予告通り、ボローニャに暑さが戻って来た。昼前にちょっと近所に買い物に行った。近所と言っても目当ての店はうちのすぐ近くにはない。バスの停留所にすればふたつ先だ。これを遠いと言うか近いと言うかは、個人の感覚の違いだろう。数日前の過ごしやすい気候だった頃は、このくらい、と疑問にも思わず歩いたものだが、今日はそうはいかない。考えた挙句、歩くことにした。停留所ふたつくらいでバスに乗るなんてと、近所の健脚な老人たちに揶揄われないようにとの心理が働いてのことであった。
薬屋には最近足繁く通っている。それから青果店にも。前に購入した桃が美味しくなかったのをちらりと零してから、店主の桃選びは実に慎重だ。今日も、桃を8個、美味しいの選んでほしいと注文をつける私に、勿論ですよ、シニョーラ、僕はいつも真剣に選んで…と、そこで言葉が切れたので何かと思えば、シニョーラ、今日はいいトマトが手に入ったんです、ほら、と言って私に見せる。いつものダッテリーニと呼ばれる種類の、小さな楕円形のトマトであるが、確かに赤くて新鮮で甘そうだ。それで、それも小さなケースごと購入することにした。思うにこの店主は、隅に置けぬほど商売上手なのではないか、と真上から照り付ける太陽の下を歩きながら思った。本当は家の少し先にあるジェラート屋さんにも行きたかったが、エネルギー切れ。したたかに汗を掻いて、ジェラートよりも家に帰ることを選んだ。ジェラートは、夕方にでも相棒に買ってきて貰えばいいのだから、と。
昼食の準備をしようとキッチンに立ったところで、近所の老人が見ているテレビのニュースが耳に飛び込んできた。近所と言ってもテレビの音など、本来聞こえる筈もないくらい離れているのによく聞こえるのには理由がある。老人は耳がとても遠いのだ。それに一人暮らしでもあるから、テレビのヴォリュームは大きくし放題なのだ。そして一向にヴォリュームが下がらないところを見ると、近所で文句を言った人は居ないようである。だからうちも文句は言わない。別に特に困ったことにもなっていないから。さて、老人は昼のニュースを見ているらしい。テレビの画面こそ見えないけれど、ニュースの内容は理解できるほどよく聞こえる。つまり、老人のテレビは、私たち近所の人達にはラジオみたいな存在なのである。それでそのラジオから、ヴァレーゼという北イタリアの、殆どスイスとの国境に近い町の名前が聞こえてきた。ヴァレーゼ…と、繰り返して発音してみたら、ああ、そういえば、と思いだした。
私は教会の前の広場に立っていた。ヴィエンナ滞在最後の日で、その日の夕方にはボローニャへと発つことになっていた。今にも雨が降りそうな天気で、肌寒いほどの気温だった。連日の暑さに辟易していた私には、ヴィエンナからの贈り物のように思えた。大きな教会だった。いつも遠目に見ていた薄緑色の丸い屋根がこの教会だったのか、と思いながら、広場の真ん中にある大きな噴水を眺めていた。水面は曇り空を反映した、重い薄緑。こういう色は嫌いではないと思いながら眺めていたら、とうとう雨粒が落ちてきた。このぐらいと思っていたが止む様子はなく、それで階段を上がって教会の軒下に駆け込んだ。軒下には先客が居た。夫婦者で、50代半ばくらいだろうか。妻は美しい金色の髪を綺麗にセットしていて、雨には濡れたくないわ、と言った感じだった。夫の方は高価そうなカメラを手に、しきりにシャッターを切っていて、時々ふたりで言葉を交わしていた。何語だろうか、何処の国の人達だろうか、と耳を澄ましていた。聞いたことがあるような、ないような。その時妻の方が、Bene、と言った。それで彼らがイタリア人であることが分かったところで、ふたりから話しかけられた。訊けばヴァレーゼから来ているという。先ほど到着したばかりなのだそうだ。彼らはヴィエンナが初めてらしい。妻は早く旧市街を歩きたいのに、夫はすぐに立ち止まって写真を撮るから少しも先に進まないと言った。それを聞きながら、ははあ、確かにイタリア語だけれど、何と違うタイプのイタリア語なのだろうかと思った。あなた達がイタリア人だなんて少しも分からなかった、アクセントが全然違うのよ、私が住んでいるボローニャと、と言うと、ああ、ボローニャか、確かに違うだろうなあ、と言うので私達は顔を見合わせながら大笑いした。イタリアは大きな国ではないけれど、街によってイタリア語の言い回し、話し方、アクセントも異なる。私がイタリア語だと思って使っていた言葉がボローニャでしか通用しない言葉だったりして、ボローニャ生まれの友人たちに揶揄われたことがある。なんだ、あなた、すっかりボロニェーゼになってしまって、と。私達は偶然教会の軒下で会ったよしみで、ちぐはぐなイタリア語に笑いながら、あれこれ話して別れた。良い旅を。あなた達も、と。
ヴァレーゼの夫婦者、あれから散策を満喫できただろうか。なかなか先に進まないと、妻が怒りはしなかっただろうか。涼しいヴィエンナが有難がったに違いない。耳に飛び込んできた近所の「ラジオ」の言葉、ヴァレーゼでそんなことを思いだした。
陽が落ちるのが早くなったようだ。20時には日没らしい。少し前まで21時になっても空が明るくてと話していたと思ったのに。そうすると、いよいよ8月の終わり。私の夏季休暇も終盤を迎えて、ちょっぴり残念な気分なのだ。