色が濃い土地
- 2020/02/29 17:59
- Category: bologna生活・習慣
昨晩のことはあまり覚えていない。夕方、近所の青果店でオレンジとアボカド、それから店主がいいのが入ったと薦めるので林檎をふたつ袋に入れて貰うと大そう重くなって、ヨロヨロしながら家に帰った。それから猫にせがまれて早めのゴハンをあげて、家の中を一通り片付けると、もう自分たちの食事の準備をする気力はあまり無く、相棒にピッツァを持ち帰るように頼んだ。近所の持ち帰りピッツァの店は本格ナポリで人気があるから、注文してから随分店先で待たされると相棒がぼやくのだが、しかし確かに美味しくて、このように食事を準備する気のない晩は、あの店のピッツァということになる。手抜きで申し訳ないけれど、しかし其れでよかったと思っている。その後のことは覚えていない。恐らくはテーブルの上を片付けたり、食器を洗浄機の中に入れたり、洗顔や歯磨きなどをしたに違いないのだが、それらのひとつも覚えていない。そして相棒が言うには、昨晩の私はぷつんと糸が切れたように、深い眠りについたらしい。恐らくとても疲れていたのだろう。
目を覚ますと冴えない空。雨が降るのかと思ったが、そうでもない。時折風が吹き、時折薄日が射す、そんな土曜日。空は知っているのだろうか。今日が2月29日であることを。
昼過ぎに相棒が予告もなく人を連れてきた。誰を連れてきたと思う? と悪戯っ子のような表情で相棒が言うなり、背後から大男が顔を出した。相棒と彼はかれこれ15年くらいの付き合いで、友人と知人のちょうど中間のような存在だ。一緒に食事に出掛けることも家での食事に招くこともないけれど、時折電話を掛けてきて互いの近況報告をしたり、相手が困っていると知れば自分のやりかけの仕事を畳んで助けに行くような間柄らしい。時には近所のバールで一緒にパニーノを齧ったり、カッフェを奢り合ったり。近すぎない人間関係。丁度良い距離を保った関係。と、第三者の私は羨ましく思うのだ。さて、5年振りに見た彼。私の記憶と少々違う。5年という年月で少し老けたのかと言えばそうじゃない。前よりも男前になって、そして若々しく見えた。そういえば5年前の彼は、当時の恋人とひと悶着あって辛そうだった。彼を拘束し過ぎる恋人とは、その後、残念な結果になったが、恐らく今は新しい恋人と良い関係を持っているに違いない。元気そうじゃない。前よりも男前になったみたいよ、と言うと彼は無理に眉をしかめて見せたが、すぐに嬉しい気持ちの方が勝って、しかめっ面が大きな笑顔になった。イタリア人は働かないなどと人はよく言うけれど、私よりもずっと若い彼は単身の自営業で、朝から晩まで良く働く。土曜日だって祝日だって、必要とあれば働くから、顧客に大変評判が良く、休む暇なしだ。そんな彼も1年に2度休暇を取る。夏の暑い時期とそしてちょうど今頃。2月という月は休暇を取るのに都合よい。少しの予算でたっぷりと楽しめると言うのが彼の言い分だ。スキーなどは嗜まない彼の行き先は大抵温暖な場所で、例えばカナリア諸島とか、例えばマデイラ島。マデイラ島は特に大変な気に入りらしく、君も一度は足を運ばなくちゃ、その話が出る度に彼は言う。植物にしても野菜や果物にしても、兎に角色が濃くて、見ているだけで元気が出るとのことである。君はきっと好きがと思うよ、というのは私がリスボンを大好きなことを彼は相棒から聞いて知っているからだろう。彼もまたリスボンという街が大好きらしく、その辺りは私と大変気が合うらしい。ところが今年は休暇は取りやめになったらしい。例のウィルスの為だ。残念ねえと言う私に、そうでもないさ、と彼は言う。休暇なんてものは無理やり行くものじゃない。自分に丁度良い時期に行けばいいんだから。若いのに彼は本当によく出来ている。頭と心の中が良く出来ている。ついでに言えば精神がとても健全で、彼の恋人は、そんなところをよく理解しているのかもしれない。女っていうのは手が掛って、と言って随分前に私を笑わせたが、誰もが知っている、彼が恋人にとても優しくて、恋人を喜ばせる為ならどんな無理もすることを。案外そのうち結婚の報告が聞けるのかもしれない。
ところで相棒が彼を連れてきたのは、私がこのところ週末と言うのに家で燻ぶっているかららしい。今日は寒くないぞ。太陽はでていないけれど、寒くないよ。外に出ようよ。相棒と彼はそう言って私を外に連れ出そうとしたが、私は首を横に振る。嫌よ。でも、彼らの気持ちは有難かった。一日も早く、このウィルス騒ぎが終わるといい。そうしたら、まず初めに、相棒と彼を誘って、近所のバールでアペリティーヴォを楽しむのだ。
マデイラ島。一度は行ってみたいと思う。植物にしても野菜や果物にしても、兎に角色が濃い土地。そんな島を歩きまわるのは、どんなに楽しいことだろう。