寄り道

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昼間の暑さはともかくとして、朝晩の涼しさ。やはり夏は終わりを告げようとしているのだろう。長い夏季休暇を終えていつもの生活が始まって分かったこと。それは日が昇る時間が遅くなったことだ。何しろ何週間ものんびり起きる日が続いていたから、6時を過ぎてもまだ暗くて驚いてしまった。昨年の今頃もこんなだっただろうか。勿論そうだったに違いないのに、そんなことを考えては首を傾げる。晩がやってくるのも早くなった。なんだ、なんだ、雨でも降るのか、と暗くなり始めた空を眺めていたら、夜がやって来た。20時前に夜がやって来るなんて。と、これにも同じような疑問を持つのだ。昨年の今頃もこんなだっただろうか、と。

旧市街に立ち寄ったのはちょっとお使いごとがあったからだった。それで、ついでだからと小さな店を訪ねた。ところがガラス戸には貼り紙があって、9月になったら帰って来るとのことだった。チョコレートを売る店で、店の奥で作っている。イタリアでは夏場になるとチョコレートが手に入りにくい。とけてしまうから、味が変わってしまうから、と言う理由からだ。そんなことも、もう何年も経っているのだから覚えていてもいいはずなのに、うっかりしてしまった。第一、8月にチョコレートを食べたいと欲したこと自体が珍しい。もしかしたら、もう何年も8月にチョコレートを望んだことがなかったのかもしれない。ガラス戸の貼り紙の前に、一体どのくらい居たのだろうか、私は。と、後ろから肩をポンポンと叩かれた。この店は6月から休んでいるんだよ。9月って言ったって20日ごろに店が開けばいい方なんだ。声の主はちょっと洒落た老人だった。清潔な印象の麻素材の上下に綺麗に磨かれた白い靴を履いていた。表情は柔らかく、店の前に棒立ちする外国人を可愛そうに思った、そんな感じの表情だった。私が老人に同意して、そうだった、そういえば毎年そうなのに、うっかりしてしまったと言うと、うん、うん、此処のチョコレートは旨いからな、と笑った。仕方ない、もうひと月待つことにしよう、と店を離れた。老人は何処へ行くのだろうと思って振り返ってみたら、近くのカフェのテーブル席に着くところだった。店の常連なのか、給仕と楽しそうに話をしている。食前酒だろうか。気ままな生活をしているのだろう。そんな愉しい空気が彼の周りにはまとわりついていたから。私も何時かそんな気ままで愉しい生活をしよう。

今夜は月が美しい。月は日に日に膨らみを増して、一週間後には満月だ。雨が降らぬように、お願いしておきたいと思う。




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見えない花火

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昨日の、8月最後の土曜日は、実に暑い一日だった。なのに昼から人に会うために外に出たものだから、どうやら暑さにやられたらしい。いつの頃からか食が細くなってしまったが、それに輪が掛って食欲がない。どうやら夏バテらしい。夏季休暇の最後に来て夏バテだなんて、と大きな罪を犯したような気分に包まれ、昨晩はのんびり過ごすことにした。早めにベッドに横たわって本を読む。著者がそれを知ったら、眉を顰めるだろうか。しかしこれが至極の幸せな時間だと言えば、著者も少しは気をよくしてくれるかもしれない。この夏は、ようやく涼しい風が吹き始める晩に、こうして体を横たえて本を読むのが私の楽しみのひとつとなって、その時間を心待ちにする程にもなっていた。

23時半を過ぎた頃だったと思う。横たわって本を読んでいた私は耳を澄ました。パン、パン、パンパン。遠くから聞こえる軽快な音。打ち上げ花火のようだった。花火は見えるだろうか、と私は起き上がってテラスに出てみた。南の方角から聞こえるが、花火の姿は見えなかった。ただ、確かに花火を打ち上げている証拠に、南の空に弱い稲光のような、余韻と呼んでいいような仄かな光が確認できた。Monte Adone 辺りかもしれなかった。猫は花火の音が怖いらしい。ソファの上にぐるりと丸まって、身体を固くしている。彼女は物音や大きな声が大嫌いなのだ。中でも一番嫌いなのは掃除機の音で、これが始まったら家具の下に隠れて暫く出てこないくらい恐れている。次から次へと音がする。何処の誰だか知らないけれど、随分気前が良いと思った。100発ほど打ち上げたに違いない。そうして家の壁時計が零時を指す頃、打ち上げる音がピタリと音が止んだ。さよなら、楽しかった夏、と言ったところなのだろうか。少なくとも月曜日からいつもの生活パターンに戻る私には、そんな風に思えた。

暑い夏だった。かつてない暑さだったように記憶するが、しかしそれも私がそう感じただけなのかもしれない。それにしても楽しい夏季休暇だった。気のせいや記憶違いじゃない。こればかりは、100パーセントの確信がある。さよなら、楽しかった私の夏。また来夏まで。




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ゆらゆら揺れる

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13時半を過ぎた頃、ボローニャ旧市街のポルティコの下を歩いていた。約束の時間には少々早くて、さて、どうしたものかと思っていたところだった。普通の土曜日ならば沢山の人が行きかうこの通りも、こう暑くては話が別なのだと言うように、ひと気がなかった。アスファルトの上には熱気がゆらゆらと揺れ、本当ならば熱を遮って快適なポルティコの下の通路ですら、蜃気楼が見えそうな暑さだった。こんな日のこんな時間に旧市街に居るのが悪い、と責められているようだった。そして、何故、こんな日のこんな時間帯に人と約束をしてしまったのだろうと、自分の失敗にがっかりしていた。この場所から、長年存在していたアルマーニの店が無くなってから随分になる。店が流行っていたかは知らないが、そして、自分がアルマーニを好きかどうかは別にして、店が無くなって残念に思っている。私はアルマーニに小さな思い出があって、だから店のショーウィンドウに飾られた美しいラインのジャケットを眺めては、温かい気持ちになったものなのだ。アメリカに居た頃、私は行く先々で、色んな人に支えられていた。そのうちのひとりがシボルで、彼女が好んで着ていたアルマーニのジャケットは24年経った今も忘れることがない。美しい姿のシボル。すらりとした長い脚。白いシャツに無造作に着たアルマーニのジャケット。ファッション雑誌から出てきたように格好良かった。だから、ボローニャに来て、この通りにアルマーニの店を見つけた時、旧友か何かに再会したような気がして嬉しかった。シボル、彼女は今頃どうしているだろう。アルマーニの店はもう無い。何年も前から。それでもここを歩くたびに思い出すと言うことは、私にとってあの店は、シボルを思いだす大切な存在だったのかもしれない。

前方から若い女性が歩いてきた。私が目を見張ったのは、彼女の美しい姿、美しい色のくるぶし丈の長いワンピース、そして足の付け根まであるのではないかと疑うほどの長い長いスリットだった。ワンピースの割れ目から見える彼女のすらりと長い脚。それを眺めながら、ボローニャのこんな場所で、昔ならば映画スターくらいしか着なかったような長いスリットのワンピースに出会ったことに、私は一種の感動を覚えていた。少なくと私がボローニャに来たばかりの頃には、こんな女性は居なかった。もっと保守的で、あれは駄目、此れも駄目、と周囲の目が厳しかった。ショートパンツなどで外に出掛けようものならば、海辺に行くんじゃないんだからと窘められたものだった。自由になった。そう思いながら、しかし私には彼女のような勇気は到底なく、既に通り過ぎていった彼女の後姿に無言の賛辞を贈った。Brava! その調子よ。

夜がやってくる少し前になると、家の前の上空に蝙蝠がひらひらと舞い飛ぶ。ひらひら、ひらひら。蝙蝠が舞い飛ばなくなったらば、本格的に夏が去っていくのだろう。




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開けない窓

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午後の陽に照らされた橙色の壁がぎらつく。時折風が吹くも、地上は酷い暑さらしい。らしい、と言うのには訳がある。今日は一日家に立てこもって、外の様子は窓辺からしかわからないからだ。夏場、この辺りの人達は、雨戸や日除け戸をあまり開けることがない。これは休暇で留守の場合もあるけれど、外の熱気を遮断するための知恵で、実際閉めていると家の中がひんやりと気持ちが良い。それに同意できるようになるまで、長い時間が掛ってしまった。私はボローニャの人達が、窓を全開しない理由はさておいて、何とも閉塞的で肌に合わないと長い間思っていたのだ。

自ら望んで行った街の生活は、たとえ其れが夢に描いていたような生活でなかったとしても、しかし自分が望んできたのだからと一種の割り切りがある。例えば私がアメリカに暮らし始めた時の生活がそうだった。もっと愉しくて全てが順調にいくと思い込んでいたから、現実と理想の差に愕然としたものだけど、それでも私はこの街に居る、私はずっと望んでいたこの街、だから頑張ろう、少しづつ前に進んで行けばいいのだ、などと我を励ましてポジティブでいられた。ボローニャに来ることだって、それなりに気持ちの整理をしてでのことだった。何処に住んでも私は私。それに夫となった相棒の故郷で暮らすのだから、きっと上手くいくだろう。少しづつ、波に乗れるようになる筈だ。でも、私は自分をそんな風にして説得していたのかもしれない。その気持ちの背後には、好きだったアメリカの街を離れる悔いとか、未練とか、そうしたものがあったのだろうと今は思う。兎に角、そうしてやってきたボローニャは、真夏なのに窓を開け放たず、家の中はいつもうす暗くて、クサクサしてどうしようもなかった。夏場は交通手段となるバスの本数がぐっと減り、路線によっては運休だったりして、不便極まりなかった。そうしたひとつひとつの不満や疲れが、私には、ボローニャの人達は窓を開け放たず家の中が暗い、それに通じていたような気がする。日射しが強い分、日影が濃かった。その影の濃さが、私のボローニャでの生活を表しているようで、不安でならなかった。ポジテゥブとは実に簡単で都合のよい言葉だった。不安や孤独に押しつぶされそうだったから、無理に明るく元気でいた。そういう私を相棒は、彼女はポジティブだからと皆に言っていたから、私が本当の気持ちを明かした時の相棒の驚きは、それはそれは大きかっただろう。それなりに覚悟してきたけれど、私にとってボローニャは相棒の生まれ故郷、家族が住んでいる町以外のなんでもなかった。それを承知してきたけれど、数か月経つとやりきれない気分になった。私がボローニャに行くことを決めた時、知人が言った。本当に、本当にそれでいいの? 私はよく考えて決めたことなのだ、後戻りはしない、と言ったけれど、ちょっと格好良すぎたと思う。あの問いを投げかけた彼女は、それ程私のことを知っている人ではなかったのに、しかし、案外そういう人だからこそ、冷静な視線で私という人間を観察できたのかもしれない、と今は思う。ボローニャが悪いわけじゃない。実際、ボローニャに来て暮らしている外国人たちの多くは、皆楽しそうに生活しているのだから。そして私は、ボローニャに来てから体験した様々なことを残念には思っていない。上手くいかない時期が長かったから、今が愉しいのだろうと思っている。ボローニャが嫌いだったから、今はボローニャが好きだと言い換えてもいいかもしれない。そう思えば、人生とはうまくできていると思う。みんな平等に、良いことが与えられているのかもしれない、と。

街に人が帰って来た。皆強かに肌を焼いて、そんなに焼いて大丈夫なのかと心配になるほどだ。筋向いの建物の庭では、昨晩休暇から帰って来たお祝いなのか、それとも家の中が暑くてどうしようもなかったのか、丸い電球を幾つも点けて、その下に大きなテーブルと沢山の椅子を並べて、夜遅くまで愉しそうなお喋りが続いた。時々、チン、チン、とワイングラスを重ねあう音がして、ははあ、また誰かが加わったな、これでは何時まで経っても終わるまい、と思ったけれど、それをとやかく言う人もいない。大声で笑う人もいなければ、大きな声で話す人もいない。皆それなりに常識があって、しかし楽しいお喋りと美味しいワインはなかなか終わりにできない、という訳だ。そのうち私は心地よい眠りに落ちて、だから彼らの宴がいつ終わったのかはわからない。




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ヴァレーゼの人

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予告通り、ボローニャに暑さが戻って来た。昼前にちょっと近所に買い物に行った。近所と言っても目当ての店はうちのすぐ近くにはない。バスの停留所にすればふたつ先だ。これを遠いと言うか近いと言うかは、個人の感覚の違いだろう。数日前の過ごしやすい気候だった頃は、このくらい、と疑問にも思わず歩いたものだが、今日はそうはいかない。考えた挙句、歩くことにした。停留所ふたつくらいでバスに乗るなんてと、近所の健脚な老人たちに揶揄われないようにとの心理が働いてのことであった。
薬屋には最近足繁く通っている。それから青果店にも。前に購入した桃が美味しくなかったのをちらりと零してから、店主の桃選びは実に慎重だ。今日も、桃を8個、美味しいの選んでほしいと注文をつける私に、勿論ですよ、シニョーラ、僕はいつも真剣に選んで…と、そこで言葉が切れたので何かと思えば、シニョーラ、今日はいいトマトが手に入ったんです、ほら、と言って私に見せる。いつものダッテリーニと呼ばれる種類の、小さな楕円形のトマトであるが、確かに赤くて新鮮で甘そうだ。それで、それも小さなケースごと購入することにした。思うにこの店主は、隅に置けぬほど商売上手なのではないか、と真上から照り付ける太陽の下を歩きながら思った。本当は家の少し先にあるジェラート屋さんにも行きたかったが、エネルギー切れ。したたかに汗を掻いて、ジェラートよりも家に帰ることを選んだ。ジェラートは、夕方にでも相棒に買ってきて貰えばいいのだから、と。
昼食の準備をしようとキッチンに立ったところで、近所の老人が見ているテレビのニュースが耳に飛び込んできた。近所と言ってもテレビの音など、本来聞こえる筈もないくらい離れているのによく聞こえるのには理由がある。老人は耳がとても遠いのだ。それに一人暮らしでもあるから、テレビのヴォリュームは大きくし放題なのだ。そして一向にヴォリュームが下がらないところを見ると、近所で文句を言った人は居ないようである。だからうちも文句は言わない。別に特に困ったことにもなっていないから。さて、老人は昼のニュースを見ているらしい。テレビの画面こそ見えないけれど、ニュースの内容は理解できるほどよく聞こえる。つまり、老人のテレビは、私たち近所の人達にはラジオみたいな存在なのである。それでそのラジオから、ヴァレーゼという北イタリアの、殆どスイスとの国境に近い町の名前が聞こえてきた。ヴァレーゼ…と、繰り返して発音してみたら、ああ、そういえば、と思いだした。

私は教会の前の広場に立っていた。ヴィエンナ滞在最後の日で、その日の夕方にはボローニャへと発つことになっていた。今にも雨が降りそうな天気で、肌寒いほどの気温だった。連日の暑さに辟易していた私には、ヴィエンナからの贈り物のように思えた。大きな教会だった。いつも遠目に見ていた薄緑色の丸い屋根がこの教会だったのか、と思いながら、広場の真ん中にある大きな噴水を眺めていた。水面は曇り空を反映した、重い薄緑。こういう色は嫌いではないと思いながら眺めていたら、とうとう雨粒が落ちてきた。このぐらいと思っていたが止む様子はなく、それで階段を上がって教会の軒下に駆け込んだ。軒下には先客が居た。夫婦者で、50代半ばくらいだろうか。妻は美しい金色の髪を綺麗にセットしていて、雨には濡れたくないわ、と言った感じだった。夫の方は高価そうなカメラを手に、しきりにシャッターを切っていて、時々ふたりで言葉を交わしていた。何語だろうか、何処の国の人達だろうか、と耳を澄ましていた。聞いたことがあるような、ないような。その時妻の方が、Bene、と言った。それで彼らがイタリア人であることが分かったところで、ふたりから話しかけられた。訊けばヴァレーゼから来ているという。先ほど到着したばかりなのだそうだ。彼らはヴィエンナが初めてらしい。妻は早く旧市街を歩きたいのに、夫はすぐに立ち止まって写真を撮るから少しも先に進まないと言った。それを聞きながら、ははあ、確かにイタリア語だけれど、何と違うタイプのイタリア語なのだろうかと思った。あなた達がイタリア人だなんて少しも分からなかった、アクセントが全然違うのよ、私が住んでいるボローニャと、と言うと、ああ、ボローニャか、確かに違うだろうなあ、と言うので私達は顔を見合わせながら大笑いした。イタリアは大きな国ではないけれど、街によってイタリア語の言い回し、話し方、アクセントも異なる。私がイタリア語だと思って使っていた言葉がボローニャでしか通用しない言葉だったりして、ボローニャ生まれの友人たちに揶揄われたことがある。なんだ、あなた、すっかりボロニェーゼになってしまって、と。私達は偶然教会の軒下で会ったよしみで、ちぐはぐなイタリア語に笑いながら、あれこれ話して別れた。良い旅を。あなた達も、と。
ヴァレーゼの夫婦者、あれから散策を満喫できただろうか。なかなか先に進まないと、妻が怒りはしなかっただろうか。涼しいヴィエンナが有難がったに違いない。耳に飛び込んできた近所の「ラジオ」の言葉、ヴァレーゼでそんなことを思いだした。

陽が落ちるのが早くなったようだ。20時には日没らしい。少し前まで21時になっても空が明るくてと話していたと思ったのに。そうすると、いよいよ8月の終わり。私の夏季休暇も終盤を迎えて、ちょっぴり残念な気分なのだ。




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