シンプル

寒い。急激に寒くなって今朝の気温は1度。ボローニャ郊外のピアノーロの丘は霜で真っ白だった。息を吐いてみたら白い煙となって空へと飛んでいった。こんな日は鹿を見れるに違いない。鹿はきりりと寒い日が好きらしく、昨年もそんな日によく姿を見かけたのだ。まずは小さな池の近くの斜面に2匹。池に水を飲みに行くところなのかもしれなかった。それから少し先へ行くと生い茂った背の低い木の下に7匹!ついている。こんなに沢山。寒いのは嫌いだが、鹿に会えるならばまあいいか。と、私は彼らを横目で見ながら丘をぐんぐん下っていった。早めに職場に着きそうだった。早いに越したことはないけれど20分もあるのだからと、職場の近くのバールへ行くことにした。久し振りだった。多分6月以来だった。この辺りには他にバールが存在しない。だからこの辺りで働く人が皆寄り集まって、朝のこの時間はいつも大混雑なのだ。ところがどうだろう、広い店内には数人の先客しかいなかった。どうやらこの不況で多くの会社が社員の自宅待機を実行しているらしかった。そういえばそんなことを幾度も耳にしていた。久し振りに顔を出した私に店主が大きな笑顔で迎えてくれた。Buongiorno! カップチーノを頼んだら店主の息子がミルクの泡の上に美しい葉っぱの絵を描いて出してくれた。掻き混ぜるのが惜しいわねえ。そういう私に隣に並んで立っていた会社員らしい人たちがくすくすと笑った。また描いてあげるから、温かいうちに召し上がれ。店主の息子に促されてやっと砂糖を入れて掻き混ぜた。今日のは特別美味しく感じた。1日の仕事を終えて家に帰るなり袋一杯の栗にひとつひとつナイフで傷をつける作業をした。この栗は姑が、最近あなた達の元気がないから、と昨日店先に栗をみつけて買ってくれたのだ。76歳の、体が不自由で人の助け無しでは生活できない姑がそんな風に私達を思う気持ちが嬉しくも、大人になっても心配をかける自分達が情けなくて、しかしやはり嬉しかった。一日働いて帰ってきてからのこの作業はあまり好きではないけれど、これをオーブンでこんがり焼いて熱々を目と鼻の先に暮らす姑と一緒に食べたら喜ぶのではないかと思ったのだ。幾つかの栗はオーブンの中で大爆発して、おかげでオーブン掃除という余計な仕事が出来てしまったが、焼きあがった栗を布に包んで抱えるようにして家へ行くと姑は大喜びした。そして栗をひとつひとつ剥いてあげると嬉しそうにどんどん食べた。取り留めのないシンプルな秋の一日。シンプルな日常生活。でも、良い一日だった。

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一瞬のこと

久し振りに良い天気の一日だった。空気がキーンと冷たくてまるで冬のような朝だったけど、そのせいか空が素晴らしく青くて気持ちの良い水曜日になった。寒いのはもう良いのだ、心の準備が出来たから。寒くても空が青くて眩しいほどの太陽の光が溢れているのなら、文句のひとつもある筈がない。特に天気に大きく左右される私などは、こんな日が続くと嬉しいのである。今週末はまた3連休。それまでこの良い天気が続いてくれると良い。私は何処へ行くでもないけれど、イタリア中の沢山の人達がこの3連休を楽しみにしているのだから。夕方、空気が薄紫になった。不思議な雰囲気に包まれて、これは一体何なのだろうと思う。いい予感がするでもない。不思議で魅惑的な一瞬だった。一瞬、実にほんの一瞬のことで、見る見るうちに日が暮れて先ほどの薄紫色の空気は消え去った。どれだけの人があの空気に気がついただろう。街の何処かにあの一瞬を共有した人が居るのだろうか、そんなことを考えながら帰路に着いた。

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道行く人々を眺めながら

ボローニャの街中を歩くと色んな所でこんな風景を目にする。夏が過ぎて秋が深まり冬の一歩手前に来ても、人々はテラス席を好んで腰を下ろす。道行く人々を眺めながら、街の喧騒を感じながらワイングラスを傾けてゆっくり時間を過ごすのが好きらしい。分からなくもない。私だって少し前まではこんな風にしてカップチーノを頂いたり食前酒を楽しんでいたのだから。そうしてテラス席に座っていると偶然通り掛った友人知人が足を止めて仲間に入ったり。これはなかなか楽しくて素敵な文化のひとつ、そう私は思っている。しかし、もうテラス席は寒すぎる、人一倍寒がりの私には。スカーフを首にぐるぐる巻きつけていても、例えストーブが置いてあっても、春までテラス席とはさよなら。道行く人々が見えなくても、街の喧騒を感じることが出来なくても、暖かい店内の方が宜しいようだ。これから数ヶ月間、テラス席は寒さに強い彼らに任せておくことにしよう。

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寒い季節にチョコレート

賑やかで軽やかな季節が終わって暫くした頃、私はいつもそんな季節を振り返って懐かしむ。毎年のことだ。多分昔からそんな癖があったのだろうけれど、ボローニャに暮らすようになってからは益々である。其のくらい、ボローニャの秋、そして冬は憂鬱だ。10月が終わらないうちにそんなことを言っているようではこれからやって来る冬はどうするんだい、と皆にからかわれたりするけれど。私は初夏、そして暑い夏が終わった初秋が好きだ。軽やかな季節だ。自分が一番自然な姿でいられる、自然な気持ちでいられる季節なのだ。それでこの憂鬱な寒い季節のことであるが、ひとつ素敵なことがある。チョコレートである。私はチョコレートが大好き。何処の国のどの店のでなくては、なんて拘るほどではないけれど、良質に越したことはない。沢山頂く必要はない。美味しい奴をひとつ。それで十分満足なのだ。だけど面白いことに初夏から初秋にかけての季節にはチョコレートに手が出ない。いや、手は出るけれど無性に食べたくなるとか、口に放り込んだ時に美味しさのあまりに感無量みたいな感覚に陥ることがない。それが素足でモカシンシューズを履く季節が過ぎ去って、温かいジャケットを着込みスカーフを首にぐるぐる巻きつけるようになると急変する。良質のチョコレートをひとつ。それだけでほっとするような、助かったような気がする。この季節にはチョコレート。そんな風に思っている人は、案外沢山いるのかもしれない。

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この場所

雨の降らない週末。でも朝晩霧が出て街中が湿っている、そんな感じのボローニャだ。この時期特有の気候。もっとも、この時期と言ってもこれから冬が終わるまでしばしばこんな風なのだから、溜息のひとつもついてしまう。まだアメリカに居た頃、ボローニャへ引っ越すことに決めた頃、雑誌のページにこんな天気のイタリアの写真を見てちょっと郷愁が漂っていていい感じだと思ったのは何故だったのだろう。郷愁なんて感じないし、ましてやいい感じでもなんでもない。やはり空はからりと晴れ上がっていたほうが良いに決まっているのである。多分、私はそんな風に思い込んでしまったのだ。多分、古いイタリア映画の影響だ。さて、昨日はそんな中を歩き回って疲れてしまったらしい。たった2時間だけなのに。案外私の身体は自分が気がつかないだけで、休養を欲しているのかもしれなかった。夕方、観念してベッドに潜り込んだ。まだ夕食もとっていないのに。目を閉じたら直ぐに眠りの渦に巻き込まれた。夢の中で私はその日歩いた道を歩いていた。歩きながら考えたことを夢の中でも考えていた。ここを歩くのは二回目だ。17年前相棒と歩いたことがある。あの時私はここでどんなことを感じたのだろう。幾ら考えても思い出せないけれど、今こうして眺めてみると案外悪くないものだ。そんなことを。17年前にここに来た時は、まさかいつかこの町に暮らすとは思ってもみなかった。何年かに一度、家族を訪ねに来ることはあるとしても。人生とは自分が思ってもいない方向にいくことが多々あるらしい。私の人生がそのいい例である。それとも私が知らないだけでそういう計画が私の人生にはちゃんと組み込まれていたのだろうか。考えても答えは出ないが、答えが出ないこともあってもよい。夢の中で私は路地を歩き、気に入りの靴屋の店先を眺め、本屋で写真集を手に取り、カフェに立ち寄ってカップチーノを頂いてからバスに乗って家に帰ってきた。少しすると疲れがどっと出て椅子に座ってられなくなってベッドに潜り込んだ。そんな夢。私は懇々と17時間も眠っていたらしい。目を覚ますと日曜日になっていて、霧の向うにうっすらと太陽の姿が見えた。

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