美と言うのは理解しがたい、と思っていた。面白いもので、そんなことを思ったのは初めの数年だけ。いつの間にか私も彼女たち同様にそれを好むようになり、確かにこれがボローニャの美なのだと思うようになった。時々そんな朽ちた様子をレンズに納めている旅行者を見かけるが、ああ、あなた達は良く分かっている、ボローニャの良さをわかっているなどと思うのだから、私も随分と変わったものだ。今の私が彼女たちと話すことがあるならば、きっと大いに気が合うに違いない。そして彼女たちは言うだろう。あなた、随分好みが変わったわねえ。
明日は10月最後の日。そしてその後は3連休だ。金曜日には故人をいたわりにお墓参りに行く人が多いだろうか。私は色付いた葉を探しに郊外へ行きたいと思う。そして週末には旧市街をポツリポツリと歩こうと思う。空よ、どうか雨を降らせないで。3連休を楽しみにしている私達の為に。