出会いと別れ

今日、私の中で小さな幕が下りた。決して一生の別れではないが、自分の中でひとつの時代の幕が下りたような感じである。
ボローニャで暮らす中で色んな出会いと別れがある。出会いは何時だって嬉しくて楽しいもの。そして別れは何時も寂しくて取り残されたような気分になる。正直言って性格の違うもの同士だったから良いことばかりではなかったはずだ。でも終わり方があまりに気持ちよかったから、やはり出会えてよかったと思い、また何時かどこか出会う日が来ればよいと思う。人間だもの、良い部分と悪い部分を持ち合わせている。私はどの人と付き合う時も良いところをひとつひとつ数えてみる。そうすれば悪い部分など霞んで見えるものなのだ。これは自分がずっしりと落ち込んでしまった時にするゲームと同じだ。そんなことはない、ほら、あなたにはこんな良いところがある、それからあんなことも。そんな風に指を一本づつ折り曲げながら数えていると、まんざら悪くないなと思えてきて、また頑張ってみようかなと思えてくる。そんな風にして他人の良いところをひとつひとつ摘み上げていくとよい。ああ、この人と出会えてよかったと思えてくる。
5月の終わりの午後にある人が去っていった。この瞬間どんな心境になるのだろうと数日前から想像していたが、実際の心境は想像していたどれにも当て嵌まらなかった。沢山のことを学ぶチャンスを与えてくれて有難う。振り向かずに去っていくその人の後姿を見ながら私は声にすることが出来なかった言葉を心の中で呟いた。時々ボローニャのことを思い出してくれたら良いと思う。

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長い土曜日

最近頻繁に雨が降る。でも、これまでの雨とは少し違う、夕立ちと呼ぶのがぴったりくるような雨である。急に空が暗くなって風が吹き出したと思った傍から、ぽつり、ぽつりと大粒の雨が降り落ちてくる。そして、天の覆いが破れたようにあっという間に大雨だ。ひとしきり降ると空の気が済んだかのようにまた穏やかな空に戻る。毎日その繰り返し。そういう季節なのかもしれない。昨日の土曜日は特に何の用事もなかったのに早起きした。とても疲れていたのに、とても眠かったのに、もっと眠っていたかったのに目が覚めてしまった。仕方ない、起きるか。そうして濃いカフェにぬるい牛乳を注いだりしているうちに本格的に目が覚めて、いつもの土曜日よりも早く一日をスタートすることになった。家の仕事を済ませてもまだ昼前だった。早起きすると一日がこんなに長いのだな、と当たり前のことに久し振りに気が付いて、得した気分になった。天気は上々。窓の外を覘くと道行く人々は皆半袖で足取りも軽い。そうだ、私も出掛けよう。と、バスに乗ってボローニャ旧市街へ向った。いつもの土曜日よりも人が少ない。多分こういう訳だ。6月2日の水曜日はイタリア建国記念日で祝日だから、多くの人が月曜日、火曜日と休みを取って何処かへ遊びに行っているのだろう。多分海か何処かに。人が少なくて結構。私は人混みが苦手なのでこんな空いた旧市街は私にとっては天国のようだ。Via Ugo Bassi を歩き出して思い出した。そうだ、確かこの辺に。行ってみると店の入り口から凄い人混みであった。MUJI と書かれている横に無印良品と書かれていた。何週間か前にこの店がオープンする情報を得て、一度足を運んでみたいと思っていた。私が日本に暮らしていた頃、それは無印良品と呼ばれていた。初めて聞いた時は、素朴な名前だなあ、と驚いたが聞きなれるととても普通でいい感じだと思った。あの頃はあまりアイテム数もなかったけれど、自然な感じがして好感を持っていた。それで、MUJI と言われてもピンと来ない。もう少し付け加えると、時代が変わったのだ、と教えられているような気がしてならない。だからMUJI と書かれている横に無印良品と書かれているのを見つけて安堵した。ところで大変な人気であった。地上階と地下の階を見て周ったけれど、何処も人が一杯。平日に出直すことにしよう。そう呟きながら店を出ようとした時に目に入った。プラスティックの容器達。例えばローションやクリームを数日分だけ旅行に持っていきたい時に便利なあの小さな容器。例えばシャンプーとかボディソープを入れるシンプルな形の容器。こういうものはあって当たり前の国に生まれて育った私が、アメリカへ行きイタリアに来て、それらが手に入らないことをどんなに不便に感じていたことか。感心しながらそれらを手に取っているのは私だけではない。周りに居たイタリア人女性たちが、こういうのが欲しかったのよね! と言いながら喜んでいるのみて、何十年も前からこういうものが当たり前のように存在していた国に私は生まれ育ったのだな、と思ったら可笑しいほど嬉しくなってきた。それにしても凄い人なので店から逃げるようにして出た。Piazza Maggiore へ行くと何やら赤いものが。近寄ってみると風船だった。風船の端末には葉書きが添えられていた。ひとつひとつ見てみたが、ある葉書きには願い事が、ある葉書きには遠くにいる友人への挨拶が。皆それぞれが思いを託しているらしい。この風船はこの後どうするのだろう。空へと放つのだろうか。風船は不思議だ。特に赤い風船を見ていると子供の頃を思い出す。父親にねだって買って貰ったのも赤い風船、遊園地でピエロに貰ったのも赤い風船だった。もっとも風船を貰っておきながらピエロが怖くて散々泣いて、回りの大人を困らせたけれど。夕方になる前に家に帰った。その途端また例の夕立が始まった。窓の外の大雨を眺めながら、あの赤い風船のことに思いを馳せ、思いがけずMUJI が呼び覚ました日本への郷愁に浸った。

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教会の脇

ボローニャ旧市街を歩いている時、偶然友人知人とばったり出会うことはあまりない。もしかしたら私が気が付いていないだけなのかもしれない、とも思う。眼鏡を掛けなければちょっと先に歩いている人の顔が良く見えないからだ。それなら何時も眼鏡を掛けていれば良いでわないかと皆が言うが、時々眼鏡を掛けたくなくなる。理由はない。単にそんな気分なのだから仕方がない。だから相手が私に気が付いた場合は、相手のほうから声を掛けてくれるのが大変好ましい。私が声を掛けられる場所の多くはアルキジンナージオ通りのポルティコの下、つまりサン・ペトロニオ教会の脇であることが多い。ボローニャに暮らして二年くらいの頃、知人のそのまた知人に声を掛けられた。朝方沢山雪が降った為に辺りには雪が積みあがっていた。あの頃の私はまだ目が良くて眼鏡なんて無縁だったが、何しろ知人のそのまた知人である為に正直なところ彼女の顔を良く覚えていなかったのだ。けれども当時日本人がまだ少なかったから、彼女には私という人間がとても印象的だったらしく、私のことを遠くからいち早く見つけ出してくれた。大きな声で私の名前を呼びながら、大きく手を振って駆け寄ってくる彼女を見ながら、あら、誰だったかしら、と思ったが、人懐こく首に腕を絡み付けて頬を寄せて挨拶をする彼女からいい匂いがして思い出した。ああ、彼女だ。初めて知り合った日も彼女はこの香水をつけていて、ああ、いい匂いだな、と思ったのだ。それは鼻先を擽るような匂い。ついに彼女に質問することはなかったが、私の感性みたいなものをそわそわさせる、とても気になる、私好みの匂いだった。私よりずっと若かったが優秀なのだろう、彼女はボローニャの大きな病院の精神科の医師をしていた。精神科の医師をしている彼女は人の気持ちにとても敏感で、だから当時道を見失いかけていた私の心を直ぐに感じ取って、何かにつけて私とお喋りをしようとしてくれた。私のイタリア語は散々だったが、辛抱強く耳を傾け、うん、うん、と相槌をうってくれたのが私にはとても嬉しかった。そのうち彼女は私の周辺から急に消えてしまった。知人に訊いたが知人もまた何も知らなかった。どこか別の街に暮らすようになったのか。外国へ行ったのかもしれないね。時々知人とそんな風に彼女の行方を想像した。あれからもう10年以上が過ぎた。なのに此処を通り過ぎる時は今でも彼女が手を大きく振って駆け寄ってくるような気がしてならない。

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ツバメの季節

ボローニャに初夏がやって来て、やっと5月下旬らしくなった。正直なところ数週間損した気分を拭いきれないが、それにしても空が明るいっていい。半袖で過ごせるって気持ちが良い。夕方になるとツバメ達がすいすいと宙に曲線を描きながら飛んでいる。それを見ながら何時も思い出す。私がローマの生活にピリオドを打ってボローニャ市内に借りたアパルタメントのことを。そもそも私がローマで生活するようになったのは単にローマに職を得たからだった。当時、私と相棒はボローニャ郊外の田舎町に部屋を借りて暮らしていた。腹を割って話し合える友達も居なければ安定した職もない。何をしたら良いのか分からなくなり、何故こんな所にきたのかに疑問を持ち始め、自分を見失いそうになった頃にローマに職を得たのだ。ローマでなくても良かった。ただ、偶然ローマだった。それから私と相棒はボローニャとローマを行ったり来たりする生活を始め、しかし一年も満たない頃にそんな生活に疲れてしまい私はボローニャに帰ってきた。ローマの仕事も仲間も新しい友人達も皆好きだったが、もうこの辺で帰った方が良さそうだ、と思ったからだった。それに向けて相棒がアパルタメントを見つけてくれた。私が希望していた通り、ボローニャ旧市街に程近い所に。交通が便利で店が近くにあって歩いてでも旧市街へ行けるような場所に。小さなアパルタメントだったが25平方メートルほどのテラスがあった。其処に暮らし始めると短い秋がやって来て長い冬に入った。だから折角広いテラスがあってもただの空きテラスでしかなかった。ところが春を迎えて初夏になると、テラスの上をすいすいと飛ぶ沢山のツバメの存在に気が付いた。一体何処から来るのだろう。と思っていたら近所の家の屋根の下に巣があるのを見つけた。昼間はひっそりしているくせに夕方になると一斉に外に飛び出して飛び回るツバメ達。それを見ていたらこのテラスが特別なものに思えてきて、此処にひとつ、其処にひとつと植物を置くようになった。ツバメ達が空から眺めたときに、灰色のコンクリートの寂しいテラスだと思わないように。いや、違うな。彼らが何時か遊びに来たくなるような楽しいテラスにしたかった。確かそんなことだったと思う。そうして草木を置いて花が咲く楽しいテラスになったけど、ツバメは一度もテラスに降り立つことはなかった。多分彼らは地上に降り立つのが好きでないのかもしれない。だから私は何時も空を見上げてツバメを観察するしかなかった。何十分もそうして眺めていると、大抵首の後ろが痛くなって、やれやれなどと言いながら部屋に入った。あのアパルタメントには結局10年と少し住んだ。狭いアパルタメントだったし騒がしい界隈だったけど、私はそれなりに気に入っていた、この季節に姿を見せるツバメ達のことにしても。今、あのアパルタメントには一体どんな人が暮らしているのだろう。ツバメの存在に気がついているだろうか。私のように空を見上げながら初夏の空を堪能しているのだろうか。

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やっと来た初夏

今日はたったの火曜日。日曜日の小旅行以来、小さな楽しみや用事が沢山あって何となく忙しい。小さな楽しみは幾つあっても嬉しいものだ。さて、小さな用事について改めて考えてみたら、どれも自分のしたいことから生じたもので、つまりは喜ぶべきことであることに気が付いた。日曜日以来、私は色んな小さなことに気が付くようになった。言葉にしたら大したことのないことばかり。でも感じる。長いこと私が求めていた感性みたいなものであることを。これを良い変化と呼ぶことにしようと思う。月曜日に続いて今日もまた、夕方に旧市街へ向った。小さな用事をふたつ済ますために。ひとつが済んでもうひとつを済ますべく歩いていたら、良い雰囲気の場面が目に端っこに入った。火曜日にしては肩の力を抜いて夕方を楽しむ人達の集まり。集まりと言ってもそれぞれがそれぞれの時間を過ごしているだけど、彼らは何かを共有しているように見えた。ボローニャの初夏。やっと来た初夏の夕方。そんなところだろうか。暫くその様子に見惚れ、そしてまた歩き始めた。

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