一番の幸せ
- 2024/10/18 21:58
- Category: io stesso (私自身)
あれほど気をつけていたのに、と思う。月曜日の頭痛は風邪の前触れで、晩には熱を出して寝込むことになった。天敵の扁桃腺が暴れて、痛い、辛い、苦しいの三重苦を経験した、それも3日間も。最近の私は2日もあれば元気になるのに、である。思えばおかしいと思い始めたのは日曜日の夕方だった。あの時に身体を休めておけばよかったのかもしれないと後悔するが後の祭り。ああ、後の祭りとはこういう時に使うとピタリと丁度良いのだなあ、なんてベッドの中で思いながら、まあ、そんなことを考える余裕があるのだから私は大丈夫、じきに治るだろうなんて思ったものである。
3日間兎に角眠って、色んな夢を見た。鮮明に覚えているのは私がまだ小さな子供だった頃のこと。夢と言いながら、本当にあったこと。いつもは忘れていることなのに、何かの折に思い出すこと。私は瘦せの大食いで真っ黒に日に焼けて、外を走り回ったり木登りする様な元気そうな子供だったが、歩いているうちに足が脱臼してしまったり、頻繁に高熱を出したり、原因不明の咳がとまらなくなったりと、健康上に多少の難がある子供だった。そもそも生まれた時に泣かなくて、医者が逆さにして尻を叩いたらようやく産声を上げたらしいし、体重だって今でこそ充分過ぎるけれど、生まれた時は未熟児寸前の小さな身体だったらしい。親不孝は今もだけれど、生まれた時から親に心配をかけてきた、それが私なのだ。
あれは私が4歳になるかならないかの頃だったと思う。私の掛りつけの病院は私が生まれた病院だった。何かあるたびに私はその病院に連れていかれたものだけど、ある日姉も一緒で、病院を出ると母と姉と私はタクシーに乗って小高い山の方に行った。樹が沢山茂っていて、バスもなければ電車も通っていない、人里離れた場所、そんなところに病院らしきものがあった。子供ながら嫌な感じがして、私はタクシーを降りるのが怖かった。母はそんな私の手を引いて、姉をタクシーの中に残したまま建物の中に入っていった。其処からの記憶はないから、夢にも出てこなかった。すっぽり肝心なところが抜けて、再び記憶が蘇るのが母が私の手を引いて建物から出てきたこと、そしてタクシーの中が退屈だったのか、外に出て落ちていた木の枝で地面に何かを描いていた姉のこと。姉は私を見るなり、ああ、よかったとかなんとか言って、早く家に帰ろうと母をせかしてタクシーに乗り込んで。
私が覚えているのはそれだけで、だから夢もそれだけ。でも私は10年ほど前に知ったのだ。あれは私に肺結核の疑いがあると病院で言われたこと、それでその足で人里離れた結核患者の為の病院に連れていかれたこと、でも調べたら肺に確かに黒い影があるけれど結核ではないことが分かったこと。4歳半年上の姉は私に何が起きているのか理解していたそうで、だから私が母に連れられて建物の中に吸い込まれていく様子をタクシーの中から眺めながら、妹ともう会えないのかもしれないと思ったらしい。だから私が再び外に出てきた時はとても嬉しくて、一刻も早く山を下りて家に帰りたい、みんなで家に帰りたいと思ったのだそうだ。姉に言わせれば、私はあの建物の中に1時間以上いたらしい。でも記憶は一切ない。小さな子供時代のこともよく覚えているのに、このことだけは何処を叩いても何処を探しても記憶を見つけ出すことが出来ない。でも、それでいいのかもしれないとも思う。あれはきっと、忘れたほうが良いことだったに違いないのだ。
目を覚ました時に思ったのは、確かに風邪を引いて寝込んではいるけれど、確かに痛いし辛いし苦しいけれど、風邪が治れば元気に生活が出来て、仕事に行けて、夕方散策して、時には日帰り旅行をしたり、長い休暇を利用して帰省したり欧羅巴の何処かに飛んでいくことが出来る健康があることの幸せ。欲を言えばきりなくあるけれど、でも一番の幸せは多分健康。そのほかのことはその後についてくる付属品みたいなもの。子供の頃の記憶は思い出すたびに私をしんみりさせるけど、それを通じて私は大切なことを学んだのだと思う。
今日は3日振りに社会復帰。昼過ぎには体力低下でボロボロだったけど、外に出る喜びは大きくて、仕事に行くことや仲間に会う喜びも大きくて、これで良かったと思っている。なあに、週末ゆっくりすればいいだけさ。週末はあまり欲を出さずに休養しようと思っている。それにしても満月。昨晩は大雨で見ることが出来なかったけど、今朝通勤時に向こうの空に大きなな満月を発見。姉曰く、この満月は今年最大のスーパームーンらしい。本当に大きくて驚いた、ほうら、ちょっと無理してでも仕事に出てきて本当に良かったなんて思いながら。